一昨日のテレビ番組の話ですが、またNHKが一般パネリストを集めて若者についての討論番組をやっていました。主な議題は年長の世代から見て今の若者はどうしてこんなに元気がないのか、草食系なのかという内容で、案の定というか若者と年長世代とでお互い議論が平行線となることが多かったです。
私はこの番組を七時半から八時過ぎにうちのお袋が「アンビリバボー」を見るまでほんの少ししか視聴していなかったのですが、見ていてちょっと面白かった議論で、どうして今の若者は定時になるとすぐに家に帰りたがるのか、飲み会などを嫌がるのかという年長世代からの質問に対して若者は、現代は競争が厳しくなって休める時間にしっかり休まなければならない、音楽やテレビといった自分の趣味を優先したいなどと回答があり、これについては年長世代の元銀行員の方も。自分たちの現役時より明らかに現代は忙しくなっているので最初の休みたいという理由には納得していました。
しかしそれにしたって会社に残って残業をしたり、先輩の教えを請うことだってあってもいいじゃないかとある年長世代の方が言うと、若者側からは今は残業しようにも残業制限が掛けられていたりして、また先輩に教えを請おうとすると、そんな事も分からないのかと怒られたり、追い返されたりすると反論してきました。
また番組内ではアンケート調査の結果を用いながら以前と比べて現代の若者は出世意欲が少なくなっていると紹介し、若者側は会社に尽くしたり出世したりするよりも個人の趣味を優先したいからだなどと理由を話していましたが、これについては私のほうから細くしておくと、今の時代は出世しても給料はほとんど上がらず、下手すりゃ残業代が加算されなくなって無制限に働かされるようになったり、果てには権限そのままで責任だけがでかくなるのを若者が見ているせいだと思います。実際に私が知っているある会社だと「担当部長」という職位があり、ある部署なんて部長以下全員が担当部長という笑える部署まであります。
そんなこんだでテーマこそ面白いものの議論にどうも盛り上がりがないなぁと見ていたのですが、この定時で早く帰ろうとする若者の議論の最後の方にて、ある若者がこんなことを逆に年長世代に質問していました。
「逆に、どうして会社に遅くまで残ろうとするのですか?」
この若者からの思わぬ質問に、呆気に取られたか年長側は一瞬の沈黙の後で一気に笑い出しました。
結局この質問に対して年長者側からは具体的な回答はありませんでしたが、物は確かに考えてみるもので、若者の側からすると現代の年長者は何かと会社に遅くまで残ろうとするように映るのかもしれません。主にフェミニストなどから一時期、日本の男性は高度経済成長期に仕事にばかりかまけて家庭を省みず、会社にしか居場所がないなどと言っては育児や家族サービスに参加するべきだなどと主張されてましたが、なんかこのやり取りを見て唐突に思い出しました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年5月8日土曜日
2010年5月7日金曜日
普天間基地移設問題の雑感
多分期待されている方もいるんじゃないかと思うので、今盛り上がっているこの沖縄普天間基地移設問題について私の見方を今日は紹介します。
そもそもなんで政治系ブログなのにこれまで全くこの問題を取り上げなかったのかというと、私自身がこの沖縄問題とその歴史についてこれまであまり勉強した事がなく、国防にも関わる事から中途半端な知識で書くべき内容ではないと考えていたからです。かといって他に取り上げる話題も充分に勉強しているわけじゃないのですが、大分進展もしてきているのでちょこっと書くくらいなら問題はないかと思って今日は書くことに決めました。
まず結論から言うと、ここまで民主党の対応が悪いとは私も思いませんでした。この問題の最前線に立っている岡田克也外務大臣が一部の雑誌メディアにはすでに話していますが、岡田外相は当初から現行案であったキャンプ・シュワブへの移設が最も望ましいと考えていたものの鳩山首相が腹案があるからといってこの案は採用されず、では一体どんな腹案なのかと思っていたら初めから鳩山首相は何も持っていなかったそうなのです。私はてっきり今日の鹿児島県徳之島の三人の町長との会談の際にもまた、「腹案があるよ(・∀・)」とでも言うのかと思っていましたが、さすがに事態がここまで来ると初めから実態のなかった「腹案」という言葉も出てこなくなってきたようです。
そもそもなんで鳩山首相は県外移設にこだわったのかと言えば、突き詰めて言うと私はマニフェストにそう書いてしまったからだと見ております。私自身、というより各種世論調査を見ているとその他大勢の方も初めから民主党のマニフェストには期待しておらず、子供手当てを初めとしてどちらかと言えば実行に反対という意見の方が多かったように思えます。ひとえに民主党が選挙で勝ったのは自民党への不信からで、国民としては旧来の構造から脱却、あとできれば年金などといった社会保障の改革さえしてくれればいいと考えていたとと、去年の衆議院選挙の民主党の大勝を私は分析しました。
しかし民主党としては、どうも支持率を維持するためにはマニフェストの完遂がどうしても必要と思ったのか、高速道路無料化は小沢氏の鶴の一声で見送りとなったものの、それ以外の政策についてはそれこそ財源の目処もないのに強行に実行しようとする節があります。今回の普天間問題も同じような傾向が見られ、マニフェストに県外移設と書いたという理由だけでどうも推し進めようとしている節があります。
これは言い換えるなら、なにかほかに必然とさせる理由をもたずに県外移設をしようとしているという風に考える事が出来ます。
確かに沖縄の基地負担を軽減しようとするという考えなどはあるかもしれませんが、その分どこがかわりに負担できそうなのか、また国防上どこに移設するのがベストなのか、そういった問題決定をする上での哲学は民主党には何もないように思えます。それがゆえに沖縄から近いという理由だけで、今回のように根回しも全くないまま徳之島移設案を唐突に打ち出してきたのでしょう。
私の友人なんかはこの際だから米軍の完全撤退も視野に入れて議論すべきだと主張していますが、それならそれで現代において領土に対しややいびつな価値観を持つ中国と本気でやりあう覚悟が必要になってきます。
私としては米軍基地を動かすのは難しいとした上で、沖縄の負担を減らすのに何が一番いいかといえば日米地位協定の更なる改定を求める事だったのではないかと思います。それこそ基地外での犯罪についてはすべて日本国法で裁き、証拠が揃っているのであれば身柄引き渡しは必ず行わなければならないなどとより厳しく定めるなど、こういったところで日米双方の不信を取り除くように動くのがまず先だったのではないかという気がします。
最後にこの問題で気になっていることとして、日本政治における最大のタブーとされる沖縄利権は今回の騒動で何かしら影響を受けるかどうかです。民主党がこの利権に切り込みを入れようとしているのか、はたまた乗っかろうとしているのか、ちょっと現段階では見えにくいので誰か分かる人がいたらコメントに書いてください。
そもそもなんで政治系ブログなのにこれまで全くこの問題を取り上げなかったのかというと、私自身がこの沖縄問題とその歴史についてこれまであまり勉強した事がなく、国防にも関わる事から中途半端な知識で書くべき内容ではないと考えていたからです。かといって他に取り上げる話題も充分に勉強しているわけじゃないのですが、大分進展もしてきているのでちょこっと書くくらいなら問題はないかと思って今日は書くことに決めました。
まず結論から言うと、ここまで民主党の対応が悪いとは私も思いませんでした。この問題の最前線に立っている岡田克也外務大臣が一部の雑誌メディアにはすでに話していますが、岡田外相は当初から現行案であったキャンプ・シュワブへの移設が最も望ましいと考えていたものの鳩山首相が腹案があるからといってこの案は採用されず、では一体どんな腹案なのかと思っていたら初めから鳩山首相は何も持っていなかったそうなのです。私はてっきり今日の鹿児島県徳之島の三人の町長との会談の際にもまた、「腹案があるよ(・∀・)」とでも言うのかと思っていましたが、さすがに事態がここまで来ると初めから実態のなかった「腹案」という言葉も出てこなくなってきたようです。
そもそもなんで鳩山首相は県外移設にこだわったのかと言えば、突き詰めて言うと私はマニフェストにそう書いてしまったからだと見ております。私自身、というより各種世論調査を見ているとその他大勢の方も初めから民主党のマニフェストには期待しておらず、子供手当てを初めとしてどちらかと言えば実行に反対という意見の方が多かったように思えます。ひとえに民主党が選挙で勝ったのは自民党への不信からで、国民としては旧来の構造から脱却、あとできれば年金などといった社会保障の改革さえしてくれればいいと考えていたとと、去年の衆議院選挙の民主党の大勝を私は分析しました。
しかし民主党としては、どうも支持率を維持するためにはマニフェストの完遂がどうしても必要と思ったのか、高速道路無料化は小沢氏の鶴の一声で見送りとなったものの、それ以外の政策についてはそれこそ財源の目処もないのに強行に実行しようとする節があります。今回の普天間問題も同じような傾向が見られ、マニフェストに県外移設と書いたという理由だけでどうも推し進めようとしている節があります。
これは言い換えるなら、なにかほかに必然とさせる理由をもたずに県外移設をしようとしているという風に考える事が出来ます。
確かに沖縄の基地負担を軽減しようとするという考えなどはあるかもしれませんが、その分どこがかわりに負担できそうなのか、また国防上どこに移設するのがベストなのか、そういった問題決定をする上での哲学は民主党には何もないように思えます。それがゆえに沖縄から近いという理由だけで、今回のように根回しも全くないまま徳之島移設案を唐突に打ち出してきたのでしょう。
私の友人なんかはこの際だから米軍の完全撤退も視野に入れて議論すべきだと主張していますが、それならそれで現代において領土に対しややいびつな価値観を持つ中国と本気でやりあう覚悟が必要になってきます。
私としては米軍基地を動かすのは難しいとした上で、沖縄の負担を減らすのに何が一番いいかといえば日米地位協定の更なる改定を求める事だったのではないかと思います。それこそ基地外での犯罪についてはすべて日本国法で裁き、証拠が揃っているのであれば身柄引き渡しは必ず行わなければならないなどとより厳しく定めるなど、こういったところで日米双方の不信を取り除くように動くのがまず先だったのではないかという気がします。
最後にこの問題で気になっていることとして、日本政治における最大のタブーとされる沖縄利権は今回の騒動で何かしら影響を受けるかどうかです。民主党がこの利権に切り込みを入れようとしているのか、はたまた乗っかろうとしているのか、ちょっと現段階では見えにくいので誰か分かる人がいたらコメントに書いてください。
2010年5月6日木曜日
ネット左翼は何故いないのか?
もう最近だとあまり言われなくなって死語となりつつありますが、ネット上では「ネット右翼」といって、一般に右系とされる意見や主張を強く主張する集団、もしくは傾向があるとかねてから言われております。
このネット右翼という言葉が初めて大きく取り上げられたのは今を遡ること六年前の2004年に起きたイラクでの日本人人質事件で、この時人質となった三名の方は最終的には解放されて無事に日本に帰国する事が出来たのですが、この事件の発生当時、外務省が戦争による治安の悪化から渡航禁止を呼びかけていたにもかかわらずわざわざイラクに行って誘拐されたとして、ネット上ではこの三名の方が人質となったのは自業自得だという意見が支配的と言っていいほど主張されていました。
この時に出た意見というのがこれまた最近めっきり使われなくなった「自己責任論」なのですが、この自己責任という言葉をめくって新聞やテレビといった大メディアの意見とネット上の意見が激しく対立し、大メディア側が、「ネット上には一部、右系の思想が強い集団がいる」と述べたことから、そのようなネット上の右系思想集団の事を「ネット右翼」と呼ぶようになりました。
折も折で小泉元首相の靖国参拝についてもあれこれ意見が交わされていたことで当時は盛んに議論されていましたが、最近だと何が右で何が左なのか、対立点が分かり辛くなっている事からあまり使われなくなっているように思えます。この辺については私が以前に書いた、「「右翼」、「左翼」という言葉の問題性」に詳しく書いております。
ただ「ネット右翼」という言葉が使われなくなったとはいえ、今でも右系(とされる)意見や主張をすれば好意的に受け止められ、左系(とされる)意見を言えば叩かれるという傾向はブログなりホームページの運営者ならば多かれ少なかれ認識しているかと思います。私のこの「陽月秘話」なんて小さいものですから反発こそ少ないものの、大きいブログだったらたとえどのような理由だとしても外国人参政権に一言でも賛成と言おうものならば激しく批判されるのは目に見えているでしょう。
ここで今日の本題ですが、一体何故「ネット右翼」という言葉はあっても「ネット左翼」という言葉はないのでしょうか。仮に現実世界も右系の世論一色であるのならば理解できますが、現実にはネット右翼に激しく糾弾される朝日新聞の熱心な購読者や左翼政党もまだ存在しており、ネット右翼ほど強烈でなくともネット上に左翼的な意見を持つ集団がいてもおかしくはないように思えます。
考え方はいろいろとありますが、ネット左翼が存在しない理由として私が持っている見識としては、わざわざネットで主張しなくとも他のメディアで誰かが意見を言ってくれるため、だからではないかと見ております。
今一番ホットな話題でもあるので左翼的だとネット上でよく言われる外国人参政権を例に取ると、産経新聞なんかは割と強く参政権付与に反対という主張を打ち出していますが、それ以外の大新聞だと、「国際化に遅れる」、「優秀な外国人がやってこないなど」と言っては賛成を主張するか、読者の反発を恐れて賛成反対双方の意見を軽く載せて中立を装うかのどちらかです。テレビの意見も大体は同様で、関西の「たかじんのそこまで言って委員会」とかならともかく、全体的には賛成派の知識人らを招いてそっちの方で意見をまとめようとします。
仮に自分が賛成派の立場であるならば、大メディアの主張が自分の意見と同じだと感じれば大きな安心感を得られて、殊更に自分でも何か主張しようという気は起きなくなります。逆に自分が反対派の立場であるならば、どうして自分の意見を大メディアは取り上げないのか、大メディアは自分の持っている意見や知識を知らないのではないかという風に覚え、何でもいいから主張したり伝えようという風に感じるのではないかと思います。
またもう少し卑近な例で説明すると、自分が不味いと思う料理を周囲の人も不味いと言うのであればあまり気にしないものの、周りはそれほど不味くないと言うのであればどれだけその料理が不味いのかをやけに熱心に説明しようとはならないでしょうか。
要はこのような感じで、公の意見とは別の意見を持つ者ほど自分の意見を強く主張したがるため、匿名性の強いネット上にて右系の意見が強くなるのではないかと私は思います。この場合、公の意見というのは多数派とかそういったものではなく、やはりテレビや新聞といった影響力の強い大メディアの意見のことを指しております。大メディアの意見が左系の物が多いかどうかまではわかりませんが、少なくともネット上の意見は大メディアに対して批判的なものが多いというのは間違いない気がします。
勘のいい人ならもうわかるでしょうが、私はネット右翼と呼ばれる集団は基本的に何か特定の思想に偏った集団ではないと考えております。ただ単にネット上の意見は宿命的に大メディアの意見と対立するものであって、ネット上の人間、もしくはネット人口が多い若者が右系(とされる)思想に偏りつつあるというのは間違いじゃないかという風に思います。
もう少し話は広げられますが、気絶しそうなほどに頭痛がひどいので今日はここまでです。校正も無理だ……。
このネット右翼という言葉が初めて大きく取り上げられたのは今を遡ること六年前の2004年に起きたイラクでの日本人人質事件で、この時人質となった三名の方は最終的には解放されて無事に日本に帰国する事が出来たのですが、この事件の発生当時、外務省が戦争による治安の悪化から渡航禁止を呼びかけていたにもかかわらずわざわざイラクに行って誘拐されたとして、ネット上ではこの三名の方が人質となったのは自業自得だという意見が支配的と言っていいほど主張されていました。
この時に出た意見というのがこれまた最近めっきり使われなくなった「自己責任論」なのですが、この自己責任という言葉をめくって新聞やテレビといった大メディアの意見とネット上の意見が激しく対立し、大メディア側が、「ネット上には一部、右系の思想が強い集団がいる」と述べたことから、そのようなネット上の右系思想集団の事を「ネット右翼」と呼ぶようになりました。
折も折で小泉元首相の靖国参拝についてもあれこれ意見が交わされていたことで当時は盛んに議論されていましたが、最近だと何が右で何が左なのか、対立点が分かり辛くなっている事からあまり使われなくなっているように思えます。この辺については私が以前に書いた、「「右翼」、「左翼」という言葉の問題性」に詳しく書いております。
ただ「ネット右翼」という言葉が使われなくなったとはいえ、今でも右系(とされる)意見や主張をすれば好意的に受け止められ、左系(とされる)意見を言えば叩かれるという傾向はブログなりホームページの運営者ならば多かれ少なかれ認識しているかと思います。私のこの「陽月秘話」なんて小さいものですから反発こそ少ないものの、大きいブログだったらたとえどのような理由だとしても外国人参政権に一言でも賛成と言おうものならば激しく批判されるのは目に見えているでしょう。
ここで今日の本題ですが、一体何故「ネット右翼」という言葉はあっても「ネット左翼」という言葉はないのでしょうか。仮に現実世界も右系の世論一色であるのならば理解できますが、現実にはネット右翼に激しく糾弾される朝日新聞の熱心な購読者や左翼政党もまだ存在しており、ネット右翼ほど強烈でなくともネット上に左翼的な意見を持つ集団がいてもおかしくはないように思えます。
考え方はいろいろとありますが、ネット左翼が存在しない理由として私が持っている見識としては、わざわざネットで主張しなくとも他のメディアで誰かが意見を言ってくれるため、だからではないかと見ております。
今一番ホットな話題でもあるので左翼的だとネット上でよく言われる外国人参政権を例に取ると、産経新聞なんかは割と強く参政権付与に反対という主張を打ち出していますが、それ以外の大新聞だと、「国際化に遅れる」、「優秀な外国人がやってこないなど」と言っては賛成を主張するか、読者の反発を恐れて賛成反対双方の意見を軽く載せて中立を装うかのどちらかです。テレビの意見も大体は同様で、関西の「たかじんのそこまで言って委員会」とかならともかく、全体的には賛成派の知識人らを招いてそっちの方で意見をまとめようとします。
仮に自分が賛成派の立場であるならば、大メディアの主張が自分の意見と同じだと感じれば大きな安心感を得られて、殊更に自分でも何か主張しようという気は起きなくなります。逆に自分が反対派の立場であるならば、どうして自分の意見を大メディアは取り上げないのか、大メディアは自分の持っている意見や知識を知らないのではないかという風に覚え、何でもいいから主張したり伝えようという風に感じるのではないかと思います。
またもう少し卑近な例で説明すると、自分が不味いと思う料理を周囲の人も不味いと言うのであればあまり気にしないものの、周りはそれほど不味くないと言うのであればどれだけその料理が不味いのかをやけに熱心に説明しようとはならないでしょうか。
要はこのような感じで、公の意見とは別の意見を持つ者ほど自分の意見を強く主張したがるため、匿名性の強いネット上にて右系の意見が強くなるのではないかと私は思います。この場合、公の意見というのは多数派とかそういったものではなく、やはりテレビや新聞といった影響力の強い大メディアの意見のことを指しております。大メディアの意見が左系の物が多いかどうかまではわかりませんが、少なくともネット上の意見は大メディアに対して批判的なものが多いというのは間違いない気がします。
勘のいい人ならもうわかるでしょうが、私はネット右翼と呼ばれる集団は基本的に何か特定の思想に偏った集団ではないと考えております。ただ単にネット上の意見は宿命的に大メディアの意見と対立するものであって、ネット上の人間、もしくはネット人口が多い若者が右系(とされる)思想に偏りつつあるというのは間違いじゃないかという風に思います。
もう少し話は広げられますが、気絶しそうなほどに頭痛がひどいので今日はここまでです。校正も無理だ……。
2010年5月5日水曜日
戦前の日本人の天皇観について
本当かどうかは知りませんが、太平洋戦争中、捕虜となった日本兵をからかってやろうとアメリカ兵がこんな事を言ったそうです。
米兵「お前ら、ダーウィンの進化論ってのを知っているか? ダーウィンによるとお前らが神様と崇めている天皇もサルから進化したんだってよ( ゚∀゚)」
日本兵「それくらい知ってるよ。で、それがどうかしたの?(・д・` )」
米兵「あれっ?( ゚д゚)」
恐らく米兵としては、日本人が神様、もしくは神様の子孫と崇めている対象が下等生物とみなしているサルから進化したのだと言われると、日本人は馬鹿にされてカチンと来るか相当なショックを受けるだろうと考えていたのだと思います。しかし言われた日本人はそんな当たり前のことを何を今更といった様に受け取った、というのがこのお話ですが、多分実際に会話があったとしてもこういうことになったんじゃないかと私も思います。
戦前、日本は極端な皇民化教育が行われてそれまでの日本史上においても極めて高いレベルにまで天皇の神格化もはかられていましたが、私は終戦後のマッカーサーを初めとしたGHQによる大転換があれほどスムーズに行われたことを考えると、口では激しく天皇の神性を述べながらも、日本人は内心では天皇も自分たちと同じ人間だと認識していたように思えます。一時期に外国人からよく日本人のわからないところとして、口で言っていることと心に思っていることが一致していないというものがありましたが、私は戦前の天皇観も日本人お得意の本音と建前がきちんと分けられていたのではないかと考えています。
このような日本人の面従腹背というような態度は日本に限らず中国などといった東アジア圏ではよく見られますが、欧米人からしたらなかなかに理解できない態度なのかもしれません。またそもそもアメリカでは今に至るまでダーウィンの進化論に懐疑的で、公教育で教えるべきかどうかについて激しく議論されるほどだそうです。
話は戻り戦前の日本人の天皇観ですが、私は現代で一般的に思われている以上に当時の日本人はクールに捉えていたように思えます。また天皇制を熱烈に信奉していたとされる旧陸軍幹部や右翼活動家らも、実際には天皇制を最も軽視していたのではないかと思われる節があります。
最近は右翼活動をしても寄付金が集まらなくなって街宣車なども見なくなるほど右翼活動家もなりを潜めるようになったため、こうした戦時の歴史についてもかなりきわどい所まで調べる事が出来るようになりましたが、最近の研究だと天皇制を最も信奉して忠実であったと思われていた陸軍がどのように天皇制を見ていたかについて徐々に明らかになってきました。
結論から言うと陸軍は戦時中、天皇制の維持以上に陸軍という組織の維持に腐心していた節があり、昭和天皇がもし独断で終戦工作に動こうものなら無理矢理取り除いて天皇の弟(第一候補は秩父宮)の中から新たに天皇を立ててでも戦争を継続しようという、なんというか本末転倒のような計画までも持っていたそうです。
こうした状況である事は昭和天皇を含め天皇の周りにいる侍従らも理解しており、迂闊に終戦工作を行おうものならクーデターを起こされるとの認識があり、あの鈴木貫太郎内閣の御前会議へとつながったのかと思います。
なお余談ですが、戦後初めて自民党を下野させる事に成功した細川護煕元首相の父親である細川護貞氏はまさにこの戦時中に昭和天皇の侍従を務めており、当時の状況を「細川日記」にて詳細に記しております。その日記によると、悪化する戦局にも関わらず依然と戦争を継続しようとする東条英機に対し、「もはや東条を刺殺するより他がない」と言ったものの同じ侍従の木戸幸一に滅多な事を言うなと口止めされ、部屋を出た途端に足ががくがくと震えてきたと記しております。
更についでに書くと、息子の護煕氏が総理就任時にインタビューを求められ、「息子は飽きっぽい性格だから長続きしないだろう」と述べているあたり、観察眼のある人だったのだろうという気がします。
米兵「お前ら、ダーウィンの進化論ってのを知っているか? ダーウィンによるとお前らが神様と崇めている天皇もサルから進化したんだってよ( ゚∀゚)」
日本兵「それくらい知ってるよ。で、それがどうかしたの?(・д・` )」
米兵「あれっ?( ゚д゚)」
恐らく米兵としては、日本人が神様、もしくは神様の子孫と崇めている対象が下等生物とみなしているサルから進化したのだと言われると、日本人は馬鹿にされてカチンと来るか相当なショックを受けるだろうと考えていたのだと思います。しかし言われた日本人はそんな当たり前のことを何を今更といった様に受け取った、というのがこのお話ですが、多分実際に会話があったとしてもこういうことになったんじゃないかと私も思います。
戦前、日本は極端な皇民化教育が行われてそれまでの日本史上においても極めて高いレベルにまで天皇の神格化もはかられていましたが、私は終戦後のマッカーサーを初めとしたGHQによる大転換があれほどスムーズに行われたことを考えると、口では激しく天皇の神性を述べながらも、日本人は内心では天皇も自分たちと同じ人間だと認識していたように思えます。一時期に外国人からよく日本人のわからないところとして、口で言っていることと心に思っていることが一致していないというものがありましたが、私は戦前の天皇観も日本人お得意の本音と建前がきちんと分けられていたのではないかと考えています。
このような日本人の面従腹背というような態度は日本に限らず中国などといった東アジア圏ではよく見られますが、欧米人からしたらなかなかに理解できない態度なのかもしれません。またそもそもアメリカでは今に至るまでダーウィンの進化論に懐疑的で、公教育で教えるべきかどうかについて激しく議論されるほどだそうです。
話は戻り戦前の日本人の天皇観ですが、私は現代で一般的に思われている以上に当時の日本人はクールに捉えていたように思えます。また天皇制を熱烈に信奉していたとされる旧陸軍幹部や右翼活動家らも、実際には天皇制を最も軽視していたのではないかと思われる節があります。
最近は右翼活動をしても寄付金が集まらなくなって街宣車なども見なくなるほど右翼活動家もなりを潜めるようになったため、こうした戦時の歴史についてもかなりきわどい所まで調べる事が出来るようになりましたが、最近の研究だと天皇制を最も信奉して忠実であったと思われていた陸軍がどのように天皇制を見ていたかについて徐々に明らかになってきました。
結論から言うと陸軍は戦時中、天皇制の維持以上に陸軍という組織の維持に腐心していた節があり、昭和天皇がもし独断で終戦工作に動こうものなら無理矢理取り除いて天皇の弟(第一候補は秩父宮)の中から新たに天皇を立ててでも戦争を継続しようという、なんというか本末転倒のような計画までも持っていたそうです。
こうした状況である事は昭和天皇を含め天皇の周りにいる侍従らも理解しており、迂闊に終戦工作を行おうものならクーデターを起こされるとの認識があり、あの鈴木貫太郎内閣の御前会議へとつながったのかと思います。
なお余談ですが、戦後初めて自民党を下野させる事に成功した細川護煕元首相の父親である細川護貞氏はまさにこの戦時中に昭和天皇の侍従を務めており、当時の状況を「細川日記」にて詳細に記しております。その日記によると、悪化する戦局にも関わらず依然と戦争を継続しようとする東条英機に対し、「もはや東条を刺殺するより他がない」と言ったものの同じ侍従の木戸幸一に滅多な事を言うなと口止めされ、部屋を出た途端に足ががくがくと震えてきたと記しております。
更についでに書くと、息子の護煕氏が総理就任時にインタビューを求められ、「息子は飽きっぽい性格だから長続きしないだろう」と述べているあたり、観察眼のある人だったのだろうという気がします。
2010年5月4日火曜日
中国人が意外にはまっている日本文化
上海万博が始まったことからこのGW中のトップニュースはそれこそ中国一色でしたが、その中でも万博開始前に上海市政府が住民に対し、「パジャマで外を出歩くな」という呼びかけなどといった紹介をよく見たように思えます。これなんて私も今まで知らなかったのですが、なんでも中国ではパジャマは富の象徴でよくパジャマを着たまま外に出歩いたり買い物をしたりする人が多かったそうなのです。言われてみると、そんな格好をしたような人が朝方なんてよくいたような気がします。
このパジャマの例を筆頭に、近いのに、いや逆に近いがゆえに日中ではお互いの文化や生活習慣について意外に知られていない内容が数多くあります。ご多分に漏れず私も決して中国の生活習慣などについて詳しいというわけじゃないのですが、中国の若者が日本に対してどのように考えているか、または日本の文化をどれほど知っているかについて、日本人は知らずに損しているなと思う事が多くあります。そこで今日は幾つか、といっても私の中国人の知り合いから得た日本への見方について紹介しようと思います。
1、熱血高校
ある日私の中国人の友人と一緒に歩きながらゲームの話をしていると、「熱血高校って知ってる?」と唐突に聞かれました。最初は何のことだか分からなかったのですが詳しく話を聞いてみると、どうやらかつてテクノスという会社から出ていた「熱血高校くにおくんシリーズ」というゲームのことを言っているのだとわかりました。
このゲームは私くらいの世代なら何かしら触れた事のある、ファミコンからスーパーファミコン時代における代表的なパーティーゲームのシリーズです。あいにくこのゲームを作っていたテクノスが倒産した事から続編が作られなくなってしまったのですが、仁義ある不良のくにおくんがいろんな人の求めに応じて他校の友人(元ライバル)の彼女を救いに殴りこみに行ったり、ドッヂボールで戦ったり、果てには時代劇で空中電気あんまを披露したりなどと、下手したら今の最新のゲームなんかよりずっと自由度の高いゲームでした。
その友人は子供の頃、この熱血高校シリーズを友人同士でやっては楽しく遊んでいたそうです。まさかこんなゲームを日中で共有していたとは思いもせず、妙なショックを受けました。
2、スラムダンク
さすがに今の中高生くらいだとちょっと知名度が落ちてくるかもしれませんが、現在「バガボンド」を連載中の井上雄彦氏がジャンプ黄金期に連載した「スラムダンク」という漫画は、今に至るまでの日本におけるバスケットボールの地位や人気へと大きく押し上げる原動力となったと間違いないでしょう。最近少し思うところがあってこのスラムダンクを読み返しており、連載当時に私は小学生だったのですが、そこそこ年のいったこの年齢で改めて読んでみると小学生時代とはまた違った視点で読め、実に良く出来た漫画だと再認識をしております。「バガボンド」はそんなに好きじゃないんだけど。
それでこのスラムダンク、恐らく日本以上に中国では大きな影響力を持っているのではないかと私見ながらに思っております。なんでも例の私の中国人の友人に聞くと、中国でもこのスラムダンクは大ヒットしてバスケットボールを始める中高生が続出したそうで、実際にその後中国ではアメリカのNBAでも活躍する選手を輩出するほどバスケットボール熱は高まり、今でもこのスラムダンクは中国では経典の如く扱いを受けているそうです。
3、浜崎あゆみ
日本では往年ほどの勢いはなくなっている歌手の浜崎あゆみですが、さすがに今はどうなっているかまでは分かりませんが、ちょっと前までは中国人も非常に愛好しておりました。今回の万博直前の岡本麻夜の音楽パクリ騒動といい、日本のアーティストは中国でも全般的に受けがよく、私の留学時代などはよく街中でKiroroの曲を耳にしておりました。
ただ浜崎あゆみが中国で権威を持つのは彼女の曲が中国人に受けるからというだけでなく、彼女流のメイクが中国の都市部の若者に非常に受けがいいという理由も大きく絡んでおります。私なんかは彼女のメイク方はちょっとけばく思えてそんなに好きではないのですが、件の友人に言わせると浜崎流の日本人女性のメイクは世界一だなどと聞いててこそばゆくなるほど誉めておりました。
4、村上春樹
これは中国に限るわけじゃないのですが、村上春樹の小説はかねてより中国でも高く認知されております。この前に出版された「1Q84」も相当売れたそうですが、私が留学した頃は「海辺のカフカ」が大ブレイク中で街の至る本屋どこでも平積みにされていたほどでした。また例によって、私はそんなに好きじゃないんだけど。
このパジャマの例を筆頭に、近いのに、いや逆に近いがゆえに日中ではお互いの文化や生活習慣について意外に知られていない内容が数多くあります。ご多分に漏れず私も決して中国の生活習慣などについて詳しいというわけじゃないのですが、中国の若者が日本に対してどのように考えているか、または日本の文化をどれほど知っているかについて、日本人は知らずに損しているなと思う事が多くあります。そこで今日は幾つか、といっても私の中国人の知り合いから得た日本への見方について紹介しようと思います。
1、熱血高校
ある日私の中国人の友人と一緒に歩きながらゲームの話をしていると、「熱血高校って知ってる?」と唐突に聞かれました。最初は何のことだか分からなかったのですが詳しく話を聞いてみると、どうやらかつてテクノスという会社から出ていた「熱血高校くにおくんシリーズ」というゲームのことを言っているのだとわかりました。
このゲームは私くらいの世代なら何かしら触れた事のある、ファミコンからスーパーファミコン時代における代表的なパーティーゲームのシリーズです。あいにくこのゲームを作っていたテクノスが倒産した事から続編が作られなくなってしまったのですが、仁義ある不良のくにおくんがいろんな人の求めに応じて他校の友人(元ライバル)の彼女を救いに殴りこみに行ったり、ドッヂボールで戦ったり、果てには時代劇で空中電気あんまを披露したりなどと、下手したら今の最新のゲームなんかよりずっと自由度の高いゲームでした。
その友人は子供の頃、この熱血高校シリーズを友人同士でやっては楽しく遊んでいたそうです。まさかこんなゲームを日中で共有していたとは思いもせず、妙なショックを受けました。
2、スラムダンク
さすがに今の中高生くらいだとちょっと知名度が落ちてくるかもしれませんが、現在「バガボンド」を連載中の井上雄彦氏がジャンプ黄金期に連載した「スラムダンク」という漫画は、今に至るまでの日本におけるバスケットボールの地位や人気へと大きく押し上げる原動力となったと間違いないでしょう。最近少し思うところがあってこのスラムダンクを読み返しており、連載当時に私は小学生だったのですが、そこそこ年のいったこの年齢で改めて読んでみると小学生時代とはまた違った視点で読め、実に良く出来た漫画だと再認識をしております。「バガボンド」はそんなに好きじゃないんだけど。
それでこのスラムダンク、恐らく日本以上に中国では大きな影響力を持っているのではないかと私見ながらに思っております。なんでも例の私の中国人の友人に聞くと、中国でもこのスラムダンクは大ヒットしてバスケットボールを始める中高生が続出したそうで、実際にその後中国ではアメリカのNBAでも活躍する選手を輩出するほどバスケットボール熱は高まり、今でもこのスラムダンクは中国では経典の如く扱いを受けているそうです。
3、浜崎あゆみ
日本では往年ほどの勢いはなくなっている歌手の浜崎あゆみですが、さすがに今はどうなっているかまでは分かりませんが、ちょっと前までは中国人も非常に愛好しておりました。今回の万博直前の岡本麻夜の音楽パクリ騒動といい、日本のアーティストは中国でも全般的に受けがよく、私の留学時代などはよく街中でKiroroの曲を耳にしておりました。
ただ浜崎あゆみが中国で権威を持つのは彼女の曲が中国人に受けるからというだけでなく、彼女流のメイクが中国の都市部の若者に非常に受けがいいという理由も大きく絡んでおります。私なんかは彼女のメイク方はちょっとけばく思えてそんなに好きではないのですが、件の友人に言わせると浜崎流の日本人女性のメイクは世界一だなどと聞いててこそばゆくなるほど誉めておりました。
4、村上春樹
これは中国に限るわけじゃないのですが、村上春樹の小説はかねてより中国でも高く認知されております。この前に出版された「1Q84」も相当売れたそうですが、私が留学した頃は「海辺のカフカ」が大ブレイク中で街の至る本屋どこでも平積みにされていたほどでした。また例によって、私はそんなに好きじゃないんだけど。
2010年5月3日月曜日
何故マルクスの予言は外れたのか
マルクスと言えば社会主義思想を現代に伝わる形に完成させた偉大な大家で、社会主義国の大半が滅んだ今に至ってもなお思想界、経済界に大きな影響力を残している人物であると評価されています。もちろん中には彼の思想や予言は結局は大はずれで、彼が述べたのとは逆にソ連が崩壊するなど社会主義が滅んで資本主義が勝ったではないかと言われる方もいるかと思います。
実際に私もかつてのソ連や東ドイツ、そしてお隣の北朝鮮や中国のかつてのお国事情、それこそ私が連載して解説した中国の文化大革命などを見るとやはり社会主義というのは人間の意欲というものを完全に無視した欠陥のあるシステムだったと思え、現在に至るまでその考えは間違ってはいないと信じております。だからと言ってマルクスが夢想者であったと見るのではなく、彼の社会主義に対する価値観やそれとは離れて倫理学で語られる、こちらもかつて私も記事にした「疎外論」など、その思想や考え方は当時においても超一流で社会主義が滅んだからと言ってもう学ばなくていいというような対象ではないと評価しております。
そんなわけで短い時期で、しかもかなり中途半端に社会主義思想、マルクス経済などを適当に学んだ事のある私なのですが、まず彼の理論は古典派の資本主義経済には欠陥があるというところからスタートします。結構面倒くさい理論や現象などを駆使してマルクスはこの資本主義の欠陥を自身の著作において証明しようと作業しているのですが、簡単に結論を述べると運用できる資産を保有する上位、中産階級と、資産を持たないで自身の労働によって賃金を得る労働者階級の収入や生活待遇の差というのは資本主義社会においてはどんどんと二極分離する、つまり富む者はますます富んで、貧しいものはどんどんと貧しくなっていくとしております。
これは労働者階級にとってすればいわば負の連鎖で、この連鎖から抜け出すために社会主義社会の実現が必要だという風に続いていくのですが、皮肉な事にこのスタート地点からしてマルクスは間違っていたと現代では評される事が多いです。一体どのように間違えているのかと言うと、日本やアメリカといった国を始めとして1900年代の中盤から後半にかけて資本主義側諸国ではケインズに始まる統制経済の概念が強まり、経済全体が大きくなるに伴って労働者階級の属する下位層の生活も、「一家に一代の自家用車」に代表される言葉の通りに底上げされていき、マルクスが予言したようにどんどんと貧しくなる事はありませんでした。
資本主義側はマルクスのいた時代に対して資本主義も進化したのだと自分たちの勝利を誇りましたが、このマルクスの予言がはずれたことについて、これまた以前にも取り上げた堺屋太一氏が面白い事を述べていたので簡単に紹介します。
堺屋氏は、マルクスの考えだと貧富の差がどんどんと広がっていくであろう資本主義社会で何故下位層が減少して中間層が拡大していったのかと言うと、石油や鉄といった資源が非常に安価で豊富な時代だったからだと述べています。もう少し具体的に説明すると、二次大戦後は技術の発達に伴って石油や鉄などといった主だった資源の発掘が急激に進み、これら資源の価格が今から考えると驚くべき価格にまで低下しました。実際に石油は一時期のアメリカだと1リットル当たり水道代より安くあった時代もあり、事実上使い放題だったようです。
堺屋氏はこの点に注目し、本来であればマルクスの主張通りに資本主義社会では貧富の差が拡大するはずだったものの、こういった資源が二次大戦後は安価で大量に使用できたことで下位層の底上げも達成する事が出来た。逆に言えば、中国やインドを初めとした大量の人口を抱える発展途上国が台頭して資源価格が徐々に高等してきた現代に至っては、マルクスの予言通りに貧富の差が拡大する可能性が高いと述べています。
資源については枯渇しないまでも、産出量が減るだけでも発掘コストは跳ね上がるのでこの堺屋氏の主張も決して無理な意見ではないように思えます。最近の日本は格差社会になってきたということで一時マルクスの復権だなどとマルクス経済学者を中心に主張されましたが、彼らの意見を聞いているとただ単に格差とマルクスを繋げているだけでどうにも脈絡のなさを感じずにはいられませんでした。しかしこの資源価格に注目した堺屋氏の意見には私も同感する所があり、今後世界は資源争奪戦となると各所で予想されている事からしても、心にとどめておくべき意見だと思います。
何故マルクスの予言は外れたのか
マルクスと言えば社会主義思想を現代に伝わる形に完成させた偉大な大家で、社会主義国の大半が滅んだ今に至ってもなお思想界、経済界に大きな影響力を残している人物であると評価されています。もちろん中には彼の思想や予言は結局は大はずれで、彼が述べたのとは逆にソ連が崩壊するなど社会主義が滅んで資本主義が勝ったではないかと言われる方もいるかと思います。
実際に私もかつてのソ連や東ドイツ、そしてお隣の北朝鮮や中国のかつてのお国事情、それこそ私が連載して解説した中国の文化大革命などを見るとやはり社会主義というのは人間の意欲というものを完全に無視した欠陥のあるシステムだったと思え、現在に至るまでその考えは間違ってはいないと信じております。だからと言ってマルクスが夢想者であったと見るのではなく、彼の社会主義に対する価値観やそれとは離れて倫理学で語られる、こちらもかつて私も記事にした「疎外論」など、その思想や考え方は当時においても超一流で社会主義が滅んだからと言ってもう学ばなくていいというような対象ではないと評価しております。
そんなわけで短い時期で、しかもかなり中途半端に社会主義思想、マルクス経済などを適当に学んだ事のある私なのですが、まず彼の理論は古典派の資本主義経済には欠陥があるというところからスタートします。結構面倒くさい理論や現象などを駆使してマルクスはこの資本主義の欠陥を自身の著作において証明しようと作業しているのですが、簡単に結論を述べると運用できる資産を保有する上位、中産階級と、資産を持たないで自身の労働によって賃金を得る労働者階級の収入や生活待遇の差というのは資本主義社会においてはどんどんと二極分離する、つまり富む者はますます富んで、貧しいものはどんどんと貧しくなっていくとしております。
これは労働者階級にとってすればいわば負の連鎖で、この連鎖から抜け出すために社会主義社会の実現が必要だという風に続いていくのですが、皮肉な事にこのスタート地点からしてマルクスは間違っていたと現代では評される事が多いです。一体どのように間違えているのかと言うと、日本やアメリカといった国を始めとして1900年代の中盤から後半にかけて資本主義側諸国ではケインズに始まる統制経済の概念が強まり、経済全体が大きくなるに伴って労働者階級の属する下位層の生活も、「一家に一代の自家用車」に代表される言葉の通りに底上げされていき、マルクスが予言したようにどんどんと貧しくなる事はありませんでした。
資本主義側はマルクスのいた時代に対して資本主義も進化したのだと自分たちの勝利を誇りましたが、このマルクスの予言がはずれたことについて、これまた以前にも取り上げた堺屋太一氏が面白い事を述べていたので簡単に紹介します。
堺屋氏は、マルクスの考えだと貧富の差がどんどんと広がっていくであろう資本主義社会で何故下位層が減少して中間層が拡大していったのかと言うと、石油や鉄といった資源が非常に安価で豊富な時代だったからだと述べています。もう少し具体的に説明すると、二次大戦後は技術の発達に伴って石油や鉄などといった主だった資源の発掘が急激に進み、これら資源の価格が今から考えると驚くべき価格にまで低下しました。実際に石油は一時期のアメリカだと1リットル当たり水道代より安くあった時代もあり、事実上使い放題だったようです。
堺屋氏はこの点に注目し、本来であればマルクスの主張通りに資本主義社会では貧富の差が拡大するはずだったものの、こういった資源が二次大戦後は安価で大量に使用できたことで下位層の底上げも達成する事が出来た。逆に言えば、中国やインドを初めとした大量の人口を抱える発展途上国が台頭して資源価格が徐々に高等してきた現代に至っては、マルクスの予言通りに貧富の差が拡大する可能性が高いと述べています。
資源については枯渇しないまでも、産出量が減るだけでも発掘コストは跳ね上がるのでこの堺屋氏の主張も決して無理な意見ではないように思えます。最近の日本は格差社会になってきたということで一時マルクスの復権だなどとマルクス経済学者を中心に主張されましたが、彼らの意見を聞いているとただ単に格差とマルクスを繋げているだけでどうにも脈絡のなさを感じずにはいられませんでした。しかしこの資源価格に注目した堺屋氏の意見には私も同感する所があり、今後世界は資源争奪戦となると各所で予想されている事からしても、心にとどめておくべき意見だと思います。
実際に私もかつてのソ連や東ドイツ、そしてお隣の北朝鮮や中国のかつてのお国事情、それこそ私が連載して解説した中国の文化大革命などを見るとやはり社会主義というのは人間の意欲というものを完全に無視した欠陥のあるシステムだったと思え、現在に至るまでその考えは間違ってはいないと信じております。だからと言ってマルクスが夢想者であったと見るのではなく、彼の社会主義に対する価値観やそれとは離れて倫理学で語られる、こちらもかつて私も記事にした「疎外論」など、その思想や考え方は当時においても超一流で社会主義が滅んだからと言ってもう学ばなくていいというような対象ではないと評価しております。
そんなわけで短い時期で、しかもかなり中途半端に社会主義思想、マルクス経済などを適当に学んだ事のある私なのですが、まず彼の理論は古典派の資本主義経済には欠陥があるというところからスタートします。結構面倒くさい理論や現象などを駆使してマルクスはこの資本主義の欠陥を自身の著作において証明しようと作業しているのですが、簡単に結論を述べると運用できる資産を保有する上位、中産階級と、資産を持たないで自身の労働によって賃金を得る労働者階級の収入や生活待遇の差というのは資本主義社会においてはどんどんと二極分離する、つまり富む者はますます富んで、貧しいものはどんどんと貧しくなっていくとしております。
これは労働者階級にとってすればいわば負の連鎖で、この連鎖から抜け出すために社会主義社会の実現が必要だという風に続いていくのですが、皮肉な事にこのスタート地点からしてマルクスは間違っていたと現代では評される事が多いです。一体どのように間違えているのかと言うと、日本やアメリカといった国を始めとして1900年代の中盤から後半にかけて資本主義側諸国ではケインズに始まる統制経済の概念が強まり、経済全体が大きくなるに伴って労働者階級の属する下位層の生活も、「一家に一代の自家用車」に代表される言葉の通りに底上げされていき、マルクスが予言したようにどんどんと貧しくなる事はありませんでした。
資本主義側はマルクスのいた時代に対して資本主義も進化したのだと自分たちの勝利を誇りましたが、このマルクスの予言がはずれたことについて、これまた以前にも取り上げた堺屋太一氏が面白い事を述べていたので簡単に紹介します。
堺屋氏は、マルクスの考えだと貧富の差がどんどんと広がっていくであろう資本主義社会で何故下位層が減少して中間層が拡大していったのかと言うと、石油や鉄といった資源が非常に安価で豊富な時代だったからだと述べています。もう少し具体的に説明すると、二次大戦後は技術の発達に伴って石油や鉄などといった主だった資源の発掘が急激に進み、これら資源の価格が今から考えると驚くべき価格にまで低下しました。実際に石油は一時期のアメリカだと1リットル当たり水道代より安くあった時代もあり、事実上使い放題だったようです。
堺屋氏はこの点に注目し、本来であればマルクスの主張通りに資本主義社会では貧富の差が拡大するはずだったものの、こういった資源が二次大戦後は安価で大量に使用できたことで下位層の底上げも達成する事が出来た。逆に言えば、中国やインドを初めとした大量の人口を抱える発展途上国が台頭して資源価格が徐々に高等してきた現代に至っては、マルクスの予言通りに貧富の差が拡大する可能性が高いと述べています。
資源については枯渇しないまでも、産出量が減るだけでも発掘コストは跳ね上がるのでこの堺屋氏の主張も決して無理な意見ではないように思えます。最近の日本は格差社会になってきたということで一時マルクスの復権だなどとマルクス経済学者を中心に主張されましたが、彼らの意見を聞いているとただ単に格差とマルクスを繋げているだけでどうにも脈絡のなさを感じずにはいられませんでした。しかしこの資源価格に注目した堺屋氏の意見には私も同感する所があり、今後世界は資源争奪戦となると各所で予想されている事からしても、心にとどめておくべき意見だと思います。
何故マルクスの予言は外れたのか
マルクスと言えば社会主義思想を現代に伝わる形に完成させた偉大な大家で、社会主義国の大半が滅んだ今に至ってもなお思想界、経済界に大きな影響力を残している人物であると評価されています。もちろん中には彼の思想や予言は結局は大はずれで、彼が述べたのとは逆にソ連が崩壊するなど社会主義が滅んで資本主義が勝ったではないかと言われる方もいるかと思います。
実際に私もかつてのソ連や東ドイツ、そしてお隣の北朝鮮や中国のかつてのお国事情、それこそ私が連載して解説した中国の文化大革命などを見るとやはり社会主義というのは人間の意欲というものを完全に無視した欠陥のあるシステムだったと思え、現在に至るまでその考えは間違ってはいないと信じております。だからと言ってマルクスが夢想者であったと見るのではなく、彼の社会主義に対する価値観やそれとは離れて倫理学で語られる、こちらもかつて私も記事にした「疎外論」など、その思想や考え方は当時においても超一流で社会主義が滅んだからと言ってもう学ばなくていいというような対象ではないと評価しております。
そんなわけで短い時期で、しかもかなり中途半端に社会主義思想、マルクス経済などを適当に学んだ事のある私なのですが、まず彼の理論は古典派の資本主義経済には欠陥があるというところからスタートします。結構面倒くさい理論や現象などを駆使してマルクスはこの資本主義の欠陥を自身の著作において証明しようと作業しているのですが、簡単に結論を述べると運用できる資産を保有する上位、中産階級と、資産を持たないで自身の労働によって賃金を得る労働者階級の収入や生活待遇の差というのは資本主義社会においてはどんどんと二極分離する、つまり富む者はますます富んで、貧しいものはどんどんと貧しくなっていくとしております。
これは労働者階級にとってすればいわば負の連鎖で、この連鎖から抜け出すために社会主義社会の実現が必要だという風に続いていくのですが、皮肉な事にこのスタート地点からしてマルクスは間違っていたと現代では評される事が多いです。一体どのように間違えているのかと言うと、日本やアメリカといった国を始めとして1900年代の中盤から後半にかけて資本主義側諸国ではケインズに始まる統制経済の概念が強まり、経済全体が大きくなるに伴って労働者階級の属する下位層の生活も、「一家に一代の自家用車」に代表される言葉の通りに底上げされていき、マルクスが予言したようにどんどんと貧しくなる事はありませんでした。
資本主義側はマルクスのいた時代に対して資本主義も進化したのだと自分たちの勝利を誇りましたが、このマルクスの予言がはずれたことについて、これまた以前にも取り上げた堺屋太一氏が面白い事を述べていたので簡単に紹介します。
堺屋氏は、マルクスの考えだと貧富の差がどんどんと広がっていくであろう資本主義社会で何故下位層が減少して中間層が拡大していったのかと言うと、石油や鉄といった資源が非常に安価で豊富な時代だったからだと述べています。もう少し具体的に説明すると、二次大戦後は技術の発達に伴って石油や鉄などといった主だった資源の発掘が急激に進み、これら資源の価格が今から考えると驚くべき価格にまで低下しました。実際に石油は一時期のアメリカだと1リットル当たり水道代より安くあった時代もあり、事実上使い放題だったようです。
堺屋氏はこの点に注目し、本来であればマルクスの主張通りに資本主義社会では貧富の差が拡大するはずだったものの、こういった資源が二次大戦後は安価で大量に使用できたことで下位層の底上げも達成する事が出来た。逆に言えば、中国やインドを初めとした大量の人口を抱える発展途上国が台頭して資源価格が徐々に高等してきた現代に至っては、マルクスの予言通りに貧富の差が拡大する可能性が高いと述べています。
資源については枯渇しないまでも、産出量が減るだけでも発掘コストは跳ね上がるのでこの堺屋氏の主張も決して無理な意見ではないように思えます。最近の日本は格差社会になってきたということで一時マルクスの復権だなどとマルクス経済学者を中心に主張されましたが、彼らの意見を聞いているとただ単に格差とマルクスを繋げているだけでどうにも脈絡のなさを感じずにはいられませんでした。しかしこの資源価格に注目した堺屋氏の意見には私も同感する所があり、今後世界は資源争奪戦となると各所で予想されている事からしても、心にとどめておくべき意見だと思います。
2010年5月2日日曜日
反逆の儒学
一昨日は飲み会、昨日は午前に風呂屋に行って半日眠り、FFタクティクスをやっていたので更新が滞っておりました。それにしても、寝ようと思えば半日寝られるようになった自分がこのところすごいと思う。
そんな言い訳はどうでもいいとして今日の本題に移ります。
一般に儒学と言うと日本人にとってすれば江戸時代の学問で、主君に対して何が何でも忠孝を尽くすべきだと教えるような学問だと捉えられがちですが、結論から言うとこれは儒学は儒学でも朱子学という一派の考え方で、必ずしも儒学全体の価値観ではありません。では本来の儒学は一体どんな事を教えているのかと言えば、学派によっていろいろ違いますが原典である孔子の論語を紐解いてみると、確かに「忠」、「孝」の重要性は強く説かれているものの、それ以上に「仁」や「義」の重要性との比較も行われていて必ずしもそんな事は述べられておりません。
では具体的に孔子はどのようにこの辺のことについて書いてあるのかというと、さすがに論語のどの編に書かれてあるかまではいちいち覚えていませんが、まず主君に対して心から仕える重要性は全体を通して貫かれているのですが、そんな中でこんな一遍があります。
「もしお前(弟子)が仕えた君主が仁の道に背く者であれば、直ちにその主君に暇乞いして離れなさい」
簡単に言い換えると、誰かに仕官が出来たとしてもその主君が暗愚、もしくは冷酷な人間だと分かったら決して与してはならず、その人物の元を辞去しなさいと孔子は述べております。
この編に限らなくとも孔子は論語の中で一貫として理想の統治者(君子)に近い人物には持てる力を尽くして協力して、逆に道に背くものには殺せとまでは言いませんが、いくら生活のためだとしても与せず、またそうした人物を遠ざけて逆に社会に有意義な人物を取り立ててくべきだと強く主張されています。
私が最初に論語を読んだ時、孔子というのはこうも砕けた考え方をしていたのかとちょっと驚きました。それこそ最初は朱子学のようにたとえ主君が暗愚だと分かっていながらも精一杯に忠義を貫くべきだという風に書かれているのかと思っており、まともな人じゃなければ仕えちゃ駄目だよといっているようなこの部分を読んで考え方を改めさせられました。
この辺について私の恩師(中国古典が専門)に詳しく話を聞いてみたところ、何でも朱子学というのは儒学の中でも極左派とも言うべき極端な学派で本国中国では創始者の朱熹が亡くなった後は割と廃れていったのに対し、何故か遠く離れた朝鮮半島と日本に渡るとメジャーな一派となっていったそうなのです。
確かにそういわれてみると、論語に書かれている内容と朱子学の概念というのはどうにも距離があるように私にも思えてきました。それとともに、日本で儒学というとどうにも古い価値概念のように捉われがちですが、改めて原典から発掘していく価値があるのではないかと思うようになって、その後現在に至るまで論語は繰り返し読み続けております。
ちなみに日本に渡ってそこそこ広まった別の儒学の学派に陽明学というのもあります。これは王陽明に始まる学派で物凄く簡単に一言で言い表すなら、「あれこれ考えてる暇があったら、行動してなんぼでしょ」と言わんばかりの、実践第一を旨とする学問です。そのせいかこの陽明学を信奉していた江戸時代の人物を並び立てると、
・大塩平八郎
・佐久間象山
・吉田松陰
・高杉晋作
・西郷隆盛
・河井継之助
と、見るからに喧嘩っ早そうで、実際に革命なり反乱を起した人物が見事に並んできます。こうしてみると思想がどれだけ人間に影響を与えるのかがよくわかるのですが、今日のお題ともなっている反逆の儒学を信奉している私はどうなるのか、上記の陽明学徒同様に目上の人間を見限ることが早い人間になるのではないかと早くも心配です。
そんな言い訳はどうでもいいとして今日の本題に移ります。
一般に儒学と言うと日本人にとってすれば江戸時代の学問で、主君に対して何が何でも忠孝を尽くすべきだと教えるような学問だと捉えられがちですが、結論から言うとこれは儒学は儒学でも朱子学という一派の考え方で、必ずしも儒学全体の価値観ではありません。では本来の儒学は一体どんな事を教えているのかと言えば、学派によっていろいろ違いますが原典である孔子の論語を紐解いてみると、確かに「忠」、「孝」の重要性は強く説かれているものの、それ以上に「仁」や「義」の重要性との比較も行われていて必ずしもそんな事は述べられておりません。
では具体的に孔子はどのようにこの辺のことについて書いてあるのかというと、さすがに論語のどの編に書かれてあるかまではいちいち覚えていませんが、まず主君に対して心から仕える重要性は全体を通して貫かれているのですが、そんな中でこんな一遍があります。
「もしお前(弟子)が仕えた君主が仁の道に背く者であれば、直ちにその主君に暇乞いして離れなさい」
簡単に言い換えると、誰かに仕官が出来たとしてもその主君が暗愚、もしくは冷酷な人間だと分かったら決して与してはならず、その人物の元を辞去しなさいと孔子は述べております。
この編に限らなくとも孔子は論語の中で一貫として理想の統治者(君子)に近い人物には持てる力を尽くして協力して、逆に道に背くものには殺せとまでは言いませんが、いくら生活のためだとしても与せず、またそうした人物を遠ざけて逆に社会に有意義な人物を取り立ててくべきだと強く主張されています。
私が最初に論語を読んだ時、孔子というのはこうも砕けた考え方をしていたのかとちょっと驚きました。それこそ最初は朱子学のようにたとえ主君が暗愚だと分かっていながらも精一杯に忠義を貫くべきだという風に書かれているのかと思っており、まともな人じゃなければ仕えちゃ駄目だよといっているようなこの部分を読んで考え方を改めさせられました。
この辺について私の恩師(中国古典が専門)に詳しく話を聞いてみたところ、何でも朱子学というのは儒学の中でも極左派とも言うべき極端な学派で本国中国では創始者の朱熹が亡くなった後は割と廃れていったのに対し、何故か遠く離れた朝鮮半島と日本に渡るとメジャーな一派となっていったそうなのです。
確かにそういわれてみると、論語に書かれている内容と朱子学の概念というのはどうにも距離があるように私にも思えてきました。それとともに、日本で儒学というとどうにも古い価値概念のように捉われがちですが、改めて原典から発掘していく価値があるのではないかと思うようになって、その後現在に至るまで論語は繰り返し読み続けております。
ちなみに日本に渡ってそこそこ広まった別の儒学の学派に陽明学というのもあります。これは王陽明に始まる学派で物凄く簡単に一言で言い表すなら、「あれこれ考えてる暇があったら、行動してなんぼでしょ」と言わんばかりの、実践第一を旨とする学問です。そのせいかこの陽明学を信奉していた江戸時代の人物を並び立てると、
・大塩平八郎
・佐久間象山
・吉田松陰
・高杉晋作
・西郷隆盛
・河井継之助
と、見るからに喧嘩っ早そうで、実際に革命なり反乱を起した人物が見事に並んできます。こうしてみると思想がどれだけ人間に影響を与えるのかがよくわかるのですが、今日のお題ともなっている反逆の儒学を信奉している私はどうなるのか、上記の陽明学徒同様に目上の人間を見限ることが早い人間になるのではないかと早くも心配です。
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