前述の中内功に関しては、自分よりもう一回り年齢が高い世代の方がもっと身近であったろうと思います。昭和期における流通の王と言えば間違いなく彼でしたが、彼が作ったダイエーは既にイオンに吸収されて久しく、そのブランド名とロゴは年々他のものへと切り替えられていき、現在もダイエーの名を残す店舗は一応残ってはいるようですが、もう数限りあるほどです。
このダイエーについて先ほど一人で調べていた際、大正期の大戦景気で勃興した後、その後あっという間に消え去った鈴木商店の名前を突然思い浮かべました。鈴木商店も創業者が消えた後ですぐ消えましたが、ダイエーもそういった要素が多いというか、中内功の退任後すぐに自主独立の道が閉ざされ、中内功自身の財産も散々没収されていく中で本人もなくなっています。何気にさっきWikipediaを読んで自分も今知りましたが、その逝去時は自宅が差し押さえられていたこともあって、一度も自宅に戻ることなく荼毘に付されていたとのことです。
前述の通り、昭和期においてダイエーは日本を代表する企業で、その経営は実際に日本の流通を変えました。またこれは日本に限らず中国、というよりも世界的にすべて共通するかと思いますが、市場における地位でかつてはメーカーが最も大きかったものを、ダイエー・松下戦争を経て流通側の小売が主導権を握るに至るまでで日本で最も力を発揮したのはダイエーです。まぁそうして得た市場の主導権も、実際店舗からネット店舗に今まさに切り替わろうとしていますが。
それほどまでに大きな存在感のあったダイエーですが、実質的に昭和が終わるとともに落ちていき、平成の中ごろに破綻へと至っています。そうした経緯を考えると令和の後期においてはそれこそ現代の教科書が鈴木商店を取り扱うように、「高度経済成長とともに勃興しバブル崩壊とともに消え去った幻の企業」みたいに取り扱われるのではないかと思って今こうして記事を書いていますが、まぁなんていうか驕る平家ではないものの一抹の儚さを覚えます。
冒頭にも書いた通り、私自身はこのダイエーの歴史と中内功の経歴、そして小久保の無償トレードをはっきり覚えていますが、自分より下の世代はそれこそ流通業界と歴史のマニアでもない限り、恐らく今後ダイエーのことを調べようっていう人はなかなかいないでしょう。世代が変われば記憶はなくなるというのは当然のことですが、あれだけの会社であっても、語り継がれることなく消えていくものかと今まさにその消失していく歴史を自分は見ている気がします。
2 件のコメント:
中内功氏は 晩年「私はダイエーを21世紀という新しい時代に対応させ
変革する事が出来なかった。ダイエーは規模が大きかったから時代の
変化の影響を一番先に受けたが 今後は他の総合スーパーも影響を
うけるだろう」という遺言を残しています。私の知るダイエー店舗の
跡地は道の駅になったり、広い駐車場を持った食品スーパー+ドラッグ
ストアになっています。 車社会の地方では、駅前にある駐車場の
少ない大型総合スーパーという業態が時代に合わなかったのだなと
思います。 実際私も家電製品はダイエーのすぐ近くにある家電
量販店で買っていましたし
コメントを見て自分も気が付きましたが、おっしゃるとおりダイエーは駅前への出店が主で、ロードサイドの大規模店舗が強くなっていく過程に完全に乗り遅れましたね。逆に駅前は商業ビルが発達しましたが、入るテナントは比較的小規模店舗がたくさん入るという形が多く、街中もコンビニが中規模スーパーの補填をするようになったように思えます。
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