・【新潮誤報 編集長インタビュー(上)】掲載理由の一つは「証明できないが、否定もできなかったから」(YAHOOニュース)
上記にリンクに貼った記事に書かれているように、とうとう週間新潮が私も長らく記事を書いてきた赤報隊事件の犯人手記が誤報であったと認めました。今日の発表を受けてSophieさんなんてすぐに祝電送ってくれましたが、私としても自分の見立てが間違っていなかったとニュースを見るなり手を叩いて喜びました。
それでこの新潮の降伏についての私の意見ですが、結論から言えば新潮がこのくだらない茶番に見切りをつけるのも遅かったし、今回の騒動についての編集長のインタビューを聞いててやはり恥の上塗りにしかなっていないと思います。
まず折角書いたのだからこれまで私がこの赤報隊事件手記について疑義を呈してきた記事をまとめて紹介します。
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その二
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その三
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その四
実は先週の段階で、この手記の主人公ともいえる赤報隊事件の犯人だと名乗り出てきた島村氏が新潮の口車に乗せられてしまったと、なんと当事者である朝日新聞に対しての謝罪を載せた記事が朝日新聞に島村氏の顔写真つきで載せられていました。もうその段階で今回のこの新潮の連載記事は真っ赤な偽物だということははっきりしていたので後はいつ新潮が認めるものかと待ち構えていましたが、意外と粘ってようやく今日になって記事は誤報であったと認めました。
恐らく、今回の新潮の降伏には会社上層部からによる強い指示があったと思います。というのも今の週刊新潮の編集者は先週の段階で既に更迭が決まっており、新潮社側は今回の記事と更迭は関係ないとは言ってはいたもののリンクに貼った記事でその編集長が未練たらたらに言い訳しているのを見るとこの編集長がなかなか取材ミスを認めなかったために会社が直接手を下したのだと思います。
そんな編集長の言い訳ですがリンクに貼った記事の見出しにも書かれているように、「証明できないが、否定もできなかったから」と、聞いてるこっちが呆れてくるようなことを言っています。本来マスメディアというのはその影響力の強さから細心に細心を重ねて取材を行いながら徹底して事実を確かめた上で報道しなければならないというのに、「否定もできなかったから」というのを逃げ道にして誤報を流してしまったというのであれば言論人はおろか一般人としての風上にもおけないでしょう。
またこのリンクに貼ったインタビュー内で言っている編集長の言い訳も、私からしたらとても信じられないくらいにひどい内容です。まず島村氏の証言にブレが無くリアリティがあったから信じてしまったと言っていますが、連載されている記事を読む限りアメリカ大使館員が犯行の指示犯というとてつもなく荒唐無稽な内容の上、事件当時の状況についても警察で公開されている情報との比較すら行っておらず(見事に証言とは矛盾している)、とてもじゃないですが情報の真偽を確かめた跡がまるで見当たりません。
その上証言者の島村氏は新潮側から90万円を受け取ったことを明かし、「向こうの作った話に乗せられた」と話しており、島村氏に騙されたという新潮側の証言と食い違っている点について何の言及もないのが非常に疑問です。まだ新潮が自分たちが正しいと主張していた頃に記事に信憑性はないと言う朝日新聞に対し、「こっちには取材中の会話を録音したテープがあるんだぞ」と、それが何の証拠になるんだよと言いたくなる様な反論を何度も繰り返していたのだから、新潮と島村氏のどっちが嘘をついているのか白黒つけるためにネット上にでもそのテープを早く公開してもらいたいものです。
今日のNHKニュースではこの事件について、今ちょっと私の中で急速に株を挙げて佐藤優氏に次ぐ位置にまで昇ってきている佐野眞一氏がインタビューに答えていましたが、新潮側は証言者の生い立ちや人生を調べることもせずやはり私同様に裏づけ取材はしてないだろうと見て、今回のこの新潮の報道はジャーナリズムの自殺だと強く非難していました。その上で新潮は明日発売の号での謝罪記事上で、自分たちは島村氏に騙されてしまったとだけしか書いておらず、読者への謝罪や反省の言葉がないとこれまた強い口調で非難していました。
一応念のために今回の新潮の連載が載った記事は今でも保管していますが、明日発売の記事ははてどうするものかとは思うものの、これ以上新潮に乗ってはならないと思うのでどっかの喫茶店にでも読みに行こうと思います。それにしても、こんなパーでも編集長ってやれるんだな……。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年4月15日水曜日
2009年4月14日火曜日
発展途上国への支援のあり方
確か小学生くらいの頃に読んだ評論にて、栄養不足ゆえにアフリカで子供が次々と死んでいくのを防ぐために、アメリカの食品会社がある時に粉ミルクを大量に送ったという話が紹介されていました。粉ミルクであれば栄養価は文句無く、また水の少ない土地でも摂取しやすくその上腐る心配も無いということでまさにうってつけとの触れ込みで援助を行ったのですが、結果というや惨憺たるものでした。
というのも援助を行ったアフリカの地域では水が貴重なため食器を洗うという習慣が無く、粉ミルクを使用した容器が洗われないまま流用されたことで細菌を発生させてしまい、援助を行う以前より子供の死亡率が上がってしまったという皮肉な結果を生んでしまったのです。
この事実について評論を書いた作者(さすがに作者名は忘れた)は援助を行ったアメリカの食品会社の意志は崇高で立派ではあると認めるものの、自分たちの視点だけで粉ミルクが援助物資として最適として選んだりせず、当該地域の状況や環境を考えてこうした支援を行わねばまれに逆の結果を生んでしまうこともあるとして、よくよく現地からの視点というものを持って援助を行う重要性を唱えて結論をまとめていました。
小学生当時にもなるほどと思わせられた評論だったゆえに未だに覚えているのですが、先日に実はここで紹介されているアメリカの食品会社の例に近い話を聞いたので、私からはその例を紹介しようと思います。その話の舞台というのは東南アジアのカンボジアで、長い内戦からひどく荒廃したこの国には日本を含めて各国から様々なボランティアたちによる援助が行われています。
そうしたボランティアたちの活動の中で、日本のボランティアたちが特によく行っている援助に井戸掘りがります。他の発展途上国同様に水が不足しがちで、また水源となっている川もそれほどきれいでないことから美味しい水を飲ませてあげようと、この十年間だけでもカンボジア各地にたくさんの井戸が日本人らの援助によって掘りぬかれたそうです。
しかしここまで言えばわかると思いますが、この井戸掘りは現地の住民らに思わぬ問題を生んでしまいました。というのもカンボジアは地下水が砒素に汚染されている地域が多く、その地下水を汲み取る井戸から井戸水を摂取した住民らが次々と砒素中毒に罹り、死亡者もたくさん生んでしまったのです。
井戸水に含まれる砒素というのは摂取していくことで徐々に蓄積されて砒素中毒が発症するため、当初は次々と病人が生まれる原因がわからず被害の拡大をなかなか防ぐことが出来なかったそうです。現在では地域によってはそうして日本人の手によって掘られた井戸の使用が禁止されるなど対策が取られているようですが、この事実を報じたNHKの番組内では砒素中毒によって子供を失った母親のインタビューがあり、何度も井戸水が怪しいと言ったが誰も取り合ってくれなかったと嘆いていたのを見て胸が痛みました。また砒素中毒によって体に麻痺が現れ寝たきりとなった男性は、働けずに家族の負担にしかなっていないのが苦しいと漏らしていました。
ここで私がわざわざ文字にして書かなくとも言いたいことは既に伝わっていると思いますが、発展途上国などに援助を行うにあたり善意で行えばなんでもいいというわけではなく、時にはその善意が逆の結果を生んでしまうということもあるということです。こうした事態を避けるためにもこの問題を報じた番組内でゲストの専門家も、あらかじめ水質検査を行うなど日本とは違った国ゆえ考えうる限りの万全の体制を敷いて援助を行わなければならないと述べていましたが、まさにその通りでしょう。
たまに日本では結果がつかなくともその過程がしっかりしていればいいというような言質があり、善意で行ったのだから深く責めるべきでないという風にまとめられる事例もあります。ですがそんなものでは片付かないものももちろんあり、善意であろうとなんであろうと片付けようのない事例もあります。そうした悲劇を生み出さないためにも、周到な準備と調査はどの方面においても重要であると付け加えて私の結論とさせていただきます。
というのも援助を行ったアフリカの地域では水が貴重なため食器を洗うという習慣が無く、粉ミルクを使用した容器が洗われないまま流用されたことで細菌を発生させてしまい、援助を行う以前より子供の死亡率が上がってしまったという皮肉な結果を生んでしまったのです。
この事実について評論を書いた作者(さすがに作者名は忘れた)は援助を行ったアメリカの食品会社の意志は崇高で立派ではあると認めるものの、自分たちの視点だけで粉ミルクが援助物資として最適として選んだりせず、当該地域の状況や環境を考えてこうした支援を行わねばまれに逆の結果を生んでしまうこともあるとして、よくよく現地からの視点というものを持って援助を行う重要性を唱えて結論をまとめていました。
小学生当時にもなるほどと思わせられた評論だったゆえに未だに覚えているのですが、先日に実はここで紹介されているアメリカの食品会社の例に近い話を聞いたので、私からはその例を紹介しようと思います。その話の舞台というのは東南アジアのカンボジアで、長い内戦からひどく荒廃したこの国には日本を含めて各国から様々なボランティアたちによる援助が行われています。
そうしたボランティアたちの活動の中で、日本のボランティアたちが特によく行っている援助に井戸掘りがります。他の発展途上国同様に水が不足しがちで、また水源となっている川もそれほどきれいでないことから美味しい水を飲ませてあげようと、この十年間だけでもカンボジア各地にたくさんの井戸が日本人らの援助によって掘りぬかれたそうです。
しかしここまで言えばわかると思いますが、この井戸掘りは現地の住民らに思わぬ問題を生んでしまいました。というのもカンボジアは地下水が砒素に汚染されている地域が多く、その地下水を汲み取る井戸から井戸水を摂取した住民らが次々と砒素中毒に罹り、死亡者もたくさん生んでしまったのです。
井戸水に含まれる砒素というのは摂取していくことで徐々に蓄積されて砒素中毒が発症するため、当初は次々と病人が生まれる原因がわからず被害の拡大をなかなか防ぐことが出来なかったそうです。現在では地域によってはそうして日本人の手によって掘られた井戸の使用が禁止されるなど対策が取られているようですが、この事実を報じたNHKの番組内では砒素中毒によって子供を失った母親のインタビューがあり、何度も井戸水が怪しいと言ったが誰も取り合ってくれなかったと嘆いていたのを見て胸が痛みました。また砒素中毒によって体に麻痺が現れ寝たきりとなった男性は、働けずに家族の負担にしかなっていないのが苦しいと漏らしていました。
ここで私がわざわざ文字にして書かなくとも言いたいことは既に伝わっていると思いますが、発展途上国などに援助を行うにあたり善意で行えばなんでもいいというわけではなく、時にはその善意が逆の結果を生んでしまうということもあるということです。こうした事態を避けるためにもこの問題を報じた番組内でゲストの専門家も、あらかじめ水質検査を行うなど日本とは違った国ゆえ考えうる限りの万全の体制を敷いて援助を行わなければならないと述べていましたが、まさにその通りでしょう。
たまに日本では結果がつかなくともその過程がしっかりしていればいいというような言質があり、善意で行ったのだから深く責めるべきでないという風にまとめられる事例もあります。ですがそんなものでは片付かないものももちろんあり、善意であろうとなんであろうと片付けようのない事例もあります。そうした悲劇を生み出さないためにも、周到な準備と調査はどの方面においても重要であると付け加えて私の結論とさせていただきます。
2009年4月13日月曜日
今後の株価について
このところ毎日のように知り合いの上海人から株価予想を聞かれ続けていたら別の友人からもこの株価について記事を書いてほしいとのリクエストが来たので、現状で私が今後の景気と株価を判断する材料をここで一挙に放出しようと思います。まず結論から言って、私はまだまだ景気も株価も暗い状態が続くと考えています。
別に景気判断に限るわけじゃないですが、予想というのは数ある情報の中からどれが最も強い影響を持っている情報なのかを探し出すというのが一番肝心です。ですが現在の景気判断においては逆説的ですが、私はどこをどう探しても良くなる条件が見つからないばかりか今後も悪化していくのではないかとうかがわせるような情報しか見当たりません。そういうわけなので、順番に注目している情報を挙げていきます。
1、ビッグスリーの破綻
現在アメリカの自動車ビッグスリーのフォード、クライスラー、GMは自分では取引先への支払いはおろか従業員へ払う給料すらも自前では用意できず、これらの支払いに使う資金の大半をアメリカ政府に肩代わりしてもらっております。何故これほどまでこの三社が優遇されるかといえばアメリカ国内においてこの三社が雇用している人数が非常に大きく、倒産させては一挙に失業者が街に溢れることになるからです。
とはいえこの三社の製品は国際的にお世辞にも競争力は強くなく、税金を投入してまで行き永らえさせても結局は一時しのぎにしかならず最後には倒産して無駄金に消えるのではないかと国内でも強い批判がされており、そのため政府としてもタダでとはいわず、過剰な従業員の待遇廃止やリストラといった具体的な再建策を融資条件にしているのですが現時点で三社はまだ思い切った再建策を出しておりません。
そうした中、あるタイムリミットが実は目前にまで迫ってきています。そのタイムリミットというのもクライスラーへの追加融資条件のことで、イタリアの自動車会社フィアットとの資本提携です。
国際的にも競争力もあり(アルファロメオは私も好き)、アメリカに強い販路を持っていないフィアットとの資本提携をまとめることをクライスラーは政府から融資条件として与えられていますが、一時は話がいいとこまで進んだらしいですがここに来てフィアットの方が落ち目のクライスラーを救うどころか一緒に引きずり込まれるのではという懸念が強まり、どうも交渉は暗礁に乗り始めているそうです。しかも今回の融資条件は期限が区切られていて、その期限は昨日の朝日新聞によると二十日を切っているそうです。
仮にこの話がまとまったとしても私はアメリカのビッグスリー三社が今後も生き残ることはありえないと思いますし、それを無理やり生き永らえさせても百害あって一利なしだとまで思います。言ってしまえばすでに経営的には破綻しているのだから、ビッグスリーのうち一社だけでも去年のうちにリーマンブラザーズ同様倒産させるか別の二社に吸収させるべきだったでしょう。
アメリカ政府がそこまで腹を決められるかですが、私は最低でも今年中にビッグスリーのどれかの管理機構入りの破綻は確実だと考えており、その際に大きく株価が下がることが予想されます。逆を言えば、その時が買いなんだけど。
2、政治的混乱
今度は日本の話ですが、どれだけ先延ばしにしても今年中に総選挙が行われます。この選挙の後に起こる可能性については大分前に一回記事にしていますが、現状ではその時に挙げた最悪のシナリオこと、自民も民主もどちらも単独過半数が取れないという趨勢になりつつあります。
どっちかが過半数を取るならともかくどっちも単独過半数を割る、もしくは自民党が議席の三分の二を割るだけでも政権を取った与党にとって国会運営は非常に困難をきたすようになり、そうした政治的混乱が市場に与える悪影響は計り知れません。この前までは民主党が非常に優勢だったので何とか民主が勝ってくれるという希望があったのですが例の小沢代表の秘書逮捕を受けて、かといって自民党も相変わらず人気が上がらず、このままでは次の選挙は勝者なき選挙で終わってしまう可能性が高いです。
言うなればこの際どっちでもいいから選挙で大勝して安定した政権を作ることが一番大事なのですが、検察が余計なことをするもんだから日本にとっての危機は増大したでしょう。またどちらも中途半端に終わって政界再編がスムーズに行われるというのであれば話は別ですが、そんなにうまくいけば誰も苦労はしません。渡辺喜美議員も飛び出したはいいけど、見事に誰も付いてこなかったし。
3、政策的失敗
ちょうど昨日に書きましたが、今の政府の景気対策の中身に私は非常に疑問を持っています。確かにお金を積めば今みたいに一時的に株価は上げることは可能ですが、それらのお金は突然降って湧いたものではなく将来返さなければならない借金です。今年の間はともかく来年度以降は徐々にその軋みが現実にも及ぼすようになり、金融総理こと与謝野大臣も明言している通りに2011年には消費税の増税も織り込み済みで、将来の増税が目に見えている資本投入で市場が刺激されるとは思えません。
そしてなにより、今の日本の経済上の問題点がどこにあるのか、何をすればいいのかという現状分析がきちんとなされないままの今回のように資本投入されてしまうことに苛立ちを覚えます。私は今の日本が抱える最大の問題点は二十代の失業率が10%を越えるまでの若者の不安定な雇用環境と内需の決定的な不足、そして外需に丸頼みの輸出依存型の経済体制だと考えています。これらの問題点をどう克服するか、どれだけ力を入れればいいのかという議論なしで今後の経済成長はまずありえないと考えます。
4、オバマ政権の顔ぶれ
これは今朝読んだ文芸春秋の「強欲国家米国が破産する日」(神谷秀樹著)に書かれていますが、今のオバマ政権の経済政策官僚のラリー・サマーズ国家経済会議委員長とティム・ガイトナー財務長官というのは、なんでもクリントン政権時の財務長官であるボブ・ルービンの門下生だそうです。この人の経歴というのも元ゴールドマン・サックス会長、シティグループ上級アドバイザーといった見事な経歴で、まさに今回の金融危機の元凶を作り出した一派の親玉みたいな人で、彼らを批判していた側の人間でなくまさに危機の元凶を作った一派の人間を政権に引き入れて果たして今の問題を解決へと導けるのかと神谷氏も言っていますが、言われることごもっともです。
こうした判断材料から、私はまだまだ景気は明るくならないと考えております。先ほど引用した神谷氏が同じ記事にてリーマンショックからもう半年以上経つが、未だに今回の金融危機は全体像が見えず景気の底がわからないと述べていますが、私もこの意見と同じで全く以って現状分析が成り立たない今の段階で景気が落ちることはあっても良くなるとはとても思えません。
そうはいってもこのところ日本の株価は上がっているじゃないかと言われるかもしれませんが、これは一昨日に友人とも議論しましたが、定額給付金を始めとした中身のない予算が通っただけでこれほどまで株価が上がる要素とは思えず、恐らく投資ファンドや年金機構などが契約の制約上、期末、期首ゆえに無理やり株式や通貨を購入した結果で、いわば偶発的なもので長くは続かないだろうという結論に終わりました。はっきり言いますが先月から今月にかけての株価上昇は異常なまでに不気味で、もし株を持っている人がいるのなら今のうちに売り払うべきだと思います。
さて、これで明日からでも株価が思いっきり下がってくれれば鼻高々なんだけどなぁ。
別に景気判断に限るわけじゃないですが、予想というのは数ある情報の中からどれが最も強い影響を持っている情報なのかを探し出すというのが一番肝心です。ですが現在の景気判断においては逆説的ですが、私はどこをどう探しても良くなる条件が見つからないばかりか今後も悪化していくのではないかとうかがわせるような情報しか見当たりません。そういうわけなので、順番に注目している情報を挙げていきます。
1、ビッグスリーの破綻
現在アメリカの自動車ビッグスリーのフォード、クライスラー、GMは自分では取引先への支払いはおろか従業員へ払う給料すらも自前では用意できず、これらの支払いに使う資金の大半をアメリカ政府に肩代わりしてもらっております。何故これほどまでこの三社が優遇されるかといえばアメリカ国内においてこの三社が雇用している人数が非常に大きく、倒産させては一挙に失業者が街に溢れることになるからです。
とはいえこの三社の製品は国際的にお世辞にも競争力は強くなく、税金を投入してまで行き永らえさせても結局は一時しのぎにしかならず最後には倒産して無駄金に消えるのではないかと国内でも強い批判がされており、そのため政府としてもタダでとはいわず、過剰な従業員の待遇廃止やリストラといった具体的な再建策を融資条件にしているのですが現時点で三社はまだ思い切った再建策を出しておりません。
そうした中、あるタイムリミットが実は目前にまで迫ってきています。そのタイムリミットというのもクライスラーへの追加融資条件のことで、イタリアの自動車会社フィアットとの資本提携です。
国際的にも競争力もあり(アルファロメオは私も好き)、アメリカに強い販路を持っていないフィアットとの資本提携をまとめることをクライスラーは政府から融資条件として与えられていますが、一時は話がいいとこまで進んだらしいですがここに来てフィアットの方が落ち目のクライスラーを救うどころか一緒に引きずり込まれるのではという懸念が強まり、どうも交渉は暗礁に乗り始めているそうです。しかも今回の融資条件は期限が区切られていて、その期限は昨日の朝日新聞によると二十日を切っているそうです。
仮にこの話がまとまったとしても私はアメリカのビッグスリー三社が今後も生き残ることはありえないと思いますし、それを無理やり生き永らえさせても百害あって一利なしだとまで思います。言ってしまえばすでに経営的には破綻しているのだから、ビッグスリーのうち一社だけでも去年のうちにリーマンブラザーズ同様倒産させるか別の二社に吸収させるべきだったでしょう。
アメリカ政府がそこまで腹を決められるかですが、私は最低でも今年中にビッグスリーのどれかの管理機構入りの破綻は確実だと考えており、その際に大きく株価が下がることが予想されます。逆を言えば、その時が買いなんだけど。
2、政治的混乱
今度は日本の話ですが、どれだけ先延ばしにしても今年中に総選挙が行われます。この選挙の後に起こる可能性については大分前に一回記事にしていますが、現状ではその時に挙げた最悪のシナリオこと、自民も民主もどちらも単独過半数が取れないという趨勢になりつつあります。
どっちかが過半数を取るならともかくどっちも単独過半数を割る、もしくは自民党が議席の三分の二を割るだけでも政権を取った与党にとって国会運営は非常に困難をきたすようになり、そうした政治的混乱が市場に与える悪影響は計り知れません。この前までは民主党が非常に優勢だったので何とか民主が勝ってくれるという希望があったのですが例の小沢代表の秘書逮捕を受けて、かといって自民党も相変わらず人気が上がらず、このままでは次の選挙は勝者なき選挙で終わってしまう可能性が高いです。
言うなればこの際どっちでもいいから選挙で大勝して安定した政権を作ることが一番大事なのですが、検察が余計なことをするもんだから日本にとっての危機は増大したでしょう。またどちらも中途半端に終わって政界再編がスムーズに行われるというのであれば話は別ですが、そんなにうまくいけば誰も苦労はしません。渡辺喜美議員も飛び出したはいいけど、見事に誰も付いてこなかったし。
3、政策的失敗
ちょうど昨日に書きましたが、今の政府の景気対策の中身に私は非常に疑問を持っています。確かにお金を積めば今みたいに一時的に株価は上げることは可能ですが、それらのお金は突然降って湧いたものではなく将来返さなければならない借金です。今年の間はともかく来年度以降は徐々にその軋みが現実にも及ぼすようになり、金融総理こと与謝野大臣も明言している通りに2011年には消費税の増税も織り込み済みで、将来の増税が目に見えている資本投入で市場が刺激されるとは思えません。
そしてなにより、今の日本の経済上の問題点がどこにあるのか、何をすればいいのかという現状分析がきちんとなされないままの今回のように資本投入されてしまうことに苛立ちを覚えます。私は今の日本が抱える最大の問題点は二十代の失業率が10%を越えるまでの若者の不安定な雇用環境と内需の決定的な不足、そして外需に丸頼みの輸出依存型の経済体制だと考えています。これらの問題点をどう克服するか、どれだけ力を入れればいいのかという議論なしで今後の経済成長はまずありえないと考えます。
4、オバマ政権の顔ぶれ
これは今朝読んだ文芸春秋の「強欲国家米国が破産する日」(神谷秀樹著)に書かれていますが、今のオバマ政権の経済政策官僚のラリー・サマーズ国家経済会議委員長とティム・ガイトナー財務長官というのは、なんでもクリントン政権時の財務長官であるボブ・ルービンの門下生だそうです。この人の経歴というのも元ゴールドマン・サックス会長、シティグループ上級アドバイザーといった見事な経歴で、まさに今回の金融危機の元凶を作り出した一派の親玉みたいな人で、彼らを批判していた側の人間でなくまさに危機の元凶を作った一派の人間を政権に引き入れて果たして今の問題を解決へと導けるのかと神谷氏も言っていますが、言われることごもっともです。
こうした判断材料から、私はまだまだ景気は明るくならないと考えております。先ほど引用した神谷氏が同じ記事にてリーマンショックからもう半年以上経つが、未だに今回の金融危機は全体像が見えず景気の底がわからないと述べていますが、私もこの意見と同じで全く以って現状分析が成り立たない今の段階で景気が落ちることはあっても良くなるとはとても思えません。
そうはいってもこのところ日本の株価は上がっているじゃないかと言われるかもしれませんが、これは一昨日に友人とも議論しましたが、定額給付金を始めとした中身のない予算が通っただけでこれほどまで株価が上がる要素とは思えず、恐らく投資ファンドや年金機構などが契約の制約上、期末、期首ゆえに無理やり株式や通貨を購入した結果で、いわば偶発的なもので長くは続かないだろうという結論に終わりました。はっきり言いますが先月から今月にかけての株価上昇は異常なまでに不気味で、もし株を持っている人がいるのなら今のうちに売り払うべきだと思います。
さて、これで明日からでも株価が思いっきり下がってくれれば鼻高々なんだけどなぁ。
2009年4月12日日曜日
09年度補正予算案について
前々から書こうと思っていたけど、昨日に友人と議論して整理がついた上に今日のサンデープロジェクト内でも取り上げられていたことから材料が揃ったのでまとめようと思います。
現在政府は経済対策として過去最大規模となる15兆円もの補正予算案を検討し今国会内で通過させることを目標として挙げていますが、結論から言えば私はこの補正予算案は無駄な一石に終わると考えています。
検討する要点がたくさんあるので一つ一つ説明してきますが、まず一番問題なのは時期です。これは私も思っていたところ今日のサンデープロジェクト内で竹中氏も言っていたので自信を持つようになったのですが、何故この時期に補正予算案を組んだかです。景気が悪くなっているから財政出動が必要というのは理解できるにしろ、今年度の本予算が先月に通ったばかりにも関わらずまたすぐに補正予算を組もうとするのかが問題なのです。
景気対策としての財政出動は言うなればタイミングが最も肝心で、早ければ早いに越したことはありません。ですが現在の麻生政権は本予算を国会で通した後でこの補正予算案を出してきており、どうして本予算に一緒に組み込んで審議、実行しなかったのかということです。
もう一度言いますが財政出動は早ければ早いほど、またまとまっていればまとまっているほど効果が見込めます。恐らく今回の補正予算は本予算じゃ足りなさそうというのが本予算の審議中にわかってきて、足りない分を後から上乗せしようとして作ったのだと思います。それを裏付けるかのように麻生首相は記者会見にて何故15兆円もの額になったのかと尋ねられ、必要な分を重ねていったらこの額になっただけだと答えています。
この発言について竹中氏は今日の番組にて、政府は今の不況を克服するのにどれだけの額、どんな政策が必要なのかという現状分析を行わずにただお金を積めばいいとして補正予算案を作っていると批判していましたが私もこの竹中氏の発言を支持します。これはちょっと思い出せないのですがどこかで見た評論にて、二次対戦中の日本軍も状況分析を怠り、勝利するのにどれだけの兵力や兵器が必要かを考えずに部隊を投入させては戦況を悪化させ、その度に戦力の逐次投入を行った結果勝てる可能性のあった戦闘もみすみす敗北した経験があるが、現在の政府の不況対策も全く同じであるという批判もありました。
そして補正予算案の中身を見ても、あくまで私は素人ですがその素人目にしてもこれで本当に効果が見込めるかといったら非常に疑問な内容です。まず自動車や家電をエコ替えとばかり燃費効率のいいものに買い換える場合に還付金を出す内容ですが、これでは一時的な消費を生んでも結局その場しのぎにしかならず、言うなれば将来車や家電を買い換える人がその時期を早めるだけに終わってしまいます。
また少子化対策として3~5歳の子供のいる家庭に3万6千円を配布するという内容も盛り込まれていますが、配布するのは今年度の一回限りということなのでこれでは定額給付金と一緒で本当に何にもなりません。
そして私がまだ期待していた贈与税の減税も非課税枠を現行の年110万円から用途を住宅購入に限って500万円まで非課税とするとしていますが、何故ここに至って住宅購入に用途を限定するのかが理解できません。恐らく建設業界に泣き疲れたんだと思うけど。
私としては15兆円もの大金を使うのであれば需要に対して供給が全然足りておらず、また薄給激務で知られる介護事業などの補助金や人材育成に使ったり、不安定な雇用環境の中で生活の安定しない人たちの生活保護や就職援助に使う方がずっと建設的だと思います。一応これらの方面へもこの補正予算案では盛り込まれていますが、エコ替えの分の予算も丸ごとこっちへ持って来るべきでしょう。
最後にもう一度繰り返しますが、政府はもっと現状分析をしっかりとやった上でどこにどれだけの額の予算をつぎ込むのが最も建設的なのかということをしっかり考えるべきです。昔から日本人が統計に弱いのはわかっちゃいますが。
現在政府は経済対策として過去最大規模となる15兆円もの補正予算案を検討し今国会内で通過させることを目標として挙げていますが、結論から言えば私はこの補正予算案は無駄な一石に終わると考えています。
検討する要点がたくさんあるので一つ一つ説明してきますが、まず一番問題なのは時期です。これは私も思っていたところ今日のサンデープロジェクト内で竹中氏も言っていたので自信を持つようになったのですが、何故この時期に補正予算案を組んだかです。景気が悪くなっているから財政出動が必要というのは理解できるにしろ、今年度の本予算が先月に通ったばかりにも関わらずまたすぐに補正予算を組もうとするのかが問題なのです。
景気対策としての財政出動は言うなればタイミングが最も肝心で、早ければ早いに越したことはありません。ですが現在の麻生政権は本予算を国会で通した後でこの補正予算案を出してきており、どうして本予算に一緒に組み込んで審議、実行しなかったのかということです。
もう一度言いますが財政出動は早ければ早いほど、またまとまっていればまとまっているほど効果が見込めます。恐らく今回の補正予算は本予算じゃ足りなさそうというのが本予算の審議中にわかってきて、足りない分を後から上乗せしようとして作ったのだと思います。それを裏付けるかのように麻生首相は記者会見にて何故15兆円もの額になったのかと尋ねられ、必要な分を重ねていったらこの額になっただけだと答えています。
この発言について竹中氏は今日の番組にて、政府は今の不況を克服するのにどれだけの額、どんな政策が必要なのかという現状分析を行わずにただお金を積めばいいとして補正予算案を作っていると批判していましたが私もこの竹中氏の発言を支持します。これはちょっと思い出せないのですがどこかで見た評論にて、二次対戦中の日本軍も状況分析を怠り、勝利するのにどれだけの兵力や兵器が必要かを考えずに部隊を投入させては戦況を悪化させ、その度に戦力の逐次投入を行った結果勝てる可能性のあった戦闘もみすみす敗北した経験があるが、現在の政府の不況対策も全く同じであるという批判もありました。
そして補正予算案の中身を見ても、あくまで私は素人ですがその素人目にしてもこれで本当に効果が見込めるかといったら非常に疑問な内容です。まず自動車や家電をエコ替えとばかり燃費効率のいいものに買い換える場合に還付金を出す内容ですが、これでは一時的な消費を生んでも結局その場しのぎにしかならず、言うなれば将来車や家電を買い換える人がその時期を早めるだけに終わってしまいます。
また少子化対策として3~5歳の子供のいる家庭に3万6千円を配布するという内容も盛り込まれていますが、配布するのは今年度の一回限りということなのでこれでは定額給付金と一緒で本当に何にもなりません。
そして私がまだ期待していた贈与税の減税も非課税枠を現行の年110万円から用途を住宅購入に限って500万円まで非課税とするとしていますが、何故ここに至って住宅購入に用途を限定するのかが理解できません。恐らく建設業界に泣き疲れたんだと思うけど。
私としては15兆円もの大金を使うのであれば需要に対して供給が全然足りておらず、また薄給激務で知られる介護事業などの補助金や人材育成に使ったり、不安定な雇用環境の中で生活の安定しない人たちの生活保護や就職援助に使う方がずっと建設的だと思います。一応これらの方面へもこの補正予算案では盛り込まれていますが、エコ替えの分の予算も丸ごとこっちへ持って来るべきでしょう。
最後にもう一度繰り返しますが、政府はもっと現状分析をしっかりとやった上でどこにどれだけの額の予算をつぎ込むのが最も建設的なのかということをしっかり考えるべきです。昔から日本人が統計に弱いのはわかっちゃいますが。
グローバルルール、ローカルルール
確かWEBマンガの「ヘタリア」だったと思うけどそこの日本の紹介文で確か、「意外に世間知らずで、他国から見るとびっくりするようなことを平気でやっていたりする」というような内容が書かれていたと思うのですが、この紹介文を見てうまいとこ突いているなぁと私は納得しました。別に日本に限るわけではないでしょうが自国では当たり前でも他国では当たり前じゃないという制度や慣習というのは本人たちにはなかなか気づき辛いもので、国境を陸地で接していない島国の日本ではそういうものが他国よりは多いような気がします。
そうした例として私が体験したものとしては、まぁ無難な例としては信号に対する意識が出てきます。まず中国では車も歩行者も全く信号を守りません。それこそ隙あらば付け入るとばかりに車も歩行者もこれでもかといわんばかりに飛び出してきますし、それが向こうでは当たり前の世界として広がっています。また中国ほどひどくなくともイギリスでも歩行者はほとんど信号を守らず、左右から車が来ていなければ皆平気でずんずん渡り始めてしまいますので、日本じゃよく大阪の交通マナーが悪いとは言いますが中国やイギリスに比べれば随分とマシなんじゃないかと思ってしまいます。
この二国以外でもいろいろ人に聞くと、アジア諸国を筆頭として信号を日本人ほど守る国はそれほど多くない気がします。ですが日本人は環境的に自分たちくらい信号を守るのが普通だと思っているのか、仕方が無いとは思いますが他国に行くと「こいつらは信号を全然守らない」として憤懣やるかたなく愚痴を漏らしがちで自分たちの方が少数派であるということをそれほど意識しません。
もっとも信号ルールくらいの意識の違いは大きな問題ではないでしょうが、これがこと商取引や法律となるとグローバル化の昨今ではいろいろと摩擦を引き起こしてしまいます。特に商取引については日本と中国では根本から意識が違うせいでしょっちゅう問題になりますし、犯罪に対する価値観の違いからも思わぬ事件が起きたりします。
折角なのでここで書いておきますが、中国では麻薬の所持だけでも死刑が科せられます。というのも南部の麻薬汚染が余りにも大きいがために政府も厳罰を以って望んでおり、そのため最近よくある闇サイトでの仕事斡旋で知らず知らずのうちに麻薬の運搬役となって見つかってしまった場合は本当に言い訳がきかないので、絶対にこういうことに手を出してはなりません。
ここで話は変わりますが、日本社会ではいろんなところで「マナー」って奴があります。労を労う際に相手が目上の人間であれば「お疲れ様でした」、目下の人間であれば「ご苦労様でした」と同じ意味の言葉でも使い分けねばなりません。このほかにも客先への訪問時にお茶やコーヒーが出されても客先の担当者が口につけるまでこっちは手を出してはならない、ついでに言えば椅子も相手より先に座ってはならない。ほかにも名刺を差し出すときは相手より低い位置から差し出すという、背の高い奴にはどうしろってんだといいたくなるようなものまであります。
今挙げたルールはほぼ間違いなく日本だけのローカルルールで、私からしたらお互いにこんな細かくくだらない差なんて気にしなければいいじゃないかと思う例です。私なんか後輩から「ご苦労様でした」と言われても別になんとも思わないし、相手がどのように自分を思ってどんな意図を伝えたいのかを考えれば言葉の違いを気にする方のが異常だと思います。
私は別にマナーすべてを否定する気はありません。ですが狭い範囲でしか通用しないルールを構成員に互いに強制し合って互いに縛り合うというのは非常に無駄な作業だと思うし、細かいことを互いにいちいち気にしないで接し合う社会の方が優れている気がします。
そして一番始末が悪いのは、ローカルルールとグローバルルールが真っ向から食い違っている場合です。日本企業の品質重視主義など優れたルールは逆に世界へ広げていくべきだとは思いますが、前にも一度書いた「犯罪者の家族への社会的制裁」にて触れたように、過剰な集団主義的な価値観を改めて欧米のような個人主義的な価値観も取り入れていくべきだと思います。
勢いで一気に書いたのでこの記事はあまりまとまりがありませんが、坂本龍馬風に言えば要するに、日本という小さな国の中での違いを気にするよりもっと広い世界に目を向けるべきだぜよ、ってところです。
そうした例として私が体験したものとしては、まぁ無難な例としては信号に対する意識が出てきます。まず中国では車も歩行者も全く信号を守りません。それこそ隙あらば付け入るとばかりに車も歩行者もこれでもかといわんばかりに飛び出してきますし、それが向こうでは当たり前の世界として広がっています。また中国ほどひどくなくともイギリスでも歩行者はほとんど信号を守らず、左右から車が来ていなければ皆平気でずんずん渡り始めてしまいますので、日本じゃよく大阪の交通マナーが悪いとは言いますが中国やイギリスに比べれば随分とマシなんじゃないかと思ってしまいます。
この二国以外でもいろいろ人に聞くと、アジア諸国を筆頭として信号を日本人ほど守る国はそれほど多くない気がします。ですが日本人は環境的に自分たちくらい信号を守るのが普通だと思っているのか、仕方が無いとは思いますが他国に行くと「こいつらは信号を全然守らない」として憤懣やるかたなく愚痴を漏らしがちで自分たちの方が少数派であるということをそれほど意識しません。
もっとも信号ルールくらいの意識の違いは大きな問題ではないでしょうが、これがこと商取引や法律となるとグローバル化の昨今ではいろいろと摩擦を引き起こしてしまいます。特に商取引については日本と中国では根本から意識が違うせいでしょっちゅう問題になりますし、犯罪に対する価値観の違いからも思わぬ事件が起きたりします。
折角なのでここで書いておきますが、中国では麻薬の所持だけでも死刑が科せられます。というのも南部の麻薬汚染が余りにも大きいがために政府も厳罰を以って望んでおり、そのため最近よくある闇サイトでの仕事斡旋で知らず知らずのうちに麻薬の運搬役となって見つかってしまった場合は本当に言い訳がきかないので、絶対にこういうことに手を出してはなりません。
ここで話は変わりますが、日本社会ではいろんなところで「マナー」って奴があります。労を労う際に相手が目上の人間であれば「お疲れ様でした」、目下の人間であれば「ご苦労様でした」と同じ意味の言葉でも使い分けねばなりません。このほかにも客先への訪問時にお茶やコーヒーが出されても客先の担当者が口につけるまでこっちは手を出してはならない、ついでに言えば椅子も相手より先に座ってはならない。ほかにも名刺を差し出すときは相手より低い位置から差し出すという、背の高い奴にはどうしろってんだといいたくなるようなものまであります。
今挙げたルールはほぼ間違いなく日本だけのローカルルールで、私からしたらお互いにこんな細かくくだらない差なんて気にしなければいいじゃないかと思う例です。私なんか後輩から「ご苦労様でした」と言われても別になんとも思わないし、相手がどのように自分を思ってどんな意図を伝えたいのかを考えれば言葉の違いを気にする方のが異常だと思います。
私は別にマナーすべてを否定する気はありません。ですが狭い範囲でしか通用しないルールを構成員に互いに強制し合って互いに縛り合うというのは非常に無駄な作業だと思うし、細かいことを互いにいちいち気にしないで接し合う社会の方が優れている気がします。
そして一番始末が悪いのは、ローカルルールとグローバルルールが真っ向から食い違っている場合です。日本企業の品質重視主義など優れたルールは逆に世界へ広げていくべきだとは思いますが、前にも一度書いた「犯罪者の家族への社会的制裁」にて触れたように、過剰な集団主義的な価値観を改めて欧米のような個人主義的な価値観も取り入れていくべきだと思います。
勢いで一気に書いたのでこの記事はあまりまとまりがありませんが、坂本龍馬風に言えば要するに、日本という小さな国の中での違いを気にするよりもっと広い世界に目を向けるべきだぜよ、ってところです。
満州帝国とは~その九、甘粕正彦
前回に引き続き人物伝です。今日取り上げるのは映画「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じたことで有名な、満州の夜の帝王と呼ばれた甘粕正彦です。
甘粕は大学受験レベルでの日本史でも大きく取り上げられておりこの科目を受験した人ならばまず誰もが知っているであろう人物で、関東大震災の混乱のどさくさに紛れて無政府主義者の大杉栄とその内縁の妻であった伊藤野枝、そしてわずか六歳の大杉の甥をその思想信条が将来政府に仇なすであろうことから甘粕の独断で殺害したという、俗に言う甘粕事件の犯人として紹介されています。
しかしこの甘粕事件については発生した当時からも甘粕正彦が犯人ということ事実は世間から疑問視されていたようで、この連載に使用した資料は最後にまとめて紹介する予定ですが、この甘粕正彦についての資料である去年に出版された佐野真一氏による「甘粕正彦 乱心の曠野」にはその辺りの詳細が詳しく載せられています。
まず事件発生当時からあった矛盾点として、事件の発端となった大杉らの拉致と殺害に際して甘粕とともに実行した憲兵らは所属で言えば甘粕の部下に当たらず、いくら関東大震災の戒厳令下とはいえ上意下達が厳守されている憲兵組織の指揮系統上、また甘粕自身がこうした憲兵内の軍規に対して忠実な人間であったことから事件に関わった憲兵らを命令することは不可能と見られていました。
そしてこの事件の甘粕犯人説を否定する決定的な証拠は、戦後になってから発見された大杉らの死亡鑑定書と甘粕の逮捕後から裁判中の供述の食い違いです。甘粕は逮捕後の供述にて取調べ室内で椅子に座っていた大杉の背後から首を絞め殺害し、その後同じ手段で伊藤も殺害したと供述してますが、両者の死亡鑑定書によると執拗な暴行を加えられた上での絞殺となっており甘粕の供述とは明らかに異なっております。
こうしたことから裁判中も甘粕の弁護士は、真犯人の罪を被ろうとせず真実に基づいた供述をするよう甘粕本人に対して促す質問を繰り返しています。そうした一連の質問の中で、私が最も心を動かされた質問は以下の質問です。
「甘粕大尉、あなたは上杉謙信の部下として川中島の戦いでも活躍した甘粕近江守の末裔であり、勤務には実直でよく部下を可愛がるなど柔和仁慈の者であるあなたがわずか六歳の少年の殺害という残虐な行為を行うとは考え辛く、さらには天皇の名で裁かれる法廷にてわが国の武士道を汚すような虚偽の証言をするはずがない」
この質問文はさきほどの「甘粕正彦 乱心の曠野」から引用したものですが、整理がつきやすいようにとそのまま引用せずに結構大胆に脚色しております。ちょっと話が外れますがこの質問に出てくる甘粕近江守というのは、今NHKでやっている「天地人」にてパパイヤ鈴木氏が演じている甘粕景持のことで、この人物が甘粕正彦の祖先に当たります。(申し訳ありません。パパイヤ鈴木氏が演じているのは甘粕景継で、この人は甘粕景持の親戚でした。訂正してお詫びします)
話は戻り弁護士は甘粕に対し大杉、伊藤はともかくとして罪無き子供まで殺したとは考え辛く、誰か部下の罪を被っているのではないのかと再三問い詰めました。これら一連の質問に対して甘粕は「無意識に子供も殺した」と答え続けるものの弁護士の追及はやまず、一時休憩が挟まれた後に甘粕は最後こう答えています。
「大杉、伊藤の両人を殺したのは考えがあったことからです」
こう述べた後、甘粕はすすり泣きながら続けました。
「部下の者に罪を負わせるのは忍びませんので、ただいままで偽りを申し立てておりました。実際は私は子供を殺さんのであります。菰包みになったのを見て、はじめてそれを知ったのであります」
この下りは何度読んでも胸がつかえる思いがします。この甘粕の証言の後、では一体誰が大杉の甥を殺害したのかという質問について甘粕はわからないとの一点張りで、最終的には甘粕と共に逮捕された憲兵が実行したと裁判中に供述しすることでうやむやのうちに結論がつけられています。
こうした経緯がありながらも裁判は結局甘粕の主犯によるものということ決着し、甘粕へは懲役刑の判決が言い渡されて結審しています。そして甘粕は出所後はまるで人目から遠ざけられるように陸軍よりパリへと留学させられた挙句、周り回って満州の関東軍内で謀略を巡らす機関の責任者にもなり、以前の記事にて紹介したように満州事変時に日本領事館へと爆弾を投げ込んでこれを中国軍によるものとして戦火を拡大させ、事変後の満州政府の設立のためにラストエンペラーの溥儀を迎えるなど歴史の暗部で活躍を見せることとなりました。
そして満州事変後、甘粕は請われて満映こと満州映画協会の理事長となり、映画の「ラストエンペラー」ではこの時の甘粕が登場しています。もっとも映画ではさも悪人のように描かれていますが実態は少し違っていたようで、会社の金を役員が平気で持ち出していた放漫経営を叩き直しただけでなく、日本人社員と中国人社員で大きな差のあった給料額を平等にするなど格差是正に努めていたそうです。実際にこの時満映に属していた森重久弥氏や山口淑子氏は甘粕について好意的な証言を寄せており、無口で一見恐そうな印象(この時の写真を見ると私からしても恐そうに思える)をしているが周囲に対しては人一倍気を使う人で非常に優しい人物であったと述べています。
またこの満映時代、甘粕は自身の運命から思うところがあったのか、日本で左翼活動をしていたとして社会から弾き出されていた運動家等を非常に多く満映に招聘しています。
最終的には終戦と共に甘粕は幼い子供を残して青酸カリを含んでの自殺を遂げていますが、「甘粕正彦 乱心の曠野」の書評にて佐藤優氏は、忠実であるがゆえに歴史に一生を翻弄された官僚だと、多少自分と重ねるような評価をしているのかもしれませんがこの意見に私も同感です。先ほど挙げた矛盾点からわかる通り、専門家らの間で甘粕事件の犯人は甘粕ではないだろうと見られているものの、現在も中高の教科書にて凄惨な事件を起こした冷血な犯人として書かれているというのには不憫に思えます。
甘粕は大学受験レベルでの日本史でも大きく取り上げられておりこの科目を受験した人ならばまず誰もが知っているであろう人物で、関東大震災の混乱のどさくさに紛れて無政府主義者の大杉栄とその内縁の妻であった伊藤野枝、そしてわずか六歳の大杉の甥をその思想信条が将来政府に仇なすであろうことから甘粕の独断で殺害したという、俗に言う甘粕事件の犯人として紹介されています。
しかしこの甘粕事件については発生した当時からも甘粕正彦が犯人ということ事実は世間から疑問視されていたようで、この連載に使用した資料は最後にまとめて紹介する予定ですが、この甘粕正彦についての資料である去年に出版された佐野真一氏による「甘粕正彦 乱心の曠野」にはその辺りの詳細が詳しく載せられています。
まず事件発生当時からあった矛盾点として、事件の発端となった大杉らの拉致と殺害に際して甘粕とともに実行した憲兵らは所属で言えば甘粕の部下に当たらず、いくら関東大震災の戒厳令下とはいえ上意下達が厳守されている憲兵組織の指揮系統上、また甘粕自身がこうした憲兵内の軍規に対して忠実な人間であったことから事件に関わった憲兵らを命令することは不可能と見られていました。
そしてこの事件の甘粕犯人説を否定する決定的な証拠は、戦後になってから発見された大杉らの死亡鑑定書と甘粕の逮捕後から裁判中の供述の食い違いです。甘粕は逮捕後の供述にて取調べ室内で椅子に座っていた大杉の背後から首を絞め殺害し、その後同じ手段で伊藤も殺害したと供述してますが、両者の死亡鑑定書によると執拗な暴行を加えられた上での絞殺となっており甘粕の供述とは明らかに異なっております。
こうしたことから裁判中も甘粕の弁護士は、真犯人の罪を被ろうとせず真実に基づいた供述をするよう甘粕本人に対して促す質問を繰り返しています。そうした一連の質問の中で、私が最も心を動かされた質問は以下の質問です。
「甘粕大尉、あなたは上杉謙信の部下として川中島の戦いでも活躍した甘粕近江守の末裔であり、勤務には実直でよく部下を可愛がるなど柔和仁慈の者であるあなたがわずか六歳の少年の殺害という残虐な行為を行うとは考え辛く、さらには天皇の名で裁かれる法廷にてわが国の武士道を汚すような虚偽の証言をするはずがない」
この質問文はさきほどの「甘粕正彦 乱心の曠野」から引用したものですが、整理がつきやすいようにとそのまま引用せずに結構大胆に脚色しております。ちょっと話が外れますがこの質問に出てくる甘粕近江守というのは、今NHKでやっている「天地人」にてパパイヤ鈴木氏が演じている甘粕景持のことで、この人物が甘粕正彦の祖先に当たります。(申し訳ありません。パパイヤ鈴木氏が演じているのは甘粕景継で、この人は甘粕景持の親戚でした。訂正してお詫びします)
話は戻り弁護士は甘粕に対し大杉、伊藤はともかくとして罪無き子供まで殺したとは考え辛く、誰か部下の罪を被っているのではないのかと再三問い詰めました。これら一連の質問に対して甘粕は「無意識に子供も殺した」と答え続けるものの弁護士の追及はやまず、一時休憩が挟まれた後に甘粕は最後こう答えています。
「大杉、伊藤の両人を殺したのは考えがあったことからです」
こう述べた後、甘粕はすすり泣きながら続けました。
「部下の者に罪を負わせるのは忍びませんので、ただいままで偽りを申し立てておりました。実際は私は子供を殺さんのであります。菰包みになったのを見て、はじめてそれを知ったのであります」
この下りは何度読んでも胸がつかえる思いがします。この甘粕の証言の後、では一体誰が大杉の甥を殺害したのかという質問について甘粕はわからないとの一点張りで、最終的には甘粕と共に逮捕された憲兵が実行したと裁判中に供述しすることでうやむやのうちに結論がつけられています。
こうした経緯がありながらも裁判は結局甘粕の主犯によるものということ決着し、甘粕へは懲役刑の判決が言い渡されて結審しています。そして甘粕は出所後はまるで人目から遠ざけられるように陸軍よりパリへと留学させられた挙句、周り回って満州の関東軍内で謀略を巡らす機関の責任者にもなり、以前の記事にて紹介したように満州事変時に日本領事館へと爆弾を投げ込んでこれを中国軍によるものとして戦火を拡大させ、事変後の満州政府の設立のためにラストエンペラーの溥儀を迎えるなど歴史の暗部で活躍を見せることとなりました。
そして満州事変後、甘粕は請われて満映こと満州映画協会の理事長となり、映画の「ラストエンペラー」ではこの時の甘粕が登場しています。もっとも映画ではさも悪人のように描かれていますが実態は少し違っていたようで、会社の金を役員が平気で持ち出していた放漫経営を叩き直しただけでなく、日本人社員と中国人社員で大きな差のあった給料額を平等にするなど格差是正に努めていたそうです。実際にこの時満映に属していた森重久弥氏や山口淑子氏は甘粕について好意的な証言を寄せており、無口で一見恐そうな印象(この時の写真を見ると私からしても恐そうに思える)をしているが周囲に対しては人一倍気を使う人で非常に優しい人物であったと述べています。
またこの満映時代、甘粕は自身の運命から思うところがあったのか、日本で左翼活動をしていたとして社会から弾き出されていた運動家等を非常に多く満映に招聘しています。
最終的には終戦と共に甘粕は幼い子供を残して青酸カリを含んでの自殺を遂げていますが、「甘粕正彦 乱心の曠野」の書評にて佐藤優氏は、忠実であるがゆえに歴史に一生を翻弄された官僚だと、多少自分と重ねるような評価をしているのかもしれませんがこの意見に私も同感です。先ほど挙げた矛盾点からわかる通り、専門家らの間で甘粕事件の犯人は甘粕ではないだろうと見られているものの、現在も中高の教科書にて凄惨な事件を起こした冷血な犯人として書かれているというのには不憫に思えます。
2009年4月11日土曜日
ゲームの体験版について
いろいろ書きたい内容がいっぱいあるのですが昨日に八時間も寝たにもかかわらず今とてつもなく眠いので、今日もちょっと短めの記事にします。明日一気に書かないとなぁ。
さてゲーム業界は規模的には90年代末期が最も栄えており、以前にも書きましたが当時は中には冗談とも思えるような奇抜なゲームが出るなどいろいろな意味で活力に満ちた時代でした。私はやったことはないのですが「モンスターファーム」というゲームでは通常に市販されている音楽CDからゲームで使用するキャラクターを作るという発想力に満ちたゲームもこの時に出ており、何か新しいジャンルに挑戦するという意味ではこの時期が一番挑戦されていた気がします。
何故この時代のゲーム業界がそれほどまでに意欲的だったかといえば、プレイステーションやセガサターンといったゲームハードが登場することによってそれまで作りたいと思ってもハードの制約上作れなかった内容がある程度実現しやすくなった上、現在に連なるプレイステーション2の時代のようにゲームの一本当たり開発費が今ほど高騰しておらず、何か新しい分野に挑戦しやすい時代だったからだと思います。
そういう時代だったゆえか、今思うと当時はいろんなところでいろんなゲームの体験版が溢れていたように思えます。最近ゲーム雑誌を買っていないので今はどんな具合なのかはよくわかっていないのですが、当時はそういったゲーム雑誌についていたり、ゲーム業界のイベントなどでは体験版CDが配られていたり、中には通常販売されているゲームにその会社で製作中のゲームの体験版が付いていたりすることが多かった気がします。
最後の例の体験版が付属していた例である意味有名なのは「ブレイブフェンサー武蔵伝」というスクウェアのゲームで、このゲームには当時に全盛期を謳歌していたファイナルファンタジー8の体験版が付属されていたため一部のユーザーなどからは「FF8の体験版に武蔵伝が付いている」とまで言われましたし、実際に私の周りでもFF8の体験版目当てでこのゲームの購入を検討していたのが結構いました。
当時は私は中学生でしたが、あまりお金もないということで友人同士で集まった際にゲームをするときはよくこういった体験版のゲームでも盛り上がって遊んでいました。特に一番盛り上がったのは「エアガイツ」というスクウェアの格闘ゲームの体験版で、製品版に対して体験版では使用キャラが三人に限定されるのですがそんなのお構いなしに延々とその三キャラで対戦を繰り返していました。またこのエアガイツに限らなくとも雑誌の付録ゲームでもそこそこ時間を潰したりして遊んでいましたが、残念ながら私に限って言えばそうした体験版が製品版の購入につながった例は全くといっていいほどありませんでした。
そんなんだから、こうした体験版って少なくなったのかなぁ。
さてゲーム業界は規模的には90年代末期が最も栄えており、以前にも書きましたが当時は中には冗談とも思えるような奇抜なゲームが出るなどいろいろな意味で活力に満ちた時代でした。私はやったことはないのですが「モンスターファーム」というゲームでは通常に市販されている音楽CDからゲームで使用するキャラクターを作るという発想力に満ちたゲームもこの時に出ており、何か新しいジャンルに挑戦するという意味ではこの時期が一番挑戦されていた気がします。
何故この時代のゲーム業界がそれほどまでに意欲的だったかといえば、プレイステーションやセガサターンといったゲームハードが登場することによってそれまで作りたいと思ってもハードの制約上作れなかった内容がある程度実現しやすくなった上、現在に連なるプレイステーション2の時代のようにゲームの一本当たり開発費が今ほど高騰しておらず、何か新しい分野に挑戦しやすい時代だったからだと思います。
そういう時代だったゆえか、今思うと当時はいろんなところでいろんなゲームの体験版が溢れていたように思えます。最近ゲーム雑誌を買っていないので今はどんな具合なのかはよくわかっていないのですが、当時はそういったゲーム雑誌についていたり、ゲーム業界のイベントなどでは体験版CDが配られていたり、中には通常販売されているゲームにその会社で製作中のゲームの体験版が付いていたりすることが多かった気がします。
最後の例の体験版が付属していた例である意味有名なのは「ブレイブフェンサー武蔵伝」というスクウェアのゲームで、このゲームには当時に全盛期を謳歌していたファイナルファンタジー8の体験版が付属されていたため一部のユーザーなどからは「FF8の体験版に武蔵伝が付いている」とまで言われましたし、実際に私の周りでもFF8の体験版目当てでこのゲームの購入を検討していたのが結構いました。
当時は私は中学生でしたが、あまりお金もないということで友人同士で集まった際にゲームをするときはよくこういった体験版のゲームでも盛り上がって遊んでいました。特に一番盛り上がったのは「エアガイツ」というスクウェアの格闘ゲームの体験版で、製品版に対して体験版では使用キャラが三人に限定されるのですがそんなのお構いなしに延々とその三キャラで対戦を繰り返していました。またこのエアガイツに限らなくとも雑誌の付録ゲームでもそこそこ時間を潰したりして遊んでいましたが、残念ながら私に限って言えばそうした体験版が製品版の購入につながった例は全くといっていいほどありませんでした。
そんなんだから、こうした体験版って少なくなったのかなぁ。
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