ページ

2015年10月1日木曜日

遵法に対する日本人と中国人の違い

 昨日書いた「遵法意識のない日本人」という記事で私は日本人は法律や規則といったルールを守る意識はほとんどなく、実際には周囲に行動を合わせることを第一の行動原理としているため結果的に実生活ではルールを守った行動を取っていると主張しました。その上で、案外日本人と中国人で遵法意識についてはそれほど差はないのではないかという仮説を立てましたが、今日はその理由を説明します。

 まず一般的に、日本人と中国人のどちらがルールを守るかと言ったらそりゃ間違いなく日本人に決まっています。中国国内でもこういうルールを守るというかマナーについてはしょっちゅう議論になるほど普段の中国人は悪く、私も以前い観光地で「禁煙」と書かれた貼り紙の前でおっさんが堂々と煙草を吸い始め、それを係員が注意した所「なんで吸ったらダメなんだ!」と逆切れするのを見てああ中国だなと感じたことがありました。
 最近であれば爆買い中国人が日本のあちこちでも見られるかと思いますが彼らのマナーの悪さについては見ていて辟易する日本人も多いでしょうし、実際に小売店各社もあれこれ対策を取っているとも聞きます。これだけ見るととてもとても日本人と中国人で遵法意識に差があるようには見えず、中国人は本当に決まりを守らない人間にしか見えないでしょう。

 にも拘らず何故私は今回このような主張をするのか。結論を端的に述べると、この差は遵法意識の差ではなく集団主義と個人主義の差であると思うからです。

 前回記事で私は日本人はルールを守る意識は薄いが周囲に合わせようとする集団主義的意識が極端に強いため、結果的に集団でルールを守る側が多数派を握れば全体が自然とルールを守るようになると分析しました。ただその一方、多数派がひっくり返れば一瞬で態度もひっくり変わるため、外国人から反復常ならないとか何考えてるのかよくわからないと思われ、また戦前から戦後の転換に絶望した人を生みだしたりするわけですが。
 これに対して中国人はというと、言ってしまえば完全な個人主義です。周囲が何しようが何を言おうが全く意に介せず、「ワシがこうしたいねんからこうするねん!」とばかりに自分がしたいことばかりを全く我慢せずに実行します。っていうかさっきのセリフは敢えて関西弁で書きましたが日本人の中で個人主義的意識が強いのは間違いなく関西というか大阪人で、その辺が中国人と馬が合うポイントでしょう。

 まず前提として日本人も中国人もルールを守ろうという意識は非常に希薄です。ただ日本人は周囲に合わせようとするため結果的にルールを守る行動を採ろうとするのに対し、中国人はさっきの煙草の例のように周囲なんてお構いなく自分の本音を通すというか、もちろん度を越した行為はさすがに控えますが、やりたいことを本能のまま忠実に実行します。なので日本人には通じる「他の人はこうですよ」なんていう注意は中国人には届くわけがなく、何かしら罰金なり追放なりといった強制的な処置をちらつかせる以外にルールの遵守を求めることは難しいでしょう。
 その上で述べると、マナーの悪い中国人を見ていて日本人がイラつくのは、中国人がマナーやルールを破るからではなく、周囲に行動を合わせないからという理由の方が大きいのではないかと私は見ています。遵法意識の差からではなく、集団主義と個人主義の意識の違いからくるズレの方が多分琴線に触れているのではないかと言いたいわけです。

 念のため付け加えておくと、上記までの内容を見るとさも集団主義が個人主義に比べ優れているように見えますが私としてはそんな考えは毛頭なく、レベルというか強さ的にはどっちもどっちという風に考えています。集団主義はきちんと管理などが機能している間は確かに強いですが管理がおかしくなっている場合、たとえばこの前書いた労働法の問題やブラック企業、しごき体質の運動部など、集団がおかしな方向に向いた場合に全く修正が効かないままおかしい方向へ進み続けるという大きなデメリットがあります。個人主義な中国人の場合はブラックな企業に入った場合、「アホか!」つってすぐに辞めてしまうので会社が成り立たずすぐ潰れるでしょうし、あと個人主義故に周りを気にせず自分の追い求める方向を追い求め続けるのでたまにすごい芸術家や科学者が出たりもする土壌があります。

 最後に私の思い出話をすると、確かあれは小学三年生の頃でしたが何か粗相をしでかして担任の先生に怒られた際、「友達もやっていたから」という言い訳をしたところ、「他の人がやっていたら悪いと思うことをやってもいいの?」と言い返されました。この時そういわれて、「そや、なんでやったらあかん思うとるのにほかの奴がやってたからやってええことになるんや」と妙な感じで悟ってしまい、少なくともほかの日本人よりは個人主義でありなおかつ遵法意識も強い性格を形成していく大きなきっかけとなりました。
 もちろん私だって信号を無視することもあれば細かい法規を無視するなどといったことはしますが、それでも周囲からはよく固すぎると言われるくらいやや厳格な生活を続けています。昨日例にとった就活でも、二月の期末試験を終えない間に活動をするのは学生としてどんなものかという妙なマイルールを課して期末試験が終わるまでは一切活動らしい活動をしなかったところ、面接では「君は就活の開始が遅かったんだね」と皮肉を言われるだけで誰からも評価されませんでした。

 はっきり言ってこんな性格じゃなければもっと器用に世渡り出来て今よりずっと楽でマシな生活が出来ただろうという確信がありますが、あの小学生の頃に諭してくれた先生には今でも感謝しており、あのおかげで自分は魂を得るに至ったと考えています。

8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

花園様  初めてコメントさせていただきます。  
日本人には遵法精神がないは、濡れ衣でございます。 私に弁護させて下さい。 
 日本人は、様々な危機(火山噴火、地震、洪水、旱魃)を個人ではなく、集団で力を合わせて乗り切ってきました。 荒ぶる自然に対しては、個人なんて、屁みたいなものです。  従って、集団の中で我を通す個人主義者は危機に於いては、危険人物です。 だから、個人主義者は、いじめられたり、村八分にされたり、弾圧されたりしてきました。  即ち、集団の掟(法やルール)を破ることは、死に直結することもあります。 遵法精神の無い者には死あるのみでした。
 しかし、科学技術(建築土木技術、治水技術)の発達により、危機は少なくなりました。 平和な時や平時には、集団主義より、個人主義の方が優位に立つことも多いと思います。  でも、戦争や、地震津波等が、日本人を襲うとき、我等のDNAに刻まれた集団主義が蘇り、日本人を危機から救います。  幕末において、薩長軍と幕府軍が、血みどろの100年戦争をしたら、日本は消滅したでしょう。 また、2011年3月11日の東日本大震災と大津波、原子炉爆発により、日本人全員にスイッチが入りました。 それに比べれば、個人主義は、平時には強いけど、有事にはなんと脆いものでしょう、三十六計逃げるに如かずです。 我々日本人は、海に囲まれた日本列島以外に逃げる場所は有りません。 従って、有事には、集団主義で、力を合わせて戦うのみです。  
それから、法律を皆が守らなくなったときは、その法律が時代や社会変化に適合しなくなって、その使命を終えたので、改正すれば良いだけです。 また、経団連の会員に対する単なる申し合わせを、法律とは言えないと思います。 以上です。 最後まで、読んで下さりありがとう御座いました。

花園祐 さんのコメント...

 コメントありがとうございます。
 一つ一つ整理して回答していきますが、まず勘違いしてもらいたくないのは私も日本人は比較的ルールを守る行動を取る集団だと考えています。この記事で述べているのは何故ルールを守るのかという動機であって、遵法精神があるからではなく他人と行動を合わせようとする集団主義的な価値観の方が強いためではないかと主張しました。なので比較多数がルールを守っているなら誰もがルールを守りますが、逆に比較多数がルールを無視するようになると誰もがルールを守らなくなる、つまり集団主義というのはルールを守る要因となる一方でルールを守らない要因にもなりうると言いたいわけです。
 最後の段落で就活開始時期の申し合わせについて触れられていますが、これは確かに法律ではありません。けど前回の記事で私はみなし残業に代表される労働法もほとんど守られていないどころか、法的根拠が何もないにもかかわらず誤った運用の有効性が主張されることも指摘しています。法律として明文化されてようが、また申し開きとはいえルールとして約束されたことだろうが、「決まりは決まりだから」という意識で守る日本人はやはり少ないように見えます。
 普段はコメントにこういうことは書かないのですが、きちんと私の文章を読んでいただけたのでしょうか?こんな風に聞くのも「日本人」、「遵法意識(精神)」「集団主義」、「ルールを守らない」のこの四つのワードだけ見てコメントが書かれているように見えるからです。それと自分は文系なので、DNAによる精神性の根拠は信じません。

醜道マニア さんのコメント...

抜け駆けの件で、北大の山岸俊男教授の実験を思い出しました。
詳細はうまくまとまってるブログがあったので、それをご確認していただきたんいんですが、
http://www.tachibana-akira.com/2011/07/2896

かなり簡潔に内容を説明すると、日本人とアメリカ人に囚人のジレンマ的ゲームを行ったところ、日本人の方が個人的利益を追求する傾向があるという結果になったそうです。
山岸教師は実験の結果から日本人は普段はムラ社会的な相互監視社会で暮らしており、一旦そのような社会から離れると(たとえば山岸氏の実験のような場面)他人に協力しようと思わなくなり、逆にアメリカ人は異質な文化が共存する社会に暮らしており、普段から日本のようなムラ社会的な集団主義が機能していないので、基本的には仲間であるか関係なく相手を信頼させることから人間関係をはじめるのではないかと分析しています。

この理論でいくと、中国人は日本以上の相互監視社会なので個人主義思考が強いのかもしれませんね。言論の自由がない、親戚が近所にいっぱいおる、(今はないけど)人民公社等々

醜道マニア さんのコメント...

誤字が多くてすみません。
山岸教師→教授
仲間であるか関係泣く相手を信頼させる→相手を信頼する

タブレットなのでむずかC

醜道マニア さんのコメント...

再び誤字笑

すいか さんのコメント...

「本音」と「建て前」という日本語は、外国には無く、日本だけのものだったような、、
中国語でありますか?
醜道マニアさん、誤字は「陽月秘話」においては、チャームポイントです(^^)

花園祐 さんのコメント...

 醜道マニア様、コメントありがとうございます。
 なかなか興味深い実験を教えてくれてありがとうございます。引用されたブログ中にも書かれてありますが、科学的な実験によって従来の認識とは大きく異なる結論に辿り着いており、またその解釈も非常に納得できるだけに見事な実験だと唸らされました。
 コメントに書かれている中国人の分析もお見事で、自分も同感です。ただ敢えて一点付け加えると、中国は確かに相互監視社会で言論統制があることも普段から認識していますが、彼らの場合以下に相互監視下で目立たないよう行動するかではなく、「如何に出し抜くか」の方角の方が思考の先として強いように思われ、それだからこそ極端な個人主義社会になってるのかもしれません。
 それと誤字についてはお気になさらず。自分の記事を見てもらえばわかる通り誤字脱字のオンパレードなだけに、むしろ見て見ぬふりしてくれると助かります。

花園祐 さんのコメント...

 詳しく調べていませんが、「本音」と「建前」に当たる中国語は思い当たる限りなく、少なくとも日本ほど一般的に使う単語でないことは間違いありません。
 誤字はほんと気をつけなくちゃいけないんですが、勢いで書くこと多いので……。