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2009年1月15日木曜日

ノンマルトの使者

 年末にマンガ「ケロロ軍曹」の単行本をまとめ買いして読んでいると、ある話の中で「ノントルマ」という単語が出てきました。この単語を見て私は相変わらずいいところ選ぶと、改めて作者の吉崎観音氏を見直しました。別にこの例に限るわけでなくこのマンガは他のマンガやアニメのパロディがふんだんに使われている作品なのですが、このノントルマの引用に関しては読んでる私も思わずうなりました。

 結論から言うとこのノントルマというのは恐らく、ってか間違いなくウルトラセブンの「ノンマルトの使者」という話が題材でしょう。私自身はこの「ノンマルトの使者」の回、というよりもウルトラセブンを見たことがないのですが、ちょうど二年位前に国際政治関連の授業にて突然講師がこの話を紹介し始めたので知ってたので、この話のあらましを今日はちょっと簡単に私も紹介します。

 まず前置きとして、ウルトラセブンは他のウルトラマンシリーズと比べて話が非常に大人向けに作られていると言われています。他のウルトラマンシリーズは勧善懲悪的なストーリーで一貫しているのですが、ウルトラマンセブンだけはアニメのガンダムシリーズのように、善と悪の概念が曖昧なまま話が進むそうです。
 それで件の「ノンマルトの使者」ですが、何でも話は海の上で軍艦が次々と落とされる事件が起こり早速ウルトラ警備隊が調査に向かうと、海辺である少年が主人公のモロボシ・ダンことウルトラセブンらに対し、
「海底はノンマルトのものだ。人間は来るな」
 といった内容の言葉を言って謎の警告をして立ち去っていきます。

 その少年が立ち去った後、ウルトラセブンは突然、自分がM78星雲にいた頃、地球のことをノンマルトと呼んでいた事を思い出します。そして再びその少年が現れると、その少年は自分たちノンマルトは人間が現れる以前から地球にいたのに人間が現れ海底にまで住処を追われたと話し、その海にまで人間は侵略しようとすると非難して再び立ち去ります。
 その後、お決まりのように海から怪獣が出てきてセブンやウルトラ警備隊によって退治した挙句、海底にあった怪獣の住処も完全に破壊します。すべて終わってひと段落かと思うと再びセブンの前に先ほどの少年が現れ、
「地球はノンマルトの星なんだ、人間こそ侵略者なのだ」
 と言って、姿を消します。

 この少年の言葉を受け元々地球をノンマルトと呼んでいたセブンは、自分は宇宙の侵略者たちから地球の人間を守るためにやってきて戦っているが、この地球の元々の居住者は自らをノンマルトと呼ぶあの怪獣たちで、もしかしたら自分は侵略者の人間を助けているのではないかと悩みながら話が終わります。

 この回の話を突然授業中に引用したその講師は最後に、この回の脚本を作ったのは沖縄出身の人だと話し、元々国家という概念は民族や文化、宗教などで構成されていると思われがちだがそれらは限りなく根拠のない建前のようなもので、実態は言わば最も強い支配層が力の弱い層に対して服従を強要して成り立っていることが多いと説明し、明治維新後に半ば強制的に日本という国に組み入れられたばかりか二次大戦では戦場とされるなど悉く犠牲にされてきた沖縄の歴史と本土の日本人の意識の差を、その脚本家こと金城哲夫氏は「ノンマルトの使者」に込めたのではないかと話しました。

 あとこれは私と友人が話をしている時に出た話ですが、仮に沖縄の人たちが日本からの独立を望むというのなら私はそれを止めることが出来ないと話し、この時の意識は「ノンマルトの使者」の話を聞いてなおいっそう強まりました。

 あ、今日は日馬富士が勝ったんだ(n‘∀‘)η

2009年1月14日水曜日

今場所の前半戦について

 さて一月と来たら私の中では相撲の初場所しか来ません。特に今場所は朝青龍の進退がかかっており、今週初めからスポーツ新聞では連日の一面に相撲記事を持ってくるほど世間でも注目が高まっています。ただ肝心の朝青龍が今日を含めて四連勝したことからちょっと話題に欠けはじめ、ここらで一敗してくれればまた物凄い盛り上がりが期待できます。

 私は相撲を2005年からよく見るようになりましたが、その頃から一番好きな力士は安馬こと今の日馬富士です。その日馬富士ですが大関昇任後初めての場所となる今場所でなんと四連敗と、非常に波に乗れずにいます。確かにこれまでも日馬富士は下位の力士に負けることが多くて逆に上位陣には毎回勝つという弱きを助けて強気をくじく取り組みが多かったのですが、それにしても今場所は見ていて明らかに動きが悪いです。特にこれまでの持ち味だった下半身の粘りが消え引き落とされると簡単に倒れてしまうという、なんと言うか日馬富士らしくない取り組みが見られます。
 こうなった原因として昔は体重が少なく(当時は幕内最軽量)それこそ土俵上で相手の攻撃をかわしながらまわしを取るというスタイルだったのが、ここ数場所は体重がすっかり増えて逆に突進力で相手を圧倒する取り組みが増え、その分自慢の足腰が弱っていったのが原因ではないかと思います。なんにしても、早くスランプを脱出してもらいたいものです。

 同じ大関だと琴光喜もすでに三敗と波に乗れていません。まぁこの人は八勝七敗で終えることが非常に多い力士なのでほっといても挽回するでしょうが、なにげに陰に隠れて弟弟子の琴欧州が四連勝と調子がいいです。普通この人は取りこぼしが多い人なのですが今回はそれが見られず、宿敵キセの里相手に万全の相撲で勝っているなど今場所のダークホースとなるかもしれません。

 それで優勝候補はといったら、それはやっぱり横綱白鵬となります。どの取り組みを見ても隙がなく、日馬富士とは対照的に現力士中最強の防御力とも言えるほどの強靭な足腰で危ういところを一切見せません。対する今場所の主役の朝青龍は四連勝こそしているものの、かつての目にも止まらぬ素早さはすっかり影を潜め、往年と比べると明らかにパワーダウンしているのは否めません。今日の取り組みでも雅山の突進を受けきれずに横にさばいて勝利を得ましたが、昔の朝青龍であれば軽く突進を抑えられたことでしょう。

 今のところ朝青龍が対戦しているのは実力ある力士ばかりですが、どうもこれまでの相手は朝青龍以外にもよく負けて今場所の調子の悪い力士ばかりです。なのでこれから上位陣と当たることを考えたら、やっぱりそううまくはいかないんじゃないかと思います。
 個人的には、バルトあたりでつまづくんじゃないかなという気がします。

失われた十年~その十九、心理学ブーム~

 前回の終末思想についての記事で私がこの連載の後半でもって行きたい話の筋道をあらかた書きましたが、今回はこの失われた十年の間で流行った妙なものの中から一つ、心理学のブームについて解説します。

 まずこの心理学が一躍社会に注目されるようになったきっかけは前回にも書いたように、映画「羊たちの沈黙」による影響が大きいです。この映画は原作となったストーリーの面白味に加えハンニバル・レクター役を演じたアンソニー・ホプキンスの名演技が光り大ヒットしましたが、映画を見たことがわかる人なら言わずもがなですがこの映画の主役とも言うべきハンニバルの職業は犯罪心理学博士で、映画中にも使われている犯行時の状況から犯人像を絞るという捜査手法の「プロファイリング」が映画同様に大ブレイクしました。

 特にこの心理学ブームが最も顕著に現れたのは大学における心理学部、学科の偏差値の向上においてです。今日調べてみたらどうも以前ほどではなくなってはいますが、それこそ95年くらいの大学入試において心理学関係の入試は他の文系学部より頭一つ抜ける高さで、有名私立大学の心理学部などはそれこそ狭き門となっていきました。この傾向はしばらく続き、私が大学入試をした年も依然として高いままで周りにも心理学を勉強したいというブームに流された友人が数多くいました。
 ちなみに私の知っているある大学は、付属高校の学生を心理学科にどんどんと入れることによって外部生の倍率が高まるために偏差値が高いだけで、教師も認めていましたがそこの学科の学生はあまり勉強のできる奴はいないと言っていました。

 こうした大学の倍率とともに、すでに完璧に死語と化していますが前述の「プロファイリング」も大いに当時は流行りました。そのためか一時はブームに乗っかってテレビではこのプロファイリング特集がよく組まれたり、ジャンプでもこれを主題にしたマンガを連載させてはこけて、97年に起こる酒鬼薔薇事件ではワイドショーなどが自称プロファイリング捜査官を出演させては何の根拠もない実際の犯人とは大きく異なる予想が立てられたりしていました。
 さらにこれも前回の記事でも言いましたが、恐らくこういった背景があったことからミステリーやオカルト分野への社会の関心が高まり、「金田一少年の事件簿」といった推理マンガこの時代に数多くヒットしたのではないかと見ています。「名探偵コナン」はずっとヒットし続けているけど、我が心のふるさと鳥取県出身の漫画家と来たら私の中では未だ水木しげるしかいません。

 それでこの心理学のブームですが、きっかけこそ先ほどの「羊たちの沈黙」でしょうが、ブームが持続したのはこの心理学が利用しやすかったことが原因だと私は考えています。というのも、これなんか私の専門の社会学でもそういう一面もあるのですが、どんな滅茶苦茶な理論でも精神的障害(トラウマ)と統計操作を行うことで、パオロ・マッツァリーノ氏の言う通りに心理学と社会学は思いのままに立証できてしまうからです。

 先に言っておきますが、真剣に研究している心理学者の方々たちには非常に申し訳ありませんが、私はこの心理学を全学問分野の中で蛇蝎の如く一番嫌っています。もちろん真面目に研究している方たちには非常に尊敬もしていて臨床心理学など研究的価値のある分野だと考えていますが、それを推しても現状では以前ほどではないにしろ心理学を錦の御旗に明らかに実証性のないとんでもない理論を振りかざしては流行らす輩が多いため、私はこの心理学に対して常日頃から批判的な立場にあります。

 それこそ心理学がブームだった90年代後半はなんにでも理由付けや根拠に心理学が利用されて、「心理学的には~」とか「トラウマによる影響で」といってはエセ科学や偽情報が片っ端から作られていきました。よくあったのは「こうすることによって心理学的には相手に対してこのような感情を持たせる」というフレーズで、今も数多い恋愛交渉術のやり方が紹介するなどの万能振りを見せ、更にはよくある質問本で、「Aと回答する人はこんな性格」といったようなものまで出てきて、もはや心理学と言えば誰でもなんでも信じ込んだ時代でありました。

 こういう具合にメディアから商業主義にまでなんにでも利用され続けたため、この心理学は失われた十年の間に一貫としてブームを保ち続けたのでしょう。しかし冷静に今見渡してみると、大分この時と比べて心理学の威力というものは弱まった気がします。ちなみに私が一番好きな心理学の話は、前に私も書いた「パブロフの犬の逆説」です。

2009年1月13日火曜日

どうすれば出版界を救えるのか

 以前に私は「出版不況について思うこと」の記事の中で、質が下がる一方で値段は上がっていくという出版業界の経営努力の足らなさを主張しましたが、じゃあ一体どうすれば出版界を救えるのかという具体的な話を今日はしてみようと思います。

 単純な話、やっぱり質を上げていくほかないと私は思っています。情報が氾濫している上にネットが発達して本が売りづらくなっているというのはよくわかるのですが、それでもベストセラーとなる本はやっぱり私も読んでいて面白い本が多く、「国家の品格」とか「鈍感力」は新品で買っても全然損したとは思いませんでした。やっぱりそういう風に考えると、いい本はなんだかんだ言って売れるので出版社側もいい本を出す努力をやるべきだと思います。

 とはいえ、そんな具合でいい本が片っ端から作れて行けば苦労はないわけで、それ以外の方法をいくつか検討してみたいと思います。
 まずこれは以前に立花隆氏が言っていたことですが、この際本の値段を今の三倍くらいに引き上げて、本の所有それ自体が教養を持っていることを強く示す高級(ブランド)品のようなものにしてはどうかと提言していました。もちろん広く知識を共有するためにこの方法は立花氏もあまりいいものではないとしながらも、出版界が生き残るための一つの手段として挙げていました。

 そうした立花氏の意見に対し、私が考える手段というのは情報の制限、独占というやり方です。
 実は出版不況の中でゲームの攻略本というのは確実に利益の出せる非常においしいジャンルとして今もあり続けているそうです。普通に考えるのならばゲームの攻略情報こそネットで氾濫していて本として売る必要があるのか疑問符がつきそうなものですが、実態はと言うと「パワプロ」や「スパロボ」の攻略本に至っては複数社から販売されながらもきっかり利益を出すほどで、現実にどこの本屋でもこの攻略本コーナーというのは大きな一角を占めていることが多いです。

 それで何故攻略本が売れるかですが、この理由は恐らく情報の制限が行われているからだと私は考えています。昔はともかく今のゲームの攻略本には設定資料やオリジナルイラスト、製作者からの裏情報などただゲームをプレイしているだけでは手に入らない情報が盛り込まれていることが多く、実際に購入する側もそうした情報を目当てに買っていることが多いように見えます。特にシナリオが難解な、私が昔やってた「バロック」とか今やってる「サイレン」なんてそうした攻略本のシナリオ解説がないととてもじゃないけど消化不良でシナリオが理解できずに終わってしまう可能性が高いです。

 この攻略本のように、流通する情報を制限する、もとい「その本を買わなければその情報が絶対に得られない」という状況を意図的に作り出すことが、出版不況を脱す一つの手段ではないかと私は考えます。それこそ一番エグいやり方を使ってもいいのなら本に載せている情報をネット上なり他の雑誌なりで公開された場合、片っ端から訴訟を起こすのもこの手段の一つです。そのほかある分野の情報に対して徹底的に競合他社を排除して、談合なりで一部の本や雑誌でしか公開できないようにするのもありかもしれません。

 ここまで自分で書いてて暴論だとは思いますが、この情報の制限についてはこのところよく考えてしまいます。私自身このブログで書いてて、果たしてこれだけ加工した情報をただで公開していいものなのかとか、逆にマイナーな情報をネットで見かけた時、こんな情報をただで得ていいものかと思ってしまいます。
 ある本の作者が、現代人は情報に対してお金を払って得るという意識がほとんどなくなってしまっていると言っていましたが、これはこれで私も問題な気もします。特にこれは若い世代に強く言いたいのですが、やっぱりいい情報を得ようと思うのならそれだけお金をかけねばいけません。お金をかければ必ずいい情報が得られると言うわけではありませんが、現代人はもうすこし個々の情報に対して価値を持つべきではないかと強く感じます。

二年後の消費税増税の背景にあるもの

 既に皆さん知っての通りに、去年の十一月あたりに現在もなお続く麻生政権が何を思ったのか、「三年後に消費税を増税する」と発表しました。年が明けたので今では二年後となりましたが、どちらにしろ2011年に消費税を増税することを別にこんな不況の真っ只中の今に言わなくともいいのに、麻生首相は明言したばかりかその後税制調査会に対して実施時期を明確にするよう再三要求しました(結局曖昧なまま流しましたが)。

 もしこれが常日頃から財政再建を主張してきた与謝野氏が言うのなら別におかしくはないのですが、何故この段階で麻生首相が明言したのか私はずっと不思議に思っていました。麻生首相は別に財政再建派でもないし、むしろ積極財政を主張してきたのだからこうした消費者の意識にマイナスに響くような政策意見は遠いものだと思っていましたし、衆議院選挙を前に明らかに足を引っ張るような増税の意見なんて普通の感覚なら出来ないはずです。

 そんなかんじであれこれ考えながらもう大分時間が経つのですが、三日前くらいに突然ピコーンと、ある事実が閃きました。もったいぶらずに言うと、2011年7月にはテレビの地デジ移行があるのです。
 要するに話はこうです、2011年のテレビの地上波デジタル移行が待ち受けているために、必然的に2011年はテレビの購入が増加することが予想されます。その大量購入に合わせて消費税を増税するとどうなるかですが、まぁ簡単に言うと国の税収取り分が増えてくるんじゃないでしょうか。

 もちろんこれがすべての理由だとは私も本気で信じているわけじゃないですが、あれほど増税時期を明確にすることにこだわったのがこれも一因なのではないかとちょっと思いました。どちらにしろこの消費税増税の明言にはまだまだ背後関係がありそうなので、またなにか気がついたらご紹介します。

渡辺喜美氏の離党について

 本日自民党が二次補正予算案を強行採決したのと同時に、かねてより離党も辞さないと主張していた渡辺喜美議員がとうとう正式に離党しました。
 この離党について私の感想から言うと、このような行動に渡辺氏が出るのもしょうがないと渡辺氏に対して理解する気持ちの方が大きいです。というのも今回の麻生政権において、渡辺氏がかつて記者たちの目の前で涙を流すほどまで力を入れてきた行政改革案をすべて丸潰しにされているからです。

 渡辺氏は福田政権内にて行革担当大臣をやっている際、今に始まったものではありませんが「私のしごと館」などを含む、明らかに必要性とコストがかけ離れた箱物に代表される行政の無駄の温床となっている特別法人の廃止や天下りの規制を含む行革案を出したものの、各省庁からはこれらの見直しに対してゼロ回答を喰らうなど総スカンを受け、挙句には福田政権内ですら厄介者扱いされる始末でした。挙句にその後行われた内閣改造では行革大臣の職から外され、福田政権が倒れた後の麻生政権に至っては渡辺氏がまとめた見直し法案はほぼすべて握りつぶされたに等しく、特に公務員の天下り規正においては根本から崩されてしまう有様でした。

 渡辺氏も自分で言っていますが命を懸けて行ってきた内容なだけに、その忸怩たる思いも相当のものでしょう。まして渡辺氏のやろうとしていた行革案は私の目から見ても今すぐにでも必要な改革案で、無駄な行政法人の廃止はもとより天下りの禁止などやれるものなら明日からでもやっていいというくらいのこの国の悪習です。事実国民もこれらの政策の問題性を認識しており、今何が一番必要かといったらやっぱりこれらの政策が国民の意見としても当てはまるでしょうし、政治評論家たちの意見もどれもその通りと一致しております。

 こういったことを踏まえ、今回渡辺氏が離党したことについてたとえ無謀だとしても、私一人はその行動を理解していようと思います。まぁきな臭い事を言うと、前の記事にも書いたように恐らく民主党とはある程度話がついていて、恐らく次の選挙では民主党に合流するにしても無所属でいるにしても民主党から公認や応援が得られる約束がついているのだと思います。別に汚いことだとは思いませんが。

 最後にこの渡辺氏の離党が自民党に与える影響ですが、さきほどNHKの解説員がそれほど大きな影響を与えることにはならないと言っていましたが、私としても同じ意見です。しかしもしこのまま次の選挙にていわゆる小泉チルドレンを冷遇するような選挙態勢をしくとしたら、武部元幹事長以下が一気に自民党から離れるという可能性があるのではないかと思い、その際に渡辺氏と行動を共にするか、もしくは別々でいるかなどと、後々大きな変動を生む種になる可能性はあると思っております。

2009年1月12日月曜日

ゲームの「サイレン」について

「おかーさーん、おかーさーんあけてよー」

 このフレーズを覚えている方はいるでしょうか。このフレーズは、もう大分古いですがPS2のホラーゲーム「サイレン」の、あの恐すぎて放送中止となったCMで使われたものです。さてなんでそんな昔の話を突然するかと言うと、ちょうど今まさに私がこのゲームを遊んでいるからです。

 もともとこのサイレンは三年前に購入したものの、あまりの難しさに音を上げてプレイを中断してしまったままでいました。それがこの前久しぶりに思い出し、ネットにて情報をいろいろ見ていたら攻略情報サイトに行き着き、せっかく買ったのだからこの情報を元にやってみるかと再び立ち上げた次第であります。
 で、改めてやってみた感想はと言うと、「こんなの攻略情報なしでクリアできるかっ(゚Д゚)ゴルァ!!」といったところです。どこのサイトでも私の後輩も、このゲームはあまりにも難易度が高すぎるために一般受けしないと聞いてはいましたが、攻略情報を見てみるとただステージをクリアするだけでなく、普通にプレイしていたらまず気づくはずもない細かい隠し条件を攻略しないと後々ゲームが進まなくなるなんて正気の沙汰じゃありません。後輩も攻略情報に沿って遊んでいたと言っていましたが、逆を言えば沿わないと遊べないくらいの尋常じゃない難易度です。

 それでゲームの恐さですが、私はこれ以前にテクモの「零」というホラーゲームをプレイしておりこちらは海外からもものすごい恐いと評価されながら、私自身はそれほど恐いとは思わないままクリアしました。ですがこちらのサイレンはと言うと、はっきり言って滅茶苦茶恐いですヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ
 あまりにも恐くて、二時間連続でプレイすることはまだできずにいます。おまけにやってるのもこんなクソ寒い冬の間ということもあり、文字通りプレイ中は身体の震えが止まりません。よく怪談は夏にやるものだと言いますが、冬にやるものではないというのはよくわかりました。

 とまぁこんな感じでまだプレイ途中なので、またおいおい細かい感想はこの後も続けていきます。最後に現段階でちょっと気になっている箇所として、作品の舞台が昭和78年となっている点があります。というのもこれは平成年間初頭に多かったのですが、いわゆる「終わらない昭和」というジャンルがまさかまだ使われていたということに好感を持ちました。
 その「終わらない昭和」というジャンルは平成5年くらいまで一部のマンガやSF小説などで使われた設定で、米ソの冷戦構造が続いていたりなどと一部で昭和の世界観が引き伸ばされたまま、技術などは現代や近未来のものというような話がよく展開されていました。何故こういったジャンルが存在したかというと私見を言わせてもらえば、基本的に日本人は過去にノスタルジックな感傷を抱くのでその感傷を残したり、現代とは違った一つの未来を提示する設定として好都合だったからだと思います。

 ちなみにこちらは「終わらない昭和」とは違うかもしれませんが、私もマンガ版で楽しく読ませてもらっている「ひぐらしのなく頃に」も、メインの舞台を昭和58年に据えており、この作品でも「昭和」という一つの時代が使われています。個人的にはこういうジャンルは平成も大分過ぎた今では通用しないものと思っていただけに、こうして元気に使われているのを見るとこっちまでうれしくなってきます。ま、さすがに鉄人28号で使われたような、「旧日本軍の秘密兵器が……」って設定はもう見ないけど。