うあー……藤川が打たれた。もうこりゃ中日の勝ちかなぁ。
と、阪神対中日の九回の表を見ながらこの記事を書いてます。ぶっちゃけ、かなりテンション落ちたけど。
本店の方のコメント欄で、脳の中で認識する世界と、万物にとって平等な外界世界についてのコメントがあったので、ちょっと今日はそれに関係するかもしれない話を紹介します。
さて、早速ですがプラトンという哲学者は皆さんご存知でしょうか。あのアリストテレスの師匠で、ソクラテスの弟子でもあるギリシャ哲学の三巨頭の一人ですが、ただ日本では割とアリストテレスが好まれ、その後でソクラテス続くので私が見ている限りこのプラトンはちょっと影が薄い気がします。
しかし私の留学時代の相部屋のパートナーだったルーマニア人はこのプラトンが大好きで、自らもプラトンの主張したイデア主義者だと自称してやみませんでした。
それで彼が主張したこのイデア主義ですが、これは間の意識に関する考え方の一つのモデルです。まずはたとえ話からはじめます。
ある日Aという人がBという人に、昨日食べたりんごがとてもおいしかったと話をしました。この時Aの頭の中には昨日食べたりんごが浮かんでいるのですが、話を聞くBはもちろんその実物のりんごを見たことがあるわけありません。しかし話を聞くBの頭の中には全くりんごが浮かんでいないわけではなく、Bの中にも別のりんごのイメージが出てきます。そのりんごのイメージは明らかにAが食べたりんごとは間違いなく一致しないはずです。ですがそんなイメージでもBは、「すっぱいりんごだったの?」と言い返しては、会話を成り立たせることが出来ます。
何故、このように実物を目の前にしていないにもかかわらず、両者の意識の中では概念的に同じりんごが浮かび、またそのイメージがお互いの「りんご」という情報に一致するのでしょうか。ものの捉え方や見方というのは人それぞれですが会話の中に出てくる今回のりんごはもとより、今こうして私がスコップと言えば読者の方にはスコップのイメージが現れると思いますが、何故皆そんなあやふやな共通するイメージで互いの情報を一致させたり、認識を合わせることが出来るのでしょうか。
この疑問についてプラトンは先ほどのりんごの例だと、まず前提として「完全な形のりんご」があるに違いないとおきました。人間はその「完全な形のりんご」、つまり「Ideal apple」を誰もが一度は見ているため、誰がりんごといってもみな即時に認知を同じくすることが出来るのだと説明しました。
それではその完全な形を人はどこで見たのかと言うとプラトンは、人間がこの世に肉体を受けて生まれる前の魂の状態はちょうど一つの洞窟にみんなで入っているような状態だとして、そこではあらゆる情報が共通化されており、そこで完全な形を見てから洞窟を出るような具合でこの世に生を受けるという風に主張しました。
この考えはちょっと応用するなら心理学者のユングが、人間には生物として共通した心理があるため、世界のあらゆる文化の神話がどことなく似たような話になるのは自然なことだとして、そんな心理を「始的心理」と呼んだ話に近いような気もします。また生まれる前の人間の魂が一箇所に集まる集合意識の海のような場所があり、生まれる人間の魂だけがそこからひょいと引き抜かれるというインド哲学のなんかの話にも通じています。
どちらにしろこの説は人間の意識にはそれぞれ独立した「魂」が、攻殻機動隊でいうなら「ゴースト」あることが前提なので、私はあまりこの説に沿う考えをしていません。私なんて人間には魂がないという、人間の意識はすべて脳の電気信号反応だという説の大の主張者でもありますし。
ただもし本当に「ゴースト」があるというのなら、生まれる前の魂はどこにあるかというと、この「集合意識の海」という言葉にすごい惹かれます。具体的な理由がないまま惹かれるので、これまたあっちの言葉を使うなら「私のゴーストが囁くのよ!」といったところでしょうか。でもって、阪神はやっぱり負けちゃいました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年10月20日月曜日
2008年10月19日日曜日
公明党、矢野絢也問題について
テレビなどではよく取り上げられていますが、あまり細かい解説がないのでちょっと引用という形でこの矢野絢也氏の問題を解説します。
このところの国会政局に絡む解説番組でよく、「公明党としては元公明党委員長の矢野絢也氏を国会に参考人招致したくないため、解散の時期などで自民党と衝突している」という解説がなされるようになりました。この矢野絢也氏が何故参考人招致が取り沙汰されるようになったのかと言うと、単純に言って矢野氏と公明党、ひいてはその支持母体の創価学会の関係がここ数年で一挙にこじれたためにあります。
私がこの問題のあらましを知ったは数ヶ月前の文芸春秋での矢野氏の独白からですが、その記事によると矢野氏は政界を引退した後、政治評論家として幾度かテレビ番組などに出演をしていたようです。まぁこういう活動は別段珍しいわけではなく、本人も何か特別なことをしていたつもりはないそうで、その時事問題ごとに発言をしていたようです。
ところがある日に公明党の事務所に矢野氏が呼ばれるや、突然テレビ出演などの活動をやめるようにと言われたそうです。公明党側が言うには、過去に出た番組内の発言が公明党を貶めるものと受け取られ、それについて創価学会の青年部の人間が激怒しているとのことです。これに対して矢野氏はこれまで公明党や創価学会についてそのような発言をしたことはないという弁論をするのですが、その後青年部の人間たちの前につれてこられると、その場で激しく罵倒された挙句、議員時代から使っていた様々なメモのある手帳を取り上げられたそうです。
現在、この取り上げられた手帳を返却するようにと矢野氏が請求しており、公明党側は自発的にこちらに譲られたものだと対立し、この点を争うために裁判が行われています。これに目をつけたのが民主党で、一連の矢野氏に対する公明党の行為は言論封殺に当たるとして、矢野氏を国会に参考人招致することによって攻撃材料にしようと画策しているのが、この問題の大まかなあらましです。
もっとも、飯島勲氏によるとこの民主党の考えは政策論的な問題ではなく、あくまで政局の材料としてだけこの問題を使おうとしているとして、あまり評価をしておりません。
私が見ているとどうもこの参考人招致問題自体はよく取り上げられますが、問題の中身についてはテレビ番組などでは解説に歯切れが悪くなっているように見えます。まぁ相手が相手というのもわかりますが、ちょっと解説が足りないと思ったのでこの場で私がやってみることにしました。
ついでにまた紹介しておくと、公明党は国民新党の亀井議員に対して、もしこの矢野氏の参考人招致に賛成しないというのなら次の選挙時に、創価学会を使って国民新党の選挙応援をするとまで言ってきたそうです。こんな話をばらす亀井静香もなぁ……。
このところの国会政局に絡む解説番組でよく、「公明党としては元公明党委員長の矢野絢也氏を国会に参考人招致したくないため、解散の時期などで自民党と衝突している」という解説がなされるようになりました。この矢野絢也氏が何故参考人招致が取り沙汰されるようになったのかと言うと、単純に言って矢野氏と公明党、ひいてはその支持母体の創価学会の関係がここ数年で一挙にこじれたためにあります。
私がこの問題のあらましを知ったは数ヶ月前の文芸春秋での矢野氏の独白からですが、その記事によると矢野氏は政界を引退した後、政治評論家として幾度かテレビ番組などに出演をしていたようです。まぁこういう活動は別段珍しいわけではなく、本人も何か特別なことをしていたつもりはないそうで、その時事問題ごとに発言をしていたようです。
ところがある日に公明党の事務所に矢野氏が呼ばれるや、突然テレビ出演などの活動をやめるようにと言われたそうです。公明党側が言うには、過去に出た番組内の発言が公明党を貶めるものと受け取られ、それについて創価学会の青年部の人間が激怒しているとのことです。これに対して矢野氏はこれまで公明党や創価学会についてそのような発言をしたことはないという弁論をするのですが、その後青年部の人間たちの前につれてこられると、その場で激しく罵倒された挙句、議員時代から使っていた様々なメモのある手帳を取り上げられたそうです。
現在、この取り上げられた手帳を返却するようにと矢野氏が請求しており、公明党側は自発的にこちらに譲られたものだと対立し、この点を争うために裁判が行われています。これに目をつけたのが民主党で、一連の矢野氏に対する公明党の行為は言論封殺に当たるとして、矢野氏を国会に参考人招致することによって攻撃材料にしようと画策しているのが、この問題の大まかなあらましです。
もっとも、飯島勲氏によるとこの民主党の考えは政策論的な問題ではなく、あくまで政局の材料としてだけこの問題を使おうとしているとして、あまり評価をしておりません。
私が見ているとどうもこの参考人招致問題自体はよく取り上げられますが、問題の中身についてはテレビ番組などでは解説に歯切れが悪くなっているように見えます。まぁ相手が相手というのもわかりますが、ちょっと解説が足りないと思ったのでこの場で私がやってみることにしました。
ついでにまた紹介しておくと、公明党は国民新党の亀井議員に対して、もしこの矢野氏の参考人招致に賛成しないというのなら次の選挙時に、創価学会を使って国民新党の選挙応援をするとまで言ってきたそうです。こんな話をばらす亀井静香もなぁ……。
技術大国日本は何故出来たか
久々にオリジナルで、かつ質の高いレア情報を書きます。今回の話は昨日の記事にも通じる内容です。
日本は70年代から技術大国と言われて久しく、自動車業界から精密機械に至るまで幅広い産業において世界的にも高い技術を持っていると言われております。しかしその一方で高校生の物理選択者は減る一方で、また大学の理系学部も教育の質や志望者の低下に歯止めがかからず、国としても「ものつくり大国日本」という標語を打ち出しなんとか技術面での復権を画策していますが、なかなかうまく行っていないのが現状です。しかも状況はなおまずいことに、長い間技術を蓄積していた技術者たちがここ数年で定年による大量退職をし始め、技術の継承が現役世代になかなか行われず、このままではいたずらに育て上げた技術が失われていく一方だという危惧もされています。
では何故かつての日本は技術大国と呼ばれるまでに技術者の質が向上したのでしょうか。一つ今の日本の問題の解決法を探る上で、ちょっとここで一つ歴史の話を紹介します。
現在、日本が誇る技術産業とくれば誰の目にも自動車産業が筆頭だと言われていますが、何故日本で、更に先の話をするとドイツでも自動車産業が戦後に急成長をしたのかですが、現在言われている中で最も強い説は軍需産業からの転換があったからだと言われています。
戦前の日本ははっきり言ってアメリカとの戦争のためだけに国が機能し、技術者もそのために数多く育成されて兵器となる航空機の生産も国を挙げて行っていました。ですが日本が敗戦した後、二度と軍事国家化させまいというのと航空機産業で独占をもくろんでいたアメリカの指導の下で、日本は航空機の製造、開発を大幅に制限されることとなりました。その際、それまで航空機を製造していた技術者はどうなったのかと言うとここまで言えばわかると思いますが、その大半は自動車産業へと移り、そこで自動車の製造、開発を行うようになっていったそうなのです。
これはドイツでもほぼ同じ状況が起こっており、その結果現在の日独は航空機の開発自体はアメリカに遠く及ばないまでも、自動車産業の技術においては世界でもトップ二強という地位を確立するに至ったのです。また自動車産業に限らずとも、現在日本が世界に誇る新幹線の開発においても戦前の航空機技術者が数多く参加しており、広範囲にわたって戦前に育成された技術者が生きたと言われています。
このように技術立国日本が出来た背景には戦争目的とはいえ、非常に高度な技術者の育成があったことが大きな理由と言われており、私自身もその説を支持します。では教育を充実させればまた技術大国の座を維持できるのかと言うのかですが、私は現状の日本政府の方針はそれほど効果は出さないと考えています。その理由というのも、戦前の育成と比べると現在の教育には大きな差があるように思えるからです。そういう風に思うのも、実は私自身が直接に戦前に育成された元技術者の方に話を聞く機会があったからです。
その元技術者のプロフィールを簡単に紹介すると、私がアルバイトしていた喫茶店のマスターです。御年八十歳を越える方で今もなお健在しております。
このマスターは戦前、高校を卒業すると同時に現在の日立に就職し、そこで偵察航空機の設計に関わっていたそうです。この時の話を詳しく伺うと、なんでも高校時代にも相当な勉強を強制され(その学校では成績順に席順が決まるほどだったようです)、高校を卒業してようやく勉強から開放されたかと思ったら就職先でもまた勉強、しかも航空機の設計に関わる内容をものすごい詰め込みで行ったそうです。この辺は詳しく聞いてはいないのですが、どうも成績で上位でなければひどい仕事場に回されそうだったとのことで、必死で設計に入れるようにこの時勉強したそうです。この時の勉強時間は文字通り昼も夜もないほどで、夜には宿舎の明かりは強制的に消灯されるのでしょうがないからトイレの明かりで勉強しようと向かったら、そこには既に先客がいて勉強をしており、「この時はさすがに参った」と思ったそうです。
しかしその甲斐あってマスターは航空機の設計に関わる部門に配置されました。ところがそこでも万事が万事大変で、設計して航空機を作ろうにもまず材料がほとんどない。この辺についてはマスターの話を直接引用することにします。
「とにかく、ありあわせの材料で製造するのだからそれで実際に飛ぶだけでも相当凄いことなんだよ。しかし、やはり十機に一機は飛行中に空中分解を起こしてしまい、その際には搭乗しているパイロットに申し訳ない気持ちでいっぱいだった……」
この話を聞いた際に私は、戦前は高校卒業したての若者が、文系の私からすると及びもつかないほど難しいと思えるような航空機の設計、製造に関わっていたという事実にまず驚きました。そして同時にこれほどの技術者が第一線ではなく、私のいた喫茶店のような場所にもいたということに、戦前から戦後にかけての技術者の人材量に言葉をなくしました。
このように、技術大国日本の背景にはそれこそ現在からは考えつかないほどの広範囲かつ質の高い教育が行われていたのです。この事実に比べるなら、現在の教育などそれこそ玉石に比べて路傍の石程度しかないと言っても過言ではなく、今の教育では焼け石に水なのではというのが私の意見です。
更に言うなら、戦前に行われた技術者の育成と現在の教育において最大の差異とも言えるのが、試作にある気がします。先ほどのマスターの例だと高校を出たての若者が、恐らく他のスタッフも関わっているとはいえ飛行機の設計から実際の製造にまで着手しています。果たして、今の日本で航空機とまでは言わないまでも自動車の設計から製造にまで二十代の大卒の若者が関われるかと言ったら、恐らく全くと言っていいほどないでしょう。もし本当に技術者を育てようと言うのなら、やはりこういった実際に作る試作をどんどんと行わせるべきでしょうし、国も下手なところに金を使うくらいならこういった所へ補助をするべきではないでしょうか。
最後に、話を聞いた後に私がマスターに聞いた質問とそのやり取りを紹介します。
「マスターは戦後、そのまま技術者としてやっていこうとは思わなかったのですか。誘いはなかったのですか」
「誘いは確かに受けたけど、僕はやっぱり子供の頃から商売人になることが夢だったからね。こうして喫茶店をやっていて後悔はないよ」
日本は70年代から技術大国と言われて久しく、自動車業界から精密機械に至るまで幅広い産業において世界的にも高い技術を持っていると言われております。しかしその一方で高校生の物理選択者は減る一方で、また大学の理系学部も教育の質や志望者の低下に歯止めがかからず、国としても「ものつくり大国日本」という標語を打ち出しなんとか技術面での復権を画策していますが、なかなかうまく行っていないのが現状です。しかも状況はなおまずいことに、長い間技術を蓄積していた技術者たちがここ数年で定年による大量退職をし始め、技術の継承が現役世代になかなか行われず、このままではいたずらに育て上げた技術が失われていく一方だという危惧もされています。
では何故かつての日本は技術大国と呼ばれるまでに技術者の質が向上したのでしょうか。一つ今の日本の問題の解決法を探る上で、ちょっとここで一つ歴史の話を紹介します。
現在、日本が誇る技術産業とくれば誰の目にも自動車産業が筆頭だと言われていますが、何故日本で、更に先の話をするとドイツでも自動車産業が戦後に急成長をしたのかですが、現在言われている中で最も強い説は軍需産業からの転換があったからだと言われています。
戦前の日本ははっきり言ってアメリカとの戦争のためだけに国が機能し、技術者もそのために数多く育成されて兵器となる航空機の生産も国を挙げて行っていました。ですが日本が敗戦した後、二度と軍事国家化させまいというのと航空機産業で独占をもくろんでいたアメリカの指導の下で、日本は航空機の製造、開発を大幅に制限されることとなりました。その際、それまで航空機を製造していた技術者はどうなったのかと言うとここまで言えばわかると思いますが、その大半は自動車産業へと移り、そこで自動車の製造、開発を行うようになっていったそうなのです。
これはドイツでもほぼ同じ状況が起こっており、その結果現在の日独は航空機の開発自体はアメリカに遠く及ばないまでも、自動車産業の技術においては世界でもトップ二強という地位を確立するに至ったのです。また自動車産業に限らずとも、現在日本が世界に誇る新幹線の開発においても戦前の航空機技術者が数多く参加しており、広範囲にわたって戦前に育成された技術者が生きたと言われています。
このように技術立国日本が出来た背景には戦争目的とはいえ、非常に高度な技術者の育成があったことが大きな理由と言われており、私自身もその説を支持します。では教育を充実させればまた技術大国の座を維持できるのかと言うのかですが、私は現状の日本政府の方針はそれほど効果は出さないと考えています。その理由というのも、戦前の育成と比べると現在の教育には大きな差があるように思えるからです。そういう風に思うのも、実は私自身が直接に戦前に育成された元技術者の方に話を聞く機会があったからです。
その元技術者のプロフィールを簡単に紹介すると、私がアルバイトしていた喫茶店のマスターです。御年八十歳を越える方で今もなお健在しております。
このマスターは戦前、高校を卒業すると同時に現在の日立に就職し、そこで偵察航空機の設計に関わっていたそうです。この時の話を詳しく伺うと、なんでも高校時代にも相当な勉強を強制され(その学校では成績順に席順が決まるほどだったようです)、高校を卒業してようやく勉強から開放されたかと思ったら就職先でもまた勉強、しかも航空機の設計に関わる内容をものすごい詰め込みで行ったそうです。この辺は詳しく聞いてはいないのですが、どうも成績で上位でなければひどい仕事場に回されそうだったとのことで、必死で設計に入れるようにこの時勉強したそうです。この時の勉強時間は文字通り昼も夜もないほどで、夜には宿舎の明かりは強制的に消灯されるのでしょうがないからトイレの明かりで勉強しようと向かったら、そこには既に先客がいて勉強をしており、「この時はさすがに参った」と思ったそうです。
しかしその甲斐あってマスターは航空機の設計に関わる部門に配置されました。ところがそこでも万事が万事大変で、設計して航空機を作ろうにもまず材料がほとんどない。この辺についてはマスターの話を直接引用することにします。
「とにかく、ありあわせの材料で製造するのだからそれで実際に飛ぶだけでも相当凄いことなんだよ。しかし、やはり十機に一機は飛行中に空中分解を起こしてしまい、その際には搭乗しているパイロットに申し訳ない気持ちでいっぱいだった……」
この話を聞いた際に私は、戦前は高校卒業したての若者が、文系の私からすると及びもつかないほど難しいと思えるような航空機の設計、製造に関わっていたという事実にまず驚きました。そして同時にこれほどの技術者が第一線ではなく、私のいた喫茶店のような場所にもいたということに、戦前から戦後にかけての技術者の人材量に言葉をなくしました。
このように、技術大国日本の背景にはそれこそ現在からは考えつかないほどの広範囲かつ質の高い教育が行われていたのです。この事実に比べるなら、現在の教育などそれこそ玉石に比べて路傍の石程度しかないと言っても過言ではなく、今の教育では焼け石に水なのではというのが私の意見です。
更に言うなら、戦前に行われた技術者の育成と現在の教育において最大の差異とも言えるのが、試作にある気がします。先ほどのマスターの例だと高校を出たての若者が、恐らく他のスタッフも関わっているとはいえ飛行機の設計から実際の製造にまで着手しています。果たして、今の日本で航空機とまでは言わないまでも自動車の設計から製造にまで二十代の大卒の若者が関われるかと言ったら、恐らく全くと言っていいほどないでしょう。もし本当に技術者を育てようと言うのなら、やはりこういった実際に作る試作をどんどんと行わせるべきでしょうし、国も下手なところに金を使うくらいならこういった所へ補助をするべきではないでしょうか。
最後に、話を聞いた後に私がマスターに聞いた質問とそのやり取りを紹介します。
「マスターは戦後、そのまま技術者としてやっていこうとは思わなかったのですか。誘いはなかったのですか」
「誘いは確かに受けたけど、僕はやっぱり子供の頃から商売人になることが夢だったからね。こうして喫茶店をやっていて後悔はないよ」
2008年10月18日土曜日
大学教育の価値とは、およびその改革法 その二
ちょっと夜中に自転車を走らせて頭をすっきりさせてきました。そんじゃ気合入れてまた続きを書きます。
前回の記事では「無駄な大学教育コスト」を社会が負担させないようにする友人の提案を中心に解説しましたが、この記事ではそれを踏まえて私個人の考えを中心にして解説していきます。
まず、いきなり数字データですが2007年の世代別四年制大学進学率は47.2%です。率直に言って、私はこの数字を25%位まで下げたいのが本音です。
何故大学進学率を25%まで下げたいのかと言うと、前回の記事でも触れていますが、やはりあまり勉強をする気もないくせに大学に進学する大学生があまりにも多いからです。恐らくそういった方々からすれば、私大なら自分のお金で来ているから自分の買ってじゃないかと思うかもしれませんが、大学には国から助成金が出ており、私大であろうとそういった方々へも日本の税金が使われております。
はっきり言って、私も学生の頃も周りは何のために大学に来ているのかわからないような人でいっぱいでした。授業には来ないし、出てきても授業中に雑談するわ漫画を読むわで、まだ寝ているだけならともかく雑談の場合は講師の話が聞き取りづらくなるので、それだったら来るなと何度も心中に念じたことがありました。
中には、大学生活の四年間を過ごすことこそが人間の幅を広げるので何もさせずにほうっておくのが良いと言う方もいると思いますが、何もしないよりはやっぱり勉強するには越したことはないと思います。第一、何もせずに過ごす事が大事ならわざわざ大学に来る必要はないはずです。
もし大学であまり勉強する気がないというのならば、私はやっぱり就職して一旦社会に出てみることのほうがその方にとって進学するよりずっと価値が高いと思います。というのも就職することによって現場で職業訓練が行えるだけでなく、外から大学での教育についても見ることが出来、大学で勉強する意味というものがよくわかるようになると思うからです。こういうのも、実際に大学を卒業して就職をした方から卒業してからいろいろ大学で勉強してみたくなったと言う人が非常に多く、私自身こういう人を実際に数多く見ています。
もし就職しても大学で勉強する気が起きないと言うのなら、それはそれでそのままその仕事を続けた方が前回にも書いたように労働力的にも、また職業への自己研鑽という意味でも当人にとって良いように思えます。無理にやりたくない勉強をするくらいなら、今行っている仕事に精通することの方が将来的にも可能性が広がると考えるからです。
ただこういう話をすると、やはり一番ネックになるのは大卒でないと最初の就職に厳しくなるのはおろか、将来の収入も大卒者と比較して高卒者では低くなってしまうという事実です。ですがこうした状況がある限り、日本は「無駄な教育コスト」を社会が支払い続けてしまうので、前回に友人が打ち出した「職種別採用」を行い、一部の職種を「高卒限定」と枠をくくることで住み分けを行うべきだと思います。
実は友人からのメールには、前回に書いた職種別採用の項目は、「一般職は高卒採用にする」とだけしか書かれていなかったのですが、敢えて私は「高卒限定」と、限定の二文字を入れました。こうすることによって高卒者に一定の就職枠を確保することが友人の主張に沿うことになると思うのと、ある現実の事実に適合すると考えたからです。その事実というのも、地方公務員の高卒採用です。
現在、どこの地方も公務員の採用枠には雇用保全の目的で高卒枠というのが設けられています。これは高校卒業者限定で大卒者は受けることが出来ず、大体18歳から22歳の方しか採用試験に受験できない枠のことです。やはり高卒だと就職でいろいろハンデがあることから地方自治体に設けられた枠なのですが、大卒を含む通常の公務員試験より倍率や敷居が低いことから、以前には本当は大卒であるのにその履歴を黙って受験するものが後を絶たず、大阪では100人以上もそういう人が調べたら出てきたことがありました。
しかしこの高卒枠というのは考えとしては非常に面白く、また18歳から採用するにしても22歳になる頃には四年のキャリアが詰まれるので、下手な22歳で入ってくる大卒より業務において同じ年であってもずっと熟練しているはずです。実際、公務員の仕事なんて大学で何を学んだかよりは仕事をした年数の方が能率や作業内容にずっと影響するはずでしょうから、この際地方公務員には大卒は一人も入れなくても良いんじゃないかとすら思います。
という具合で、将来の収入についてはまだこれからいくらでも改革ができるため、まずは高卒での採用枠を確保することが重要だと私は考えます。こうすることによって就職のためだけと考え無駄にやってくる大学生を減らせて、無駄な助成金も本来必要なところに回して、労働力的にも全部が全部プラスになると私は考えます。それがために、最初に言ったように私は日本の大学進学率を25%くらいにまで下げるべきだと考えるのです。
本来、大学は学びを志すもののためにあるものです。しかし私の高校時代にも平然と、「大学で遊びたいから進学する」と言ってのける人間もいるように、今の状況はふざけた人を食わすために真面目な人が損をしているような状況だと思います。こうした状況を打破するために、友人の言う改革やそれに準じたものが今必要なのではないかと私も思います。
なんか、この記事の文章はえらく脈絡のない文章になってて我ながらびっくりです。まるで自分の文章に思えないほどで、疲れてるのかもしれません(;゚Д゚)
前回の記事では「無駄な大学教育コスト」を社会が負担させないようにする友人の提案を中心に解説しましたが、この記事ではそれを踏まえて私個人の考えを中心にして解説していきます。
まず、いきなり数字データですが2007年の世代別四年制大学進学率は47.2%です。率直に言って、私はこの数字を25%位まで下げたいのが本音です。
何故大学進学率を25%まで下げたいのかと言うと、前回の記事でも触れていますが、やはりあまり勉強をする気もないくせに大学に進学する大学生があまりにも多いからです。恐らくそういった方々からすれば、私大なら自分のお金で来ているから自分の買ってじゃないかと思うかもしれませんが、大学には国から助成金が出ており、私大であろうとそういった方々へも日本の税金が使われております。
はっきり言って、私も学生の頃も周りは何のために大学に来ているのかわからないような人でいっぱいでした。授業には来ないし、出てきても授業中に雑談するわ漫画を読むわで、まだ寝ているだけならともかく雑談の場合は講師の話が聞き取りづらくなるので、それだったら来るなと何度も心中に念じたことがありました。
中には、大学生活の四年間を過ごすことこそが人間の幅を広げるので何もさせずにほうっておくのが良いと言う方もいると思いますが、何もしないよりはやっぱり勉強するには越したことはないと思います。第一、何もせずに過ごす事が大事ならわざわざ大学に来る必要はないはずです。
もし大学であまり勉強する気がないというのならば、私はやっぱり就職して一旦社会に出てみることのほうがその方にとって進学するよりずっと価値が高いと思います。というのも就職することによって現場で職業訓練が行えるだけでなく、外から大学での教育についても見ることが出来、大学で勉強する意味というものがよくわかるようになると思うからです。こういうのも、実際に大学を卒業して就職をした方から卒業してからいろいろ大学で勉強してみたくなったと言う人が非常に多く、私自身こういう人を実際に数多く見ています。
もし就職しても大学で勉強する気が起きないと言うのなら、それはそれでそのままその仕事を続けた方が前回にも書いたように労働力的にも、また職業への自己研鑽という意味でも当人にとって良いように思えます。無理にやりたくない勉強をするくらいなら、今行っている仕事に精通することの方が将来的にも可能性が広がると考えるからです。
ただこういう話をすると、やはり一番ネックになるのは大卒でないと最初の就職に厳しくなるのはおろか、将来の収入も大卒者と比較して高卒者では低くなってしまうという事実です。ですがこうした状況がある限り、日本は「無駄な教育コスト」を社会が支払い続けてしまうので、前回に友人が打ち出した「職種別採用」を行い、一部の職種を「高卒限定」と枠をくくることで住み分けを行うべきだと思います。
実は友人からのメールには、前回に書いた職種別採用の項目は、「一般職は高卒採用にする」とだけしか書かれていなかったのですが、敢えて私は「高卒限定」と、限定の二文字を入れました。こうすることによって高卒者に一定の就職枠を確保することが友人の主張に沿うことになると思うのと、ある現実の事実に適合すると考えたからです。その事実というのも、地方公務員の高卒採用です。
現在、どこの地方も公務員の採用枠には雇用保全の目的で高卒枠というのが設けられています。これは高校卒業者限定で大卒者は受けることが出来ず、大体18歳から22歳の方しか採用試験に受験できない枠のことです。やはり高卒だと就職でいろいろハンデがあることから地方自治体に設けられた枠なのですが、大卒を含む通常の公務員試験より倍率や敷居が低いことから、以前には本当は大卒であるのにその履歴を黙って受験するものが後を絶たず、大阪では100人以上もそういう人が調べたら出てきたことがありました。
しかしこの高卒枠というのは考えとしては非常に面白く、また18歳から採用するにしても22歳になる頃には四年のキャリアが詰まれるので、下手な22歳で入ってくる大卒より業務において同じ年であってもずっと熟練しているはずです。実際、公務員の仕事なんて大学で何を学んだかよりは仕事をした年数の方が能率や作業内容にずっと影響するはずでしょうから、この際地方公務員には大卒は一人も入れなくても良いんじゃないかとすら思います。
という具合で、将来の収入についてはまだこれからいくらでも改革ができるため、まずは高卒での採用枠を確保することが重要だと私は考えます。こうすることによって就職のためだけと考え無駄にやってくる大学生を減らせて、無駄な助成金も本来必要なところに回して、労働力的にも全部が全部プラスになると私は考えます。それがために、最初に言ったように私は日本の大学進学率を25%くらいにまで下げるべきだと考えるのです。
本来、大学は学びを志すもののためにあるものです。しかし私の高校時代にも平然と、「大学で遊びたいから進学する」と言ってのける人間もいるように、今の状況はふざけた人を食わすために真面目な人が損をしているような状況だと思います。こうした状況を打破するために、友人の言う改革やそれに準じたものが今必要なのではないかと私も思います。
なんか、この記事の文章はえらく脈絡のない文章になってて我ながらびっくりです。まるで自分の文章に思えないほどで、疲れてるのかもしれません(;゚Д゚)
大学教育の価値とは、およびその改革法 その一
昨日友人から面白い提言があったので、今日はその点についてあれこれ煮詰めてみようと思います。久々に力のいる記事になりそうです。
まずその友人の主張している内容を大まかに言うと、日本の大学教育はほとんど「訓練」という効果を果たしておらず、実態的にも経済的にも無駄な損失となっており、それならば就職枠に「高卒採用」に限定する枠を設けてどんどん社会現場で実質的な教育と労働を行う方が社会全体に良いという意見です。
まず大学教育が効果を果たしていない点についてその友人は、教育の真の目的とは大別すると、学問に通ずるものと一般理論的な道徳の二つの知識を身につけることですが、大学全入時代と言われる日本ではほとんどの大学生は勉強を行っていないのが実体で、大学内でこういった知識は全く習得されずにいると指摘しています。
ところがこんな勉強しない大学生に対して、日本社会とその両親は受験のための予備校費用から入学後の高い学費に至るまで何百万、人によっては一千万円を越えるお金をかけて大学へ通わせます。ですがそうして大きな金額をかけたにもかかわらず、日本の大学生はそれだけの投資に見合う働きを社会人となった後にその働きで発揮しているかと言えば非常に疑問です。
たとえば今では非常に高卒の採用枠が減らされて、スーパーの店員などに代表される一般職も一応大卒でなければなかなか得辛くなっていますが、そういった一般職はわざわざ大卒者でなければ出来ない仕事ではありません。これがもし高卒の段階で採用されるというのならば、その人間が大学でかかる費用は丸々浮いてその分を別のものへの消費へと回すことが出来、また労働力と言う面でも大卒時採用の場合と比べて四年も多く働くことが出来、同様に職業訓練も四年も早まるということになります。
このように本来社会全体の価値を高めるはずの大学教育が、逆に社会全体に対して無駄遣いを行わせていると友人は主張しています。
こうした友人の意見に対して私はと言うと、実は同じような考えを以前からずっと持っていました。
私自身周りにあまりにも勉強しない学生が多くいるということに以前よりずっと腹立たしく思ってましたし、よく産官連携教育とは言いますが、実質的に大学の教育は企業現場では全く役に立たない知識が多いのは昔からです。またそうして教育を受けて得た知識に適合する職種に必ずつけるかと言ったら、今の世の中ではまず持って簡単には行かないでしょう。
もちろん大学はそのような即戦力的な知識だけを教える場ではなく、思想を広げ思考力をつけるような、友人の言を借りるなら「一般理論的な道徳」を身につける場所でもあってそういった教育を疎かにするべきではないのは当然ですが、それにしても今の大学の状況ではこういった教育すらもほとんど行われておらず、また学生の側も率先してこういった勉強を行っているとは言えないと、これについては私から断言しておきます。
こうした状況だと、友人は社会に大きな弊害があると指摘しています。その弊害というのも、企業が社員の採用において実際にどんな知識を持っているかや思考力をどれだけ持っているかを問わない上に、大卒の肩書きがなければほとんど採用を行わないために日本人は大学に行かなければならず、子供を持つ両親としても家計を圧迫するような多大な学費を払わねばならなくなります。しかしそれで大学にいく子供はというと大学ではほとんど勉強しないため、実質その学費は無駄に消えていくことになる、というような弊害です。
こういった弊害を減らすために、友人は以下の五段階の提案策も用意してくれました。
①職種の分別化
これはイギリスの制度を参考にしているらしく、職業を大まかに職種別に分別する方法です。
たとえば「管理職」、「自営業社長」、「ホワイトカラー技術系」、「ホワイトカラー事務系」、「ブルーカラー技術系」、「販売員」「掃除のおっさん」などというように職種別に分類します。なんでも、実際にイギリスは国が職業にランクをつけているそうです。
②職種別採用の実施
①で分けた職種ごとに、企業は独立した採用を行います。
例えば大企業製造業であれば、理系研究職と開発職に当たる上記の「ホワイトカラー技術系」には専門的な大学教育を受けてきた者だけを採用し、その他の設計や設置といった作業を行う「ブルーカラー技術系」には高専などの出身者に採用を限定します。また現在の日本の「文系総合職」、上記の「ホワイトカラー事務系」と「販売員」に当たるくくりの採用には採用者の半分を高卒採用に限定し、さらに一般職に至ってはすべて高卒採用に限定するようにします。
こうすることによって大半の職種の就職において大卒の肩書きが必要なくなるので、特に勉強したいからというわけではなく将来の就職のためにしょうがないから大学に行くというような無駄な教育を受ける者が減り、敢えてここで名づけるなら「無駄な教育コスト」を社会全体で大幅に削減できることになります。友人に言わせるなら、「販売員とかそういうランクの低い職に大卒を求めてはいけない」ということで、まぁいいたこともやりたいことも大体理解できる話です。
③大学の統廃合の実施
大学生自体を減らさなくてはならないので、高い教育効果の望めない大学を数的には今の半分ほどになるまで片っ端から潰していき、その大学に与えられていた国からの助成金を残った大学へと分配します。
④初等教育の充実化
予備校などの費用が大きくかかるようになった現状を踏まえ、教育業界に頼らなくても自ら勉学に励む意志があれば勉強できる環境を整え、真に勉学の志の高い人間が大学にこれるように促します。
⑤学問を学べる場所として、非選抜制の大学の設置
やる気と志がある人間に対してその意思に答える形で教育を行えるよう、恐らく欧米の社会人大学のような場所を意識しているのだと思います。こうした場所には、まずそこでの教育が社会的にも認められるもので、また個人の学問的追及の場としての機能が優先される場所であることが条件です。
と、いうのが友人の大体の考えです。それにしても、他人の考えを文章にまとめなおすのって結構手間がかかるなぁ。
最後に友人は、「学歴社会の観点から、貧乏でも学校行けるようにする」と述べており、そうした観点から今回の話を考えたのだと思います。私としてもやる気のない人間が大学に来ているというのは見ているだけでも腹立たしかったですし、病気や学費の面でなかなか大学に行きたくとも通えない人間を何人か見ているので、こうした改革をそのままやらないとしても、何かしら行わねばならないと思います。
細かい解説については予想以上にこの記事が長くなっているので、次回にまた行います。
まずその友人の主張している内容を大まかに言うと、日本の大学教育はほとんど「訓練」という効果を果たしておらず、実態的にも経済的にも無駄な損失となっており、それならば就職枠に「高卒採用」に限定する枠を設けてどんどん社会現場で実質的な教育と労働を行う方が社会全体に良いという意見です。
まず大学教育が効果を果たしていない点についてその友人は、教育の真の目的とは大別すると、学問に通ずるものと一般理論的な道徳の二つの知識を身につけることですが、大学全入時代と言われる日本ではほとんどの大学生は勉強を行っていないのが実体で、大学内でこういった知識は全く習得されずにいると指摘しています。
ところがこんな勉強しない大学生に対して、日本社会とその両親は受験のための予備校費用から入学後の高い学費に至るまで何百万、人によっては一千万円を越えるお金をかけて大学へ通わせます。ですがそうして大きな金額をかけたにもかかわらず、日本の大学生はそれだけの投資に見合う働きを社会人となった後にその働きで発揮しているかと言えば非常に疑問です。
たとえば今では非常に高卒の採用枠が減らされて、スーパーの店員などに代表される一般職も一応大卒でなければなかなか得辛くなっていますが、そういった一般職はわざわざ大卒者でなければ出来ない仕事ではありません。これがもし高卒の段階で採用されるというのならば、その人間が大学でかかる費用は丸々浮いてその分を別のものへの消費へと回すことが出来、また労働力と言う面でも大卒時採用の場合と比べて四年も多く働くことが出来、同様に職業訓練も四年も早まるということになります。
このように本来社会全体の価値を高めるはずの大学教育が、逆に社会全体に対して無駄遣いを行わせていると友人は主張しています。
こうした友人の意見に対して私はと言うと、実は同じような考えを以前からずっと持っていました。
私自身周りにあまりにも勉強しない学生が多くいるということに以前よりずっと腹立たしく思ってましたし、よく産官連携教育とは言いますが、実質的に大学の教育は企業現場では全く役に立たない知識が多いのは昔からです。またそうして教育を受けて得た知識に適合する職種に必ずつけるかと言ったら、今の世の中ではまず持って簡単には行かないでしょう。
もちろん大学はそのような即戦力的な知識だけを教える場ではなく、思想を広げ思考力をつけるような、友人の言を借りるなら「一般理論的な道徳」を身につける場所でもあってそういった教育を疎かにするべきではないのは当然ですが、それにしても今の大学の状況ではこういった教育すらもほとんど行われておらず、また学生の側も率先してこういった勉強を行っているとは言えないと、これについては私から断言しておきます。
こうした状況だと、友人は社会に大きな弊害があると指摘しています。その弊害というのも、企業が社員の採用において実際にどんな知識を持っているかや思考力をどれだけ持っているかを問わない上に、大卒の肩書きがなければほとんど採用を行わないために日本人は大学に行かなければならず、子供を持つ両親としても家計を圧迫するような多大な学費を払わねばならなくなります。しかしそれで大学にいく子供はというと大学ではほとんど勉強しないため、実質その学費は無駄に消えていくことになる、というような弊害です。
こういった弊害を減らすために、友人は以下の五段階の提案策も用意してくれました。
①職種の分別化
これはイギリスの制度を参考にしているらしく、職業を大まかに職種別に分別する方法です。
たとえば「管理職」、「自営業社長」、「ホワイトカラー技術系」、「ホワイトカラー事務系」、「ブルーカラー技術系」、「販売員」「掃除のおっさん」などというように職種別に分類します。なんでも、実際にイギリスは国が職業にランクをつけているそうです。
②職種別採用の実施
①で分けた職種ごとに、企業は独立した採用を行います。
例えば大企業製造業であれば、理系研究職と開発職に当たる上記の「ホワイトカラー技術系」には専門的な大学教育を受けてきた者だけを採用し、その他の設計や設置といった作業を行う「ブルーカラー技術系」には高専などの出身者に採用を限定します。また現在の日本の「文系総合職」、上記の「ホワイトカラー事務系」と「販売員」に当たるくくりの採用には採用者の半分を高卒採用に限定し、さらに一般職に至ってはすべて高卒採用に限定するようにします。
こうすることによって大半の職種の就職において大卒の肩書きが必要なくなるので、特に勉強したいからというわけではなく将来の就職のためにしょうがないから大学に行くというような無駄な教育を受ける者が減り、敢えてここで名づけるなら「無駄な教育コスト」を社会全体で大幅に削減できることになります。友人に言わせるなら、「販売員とかそういうランクの低い職に大卒を求めてはいけない」ということで、まぁいいたこともやりたいことも大体理解できる話です。
③大学の統廃合の実施
大学生自体を減らさなくてはならないので、高い教育効果の望めない大学を数的には今の半分ほどになるまで片っ端から潰していき、その大学に与えられていた国からの助成金を残った大学へと分配します。
④初等教育の充実化
予備校などの費用が大きくかかるようになった現状を踏まえ、教育業界に頼らなくても自ら勉学に励む意志があれば勉強できる環境を整え、真に勉学の志の高い人間が大学にこれるように促します。
⑤学問を学べる場所として、非選抜制の大学の設置
やる気と志がある人間に対してその意思に答える形で教育を行えるよう、恐らく欧米の社会人大学のような場所を意識しているのだと思います。こうした場所には、まずそこでの教育が社会的にも認められるもので、また個人の学問的追及の場としての機能が優先される場所であることが条件です。
と、いうのが友人の大体の考えです。それにしても、他人の考えを文章にまとめなおすのって結構手間がかかるなぁ。
最後に友人は、「学歴社会の観点から、貧乏でも学校行けるようにする」と述べており、そうした観点から今回の話を考えたのだと思います。私としてもやる気のない人間が大学に来ているというのは見ているだけでも腹立たしかったですし、病気や学費の面でなかなか大学に行きたくとも通えない人間を何人か見ているので、こうした改革をそのままやらないとしても、何かしら行わねばならないと思います。
細かい解説については予想以上にこの記事が長くなっているので、次回にまた行います。
2008年10月17日金曜日
夕方のアニメがなくなったことについて
私が子供の頃、月曜から金曜の五時半からはフジテレビなどでアニメが放送されていました。そのアニメというのはどれも新たに作られたものではな、基本的には再放送が順次流れ、私が覚えているのでよく見たのは「ドラゴンボール」、「シティーハンター」、「キテレツ大百科」、「ちびまるこ」、今はリニュアール版が放映されている「ヤッターマン」などでした。
そのため友達と遊んでいても、こっちのアニメの方が気になるから大体五時半くらいで解散して、アニメを見るためにいちいち家に戻っていました。しかし現在ではこの時間帯のアニメはおろか、再放送すらほとんど行われていません。私が子供だった頃は火曜の夜にもサザエさんが放映していたのですが。
こういったアニメの再放送がなくなったのは、あくまで私の予想ですが、恐らくDVDの売り上げを見込むために意図的に放送されなくなったのが事実でしょう。たとえばさっきに挙げた「ドラゴンボール」、今でこそDVDはありますが昔はもちろんありませんでした。そのため一度放送したっきりにするよりかは再放送をして、新たに視聴者となる子供を増やした方がテレビ局や集英社にとっておもちゃの販売収入が増えるため、今だと大盤振る舞いとも思えるくらいにガンガンと再放送が行われました。
ですが今だとDVDの売り上げの方が大きくなっているので、下手に再放送するくらいなら「見たい人はDVDを買ってね!」としたほうが儲けが大きくなります。逆に言うと、再放送するとそういった潜在的な購買者がDVDを買わずに再放送を見るので、売り上げが落ち込んでしまいます。恐らく、こんな感じの理由で再放送というカテゴリーは、日本の放送業界からなくなってしまったのだと思います。
これは何もアニメだけに限るわけではありません。一般のお笑い番組から過去のドラマに至るまで、今ではDVDの販売収入を当て込むために一切再放送は行われません。もし行うとしたら「踊る大走査線」のように新作映画が公開される直前に、俄かファンを獲得するために深夜などでどばっと放送するくらいでしょう。テレビ局側としたら、ただでさえ先細っている放送収入の中から少しでも収入を増やそうとする工夫のつもりなのかもしれません。
もちろんこういったテレビ局の考え方も非常に理解できます。売り上げを伸ばすためにダイヤモンドも世界で生産調整がなされて、わざと少ない量を流通させて価格を維持していると言いますし、再放送をしないといってテレビ局が悪いと言うつもりはありません。
しかし私は再放送がなくなったことについて、DVDの販売収入以上に別の損失がテレビ局にかかっているのではないかと個人的に思います。というのも最初のアニメの例だと、過去の番組の再放送をしないことによって世代の隔絶が起こり、別の見方をするとその作品に新たなファンが生まれなくなってしまいます。ファンが多ければグッズの販売収入はもとより、再放送されるが出来ればいつでも見られるようにしたいとわざわざDVDを買う人間も増える可能性があります。そして何より、その作品の続編や関連作品が出た場合は、そうして増やしてきた過去のファンの数が売り上げに大きく影響してきます。
こうしたファン数の増加に歯止めがかかるだけでなく、再放送は番組制作費の節約にもつながります。よく考えてみてください。過去の番組の再放送が本来される時間に再放送がなくなると、その時間にテレビはなにを報道するのでしょうか。言うまでもなく、新たな番組を作って放送しなくてはなりません。
現在夕方などにはこうした時間帯をニュース番組で潰していますが、明らかにどうでもいい情報の垂れ流しで、こんなのやるくらいなら昔の面白い番組を流した方が見るのにとすら思うような内容です。実際、昔は番組の制作が全時間の放送に追いつかないために再放送が活用されていました。
うちのお袋などは、昔は夕方にアニメが放映されると子供はテレビに釘付けになるので、夕食の準備をする親の側からすると子供の相手をしなくて済むので非常に助かってたと言っています。また私個人の意見としても、自分たちの子供の頃はそうやって毎日夕方にアニメが見れて非常に楽しい思いをしたのに、今の子供たちはそういったものもなく、また再放送という楽しみすらなくなったことに深く同情します。まぁこう思うのも、自分が年をとってきた証なのかもしれません。
そのため友達と遊んでいても、こっちのアニメの方が気になるから大体五時半くらいで解散して、アニメを見るためにいちいち家に戻っていました。しかし現在ではこの時間帯のアニメはおろか、再放送すらほとんど行われていません。私が子供だった頃は火曜の夜にもサザエさんが放映していたのですが。
こういったアニメの再放送がなくなったのは、あくまで私の予想ですが、恐らくDVDの売り上げを見込むために意図的に放送されなくなったのが事実でしょう。たとえばさっきに挙げた「ドラゴンボール」、今でこそDVDはありますが昔はもちろんありませんでした。そのため一度放送したっきりにするよりかは再放送をして、新たに視聴者となる子供を増やした方がテレビ局や集英社にとっておもちゃの販売収入が増えるため、今だと大盤振る舞いとも思えるくらいにガンガンと再放送が行われました。
ですが今だとDVDの売り上げの方が大きくなっているので、下手に再放送するくらいなら「見たい人はDVDを買ってね!」としたほうが儲けが大きくなります。逆に言うと、再放送するとそういった潜在的な購買者がDVDを買わずに再放送を見るので、売り上げが落ち込んでしまいます。恐らく、こんな感じの理由で再放送というカテゴリーは、日本の放送業界からなくなってしまったのだと思います。
これは何もアニメだけに限るわけではありません。一般のお笑い番組から過去のドラマに至るまで、今ではDVDの販売収入を当て込むために一切再放送は行われません。もし行うとしたら「踊る大走査線」のように新作映画が公開される直前に、俄かファンを獲得するために深夜などでどばっと放送するくらいでしょう。テレビ局側としたら、ただでさえ先細っている放送収入の中から少しでも収入を増やそうとする工夫のつもりなのかもしれません。
もちろんこういったテレビ局の考え方も非常に理解できます。売り上げを伸ばすためにダイヤモンドも世界で生産調整がなされて、わざと少ない量を流通させて価格を維持していると言いますし、再放送をしないといってテレビ局が悪いと言うつもりはありません。
しかし私は再放送がなくなったことについて、DVDの販売収入以上に別の損失がテレビ局にかかっているのではないかと個人的に思います。というのも最初のアニメの例だと、過去の番組の再放送をしないことによって世代の隔絶が起こり、別の見方をするとその作品に新たなファンが生まれなくなってしまいます。ファンが多ければグッズの販売収入はもとより、再放送されるが出来ればいつでも見られるようにしたいとわざわざDVDを買う人間も増える可能性があります。そして何より、その作品の続編や関連作品が出た場合は、そうして増やしてきた過去のファンの数が売り上げに大きく影響してきます。
こうしたファン数の増加に歯止めがかかるだけでなく、再放送は番組制作費の節約にもつながります。よく考えてみてください。過去の番組の再放送が本来される時間に再放送がなくなると、その時間にテレビはなにを報道するのでしょうか。言うまでもなく、新たな番組を作って放送しなくてはなりません。
現在夕方などにはこうした時間帯をニュース番組で潰していますが、明らかにどうでもいい情報の垂れ流しで、こんなのやるくらいなら昔の面白い番組を流した方が見るのにとすら思うような内容です。実際、昔は番組の制作が全時間の放送に追いつかないために再放送が活用されていました。
うちのお袋などは、昔は夕方にアニメが放映されると子供はテレビに釘付けになるので、夕食の準備をする親の側からすると子供の相手をしなくて済むので非常に助かってたと言っています。また私個人の意見としても、自分たちの子供の頃はそうやって毎日夕方にアニメが見れて非常に楽しい思いをしたのに、今の子供たちはそういったものもなく、また再放送という楽しみすらなくなったことに深く同情します。まぁこう思うのも、自分が年をとってきた証なのかもしれません。
2008年10月16日木曜日
民主党とマルチ商法連盟の癒着について
なんか今日も日経平均の株価が1000円以上も下がりましたね。前の記事で、「もう一回は大幅な下落がある」と言ったのが少なくとも嘘にならなくてほっとしています。これだから予想屋はやめられない。
それで本題ですが、本日午後にマルチ商法を業種とする会社の組合、「ネットワークビジネス連盟」に所属する企業、それも法律違反を犯したところから献金を受けていた民主党の前田議員が民主党を離党、そして次の選挙での不出馬宣言と、事実上の政界引退を発表しました。当初はちょっと不適切だったかもと言って献金された金額を返して議員活動を続けると主張してたがの一転、一挙に表舞台から去るまでになり、この背景にあるのはまず間違いなく選挙前ということで、民主党としてもイメージを回復するために小沢党首直々に切ったというのが事実でしょう。まぁマルチ商法の企業はほぼ間違いなく犯罪集団だし、早々に処分を下したのは民主党として悪い判断ではないのですが、先月の失言で自認した中山元国交大臣と比べると、ちょっと潔くなかったなぁと個人的に思います。
さてこれで問題が片付けば民主党にとっては願ったり叶ったりでしょうが、どうも事態はこれだけで片付くようにはならなくなってきました。昨日のニュース23にてこの問題が取り上げられた際、なかなか面白いVTRが流れてきました。
なんと民主党の国会対策委員長、非常に力のあるポストですがこのポストにいる山岡賢次議員がこのネットワークビジネス連盟の主催する会にて講演をしていたのです。しかもまずいことに、その公園の様子がビデオに残されてちゃってて、昨日のニュース23で放送までされてしまいました。
そのVTRの中で山岡議員は、この業種は非常に未来のある業種だからなどと言ってはその有用性を訴えており、TBSがこの件で何故こんな会で講演したのかという質問に対し、「こうした業界の企業だと知らなかった」と返していますが、普通に公演中に業態のことも説明しているシーンもあるので、それは明らかな嘘でしょう。それにしてもこの山岡議員、そのVTRの中で言ってるんですがあの歴史作家の山岡荘八氏の養子だったんですね。こんな姿見たら山岡荘八先生もどう思うんだろう。
正直に言って、前田議員も山岡議員も小沢党首の側近中の側近です。従来の民主党勢力と言うよりは元自由党勢力で、小沢氏の近辺でこうも事件が明るみになると民主党内でも結構問題が大きくなっていくと思います。特に山岡議員に至っては国対委員長という、自民党とも国会運営の折衝を重ねる非常に重要なポストにいるために、今日の民放のニュースではあまり取り上げられていませんでしたが、もし報道に火がついたら民主党にとって相当な大打撃になるでしょう。また前田議員のように次のの選挙で辞職を、というように仕向けることも出来ない大物ゆえに、問題が長引くことが予想されます。
ひとまず、この山岡議員の講演動画まであったので、せっかくだからリンクをつけておきます。
・民主党山岡賢次衆議院議員のマルチ商法講演会1(You Tube)
動画まであるってのにちょっと驚きました。最初はニュース記事くらいでいいかと思ってたら、記事では直接に昨日のニュース23の報道に追いかけたものがなくて逆に驚いちゃいましたけど。
それにしてもこの民主党とマルチ商法連盟の癒着ですが、前田議員の問題が明るみに出た頃から火元はどこなのかと思ってましたが、これだとやっぱりTBSなんでしょうかね。もしTBSが独自にすっぱ抜いたスクープだったら大したものですけど、やっぱり一番疑わしいのは自民党からのタレコミだと思う……と言いたいのですが、今日になってこれは確かテレビ朝日かな、夕方のニュースでまた面白いのを放映してきました。
・野田聖子消費者相もマルチ商法擁護質問(日刊スポーツ)
さすがにないかなと思ったら、もう速報が出ていました。
このリンクに貼った記事のように、なんと自民党の野田聖子消費者行政担当大臣が夕方に突然、「昔にマルチ商法を擁護する発言をやっちゃってました」って自分から言い出してきました。
この野田聖子の発言には率直に言って非常に疑問を感じます。まずこの事実は今日になって突然野田聖子自らが明かしてきましたが、野党からの質問が及んで発言するならともかく、何故言われるまで黙っていなかったのかが疑問なのですが、これは突っ込まれる前に機先を制したつもりなのかもしれません。
しかしこの野田聖子の発言は恐らく明日の朝のニュースからじわじわと大きく報道され、選挙への影響も軽くは済まないでしょう。なにせマルチ商法に関して消費者保護センターに寄せられる相談で毎年二万件を越すほどで、そんな連中を本来消費者を守るべき担当大臣が「昔、関わってました」と言い出すんですから、どれだけ世の中間違っているんだという話になります。
それにしてもこのマルチ商法ですが、サラ金と一緒で政治活動は非常に熱心だったのだと呆れさせます。今後この問題がどこまで発展するのか、またどこで終止符が打たれるのか、暇なときにでもゆっくりと観察していこうと思います。
それで本題ですが、本日午後にマルチ商法を業種とする会社の組合、「ネットワークビジネス連盟」に所属する企業、それも法律違反を犯したところから献金を受けていた民主党の前田議員が民主党を離党、そして次の選挙での不出馬宣言と、事実上の政界引退を発表しました。当初はちょっと不適切だったかもと言って献金された金額を返して議員活動を続けると主張してたがの一転、一挙に表舞台から去るまでになり、この背景にあるのはまず間違いなく選挙前ということで、民主党としてもイメージを回復するために小沢党首直々に切ったというのが事実でしょう。まぁマルチ商法の企業はほぼ間違いなく犯罪集団だし、早々に処分を下したのは民主党として悪い判断ではないのですが、先月の失言で自認した中山元国交大臣と比べると、ちょっと潔くなかったなぁと個人的に思います。
さてこれで問題が片付けば民主党にとっては願ったり叶ったりでしょうが、どうも事態はこれだけで片付くようにはならなくなってきました。昨日のニュース23にてこの問題が取り上げられた際、なかなか面白いVTRが流れてきました。
なんと民主党の国会対策委員長、非常に力のあるポストですがこのポストにいる山岡賢次議員がこのネットワークビジネス連盟の主催する会にて講演をしていたのです。しかもまずいことに、その公園の様子がビデオに残されてちゃってて、昨日のニュース23で放送までされてしまいました。
そのVTRの中で山岡議員は、この業種は非常に未来のある業種だからなどと言ってはその有用性を訴えており、TBSがこの件で何故こんな会で講演したのかという質問に対し、「こうした業界の企業だと知らなかった」と返していますが、普通に公演中に業態のことも説明しているシーンもあるので、それは明らかな嘘でしょう。それにしてもこの山岡議員、そのVTRの中で言ってるんですがあの歴史作家の山岡荘八氏の養子だったんですね。こんな姿見たら山岡荘八先生もどう思うんだろう。
正直に言って、前田議員も山岡議員も小沢党首の側近中の側近です。従来の民主党勢力と言うよりは元自由党勢力で、小沢氏の近辺でこうも事件が明るみになると民主党内でも結構問題が大きくなっていくと思います。特に山岡議員に至っては国対委員長という、自民党とも国会運営の折衝を重ねる非常に重要なポストにいるために、今日の民放のニュースではあまり取り上げられていませんでしたが、もし報道に火がついたら民主党にとって相当な大打撃になるでしょう。また前田議員のように次のの選挙で辞職を、というように仕向けることも出来ない大物ゆえに、問題が長引くことが予想されます。
ひとまず、この山岡議員の講演動画まであったので、せっかくだからリンクをつけておきます。
・民主党山岡賢次衆議院議員のマルチ商法講演会1(You Tube)
動画まであるってのにちょっと驚きました。最初はニュース記事くらいでいいかと思ってたら、記事では直接に昨日のニュース23の報道に追いかけたものがなくて逆に驚いちゃいましたけど。
それにしてもこの民主党とマルチ商法連盟の癒着ですが、前田議員の問題が明るみに出た頃から火元はどこなのかと思ってましたが、これだとやっぱりTBSなんでしょうかね。もしTBSが独自にすっぱ抜いたスクープだったら大したものですけど、やっぱり一番疑わしいのは自民党からのタレコミだと思う……と言いたいのですが、今日になってこれは確かテレビ朝日かな、夕方のニュースでまた面白いのを放映してきました。
・野田聖子消費者相もマルチ商法擁護質問(日刊スポーツ)
さすがにないかなと思ったら、もう速報が出ていました。
このリンクに貼った記事のように、なんと自民党の野田聖子消費者行政担当大臣が夕方に突然、「昔にマルチ商法を擁護する発言をやっちゃってました」って自分から言い出してきました。
この野田聖子の発言には率直に言って非常に疑問を感じます。まずこの事実は今日になって突然野田聖子自らが明かしてきましたが、野党からの質問が及んで発言するならともかく、何故言われるまで黙っていなかったのかが疑問なのですが、これは突っ込まれる前に機先を制したつもりなのかもしれません。
しかしこの野田聖子の発言は恐らく明日の朝のニュースからじわじわと大きく報道され、選挙への影響も軽くは済まないでしょう。なにせマルチ商法に関して消費者保護センターに寄せられる相談で毎年二万件を越すほどで、そんな連中を本来消費者を守るべき担当大臣が「昔、関わってました」と言い出すんですから、どれだけ世の中間違っているんだという話になります。
それにしてもこのマルチ商法ですが、サラ金と一緒で政治活動は非常に熱心だったのだと呆れさせます。今後この問題がどこまで発展するのか、またどこで終止符が打たれるのか、暇なときにでもゆっくりと観察していこうと思います。
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