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2008年8月1日金曜日

内閣改造の政治的手法

 本日午後、福田内閣はかねてから予想されたように内閣改造を行いました。昨日の記事に簡単な予想と今後の影響を書きましたが、案の定というか渡辺喜美前行革担当大臣は外されてしまいました。逆に渡辺前大臣が行ってきた公務員改革に批判的だった町村氏は官房長官に残留したので、今後政府の公務員改革はブレーキがかかることが予想されます。さらに言うと、町村氏は前回の自民党総裁戦時に福田の肩を持つ代わりに閣僚ポストをもらうという密約をしていたそうなので、今回の残留もよく分かる話です。
 個人的に一番残念だったのは野田聖子が閣僚入りしたことです。彼女については以前に書いた「野田聖子の公認」に散々悪口書いているので、暇だったら見てください。

 さてそんな説明はどうでもいいとして今日の本題です。コメント欄に内閣改造をするのは支持率回復が目的なのかという質問があったので、いい機会なので政治的手法からみた内閣改造の醍醐味を解説します。

 まず最初に言うと、この内閣改造が政治手法として使われ始めたのはごく最近です。やり始めたのはほかでもなく、小泉純一郎元首相です。
 もともと日本の内閣、それも戦前の頃は一人の閣僚でも首相や他の閣僚の意見に反対すると、内閣不一致とされて首相は辞職を余儀なくされていました。代表的な例は陸軍が大臣を出さずに流産した林銑十郎内閣や岸信介の裏切りによって倒れた東条内閣などがあります。現在の内閣改造に近い例としては、近衛文麿内閣時に松岡洋介外務大臣をやめさせるためだけに近衛文麿は一旦辞職し、すぐにまた指名を受けて再組閣した例があります。

 この内閣の全会一致制は戦後になるとこの制度を悪用した陸海軍の反省もあり、首相権限に国務大臣の罷免権が明記されるようになり、その時々の政権目標ごとに国務大臣を入れ替えられるようになりました。しかし戦前の例もあって、真っ向から大臣に反対されると辞職を余儀なくされることは慣例として残っており、55年体制崩壊時の宮沢喜一内閣も、ある郵政大臣の首相の辞職要求を伴った辞任がきっかけで倒壊しています。

 そんな内閣改造を、一挙に政治的手法に持ち上げたのが小泉元首相でした。ちなみに一番最初にとっかえられたのは、外務大臣をやっていた田中眞紀子でした。
 恐らく、小泉氏は明確な目的をもってこの内閣改造を行っていたように思えます。その任期中では、細かい人員の変更を除く一気にメンバーを刷新する内閣改造を三度も行っています。

 なぜ小泉氏はこう何度も人員を変えたのでしょうか。その理由はほかでもなく、官邸、つまり首相自身の権力強化が目的だったのでしょう。それまでの日本の政治では、首相自身がやりたいと思う改革、政策があっても、自民党に慣例として残っていた役員会の全会一致がなければ何も実行できませんでした。つまり首相にやりたいことがあっても、党の長老なり執行部なりがそれに納得しなければ何もできなかったのです。これは現在も続いていますが、日本の政治システムの最大の弱点は、最高権力者である首相が持つ権力が小さいということです。

 そういった状況の中、小泉氏はこの内閣改造、というより閣僚ポストをエサに党内の反対勢力を押さえ込む方法に出ました。そのからくりというのも、首相である小泉氏の政策に共鳴するならば閣僚ポストが得られるが、反抗するならば年功序列から派閥の推薦を無視し、一切ポストを分け与えないという、従うのならばエサをやるというような手法です。この手法により、小泉氏は自民党内で当初は政策の違いのあった人間でも、閣僚ポストを分ける代わりに反対意見を封殺していきました。麻生太郎氏などは、総務大臣にいきなり上げて、まさに昔に言うところの位討ちを受けて一気に小泉支持へと変わったように思えます。

 逆に反対勢力はこの手法で徹底的にあぶりだすとともに、その勢力の人間を麻生氏のように位討ちしては徐々に切り崩していったようにも思えます。このように、人事権を以って小泉氏は党内運営を行い、当初は不可能と言われた自民党の票田をわざわざ切り離す郵政民営化を実現したのです。

 ただやっぱり万事がなんでもうまくいくわけでもなく、郵政解散の際には岩永峯一元農水大臣が小泉氏の解散発議に反対を表明しました。しかし小泉氏はそんなのお構いなしとばかりに、かつては素直に辞職した宮沢氏と異なり岩永氏を即座に農水大臣から罷免すると、自ら首相と農水大臣を兼任してまで内閣内の意見一致をはかり、郵政解散へと踏み切りました。なおこの際、全会一致が慣例であった自民党役員会でも反対者がいるのに、初めて多数決で解散を認めさせています。

 私が見るに、内閣改造は支持率の回復というよりは、こうした党内運営のための手段としての方が価値は高いと思います。しかし状況に応じて大臣を変えることにより、その時々の政策目標に人員を絞れるという面もあり、実質的な効果も少なくありません。ただ小泉氏の場合、不評だった大臣を変えたり、大胆な抜擢を行って支持率を上げたり、自分の政策目標に目立つ大臣を据えてメディアへの露出を増やし、その政策目標へと国民の関心を向けさせるように誘導していくという目的の方が大きかったでしょう。どっちにしろ、人員は一新されるとなんだかんだ期待感や新鮮さが出てくるので、そういったものが支持率の回復につながるのではないでしょうか。

 最期におまけとして、途中で上げた宮沢内閣で辞任要求を突きつけた当時の郵政大臣というのは、何を隠そう小泉純一郎氏です。自分が反対された時は切って捨てたのに、昔は同じことを自分がやっているという、よく言われていますがこの人は本当に過去を気にしないようです。
 そうやって、ばっさばっさと反対したりいらなくなった人間を切ってきた小泉氏ですが、在任中にずっと大臣に据え続けて手放さなかった人物が一人だけいます。それがあの竹中平蔵氏です。前から準備してきたので、この次は竹中平蔵氏についてついに書くことにします。

2008年7月31日木曜日

福田首相、内閣改造のニュースについて

 七月の初めの頃に政治評論家の三宅久之氏がテレビタックルにて、
「八月に臨時国会を開くから、七月中には内閣改造をやるだろう」
 と述べていましたが、生憎一日過ぎてしまいましたが案の定、明日福田首相は内閣改造を行うことを発表しました。
 ちょっと話がそれてしまいますが、予想というのは運の要素もあるので当たり外れは実力以外のところで決まってしまうこともあります。しかし先ほどの三宅氏の予想は「八月に臨時国会を開くから」という根拠があり、こういう根拠、理屈のある予想というのは外れたとしてもその後の状況理解などに役に立ちます。いい予想か悪い予想かというのは、なぜその予想が立てられるのかという過程がしっかりしているかにかかっていると思います。ま、臨時国会は九月に開かれることが今じゃ濃厚だけど。

 さてこの内閣改造ですがマスコミの報道を見ていると、「支持率の挽回のため」という言質が多く、どれも就任が予想される閣僚については口を曖昧にしています。スポーツ新聞なんかは今回の改造の目玉となっている町村現官房長官の処遇についてあれこれ書いているのですが、ちょっと全国紙などはこんな状態では情けないところです。

 そこで今回の改造の目玉ですが、別にわざわざ書くまでもないのですが、やはり厚生大臣の桝添要一氏と行革大臣の渡辺喜美氏の行方でしょう。私の評価はどっちもそこそこがんばっているのですが、特に後者の渡辺氏などは降格される可能性が高いように思えます。恐らく空気の読めない福田首相のことですから、自分とそりが合わないという理由だけで降ろしかねません。多分国民も馬鹿じゃないので、この人を降ろしたら支持率は今以上に下がるでしょう。福田政権の閣僚は桝添氏と渡辺氏を除くとどれもキャラが薄いので、この二人がいなくなれば多分不信感の方が大きいのではないかと思います。

 そういった背景もあり、とても「支持率の挽回」など狙える改造ではないと思います。それこそ小泉元首相のようにマスコットの女性を多く起用するとか、前首相の安倍氏などを拉致特命大臣にもってくるなどのサプライズがなければ支持率はさらに下がる可能性の方が高いでしょう。まぁここは安倍氏とは逆に、外交通を自称している加藤紘一か山崎拓を拉致特命大臣にしたらすごく面白いんだけど。いま「がいこう」って打ったら「害交」って出てきたよ。

 最期に一番の禁じ手を書いておきます。元防衛大臣、久間章夫を持ってくることです。この人については日テレなどが沖縄利権の問題をしつこくかぎまわっていますから、いきなりスキャンダルということもある爆弾です。まぁさすがにそこら辺は分かっているでしょうけど。

インフルエンザ増殖細胞の特定についての続報

 まずはこの二つのニュースを見てください。

新型インフルエンザ、ウイルス増殖に必要なたんぱく質、東大チームが特定
インフルエンザウィルス体内増殖の構造解明

 まず出てきた私の感想というのが、「どっち?」というのです。
 以前にこの話題について「インフルエンザ増殖原因を特定」の記事で紹介をしていますが、恐らく時期的にも内容的にも、私が取り挙げたのは前者の東大チームのニュースでしょう。私がソースに使ったのは朝日新聞で、ネットのほうでは毎日新聞のようですが、つい三日前に出たおなじく毎日新聞がソースの後者のネットニュースのほうでは、なにやら横浜市立大学の研究チームが成果を発表しています。

 もしかしたら、複数の大学の共同研究なのかもしれませんが、それにしてもちょっと妙です。東大の方は七月十日付けの科学雑誌「ネイチャー」で成果を発表しているのに対し、横浜市大の方では七月二十七日付けの同じく「ネイチャー」で発表しています。共同研究ならこんな回りくどいことはしないように思えます。
 そんなもんで妙に思い、よくよく原稿を読んでみると、東大の方では「鳥インフルエンザ(H5N1型)、Aソ連型(H1N1型)ウイルス」の増殖を助ける三種類のたんぱく質の特定で、横浜市大の方では三種類のたんぱく質の立体構造を解明したそうです。記者の人も気を利かせて、もうすこし情報をパッケージングして書いてくれれば分かりやすかったのに。それにしても、紛らわしいニュースだ。

WTO交渉決裂について

 このところ批判ばかりしていたからそろそろ朝日を誉めてあげないとと思っている矢先に、また批判するような記事を出してきました。すでにあちこちでも報道されていますが、昨日のボクシング世界王者選で内藤選手が見事防衛を果たしたところへ、亀田興起がリングに勝手に乱入した件について今朝の朝刊で、

「内藤側も亀田戦に前向きで、挑戦者の選択権も持つ。内藤対亀田が実現する可能性は高い」

 多分、この記述の「内藤側も前向き」というのはなんの裏も取ってないで書いたのでしょう。今日の内藤選手の会見ではジムと相談しなければならないと慎重な姿勢も見せていますし、それより記事全体に亀田家への批判が金平ジム会長のインタビューしかないのもどうかと思います。朝日、空気を読め。

 とまぁこんなのはどうでもいい話で、早速本題のWTO(世界貿易機構)にて関税範囲を決める交渉が諸国の合意が得られず、会議が流れたニュースについて解説します。率直に言って、私は今回合意が得られなくて私は万歳三唱をしました。というのも、交渉が流れたおかげで農産物に対する関税範囲が維持できたからです。

・ジャパンタイムス 「Farmers welcome collpse WTO talks

 今のところ確認ができる中で、このWTOでの交渉決裂についてきちんと背後関係や問題点を解説しているのはこのジャパンタイムスの記事くらいでしょう。さっきに挙げた今朝の朝日新聞社説も、「合意へ、出直しを急げ」と、はっきり言わせてもらうがトンチンカンもいいところな社説を出しています。

 今回、日本にとってこのWTO交渉で主要課題だったのが、高い関税をかけて自国の産業を保護する「セーフガード」の農産物への適用割合を日本側が主張する全農産物の8%と、欧米側が主張する4%の間の綱引きでした。交渉の途中、日本側は日本が競争力を持つ工業製品に対する関税割合を下げる代わりに6%で妥協する姿勢を見せましたが、報道で確認する限り、やはり4%で押し切られそうな状態だったようです。

 この割合が低くなる、つまり農産物への関税が減らされると、以前の記事の「日本の猫の目農政」で書いたように、ただでさえ追い詰められている日本の農家がさらに追い詰められることとなり、日本の農政問題が絶望的なまでに悪化する恐れがありました。英語が読めない人のために解説すると、上に挙げたジャパンタイムスの記事では農業組織の人間たちが今回の会議が流れたことによって、ほっと胸を撫で下ろしたということが書かれています。

 結果的には会議が流れたことによって、関税範囲が現状維持(今も8%なのかな。この辺りは確認してませんけど)されることが決まりました。なおこの記事の後半にはある自動車会社の公式発表も載せられており、結果的に工業製品の関税引き下げが達成されずに残念だと述べていますが、現状で日本の農業は大赤字です。それに対して工業製品輸出は去年にはどこも過去最高利益を更新しています。両者を見比べるなら、私は弱い方につきます。

2008年7月30日水曜日

二変数で見る国家の主義、体制


 今回紹介するこの図はかなり昔……構想的にはもう六年も前に作った図です。まずはその成り立ちから説明します。

 そもそも、右翼と左翼とは一体何を指すのでしょうか。中国では選挙がないという話をすると驚かれるくらいこのところの若者はあまり政治意識が高くないので、きちんと理解していない人も中にはいると思います。しかし、かえって現状では分からないと言う方が正解なのかもしれません。
 というのも、もはや国家の主義や体制を見るときに右翼や左翼といった二項対立では測れなくなっているからです。単純な比較でも、国の資産を国民全員が平等にばら撒くための政策が重んじられたバブル期以前の日本と、勝ち組負け組をはっきり分けるための政策が続いている現在では、もはや同じ体制とは言いがたいものです。しかも日本の場合に面白いのは、ここ十数年でそれだけの変化が起きているのに、政権の担当者は昔も今も同じ自民党、つまり右翼政党で変わりがないという点です。さらに言うと、変わっていく政策の非難者というのが旧来の自民党勢力、現在の国民新党などの勢力です。

 主義的に見るならば、両者はどちらも右翼です。ですがその掲げる政策は真逆とも言うくらい違っています。ではどんな点が違うのかというのを表したのが上記の図です。この図は縦軸が掲げる経済政策を表し、横軸が権力を構造する政治体制を表しています。
 ひとつひとつ説明していくと、グラフの左下の「階級主義」、「統制経済」の極にいるのが旧ソ連です。その根拠というのも、政治的指導者は共産党が一手に握っており、経済も配給制の元ですべて国家が管理していたためです。その真逆の右上にある、「民主主義」、「自由経済」の極にいるのはアメリカです。アメリカは言うまでもなく選挙は非常にオープンで、なんだかんだいって自由と平等にうるさい国です。そして経済政策も競争の重要性を掲げ、規制なりなんなりのすべての撤廃を掲げています。

 こんな感じでこの図は見ていきます。なんでこの図が必要なのかというと、先にも言ったとおりこれまではこの図でいう左下から右上への直線、右翼か左翼か、資本主義か共産主義かで語られてきましたが、アメリカと北欧諸国の関係のように、同じ民主主義陣営の中でも経済政策に大きな違いを出す国もあれば、かつては共産主義陣営に属していながらも、経済政策はもはや資本主義国同然でグラフの左上に位置する中国のような国も現れてきました。これほど状況が変化していながらも、右翼か左翼かという二項対立で議論するのはもはや不毛です。実際に論壇を見ていても、未だにこの二つの枠に当てはめ意見する討論家がおり、議論を訳の分からないものへと向かわせております。少なくとも、国家体制と経済政策の二変数は議論する上で欠かせないでしょう。

 そしてこの図はなにも国家だけにとどまらず、政治家にも適用できます。先ほど言った自民党内の意見の違いや現在の社民党の位置のあやふやさ、果てには論壇の人間の立ち位置というのにも使えます。たとえば私の好きな佐藤優氏や鈴木宗男氏なんかは右下の「社会民主主義陣営」に属すでしょう。そして小泉純一郎氏や安倍晋三氏、竹中平蔵氏はというと右上の「自由民主主義陣営」に属します。両者の対立点はまさにこの点で、ここ十数年の日本の変化も下から上への変化だ、というのが私の持論です。

 なお、この図は便宜的に私が簡単にまとめたものです。枠の位置と距離は必ずしも程度を表しているわけでもなく、敢えてアメリカと旧ソ連を両極に置いて作っています。
 さらにいうと、実際にはこの二変数でもまだ不足しています。たとえば外交政策が「融和」か「タカ派」かでも変わりますし、国民政策が「多民族主義」、「単一民族主義」でも変わってきます。そういった多変数の分析を行い国家を見ることこそ、国際政治学では非常に重要になってきます。

ウィキペディアで削除された秀逸記事

 このところ誰でも書ける記事ばかり書いてきたので、たまには自分にしか書けない記事でも書こうと思います。

 さて今回のお題のウィキペディアですが、このブログでも何度も引用しており、非常に愛読しているホームページです。このウィキペディアは佐藤優氏などは「情報が断片的で、体系的な知が身につかない」と批判していますが、一回見聞きすれば大抵のものは暗記できる私の能力とは非常に相性がよく、近年の私の知識力の向上に一役買っています。
 しかし残念なことに、このウィキペディアは誰でもどんなページでも編集できてしまうため、中には秀逸だった記事が削除されてしまうことも少なくありません。そこで今日は、削除されてしまって今はもう見ることのできない秀逸な記述を、私が記憶している範囲で紹介します。

1、スバル・インプレッサ
 このインプレッサという車は初期型のGC型なんか、私が最も好きなデザインをしています。現在ではモデルチェンジを繰り返してすでに三代目ですが、初代のGC型はとても格好いいのに、二代目のGD型となるととても同じ車とは思えない、言っちゃ悪いですが非常にダサいデザインへと成り下がりました。実際にプロのレーサーも二代目に変わった際、デザインはもとより走行性能も低下したと酷評していました。

 そこで肝心の削除された記述ですが、この二代目インプレッサの部分でデザインが酷評された経緯を書いた記述が丸々削除されていました。覚えている内容は、

「二代目インプレッサは登場とともに大きく変わったデザインが不評で、「丸目」、「デメキン」、「ボスボロット」などと揶揄された」

 という感じでした。面白い記述だったのに、消したのスバルの人間じゃないかな。


2、2ちゃんねる
 さすがにこれだけ閲覧者の多いサイトの記事ともなると、更新も非常に多いです。多分、私がじっくり腰据えて読んだ時が最も記述が多かった頃だと思う。

 そんなわけで詳しい説明は省いて削除された記述の紹介ですが、まず一番もったいなかったのは「2ちゃんねら~の性質」というような記事です。この記事では2ちゃんねら~の発言や特徴などを紹介しており、自分たちを「ヒッキー」や「ニート」などと呼び合いながら罵り合う自虐的な言動が多いことを指摘したり、「しない偽善よりする偽善」という2ちゃんねる内の言葉を引用するなど、なかなか参考に足る意見が数多かったのですが、今となっては跡形もありません。

 次に消された記述は、「ホリエモンへの評価」です。ここでは近鉄球団買収に名乗りを上げた頃は彼を賛辞するコメントが2ちゃんねるを席巻したが、彼の著書の中にある「女は金で買える」という言葉が紹介されるや一気に批判するコメントが上回るようになった経緯を紹介し、その後のニッポン放送買収騒動の際には保守的な日本の社会の改革者と評価する一方、ただ騒動を起こしてばかりの目立ちたがり屋という批判がないまぜになり、2ちゃんねる内ではまだ評価が確定していない(2005年頃)、というような見事な分析が……今じゃもうないんだよな。

3、小泉純一郎
 そこまで目くじらを立てるほどではないんですが、なきゃないでこの人の分析がうまくいかないので書いておきます。削除されたのは、確か「強運」という副題の記述でした。ここでは小泉氏が首相在任中に非常に強運であったことを紹介し、イギリスのブレア元首相に「うらやましい」と言わせたことが書かれていました。具体的な強運の事例として、自衛隊派遣を控えてイラクに視察に訪れていた外務省員がテロリストによって射殺された際、イラクは安全という言質が崩れ批判が集まると共に自衛隊派遣も頓挫するかと思われた時、イラクでフセイン元大統領が発見されるや一気に最初の批判が報道されなくなった、という事例が紹介されていました。

 なにもこの例に限らず、小泉氏は在任中はピンチになるやその度に強運によって守られていました。具体的な政策とは関係ないまでも、この記述が何故削除されたのか非常に疑問に思います。ああもったいない。

2008年7月27日日曜日

ライブドア事件の二審判決について

 本当なら判決が出た一昨日に書くべきだったのですが、何故か孫正義氏の記事を書くことを優先してしまいました。決して何の考えもなかったわけでなく、今日になってようやく出たメディアの反応を確かめた上で書こうと思っていたからです。言い訳じゃないよ。

 さてそんなこんだで出てきたメディアの反応です。YAHOOに出ている記事なんかは株価のライブドアショックの問題と掛け合わせたものばかりでしたが、今朝の朝日新聞の社説を要約すると、

「頼みになるのは顧客や従業員、そして社会からの支持だ。事業を通じて社会にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい」

 社説の後半四行を抜き出すと以上の通りです。全体の内容も、判決である実刑を当然であるかのような、ホリエモンに対して批判的な内容です。
 さて残念なことですが、この社説も見当違いとしかいいようのない、非常にふざけた文章であるというのが私の感想です。

 この社説の何が問題なのかというと、朝日新聞がライブドアの失敗を、「顧客、従業員、社会への軽視」と判断した点で、そんなの言ったらほとんどの一流企業も同じことです。そしてなによりも、このライブドア事件の背景について全く踏み込んでいません。
 冷静に考えてみましょう、一体ホリエモンはどんな犯罪を起こして収監されたのでしょうか。多分普通の人に聞いても、思い出す人なんてほとんどいないでしょう。主な容疑となったのは、子会社への架空売り上げを利益に計上し、連結決算では本当は赤字のところを株価への影響を恐れて無理やり黒字化した、言うところの粉飾決算というのが主な容疑です。ちなみに、その際の水増しされた利益の額は53億円です。

 はっきり言いますが、こんなの当時はどこだってやってました。確かにこれまで検察も何度かこの容疑でしょっ引いたことはありましたが、ライブドアのは金額的にもこれほど大きな事件化するほどのものではなく、また判決の実刑二年六ヶ月(執行猶予なし)に相当する犯罪ではありませんでした。
 そしてなにより、この問題を一番おかしくしているのはその後に起きた日興コーディアル証券の事件です。この日興コーディアルの事件では、社員の一人がライブドア事件同様に子会社の売り上げを本体へと付け替えるというライブドア事件にて主容疑とされた全く同じ手口で、金額も約200億円も粉飾決算にて水増ししています。にもかかわらず、こちらの事件では逮捕者や処罰者は一人も出ていません。

 この温度差は一体なんなのでしょうか。佐藤優氏などはホリエモンとも直接会って話をして、何故彼が逮捕されたのかというのは、格差社会と呼ばれる今の時代で最も目立つ勝ち組だったからと断言しています。最も目立つ存在ゆえに、そんな人間を国が懲らしめれば、格差社会を是正しようとしているように見えるからだという意味ですが、私の意見も同感です。でなければ、これほどのあからさまな不公平は発生しません。単純に言うと、ホリエモンは犯罪を犯したのではなく、捕まえられるために犯罪を新たに作られたというのがこの事件のあらましです。同様に、このはめ込みはこの後に逮捕された村上ファンドの村上氏にも当てはまるでしょう。

 何故同じ犯罪なのに、こうも処罰が異なるのか。当時にも言われましたが、「処罰の違いは国(政治家)への献金の違い」なのでしょうか。どちらにしろ、この粉飾はどこからが犯罪なのか、そういった検証は未だに私は見たことがありません。本来、新聞の社説ともあろうものはこういった点に言及して追及すべきなのですが、全くこういったことに触れられていないばかりか、万人受けするように「顧客を大事にね」でまとめられても非常に困る話です。敢えて私風に言うのならば、

「頼みになるのは政治家や官僚、そして政府からの支持だ。事業を通じて政府にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい」

 というのが、このライブドア事件の教訓です。なんか書いてて、産経新聞みたいな意見になったなぁ。