すでに昨日の段階で報道されておりますが、かねてより西川郵政会社社長の続投に異を唱えていた鳩山邦夫総務相が麻生首相に促される形で辞任しました。名目上は辞任ですが、実際には更迭と見るべきが妥当なので本記事中ではそちらの表現を採用します。
さてこの鳩山総務相の辞任の影響ですが他のニュースなどでも既に報じられているように、中山文部相、中川財務相に続いてこれが麻生内閣における三人目の閣僚の辞任とあり、しかもことここに至るまでの紆余曲折が長引いたこともあってただでさえ政権基盤の弱かった麻生政権のダメージは少なくなく、自民党内でも解散前の倒閣運動こと麻生降しの噂が早くも飛び交う事態とまで至っております。
今回のこの総務省の辞任劇について各新聞社も本日社説にてそれぞれ論説を述べていますが、産経新聞は以下のリンク先の記事を早速乗せております。
・更迭劇の舞台裏 「けんか両成敗」か「鳩山切り」か 苦悩の末の決断(YAHOOニュース)
この産経の記事では麻生首相がギリギリまで両者の和解を努力したものの結局は鳩山総務相が折れなかったことと、喧嘩両成敗で両者共に更迭することに自民党内で反対論が強かったことから鳩山氏だけが更迭されるという結果となったと報じていますが、言っちゃ何ですが産経新聞の書いていることは真実ではないと思います。自分でもここまでばっさり切っていいものかなとは思いますが、私の見立てと産経の報道内容にはどうも隔たりがあり、内容的に如何なものかと思う点が少なくありません。
じゃあそんな自信たっぷりに言う私のこの辞任劇の見立てはどんなものかというと、実は読売新聞の社説内容がまんま私の思い描いたものと一緒なので、まずはこちらのリンク先をご参照ください。
・首相、当初は「西川交代」…竹中・小泉コンビが封じ込め(YAHOOニュース)
こっちの読売新聞の記事では当初麻生首相も鳩山総務相の意向通りに西川社長を更迭して代わりの人物を新社長として立てようとしたものの、小泉元首相と竹中平蔵氏の根回しによる逆襲を受けて新人事案を潰されてしまったという、比べてみると産経新聞の報じた内容との間に違いのある事実を報じております。
では何故私が読売の記事の方が信憑性があると判断したのかですが、その判断材料は更迭直前の関係者たちによる一連の発言からです。まず前回に書いた記事で私が引用したように、麻生首相自体が数ヶ月前に「私はそもそも郵政民営化に反対であった」という発言をしており、この発言から麻生首相本人がそもそも西川社長に対してそれほど信頼感を持っていなかったのではないかと私は考えました。だからこそこの問題を長々と放置し、言うなれば鳩山総務相の好き放題にさせたのではないかとにらんでいます。
まぁこの麻生首相の発言からくる私の判断はあくまで推測であってそれほど根拠として強くは無いものなのですが、もう一つの発言こと更迭直前の鳩山総務相の発言は決して見逃すことが出来ません。その発言というのも更迭される前日の6/11(木)の夕方に記者団に対して鳩山氏が語った一言で、
「(麻生)首相はすでに新しい人事候補を揃えている」
という発言です。
その日の夕方のニュースでしか私は確認していませんが、恐らく報道された場所もそこだけだったと思います。そんな恐ろしく小さなニュースで見ようによっては鳩山総務相がいつもの出しゃばった発言という風にも受け取ることが出来るのですが、この発言の直後と言うべきかその翌日に更迭が行われたことを考えると、私は最終的に更迭に至ったきっかけはこれではないかとすぐに思いました。
このニュースを踏まえた上で先ほどの読売の社説です。記事内には「ポスト西川」の候補としてNTTの和田紀夫会長、生田正治元日本郵政公社総裁、西室泰三東京証券取引所会長などの財界人の名前が実名入りで載せられており、先ほどの鳩山総務相の発言が真実味を持ってくるように私は感じました。
となると今回の更迭劇は読売の言う通りに小泉、竹中ラインによって行われたということになるのですが、私としてはさもありなんといったところです。
私自身は郵政民営化には賛成ですが昨今の郵政関連における不祥事や、それに対する対応の悪さを鑑みて西川社長にはこの際降りてもらって、新たな社長の下で心機一転を図ってもらいたかったというのが素直な心情だったのですが、こういう後味の悪い結果になってしまっていろんな意味で残念です。
やっぱりニュースの街頭インタビューを見ると国民の反応もいまいちで、次回の選挙において自民党への逆風にしかならない騒動だったでしょう。仮にこれで麻生首相を引きずりおろして新たな首相でやるにしても、人気のある舛添厚生大臣は参議院議員なので総理に就任することは出来ず、残った一発逆転の人材としては一か八かで小池百合子氏という手はまだ残っていますが前回の総裁選の報復人事からか現在閑職にあり、露出もほとんどなくなっていることから押し出すのにはなかなか苦労がいるでしょう。っていうか、この人なら鳩山邦夫氏以上に選挙直前に民主党へ鞍替えしかねないから逆に恐いな。
なお次の選挙の一つのキーパーソンとして、現在私は自民党の菅義偉氏に注目しております。この人の経歴は文字通り根っからの叩き上げでそれだけに実力も申し分の無い議員なのですが、次回選挙の公約として議員の世襲禁止を盛り込もうとしたところ自民党内から猛反対を受けてちょっといま孤立気味です。しかし選挙対策などの技術においては自民党随一ということもあり、この人が今後どう動くか、また世襲禁止がまたどのように争点となっていくのかを見る上で見逃せない人物です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年6月13日土曜日
2009年6月12日金曜日
献血について
以前に友人から、構想中の小説のプロットとしてこんな話を聞かされました。
なんでもその小説は究極なまでに合理、効率化された未来からやってきた「モルトン・クリードマン」という男が、どれだけそのような未来が素晴らしいかということを主人公に話して聞かせるという内容だそうで、その中のあくまで究極的に合理化された未来での話として、未来での医療現場ではクローンの技術がふんだんに使われており、遺伝子操作によって脳の思考をつかさどる部位をあらかじめ潰した人間のクローンをカテーテルから強制的に栄養を付与して育て続け、そのクローン人間から延々と血液を抜き出すことで輸血用の血液を安定的に確保する、人間を以って人間の血液を精製し続けるという話がありました。しかもそのクローンは血液に留まらず、必要とあれば内蔵も移植用に抜き出されて使われるという話で、恐らく倫理観や道徳を一切無視して合理化をとことんまで追求するとこんなことまで起きかねない、クローン技術がこんな風に使われかねないという皮肉を込めて友人はこの話を盛り込んだのだと思います。
この話を聞いた私の第一印象はもちろん「気持ち悪い」という印象でしたが、その一方で今の献血体制の危うさも遠からず突いているという気もしました。私は年に複数回は確実に献血に行くヘビードナーですが、どうも関係者に聞くと日本の医療現場では慢性的に血液が不足しているそうです。まず血液はそれほど保存がきかない上に必要な際に一度に大量に使うことが多く、なかなか安定して確保している状態を保てないそうです。さらに日本の場合は売血行為というか輸血者に金銭での謝礼を支払うことを禁じており、その中でどうやって献血に来てもらうかと各団体は報酬に頭を悩ませているそうです。
特に最近は新型インフルエンザの流行でドナーがなお一層集めづらくなっており、手術などに使う輸血はもちろんのこと、血友病患者のための血小板献血もなかなか集められないそうです。こうした状況を考えると、先ほどのモルトン・クリードマンの未来の話は確かに倫理的に今の私には認めたくない手段ながらも、それで血液を安定的に確保できるのならと全部が全部反対する気にまではなれません。
しかし現代の献血行為についても今でも反対する団体などが数多くおり、また明治頃までは一般民衆の間でも他人の血を自分に入れるなどという心理的抵抗が強かったとききます。恐らくモルトン・クリードマンでなくとも、今の私が江戸時代の人に現代の献血治療を話せば相当な抵抗感を覚えられるでしょう。
そういう時の流れを考えると、これから数百年後には同じ事を私が言われているかもしれません。とはいえ現在もクローンについては慎重に議論が続けられておりますが、いくら効率的だからといって全体の倫理感を一挙に飛び越えるような新たな治療法をそうやすやすと導入するべきではないと思います。また今の献血についてはやっぱりまだ助け合いという意識が根底にあるので、反対する団体や個人がいるのはわかりますが、やっぱり無いよりはあった方がいいと思いますし、現代の倫理観からそう大きくは外れていないと思います。そういうわけなので明日は血小板献血に行こうと思うのですが、ちょっと今週からある薬を毎日飲まなきゃいけなくなったので受けられるかどうか微妙です。血の気の多さは折り紙付きなんだけどなぁ。
なんでもその小説は究極なまでに合理、効率化された未来からやってきた「モルトン・クリードマン」という男が、どれだけそのような未来が素晴らしいかということを主人公に話して聞かせるという内容だそうで、その中のあくまで究極的に合理化された未来での話として、未来での医療現場ではクローンの技術がふんだんに使われており、遺伝子操作によって脳の思考をつかさどる部位をあらかじめ潰した人間のクローンをカテーテルから強制的に栄養を付与して育て続け、そのクローン人間から延々と血液を抜き出すことで輸血用の血液を安定的に確保する、人間を以って人間の血液を精製し続けるという話がありました。しかもそのクローンは血液に留まらず、必要とあれば内蔵も移植用に抜き出されて使われるという話で、恐らく倫理観や道徳を一切無視して合理化をとことんまで追求するとこんなことまで起きかねない、クローン技術がこんな風に使われかねないという皮肉を込めて友人はこの話を盛り込んだのだと思います。
この話を聞いた私の第一印象はもちろん「気持ち悪い」という印象でしたが、その一方で今の献血体制の危うさも遠からず突いているという気もしました。私は年に複数回は確実に献血に行くヘビードナーですが、どうも関係者に聞くと日本の医療現場では慢性的に血液が不足しているそうです。まず血液はそれほど保存がきかない上に必要な際に一度に大量に使うことが多く、なかなか安定して確保している状態を保てないそうです。さらに日本の場合は売血行為というか輸血者に金銭での謝礼を支払うことを禁じており、その中でどうやって献血に来てもらうかと各団体は報酬に頭を悩ませているそうです。
特に最近は新型インフルエンザの流行でドナーがなお一層集めづらくなっており、手術などに使う輸血はもちろんのこと、血友病患者のための血小板献血もなかなか集められないそうです。こうした状況を考えると、先ほどのモルトン・クリードマンの未来の話は確かに倫理的に今の私には認めたくない手段ながらも、それで血液を安定的に確保できるのならと全部が全部反対する気にまではなれません。
しかし現代の献血行為についても今でも反対する団体などが数多くおり、また明治頃までは一般民衆の間でも他人の血を自分に入れるなどという心理的抵抗が強かったとききます。恐らくモルトン・クリードマンでなくとも、今の私が江戸時代の人に現代の献血治療を話せば相当な抵抗感を覚えられるでしょう。
そういう時の流れを考えると、これから数百年後には同じ事を私が言われているかもしれません。とはいえ現在もクローンについては慎重に議論が続けられておりますが、いくら効率的だからといって全体の倫理感を一挙に飛び越えるような新たな治療法をそうやすやすと導入するべきではないと思います。また今の献血についてはやっぱりまだ助け合いという意識が根底にあるので、反対する団体や個人がいるのはわかりますが、やっぱり無いよりはあった方がいいと思いますし、現代の倫理観からそう大きくは外れていないと思います。そういうわけなので明日は血小板献血に行こうと思うのですが、ちょっと今週からある薬を毎日飲まなきゃいけなくなったので受けられるかどうか微妙です。血の気の多さは折り紙付きなんだけどなぁ。
2009年6月11日木曜日
復讐するのは誰なのか
今日はちょっと長いものを書く気力が無いので短いので適当に済まそうと思い、このところ堅い話ばかりなのでなんか明るい笑い話でもと思った矢先に暗い内容のが思いついたので、このままその話を書くことにします。
さて、皆さんは復讐という行為についてどう思いますか。例えば子供の頃にいじめた相手に対して後年、力関係が逆転した大人の状態で復讐を行うことを正当なものと見るか違法なものかと見るか、手段が合法か非合法かを度外視して心情的に復讐という行為を認められるかどうかは個人によって違うと思います。もちろん過去に受けた行為がそれこそ肩がぶつかったとか態度が生意気だった程度という逆恨みのようなもので復讐行為を行うのであれば私としても認めがたいのですが、それこそ陰湿ないじめや将来に渡って苦しみ続けなければならないようなことをされたのであれば、心情的にはしょうがないんじゃないかなぁと思ってしまいます。もちろん、ケースバイケースですが。
この復讐という行為について、自分がちょっと悩んだ事例としてあるゲームの中の話があります。そのゲームというのはパンドラボックス製作のスーパーファミコンゲームの「学校であった怖い話」の中の話で、隠しシナリオの通称「仮面の女」こと、学園ホラーの不動のエースである花子さんが登場する話です。
そのシナリオで登場する花子さんというのは、かつてその高校でいじめられたことを苦にして自殺した女子生徒の霊なのですが、自殺から長い年月を経た後、かつて自分をいじめた同級生たちの子供をその学校に呼び寄せて復讐としてみんな殺してしまいます。そうして復讐を達成した後に花子さんは主人公に対し、
「私がひどい人だと思う? でも私が自殺した時に私の両親はとても悲しんだわ。私の両親が受けた苦しみを私を自殺に追い込んだ奴らにも味あわせたかったのよ。あなたもこれだけは覚えておいて、あなたが意図してか意図してないかの行動でも傷つく人がいて、その復讐が必ずしも自分にだけ向かってくるんじゃないんだっていうことを」
こういう風に言われて、因果応報じゃないですが確かに世の中そういうところもあるなという気が当時小学生の私は思いました。それこそ関ヶ原で敗れた島津、毛利が幕末に徳川家を滅ぼし、日本で評価されなかったエンジニアが海外でその技術を実用化して日本企業を苦しめたりと。
そしてなにより復讐に駆り立てられるほど苦しい思いをした当人がどのような形で復讐をなすのか、こればっかりは当人でなければ理解のしようがなく、相当な苦しい思いであればその矛先が実際的には関係の無い近親者に向かうこともあるかもしれない気がします。
とまぁこんなことを友人に話し、君は復讐がその対象者の子供とかにも向かうのはどう思うと聞いたらうまい具合に、
「さぁそればっかりはなってみないとわからないけど、仮にその子供が親と全く似た性格をしていたら、復讐者は憎まずにはいられないんじゃないかな」
と、きれいにまとめてくれました。
さて、皆さんは復讐という行為についてどう思いますか。例えば子供の頃にいじめた相手に対して後年、力関係が逆転した大人の状態で復讐を行うことを正当なものと見るか違法なものかと見るか、手段が合法か非合法かを度外視して心情的に復讐という行為を認められるかどうかは個人によって違うと思います。もちろん過去に受けた行為がそれこそ肩がぶつかったとか態度が生意気だった程度という逆恨みのようなもので復讐行為を行うのであれば私としても認めがたいのですが、それこそ陰湿ないじめや将来に渡って苦しみ続けなければならないようなことをされたのであれば、心情的にはしょうがないんじゃないかなぁと思ってしまいます。もちろん、ケースバイケースですが。
この復讐という行為について、自分がちょっと悩んだ事例としてあるゲームの中の話があります。そのゲームというのはパンドラボックス製作のスーパーファミコンゲームの「学校であった怖い話」の中の話で、隠しシナリオの通称「仮面の女」こと、学園ホラーの不動のエースである花子さんが登場する話です。
そのシナリオで登場する花子さんというのは、かつてその高校でいじめられたことを苦にして自殺した女子生徒の霊なのですが、自殺から長い年月を経た後、かつて自分をいじめた同級生たちの子供をその学校に呼び寄せて復讐としてみんな殺してしまいます。そうして復讐を達成した後に花子さんは主人公に対し、
「私がひどい人だと思う? でも私が自殺した時に私の両親はとても悲しんだわ。私の両親が受けた苦しみを私を自殺に追い込んだ奴らにも味あわせたかったのよ。あなたもこれだけは覚えておいて、あなたが意図してか意図してないかの行動でも傷つく人がいて、その復讐が必ずしも自分にだけ向かってくるんじゃないんだっていうことを」
こういう風に言われて、因果応報じゃないですが確かに世の中そういうところもあるなという気が当時小学生の私は思いました。それこそ関ヶ原で敗れた島津、毛利が幕末に徳川家を滅ぼし、日本で評価されなかったエンジニアが海外でその技術を実用化して日本企業を苦しめたりと。
そしてなにより復讐に駆り立てられるほど苦しい思いをした当人がどのような形で復讐をなすのか、こればっかりは当人でなければ理解のしようがなく、相当な苦しい思いであればその矛先が実際的には関係の無い近親者に向かうこともあるかもしれない気がします。
とまぁこんなことを友人に話し、君は復讐がその対象者の子供とかにも向かうのはどう思うと聞いたらうまい具合に、
「さぁそればっかりはなってみないとわからないけど、仮にその子供が親と全く似た性格をしていたら、復讐者は憎まずにはいられないんじゃないかな」
と、きれいにまとめてくれました。
2009年6月10日水曜日
少人数学級にすれば、万事解決するのか?
大分前から、昨今の日本の小中高での学力低下やいじめ問題を解決する大きな手段として少人数制学級への移行があちこちで強く叫ばれています。移行自体は現在少子化ということもありそれほど難しいことではないと思うのですが、今日ふと電車に乗っているとき果たして少人数制にすれば本当になんでも解決するのかなと一つ疑問がもたげたので、今日はその考えを紹介しようと思います。
まず少人数制にするとどうなるかという賛成派の意見ですが、少人数制であれば教師一人当たりが面倒を見る子供の人数が減り、勉強などでもおちこぼれを出しづらく、またいじめについても何か問題があればすぐに教師も把握できて対応が出来るだろうという意見です。
こう聞くと確かにもっともらしくて私もその方がよいのではとこの前まで考えていたのですが、この少人数制学級について実施している自治体の報告によると確かに保護者などのアンケートでは好評だという調査結果が出ているのですが、肝心要のテスト成績の比較などといった調査データはまだお目にかかれておりません。せめて少人数学級とそうでない学級で各学年ごとにそれぞれ20サンプルずつ出して比較してもらい、又同じ学級内の成績のばらつき具合などのデータがあれば検証しやすいのですが、なんか思い返してみると本来主張するからにはなくてはならないそれらのデータが見当たらないような気がします。
それに単純な学力レベルの比較で言えば、今より全然大人数学級であった昭和時代の生徒らの方が高かったと、こちらは過去の国際学力テストのデータ上でもはっきり出ています。このようなデータから私は、学力はカリキュラムによって決まるものであまり教師の質とかクラスの人数は関係ないように思います。
ではもう一つのいじめ問題についてですが、実はこれは以前から気になっていた意見として北野たけし氏の意見がありました。北野氏が言うには彼が子供だった頃、今より一クラスの人数は全然多かった(五十人程いたそうです)が今のような陰湿ないじめとかは無かったそうです。もちろんこれは北野氏個人の体験かもしれませんが、北野氏以外の方たちもよく昔と今のいじめは違うなど、近年の子供のいじめについては概して経験がないという意見ばかり聞きます。
昔は一クラスの人数が今より多かったのにそれほどひどいいじめが無かった。では何故現代の日本はいじめが問題化するのか。ひょっとすると、一クラスの人数が前より減ったからいじめが増えたのではないかと、急にこんなこと思いつく当たり自分はひねくれた性格しているという気がします。
ただこれが全くただの思いつきだと言うつもりはありません。例えばすこし極端な例を出すと、どんな集団でも十人に一人の確率で周りとは一味違う子供が出てくるとします。もしこれで十人一クラスの少人数制学級を作ると、その一味違う子供はそのクラス内で一人だけしかいませんが、これが五十人学級になると確率はそのままでも、50×1/10=5で、一味違う子供は一クラスに五人も出てきます。その五人の子供はタイプ的に希少なタイプだとしても、同じクラスに五人もいれば一つの集団が出来て少なくとも十人一クラスの中で一人で孤独にい続けるよりはずっと安定した生活を送れるのでは、ということです。
つまりはこんな感じで、人数が多ければ教師の負担は確かに大きいかもしれませんが、生徒にしてみれば気の合う人間と同じクラスで出会う確率は上がるということです。逆に少人数制学級でそれこそ理想的にみんな仲良しになれれば何も言うことありませんが、果たしてそんなうまくいくとなるとはちょっと信じられず、やっぱり一人や二人がはぶられて、しかも少人数制学級だから他に逃げ場がなくなってますます追い詰められた状況になるんじゃないかという気がします。こういう風に考えると、今より人数の多かった昔の方がいじめが少ないというのもまだ理解できます。
また私は子供の頃は雑多な人間模様の中でいる方が精神的にも成長する要素が多い気がします。少人数制学級では教師の目は行き届くかもしれませんがその一方で辺に純化してしまい、視野や世界がかえって狭くなって純化しきれない人間への反作用が強まり、そうしたところでいじめも出てくる可能性があると思います。本当に我ながらひねくれていると思いますが、今の教育問題をどうにかしようというのなら世論とは逆に、大人数制学級に移行するのもありなんじゃないかと考えたわけです。
まず少人数制にするとどうなるかという賛成派の意見ですが、少人数制であれば教師一人当たりが面倒を見る子供の人数が減り、勉強などでもおちこぼれを出しづらく、またいじめについても何か問題があればすぐに教師も把握できて対応が出来るだろうという意見です。
こう聞くと確かにもっともらしくて私もその方がよいのではとこの前まで考えていたのですが、この少人数制学級について実施している自治体の報告によると確かに保護者などのアンケートでは好評だという調査結果が出ているのですが、肝心要のテスト成績の比較などといった調査データはまだお目にかかれておりません。せめて少人数学級とそうでない学級で各学年ごとにそれぞれ20サンプルずつ出して比較してもらい、又同じ学級内の成績のばらつき具合などのデータがあれば検証しやすいのですが、なんか思い返してみると本来主張するからにはなくてはならないそれらのデータが見当たらないような気がします。
それに単純な学力レベルの比較で言えば、今より全然大人数学級であった昭和時代の生徒らの方が高かったと、こちらは過去の国際学力テストのデータ上でもはっきり出ています。このようなデータから私は、学力はカリキュラムによって決まるものであまり教師の質とかクラスの人数は関係ないように思います。
ではもう一つのいじめ問題についてですが、実はこれは以前から気になっていた意見として北野たけし氏の意見がありました。北野氏が言うには彼が子供だった頃、今より一クラスの人数は全然多かった(五十人程いたそうです)が今のような陰湿ないじめとかは無かったそうです。もちろんこれは北野氏個人の体験かもしれませんが、北野氏以外の方たちもよく昔と今のいじめは違うなど、近年の子供のいじめについては概して経験がないという意見ばかり聞きます。
昔は一クラスの人数が今より多かったのにそれほどひどいいじめが無かった。では何故現代の日本はいじめが問題化するのか。ひょっとすると、一クラスの人数が前より減ったからいじめが増えたのではないかと、急にこんなこと思いつく当たり自分はひねくれた性格しているという気がします。
ただこれが全くただの思いつきだと言うつもりはありません。例えばすこし極端な例を出すと、どんな集団でも十人に一人の確率で周りとは一味違う子供が出てくるとします。もしこれで十人一クラスの少人数制学級を作ると、その一味違う子供はそのクラス内で一人だけしかいませんが、これが五十人学級になると確率はそのままでも、50×1/10=5で、一味違う子供は一クラスに五人も出てきます。その五人の子供はタイプ的に希少なタイプだとしても、同じクラスに五人もいれば一つの集団が出来て少なくとも十人一クラスの中で一人で孤独にい続けるよりはずっと安定した生活を送れるのでは、ということです。
つまりはこんな感じで、人数が多ければ教師の負担は確かに大きいかもしれませんが、生徒にしてみれば気の合う人間と同じクラスで出会う確率は上がるということです。逆に少人数制学級でそれこそ理想的にみんな仲良しになれれば何も言うことありませんが、果たしてそんなうまくいくとなるとはちょっと信じられず、やっぱり一人や二人がはぶられて、しかも少人数制学級だから他に逃げ場がなくなってますます追い詰められた状況になるんじゃないかという気がします。こういう風に考えると、今より人数の多かった昔の方がいじめが少ないというのもまだ理解できます。
また私は子供の頃は雑多な人間模様の中でいる方が精神的にも成長する要素が多い気がします。少人数制学級では教師の目は行き届くかもしれませんがその一方で辺に純化してしまい、視野や世界がかえって狭くなって純化しきれない人間への反作用が強まり、そうしたところでいじめも出てくる可能性があると思います。本当に我ながらひねくれていると思いますが、今の教育問題をどうにかしようというのなら世論とは逆に、大人数制学級に移行するのもありなんじゃないかと考えたわけです。
郵政社長の人事問題を巡る各人の思惑
昨日書いた「西川郵政社長の人事問題について」の記事にSophieさんよりコメントがあり、この人事問題は鳩山邦夫総務相が郵政民営化を潰し、かつての郵政利権を復活させようとしているために起こったのだと主張しているブログを紹介されたので、ちょっと書き残したこともあるので補足を行います。
・鳩山総務大臣の一連のパフォーマンスの裏の権力闘争の歴史に関してマジレスしてみる
・鳩山大臣と原口先生達は不動産ファンドを作ってみるのはどうだろうか?(金融日記)
紹介されたのは上記のブログですが、このブログ内の主張は私の理解ですと先ほども述べたように、今回の人事問題は旧田中派の末裔の鳩山邦夫総務相(鳩山氏は田中角栄の元秘書)が郵政利権を復活させるため、小泉・竹中路線の改革を中座させるために介入している、と読みました。言われることもよくわかりますし鳩山総務相が旧田中派の末裔というのもわかりますが、鳩山総務相がこの問題にこだわっているのは郵政利権のためだとはちょっと私には思えません。詳しく調べていないのではっきりとはいえませんが、何か彼が票田といった郵政利権と結びついていたという報道は今まで聞いたことが無いですし、そもそもそんなことしなくとも彼の家は金持ちです。まぁ欲望にはキリはありませんが。
では何故鳩山総務相がこの問題、というより郵政に対してしつこく絡んでくるかですが、それはやっぱり本心から今の郵政に鳩山総務相個人が納得がいっていないのと、報道されている通りに今のうちに目立ってあわよくば将来の総理候補にという下心からだと思います。鳩山総務相の秘書をやっていたジャーナリストの上杉隆氏によると、鳩山総務相は良くも悪くも正直な性格の人らしく、自分が正しいと思ったら周りを気にせずに自説をこれまでにも言い立てたようで、総務省就任後の裁判員制度、草彅氏の逮捕事件などを見ているとまさにそんな気がします。
そんな鳩山総務相の性格を考えると、今回の問題であれこれ文句を言っているのは、「なんとなくだが納得いかねぇ」とばかりに、あまり利権とか権益とか深い背景や考えなしに言っているようにしか思えません。東京駅前郵政庁舎改築問題時に竹中平蔵氏とサンデープロジェクト内で一対一で討論しているのも私は見ましたが、やっぱりどう見たってあの時に待ったをかけたのは、「あんな歴史的建築物を改築するにはもったいない」というくらいの勢いでやっていたようにしか見えませんでした。
さて、実は誰かが言うかなぁって思って今まで黙っていた事実がこの問題に一つあります。前みたいにワイドショーとか夕方のニュースを全局調べるという荒業をやらなくなったので、もしかしたらもう誰か言っているかもしれませんが、今回のこの問題には過去のある人のある発言が実は根っこにあるのではないかと私はにらんでいます。その発言というのも、
「私はそもそも、郵政民営化に反対だった」
この発言は数ヶ月前の麻生総理の発言で、郵政民営化を行った当時に小泉内閣の総務相という責任者である立場であったにも関わらずこんなセリフを今になって言うなんて、さすがに私も予想だにしていませんでした。しかも民営化後の分割案についても国民は理解していなかったのだなどと、まるで有権者を馬鹿にしたような発言に自民党幹部もえらい焦ったでしょうが、そのすぐ後におきた西松建設献金事件で意外とみんな忘れてくれました。
鳩山総務相は麻生総理の親友であり、また麻生総理もこの人事問題について言及するのを自ら避けているような素振りすらあります。さすがに二人で口裏を合わせてということは無いでしょうが、以心伝心的に共通の理解をもってこの人事問題を大きくしているのではないかと、ちょっと疑り過ぎかもしれませんが考えてしまいます。どちらにしろ郵政民営化に反対だったと今になって言うくらいですから、恐らくこの問題に麻生総理が介入することはまだまだ先だと思います。それにしてもこの人、
・麻生首相「世襲頑張れ」と奨励=都議選候補の息子に
まさかこの時期にこんな発言までするなんて、度胸は買うけどさ。
・鳩山総務大臣の一連のパフォーマンスの裏の権力闘争の歴史に関してマジレスしてみる
・鳩山大臣と原口先生達は不動産ファンドを作ってみるのはどうだろうか?(金融日記)
紹介されたのは上記のブログですが、このブログ内の主張は私の理解ですと先ほども述べたように、今回の人事問題は旧田中派の末裔の鳩山邦夫総務相(鳩山氏は田中角栄の元秘書)が郵政利権を復活させるため、小泉・竹中路線の改革を中座させるために介入している、と読みました。言われることもよくわかりますし鳩山総務相が旧田中派の末裔というのもわかりますが、鳩山総務相がこの問題にこだわっているのは郵政利権のためだとはちょっと私には思えません。詳しく調べていないのではっきりとはいえませんが、何か彼が票田といった郵政利権と結びついていたという報道は今まで聞いたことが無いですし、そもそもそんなことしなくとも彼の家は金持ちです。まぁ欲望にはキリはありませんが。
では何故鳩山総務相がこの問題、というより郵政に対してしつこく絡んでくるかですが、それはやっぱり本心から今の郵政に鳩山総務相個人が納得がいっていないのと、報道されている通りに今のうちに目立ってあわよくば将来の総理候補にという下心からだと思います。鳩山総務相の秘書をやっていたジャーナリストの上杉隆氏によると、鳩山総務相は良くも悪くも正直な性格の人らしく、自分が正しいと思ったら周りを気にせずに自説をこれまでにも言い立てたようで、総務省就任後の裁判員制度、草彅氏の逮捕事件などを見ているとまさにそんな気がします。
そんな鳩山総務相の性格を考えると、今回の問題であれこれ文句を言っているのは、「なんとなくだが納得いかねぇ」とばかりに、あまり利権とか権益とか深い背景や考えなしに言っているようにしか思えません。東京駅前郵政庁舎改築問題時に竹中平蔵氏とサンデープロジェクト内で一対一で討論しているのも私は見ましたが、やっぱりどう見たってあの時に待ったをかけたのは、「あんな歴史的建築物を改築するにはもったいない」というくらいの勢いでやっていたようにしか見えませんでした。
さて、実は誰かが言うかなぁって思って今まで黙っていた事実がこの問題に一つあります。前みたいにワイドショーとか夕方のニュースを全局調べるという荒業をやらなくなったので、もしかしたらもう誰か言っているかもしれませんが、今回のこの問題には過去のある人のある発言が実は根っこにあるのではないかと私はにらんでいます。その発言というのも、
「私はそもそも、郵政民営化に反対だった」
この発言は数ヶ月前の麻生総理の発言で、郵政民営化を行った当時に小泉内閣の総務相という責任者である立場であったにも関わらずこんなセリフを今になって言うなんて、さすがに私も予想だにしていませんでした。しかも民営化後の分割案についても国民は理解していなかったのだなどと、まるで有権者を馬鹿にしたような発言に自民党幹部もえらい焦ったでしょうが、そのすぐ後におきた西松建設献金事件で意外とみんな忘れてくれました。
鳩山総務相は麻生総理の親友であり、また麻生総理もこの人事問題について言及するのを自ら避けているような素振りすらあります。さすがに二人で口裏を合わせてということは無いでしょうが、以心伝心的に共通の理解をもってこの人事問題を大きくしているのではないかと、ちょっと疑り過ぎかもしれませんが考えてしまいます。どちらにしろ郵政民営化に反対だったと今になって言うくらいですから、恐らくこの問題に麻生総理が介入することはまだまだ先だと思います。それにしてもこの人、
・麻生首相「世襲頑張れ」と奨励=都議選候補の息子に
まさかこの時期にこんな発言までするなんて、度胸は買うけどさ。
2009年6月9日火曜日
西川郵政社長の人事問題について
本題とは関係ありませんが、今日FC2の方の「犯罪者の家族への社会的制裁について」の記事に対し、多分これは携帯からだからブログコメント欄に表示されないと思うのですがある方からお褒めのコメントをいただけました。この記事は友人からのリクエストを受けて私も気合を入れて書いた記事だけに、他の記事より拍手やコメントがついた際の喜びもひとしおなので素直にはしゃぎました。
・進退は鳩山総務相の判断=辞任の考えはなし-西川日本郵政社長(YAHOOニュース)
それでは本題ですが、昨今で一番の政治ニュースはというとこの西川善文郵政社長の総裁人事問題でしょう。西川氏の続投が当然視されていたところに任命権のある鳩山邦夫総務相が、かんぽの宿の売却問題とこのまえ発覚したばかりの障害者割引の不正使用問題の責任を取るべきだと、自民党執行部が止めるのも聞かずに公然と辞任を要求したことで文字通りてんやわんやとなっております。結論から言えば今回のこの件では私は鳩山総務相の肩を持ちます。
一つ一つ問題を整理していきますが、まず一部の自民党議員が、
「郵政社長の人事は株主による株主総会で決められるもので、総務大臣はそれを追認するだけの任命権を持っているだけで人事権を持っているわけじゃない。なので鳩山総務相が人事に意見を出すこと自体間違っている」
という意見についてですが、これはこの前の政治番組で突っ込まれていましたが、現在郵政の株は国がすべて保有しており、株主といっても与謝野財務相一人しかいない状態で、与謝野氏も鳩山氏も同じ内閣にいるので「株主総会で決められる」というのは間違いで実際には内閣の総意によって決められるべきということと、郵政を監督する総務省の代表者ということを考慮すれば鳩山氏が意見を出すのは決して筋違いではないと私は考えます。
次に鳩山氏の言う西川氏の責任についてですが、かんぽの宿の売却問題については西川氏が就任する以前の公社時代の方が問題性は高く、オリックスへの一括売却についてはかんぽの宿が不良債権であることもあり、また従業員の雇用を守るという条件をつけてであれば多少はしょうがないのではないかという気がします。まぁ規制改革委員会にずっと会長が参加していたオリックスへというのは確かにちょっと問題ですが。
しかし次のベスト電器などが行っていたダイレクトメールの障害者割引制度の悪用については、文句なしに西川氏が責任を追求されて仕方が無いと思います。現在ではこの件の報道は下火になりつつありますが、郵政会社の支店長もこの悪用に関わっていたことも発覚しており、また以前から恒常的に悪用されていたことを考えると私はまだまだこの問題の根は深いような気がします。
しかるに西川社長がこの問題において公で深く謝罪をしたり、また原因追求に対して積極的であるとは私には感じられません。さっきも言った通りにこの件は現在ではほとんど報道されなくなってきており、なんかこのまま闇に葬られるのではないかと思っていた矢先に鳩山総務相のこの行動ですから、総務相がやめろと言うのなら私も支持するよという具合に肩を持つわけです。
元々西川氏は、就任以前から過去の経歴(銀行の頭取)や行動などから公的な業務の多い郵政の社長としてはふさわしくないという意見が強かった人物でした。私としてはまずはお手並み拝見で去年一年間を見てきましたが、これと評価する点は無く、また在任中に起きた事件に対しての対応を見ているとやっぱりこの際変えるのもありかという気がします。
それにしてもこの問題でなにが一番おかしいのかといえば、最高責任者である麻生首相が何も発言をせずに静観を続けていることでしょう。各ニュースのコメンテーターも何度も言っていますが、こういうところでトップダウンで決断をするのが総理にも関わらず、何の姿勢も打ち出さないがために鳩山総務相と西川社長の対立をわざわざ大きくさせております。決断力が無いにしても、ここまでくるともはや何も言えません。
おまけ
ヤマダ電機の障害者割引制度の不正使用には報道されている通りにある広告代理店が深く関わっていましたが、ちょっと業界関係者にこの件について聞いてみると、なんでもその会社は非常に官僚的な会社らしく、子会社の役員とか責任者の首を切るとかげの尻尾切りをしてこの問題にケリをつけたそうです。
・進退は鳩山総務相の判断=辞任の考えはなし-西川日本郵政社長(YAHOOニュース)
それでは本題ですが、昨今で一番の政治ニュースはというとこの西川善文郵政社長の総裁人事問題でしょう。西川氏の続投が当然視されていたところに任命権のある鳩山邦夫総務相が、かんぽの宿の売却問題とこのまえ発覚したばかりの障害者割引の不正使用問題の責任を取るべきだと、自民党執行部が止めるのも聞かずに公然と辞任を要求したことで文字通りてんやわんやとなっております。結論から言えば今回のこの件では私は鳩山総務相の肩を持ちます。
一つ一つ問題を整理していきますが、まず一部の自民党議員が、
「郵政社長の人事は株主による株主総会で決められるもので、総務大臣はそれを追認するだけの任命権を持っているだけで人事権を持っているわけじゃない。なので鳩山総務相が人事に意見を出すこと自体間違っている」
という意見についてですが、これはこの前の政治番組で突っ込まれていましたが、現在郵政の株は国がすべて保有しており、株主といっても与謝野財務相一人しかいない状態で、与謝野氏も鳩山氏も同じ内閣にいるので「株主総会で決められる」というのは間違いで実際には内閣の総意によって決められるべきということと、郵政を監督する総務省の代表者ということを考慮すれば鳩山氏が意見を出すのは決して筋違いではないと私は考えます。
次に鳩山氏の言う西川氏の責任についてですが、かんぽの宿の売却問題については西川氏が就任する以前の公社時代の方が問題性は高く、オリックスへの一括売却についてはかんぽの宿が不良債権であることもあり、また従業員の雇用を守るという条件をつけてであれば多少はしょうがないのではないかという気がします。まぁ規制改革委員会にずっと会長が参加していたオリックスへというのは確かにちょっと問題ですが。
しかし次のベスト電器などが行っていたダイレクトメールの障害者割引制度の悪用については、文句なしに西川氏が責任を追求されて仕方が無いと思います。現在ではこの件の報道は下火になりつつありますが、郵政会社の支店長もこの悪用に関わっていたことも発覚しており、また以前から恒常的に悪用されていたことを考えると私はまだまだこの問題の根は深いような気がします。
しかるに西川社長がこの問題において公で深く謝罪をしたり、また原因追求に対して積極的であるとは私には感じられません。さっきも言った通りにこの件は現在ではほとんど報道されなくなってきており、なんかこのまま闇に葬られるのではないかと思っていた矢先に鳩山総務相のこの行動ですから、総務相がやめろと言うのなら私も支持するよという具合に肩を持つわけです。
元々西川氏は、就任以前から過去の経歴(銀行の頭取)や行動などから公的な業務の多い郵政の社長としてはふさわしくないという意見が強かった人物でした。私としてはまずはお手並み拝見で去年一年間を見てきましたが、これと評価する点は無く、また在任中に起きた事件に対しての対応を見ているとやっぱりこの際変えるのもありかという気がします。
それにしてもこの問題でなにが一番おかしいのかといえば、最高責任者である麻生首相が何も発言をせずに静観を続けていることでしょう。各ニュースのコメンテーターも何度も言っていますが、こういうところでトップダウンで決断をするのが総理にも関わらず、何の姿勢も打ち出さないがために鳩山総務相と西川社長の対立をわざわざ大きくさせております。決断力が無いにしても、ここまでくるともはや何も言えません。
おまけ
ヤマダ電機の障害者割引制度の不正使用には報道されている通りにある広告代理店が深く関わっていましたが、ちょっと業界関係者にこの件について聞いてみると、なんでもその会社は非常に官僚的な会社らしく、子会社の役員とか責任者の首を切るとかげの尻尾切りをしてこの問題にケリをつけたそうです。
プライドの売り方、買い方
昨日の記事で私は、信長は家中に茶道をわざと流行らせることで茶器や茶碗といった茶道用具を信長から下賜されることを名誉に思わせるように家臣に仕向け、そうすることで恩賞に与える土地を節約したのではと解説しました。もっとも、佐久間信盛みたいにあまりにお茶にハマりすぎて逆に信長に追放されたのもいましたけど。
ここで話を現代に戻しますが、信長の茶道への扱いほどではないにしろ私はこのような報酬のやり方というか、従業員に対して金銭的な報酬の代わりにいわばプライドを売ることで彼らを掌握する経営方法は現代でも応用が利くのではないかと思います。また従業員、というよりある程度生活の安定した現代の日本人の側としても、逆にそうしたプライドという報酬を得るために働いている比重が増えてきているではないかという気もします。
このような例の代表格は言うまでもなくボランティア活動で、この行為は無報酬での勤労だからこそ従業員(この場合、ボランティア活動者)は納得をして、またそれなりに満足感を得られるのだと思います。仮にそのボランティア活動と同じ仕事をものすごい安い時間給でやらされるかたと比較検証をすると、仕事内容に対しての満足度が段違いに変わってくると思いますし、フェスティンガーの認知的不協和の実験でもそうと取れる結果を出しています。
単純に言い換えるのなら、別に今に限らず昔も今も人間が働くのは金銭的な報酬のためだけでなく、自らのプライドこと自尊心を得るがために働いていたと思います。前にも一回引用しましたが、イギリスの労働党支持者のある男性がなぜ労働党を応援するのかというと、
「社会主義が間違っているのは間違いないが、人間は労働を通して初めて自尊心を得て人生を充実させることが出来る。労働党はイデオロギーはともかく労働を第一に考えてくれるから俺は投票するのだ」(昔の文芸春秋の塩野七生氏のコラムより)
といっており、私としてもこの男性の意見に同感で、普段あまりお金を使わない性格というのもありますが自分が働いているのは金銭的なものより働いて世に貢献しているという実感を得たいがためという比重が大きいです。また私に限らず友人らも、給料は多少下がってもいいからもっとやりがいのある仕事をしたい、とほぼ皆で口を揃えて私を含めてぼやいています。
さらにもう一つ引用を入れとくと、大体失われた十年が終わって就職状況が少しずつ良くなって来た頃に学生らに就職先を選ぶポイントは何かというアンケートをとると、大体ほとんどの調査で「やりがいのある(やりたい)仕事ができること」が上位に来ており、失われた十年期の「企業の安定性」を上回っておりました。今はさすがにどうなっているかはわかりませんが。
このように、マズローの段階欲求説を引っ張ってくるまでもなく日本人の生活がある程度裕福になっているというのが主要因だとは思いますが、私は現代の日本の若者は金銭的な報酬よりプライド的な報酬を求めている割合が高いのではないかと思います。だとしたら私は日本の企業は現代の若者に対して仕事でやりがいを与える、もしくはそれを認識させることで彼らにそれほど高い給料を与えなくともてなづけられる可能性があるということになりますし、優秀な人材も集められるのではないかと思います。
無い袖は振れなくて当たり前なのですから、経営者たちもそんな中でどのようにして従業員のやる気を引き出し、またやりがいを実感させるような環境にするかを不況の今だからこそ考えるべきでしょう。
追伸
今に始まったわけじゃないですが、最近アニメーターの薄給激務がよく話題になってくるようになってきました。前に読んだ記事によると手塚治虫氏が始めた虫プロの創成期は今以上のものだったらしく、残業も一月で300時間は下らなくて当たり前だったそうです。そんな厳しい世界でありながらまだこの業界が続いているのはやっぱり今日ここで語った、従業員がプライドを感じられる業界だからだと思います。もちろん本人が納得しているのだからアニメーターは今のままの待遇でいいなんて言うつもりはありませんが、せめてこのようなやりがいを他の業界でも感じられるような世の中にしてみたいものです。フリーコストでみんなで明るくなれるんだったらさ。
ここで話を現代に戻しますが、信長の茶道への扱いほどではないにしろ私はこのような報酬のやり方というか、従業員に対して金銭的な報酬の代わりにいわばプライドを売ることで彼らを掌握する経営方法は現代でも応用が利くのではないかと思います。また従業員、というよりある程度生活の安定した現代の日本人の側としても、逆にそうしたプライドという報酬を得るために働いている比重が増えてきているではないかという気もします。
このような例の代表格は言うまでもなくボランティア活動で、この行為は無報酬での勤労だからこそ従業員(この場合、ボランティア活動者)は納得をして、またそれなりに満足感を得られるのだと思います。仮にそのボランティア活動と同じ仕事をものすごい安い時間給でやらされるかたと比較検証をすると、仕事内容に対しての満足度が段違いに変わってくると思いますし、フェスティンガーの認知的不協和の実験でもそうと取れる結果を出しています。
単純に言い換えるのなら、別に今に限らず昔も今も人間が働くのは金銭的な報酬のためだけでなく、自らのプライドこと自尊心を得るがために働いていたと思います。前にも一回引用しましたが、イギリスの労働党支持者のある男性がなぜ労働党を応援するのかというと、
「社会主義が間違っているのは間違いないが、人間は労働を通して初めて自尊心を得て人生を充実させることが出来る。労働党はイデオロギーはともかく労働を第一に考えてくれるから俺は投票するのだ」(昔の文芸春秋の塩野七生氏のコラムより)
といっており、私としてもこの男性の意見に同感で、普段あまりお金を使わない性格というのもありますが自分が働いているのは金銭的なものより働いて世に貢献しているという実感を得たいがためという比重が大きいです。また私に限らず友人らも、給料は多少下がってもいいからもっとやりがいのある仕事をしたい、とほぼ皆で口を揃えて私を含めてぼやいています。
さらにもう一つ引用を入れとくと、大体失われた十年が終わって就職状況が少しずつ良くなって来た頃に学生らに就職先を選ぶポイントは何かというアンケートをとると、大体ほとんどの調査で「やりがいのある(やりたい)仕事ができること」が上位に来ており、失われた十年期の「企業の安定性」を上回っておりました。今はさすがにどうなっているかはわかりませんが。
このように、マズローの段階欲求説を引っ張ってくるまでもなく日本人の生活がある程度裕福になっているというのが主要因だとは思いますが、私は現代の日本の若者は金銭的な報酬よりプライド的な報酬を求めている割合が高いのではないかと思います。だとしたら私は日本の企業は現代の若者に対して仕事でやりがいを与える、もしくはそれを認識させることで彼らにそれほど高い給料を与えなくともてなづけられる可能性があるということになりますし、優秀な人材も集められるのではないかと思います。
無い袖は振れなくて当たり前なのですから、経営者たちもそんな中でどのようにして従業員のやる気を引き出し、またやりがいを実感させるような環境にするかを不況の今だからこそ考えるべきでしょう。
追伸
今に始まったわけじゃないですが、最近アニメーターの薄給激務がよく話題になってくるようになってきました。前に読んだ記事によると手塚治虫氏が始めた虫プロの創成期は今以上のものだったらしく、残業も一月で300時間は下らなくて当たり前だったそうです。そんな厳しい世界でありながらまだこの業界が続いているのはやっぱり今日ここで語った、従業員がプライドを感じられる業界だからだと思います。もちろん本人が納得しているのだからアニメーターは今のままの待遇でいいなんて言うつもりはありませんが、せめてこのようなやりがいを他の業界でも感じられるような世の中にしてみたいものです。フリーコストでみんなで明るくなれるんだったらさ。
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