ページ

2019年8月7日水曜日

表現の不自由展について

【動画】 津田大介「天皇の肖像焼くけど、二代前だから大丈夫だよねwww」(痛いニュース)

 騒動がやや落ち着いてきたのでそろそろかと思うので、この表現の不自由展について書きます。結論から書くと、何故内野も外野も展示中止となって騒いでいるのかが私にとっては逆に不思議です。

 展示内容や中止の背景、それを巡る議論については他所でやっているのでここでは省略します。この展示会の出展物に対して私が持った論点としては、「それは芸術(表現)か?」という点です。はっきり言えば、槍玉に挙げられた慰安婦像、昭和天皇の写真を燃やす映像、あと特攻隊員寄せ書きを使った「間抜けな日本人の墓」を見る限りだと、これらは芸術とはとても思えません。
 芸術というのは触れた人間を感動させる、もしくは製作者が何らかのメッセージを伝えることを意図して作った創作物です。しかしこれらの作品からははっきり言って感動する要素は感じられず、メッセージ性も何も読み取れません。感じられるのは日本人を含む特定層を煽るというか挑発、嘲笑するような態度で、展示物一覧からは「中止にできるものならやってみろ!」と言わんばかりの、ヤンキーがが警察を挑発するような態度しか見えません。

 また百歩譲って私が読み取れなかっただけで、製作者がこれら作品に何らかのメッセージ性を持たせていたと仮定したとしても、やはり腑に落ちない点があります。というのも騒動後のインタビューなどで主催者や製作者側は、「慰安婦をモチーフにしたわけではない」、「昭和天皇だとは思わなかった」などと、誰がみても嘘だとわかる情けない言い訳を呈したと報じられています。もし訴えたいメッセージがあったとしたなら、格好とも言える場のインタビューで何故それを訴えないのか、それどころか非難をかわすためにしょうもない嘘をどうしてついたのか。どちらであろうと、表現者しては呼ぶに値しない態度です。

 私が思うに、主催者や製作者はこれら作品にメッセージを持たせたり、自らのセンスを表現することが目的だったわけではなく、先程にも書いたように初めから世間に対しともかくなんでもいいから挑発するという態度を示すこと自体が目的であったようにしか見えません。展示会名称自体が「表現の不自由展」としているあたり、敢えて検閲や規制を受けそうな、それどころかなるべく多くの人に不快感を持たせる作品やモチーフをわざと選んで出展し、世間から悪目立ちすること自体が狙いだったと思えます。
 そういう意味では狙い通りに世間が反応して中止に追い込まれたのだから、ある意味私は中止を求めた行政側も、挑発しておきながら「検閲、弾圧された!」と主張する口実を得た主催者側もWin-Winな理想通りの結果だと言え、よかったよかった万歳三唱で終わる話だと考えています。お互いが望んだ結果に落ち着いたわけなのだから、お望み通りに中止に追い込まれたのだから規制だ検閲だ不謹慎だとか主催者側の関係者が言うべきではないでしょう。

 その上で更に述べると、先程も書いた通り問題となった展示物はやはり芸術ではなく、ある意味で特定団体のプロパガンダと言える代物だったと考えます。

 これが報道の立場からの意見か表現の立場からの意見かは自分でもよくわかりませんが、基本的に芸術や表現は、他人を不快にさせること自体を目的に作ってはならないという不文律があると昔聞いたことがあります。無論、アンパンマンマーチですら不快に感じる人もいるかもしれず、誰にとってもノーストレスで不快感を感じさせない文芸を含めた芸術なんて実際には存在し得ません。また特定の強いメッセージ性を打ち出すため、映画のLGBT描写をはじめ、相当数の特定団体や民族が不快に感じる内容が盛り込まれることは現実には珍しくありません。
 ではどこまでならそうした「不快要素」の盛り込みが許されて、どこまでなら許されないのか。私が考えるにポイントはやはり「そこに訴えたいもの(メッセージ性)があるか否か」と、「特定層に不快感を催させることを目的に作られたか否か」だと考えます。

 メッセージ性があって特定層を攻撃するつもりで作ったものでなければどんな作品でも免罪されるとは私も思っていませんが、少なくとも芸術か否かはこの二要素から判断できると思います。ある意味、この二要素を満たした上で賛否が5:5に近い形で分かれるような作品は、「議論を呼ぶ作品」としてその芸術的価値は逆に高いのではないかとも考えます。
 実際、表現というのは敢えてきわどい部分を狙って、「果たしてこれは世間として許容すべきか否か」という議論を世間に持ちかけることも重要な要素です。ダンテの「神曲」など宗教的タブーに切り込んだ作品はまさにこうした典型で、当時拒否反応が示された内容が現在では許容されるのは、こうした「ギリギリへの挑戦」の積み重ねと言えるでしょう。

 翻って今回の展示ですが、一部ネットでも言われていますが昭和天皇の写真を燃やす映像が昭和天皇、だけでなく毛沢東やスターリン、二代前のローマ法王とかの写真も一緒に燃やすものであれば、まだ自分の見方は違っていたでしょう。しかし他の展示物なども合わせて考慮すると日本人、それも右翼層を不快にさせるという目的がはっきりと見てとれます。
 中には、右翼層への攻撃こそがこれら作品のメッセージ性だと主張する方もいるかも知れませんが、そこでヒウ一つの判断要素こと「特定層を対象に不快感を催させることが目的」に引っかかるわけです。別に私は特定層に対して非難や攻撃を加えることが悪いことだと思ってないしどんどんやればいいと思いますが、そうした非難や攻撃手段を「芸術(表現)」と呼ぶのは明らかに間違っていると断言します。敢えて言うなら檄文や嫌がらせの類であって、少なくとも芸術ではなく特定思想に基づく特定対象への言論攻撃ことプロパガンダの方が定義としては適切であり、その上で芸術展示会で展示するものではないと思います。
 その上で言えば、芸術という皮を被るようなことせず批判するならもっと堂々と批判しろよと言いたいものです。

 なお個別作品について言うと、昭和天皇の映像について津田氏は「二代前だから大丈夫だと思った」と言っていますが、じゃあ三代前、四代前ならもっと大丈夫だよねといって写真とライター渡しても燃やすことはないと思います。何故なら昭和天皇だからです。
 あと慰安婦像については、自分がやるなら慰安婦をモチーフした像の側に敢えて「進撃の巨人」の109話を置いて誰でも読めるようにしておきます。

 最後に、今回のこの騒動でニュースを色々追っていましたが、ほとんどのメディアは「慰安婦像」ばかりクローズアップして、その他展示物、具体的には何度もこの記事で出てくる昭和天皇の映像とか、特攻隊寄せ書きを使った展示には全く触れていませんでした。産経だけはまだそういった他の展示物についても触れる記事を書いてていつもながらの平常運転だなと内心思いましたが、今回に関しては産経がやはり正しいと思います。
 正直、慰安婦と昭和天皇を比べるなら日本人にとってやはり重たいというか重要なのは後者でしょう。慰安婦は無視していいとかいうわけじゃありませんが、優先順位で言えば絶対的に天皇のほうが上で、問題ある展示としてクローズアップする対象としてはこちらが明らかに上であるにも関わらず、産経以外のメディアはびっくりするくらい黙り決め込んでて、こちらの方が私には奇妙に思えました。
 そういう意味で私としては、「表現の不自由展」というのはある意味今回の各メディアの報道模様こそが相応しいタイトルである気がします。まぁ私が一番頭にきた展示は、特攻隊員の遺稿を嘲笑うようなあの展示でしたが。

2 件のコメント:

潮風太子 さんのコメント...

2.お暑うございますm(__)m
そちらの方もさぞやお暑いことかと・・・
さて、これだけ「大炎上」しているハナシも、
まったく「オールドメディア」はスルーという、
中国共産党真っ青な報道管制これには驚きました。
表現の自由に関しては私は絶対的に守られるべき派、
なのですが今回に限っては、
ガソリン持って伺うと脅迫した輩のことを、
当初は警察が取り合ってくれないとかツィートしたら、
翌日、簡単にとっ捕まったり(笑)、
会場へバケツに「ガソリンらしき」水を持って現れた、
右派を語りながらも、どういうわけか、
今ぞ昔の「ゲバ文字」のヘルメット被っていた、
昔の左翼ファッション丸出しの29歳のバカは登場するわ、
もうよく分かりません(笑)
これでヘイト層が再び「アートじゃあ」とばかりに、
怪気炎を上げ始めるようですが、
政治弾圧を受けている被害者面しながら、
海外にこういう報道をさせて一躍注目を浴びようという、
いかがわしい功名心がミエミエだから、
皆が怒っているということすら、
分からない「日本の有名大学教授」が出てきたことこそが、
「異常」なことなんですけどねぇ。
どうしたもんでしょう?

花園祐 さんのコメント...

 本来、中止になった事自体がそこまで騒ぐほどのニュースではないのですが、報じられるべき事実が報じられず、報じられるほどでない事実が大騒ぎされるという点で非常に矛盾に満ちた報道だったと今回の件は感じます。なんか日本のメディアも、今に始まるわけじゃないですが年々レベルが落ちていると言うか、バックボーンのない姿勢が目立ちます。