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2017年7月18日火曜日

日野原重明氏の逝去について

 既に各所で報じられているように、聖路加国際病院名誉院長である日野原重明氏が御年105歳に手逝去されたとのことです。
 「生涯現役」をリアルで貫き、90歳を超えて医療の現場で常に立ってこられるなど有言実行の徒であるだけでなく、ユニークな人生観の持ち主であったことから、大往生とはいえその逝去には私も一抹の寂しさを感じさせられます。私の中でタフな人とくれば水木しげるとこの日野原氏でしたが、いつか来るとは言え両名ともがこの世を去る時代に至ったことにはいろんな思いが浮かんできます。

 日野原氏についてはこれまでもこのブログで何度も取り上げており、特に文字通り魂を込めて書いた「地下鉄サリン事件、医療現場の奮闘」の記事(今見たらものすごいアクセスが上がってきてます)では、老人の心配性だと揶揄されつつも治療したくともできなかった戦時中の体験から、チャペル内にすら酸素吸入器を導入するなど聖路加国際病院内のあちこちに医療用設備を配備していたことが功を奏し、地下鉄サリン事件で出た大量の急患を受け入れた話を紹介しています。
 世の中、いざって時の対応がなかったり、していてもあまり役に立たなかったという例も少なくありませんが、この日野原氏と聖路加国際病院の取り組みはまさにいざって時に備え、いざって時に機能を見事果たした例だったと言え、このような事態を想定していた日野原氏はまさに慧眼の持ち主だったと言えるでしょう。

 日野原氏を語る上でもう一つ忘れちゃならないのがよど号ハイジャック事件です。今回の訃報と合わせてこの時のことについても取り上げている記事がありますが、それら記事でも報じられている通りに日野原氏はこの事件に遭遇し、犯人らが乗客へ暇潰し用に本の貸し出しを行ったところ怖がって誰も求めない中、日野原氏だけが「カラマーゾフの兄弟」を借りて読んで「面白かった」という感想を後に述べるなど往時から面白いエピソードに溢れています。

 このよど号ハイジャック事件について私の方からやや特別な内容を書くと、本当に昔ですが文芸春秋でこの時の体験について自ら語っていたことがありました。その記事によると、ハイジャック犯の中には東大医学部に通っていた小西隆裕がおり、日野原氏は当時東大医学部で講義を持っていたことから、「なんか見たことあるな」と思って本人に、「東大にいなかったっけ?」と実際聞いたりしたそうです。小西の方でも、「うわ、日野原先生じゃん」とわかってたそうで、本人に聞かれても、「いや、初対面っすよ」とごまかしていたと書かれてありました。

 またメンバーの中に関西弁を使う人間がいたことから、「なにお前、同志社なの?」と、こちらも本人に聞いたそうです。何故関西弁を使うから同志社だと判断したのか不思議ですが、不思議に感じる一方で当時からそうだったのかなと妙に納得する面もあります。実際、よど号メンバーにいる若林盛亮が同志社の学生でしたが、日野原氏が尋ねた相手は若林ではなく確か大阪市大出身の赤木志郎だったようなことが書かれていました。

 日野原氏については他にも紹介するべき内容に溢れているものの、恐らく他の執筆者も書くであろうから、敢えて自分にしかなかなか紹介できないように限ると上記の通りとなります。その価値観、実績、生き方のどれをとっても模範となるべき人間で、亡くなったことは非常に惜しく感じるとともに余計な延命治療をせず大往生を遂げられたことはまさに有言実行であったと称えるべき人生でしょう。改めて、この場にてご冥福をお祈り申し上げます。

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