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2008年5月20日火曜日

松下の社名変更について

 ちょっと古いニュースですが、以前に松下電器産業がそれまでの社名を改め、自社ブランドのパナソニックに社名を変更することを発表しました。結論から言うと、この社名変更はむしろ当然すべきことだし、これで名実ともに松下は変わったような気がします。

 というのもちょっと前の90年代に松下は、当時日の出の勢いだったソニーに家電部門でコテンパンにやられてしまい、それこそ松下はもうだめなんじゃないか、やっぱり古いだけの会社だとまで揶揄されていました。そんな中、社長に就任した前社長の中村邦夫氏によって松下はドラスティックに社内組織が改革され、再び家電部門の王者に輝き、不振が続く関西経済圏の中でも強勢を保っています。

 この中村邦夫氏がやったのを具体的に言うと、古くから松下とつながりのある販売店などを一気に切ったことと、松下のOB社員に支払ってきた企業年金の額を減額したことでした。特に後者はOBから裁判まで起こされましたが、結局裁判所は経営に影響を及ぼすという松下側の意見を採用し、この減額を追認しています。
 こうした改革を行っていったせいか、2000年代前半には「幸之助精神の破壊者」とまで中村氏は言われましたが、しかしそのおかげで松下は見事復活しました。

 ここまで言えばわかると思いますが、現実的に今の松下は創業者の松下幸之助が作った会社だとは言いがたく、実質中村邦夫が作った会社だと私は考えています。そういった中で社名が変わるというのは、これからさらに過去とのつながりがたたれ新たな松下として定着するという意味合いが過分に含まれていると思います。

 それにしても、この中村氏のインパクトが強かった成果、おっさん二人と話をしているときに、
「ところで、今の社長の名前ってなんだっけ?」
 といって、そのままその日は思い出しませんでした。ゴメンね大坪さん。

2008年5月19日月曜日

黒船がこなけりゃ、徳川幕府は続いたか?

 このブログを始めた最初の頃に、もし戊辰戦争で幕府軍が勝ったらどうなっていたのかという予想を書きましたが、今回もその系列でずばり黒船が来なくて鎖国が維持されていたら、徳川幕府の幕藩体制は続いたのかということを今日解説します。

 まず、言うまでもなく徳川幕府崩壊の最大のきっかけとなったのはペリーの黒船来航でしょう。中国の清でもそうですが、最終的に国が滅ぶきっかけとなった事件は確かに大きな事件として当時も扱われはしましたが、まさかその事件がきっかけで急速に国が滅ぶとは誰も思わなかったようです。清の場合はアヘン戦争と太平天国の乱ですが、確かにそれまで何百年も続いた王朝がある事件をきっかけに数十年後に滅ぶことになろうとは、誰も想像できなかったでしょう。

 では徳川幕府が滅ぶきっかけとなった黒船来航ですが、実はそれまでの日本はシャレにならないくらい平和でした。徳川幕府成立後、正確には江戸時代初期の島原の乱以降、日本は二百年くらい一度も戦争がないという、世界史上でも稀に見る平和を維持しました。その原動力となったのは話すと長くなりますが、徳川幕府の幕藩体制にあります。参勤交代といい身分制といい、非常に安定感のある政策でこの恒久ともいえる平和を維持しました。

 しかし黒船来航を機に欧米からの外圧を受け、日本国内で意見が分かれる中で最終的に徳川幕府は薩長に滅ぼされることになりました。ですがもし、それこそ欧米が余計なちょっかいを出さずに日本国内で完結し続けてさえいれば、それまでの政策が続くことになりこの平和は維持されたのではないかと以前に考えたことがあります。言うなれば、外圧にどう対抗するかで意見が二分したのですし、それまではずっと平和だったのだから、そっとしておいてくれればずっと良かったんじゃないかということです。
 そこで結論から言いますが、私はもし黒船が日本に来なくとも、遅かれ早かれあの時代で徳川幕府は終わったと考えます、ここまで引っ張っておいてなんですがね。

 確かに黒船の来航が徳川幕府の寿命を縮めたことに間違いはないと思います。しかし当時の時点ですでに幕藩体制には限界が見えており、徳川本家をはじめとして諸大名はほとんどすべて借金漬けの財政となってていました。また尊王攘夷論の根拠となった天皇中心論を主張する国学も力をつけ、藩政改革を断行した薩長を筆頭とする、徳川家を凌駕しかねないほどの雄藩が力をつけていたという背景があります。
 こういった背景を考慮に入れると、遅かれ早かれ徳川幕府はあの時代のうちに内乱によってなくなったと思います。実際に、財政を立て直すために密貿易までやっていた薩摩藩に対し、力でそれを取り押さえる力は当時の幕府にすでにないと老中阿部忠之は考えていたといわれ、それならば恩を売っておけとばかりに島津斉彬を藩主に据えてやったといいます。

 そういう風に考えるのならば、黒船来航は一つの時代の転換点として日本にとって非常によい契機となったのではないかと思います。結果論から言うと、その後に明治維新が行われて日本は急速に国力を伸ばすようになりましたが、逆を言うならあの時点で革命が起こらなかったら、それこそ日本はどうなっていたかわからないものです。
 それにしても、盛者必衰とは言いますが永遠の安定と平和っていうものはやっぱりないものですね。

2008年5月18日日曜日

この休日の過ごし方

 なんかここしばらくえらく硬いことばかり書いていた気がするので、ちょっとまたゆるいの書こうと思います。

 まず昨日は浅草の三社祭りに行って来ました。いやね、本当は行くつもりなんて全くなかったんだけど、母の日のプレゼントを買うって言うから上海人と一緒にヨドバシ行った帰りに、まだ浅草行ったことないって言うから連れて行ったら、たまたま祭りの日だったという運びです。
 何があったかって、とにもかくにも人、人、人の渦。歩道も狭いもんだから全然前に進めない上に神輿が順々にやってきて、その度に横断禁止になって前に進めなくなる。中にはそれを逆手に取った一人の外国人がおもちゃの小さな神輿を片手に、笛を本物の神輿担ぎの人と同じようにピッ、ピッ、ピッと鳴らして通るもんだから自然と人がよけていくし。うまいことを考える。

 その後上海人と夕食してその日は寝て、日曜日の今日は先週に買った自転車で午前中は軽く20キロくらい流してきました。恐らく専門にやっている人から見たらヒヨッ子も同然ですが、自分はいわゆる自転車乗りでキャラを売っています。完全に走ることだけ専門のロードバイクも持っていますが、それだと街中をぶらぶらするのに向かないので、先週にまたシティサイクル(自転車を立てるスタンドが一脚の自転車。二脚だと通称ママチャリになる)を買い、それを今朝走らせたわけです。

 買ったのは、会社は嫌いですけど製品に罪はないと考えブリジストン純正の三万五千円の六段変速自転車です。色がグリーンな上にチェーンを覆っているカバーが金属じゃなくてプラスチックでできていて、傍目にもかなり派手な自転車です。性能的には安定していますが、やはり三段変速と比べてギアが噛み損なう率が高いように思えます、まぁ買ったばかりなのでしょうがないですが。
 乗り心地は問題なく、スピードも最高で時速40キロ弱、維持速度で20キロ強出るので満足です。唯一惜しむらくは、前かごの部分がアルミワイヤー製なところです。自転車屋はどこもアルミのが丈夫だといいますが、物を乗っけたり段差超えるとすぐにカタカタ抜かすので、私は一般ママチャリ標準のプラスチック製の前かごのが好きです。あれならちょっと変形してもアルミみたいに戻せないわけじゃなくて目立ちませんし、狭いところを通る時は邪魔になりません。なんでどこもアルミワイヤーを標準にするかなぁ。

 そうして午後は昼寝して、夕方に相撲を見てブログを書く現在に至ります。相撲も大好きなので、来週の千秋楽を国技館に見に行くかまだ迷ってます。一生に一度でいいから升席でお土産もらって相撲を見てみたいです。それにしても今場所は三年前の琴欧州を見ているような場所だ。

金剛番長の二巻と、最近の銀魂について

 前回にも書いた、鈴木央氏の「金剛番長」の二巻が発売されたので早速買ってきました。内容は前巻同様期待を裏切らないもので、読んでて最近こういったスケールのでかい(ホラがでかいとも言う)マンガが減ったことを痛感します。昔の例だと、「魁男塾」みたいな系列です。これも、最近になって作中にでてくる民明書房の記述を読むのにはまってます。「EYEこそすべて」ってなんだよ……。

 まぁ書くことといえばこんだけなのですが、ついでにもう一つマンガ批評をやると、今ジャンプで連載中の「銀魂」がここ最近、復調の兆しが見えます。復調と書いたのも、実は去年一年間、このマンガを読まなくなっていたからです。
 多分、今現在のギャグマンガで一番売れているのはこのマンガでしょうが、なんというか去年一年間はひどくつまらないものに成り下がっているように見受けました。これまでのように一話完結のギャグストーリー形式が少なくなり、変わりに延々と長編の話、それもこれまでと比べたらえらくつまらない内容のが続くので読んでて何度も嫌になってきました。なんかコメントを見ると、作者も少し自覚していたような記述も見受けられましたが、初連載なんだからまだいい内に完結するほうがこの際いいのではないかとまで私は考えていました。
 それが最新刊を読んでみると、また以前のようなテンポの良いギャグが戻っているじゃないですか。すっかり安心して、去年一年間読まなくなっていた分も一気に読み返しました。
 ではそれまでの不調はいったいなんだったのかというと、知り合いと協議したところ恐らく当時に担当が替わったのが何か影響したのではないかという結論に落ち着きました。

 さらに付け加えて分析すると、この作者の空地英明氏の他の漫画家にない特徴というのは、一つのコマでボケ、ツッコミ、ボケと、三拍子を一度にやってのける点にあると見ています。一例を出すと、単行本の八巻、第六十四訓にて、
「姉上、なんですかその格好?」、「ああ、今私の店チャイナ服強化月間でみんなチャイナ服着て仕事しているのよ」、「チャイナ服強化月間ってなんですか。何が強化されるんですか?」「男の妄想よ」
 と、いう具合で、確かに一コマにしてはセリフが多すぎるという指摘もありますが、逆を言えばこれだけの過程を一コマで表現するというのは並大抵の技ではないでしょう。
 大抵のギャグマンガ、特に最近流行っているひたすらハイテンションで押し通そうという系列のものは、
「つまり、○○○だな」、「何でそうなるのー!?」
 っとな感じで、一コマでボケとツッコミが一個ずつ、しかも大抵が大コマ使うという手法しかありません。これだと確かにインパクトは強くなりますが、テンポは犠牲にならざるを得ません。

 銀魂が面白くなかった時、この三拍子がほとんど機能していませんでした。ま、復活したから安心したけど。

2008年5月15日木曜日

四川省大地震の報道について

 すでにあちこちで報道されていますが、四川省で大地震が起こり、甚大な被害が報告されています。自分が見た報道の中でも何度か紹介されていましたが、意外に中国は大地震がよく起こっており、三十年位前には北京から割と近いところで起こった唐山(タンシャン)大地震が起こり二十四万人もの人が亡くなったといわれ、これは地震の被害としては現在に至るまでもっとも大きな被害として記録されています。ちなみに、以前に見た「胡同のひまわり」という中国映画でも、この唐山地震の描写がありました。

 それでこの地震の報道についてですが、本当は昨日辺りに書きたかったのですが、いくつか気になる点があります。まず今朝のみのもんたの「朝ズバッ」でですが、中国政府が日本政府の人的支援派遣を断ったというニュースを紹介した後、「ミャンマーといい中国といい、どうしてこう断るのでしょうかねぇ」とみのもんたが言っていましたが、私個人的に言わせてもらうと、ミャンマーと一緒にするべき問題ではないと思います。というのも、今回中国政府もこの日本からの人的支援を断る際、現在被災地では交通を初めライフラインが非常に混乱していることを理由に挙げていました。

 日本からだと想像しづらいかもしれませんが、被災地である四川省というのは本当に奥地も奥地で、周りも山、山、山、ヘリコプターですらなかなか着陸できないような険しい地域です。昨日の「報道ステーション」でも中国通といわれている加藤千尋氏が、あそこは三国志の蜀の国で、当時から険しい場所であったとコメントしています。恐らく、中国側のこの発表は変な誇張が含まれてなく、実際に支援部隊が到着しても彼らを運搬する手段がないと判断したのが断った理由でしょう。

 また、以前に私自身が災害の専門家から聞いた話ですが、現場はボランティアなどの人員に対して、せっかく来てもらっているのだからまず連中の食事を用意しなければならない。その上、彼らを運搬、組織して使うのは彼らの労働力を考慮に入れても非常に大きなコストになるらしいです。実際に、最近だとこういった事実が伝わってきたのか、ネット上でも災害が起こるたびに役にも立たないエセボランティアが被災地に集まっていると非難する声も出てきました。そのせいか先ほどの専門家は災害が起きた際に一般人にやってもらいたい事は、ただお金を送金するだけだと言っていました。ヘタに身一つで被災地に来るより、ただお金を送金してもらう方がずっと現場は助かるそうです。

 もっとも、今回日本政府が派遣しようとしたのは専門の救助隊ですから、いても邪魔になることはないでしょう。ただ現場の混乱と情報収集のために中国は今回一時的に断り、軍事政権の独裁から断ったミャンマーとは大違いだと私は考えています。なにもこの「朝ズバッ」に限らず、一部のメディアがさも中国政府が何かしら意図を持って支援を拒否したかのように見せており、内心むかむかした気持ちを覚えました。
 そして今日夕方、そういった向こうの事情がある程度解消されたのか、日本の救助隊の受け入れを表明し、早速東京都の消防隊員らが成田から出発していきました。私が思うに、もうすこしメディアの方々は向こうの様子を見てから、今回の人的支援受け入れ拒否のニュースを報道すべきだったと思います。そこまで中国政府を悪人にしなくたってねぇ……悪人の集まりではあるけどさ。

2008年5月14日水曜日

時代遅れな日本の不動産業界

 基本、どの国も産業というのは一次から三次に分類されます。農業や林業といった自然から採集、生産をする第一次産業。自動車や洗剤などの工業製品を作る第二次産業。そして教育やコンサルタントなどの知識やサービスをお金に換える第三次産業です。
 日本の場合は第一次産業はともかく、二次と三次に限れば相当な先進国です。特にサービス業などはコンビに業界を筆頭に、一部ではアメリカに負けますがそれでも高いレベルにあると自負してもよいでしょう。そんな中、今日紹介する不動産業界に限っては日本ははっきり言って最低とも言うくらいレベルが低い国です。正直なところ、第三次産業にうまく転換仕切れていない中国よりダメダメです。

 では一体どんなところがダメなのでしょうか。まず皆さんも思い浮かべるでしょうが敷金、礼金という制度です。これなど関東ならまだいいものの、関西では経験者はわかると思いますが、シャレにならない値段を今でも吹っかけてきます。たとえば、関西で月の家賃が五万円から六万円程度の部屋を借りようものなら、敷金と礼金を合わせて二十万円くらい入居の際に要求されます。しかも敷金、礼金と分けているくせに、退去する際は清掃費やら復元費などと理由をつけて結局ほとんどかえってこないのが現実です。ちなみに、これらの部屋の復元にかかる費用は、賃貸者の故意の破壊等を除いて法律上でも家主の負担と明記されており、賃貸者がこういった費用を払うこと自体間違いです。実際に日本で訴訟額が三十万円以内なら簡単に起こせる制度の裁判で、これらの費用総額二十万円を家主側から賃貸者が奪い返した例も存在します。そのときの大家の言い分は、その二十万円は清掃費用に必要だとのことでした、どんだけ掃除する気だよ……。

 これらの費用もさることながら、私個人的に我慢ならないのが「家具」です。結構驚かれる日本人が多いのですが、外国では家具は部屋ごとに備え付けられてるのが基本です。もしついてないものならば、誰もそんな部屋なんて借りません。
 備え付けられる家具は生活に必要なものばかりで、冷蔵庫や電子レンジにテレビ、それからソファーとかベッド、あとタンスとかテーブルももちろん付いてきます。これはなんとあの中国でも同じで、都市部限定だとは思いますが学生やサラリーマンが部屋を借りる際はそういった家具付きの部屋を借りて住みます。しかも大体が2LDKとかで、二つの部屋に二人で住んで家賃も折半というルームシェアリングを行います。このような形式は、私がはっきりこの目で確認したのならイギリスでもそうでした。

 こんななので、自分も中国から帰ってきて日本で部屋を借りようとした時にルームシェアをしたかったのですが、周りはみんな「一人がいい」といってのってくれず、泣く泣くまた人部屋(家賃は三万九千円)を借りました。
 それはともかくとして、私はやはりこの家具というのは家主側が用意してなんぼだと思います。なにせ、冷蔵庫や洗濯機といった大型電気家具は引越しの際に大きな荷物になりますし、新しく部屋を借りる度に苦労して運んだり、また新しい物を買わなければいけないというのは社会全体で非効率な気がします。
 幸いというか、最近になったマンスリーレオパレスなどが家具付きでの部屋の賃貸を始めました。今後もこういった動きが加速するとともに、敷金礼金はもちろんのこと、一般に高過ぎるといわれる日本の家賃代も下がり、せめて諸外国並みのレベルに不動産業界が成長するのを期待しています。

2008年5月12日月曜日

トービン税とはなんぞや

 昨日にアンチグローバリゼーションについて語った際にトービン税というものを紹介しましたが、タイムリーに今朝の朝日新聞朝刊にて、ソニー・カプールさんという、見ていてとっても面白い名前の元デイトレーダーのおじさんが、「国際連帯税を世界は導入すべきだ」と主張している記事が載っていました。敢えて言いましょうか、なぜ朝日新聞は「トービン税」という名称を用いなかったのでしょうかね。勉強不足でしょうかわざとでしょうか。

 この朝日新聞の記事に載った「国際連帯税」というのはまごうことなきトービン税です。確かに、名前だけを見るなら「国際連帯税」というほうが日本語らしくてわかりやすいですが、ちょっとこの名称だと本来の意味から外れているような気もするし、昨日に話したように世界ではこのトービン税という名称が普及していることを考えればこっちを用いたほうがいいと私は思います。

 さて、こんないきなりいちゃもんつけるような内容から始まりましたが、今日はざっくりこのトービン税について説明します。まぁ知らなくてもしょうがないけど、せめて経済学部の学生くらいは知っておいてほしいないようですね。
 このトービン税は1972年にノーベル経済学賞も受賞したジェームズ・トービンが提唱した税制で、国際通貨取引、つまり資本が国境を越える際にかける税金のことです。例証すると、日本国内で日本の銀行に預金してあるお金を使い、海外の証券、中国株などを購入する際に一部を税金として支払わねばらないというような制度です。無論、現在のところこんな税制を持っているところはどこにもありません。
 というのも、国際社会全体で実施しなければ意味がないからです。一つの国だけでやっても、その国だけ海外からの投資が滞るだけで、実質的に効果がありません。

 ではこの税制はなぜ提唱されたのでしょうか。その理由というのも、いわゆるヘッジファンドらが突然大規模な投資を行い、また突然にその資金を引き上げるという行為は、市場に与える弊害が大きいからです。
 具体的な例を挙げると、90年代後半に起こったアジア通貨危機がまさにその典型です。これは相場制度の整備が遅れ、実際の価値以上に相場が高かったタイ通貨バーツに目をつけたヘッジファンドらが、その所有する大量の資金を使って猛烈に投資し、その効果によって株価が急激の上昇した後に一気に売りぬいた事件です。その結果、タイはもとより周辺アジア諸国で一挙に通貨の信用不安が起こり、経済がめちゃくちゃになるなど大打撃を受けました。特に韓国などは現在に至るまでその弊害が続いているほどで、進行アジア諸国に与えた影響は大きい事件です。詳しくはウィキペディアのこの項目を見るともっとわかりやすいでしょう。

 こうした、マネーゲーム的な投機は正常な経済成長を妨げるといわれており、実際に南米諸国ではこのアジア通貨危機のように混乱が引き起こされて実証されています。そういった投機を防ぐために、一定の税金をかけて制限をかけるというのがこの税制の目的です。現在このトービン税の実施を一番主張しているのはフランスで、昨日に紹介したNGO団体の「ATTACK」が中心となって活動をしております。

 私自身はこのトービン税の導入を支持しています。なお、こうして集められた税金は発展途上国支援に使うとATTACKは主張しており、それについても私は大賛成です。