新手の新興宗教
私が学生だった頃、帰省中の私に対しお袋が、「(私の姉が)早く公務員になればいいのにと言っていたよ」と、暗に公務員を目指すよう勧めてきました。これを聞いたとき私は口には出しませんでしたが、(そこそこ長く自分と関わっているのに、自分の本質を何一つ理解してないんだな)というあきらめに近い感情を覚えました。
直接私を知っている人間なら話は早いですが、リアルに公務員のことを「公僕」といえば警察官に対しても「国家の狗」と言って憚らないくらいに公務員に対するアレルギーめいた反感が強く、なおかつ型にはまった仕事を明らかに苦手としている私に公務員を勧めるなんてちゃんちゃらおかしい話です。実際周囲の友人も、「花園君は公務員だけは絶対になってはダメだ」とおくびもなくいってきました。まぁ中には、「まぁ性格的に大企業も絶対無理だろうけど」という奴までいましたが……。
そういう意味では記者職、特に今やってるような半ばフリーで活動するような形が自分にはフィットしているのでしょう。この記者というかジャーナリストになろうと思ったのは中学二年の頃で、当時の塾講師に勧められたことがきっかけでした。
当時から小説を書き始めた私は漠然と会社勤めよりフリーな立場で仕事したいと思い、小説家を目指そうと中一の時点で認識していました。そのことをマンツーマン教室で教えてもらっていた当時の講師に話したところ、「小説家は売れなければ食えないから、文章で書く仕事であり小説を書く機会もあるから記者になれ」と言われてから記者という職を意識するようになりました。。
当時はまだ中学生で将来やりたい仕事があるとはっきり言えば格好いいというようなイメージもあって周りにも将来は記者になると言って憚りませんでしたが、高校時代も小説を書いて小説家を目指しており、どっちかっていうと妥協的な職業という認識でいた気がします。ただ高校時代から小説の傍ら評論文を書くようになり、やはり小説書くよりも物事をわかりやすく説明する、分析する方面で自分の能力は優れているかもという実感を持ち始め、大学に入ったころには小説家へのあこがれはもうほとんどなくなって記者以外になろうという考えはあまりありませんでした。
こうして考えると、あの塾講師が記者になれと言わなかったら自分はマジでどうなっていたのかと思えてならず、地味に大きなアドバイスだったと今更ながら思えてきます。それにしてもまさか当時は本当に記者になれるとは思わず、新卒でマスコミ業界に入れてもらえず一度はあきらめたものの、中国で裏技的に編集職を得て経験を積み、環球時報にまで記事が引用されるようにまでなるとは物事というのはわからないものです。
なおその恩人ともいうべき講師は当時早稲田大学に通う学生で、第一印象は当時流行の茶髪ロン毛だったことからチャラい人かなという感じでしたが、根は割とクソ真面目な人で、実際に自分の将来を考えてああしたアドバイスくれたのだと思います。また早稲田出身はジャーナリストが多いということも教えてもらったのと単純にその講師の後輩になりたかったことから一時は私も早稲田進学を志望しましたが、それからすぐに広末涼子氏の早稲田大学入学事件が起こり、その講師自身が私に、「早稲田には来るな。そんな価値はない」と言って止めるようになりました。本当に変なところでクソ真面目な人だった。
その講師とは別ですが、高校時代に通った予備校の講師に一回原稿を見せたところ、この講師は小説家をそのまま目指すようにと期待されました。曰く、「坂口安吾の系統だなお前は」で、当時は何とも思いませんでしたが年取るにつれて白痴論が正しいように思えてくるあたり、この講師も私のことをよく理解してくれていたのだと思えてなりません。
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