失われた十年における事実整理とそれに対する私の見方だけだったこれまでの記事に対し、今回は後半のポイントとなる社会心理の話を完全私独自の考えで披露します。結論から言えば私は90年代には薄く、幅広い終末思想のようなものが存在し、それがいろいろなものと結びついて当時の独特な社会空気を作ったのではないかと考えています。
さて終末思想とくれば恐らくもう読んでいる方は察しがついているでしょうが、あの「ノストラダムスの大予言」です。これ自体については本の著者の五島勉氏の眉唾本ですが、本が出た当初は売れに売れて私が子供だった90年代初頭でも1999年には世界が滅亡するという話には相当な影響力がありました。さすがに99年を過ぎた現在ではノストラダムス自体が死語になりつつあるのですが、私がこのところ失われた十年の大部分に当たる90年代を思い起こすにつけ、このノストラダムスの予言が幅広く浸透し、意識してかしてないか当時の人たちの行動や思想に少なからず影響を与えていたのではないかと思うようになりました。
まず実際にノストラダムスの与太話が大きな行動、事件に繋がった例として、前回に解説したオウム真理教による地下鉄サリン事件です。というのもこのオウム真理教は教団内で終末思想を持っており、それに向けてあれこれ準備すると言う名目でいろんな武器や化学兵器の開発といった非合法な活動を行っており、このオウムの終末思想に影響を与えたのが前述のノストラダムスの予言だと言われております。
現実に当時、一部(大槻教授とか)から批判されだしてきた五島勉氏が1999年の世界滅亡について、「目には見えない何かによって人類は滅亡する」等と言い出し、オウムの起こしたサリン事件によって化学兵器などが俄かに一部(オカルトマニア)で注目されました。
またこのオウム事件に限らなくとも、前々回に解説した阪神大震災やバブル崩壊による戦後初めての長期不況によって日本人全体で言いようのない不安を持ち合っていたと思います。こうしたバックグラウンドの元で、日本人は「見えない不安」というものを全体で薄いながらも抱えだし、その結果改めて思うと当時限定の独特な文化が生まれていったというのが大まかな概略です。
そうして生まれた当時独特の文化、風習の一例として、私がにらんでいる一つの候補は心理学です。それまで哲学とかと並んでマイナーな学問だった心理学が俄かに脚光を浴びて、現在はどうだか知りませんが当時は絶大な偏差値を誇るほど入学希望者が殺到したブームのきっかけはハリウッド映画の「羊たちの沈黙」からですが、その映画だけでなく先ほどの終末思想に端を発するオカルト分野の盛り上がりもこのブームを後押ししていたのではないかと私は考えます。なおこの心理学ブームと並んで90年代初頭より勃興したものとして、今も続く「名探偵コナン」を代表とする推理マンガも、こうした背景の元だからこそ成立したのではないかと思います。
勘のいい人ならわかるでしょうが、心理学と推理マンガ、つまり人の心理などといった曖昧でよくわからなく、理解しづらいものが不思議と当時に流行っています。今度はこの「よくわからない」と言うものがキーワードになりますが、やっぱこっちも改めて考え直してみるとよくわからない、わかりづらい、曖昧模糊としたものほど当時は何故かいろいろ流行ってる気がします。
その方面での代表格はアニメの「エヴァンゲリオン」ですが、これなんかユング心理学、聖書(オカルト方面の)、難解なストーリーと、今私が挙げた三拍子を全部備えている優等生で、案の定90年代後半には爆発的なヒットを博して現在に至るまで製作したアニメ会社が関連商品で儲けていられるという大傑作となりました。なおこのエヴァンゲリオンがヒットした当時に発売したファイナルファンタジー7の主人公のクラウドがややメンヘラなキャラクターとなったのは、このエヴァンゲリオンのストーリーが影響したと言われています。まぁ当時はクラウドに限らなくとも、メンヘラなゲームやアニメのキャラクターが非常に多く、恥ずかしい話だけど当時の私の小説もそんなんばっかだったし。
このようにはっきりと意識しないながらも終末思想を日本人は全体で広く抱え、その影響で終末思想とやや系統の近いオカルトや心理学が人気になり、現実でも阪神大震災やオウム事件など社会を揺るがし不安に陥れる事件が連続したために、日本人の行動や思想が刹那的、自暴自棄なもの(クラウドっぽい?)へとなっていった……といったところでしょうか。この辺は後でもっと詳しく解説します。
そんでもってこうした傾向に最後の一手を入れたのが、私は97年に起きた酒鬼薔薇事件だと考えています。この事件が発生した当初、そして犯人が中学生だったということがわかった際の社会の混乱振りは私もはっきりと覚えているほどで、この混乱がどのようにその後に繋がったか一言で言うとすれば、私はやっぱりこの事件によって日本社会がそれまで持ってきた様々な規定概念のようなものすべてが崩れ落ちたのではないかと考えています。折も折で私が経済的に転換点だと述べた97年で、長らくエリートコースとされてきたいい大学に入っていい企業に就職すれば将来安泰とか、子供は社会の宝だとか、親父狩り事件に代表される子供から大人への尊敬意識といった、それまでは社会上で当たり前とされてきた規範や規定のほとんどが否定されるかなくなっていったように思えます。
その結果は、その後続く私から見れば退廃的な文化の勃興や刹那的な意識を持つ若者の増加、延々と続く自分探しといった現象の発生に繋がったのではないかと思います。今の後ろ向きな世の中も、言うなればこの97年から始まったのではないかと、私なりの提言です。次回からはこの記事で展開した話を個々に分けて解説して行き、この失われた十年の以前と以後で転換した日本の社会意識や風習を紹介していきます。
それにしても、今日は思いっきり飛ばして書いたなぁ(ノ∀`) アチャー
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年1月9日金曜日
2009年1月8日木曜日
広瀬健一氏の手紙について
たった今これより一つ前の地下鉄サリン事件の記事を書き終えたばかりですが、なんというかやっぱり凄い疲労感を感じます。予想していたことですが、内容が重いものなだけに書く側もしんどいです。読む側も大変だろうけど。
そんな風に疲労していてぶっちゃけ風呂入ってすぐに寝たいのですが、さすがにこれは先の記事と離すことの出来ない内容なだけに、伸ばし伸ばしに温めていたネタをついに今日書くことにします。その内容というのも地下鉄サリン事件の実行犯の一人、広瀬健一死刑囚(上告中)の獄中からの手紙についてです。
実は昨年末の週刊文春にて、この広瀬氏の手紙が記事にされて紹介されていました。元々はどこかの大学でカルトに引き込まれないにはどうすればいいのかを話し合う授業にて、広瀬氏の意見を聞こうと授業担当者が手紙を出したことに広瀬氏が応じたというもので、それを文春が記事にしたというわけです。
まずこの広瀬健一氏ですがオウム真理教内では科学技術省の次官という地位にあり、地下鉄サリン事件では丸の内線の電車内でサリンを放出させた実行犯で、オウム関係者の中では確か最も早く地裁で死刑判決が下され、その後の高裁でも同じ死刑で現在判決を不服として上告している最中です。
教祖の麻原死刑囚に対しては獄中にて信仰をやめ、これは上告理由にしていますが当時は麻原死刑囚のマインドコントロールを受けていたために正常な判断が出来なかったとし、現在では教団とは決別した態度を見せています。
それで広瀬氏からの手紙の中身ですが、まず最初に語られたのは人生に疑問を持ったことについてでした。なんでも広瀬氏が高校生だったある日に家電屋の前を通った時、店頭で売られている家電が安く値下げされたのを見て、この世の中のものの価値というのはどれだけ希薄なのだろう、少し時間が経ってしまえばたちどころに失われてしまうと考え、それ以降人生そのものに価値が見出せなくなったそうです。そのため大学ではなるべく価値が不変である物理学を専攻するようになり、早稲田大学の大学院にて当時の指導者に、「あのまま研究で残っていれば世界に大きな功績を残した」といわれるほどの成果をだすなど、その秀才ぶりは当時から郡を抜いていたそうです。
その広瀬氏がどのようにオウムと関わるようになったかというと、書店にてオウムの出版している本をある日手にとり読み終えたその晩、広瀬氏が言うには体内で火山が噴火、爆発するような神秘的体験を体験したそうです。これについては広瀬氏も他人にうまく表現して伝えられないといっており、恐らく自己暗示的な急激な気分の高揚か何かがあったのだと思います。その体験を経て広瀬氏はオウムの言っている事は本当だと信じ、教団に入信するに至ったそうです。
なお広瀬氏を診察した精神科医によると広瀬氏は暗示にかかりやすい体質の人間であるらしく、この入信への過程はそうしたことも影響したのではないかと言われております。
その後広瀬氏は持ち前の物理知識を武器に教団内で地位を向上して行き、サリンの製造などオウムの非合法な活動にも手を染めて行きます。そうしてあの地下鉄サリン事件にも実行犯として関わることとなりました。
この地下鉄サリン事件に対して広瀬氏は被害者の方には本当に申し訳ないことをしたと思っていると手紙にて訴え、実行前にためらいがあったかについてはあったと肯定をしています。しかしそれでも何故実行したかというと、これは他の事件でも同様ですがオウムで人を殺害することを「ポア」すると言い、これは現世で悪業を重ねるようになってしまった人間がそのまま生き続けると死後もその業を解消するために苦しまねばならなくなるため、罪が軽いうちにこの世からあの世へ送ることでその殺害相手を救ってやるのだというように殺害を正当化していました。事件当時の広瀬氏は教団、もとい麻原死刑囚の言うことすべてが真理だと信じ、そのためこのサリンによる大量殺人も必然ある行動と受け取り実行したそうです。
もっともそうした救済のための殺害でも罪業(カルマ)を重ねる行為に当たるとされ、事件実行後に広瀬氏が自らもサリンの影響を受けてひざを崩した際、自らへの罰だと感じたそうです。
その後逮捕によってオウムから離れ、現在では前述の通りに過去の自分の過ちを大いに悔いていると手紙にはつづられています。そしてカルトに取り込まれないためにはどうすればいいかということで広瀬氏は、個人の考えを根本から否定してひたすら教祖に従えというような集団を信じてはいけないと答えています。たとえどんな人間にも人権もあれば思考もあり、それをすべて否定するのは絶対的に間違っているといい、そうした集団に入って自分のようなことだけは絶対にしてはいけないと伝えています。
こうした広瀬氏の手紙を受けてその授業の学生は、これまでカルトというのは自分とは遠い存在だと思っていたが、新ためて身近に潜んでいるものなのだということを再認識したなどといった反応が返ってきたそうで、こうした学生の反応を広瀬氏に伝えると、今の学生は地下鉄サリン事件当時は小学生のような子供たちで事件への実感も薄いだろうから自分の声も一笑に付されると思っていただけに、きちんと受け止められたことに驚いたとまた答えています。
私自身の感想としては広瀬氏が最初に述べている、「この世の希薄さ」という話に深く考えさせられました。友人などはこの世のものすべてに価値などないとはっきりと割り切っていますが、私自身はそれでも人間が生きていく上で追い求めるべき価値はあると信じていますが、時折広瀬氏のように何もすべて意味がないのではとやる気が急激に失われていくようなことが起こります。そうした虚無感とも言うべき緩衝にカルトはつけ込んでくるのだろうと、改めて広瀬氏の手紙で認識するようになりました。
そんな風に疲労していてぶっちゃけ風呂入ってすぐに寝たいのですが、さすがにこれは先の記事と離すことの出来ない内容なだけに、伸ばし伸ばしに温めていたネタをついに今日書くことにします。その内容というのも地下鉄サリン事件の実行犯の一人、広瀬健一死刑囚(上告中)の獄中からの手紙についてです。
実は昨年末の週刊文春にて、この広瀬氏の手紙が記事にされて紹介されていました。元々はどこかの大学でカルトに引き込まれないにはどうすればいいのかを話し合う授業にて、広瀬氏の意見を聞こうと授業担当者が手紙を出したことに広瀬氏が応じたというもので、それを文春が記事にしたというわけです。
まずこの広瀬健一氏ですがオウム真理教内では科学技術省の次官という地位にあり、地下鉄サリン事件では丸の内線の電車内でサリンを放出させた実行犯で、オウム関係者の中では確か最も早く地裁で死刑判決が下され、その後の高裁でも同じ死刑で現在判決を不服として上告している最中です。
教祖の麻原死刑囚に対しては獄中にて信仰をやめ、これは上告理由にしていますが当時は麻原死刑囚のマインドコントロールを受けていたために正常な判断が出来なかったとし、現在では教団とは決別した態度を見せています。
それで広瀬氏からの手紙の中身ですが、まず最初に語られたのは人生に疑問を持ったことについてでした。なんでも広瀬氏が高校生だったある日に家電屋の前を通った時、店頭で売られている家電が安く値下げされたのを見て、この世の中のものの価値というのはどれだけ希薄なのだろう、少し時間が経ってしまえばたちどころに失われてしまうと考え、それ以降人生そのものに価値が見出せなくなったそうです。そのため大学ではなるべく価値が不変である物理学を専攻するようになり、早稲田大学の大学院にて当時の指導者に、「あのまま研究で残っていれば世界に大きな功績を残した」といわれるほどの成果をだすなど、その秀才ぶりは当時から郡を抜いていたそうです。
その広瀬氏がどのようにオウムと関わるようになったかというと、書店にてオウムの出版している本をある日手にとり読み終えたその晩、広瀬氏が言うには体内で火山が噴火、爆発するような神秘的体験を体験したそうです。これについては広瀬氏も他人にうまく表現して伝えられないといっており、恐らく自己暗示的な急激な気分の高揚か何かがあったのだと思います。その体験を経て広瀬氏はオウムの言っている事は本当だと信じ、教団に入信するに至ったそうです。
なお広瀬氏を診察した精神科医によると広瀬氏は暗示にかかりやすい体質の人間であるらしく、この入信への過程はそうしたことも影響したのではないかと言われております。
その後広瀬氏は持ち前の物理知識を武器に教団内で地位を向上して行き、サリンの製造などオウムの非合法な活動にも手を染めて行きます。そうしてあの地下鉄サリン事件にも実行犯として関わることとなりました。
この地下鉄サリン事件に対して広瀬氏は被害者の方には本当に申し訳ないことをしたと思っていると手紙にて訴え、実行前にためらいがあったかについてはあったと肯定をしています。しかしそれでも何故実行したかというと、これは他の事件でも同様ですがオウムで人を殺害することを「ポア」すると言い、これは現世で悪業を重ねるようになってしまった人間がそのまま生き続けると死後もその業を解消するために苦しまねばならなくなるため、罪が軽いうちにこの世からあの世へ送ることでその殺害相手を救ってやるのだというように殺害を正当化していました。事件当時の広瀬氏は教団、もとい麻原死刑囚の言うことすべてが真理だと信じ、そのためこのサリンによる大量殺人も必然ある行動と受け取り実行したそうです。
もっともそうした救済のための殺害でも罪業(カルマ)を重ねる行為に当たるとされ、事件実行後に広瀬氏が自らもサリンの影響を受けてひざを崩した際、自らへの罰だと感じたそうです。
その後逮捕によってオウムから離れ、現在では前述の通りに過去の自分の過ちを大いに悔いていると手紙にはつづられています。そしてカルトに取り込まれないためにはどうすればいいかということで広瀬氏は、個人の考えを根本から否定してひたすら教祖に従えというような集団を信じてはいけないと答えています。たとえどんな人間にも人権もあれば思考もあり、それをすべて否定するのは絶対的に間違っているといい、そうした集団に入って自分のようなことだけは絶対にしてはいけないと伝えています。
こうした広瀬氏の手紙を受けてその授業の学生は、これまでカルトというのは自分とは遠い存在だと思っていたが、新ためて身近に潜んでいるものなのだということを再認識したなどといった反応が返ってきたそうで、こうした学生の反応を広瀬氏に伝えると、今の学生は地下鉄サリン事件当時は小学生のような子供たちで事件への実感も薄いだろうから自分の声も一笑に付されると思っていただけに、きちんと受け止められたことに驚いたとまた答えています。
私自身の感想としては広瀬氏が最初に述べている、「この世の希薄さ」という話に深く考えさせられました。友人などはこの世のものすべてに価値などないとはっきりと割り切っていますが、私自身はそれでも人間が生きていく上で追い求めるべき価値はあると信じていますが、時折広瀬氏のように何もすべて意味がないのではとやる気が急激に失われていくようなことが起こります。そうした虚無感とも言うべき緩衝にカルトはつけ込んでくるのだろうと、改めて広瀬氏の手紙で認識するようになりました。
失われた十年とは~その十八、地下鉄サリン事件~
前回では95年に起きた阪神大震災について解説しましたが、今回は同年に起こった日本史上最大の犯罪事件であり世界初のバイオテロ事件である地下鉄サリン事件についていろいろ書きます。書く前から武者震いがしてきますが、以前に書いた紅衛兵の記事以来で久しぶりな感覚です。
95年3月、都内の各地下鉄路線上にてオウム真理教の教徒たちによって有機リン系猛毒ガスのサリンがばら撒かれました。この事件をオウムが起こした原因として現在挙げられているのは、この事件の直前に別の事件によって警察の教団への強制捜査が行われることが予定されており、その捜査に抵抗する形で警察や権力層の混乱をはかろうとしたのが動機だったそうです。事実、この事件の十日後には当時の警察庁長官の国松氏が狙撃され、これもオウムによる犯行と近年断定されたことから警察機関のかく乱という先ほどの動機には私も非常に納得できます。
そうして行われたこの地下鉄サリン事件ですが、実行方法は液状のサリンが入った袋を電車を脱出する直前に傘でつついて穴を空けて脱出するという方法が取られ、各路線内でお茶の水や霞ヶ関といった主要駅で実行されました。この方法の特徴として、走る電車内で毒ガスをばら撒くといった手法がまず目に付きます。この方法だとサリンが放出された当初は何も知らないまま電車は走り続けることにより、サリンの毒が駅から駅へと運搬されていくだけでなく車内に残された人たちも満員電車の中で脱出することも出来なく、更にはどこでサリンが封切られたのか実行犯の特定を難しくさせるという特徴もあり、非常によく練られた計画だと言わざるを得ません。
最終的にこの事件での被害者は12人が死亡し、5510人の方が重軽傷を負われたとのことで、生き残った方も今でも様々な障害に悩まされる方が数多くおられるそうです。これはつい最近になって法案が通った話ですが、こうしたオウム事件での被害者に対してオウム(現アレフ)が弁済額を支払う資金がないために事実上放置されてきた被害者救済に国の資金を充てるように、確か先月になって本当にやっと決まりました。逆を言うとこれまでは障害をおって入院しててもその費用は自己負担で、この点について国は事件の重大さや深刻さからもっと早くに救済に動くべきだったでしょう。定額給付金も、こうした犯罪被害者にもっと使えばいいのに。
さてこの地下鉄サリン事件ですが、冒頭でも述べたようにこの事件は世界で初の化学兵器が使用されたバイオテロ事件で、しかも都市部の中枢部、更に言えば地下鉄といった公共機関で使用されるというこれ以上ない程の最悪の条件で起きております。そのためこの事件は世界各国でテロ対策における重要な事実例として使われ、恐らくどの国でもこの地下鉄サリン事件を材料にしてテロ対策を作っているでしょう。なおこの後に確認されているバイオテロの実例というと9.11後にアメリカで起こった炭素菌事件が挙げられますが、実はオウムもこれ以前に炭素菌の生成、使用を試みていますがこれには失敗に終わっております。それにしても炭素菌の生成を行おうとしていたという点を鑑みれば、当時のオウムがどれだけ効力のある毒物に熟知していたかが窺えてきます。ついでに書くと、この炭素菌については事件後に世間を騒がせた上祐現ひかりの輪代表も関わっていたそうです。
話は戻りそんな最悪の状況下かつ、よく練られた計画の上で行われたこの地下鉄サリン事件ですが、その被害は最初に挙げた膨大な数の被害者を出すなど非常に甚大でありました。しかしこの被害者数は事件の実態と比べると驚くべきほど小さい被害で済んでいると言われており、その陰には現場の方々の様々な努力があったとされています。この辺はウィキペディアの項目を私の言葉でなぞるだけなので、興味がおありの方は是非そちらもご参照ください。
まず特筆すべきは医療機関の聖路加国際病院で、事件が発生するや直ちに外来の診察を取りやめて当時医院長で今もなお現役の日野原重明氏の指示により無制限の被害者受け入れを行い、医療救助活動の拠点となりました。ちなみにこの聖路加国際病院が何故あれほど大量の被害者を受け入れられたかというと、日野原氏が戦前の東京大空襲時の経験からいつでも大量の急患を受け入れられるよう常日頃から対策を行っており、果てにはチャペルまで状況に応じて病棟に変えられる設計を行っていたそうで、一部では老人の心配性とまで揶揄されていたそうですがこの事件時には日野原氏のそれらの対策が大いに生きました。
また治療に使うPAMという薬品は常備数が当時は非常に少ない薬品であったため、使用ガスがサリンと特定されるや製薬会社の方たちが他地域で直ちに集め、新幹線にて片っ端から運んでは駅で同じ会社員が待ちうけどんどんと病院へ運んでいったそうです。さらに使用ガスの特定については、信州大学の柳沢信夫教授がテレビの報道を見て松本サリン事件の被害者の症状が酷似していることから治療法や対策を直ちに東京の各病院にファックスしたことにより、先ほどの薬品の確保、輸送へとつながったそうです。
そして汚染された現場に対しては、先の阪神大震災でも活躍した自衛隊の、それも一番不必要だといわれ続けた化学系の専門部隊がなんと事件発生から29分後という素早さで出動し、現場の除染と被害者の救助活動を行っております。
しかし救助面で唯一悲劇だったのは、こうした毒物への対策のない最も現場に近い警察官や駅員の方たちの犠牲です。彼らは防護服はもちろん対策すら知らない中で被害者の救助活動を勤め、幾人かの被害者は彼ら救助活動者の中から出ております。彼らの勇気と行動に私は今でも敬意の念を忘れてはいません。
こうした各分野の方々の努力もあり、実際の現場では数多くの人たちが命を救われていったそうです。それでもこの事件の傷跡は深く、障害の残った方やPTSDを発症した方たちが今も残り、十年以上たった今でも私自身がこの事件を鮮明に記憶に残しております。
この事件の帰結としてはかねてより関与の疑いのあったオウムへの強制捜査が事件二日後に行われ、関係者の自供などもあって詳細が明らかになり、教祖の麻原死刑確定囚の逮捕へとつながっていきます。また捜査が始まって以降は猛烈な報道合戦が行われ、これ以前の松本サリン事件と合わせて様々な問題が明らかにされていきました。特にこうしたカルト宗教に何故サリンの製造が行えるまでのトップクラスな秀才らが集まったのかが当時の若者の思想や生き方と合わせて様々に議論されましたが、私はこの点について今だからこそ再び議論を始めるべきだと思っております。ちょっとこの次の記事でその辺について書きますが。
この事件が与えた日本全体への影響はすさまじく、刑法や死刑問題などこれ以前と以後で一気にひっくり返ったのではないかと私は思い、事実これ以降刑法は厳罰化の一途を辿っております。
私としては社会全体の意識に与えた影響を大きく捉えており、前回の阪神大震災といい、次回にて解説する「90年代の終末思想」に強く影響を与えた事件だと考えております。この連載の最初の方に書いたように経済や政治的には97年が大きな転換点に当たる年だとすると、社会面ではこの95年が一つの転換点にあたる年に当たると思います。何が具体的に転換したかというと、それはやっぱり「平和」でしょうか。
95年3月、都内の各地下鉄路線上にてオウム真理教の教徒たちによって有機リン系猛毒ガスのサリンがばら撒かれました。この事件をオウムが起こした原因として現在挙げられているのは、この事件の直前に別の事件によって警察の教団への強制捜査が行われることが予定されており、その捜査に抵抗する形で警察や権力層の混乱をはかろうとしたのが動機だったそうです。事実、この事件の十日後には当時の警察庁長官の国松氏が狙撃され、これもオウムによる犯行と近年断定されたことから警察機関のかく乱という先ほどの動機には私も非常に納得できます。
そうして行われたこの地下鉄サリン事件ですが、実行方法は液状のサリンが入った袋を電車を脱出する直前に傘でつついて穴を空けて脱出するという方法が取られ、各路線内でお茶の水や霞ヶ関といった主要駅で実行されました。この方法の特徴として、走る電車内で毒ガスをばら撒くといった手法がまず目に付きます。この方法だとサリンが放出された当初は何も知らないまま電車は走り続けることにより、サリンの毒が駅から駅へと運搬されていくだけでなく車内に残された人たちも満員電車の中で脱出することも出来なく、更にはどこでサリンが封切られたのか実行犯の特定を難しくさせるという特徴もあり、非常によく練られた計画だと言わざるを得ません。
最終的にこの事件での被害者は12人が死亡し、5510人の方が重軽傷を負われたとのことで、生き残った方も今でも様々な障害に悩まされる方が数多くおられるそうです。これはつい最近になって法案が通った話ですが、こうしたオウム事件での被害者に対してオウム(現アレフ)が弁済額を支払う資金がないために事実上放置されてきた被害者救済に国の資金を充てるように、確か先月になって本当にやっと決まりました。逆を言うとこれまでは障害をおって入院しててもその費用は自己負担で、この点について国は事件の重大さや深刻さからもっと早くに救済に動くべきだったでしょう。定額給付金も、こうした犯罪被害者にもっと使えばいいのに。
さてこの地下鉄サリン事件ですが、冒頭でも述べたようにこの事件は世界で初の化学兵器が使用されたバイオテロ事件で、しかも都市部の中枢部、更に言えば地下鉄といった公共機関で使用されるというこれ以上ない程の最悪の条件で起きております。そのためこの事件は世界各国でテロ対策における重要な事実例として使われ、恐らくどの国でもこの地下鉄サリン事件を材料にしてテロ対策を作っているでしょう。なおこの後に確認されているバイオテロの実例というと9.11後にアメリカで起こった炭素菌事件が挙げられますが、実はオウムもこれ以前に炭素菌の生成、使用を試みていますがこれには失敗に終わっております。それにしても炭素菌の生成を行おうとしていたという点を鑑みれば、当時のオウムがどれだけ効力のある毒物に熟知していたかが窺えてきます。ついでに書くと、この炭素菌については事件後に世間を騒がせた上祐現ひかりの輪代表も関わっていたそうです。
話は戻りそんな最悪の状況下かつ、よく練られた計画の上で行われたこの地下鉄サリン事件ですが、その被害は最初に挙げた膨大な数の被害者を出すなど非常に甚大でありました。しかしこの被害者数は事件の実態と比べると驚くべきほど小さい被害で済んでいると言われており、その陰には現場の方々の様々な努力があったとされています。この辺はウィキペディアの項目を私の言葉でなぞるだけなので、興味がおありの方は是非そちらもご参照ください。
まず特筆すべきは医療機関の聖路加国際病院で、事件が発生するや直ちに外来の診察を取りやめて当時医院長で今もなお現役の日野原重明氏の指示により無制限の被害者受け入れを行い、医療救助活動の拠点となりました。ちなみにこの聖路加国際病院が何故あれほど大量の被害者を受け入れられたかというと、日野原氏が戦前の東京大空襲時の経験からいつでも大量の急患を受け入れられるよう常日頃から対策を行っており、果てにはチャペルまで状況に応じて病棟に変えられる設計を行っていたそうで、一部では老人の心配性とまで揶揄されていたそうですがこの事件時には日野原氏のそれらの対策が大いに生きました。
また治療に使うPAMという薬品は常備数が当時は非常に少ない薬品であったため、使用ガスがサリンと特定されるや製薬会社の方たちが他地域で直ちに集め、新幹線にて片っ端から運んでは駅で同じ会社員が待ちうけどんどんと病院へ運んでいったそうです。さらに使用ガスの特定については、信州大学の柳沢信夫教授がテレビの報道を見て松本サリン事件の被害者の症状が酷似していることから治療法や対策を直ちに東京の各病院にファックスしたことにより、先ほどの薬品の確保、輸送へとつながったそうです。
そして汚染された現場に対しては、先の阪神大震災でも活躍した自衛隊の、それも一番不必要だといわれ続けた化学系の専門部隊がなんと事件発生から29分後という素早さで出動し、現場の除染と被害者の救助活動を行っております。
しかし救助面で唯一悲劇だったのは、こうした毒物への対策のない最も現場に近い警察官や駅員の方たちの犠牲です。彼らは防護服はもちろん対策すら知らない中で被害者の救助活動を勤め、幾人かの被害者は彼ら救助活動者の中から出ております。彼らの勇気と行動に私は今でも敬意の念を忘れてはいません。
こうした各分野の方々の努力もあり、実際の現場では数多くの人たちが命を救われていったそうです。それでもこの事件の傷跡は深く、障害の残った方やPTSDを発症した方たちが今も残り、十年以上たった今でも私自身がこの事件を鮮明に記憶に残しております。
この事件の帰結としてはかねてより関与の疑いのあったオウムへの強制捜査が事件二日後に行われ、関係者の自供などもあって詳細が明らかになり、教祖の麻原死刑確定囚の逮捕へとつながっていきます。また捜査が始まって以降は猛烈な報道合戦が行われ、これ以前の松本サリン事件と合わせて様々な問題が明らかにされていきました。特にこうしたカルト宗教に何故サリンの製造が行えるまでのトップクラスな秀才らが集まったのかが当時の若者の思想や生き方と合わせて様々に議論されましたが、私はこの点について今だからこそ再び議論を始めるべきだと思っております。ちょっとこの次の記事でその辺について書きますが。
この事件が与えた日本全体への影響はすさまじく、刑法や死刑問題などこれ以前と以後で一気にひっくり返ったのではないかと私は思い、事実これ以降刑法は厳罰化の一途を辿っております。
私としては社会全体の意識に与えた影響を大きく捉えており、前回の阪神大震災といい、次回にて解説する「90年代の終末思想」に強く影響を与えた事件だと考えております。この連載の最初の方に書いたように経済や政治的には97年が大きな転換点に当たる年だとすると、社会面ではこの95年が一つの転換点にあたる年に当たると思います。何が具体的に転換したかというと、それはやっぱり「平和」でしょうか。
2009年1月7日水曜日
失われた十年とは~その十七、阪神大震災~
この連載も既に開始から三ヶ月近くたっていますが、そろそろスパートかけて一気に終わらせにかかろうと思います。大分自分の中で今後の話の整理もついてきたし。
さて失われた十年の間で最も大きな災害というと、それは間違いなく今回のお題となっている阪神大震災においてほかはないでしょう。元々この地震は官公庁が当初は兵庫県南部地震と読んだのですが、メディアなどで阪神大震災という関東大震災にかけたこの名前が浸透するにしたがって、いつの間にか国の方でも正式名称にするようになったちょっと変わった経緯を持っています。
それでこの地震の被害の規模ですが、戦後としては最大規模の被害となり、経済面ではただでさえバブル以前に投機的な投資が他地域より多く行われたために崩壊後の不景気に悩まされていた関西地域がこれで止めを刺される形となって、去年までは全国的に羽振りがいいといわれる中で関西地域だけは未だにずっと深刻な不景気に悩まされ続け、世界景気が悪化した現在に至っては更に問題が大きくなっているといわれています。
企業単位では関西地域に本拠地を持っていた企業はこの地震で軒並み大打撃を受けることとなり、それ以前からも凋落していたダイエーが本格的に経営に行き詰るようになったのも、関西を本拠地として大型店を多数抱えていたものの地震によっていくつか倒壊してしまったことが原因だと言われています。
逆に見事に復活した稀有な例として神戸製鋼の例があります。この辺はプロジェクトXでも取り上げられていましたが、大量の溶かした鉄が入っていた炉の火が地震によって消えてしまい、炉の中に大量の鉄が固まって再建は不可能と言われながらも見事に炉を炊きなおし事業再開にこぎつけています。
こうした経済的な被害はもとより人的被害も四桁にも及ぶ死者数を出し、人生を一変させられた人も数多くいたことでしょう。特に災害時が一月だったことから、大学受験を控えた方などは同時どのように対応したのか考えるだけに重苦しい気持ちになります。もっともこの一月という時期は救助や支援においては比較的めぐまれていた時期で、食料などの支援物資が腐敗することは避けられました。一説によると、もし地震が夏場に起きていたら感染病などが起きるなど二次被害がずっと深刻になったといわれています。
またこうしたことから大規模な救助活動が行わたため、この時期を境に日本の救助、救援活動というものは各方面で大きく見直されることとなりました。まず代表的なのは消防車のホースで、それまでホースの口の規格が各県でバラバラにされており、応援に駆けつけた近隣の都道府県の消防車がなかなか現地で水を放水できなかったという反省から、現在では全国でこの規格が統一されております。そしてこうした救急隊と共に、救助活動で大きく世間の見方を変えたのが自衛隊でした。
私などは当時はまだちっちゃな子供でしたが、やはり子供心に自衛隊は戦争のための軍隊で、日本に本当に必要か疑問を感じていました。しかしこの阪神大震災時の救援活動を見ることにより、自守自衛のためよりこうした大規模災害のために自衛隊は必要なのだと思うようになり、世間一般でも阪神大震災をきっかけに自衛隊への感情を好転させております。
なおこの自衛隊の出動についてですが、震災当時は出動が遅れたために助けられた被害者を助けられなかったとして、当時社会党出身であった村山富一元首相がそのスタンスゆえに出動をためらったのだとして一気に批判が起こりましたが、これは以前の記事でも書きましたがあの一党独裁の中国でさえ去年の四川大地震で人民解放軍が思うように救助活動が出来なかったことを見るにつけ、当時の村山元首相の側近が言っている様に前例のない事態ゆえに村山元首相でなくとも迅速な対応は不可能だったのではと私も思うようになりました。ちょっと前まで激しくこの件で私は村山元首相を批判していましたが、今では逆に擁護する立場に回っております。
もちろんこの時の反省は強く生かされ、現在では各方面の災害救助において日本の自衛隊は出動面での法整備が整えられ、またこの方面で訓練を専門的に行うことで世界でもトップクラスの能力を持つに至っております。私の専門の社会学の中の一分野である災害社会学では、広義で戦争も災害として分類しております。そういう意味でこの際、自衛隊という名前はやめて「国際災害救助隊」という名前にするのもよいのではないかと思っています。PKOとかもあるんだし。
それにしてもこの阪神大震災が起きた95年というのは非常にめまぐるしく事件が起きた年であります。もうあまり記憶していない方が多いかもしれませんが、実はこの年に世界初のバイオテロこと、あの忌まわしい地下鉄サリン事件が起きています。次回はこの地下鉄サリン事件とオウム真理教について解説すると共に、この時代の風潮といった話へつなげていこうと思います。
さて失われた十年の間で最も大きな災害というと、それは間違いなく今回のお題となっている阪神大震災においてほかはないでしょう。元々この地震は官公庁が当初は兵庫県南部地震と読んだのですが、メディアなどで阪神大震災という関東大震災にかけたこの名前が浸透するにしたがって、いつの間にか国の方でも正式名称にするようになったちょっと変わった経緯を持っています。
それでこの地震の被害の規模ですが、戦後としては最大規模の被害となり、経済面ではただでさえバブル以前に投機的な投資が他地域より多く行われたために崩壊後の不景気に悩まされていた関西地域がこれで止めを刺される形となって、去年までは全国的に羽振りがいいといわれる中で関西地域だけは未だにずっと深刻な不景気に悩まされ続け、世界景気が悪化した現在に至っては更に問題が大きくなっているといわれています。
企業単位では関西地域に本拠地を持っていた企業はこの地震で軒並み大打撃を受けることとなり、それ以前からも凋落していたダイエーが本格的に経営に行き詰るようになったのも、関西を本拠地として大型店を多数抱えていたものの地震によっていくつか倒壊してしまったことが原因だと言われています。
逆に見事に復活した稀有な例として神戸製鋼の例があります。この辺はプロジェクトXでも取り上げられていましたが、大量の溶かした鉄が入っていた炉の火が地震によって消えてしまい、炉の中に大量の鉄が固まって再建は不可能と言われながらも見事に炉を炊きなおし事業再開にこぎつけています。
こうした経済的な被害はもとより人的被害も四桁にも及ぶ死者数を出し、人生を一変させられた人も数多くいたことでしょう。特に災害時が一月だったことから、大学受験を控えた方などは同時どのように対応したのか考えるだけに重苦しい気持ちになります。もっともこの一月という時期は救助や支援においては比較的めぐまれていた時期で、食料などの支援物資が腐敗することは避けられました。一説によると、もし地震が夏場に起きていたら感染病などが起きるなど二次被害がずっと深刻になったといわれています。
またこうしたことから大規模な救助活動が行わたため、この時期を境に日本の救助、救援活動というものは各方面で大きく見直されることとなりました。まず代表的なのは消防車のホースで、それまでホースの口の規格が各県でバラバラにされており、応援に駆けつけた近隣の都道府県の消防車がなかなか現地で水を放水できなかったという反省から、現在では全国でこの規格が統一されております。そしてこうした救急隊と共に、救助活動で大きく世間の見方を変えたのが自衛隊でした。
私などは当時はまだちっちゃな子供でしたが、やはり子供心に自衛隊は戦争のための軍隊で、日本に本当に必要か疑問を感じていました。しかしこの阪神大震災時の救援活動を見ることにより、自守自衛のためよりこうした大規模災害のために自衛隊は必要なのだと思うようになり、世間一般でも阪神大震災をきっかけに自衛隊への感情を好転させております。
なおこの自衛隊の出動についてですが、震災当時は出動が遅れたために助けられた被害者を助けられなかったとして、当時社会党出身であった村山富一元首相がそのスタンスゆえに出動をためらったのだとして一気に批判が起こりましたが、これは以前の記事でも書きましたがあの一党独裁の中国でさえ去年の四川大地震で人民解放軍が思うように救助活動が出来なかったことを見るにつけ、当時の村山元首相の側近が言っている様に前例のない事態ゆえに村山元首相でなくとも迅速な対応は不可能だったのではと私も思うようになりました。ちょっと前まで激しくこの件で私は村山元首相を批判していましたが、今では逆に擁護する立場に回っております。
もちろんこの時の反省は強く生かされ、現在では各方面の災害救助において日本の自衛隊は出動面での法整備が整えられ、またこの方面で訓練を専門的に行うことで世界でもトップクラスの能力を持つに至っております。私の専門の社会学の中の一分野である災害社会学では、広義で戦争も災害として分類しております。そういう意味でこの際、自衛隊という名前はやめて「国際災害救助隊」という名前にするのもよいのではないかと思っています。PKOとかもあるんだし。
それにしてもこの阪神大震災が起きた95年というのは非常にめまぐるしく事件が起きた年であります。もうあまり記憶していない方が多いかもしれませんが、実はこの年に世界初のバイオテロこと、あの忌まわしい地下鉄サリン事件が起きています。次回はこの地下鉄サリン事件とオウム真理教について解説すると共に、この時代の風潮といった話へつなげていこうと思います。
2009年1月6日火曜日
ウェッジウッドとウィッタード
あんまり大きなニュースになっていませんが、イギリスの老舗陶器メーカーのウェッジウッドが破産したそうです。さらにこのちょっと前にはウィッタードという、日本人にはあまりなじみがないかもしれませんが紅茶とコーヒーを売ってる同じくイギリスの老舗も潰れてしまいました。実は私はここで言うのもなんですが相当な紅茶マニアで、ロンドンに滞在中はウェッジウッドはともかくとしてウィッタードには足しげく通って今でもここのカップを持っています。ちなみに、そのカップは某K君がやけに気に入ってうちに来るたびにそのカップの使用を要求してきました。
ウェッジウッドはうちのお袋が焼き物を集めるのが趣味でここのカップも家の中に数多くあり、私も折に触れては取り出して使っています。やっぱりこういう茶器製品などは値の張るものは張るだけあって、使っていて持ちやすかったり飲み易かったりする上、雰囲気によるものかもしれまえんがいつもよりお茶もおいしくいただけるような気がします。それだけに先の二社の破綻は私にとって非常にショックで、残る英国老舗のフォートナムメイスンはこのまま残り続けられるのか早くも心配をしています。
その一方で、現在日本の焼き物産業もどこも苦しいそうです。原因は私のように若い癖して焼き物に金使う人間が減ったのとプラスチックによる大量生産品の食器が増えたことですが、こうして衰退していく焼き物業界について私の恩師が昔に、どこかは忘れましたが瀬戸や伊万里に負けないほど有名な焼き物の産地があったそうですが、そこもご多分に漏れず経営が苦しくなってある時、思い切って質を下げる代わりに量を売る方針に切り替えたそうです。そうして一時はよくなったものの、現在はその産地ごと焼き物産業はなくなったらしく、恩師はこの事例から、たとえどれだけ経営に苦しくなっても質を下げてしまえばいつか自滅していくことになると私に教えてくれました。
これと似た例として、一度財務破綻した吉野家がコスト削減のために牛肉の質を落としたところ、経営指導のために銀行から派遣された人が従業員らがやる気をなくしているのを見て尋ねたところ、やはり牛肉の質の低下による牛丼の味の劣化に納得いかないとのことで、やむなくコスト度外視でまた元の質の牛肉に切り替え、その後見事に復活を果たしたという話があります。なお吉野家はこの時の経験から、かつてのBSE騒動の際に他の牛丼チェーンがオーストラリア産牛肉に切り替えて牛丼を続々と復活させる中、質の劣化を起こすとしてアメリカ産牛肉にとことんこだわってその動きに乗りませんでした。
この時は私も、吉野家はいくらなんでもこだわりすぎなのではと思いましたが、改めて考え直すと吉野家の方が正しかったと思うようになって来ました。それだけに、これまで散々コスト削減をやりまくってきた自動車メーカーの日産(トヨタは初めからずっとそうだけど)なんかは、今後とも本当にこのままでいいのかとたまに思います。
ウェッジウッドはうちのお袋が焼き物を集めるのが趣味でここのカップも家の中に数多くあり、私も折に触れては取り出して使っています。やっぱりこういう茶器製品などは値の張るものは張るだけあって、使っていて持ちやすかったり飲み易かったりする上、雰囲気によるものかもしれまえんがいつもよりお茶もおいしくいただけるような気がします。それだけに先の二社の破綻は私にとって非常にショックで、残る英国老舗のフォートナムメイスンはこのまま残り続けられるのか早くも心配をしています。
その一方で、現在日本の焼き物産業もどこも苦しいそうです。原因は私のように若い癖して焼き物に金使う人間が減ったのとプラスチックによる大量生産品の食器が増えたことですが、こうして衰退していく焼き物業界について私の恩師が昔に、どこかは忘れましたが瀬戸や伊万里に負けないほど有名な焼き物の産地があったそうですが、そこもご多分に漏れず経営が苦しくなってある時、思い切って質を下げる代わりに量を売る方針に切り替えたそうです。そうして一時はよくなったものの、現在はその産地ごと焼き物産業はなくなったらしく、恩師はこの事例から、たとえどれだけ経営に苦しくなっても質を下げてしまえばいつか自滅していくことになると私に教えてくれました。
これと似た例として、一度財務破綻した吉野家がコスト削減のために牛肉の質を落としたところ、経営指導のために銀行から派遣された人が従業員らがやる気をなくしているのを見て尋ねたところ、やはり牛肉の質の低下による牛丼の味の劣化に納得いかないとのことで、やむなくコスト度外視でまた元の質の牛肉に切り替え、その後見事に復活を果たしたという話があります。なお吉野家はこの時の経験から、かつてのBSE騒動の際に他の牛丼チェーンがオーストラリア産牛肉に切り替えて牛丼を続々と復活させる中、質の劣化を起こすとしてアメリカ産牛肉にとことんこだわってその動きに乗りませんでした。
この時は私も、吉野家はいくらなんでもこだわりすぎなのではと思いましたが、改めて考え直すと吉野家の方が正しかったと思うようになって来ました。それだけに、これまで散々コスト削減をやりまくってきた自動車メーカーの日産(トヨタは初めからずっとそうだけど)なんかは、今後とも本当にこのままでいいのかとたまに思います。
また派遣労働について思うこと
本日桝添厚生労働相が、製造業への派遣を原則禁止にすることもありうると言及しましたが、なんていうかこの話を聞いてまず最初に思ったのが、製造現場に派遣労働者を送ったとして業務停止命令を受け、挙句にはそのままグループごと廃業を余儀なくされたグッドウィルの立場は一体どんなものなのだろうかと思いました。
この製造現場への労働者派遣については一応今でも原則禁止という風に派遣法の条文では書かれていますが、解釈次第ではどうとでもなるような条項で今問題となっているように自動車業界を初めとして数々の製造現場に派遣労働者は送られてきました。
まぁグッドウィルに関して言えば私も前からあまり評価していない企業でしたが、さすがにこの時の事件では狙い撃ちにされてかわいそうに思い、今回の「これから禁止にするぞ」という発言を聞いてなおさら不憫に思えてきました。折口グッドウィル元会長は今一体何してんだろ。
あともう一つ今回の派遣労働者の問題で私が思うこととして、言い方は悪いですがこうなることは既に三年位前からわかりきっていたことです。私と私の恩師を初めとしたツッチーを含むグループは二年前から、「派遣会社、許すまじ」といい続けてきており、今回の事態もそれ見たことかとそれほど驚くことなく事態を受け止めました。こういえるのも私が派遣労働者という当事者じゃないからかもしれませんが、もう少し早くこの派遣労働の問題性を考えて派遣労働者たちは団結したり、抗議行動を起こせなかったのかが非常に疑問です。まぁこういうのは本来政治家がやらなければいけない問題なのではありますが、今もニュース報道などを見ていると、どうも派遣労働者全体で団結して組織をつくるなど、大きくまとまるといった動きが見えないのはちょっと問題ではないかと思います。
よく現代の若者は、「上の世代は好景気で、楽しやがって……」と思うかもしれませんが、団塊の世代でも世間で取り上げられるのは極一握りの大卒の人間ばかりで、大半の方は中卒や高卒で集団就職をしたりして非常に厳しく辛い人生を送っております。またこの世代は人口が多いために職にあぶれることはなくとも、職業や職位についてはそれほど選択権がなかったとも言われ、非常に優秀で実力のある人でも一般労働者としてとどまらざるを得なかった人も多かったそうです。
しかしそうした実力がある優秀な人らが一般労働者でとどまり労働組合を指導していく立場となっていったため、当時の労働組合は要求や行動などを適切に行っては雇用者側と協調し、また福祉の向上を図るなどいい緊張関係が保てたという話を以前に私は聞いたことがあります。
今の派遣労働者たちを見ていて、そのようにまとめる人材はいないのかと、期待感を込めて思います。
この製造現場への労働者派遣については一応今でも原則禁止という風に派遣法の条文では書かれていますが、解釈次第ではどうとでもなるような条項で今問題となっているように自動車業界を初めとして数々の製造現場に派遣労働者は送られてきました。
まぁグッドウィルに関して言えば私も前からあまり評価していない企業でしたが、さすがにこの時の事件では狙い撃ちにされてかわいそうに思い、今回の「これから禁止にするぞ」という発言を聞いてなおさら不憫に思えてきました。折口グッドウィル元会長は今一体何してんだろ。
あともう一つ今回の派遣労働者の問題で私が思うこととして、言い方は悪いですがこうなることは既に三年位前からわかりきっていたことです。私と私の恩師を初めとしたツッチーを含むグループは二年前から、「派遣会社、許すまじ」といい続けてきており、今回の事態もそれ見たことかとそれほど驚くことなく事態を受け止めました。こういえるのも私が派遣労働者という当事者じゃないからかもしれませんが、もう少し早くこの派遣労働の問題性を考えて派遣労働者たちは団結したり、抗議行動を起こせなかったのかが非常に疑問です。まぁこういうのは本来政治家がやらなければいけない問題なのではありますが、今もニュース報道などを見ていると、どうも派遣労働者全体で団結して組織をつくるなど、大きくまとまるといった動きが見えないのはちょっと問題ではないかと思います。
よく現代の若者は、「上の世代は好景気で、楽しやがって……」と思うかもしれませんが、団塊の世代でも世間で取り上げられるのは極一握りの大卒の人間ばかりで、大半の方は中卒や高卒で集団就職をしたりして非常に厳しく辛い人生を送っております。またこの世代は人口が多いために職にあぶれることはなくとも、職業や職位についてはそれほど選択権がなかったとも言われ、非常に優秀で実力のある人でも一般労働者としてとどまらざるを得なかった人も多かったそうです。
しかしそうした実力がある優秀な人らが一般労働者でとどまり労働組合を指導していく立場となっていったため、当時の労働組合は要求や行動などを適切に行っては雇用者側と協調し、また福祉の向上を図るなどいい緊張関係が保てたという話を以前に私は聞いたことがあります。
今の派遣労働者たちを見ていて、そのようにまとめる人材はいないのかと、期待感を込めて思います。
2009年1月5日月曜日
「右翼」、「左翼」という言葉の問題性
前々から書こうと思っていましたが、ちょっと以前のコメント欄にいい具合の質問が来たのでこれを機に「右翼」と「左翼」という言葉の問題性について書いてみようと思います。結論から言うと、私はこの二つの言葉は今後五年間は一切使うべきではないと考えています。
この二つの言葉は元を辿ればフランス革命後の議会にて、議長席から見て右側に保守層の、左側に革新派層の議員が座ったことより生まれた言葉で、そういう意味でオリジナリィーな意味では右翼とは保守層こと従来の制度をどちらかといえば守ろうとするものに対して左翼は革新派層こと制度改革を推進するグループという意味になります。
こうした元々の意味からいえば一見すると現在の日本政治で右翼や左翼といわれている政党はそのように見えなくもないのですが、実体を考えると憲法を守ろうとするのが社民党や共産党といった左翼政党であるのに対して、憲法を改正しようとしているは自民党や民主党といった右翼政党であり、また経済政策については自民党内でも格差を是認する「新自由主義」と公共事業にて地方への公平分配を目指す「日本型ケインズ主義」といった政策を掲げる議員で分かれており、一概に右翼=保守、左翼=革新とはもはや言い切れない状況です。
では何故このようにいろいろややこしくなってしまったのかというと、単純にいってしまえば日本の国民を含めたメディアや知識人層が何でもかんでも政治家や政党を右翼と左翼という二つの言葉に無理やり押し込んで理解しようとしたせいで、元々の保守と革新という意味だけでなくいろんな属性や意味が右翼と左翼という言葉に含まれるようになってしまったからです。
一例を挙げてみましょう。これは私の私見ですが右翼という言葉には一般には以下のような意味が内包されている気がします。
・軍国主義、戦前礼賛、天皇制保持、格差是認、新自由主義、地方分配主義、新自由主義、改憲派、親米派、親中派、自衛隊容認
読んでもらえばわかると思いますが、明らかに矛盾する要素同士が混ざり合っています。たとえばさっきにも挙げた新自由主義と地方分配主義は明らかにぶつかる意見ですし、外交でも親米と親中じゃ全然逆です。しかし現在右翼政党といわれている自民党と民主党の中にはこうした意見を持つもの同士が一緒に内包されており、一例を上げれば小泉元首相と加藤紘一衆議院議員などは先ほどに矛盾するといった要素を互いに分け合って持っています。ですが、世間一般からは彼らはどちらも右翼議員となるのです。
これに対して左翼を構成する要素というのはどんなものかというと、
・平和主義、戦前批判、天皇制反対、平等主義、人権擁護、社会主義経済、護憲派、反米派、親中派、自衛隊否定、自衛隊容認
といった具合で、やっぱり議員数の差もあるのか構成する要素が右翼よりは少ないですね。それにしても今書いてて気がついたけど、憲法保持を訴えている割には憲法で身分が規定されている天皇制に反対ってのはどんなもんだろう。
この左翼についても、右翼と比べて外交姿勢は反米親中で共通こそしていますが先ほどの憲法の話といい、人権擁護と社会主義は明らかに矛盾するし、自衛隊についても口では批判してたくせに村山内閣ではあっさり認めてしまうという迷走振りを見せており、いくらか矛盾した要素が右翼ほど目立ってはないものの見えてしまいます。特に平等主義については私が一回ふざけた調査をしたら、しんぶん赤旗をとっている人の資産数が他の新聞購読者と比べて図抜けて多かったのを初めとして、共産党内のピラミッド的な非民主主義的組織構造を持ちながらの建前との差には呆れます。
一気にまくし立てて書きましたが、このように主義主張から目標としている政策内容まで政治家はそれこそ千差万別であるにもかかわらず、メディアや国民はやっぱり右翼か左翼かの二者択一で判断したがるところがあり、その結果今挙げたようにこの二つの言葉に無数の要素が取り付けられ、かえって政治家の本質を見誤る傾向がこのところの日本にはあります。また例に挙げちゃいますが先ほどの小泉元首相の政治家としての要素を簡単に並べると、
・格差是認、新自由主義、天皇制反対、自衛隊容認、親米反中
というようになり、靖国神社に参拝していたから戦前礼賛かと思いきや私はこの人は実際にはそれほど戦前の軍国主義には思い入れがなく、ただ単に安上がりで支持者を獲得できるだけで参拝していただけに思え、またこちらはあまり表に出ませんが天皇制については90年代から女系天皇容認論を主張するように非常に冷淡な人物であります。ですが先ほどの右翼というフィルターがかかってしまうと、この天皇制への彼の態度というものが見えづらくなってしまいます。
再度の結論ですが、やっぱり政治家を二項対立的に右翼か左翼かで見るのは本質を大きく見誤らせかねず、可能ならば個々の要素ごとに政治家を見つめなければいけません。そういう意味でここしばらくは右翼と左翼という言葉を使わず、敢えてわかりやすく二項対立にしたいのなら現在のところ最も大きな争点となっている「新自由主義」と「地方分配主義」の対立要素で見比べる方が全然マシかもしれません。
この二つの言葉は元を辿ればフランス革命後の議会にて、議長席から見て右側に保守層の、左側に革新派層の議員が座ったことより生まれた言葉で、そういう意味でオリジナリィーな意味では右翼とは保守層こと従来の制度をどちらかといえば守ろうとするものに対して左翼は革新派層こと制度改革を推進するグループという意味になります。
こうした元々の意味からいえば一見すると現在の日本政治で右翼や左翼といわれている政党はそのように見えなくもないのですが、実体を考えると憲法を守ろうとするのが社民党や共産党といった左翼政党であるのに対して、憲法を改正しようとしているは自民党や民主党といった右翼政党であり、また経済政策については自民党内でも格差を是認する「新自由主義」と公共事業にて地方への公平分配を目指す「日本型ケインズ主義」といった政策を掲げる議員で分かれており、一概に右翼=保守、左翼=革新とはもはや言い切れない状況です。
では何故このようにいろいろややこしくなってしまったのかというと、単純にいってしまえば日本の国民を含めたメディアや知識人層が何でもかんでも政治家や政党を右翼と左翼という二つの言葉に無理やり押し込んで理解しようとしたせいで、元々の保守と革新という意味だけでなくいろんな属性や意味が右翼と左翼という言葉に含まれるようになってしまったからです。
一例を挙げてみましょう。これは私の私見ですが右翼という言葉には一般には以下のような意味が内包されている気がします。
・軍国主義、戦前礼賛、天皇制保持、格差是認、新自由主義、地方分配主義、新自由主義、改憲派、親米派、親中派、自衛隊容認
読んでもらえばわかると思いますが、明らかに矛盾する要素同士が混ざり合っています。たとえばさっきにも挙げた新自由主義と地方分配主義は明らかにぶつかる意見ですし、外交でも親米と親中じゃ全然逆です。しかし現在右翼政党といわれている自民党と民主党の中にはこうした意見を持つもの同士が一緒に内包されており、一例を上げれば小泉元首相と加藤紘一衆議院議員などは先ほどに矛盾するといった要素を互いに分け合って持っています。ですが、世間一般からは彼らはどちらも右翼議員となるのです。
これに対して左翼を構成する要素というのはどんなものかというと、
・平和主義、戦前批判、天皇制反対、平等主義、人権擁護、社会主義経済、護憲派、反米派、親中派、自衛隊否定、自衛隊容認
といった具合で、やっぱり議員数の差もあるのか構成する要素が右翼よりは少ないですね。それにしても今書いてて気がついたけど、憲法保持を訴えている割には憲法で身分が規定されている天皇制に反対ってのはどんなもんだろう。
この左翼についても、右翼と比べて外交姿勢は反米親中で共通こそしていますが先ほどの憲法の話といい、人権擁護と社会主義は明らかに矛盾するし、自衛隊についても口では批判してたくせに村山内閣ではあっさり認めてしまうという迷走振りを見せており、いくらか矛盾した要素が右翼ほど目立ってはないものの見えてしまいます。特に平等主義については私が一回ふざけた調査をしたら、しんぶん赤旗をとっている人の資産数が他の新聞購読者と比べて図抜けて多かったのを初めとして、共産党内のピラミッド的な非民主主義的組織構造を持ちながらの建前との差には呆れます。
一気にまくし立てて書きましたが、このように主義主張から目標としている政策内容まで政治家はそれこそ千差万別であるにもかかわらず、メディアや国民はやっぱり右翼か左翼かの二者択一で判断したがるところがあり、その結果今挙げたようにこの二つの言葉に無数の要素が取り付けられ、かえって政治家の本質を見誤る傾向がこのところの日本にはあります。また例に挙げちゃいますが先ほどの小泉元首相の政治家としての要素を簡単に並べると、
・格差是認、新自由主義、天皇制反対、自衛隊容認、親米反中
というようになり、靖国神社に参拝していたから戦前礼賛かと思いきや私はこの人は実際にはそれほど戦前の軍国主義には思い入れがなく、ただ単に安上がりで支持者を獲得できるだけで参拝していただけに思え、またこちらはあまり表に出ませんが天皇制については90年代から女系天皇容認論を主張するように非常に冷淡な人物であります。ですが先ほどの右翼というフィルターがかかってしまうと、この天皇制への彼の態度というものが見えづらくなってしまいます。
再度の結論ですが、やっぱり政治家を二項対立的に右翼か左翼かで見るのは本質を大きく見誤らせかねず、可能ならば個々の要素ごとに政治家を見つめなければいけません。そういう意味でここしばらくは右翼と左翼という言葉を使わず、敢えてわかりやすく二項対立にしたいのなら現在のところ最も大きな争点となっている「新自由主義」と「地方分配主義」の対立要素で見比べる方が全然マシかもしれません。
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