すでにあちこちで報道されていますが、四川省で大地震が起こり、甚大な被害が報告されています。自分が見た報道の中でも何度か紹介されていましたが、意外に中国は大地震がよく起こっており、三十年位前には北京から割と近いところで起こった唐山(タンシャン)大地震が起こり二十四万人もの人が亡くなったといわれ、これは地震の被害としては現在に至るまでもっとも大きな被害として記録されています。ちなみに、以前に見た「胡同のひまわり」という中国映画でも、この唐山地震の描写がありました。
それでこの地震の報道についてですが、本当は昨日辺りに書きたかったのですが、いくつか気になる点があります。まず今朝のみのもんたの「朝ズバッ」でですが、中国政府が日本政府の人的支援派遣を断ったというニュースを紹介した後、「ミャンマーといい中国といい、どうしてこう断るのでしょうかねぇ」とみのもんたが言っていましたが、私個人的に言わせてもらうと、ミャンマーと一緒にするべき問題ではないと思います。というのも、今回中国政府もこの日本からの人的支援を断る際、現在被災地では交通を初めライフラインが非常に混乱していることを理由に挙げていました。
日本からだと想像しづらいかもしれませんが、被災地である四川省というのは本当に奥地も奥地で、周りも山、山、山、ヘリコプターですらなかなか着陸できないような険しい地域です。昨日の「報道ステーション」でも中国通といわれている加藤千尋氏が、あそこは三国志の蜀の国で、当時から険しい場所であったとコメントしています。恐らく、中国側のこの発表は変な誇張が含まれてなく、実際に支援部隊が到着しても彼らを運搬する手段がないと判断したのが断った理由でしょう。
また、以前に私自身が災害の専門家から聞いた話ですが、現場はボランティアなどの人員に対して、せっかく来てもらっているのだからまず連中の食事を用意しなければならない。その上、彼らを運搬、組織して使うのは彼らの労働力を考慮に入れても非常に大きなコストになるらしいです。実際に、最近だとこういった事実が伝わってきたのか、ネット上でも災害が起こるたびに役にも立たないエセボランティアが被災地に集まっていると非難する声も出てきました。そのせいか先ほどの専門家は災害が起きた際に一般人にやってもらいたい事は、ただお金を送金するだけだと言っていました。ヘタに身一つで被災地に来るより、ただお金を送金してもらう方がずっと現場は助かるそうです。
もっとも、今回日本政府が派遣しようとしたのは専門の救助隊ですから、いても邪魔になることはないでしょう。ただ現場の混乱と情報収集のために中国は今回一時的に断り、軍事政権の独裁から断ったミャンマーとは大違いだと私は考えています。なにもこの「朝ズバッ」に限らず、一部のメディアがさも中国政府が何かしら意図を持って支援を拒否したかのように見せており、内心むかむかした気持ちを覚えました。
そして今日夕方、そういった向こうの事情がある程度解消されたのか、日本の救助隊の受け入れを表明し、早速東京都の消防隊員らが成田から出発していきました。私が思うに、もうすこしメディアの方々は向こうの様子を見てから、今回の人的支援受け入れ拒否のニュースを報道すべきだったと思います。そこまで中国政府を悪人にしなくたってねぇ……悪人の集まりではあるけどさ。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年5月15日木曜日
2008年5月14日水曜日
時代遅れな日本の不動産業界
基本、どの国も産業というのは一次から三次に分類されます。農業や林業といった自然から採集、生産をする第一次産業。自動車や洗剤などの工業製品を作る第二次産業。そして教育やコンサルタントなどの知識やサービスをお金に換える第三次産業です。
日本の場合は第一次産業はともかく、二次と三次に限れば相当な先進国です。特にサービス業などはコンビに業界を筆頭に、一部ではアメリカに負けますがそれでも高いレベルにあると自負してもよいでしょう。そんな中、今日紹介する不動産業界に限っては日本ははっきり言って最低とも言うくらいレベルが低い国です。正直なところ、第三次産業にうまく転換仕切れていない中国よりダメダメです。
では一体どんなところがダメなのでしょうか。まず皆さんも思い浮かべるでしょうが敷金、礼金という制度です。これなど関東ならまだいいものの、関西では経験者はわかると思いますが、シャレにならない値段を今でも吹っかけてきます。たとえば、関西で月の家賃が五万円から六万円程度の部屋を借りようものなら、敷金と礼金を合わせて二十万円くらい入居の際に要求されます。しかも敷金、礼金と分けているくせに、退去する際は清掃費やら復元費などと理由をつけて結局ほとんどかえってこないのが現実です。ちなみに、これらの部屋の復元にかかる費用は、賃貸者の故意の破壊等を除いて法律上でも家主の負担と明記されており、賃貸者がこういった費用を払うこと自体間違いです。実際に日本で訴訟額が三十万円以内なら簡単に起こせる制度の裁判で、これらの費用総額二十万円を家主側から賃貸者が奪い返した例も存在します。そのときの大家の言い分は、その二十万円は清掃費用に必要だとのことでした、どんだけ掃除する気だよ……。
これらの費用もさることながら、私個人的に我慢ならないのが「家具」です。結構驚かれる日本人が多いのですが、外国では家具は部屋ごとに備え付けられてるのが基本です。もしついてないものならば、誰もそんな部屋なんて借りません。
備え付けられる家具は生活に必要なものばかりで、冷蔵庫や電子レンジにテレビ、それからソファーとかベッド、あとタンスとかテーブルももちろん付いてきます。これはなんとあの中国でも同じで、都市部限定だとは思いますが学生やサラリーマンが部屋を借りる際はそういった家具付きの部屋を借りて住みます。しかも大体が2LDKとかで、二つの部屋に二人で住んで家賃も折半というルームシェアリングを行います。このような形式は、私がはっきりこの目で確認したのならイギリスでもそうでした。
こんななので、自分も中国から帰ってきて日本で部屋を借りようとした時にルームシェアをしたかったのですが、周りはみんな「一人がいい」といってのってくれず、泣く泣くまた人部屋(家賃は三万九千円)を借りました。
それはともかくとして、私はやはりこの家具というのは家主側が用意してなんぼだと思います。なにせ、冷蔵庫や洗濯機といった大型電気家具は引越しの際に大きな荷物になりますし、新しく部屋を借りる度に苦労して運んだり、また新しい物を買わなければいけないというのは社会全体で非効率な気がします。
幸いというか、最近になったマンスリーレオパレスなどが家具付きでの部屋の賃貸を始めました。今後もこういった動きが加速するとともに、敷金礼金はもちろんのこと、一般に高過ぎるといわれる日本の家賃代も下がり、せめて諸外国並みのレベルに不動産業界が成長するのを期待しています。
日本の場合は第一次産業はともかく、二次と三次に限れば相当な先進国です。特にサービス業などはコンビに業界を筆頭に、一部ではアメリカに負けますがそれでも高いレベルにあると自負してもよいでしょう。そんな中、今日紹介する不動産業界に限っては日本ははっきり言って最低とも言うくらいレベルが低い国です。正直なところ、第三次産業にうまく転換仕切れていない中国よりダメダメです。
では一体どんなところがダメなのでしょうか。まず皆さんも思い浮かべるでしょうが敷金、礼金という制度です。これなど関東ならまだいいものの、関西では経験者はわかると思いますが、シャレにならない値段を今でも吹っかけてきます。たとえば、関西で月の家賃が五万円から六万円程度の部屋を借りようものなら、敷金と礼金を合わせて二十万円くらい入居の際に要求されます。しかも敷金、礼金と分けているくせに、退去する際は清掃費やら復元費などと理由をつけて結局ほとんどかえってこないのが現実です。ちなみに、これらの部屋の復元にかかる費用は、賃貸者の故意の破壊等を除いて法律上でも家主の負担と明記されており、賃貸者がこういった費用を払うこと自体間違いです。実際に日本で訴訟額が三十万円以内なら簡単に起こせる制度の裁判で、これらの費用総額二十万円を家主側から賃貸者が奪い返した例も存在します。そのときの大家の言い分は、その二十万円は清掃費用に必要だとのことでした、どんだけ掃除する気だよ……。
これらの費用もさることながら、私個人的に我慢ならないのが「家具」です。結構驚かれる日本人が多いのですが、外国では家具は部屋ごとに備え付けられてるのが基本です。もしついてないものならば、誰もそんな部屋なんて借りません。
備え付けられる家具は生活に必要なものばかりで、冷蔵庫や電子レンジにテレビ、それからソファーとかベッド、あとタンスとかテーブルももちろん付いてきます。これはなんとあの中国でも同じで、都市部限定だとは思いますが学生やサラリーマンが部屋を借りる際はそういった家具付きの部屋を借りて住みます。しかも大体が2LDKとかで、二つの部屋に二人で住んで家賃も折半というルームシェアリングを行います。このような形式は、私がはっきりこの目で確認したのならイギリスでもそうでした。
こんななので、自分も中国から帰ってきて日本で部屋を借りようとした時にルームシェアをしたかったのですが、周りはみんな「一人がいい」といってのってくれず、泣く泣くまた人部屋(家賃は三万九千円)を借りました。
それはともかくとして、私はやはりこの家具というのは家主側が用意してなんぼだと思います。なにせ、冷蔵庫や洗濯機といった大型電気家具は引越しの際に大きな荷物になりますし、新しく部屋を借りる度に苦労して運んだり、また新しい物を買わなければいけないというのは社会全体で非効率な気がします。
幸いというか、最近になったマンスリーレオパレスなどが家具付きでの部屋の賃貸を始めました。今後もこういった動きが加速するとともに、敷金礼金はもちろんのこと、一般に高過ぎるといわれる日本の家賃代も下がり、せめて諸外国並みのレベルに不動産業界が成長するのを期待しています。
2008年5月12日月曜日
トービン税とはなんぞや
昨日にアンチグローバリゼーションについて語った際にトービン税というものを紹介しましたが、タイムリーに今朝の朝日新聞朝刊にて、ソニー・カプールさんという、見ていてとっても面白い名前の元デイトレーダーのおじさんが、「国際連帯税を世界は導入すべきだ」と主張している記事が載っていました。敢えて言いましょうか、なぜ朝日新聞は「トービン税」という名称を用いなかったのでしょうかね。勉強不足でしょうかわざとでしょうか。
この朝日新聞の記事に載った「国際連帯税」というのはまごうことなきトービン税です。確かに、名前だけを見るなら「国際連帯税」というほうが日本語らしくてわかりやすいですが、ちょっとこの名称だと本来の意味から外れているような気もするし、昨日に話したように世界ではこのトービン税という名称が普及していることを考えればこっちを用いたほうがいいと私は思います。
さて、こんないきなりいちゃもんつけるような内容から始まりましたが、今日はざっくりこのトービン税について説明します。まぁ知らなくてもしょうがないけど、せめて経済学部の学生くらいは知っておいてほしいないようですね。
このトービン税は1972年にノーベル経済学賞も受賞したジェームズ・トービンが提唱した税制で、国際通貨取引、つまり資本が国境を越える際にかける税金のことです。例証すると、日本国内で日本の銀行に預金してあるお金を使い、海外の証券、中国株などを購入する際に一部を税金として支払わねばらないというような制度です。無論、現在のところこんな税制を持っているところはどこにもありません。
というのも、国際社会全体で実施しなければ意味がないからです。一つの国だけでやっても、その国だけ海外からの投資が滞るだけで、実質的に効果がありません。
ではこの税制はなぜ提唱されたのでしょうか。その理由というのも、いわゆるヘッジファンドらが突然大規模な投資を行い、また突然にその資金を引き上げるという行為は、市場に与える弊害が大きいからです。
具体的な例を挙げると、90年代後半に起こったアジア通貨危機がまさにその典型です。これは相場制度の整備が遅れ、実際の価値以上に相場が高かったタイ通貨バーツに目をつけたヘッジファンドらが、その所有する大量の資金を使って猛烈に投資し、その効果によって株価が急激の上昇した後に一気に売りぬいた事件です。その結果、タイはもとより周辺アジア諸国で一挙に通貨の信用不安が起こり、経済がめちゃくちゃになるなど大打撃を受けました。特に韓国などは現在に至るまでその弊害が続いているほどで、進行アジア諸国に与えた影響は大きい事件です。詳しくはウィキペディアのこの項目を見るともっとわかりやすいでしょう。
こうした、マネーゲーム的な投機は正常な経済成長を妨げるといわれており、実際に南米諸国ではこのアジア通貨危機のように混乱が引き起こされて実証されています。そういった投機を防ぐために、一定の税金をかけて制限をかけるというのがこの税制の目的です。現在このトービン税の実施を一番主張しているのはフランスで、昨日に紹介したNGO団体の「ATTACK」が中心となって活動をしております。
私自身はこのトービン税の導入を支持しています。なお、こうして集められた税金は発展途上国支援に使うとATTACKは主張しており、それについても私は大賛成です。
この朝日新聞の記事に載った「国際連帯税」というのはまごうことなきトービン税です。確かに、名前だけを見るなら「国際連帯税」というほうが日本語らしくてわかりやすいですが、ちょっとこの名称だと本来の意味から外れているような気もするし、昨日に話したように世界ではこのトービン税という名称が普及していることを考えればこっちを用いたほうがいいと私は思います。
さて、こんないきなりいちゃもんつけるような内容から始まりましたが、今日はざっくりこのトービン税について説明します。まぁ知らなくてもしょうがないけど、せめて経済学部の学生くらいは知っておいてほしいないようですね。
このトービン税は1972年にノーベル経済学賞も受賞したジェームズ・トービンが提唱した税制で、国際通貨取引、つまり資本が国境を越える際にかける税金のことです。例証すると、日本国内で日本の銀行に預金してあるお金を使い、海外の証券、中国株などを購入する際に一部を税金として支払わねばらないというような制度です。無論、現在のところこんな税制を持っているところはどこにもありません。
というのも、国際社会全体で実施しなければ意味がないからです。一つの国だけでやっても、その国だけ海外からの投資が滞るだけで、実質的に効果がありません。
ではこの税制はなぜ提唱されたのでしょうか。その理由というのも、いわゆるヘッジファンドらが突然大規模な投資を行い、また突然にその資金を引き上げるという行為は、市場に与える弊害が大きいからです。
具体的な例を挙げると、90年代後半に起こったアジア通貨危機がまさにその典型です。これは相場制度の整備が遅れ、実際の価値以上に相場が高かったタイ通貨バーツに目をつけたヘッジファンドらが、その所有する大量の資金を使って猛烈に投資し、その効果によって株価が急激の上昇した後に一気に売りぬいた事件です。その結果、タイはもとより周辺アジア諸国で一挙に通貨の信用不安が起こり、経済がめちゃくちゃになるなど大打撃を受けました。特に韓国などは現在に至るまでその弊害が続いているほどで、進行アジア諸国に与えた影響は大きい事件です。詳しくはウィキペディアのこの項目を見るともっとわかりやすいでしょう。
こうした、マネーゲーム的な投機は正常な経済成長を妨げるといわれており、実際に南米諸国ではこのアジア通貨危機のように混乱が引き起こされて実証されています。そういった投機を防ぐために、一定の税金をかけて制限をかけるというのがこの税制の目的です。現在このトービン税の実施を一番主張しているのはフランスで、昨日に紹介したNGO団体の「ATTACK」が中心となって活動をしております。
私自身はこのトービン税の導入を支持しています。なお、こうして集められた税金は発展途上国支援に使うとATTACKは主張しており、それについても私は大賛成です。
2008年5月11日日曜日
日本語にならない「アンチ・グローバリゼーション」
今朝のYAHOOニュースにて、「未知の脅威に恐れる洞爺湖サミット」という題のニュースがありました。その内容はというと、最近のサミットにはあれこれ妙な団体が押しかけて妨害してくる、たとえば環境保護団体とか反グローバリゼーション団体とか、ってな感じで。
ここで出てきた反グローバリゼーション、なんか後半には「反グロ」って妙な略にされていましたが、私はこの言葉がなぜ日本語では一般化しないのかずっと疑問を持っています。
私がこの言葉、というより今日のお題の「アンチ・グローバリゼーション」という言葉に初めて触れたのは2004年でした。その内容は、2001年にイタリアジェノヴァで行われたサミットの最中、このアンチグローバリゼーションを標榜する団体が抗議活動を起こし、今調べてみるとなんと20万人ものデモが行われたらしくて、私はこの情報に触れたとき、
「日本ではグローバリゼーションは肯定的に言われるが、世界には否定的に唱える集団もあるのか」
と、素直に驚きました。
このアンチグローバリゼーション団体の主張はというと、
「経済のグローバル化は発展途上国の発展を妨げ、先進国の利益を増やすだけだ。このような非人道的な行為を許してはならず、国際間の証券、通貨取引などは規制を強めるべきだ」
という内容です。
中心となっている団体はフランスの「ATTAC」という団体で、この団体はちょっと前の経済学者トービンが主張した、資本が国境を越える際にそれに税金をかける「トービン税」の実施を主張しています。
さすがにこれらの細かい内容までは今日は細かく書きませんが、はっきり言ってこのアンチグローバリゼーションを知らないければ文系なら他国の学生に笑われても仕方ないでしょう。実際に私は留学中に他国の学生にあれこれ聞きまわりましたが、みんな知っています。それだけ世界の中で大きな潮流となっているこのアンチグローバリゼーションですが、なぜだか日本では日本語とはなっていませんし、この潮流が報道されることはありません。その理由は単純明快で、現在経済のグローバル化で一番得をして推し進めているアメリカが日本の背後にいるからでしょう。
現在の私の立場ははっきり言ってアンチグローバリストです。友人のツッチー(二回目だよこの勝手なあだ名が出るのも)とともに紹介したATTACの日本支部に出かけようとしたくらいです。
この辺の内容もまた先送りですが今度辺りに詳しくやるとして、心ある学生らは是非この辺りを自ら学んでほしいです。これらに関する書籍も数多く出ていますし、学ぼうと思えば無理な話ではありません。何か直接質問があれば、このブログのコメントに書いてくれればいつでも私が答えます。それだけ、この辺の知識は必要とされているのです。
ここで出てきた反グローバリゼーション、なんか後半には「反グロ」って妙な略にされていましたが、私はこの言葉がなぜ日本語では一般化しないのかずっと疑問を持っています。
私がこの言葉、というより今日のお題の「アンチ・グローバリゼーション」という言葉に初めて触れたのは2004年でした。その内容は、2001年にイタリアジェノヴァで行われたサミットの最中、このアンチグローバリゼーションを標榜する団体が抗議活動を起こし、今調べてみるとなんと20万人ものデモが行われたらしくて、私はこの情報に触れたとき、
「日本ではグローバリゼーションは肯定的に言われるが、世界には否定的に唱える集団もあるのか」
と、素直に驚きました。
このアンチグローバリゼーション団体の主張はというと、
「経済のグローバル化は発展途上国の発展を妨げ、先進国の利益を増やすだけだ。このような非人道的な行為を許してはならず、国際間の証券、通貨取引などは規制を強めるべきだ」
という内容です。
中心となっている団体はフランスの「ATTAC」という団体で、この団体はちょっと前の経済学者トービンが主張した、資本が国境を越える際にそれに税金をかける「トービン税」の実施を主張しています。
さすがにこれらの細かい内容までは今日は細かく書きませんが、はっきり言ってこのアンチグローバリゼーションを知らないければ文系なら他国の学生に笑われても仕方ないでしょう。実際に私は留学中に他国の学生にあれこれ聞きまわりましたが、みんな知っています。それだけ世界の中で大きな潮流となっているこのアンチグローバリゼーションですが、なぜだか日本では日本語とはなっていませんし、この潮流が報道されることはありません。その理由は単純明快で、現在経済のグローバル化で一番得をして推し進めているアメリカが日本の背後にいるからでしょう。
現在の私の立場ははっきり言ってアンチグローバリストです。友人のツッチー(二回目だよこの勝手なあだ名が出るのも)とともに紹介したATTACの日本支部に出かけようとしたくらいです。
この辺の内容もまた先送りですが今度辺りに詳しくやるとして、心ある学生らは是非この辺りを自ら学んでほしいです。これらに関する書籍も数多く出ていますし、学ぼうと思えば無理な話ではありません。何か直接質問があれば、このブログのコメントに書いてくれればいつでも私が答えます。それだけ、この辺の知識は必要とされているのです。
2008年5月10日土曜日
ショップ99に見る、日本社会の構造的問題
すでにNHKなどでは報道されていたようですが、昨日民放にて本日のお題のショップ99の不法労働問題が報道され、現在各所で話題になっています。
問題の中身はショップ99で働いていた元店長が、その長時間労働を争点に法廷に訴え出たという経緯です。全体像的には前回にマクドナルドを相手取った元店長の裁判と同じなのですが、今回は現時点で実労働時間が出勤表にきちんと記録され、それが公表されている点が問題のインパクトを強めています。その出勤表によると、この元店長の労働時間は毎日早朝から深夜までの長時間労働で、ひどい時などは休み時間がほとんどなく、四日間フルに徹夜で働くという尋常ではない実態が明らかにされています。しかしマクドナルドの例と同様に、今回もこの元店長は企業側には店長は管理職として扱われ、この長時間に見合う残業代は一切支払われてこなかったというようです。
この事件に対するネット、及び私の周りの人間の反応はと言うと、どうしてこれほどまでして働いていたのか、どうしてすぐに仕事をやめなかったのかという声が多いのですが、その質問の回答ははすでに記者会見で出ており、訴えた元店長本人によると、この人は就職氷河期世代にあたり、数年間の不安定なフリーター生活を経てようやくつかんだ正社員であったということからなかなかやめる決心がつかなかったというようです。自分の知り合いの親父さんなんかはフリーターの「ふ」の文字を聞いただけで「怠け者めっ!」、と海原雄山ばりに怒り出しますが、実態的には今回の元店長のように、正社員になりたくてもなれないという不幸な若者が多いように思えます。この辺はまた今度書こう。
さて問題は、前回のマクドナルドといい、どうすればこのような問題が解決できるかだと私は考えております。近年になってようやく、このいわゆる「実体のない管理職+超時間労働」が明らかにされてきましたが、こうした問題が起こっているということは私が知る限り、2002年ごろにはすでに各企業、特に店舗増設が行われてきたコンビニ業界で起こっているとは聞いていました。それがこのところ、もっとも実際にはかなり前からでしょうが外食産業、大手スーパーなどの小売業などの企業にも広がっています。
それこそ、このような非人道的な労働を強いる企業を単体でどうにかするというだけなら、こうした内部告発から社会的批判にさらし、企業を追い込めばいいだけです。批判をかわすために労働改善を行うか、はたまた結末に企業が潰れても一応は解決されます。
しかしすでに述べたように各業界でこのような「実体のない管理職」という現実が広がっている中、ただ企業を一つ一つ潰していったところで、結局のところ社会全体で見てほとんど改善は起きません。敢えて分類すると、企業を単体でどうにかするというのは「個別的問題」で、社会全体をどうにかするというのは「構造的問題」という風に分けられます。
この問題の場合、日本人は辛い労働でも割合我慢してしまうというのが原因だとよく言われます。私が尊敬する水木しげる氏も、「日本人はがんばりすぎてしまうから、国があんな風になっまでも戦争を続けてしまったんだ。怠け者のイタリア人をもっと見習うべきだ」と述べています。実体験者だけに、重みのある言葉です。
現実に日本は先日のメーデーでもあまり労働争議、ストライキは起こらず、苛酷な労働環境がこれまで以上に報告されているにもかかわらず、めっきり労働者は主張できなくなりました。今回のような問題を解決するために、もっと日本の労働者は嫌なことは嫌だと、過酷な労働をもっとみんなで拒否することも必要でしょう。実際には今回の元店長のように他に正社員の職が見つからないことや、生活を不安定にさせてしまう可能性から非常に難しいですが。
もう一つ、私から提言する解決方法は、労働監督庁、ひいては法務省の権限と実行力を拡大することです。言ってしまえば、今回のような事件の労働実態は明らかに労働法の規制範囲を逸脱しています。このような逸脱、脱法行為を発見、処罰をもっと厳正に行うことがもっとも単純で必要な解決方法だと思います。しかしこれを本来行う労働監督庁は細かくは知らないのですが、これだけ異常な労働実態があちこちで言われいる割には踏み込んで摘発したという実例をあまり聞きません。ここはひとつ、もっとハッスルしてもらうとか、欧米各国に比べて省庁権限が非常に弱くて閉鎖的といわれる法務省(最近、ここの大臣はマスコット化している)を改革することがもっともよい構造的な解決法だと考えています。
問題の中身はショップ99で働いていた元店長が、その長時間労働を争点に法廷に訴え出たという経緯です。全体像的には前回にマクドナルドを相手取った元店長の裁判と同じなのですが、今回は現時点で実労働時間が出勤表にきちんと記録され、それが公表されている点が問題のインパクトを強めています。その出勤表によると、この元店長の労働時間は毎日早朝から深夜までの長時間労働で、ひどい時などは休み時間がほとんどなく、四日間フルに徹夜で働くという尋常ではない実態が明らかにされています。しかしマクドナルドの例と同様に、今回もこの元店長は企業側には店長は管理職として扱われ、この長時間に見合う残業代は一切支払われてこなかったというようです。
この事件に対するネット、及び私の周りの人間の反応はと言うと、どうしてこれほどまでして働いていたのか、どうしてすぐに仕事をやめなかったのかという声が多いのですが、その質問の回答ははすでに記者会見で出ており、訴えた元店長本人によると、この人は就職氷河期世代にあたり、数年間の不安定なフリーター生活を経てようやくつかんだ正社員であったということからなかなかやめる決心がつかなかったというようです。自分の知り合いの親父さんなんかはフリーターの「ふ」の文字を聞いただけで「怠け者めっ!」、と海原雄山ばりに怒り出しますが、実態的には今回の元店長のように、正社員になりたくてもなれないという不幸な若者が多いように思えます。この辺はまた今度書こう。
さて問題は、前回のマクドナルドといい、どうすればこのような問題が解決できるかだと私は考えております。近年になってようやく、このいわゆる「実体のない管理職+超時間労働」が明らかにされてきましたが、こうした問題が起こっているということは私が知る限り、2002年ごろにはすでに各企業、特に店舗増設が行われてきたコンビニ業界で起こっているとは聞いていました。それがこのところ、もっとも実際にはかなり前からでしょうが外食産業、大手スーパーなどの小売業などの企業にも広がっています。
それこそ、このような非人道的な労働を強いる企業を単体でどうにかするというだけなら、こうした内部告発から社会的批判にさらし、企業を追い込めばいいだけです。批判をかわすために労働改善を行うか、はたまた結末に企業が潰れても一応は解決されます。
しかしすでに述べたように各業界でこのような「実体のない管理職」という現実が広がっている中、ただ企業を一つ一つ潰していったところで、結局のところ社会全体で見てほとんど改善は起きません。敢えて分類すると、企業を単体でどうにかするというのは「個別的問題」で、社会全体をどうにかするというのは「構造的問題」という風に分けられます。
この問題の場合、日本人は辛い労働でも割合我慢してしまうというのが原因だとよく言われます。私が尊敬する水木しげる氏も、「日本人はがんばりすぎてしまうから、国があんな風になっまでも戦争を続けてしまったんだ。怠け者のイタリア人をもっと見習うべきだ」と述べています。実体験者だけに、重みのある言葉です。
現実に日本は先日のメーデーでもあまり労働争議、ストライキは起こらず、苛酷な労働環境がこれまで以上に報告されているにもかかわらず、めっきり労働者は主張できなくなりました。今回のような問題を解決するために、もっと日本の労働者は嫌なことは嫌だと、過酷な労働をもっとみんなで拒否することも必要でしょう。実際には今回の元店長のように他に正社員の職が見つからないことや、生活を不安定にさせてしまう可能性から非常に難しいですが。
もう一つ、私から提言する解決方法は、労働監督庁、ひいては法務省の権限と実行力を拡大することです。言ってしまえば、今回のような事件の労働実態は明らかに労働法の規制範囲を逸脱しています。このような逸脱、脱法行為を発見、処罰をもっと厳正に行うことがもっとも単純で必要な解決方法だと思います。しかしこれを本来行う労働監督庁は細かくは知らないのですが、これだけ異常な労働実態があちこちで言われいる割には踏み込んで摘発したという実例をあまり聞きません。ここはひとつ、もっとハッスルしてもらうとか、欧米各国に比べて省庁権限が非常に弱くて閉鎖的といわれる法務省(最近、ここの大臣はマスコット化している)を改革することがもっともよい構造的な解決法だと考えています。
2008年5月8日木曜日
日本語の自人称について
自人称というのは説明するまでもなく、自分を表す代名詞のことをいいます。日本語だったら「私」や「僕」などで、英語では「I」のことです。
さてこの自人称ですが、はっきり言って日本語はめちゃくちゃ多いです。中国語なら「我」ひとつだけだし、英語も所有格などは別ですが基本的にはさっき言ったように「I」だけです。ついでにロシア語では英語同様活用が分かれますが「Я(ヤー)」のひとつだけです……ってか、「やー」って入力したらキリル文字が出た事のがびっくりだ。
しかしこれが日本語となると先ほどの二つのほかに「おいどん」とか「おいら」とか「俺」、「拙者」、「わい」、「わし」などなど、一番レアなので言うと、中国では皇帝のみが使い、日本では天皇のみに使用が許されている「朕」というのまであります。
多分探せばまだまだいっぱいあると思いますが、こういった量だけでなく使用方法も使い分けられており、公的な場では「僕」か「私」に限定されています。
さてこのやたら煩雑な日本語の自人称ですが、私はどうも日本の社会を見ていておかしい気がします。そりゃさすがに「俺様」とか言っている人なら私も変な奴だとは思いますが、それこそ方言などで「おいどん」とか「わし」と使うことが一般的な人に対して、「公では私と言いなさい」と言うのは、ちょっと妙な気がします。この「わし」という言葉の中に特別な意味なぞ入っている訳ではないのですし、「わし」を使っている人にとってすればそっちの方が自然なはずなのですし、自分に対して使うだけなら別に誰かに対して失礼でもなんでもないでしょう。
というのも、つい最近にとうとう私も「俺」を使うなと言われたばかりだからです。別に言った相手は他意はなく、周りのことを考えて私に助言してくれたと思うのですが、別にこういった自人称くらいはみんなで好き勝手な言葉を使ってもいいんじゃないかと正直思います。ちょっと自分でもこだわりすぎなのかとも思いますが、これくらいの要素については日本人ももっと寛容であるべきだと思い、特定の自人称を強制させることに私は反対です。いっちゃなんですが、強制させることのほうが相手に失礼だと思うし。
さてこの自人称ですが、はっきり言って日本語はめちゃくちゃ多いです。中国語なら「我」ひとつだけだし、英語も所有格などは別ですが基本的にはさっき言ったように「I」だけです。ついでにロシア語では英語同様活用が分かれますが「Я(ヤー)」のひとつだけです……ってか、「やー」って入力したらキリル文字が出た事のがびっくりだ。
しかしこれが日本語となると先ほどの二つのほかに「おいどん」とか「おいら」とか「俺」、「拙者」、「わい」、「わし」などなど、一番レアなので言うと、中国では皇帝のみが使い、日本では天皇のみに使用が許されている「朕」というのまであります。
多分探せばまだまだいっぱいあると思いますが、こういった量だけでなく使用方法も使い分けられており、公的な場では「僕」か「私」に限定されています。
さてこのやたら煩雑な日本語の自人称ですが、私はどうも日本の社会を見ていておかしい気がします。そりゃさすがに「俺様」とか言っている人なら私も変な奴だとは思いますが、それこそ方言などで「おいどん」とか「わし」と使うことが一般的な人に対して、「公では私と言いなさい」と言うのは、ちょっと妙な気がします。この「わし」という言葉の中に特別な意味なぞ入っている訳ではないのですし、「わし」を使っている人にとってすればそっちの方が自然なはずなのですし、自分に対して使うだけなら別に誰かに対して失礼でもなんでもないでしょう。
というのも、つい最近にとうとう私も「俺」を使うなと言われたばかりだからです。別に言った相手は他意はなく、周りのことを考えて私に助言してくれたと思うのですが、別にこういった自人称くらいはみんなで好き勝手な言葉を使ってもいいんじゃないかと正直思います。ちょっと自分でもこだわりすぎなのかとも思いますが、これくらいの要素については日本人ももっと寛容であるべきだと思い、特定の自人称を強制させることに私は反対です。いっちゃなんですが、強制させることのほうが相手に失礼だと思うし。
2008年5月6日火曜日
移民政策について
なんかネットのニュースを見る限り、自民党が移民受け入れについて議論を始めると発表したようです。それに対して2ちゃんねるをはじめとしたネットの世論は若者の切捨てを始めたなどと、どちらかと言うとこの動きに反対する言論が強いように見えます。
実は私、四年前辺りからあっちこっちで移民論を周りに吹っかけて回ってました。そのきっかけとなったのはドイツ事情を勉強した際に、そのとき教えてもらっていた先生に、
「ドイツは移民でもめているけど、日本もそろそろ本気で考えなくてはいけない時期に来ている。実施する、しないはともかくとして、議論が全く行われていないというのは非常にまずい」
と、話を聞いてからです。それからあちこちで聞きまわったりしていると、現状で日本は毎年約200万人は移民を受け入れないと経済を維持できないという数字までているようです。
そこで私の意見ですが、はっきり言って早く移民を受け入れるべきでしょう。よく移民を受け入れると犯罪が増えるとか何とか言われますが、これはどこかで聞いた意見ですが、外国からの移民をいくら制限しても儲ける所に犯罪者は無理してでもやってくる。それならばまともで優秀な人間をきちんと受け入れるべきだという識者がいましたが、この意見に非常に同感です。
というのも、私自身それを痛感したことがあります。それは留学中のことで、授業で一緒だった姉後肌のフィリピン人華僑の姉さんが私に、
「私はフィリピンで日本の広告代理店がやってる現地法人に勤めていたんだけど、将来は日本で働きたいけど無理かなぁ?」
「あなたは英語が上手だし、中国語もこのクラスで一番うまい。それにすごい面倒見が良くて賢い人ですけど、日本の企業は日本語が出来なければどんなに優秀でも正社員として雇ってくれません。それがたとえ、日本語しか話せない日本人社員より優秀であっても」
というように答えたことがあります。聞くところによると、どうも日本は外国人を雇うのに閉鎖的過ぎる気がします。
こういった背景に加え、ようやく先月に朝日新聞も一面で取り上げてくれましたが、すでに現在の日本の農業を支えているのは中国人の出稼ぎ労働者達です。農繁期に必要な労働力がすでに日本の農村にはなく、すでに各地で中国人の出稼ぎ農民が日本の農家に住み込んで働き、日本の食糧も作っているのです。この現状を見て、移民をすべきでないと言うのははっきり言って狂気の沙汰としか言いようがありません。すでに日本は食糧の輸入だけでなく生産すらも外国人頼みなのです。ちなみに、これら農村の現状についてはNHKはかなり早くから報道しています。
しかしこの出稼ぎ農民も非常に多くの問題を抱えています。まず各地で設定されている最低賃金が払われていない、というより最低賃金が払えないために払う義務の要らない外国人が雇われています。それでも相手がまだ納得する金額ならともかく、あくどい所では最初に取り決めた賃金すら払わない斡旋業者などが横行し、帰国するにも帰国できない外国人がいるとすら言われます。
こんなことを続けていればそれこそ日本に対していい感情を持つわけありません。こうした草の根的な思想は確かに小さいですが、積もり積もって将来的に大きな火種となることすらあります。こうした問題を回避するため、必要な労働力を相手もこっちも納得できる手段で集め、そして日本での生活で問題が起きないようにするため、移民についての議論を始めるにはむしろ遅きに失しています。だからこそ、今こうした議論が早急になされる必要があると言うのに、一部でなされている議論は視野が狭いものだと、ちょっと今日は強気に非難しておきます。
実は私、四年前辺りからあっちこっちで移民論を周りに吹っかけて回ってました。そのきっかけとなったのはドイツ事情を勉強した際に、そのとき教えてもらっていた先生に、
「ドイツは移民でもめているけど、日本もそろそろ本気で考えなくてはいけない時期に来ている。実施する、しないはともかくとして、議論が全く行われていないというのは非常にまずい」
と、話を聞いてからです。それからあちこちで聞きまわったりしていると、現状で日本は毎年約200万人は移民を受け入れないと経済を維持できないという数字までているようです。
そこで私の意見ですが、はっきり言って早く移民を受け入れるべきでしょう。よく移民を受け入れると犯罪が増えるとか何とか言われますが、これはどこかで聞いた意見ですが、外国からの移民をいくら制限しても儲ける所に犯罪者は無理してでもやってくる。それならばまともで優秀な人間をきちんと受け入れるべきだという識者がいましたが、この意見に非常に同感です。
というのも、私自身それを痛感したことがあります。それは留学中のことで、授業で一緒だった姉後肌のフィリピン人華僑の姉さんが私に、
「私はフィリピンで日本の広告代理店がやってる現地法人に勤めていたんだけど、将来は日本で働きたいけど無理かなぁ?」
「あなたは英語が上手だし、中国語もこのクラスで一番うまい。それにすごい面倒見が良くて賢い人ですけど、日本の企業は日本語が出来なければどんなに優秀でも正社員として雇ってくれません。それがたとえ、日本語しか話せない日本人社員より優秀であっても」
というように答えたことがあります。聞くところによると、どうも日本は外国人を雇うのに閉鎖的過ぎる気がします。
こういった背景に加え、ようやく先月に朝日新聞も一面で取り上げてくれましたが、すでに現在の日本の農業を支えているのは中国人の出稼ぎ労働者達です。農繁期に必要な労働力がすでに日本の農村にはなく、すでに各地で中国人の出稼ぎ農民が日本の農家に住み込んで働き、日本の食糧も作っているのです。この現状を見て、移民をすべきでないと言うのははっきり言って狂気の沙汰としか言いようがありません。すでに日本は食糧の輸入だけでなく生産すらも外国人頼みなのです。ちなみに、これら農村の現状についてはNHKはかなり早くから報道しています。
しかしこの出稼ぎ農民も非常に多くの問題を抱えています。まず各地で設定されている最低賃金が払われていない、というより最低賃金が払えないために払う義務の要らない外国人が雇われています。それでも相手がまだ納得する金額ならともかく、あくどい所では最初に取り決めた賃金すら払わない斡旋業者などが横行し、帰国するにも帰国できない外国人がいるとすら言われます。
こんなことを続けていればそれこそ日本に対していい感情を持つわけありません。こうした草の根的な思想は確かに小さいですが、積もり積もって将来的に大きな火種となることすらあります。こうした問題を回避するため、必要な労働力を相手もこっちも納得できる手段で集め、そして日本での生活で問題が起きないようにするため、移民についての議論を始めるにはむしろ遅きに失しています。だからこそ、今こうした議論が早急になされる必要があると言うのに、一部でなされている議論は視野が狭いものだと、ちょっと今日は強気に非難しておきます。
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