そもそも「コトワリ」って何かですが、このゲームにおける思想であり勢力を意味します。このゲームに登場する人間はマジで指折り数えるほどしかいない(悪魔はたくさん)のですが、それぞれが思想を持っており、その思想に染まった世界を作るため暗躍し合うというストーリーとなっています。でもってどの思想に味方するのかが主人公に迫られ、その選択によって他の人間キャラは味方となることもあり、また敵対することもあります。
ではそのコトワリですがどんなのかというと、
1、ヨスガ:強者が絶対でなにしてもいいという価値観で、弱者はその存在(=生存)すら認めず、駆逐しようとまでする。
2、シジマ:徹底した管理社会で、強者が余計な感情を捨てて上から支配するシステムチックな世界を目指す。ヨスガと違って弱者は反抗こそ許さないが存在は認める。
3、ムスビ:各人がそれぞれ固有の価値観を持ち好き勝手行動する一方、他人からの干渉は一切認めない。
自分の理解ではざっとこんなものです。この3つのコトワリ勢力からどれか一つを選ぶか、すべて否定するかが迫られることになります。元々、真・女神転生シリーズは代々マルチエンディングなゲームなのですが、1と2では「ロウ(秩序)」と「カオス(混沌)」の二項対立しかなかったのに対し、この3では上記の通り3種類、それもそれぞれが対称的な関係にない思想であるため、いまいち対立構造が掴みづらい印象を受けました。
以上を踏まえて自分の見方を述べると、上記の3種類の思想は中身には違いはあるものの、どれも「この価値観以外は一切認めない」という全体主義的傾向が強い思想となっています。
「ムスビ」は一見すると自由思想に見えますが、説明にも書いた通り他人の干渉は一切認めないという孤立主義的思想も含まれており、実際にゲーム中で「俺の領分に入ってくるな!」とムスビ主義者が攻撃してくることがあります。エヴァで言うATフィールド的な価値観で、「それぞれの領分を荒らさない」ということを強制する思想となっています。
敢えて現実にある思想で例えるなら、米国のモンロー主義が一番近いかなと思います。
で、残り二つですが、ヨスガに関してははっきり言えば選民主義で、ナチスドイツの優性主義が最も近いでしょう。弱者は存在すること自体が害悪だとし、優等なもののみが生き残る世界がいいんだ的に主導者も主張してきます。いうまでもなく、ナチスドイツも極端な全体主義の代表格です。
最後のシジマは、一番わかりやすい例なら江戸時代の徳川幕藩体制で、身分の逆転は起こらず、イノベーションも認めず、これまでと同じ時の流れを繰り返す「静寂」な世界を良しとする価値観です。無論、徳川幕府もまた全体主義です。
そもそも全体主義とは何かですが、一言で言えば特定の価値観以外を持つことを一切認めないという思想です。共産主義世界がまさにそれで、資本主義的価値観を持つことを認めないし、存在もまた許さないです。上記の通りこのメガテン3の思想はどれも、内容に違いがあるもののどれも全体主義で、他の価値観を一切認めず一つの思想に統一するよう迫ってくるものがあります。
では自分はゲーム中でどれを選んだのかというと、上記3つを否定するという、ゲーム内で言う「先生エンド」に自然にたどり着きました。このエンドはネタバレすると新世界が創られず元の世界に戻るという「そういう夢だったのさ」的なエンディングになるのですが、何故自分はこれになったのかというと、唯一このエンディングのみが自由主義思想だったからで間違いないでしょう。
一体何が自由主義なのかというと、「複数の思想が同時並行的に存在することを認める」ということが、全体主義と対をなす自由主義の特徴と言えます。上記3つの思想を持つ人がいてもいい、但しそれを他のすべての人に強制してはならないし、他の思想が存在することも認めなければならないという価値観こそ、自由主義と言えます。
何も自分は自由を信奉しているというわけじゃないですが、被害妄想もあるものの、基本的にどの分野、どの世界、どの集団にあっても自分はマイノリティに陥らざるを得ない人間だという風に認識しています。そういう自分からすると、全体主義の世界においてはどこへ行っても磨り潰される側に回らざるを得ず、単純に自由主義陣営にいないと殺されるだけという危機感をマジで持っています。
だからこそ全体主義、もっと身近で言えば組織を絶対視する集団主義は自分にとっては敵でしかなく、嫌悪感も他の人と比べればかなり強いと自負しています。何度も言いますが、自由が好きだからというわけではなく、むしろ自由は人を苦しめるものだと認識していますが、自由主義じゃないと存在できないという風に考えています。
その上で、じゃあなんで全体主義の中国にいるのかというと、言ってしまえば政治分野以外は比較的自由だからに尽きます。むしろビジネスに関しては日本よりも自由度が高ければ逆転も起こりやすいとすら思いますし、そうしたミクロレベルの自由さで中国の方が自分は存在しやすく感じます。
一例を挙げるなら、就職や転職において年齢での足きりは明らかに日本の方が激しいです。
自由という単語は一見すると「選択肢を好きに選べる」価値観と思われがちですが、その本質は「異なる価値観の存在を認める」にあると自分は考えています。まぁその異なる価値観も、先に説明したムスビの価値観のように、どこまで干渉を認めるかによっていろいろ対応が変わってきますが。
今回、メガテン3やってみて上記のような思想の差を改めて感じたわけですが、要するに上記3つのコトワリの選択は、「あなたの好きな全体主義はどんな感じ?」という、全体主義の枠の中の選択だと自分は思います。この辺、制作者も敢えて意図したのではないかと思いますが、一応は自由主義陣営の日本人からすると、この辺の背景がピンとき辛いのではと思ってこうしてまとめました。
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