今日は別の記事を書く予定でしたがこれを見て、あのJR西の脱線事故からもう20年近く経ったのかと思い出しました。
当時自分は京都の大学にいて、この事故で面識はなかったものの同じ大学に通っている学生も亡くなり、学内に慰霊碑もその後建てられました。事故当時は講義の開始前で確か本読んで待っていましたが、高校の後輩から「脱線事故があったらしいけど」と安否確認メールが来ましたが、何故かその直前に見たガンダムの0083でシナプス艦長の「アルビオンは、健在だ」というセリフが頭に浮かび、「大丈夫、俺は健在だ」という変な返しの仕方をしたのも覚えています。
この事故に関しては関西地域のテレビでは地元でもあって大きく報じられていましたが、事故当時は自分が運よく巻き込まれず、また身近な知り合いでも巻き込まれた人はいなかったのであまり際立った印象を覚えませんでした。むしろその後に出た文芸春秋にて事故車の運転士が日勤教育を受ける原因となったオーバーランは、自分の当時の自宅から一駅先の駅で起きていたという報道を見て、こちらの方が驚くとともに「遠い世界の話じゃなかったんだ」という感慨を強く受けています。
またこの脱線事故で実際に事故車にたまたま乗車していたJR西の職員は際立った救護活動などは行わずにその場を立ち去っていたこと、また事故直後にすぐ踏切の緊急停止ボタンを押した主婦こそがこの事故対応におけるMVPだと称賛する報道などが、今でもよく覚えています。このほか覚えている人には言うまでもないですが、事故直後に現場近くで営業しているある会社が仕事を放り投げ、従業員総出で救護活動に当たったということも、忘れてはならない事実でしょう。
やはり自分も年を重ねたというか、こうした語り継がれるような事件や事故をリアルタイムで目撃してこのように語れるようになったものだという気がつくづくします。その一方で、同世代に比べればまだまだ強いですが、やはり進取のものや技術に対する興味や関心が薄れて触れようという意識が弱まっていることには辟易もしています。
とはいえ先ほどの主婦の話といい、語り継ぐべきことはしっかり語り継ぐべきだという意識もこのところ芽生えてきており、それこそ自分がいつ死んでもいいようにそのような語り継ぐべきものはこのブログに普段から書いておかないとと思って今もこうして書いています。
何気に先日、知人の亡くなった同僚が意気消沈していたのですが、若干その気持ちがわからなかったりしました。というのも突然でない死なんて存在せず、どれだけ準備してようが人が死ぬときは常に突然だと日ごろから考えており、だからこそ死んだ後で「ああしておけばよかった」などと思うくらいなら伝えるべきこと、行うべきことはすぐやるようにいつも心掛けているため、今まで周りで人が死んだ時も特に落ち込んだり感慨に耽ることは全くもって皆無でした。
しいて言えば、水木しげるが亡くなった時だけは食事が喉を通りませんでした。
このブログもそのように自分がいつ死んでもいいように書き綴っていますが、人間死ぬタイミングは自殺以外は選べないだけに、明日死ぬとしたら今何をすべきかという風な心持こそ人間は持つべきだと思います。脱線事故の話からは文字通り話が脱線してきていますが、言うまでもなく事故で亡くなられた方は何の準備もすることなく突然命を亡くし、またその近親者も大きな衝撃を受けたものと思われますが、それは必ずしもこの事故だから特別というわけでもなく、世界中いついかなる時でも日常的に起きている出来事ではないかと思います。
なればこそ、今話している相手は明日突然いなくなる可能性もあると思って、その人にできること、やりたいことがあるなら今すぐやるべきだということになります。そうした一瞬で消える命の儚さを、この時の脱線事故を見てつくづく思い返すわけです。
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