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2009年10月11日日曜日

北京留学記~その十四、民主主義の導入

 留学中のある日、いつものように売店の前で新聞やら雑誌の品定めをしていると見出しにて、「民主主義建立」と書かれた新聞があるのをみつけました。時期的には確か2005年の十月頃で、一体何の事かと思って新聞を買って読んでみると、中国政府が中国国内において民主主義を成立させるための過程、目標を書いた政府文書を発表したということが報じられていました
 この中国政府が発表した文書を敢えて日本風に言うならば、「民主主義設立白書」といった物ですが、正直言って初めて見たときはノストラダムスの予言書みたいなものかと不謹慎ながら思ってしまいました。共産主義国家を堅持しつつ、ここ近年はさらに党の影響力を強めようとしている中国においてそんな文書が出るはずもない、という風に思われる方も少なくないかと思われますが、面白い事に中国政府は結構まじめにこの文書を作っていました。

 中国についていろいろと調べている方にとっては当たり前かもしれませんが、実際に国を運営している共産党幹部ですら現共産党体制のままではいずれは破綻すると、かなり大きな危機感を持っております。彼らは表では民主主義を否定して共産党主義による政治体制の優越を主張していますが、内心では如何にして民主主義の政治体制の移行できるかを考えていると言われております。
 だとすると何故そう考えているのにすぐに民主主義に移行しないのかといううと、結論からとっとと言えばソ連の崩壊があったからです。ソ連末期のゴルバチョフ政権は共産主義体制から情報公開など急激に民主化路背に舵を切ったためにバルト三国を皮切りにどんどんと領内で独立が相次いだ上、守旧派と革新派に分かれて最終的には崩壊し、その後十年近くに渡って国内で混乱状態が続きました。

 中国はこのソ連の経過を大きな反面教師としており、民主化に移行するにも急激にではなく穏やかに移行せねば国内が大きく混乱すると見越しており、そのため現在においても共産党主義を打ち出しているわけです。その一方で民主主義を徐々に広めていこうというのが上記の一般報告文書で、この中ではまだ全国の体制については言及はほとんどありませんでしたが、地方の民主化については積極的な内容が書かれていました。

 ちょうどこの新聞を買った日、私が注目したその記事がその晩のニュースでも取り上げられており、その中では政府の役人が中国の農村にてこの文書を説明し、「これからは自分達で自分達の指導者を決めるんだ」と話していました。
 実は今の中国で放置できないほど大きくなっている問題の一つに、地方首長の汚職があります。中国は広いので日本なんかより地方首長に大きな権限があり、地方の警察権から裁判権、果てには土地の強制収用権まで握っており、中には住民に無制限に税金を取り立てるうえに自分たちの都合のよい施設を建てるために住居民を追い出し、おまけにこういうものにつきものの賄賂まで横行しています。現在の胡錦濤政権になってからはこれらの汚職に対して厳しくはなり、年々検挙される地方幹部の数は増えてはいるものの、依然とまだ片付け切れていない問題として残っております。

 このような地方の首長も基本的には共産党支部内の指名で決まるのですが、こうしたものに対して恐らく中国政府は、こんな文書を作って説明するくらいなのだから徐々に選挙制度を導入して住民自らに首長を決めさせようというのが目下の目標なのだと私は見ています。日本の場合は国政選挙から選挙制度が広まった、言うなれば上から民主主義が徐々に広まっていきましたが、これに対して中国は下から民主主義を国内に広げようというのではないかと思われます。どちらにしろ、このような制度が中国で完成を見るまでに自分は生きていられるか、長い時間がかかるであろうことは予想に難くありません。

2009年10月10日土曜日

続、日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察

 本当は昨日に書きたかったのですが、昨日にこんな目を疑うようなニュースありました。

「礼儀なってない」就寝中の下級生108人に正座 松江高専の寮(YAHOOニュース)

 上記にリンクを貼ったニュースの内容を簡単に説明すると、松江工業高等専門学校の寮にて就寝中の下級生108人が夜中に突然上級生4人に礼儀がなっていないということを理由にグラウンドに呼び出され、一時間半にも渡り正座やランニングを強制されたことが判明し、学校側は事実関係を認めた上級生4人に対して退学を勧告して全員そのまま自主退学し、また寮の各部屋への呼び出しを行った2年生7人にも停学処分を行ったということが報じられております。

 言葉が汚いですが、この事件で退学となった上級生らは頭がおかしいのでは、というのが最初にニュースを見た時の私の感想です。一体何の権限があって就寝中の下級生を呼び出してこんな意味のない制裁を課したのか、私が典型的な文化系の人間だからそんな風に思うのかもしれませんがどうあがいてもこんな事をしようとする人間の考え方が理解できません。しかも記事によると上級生らは後で脱いだそうですが当初は目出し帽のような覆面をしていたそうで、自分たちのやっている事が容認されるような行為ではないと自認している節すらあり、同情する余地が全く感じられないことから学校側が行った事実上の退学処分について私も適切であったと思います。

 それにしても、この事件は見れば見るほどに呆れさせられる事件です。呼び出しの理由が「礼儀がなっていない」だったそうですが、いくら上級生とはいえこんな事をしようとする人間にだけは礼儀を教わりたくはありません。それでも一体何故こんな理不尽でアホらしい事が計画され本当に実行されてしまったのかといえば、いわゆる日本型体育会系的縦社会組織の弊害に尽きると私は思います。私がここで長々というまでもなく日本の中学、高校の寮や運動部のほとんどでは礼儀、上下関係を教えるという名目の元に、上級生から下級生への理不尽な暴力、しごきが常態化していると言われております。

 この問題について私は以前に、「日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察」という記事で取り上げたのですが、実はこの記事と「犯罪者の家族への社会的制裁について」の二本の記事は去年に書いた記事であるものの、FC2の出張所の方では現在に至ってもコンスタントに拍手ボタンが押されるだけでなく非公開でのコメントもいくつか受け付けており、あくまで小さいながらも書いた本人も驚くほどの息の長い反響を得ております。ただ驚くとは言っても、両方とも他の記事と比較して書いた際の力の入れ具合は大きかっただけに、評価していただけて非常にうれしく思っております。

 話を戻しますが、そんな教育的処置の名の下での上から下へのしごきと呼ばれるいじめについて、私は日本はもっと本格的に憂慮すべきだとかねがね思っていました。何故ならそうした組織的価値観が本来合理性を追求すべき企業、官公庁といった組織にも引き継がれ、日本全体の利益や幸福を大きく逸させていると考えており、なによりもこんな明らかに馬鹿馬鹿しい事をいつまでも続かせるべきではないと思っていたからです。

 そうした考えを、この前このブログの話が出たときに私の従兄弟に話す機会がありました。ちなみにその従兄弟は私と一番年齢が近い従兄弟ながらもうちのお袋が兄弟で末っ子で、なおかつ婚期が遅かったせいで十年も年齢が離れており、子供時代から今に至るまでよく可愛がってもらっています。
 実はその従兄弟、高校へは中学時代のバレー部での活躍からスカウトを受けて進学し、進学後には見事インターハイにまで出場している根っからの体育会系出身です。それだけに自分のこの考えにどのように反応するかとかねがね気になっていたのですが、まず部活内でのしごきは私も主張しているように何の練習効果もないとはっきり頷きました。しかし、それだったら直ちにそういったことは止めるべきじゃないかと続いて私が言った所、それには従兄弟は首を振ってこう言いました。

「しごきが明らかになんの練習にもならないとみんなも分かっているが、それでもしごきをした年代が試合で勝てば効果があることになってしまい、下の年代にも引き継がれていってしまう。また仮にある年代でそういったしごきを止めたところでその下の年代がそれを続けるかは分からないし、部活顧問が規制をしてもその顧問が辞めて新しくやってきた次の顧問になったらまた復活してしまう事もある。そんな感じでこういったしごきは常に順繰りに繰り返されたりするものなのだから、少なくとも絶対に止めさせることはできないんだよ。体育会系の世界ではそれが当然で、理屈なんてないんだ」

 実際にそういう世界にいた従兄弟なだけに、この返答は私にとって重みのある言葉でした。ただ話す時になにか憂いを含んでいるような態度があったように思え、気になって例の婚期の遅かったうちのお袋にこういうことを話したと言ったら、従兄弟の高校時代について教えてくれました。
 なんでも強豪と呼ばれた従兄弟の高校のバレー部でも他の類に漏れずいじめやしごきが激しく、あまりの仕打ちに高校一年生の時に従兄弟も寮を飛び出し、片道30キロほどの道のりを歩いて両親の実家まで夜中に逃げてきた事があったそうです。そんな経験から従兄弟らが三年生になった時、もうこんな事は止めようと同学年のチームメイトともに部活内改革を行っていたそうです。そうした経験があったからこそ、上記の言葉につながったのだと思います。

 そのような従兄弟の経験を考えると、やはりこういった部活内などのいじめやしごきを日本人が止める事は非常に難しいことなのでしょう。しかしほんの少しずつでもいいから、馬鹿馬鹿しい事だとみんなが自覚しあってこういったことを減らして行かねばと、所詮は文化系の理想論と言われるかもしれませんが私はこうしてブログにてこの問題を訴えつづけていこうと思います。

カープ、緒方選手の引退について

最後は三塁打!広島・緒方、引退試合に出場(YAHOOニュース)

 上記のニュースにある通り、私も大好きな選手の一人であるカープの緒方選手が本日引退試合に出場しました。
 緒方選手はトリプルスリーこそ達成していないながらも全盛期は走攻守がどれも備わった選手で、特に盗塁においては幾度か盗塁王を獲得しており元ヤクルトの古田選手に、「刺せたと思っても刺せなかったことのある唯一の選手」とまで言わしめております。現在でこそ盗塁を多く決められる選手と来たら阪神の赤星選手が代表的なように、走塁と守備を専らとして打撃は内野安打、セーフティバントのように小技を決めてくる印象がありますが、この緒方選手においてはホームラン数も非常に多くて年間30本塁打、打率三割も度々経験している強打者でもあり、近い選手と来て私が思い浮かべられるのは現役時代の真弓現阪神監督くらいです。あ、でも元横浜のローズ選手、鈴木尚典選手もこんなタイプだったか。

 元々広島というチームは私も以前に選手年鑑から選手の年齢構成を分析した事がありましたが、若手層とベテラン層が多くて中堅層の選手数が非常に少ない、他球団と比べてもややいびつなくびれ型の選手年齢の構成を持つチームです。この原因については初期の頃から若手を激しいトレーニングで鍛えて潰す一方、それを乗り越えたら鉄人衣笠、金本に代表されるように怪我に強くて選手寿命の長い選手が生まれるというタイガーマスクの虎の穴方式ではないかと推測してレポートにまでしましたが、この緒方選手もそのような長寿選手の一人で、プロ野球在勤の23年もの間広島のファンの方々に愛され続けました。

 そんな私が何で緒方選手が好きになったのかというと、ちょっとした偶然がきっかけでした。
 私が小学生だった頃、新聞屋から人気がないという事でもらったヤクルト対広島戦のチケットを携えて親父と一緒に観戦した際、試合中に突然うちの親父が急に動いて体を前のめりにするや飛んできたファールボールを見事にノーバウンドでキャッチしました。そのキャッチしたボールこそ、緒方選手の打ちもらした球でした。

 本来は返さなくてはいけないのかもしれませんがその後に球場係員がこなかったため、そのままそのボールを持ち帰る事にしました。今でも自分の部屋にそのボールは保管していますが、プロ野球で実際に使われたボールを放った選手という事でそれからは緒方選手の事をマークするようになり、往年の活躍を見るたびに他の贔屓にしている選手同様にうれしさを覚えていました。

 始まりがあれば終わりがあるというように、どれだけ好きな選手でも永遠とその活躍を見守る事はスポーツの世界ではありえません。ですがひと時の間でもすばらしいプレイを見せつけてファンを楽しませてくれ、その役目を果たし終えた引退選手たちには深い感謝と敬愛の念を私から送らせていただきます。

  今年の主だった引退選手
・江藤智選手(西武)
・緒方孝市選手(広島)
・小宮山悟選手(ロッテ)
・清水崇行選手(西武)
・立浪和義選手(中日)

2009年10月8日木曜日

中国の通史を学ぶ難しさ

 先日に中国語の恩師の許を訪問した際、久々にかなり通な話ができるという事で双方ともに飛ばし気味で中国に関する話をしてきました。中国や韓国は近くて遠い国だとよく言われますが、案外中国について細かいところまで分かる日本人は少ないのでなかなか気持ちのよい会話ができました。

 その時の恩師との話に出てきた話の一つに、中国の歴史についての話がありました。日本人がよく知っている中国の時代とくれば言わずもがなの三国志にて描かれている三国時代ですが、この時代以外の中国史となると途端に認知度は低くなってしまいます。それでもまだ「史記」に描かれる殷から周への易姓革命、春秋戦国時代、項羽と劉邦の漢楚興亡史までなら知っている人もいるのですが、はっきり言って三国時代以後ともなると中国史はもうほとんど何も知らないという方が大半なのではないかと思います。

 実際に三国時代の後に成立した晋王朝はすぐに滅び、その後いくつもの王朝が出来たり滅んだりした五胡十六国時代という私自身も細かく把握していないほど非常にややこしい時代に突入するので、三国時代から隋唐時代までのつながりが薄くなるのも仕方がない気がします。

 私は基本的に歴史というものは、前後のつながりがあるからこそ認知、把握が出来るものだと考えており、それが上記の例のようによく分かりにくい時代が間にあると途端に全体像が見えなくなって自然と記憶するのも難しくなると思います。特に中国においてはこの五胡十六国時代のほかにも唐と宋の間にある五代十国時代もあり、中国とそこそこ専門的に関わってきた私ですら未だになかなか全体像をつかむ事が出来ずにおります。

 更にこうした中国の歴史を学ぶ上で難しくさせているものとして、宋以後の通史を学ぶのに適当な本がないという理由も挙げられます。高校で教えられる世界史では欧米の歴史と交代に教えられる上に結構ややこしいところはすっ飛ばされているので言うまでもないのですが、目下のところ先ほどの史記、三国志、そして十八史略を除くと中国史を学ぶのに一般的な本や教科書というものはあまり多くありません。そうした学ぶ材料が少ないということも、中国の通史を学び辛くさせている要因だと、先生と共通の認識を持ったわけです。

 この際に先生は、陳舜臣氏の「中国の歴史」という本が通史を学ぶ上で役に立つと言われたのでこれから徐々に読んでこうと考えていますが、中国史は戦国時代や三国時代以外にももっと面白い時代や話は多く、明の洪武帝の話とか清の光緒帝のところなど、自分からも紹介したいような話はいくらでもあるので興味を持つ方は是非ご自分で学んで欲しいと心から思います。
 ゆくゆくはこのブログで中国の通史を自分で書き上げることができたらと考えていますが、そんな事を考える暇があったらとっとと留学記を終わらせるべきでしょうね。ちなみに先生にも現在連載中の留学記のオリジナルを送ったのですが、ブログで公開しているような敬体ではなく非常にラフな元の文体のがいいよと言われました。

2009年10月7日水曜日

北京留学記~その十三、国際会議の報道

 私が中国に滞在中、NHKを見ていると非常に中継場所として映ったのが天安門前のホテルでした。一体どうしてそこから中継が行われるのかというと、六カ国会議の現場状況の中継が必ず映されたからです。

 2005年からもう四年も経って段々と影も薄くなってしまいましたが、この時期は北朝鮮の核問題の対処を巡る周辺五カ国を含めた六カ国会議が何度も北京で開催されていました。日本としても今より拉致問題への国民の意識が強かったために注目されていたのか集中して報道されており、何度も中継に出てくる北京を見ては随分とメジャーなところに来たもんだと思うほどでした。
 さてそんな日本の報道振りに対して中国のメディアはどのように報道していたかですが、こちらは靖国のときほど細かくはチェックしていなかったものの、やはり日本よりはまだこの問題に対する直接的な危機感が薄いせいか、本当に小さく報道しかされておりませんでした。当時の私の手記を読むとこの日中の六カ国会議報道の温度差について、

「心なしか、六カ国協議における日本の立場と同じものを感じる。」

 と、まとめております。


 この六カ国会議のほかに私が中国に滞在中にあった大きな国際会議というともう一つ、2005年12月における香港での世界貿易会議がありました。もっともこちらは先ほどの六カ国会議に比べて、ほとんどの日本人の方は何が起きたか知らないのかと思います。

 具体的にこの世界貿易会議で何があったのかというと、この時の会議での主要な議題は農作物の貿易自由化についてだったそうですが、会議中に主に韓国からやってきた農民の自由化反対グループと警官隊が衝突し、警官隊が催涙弾を撃つなどの騒ぎとなりました。当時チャンネルをつけるとニュース番組では特番や現場中継を設けるなどして大きく報道していましたが、まるで戦争映画化かのように催涙弾の煙が立ち込める中dエ警官隊と韓国人農民グループがぶつかっており、最初見たときには何事かと思ったほどでした。

 そんな中国での大きな報道振りに対して日本ではどうかというと、自分が調べた限りでは日本ではインターネットのYAHOOニュースとNHKが香港にて衝突が起こっているとだけで、まるで交通事故の一例を紹介するおざなり程度の報道しかされておりませんでした。試しに日本に帰国後にあちこちの友人にこのニュースの事を尋ねましたが、記憶している人間はただの一人もいませんでした。

 ではこの事件は中国国内であったことから大きく取り上げられたのかというと、ちょっと事情は異なるかと私は考えております。この時のテレビ中継をみている際に相部屋の相手だったルーマニア人と話をしたのですが、中継される暴動を見ながらお互いにアンチグローバリゼーションの抵抗運動だなどと、それぞれが知っている内容を伝え合いました。
 この「アンチグローバリゼーション」という言葉は以前にも、「日本語にならないアンチグローバリゼーション」という記事でも紹介していますが、要するに貿易の過剰な自由化は世界経済を成長させるどころか貧困を助長させるという主張で、自由化を促進させようとする世界会議が開かれるたびにあちこちでこの主張をしている団体が激しい抗議活動を行っております。なお、一番でかかったのは2001年のイタリアでの会議です。

 リーマンショックを起こった今だったら多少はこれらの主張も実感が伴うように感じられるので、今だったら報道の仕方も違ったかもしれませんが、世界の学生はこのアンチグローバリゼーション運動をみんな知っているのに対して日本人だけはほぼ皆無といっていいくらいこの流れを知らず、それが当時の報道にも現れたのでしょう。昨日に書いたオリンピックの報道でもそうですが、もう少し世界の動きや流れを日本人は意識して取り入れてもらいたいものです。

北京留学記~その十二、靖国参拝時の報道

 大分日が空いての連載再開です。現在この北京留学記とともに時間の概念についても連載をしておりますが、二つも重ね合わせるもんじゃないなと現在は激しく後悔しております。ちょっとこっちの北京留学記の方は集中して取り組み、早く終わらせないと(´Д`)。
 前回までは私の北京での生活など、主にこれから中国に留学を考えている方向けの情報ばかりでしたが、今回辺りからは当時でしか味わえなかったというか、リアルタイムで私が見聞きした現地の情報をオリジナルな解説を加えてお送りします。そんなまず一発目は、恐らく聞きたい方も多いであろう2005年の小泉首相(当時)の靖国参拝時の北京の様子です。

 2005年の10月17日、いわゆる郵政選挙といわれた9月11日の選挙での大勝の余韻も覚めやらぬこの日、小泉首相(当時)は在任中五度目にあたる靖国神社参拝を行いました。この靖国神社参拝はかねてより日中間の外交に影響を及ぼしており、特に中国側はA級戦犯を靖国神社が祀ってあることから日中戦争を日本政府が肯定するような行為だと激しく非難しており、この前年の2004年の参拝時には中国にある日本大使館や領事館前でデモや抗議活動、中には投石まで行われるほどの騒動となりました。

 そのためこの五度目の参拝時も再び反日活動や暴動が起こるのではないかと日本側は取り上げ、NHKの海外向け注意報でも中国に滞在している邦人に対して気をつけるように、またみだりに大使館周辺をうろつかないようにという外務省から出された注意が放送されました。また私の親父もわざわざ私にメールで外出を控えた方がいいのではと伝えてきたほどだったのですが、結果から言うとこれらはすべて杞憂に終わりました。

 私はこの参拝当日に中国のニュース番組を細かく確認していましたが、その報道振りはというと非常に事務的な内容ばかりでした。参拝に対してどう思うかというような街頭インタビューも少なく、ただ中国政府が日本に対して非難を行ったということを述べるのみで、前年、またそれ以前の中国から日本への抗議、非難の仕方からすると随分と大人しかったという印象でした。
 事実前年のあの反日デモはどこ吹く風か、大使館周辺でも目立った騒動は起こらず、北京市内の雰囲気ははっきり言って普段の日常と何も変わりませんでした。

 ここでは詳しい解説を行いませんが、何故このときに平穏を保ったのかというとやはり日中双方が事を荒立てたくない心理が作用したせいだと私は考えております。特に中国はそれまでの参拝時における中国国民の暴動に自身が相当に懲りたか非常に気を使っており、少なくとも国民を煽るような報道、抗議の仕方はしていなかったと断言できます。まぁそれを言ったら、中国人もさすがにもう五回目という事で、「またか('A`)モー」、ってな感じに受け取っていたのかもしれませんが。
 そんなこんなで、大体二週間もすると参拝した事すらみんな忘れてしまってました。

2009年10月6日火曜日

オリンピック誘致報道について

 先週のニュースですが、2016年オリンピックの開催地を決める投票が各国代表委員によって行われ、南米では初めてとなるブラジルのリオデジャネイロが見事開催地に決定されました。今回のオリンピック開催地の選定では最終的に選ばれたブラジル以外にも、日本の東京、アメリカのシカゴ、スペインのマドリードも候補として名乗りを上げていました、これら候補国に対して日本のメディアの扱いや報道ぶりにややいぶかしむ点があったので、今日はその点について短めにまとめようと思います。

 まず結論から言えば日本のこの開催地を巡る報道は的外れもいいところで、全く以って下馬評が外れた結果に終わりました。選挙前日にもなるとどの日本のメディアもこぞってこの開催地について報道合戦を繰り返していましたが、それらの報道では最大の候補はアメリカのシカゴで、東京が選ばれるにはこのシカゴにどう食い付いていくかが重要であるとして一回目と二回目の投票を如何に乗り越えるかというような解説ばかりなされていました。まるでアメリカのシカゴが最有力候補であるのに対して日本はその下の第二候補であり、マドリードとリオデジャネイロが選ばれる可能性ともなるとほとんど言及がなかったように思えます。

 しかし結果はというと、まず一回目の投票において日本メディアが最有力候補として挙げていたシカゴが真っ先に落選しました。このシカゴの落選時に都庁に集まった誘致派の人間らは大喜びをしていましたが、その一方で最有力候補と見られいていたシカゴが一番最初に落ちた事で全く予想がつかなくなったかのような言いようのない不安を口にするアナウンサーやコメンテーターもおり、事実その懸念の通りに二回目の投票にてあっさりと東京も落選しました。
 ちなみに私が見ていたテレビ番組では最初の投票直前に、スペインのマドリードが一番最初に落選する可能性が高いが、もしかしたら同情票や、花を持たせたいとする委員の力で残るかもしれない(リオデジャネイロがかわりに落ちる)、というような解説をしていたので、いろんな意味で複雑な気にさせられました。

 このオリンピック誘致において、東京がどのような誘致活動をして、投票直前のプレゼンで何を訴えたかまでは細かくチェックしていませんが、投票前の下馬評がそっくりそのままひっくり返る形でマドリードと最後まで争った挙句にリオデジャネイロが選ばれたということは、日本のメディアは実情からかけ離れた予想、報道を行っていたという事になります。こう言っては何ですが投票前はまるで七割方東京が選ばれるかのような報道振りで、あんまり後ろ向きな報道も問題ではありますが今回はやや威勢がよ過ぎた様な気がします。

 また他の候補都市の予想順位についても、これはあくまで私の素人目ですが、投票を行うのは国単位ゆえに発展途上国の数が多くなるため、欧州でもアジアでも北米でもない南米の、しかも発展途上国のブラジルに票が集まるのが自然ではないかと投票前に私は思っていました。マドリードについては2012年に同じ欧州のイギリスのロンドンが開催するために、順位も低いだろうと私も予想していましたが。

 とにかくこれほどまで的外れだった予想について、一体どこをどう読み間違えて日本はこんな報道をしてしまたったのか、世界の感覚、潮流を理解していなかったのかといろいろと考えさせられた一夜でした。もっともこう考えるのも私くらいで、このオリンピック招致を自分の花道だと考えていた石原慎太郎都知事の影響力がまた一段と弱まり、誘致活動のためにかかった150億円は誰が責任を取るのだということが目下の注目店となってきております。

 それにしても、ここ数年の石原都知事の影響力の低下ぶりは目に余ります。新銀行東京の赤字に始まり築地移転問題、そして今回の誘致失敗と、ほんのちょっと前までは何かしら政府に動きがあると地方首長の意見としてよくインタビューが報道されていましたが、今ではそれもすっかり橋下大阪府知事、東国原宮崎県知事にお株を取られています。ある意味、前回都知事選にて対抗馬の故黒川紀章氏の言われていた通り、あの時が石原氏のいい引き際のタイミングだったのかもしれません。