一昨日の朝日新聞朝刊にて、土曜授業の復活するべきかどうかについて陰山英男氏と本田由紀氏がそれぞれ賛成と反対の立場で意見を寄せておりました。
それぞれの意見を要約すると、陰山氏は子供の学力は授業時間を増やせば必ずしも高まるものではなく、むしろ陰山氏が導入して効果を上げた百マス計算などといった教え方の比重の方が影響力が高いとして、現状でも授業時間外にも授業準備などの仕事をしなければならない教師から更に時間を奪ったりせずに授業内容の効率化、充実化を図っていくべきだとして土曜授業の復活に反対でした。
それに対して本田氏は、国際学力調査で高い成績を収めたフィンランドは今の日本以上に小学校の授業時間数が少なく、こちらも授業時間数が必ずしも学力向上に直結するわけではないとしながらも、土曜授業がなくなったかわりに現在は平日の授業時間数が増加したためにかえって教師の負担は大きくなっていると指摘しております。その上で土曜授業を復活させる一方、もっと教員の数を増やして交代で休暇がとれるような仕組みを作って授業の充実化を図って行くべきではないかと提案しておりました。
双方の意見を読んだ私の感想はと言うと、どちらの意見にも納得させられる部分が多くてなかなか考えさせられることの多い内容でした。どちらも授業時間数の増加よりも授業内容の充実こそが子供の学力向上につながるとしながらも、教師の意欲や体力を高めるのは週休二日制がいいのか週休一日制がいいのかという点で意見が分かれております。
実際に私の目から見ても確かに現代の教師の仕事は大変そうで、かつてあった半ドンの土曜日授業は今の公立校にはないものの、部活動の顧問をしている教師は今でもたとえ休みの土日であろうと学校に来て指導などしなくてはなりません。また夏休みなど長期休暇が教師にはあるとかつては言われましたが、最近は世間の目も厳しくなって無理矢理にでも補習、補講授業を夏休みに開校しては出勤させられるようになって来ているそうです。
またタイムリーな事に先月友人と久々に母校の中学に毛沢東Tシャツを着て行ってみたのですが、土曜にも関わらず職員室を覗くと知っている教師らはほぼ出揃っており、教師たちは土曜授業があろうとなかろうと変わらないんじゃないのかと改めて感じました。
そういう意味で今回の論者二人の言うように教師の休暇の取り方、休み方についてはもう少し考えるべきであり、予算的に可能であるならば本田氏の主張するように教員数を増やしてローテーションで休みを取れるような仕組みを作るのがいいかと思います。
最後に私の子供時代の話をすると、ちょうど私はこの土曜休日化の移行期に当たって学年が上がるごとに土曜日授業が減って行きました。しかし当時の私達小学生からしても、確かに土曜日が休みになってくれるのは満更ではなかったものの、午前中で授業が終わって午後に遊びに行けるというあの解放感はなかなか捨てがたい物があると子供ながらにみんなで言い合っていました。今の子供達は土曜の半ドン授業が復活したら、どう思うんだろう。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年5月17日月曜日
2010年5月16日日曜日
ストレスは敵なのか?
以前に読んだ事のある評論文でこんな実験が紹介されていました。実験内容は透明な水槽を二つ用意して、片方にはAという魚、もう片方にはその魚を主に捕食する、言わばAの天敵となるBという魚を入れて、それぞれの水槽を隣り合わせて配置しながら観察したそうです。もちろん水槽が別々なのでAが捕食されるという事はありえないのですが、透明な水槽のためにAは常に自分の天敵を近くで見ている事になり、意図的にストレスを与えながら生活させるとどのような変化が起こるかを調べて見たそうです。
そうして観察を続けてみるとなんとAの魚は平均的な寿命の三倍も生存し続けたそうで、この実験結果から研究者は、ある程度のストレスは細胞やその他諸々の器官を活性化させる可能性があるのではとまとめたそうです。
この実験を引用しながら論者は、一般にストレスは社会生活上でマイナスの効果しか引き起こさないと思われがちだが、過剰なストレスならともかく一定度のストレスは身体に対して好影響を与える要素の方が強いとまとめ、その一つの例として元オリックスの清原選手を引き合いに出していました。清原選手は最初に在籍していた西武時代には巨人に行きたいという強い願望(=ストレス)があったがゆえに立派な打撃成績も挙げることが出来たが、巨人に移籍した後はその願望が達成されてしまったがために西武時代ほどの成績を途端にあげることができなくなったのではないかと述べていました。
清原選手の例が正しいかどうかはともかくとして、この話を一読した私はなんとなく、この論者の言わんとするストレスというのは「プレッシャー」とも言い換える事が出来るのではないかと感じました。もちろんどっちの言葉を使ってもいいのですが、どちらも心的圧迫感を表現する言葉ながらストレスでは負の意味、プレッシャーは負と正の意味を両方兼ね備えているように思います。ほんとどっちだっていいんだけど。
話は戻りストレスについてですが、やっぱり一般社会では「ストレスは敵だ」、「ストレスをなくそう」という言葉があちこちで言われるほど世間ではストレスは嫌われていますが、私もこの論者同様にストレスは必ずしも敵ではないと考えております。私自身の体験で言えば全くストレスがない状態だった頃、だらけた生活もいい所と思うほどに行動に能動さがなくなり、何かしら小説なり文章なりを書こうと思っても時間があるにもかかわらず実行に移せない日々が続きました。
それに比して現在は明らかにそのストレスのない時代に比べて自分の周囲の環境や余暇に使える時間的余裕が悪化しているにもかかわらず、当時の自分じゃ決してなし得ないほどの膨大な文章量を毎日このブログで更新し続けております。よく「忙中、閑あり」とは言いますが、あながち間違っていない気がします。
もちろんうつ病を発症させるような過剰なストレス環境は間違いなく問題ですが、そうでなくてややうっとうしいと思う程度のストレスであれば、そのストレスが全くない状態より人間はかえって能動的に、人間らしく生きていけるのではないかと思います。程度的には、「かったるくて、やってらんねぇよ(´Д`)」と思いつつも毎日それなりに生活していける位が適量ではないかと見ていますが、「このままじゃ、死んじゃう(ノД`)」と思うほどなら明らかに過剰なので無理せずに休んだ方がいいと思います。
ここで終えても全く問題はないのですが敢えてここで社会学的な発想をすると、今の日本はあまりにもストレスを敵視するあまりにかえってストレスに対する耐性を自ら弱めているのではないかとも感じます。ここら辺は渡辺淳一氏の主張する「鈍感力」にも関連してきますが気にしなくてもいいものまで気にしてしまうと無駄に疲れてしまうようなもので、うつ病を引き合いに出すと、「こんなにストレスを抱えてれば、うつ病になるんじゃ(>'A`)>」という風に無駄な不安を覚えて、自ら追い込む事でうつ病になってしまうという例も実際によく聞きます。
ではこのような自己暗示的なうつ病を回避するためには何がいいのかと言えば、先程の鈍感力を養うという方法と、ストレスを如何に味方に付けるかだと私は思います。スポーツの世界ではプレッシャーを如何に自分の力にするかというトレーニング方法があると聞きますがそれと同じ事で、自分にかかる心的圧力を、「これだけ期待されているんだ」、「チームにとって自分はなくちゃならないんだ」というように前向きに捉えることで通常時よりもより大きな貢献ができるようになる、所謂大舞台に強い選手となることができるそうです。
なので今日の内容をまとめると、「ストレスは敵だ」とは言わず、「ストレスは敵にも味方にもなる。お前次第でな」というのが、私の意見というわけです。
そうして観察を続けてみるとなんとAの魚は平均的な寿命の三倍も生存し続けたそうで、この実験結果から研究者は、ある程度のストレスは細胞やその他諸々の器官を活性化させる可能性があるのではとまとめたそうです。
この実験を引用しながら論者は、一般にストレスは社会生活上でマイナスの効果しか引き起こさないと思われがちだが、過剰なストレスならともかく一定度のストレスは身体に対して好影響を与える要素の方が強いとまとめ、その一つの例として元オリックスの清原選手を引き合いに出していました。清原選手は最初に在籍していた西武時代には巨人に行きたいという強い願望(=ストレス)があったがゆえに立派な打撃成績も挙げることが出来たが、巨人に移籍した後はその願望が達成されてしまったがために西武時代ほどの成績を途端にあげることができなくなったのではないかと述べていました。
清原選手の例が正しいかどうかはともかくとして、この話を一読した私はなんとなく、この論者の言わんとするストレスというのは「プレッシャー」とも言い換える事が出来るのではないかと感じました。もちろんどっちの言葉を使ってもいいのですが、どちらも心的圧迫感を表現する言葉ながらストレスでは負の意味、プレッシャーは負と正の意味を両方兼ね備えているように思います。ほんとどっちだっていいんだけど。
話は戻りストレスについてですが、やっぱり一般社会では「ストレスは敵だ」、「ストレスをなくそう」という言葉があちこちで言われるほど世間ではストレスは嫌われていますが、私もこの論者同様にストレスは必ずしも敵ではないと考えております。私自身の体験で言えば全くストレスがない状態だった頃、だらけた生活もいい所と思うほどに行動に能動さがなくなり、何かしら小説なり文章なりを書こうと思っても時間があるにもかかわらず実行に移せない日々が続きました。
それに比して現在は明らかにそのストレスのない時代に比べて自分の周囲の環境や余暇に使える時間的余裕が悪化しているにもかかわらず、当時の自分じゃ決してなし得ないほどの膨大な文章量を毎日このブログで更新し続けております。よく「忙中、閑あり」とは言いますが、あながち間違っていない気がします。
もちろんうつ病を発症させるような過剰なストレス環境は間違いなく問題ですが、そうでなくてややうっとうしいと思う程度のストレスであれば、そのストレスが全くない状態より人間はかえって能動的に、人間らしく生きていけるのではないかと思います。程度的には、「かったるくて、やってらんねぇよ(´Д`)」と思いつつも毎日それなりに生活していける位が適量ではないかと見ていますが、「このままじゃ、死んじゃう(ノД`)」と思うほどなら明らかに過剰なので無理せずに休んだ方がいいと思います。
ここで終えても全く問題はないのですが敢えてここで社会学的な発想をすると、今の日本はあまりにもストレスを敵視するあまりにかえってストレスに対する耐性を自ら弱めているのではないかとも感じます。ここら辺は渡辺淳一氏の主張する「鈍感力」にも関連してきますが気にしなくてもいいものまで気にしてしまうと無駄に疲れてしまうようなもので、うつ病を引き合いに出すと、「こんなにストレスを抱えてれば、うつ病になるんじゃ(>'A`)>」という風に無駄な不安を覚えて、自ら追い込む事でうつ病になってしまうという例も実際によく聞きます。
ではこのような自己暗示的なうつ病を回避するためには何がいいのかと言えば、先程の鈍感力を養うという方法と、ストレスを如何に味方に付けるかだと私は思います。スポーツの世界ではプレッシャーを如何に自分の力にするかというトレーニング方法があると聞きますがそれと同じ事で、自分にかかる心的圧力を、「これだけ期待されているんだ」、「チームにとって自分はなくちゃならないんだ」というように前向きに捉えることで通常時よりもより大きな貢献ができるようになる、所謂大舞台に強い選手となることができるそうです。
なので今日の内容をまとめると、「ストレスは敵だ」とは言わず、「ストレスは敵にも味方にもなる。お前次第でな」というのが、私の意見というわけです。
2010年5月15日土曜日
最強の指揮官と最強の兵士
中学生くらいの頃、よく私は将来の自分の育成方針を決めるに当たり、最強の指揮官を目指すのか、それとも最強の兵士とならんとするのかを考えていました。はっきり言って誇大妄想も激しいと言えばそうなのですが、三国志に熱中していた時期もあって自分をどのようなタイプの人材として訓練を積んで行くのかをこの時期にいろいろと考えていました。
最強の指揮官というのは言うまでもなく組織の指揮、運営を管理するタイプの人材で、三国志で言うなら諸葛亮のようなタイプで、このタイプの人材は手持ちの部下をどのように配置して動かし、また全体の動きの把握に務める事が主な仕事となります。翻って最強の兵士というのは、三国志で極端なものを挙げると張飛みたいなタイプで何も考えず猪突猛進に与えられた仕事を確実にこなすような人材で、それぞれの担当分野の能力をひたすら磨く事が主眼となってきます。
もちろんどちらか片一方に特化する必要はなく、それこそこれまた三国志で言うなら関羽みたいに両方の役割をある程度兼任できるような人材を目指してもよいのですが、指揮官か兵士のどっちにより比重を加えて自らを磨くとすればどっちだろうかと考えたわけです。私はすでに当時から何かしら文章を書く事で、それもジャーナリズム関係で生計を立てて生きたいと考えており、その業界で指揮官となると編集者、もしくは企業運営者こと社長になり、兵士となるとそのまんま記者か作家になって来ます。
本音で言えば前線でひたすら戦うだけの記者を目指すだけで十分だろうと考えたのですが、現時点でもそうですが日本の教育は全体的にスペシャリストばかりを育成したがっており、周りを見ても全体を見渡せるだけのジェネラリストとなれるような同世代の人間が見当たらず将来的にこの方面の人材が不足して行くことが目に見えていました。そこで当時はまだ愛国心も強かったがゆえに私は、「国の穴を埋めるのだ!ヽ( ゚д゚)ノ」とばかりに、本音とは逆にジェネラリストたらんと自分の育成方針を定める事にしました。
といっても特別に何かをするというわけではなく何事に関しても自分とは関係ないと言って切り捨てたりせずに何にでも手を出して勉強していこうと決めただけでしたが、その後の進学先も社会学という専門のしばりが緩い学部で、前にも書きましたが文系学問なら法学以外はそこそこ手を出してやっていたので方針通りのコースを歩んできたと思います。あいにく出版業界には就職は適いませんでしたがこうしていまいち専門範囲のわからないブログを三年近く運営できている辺り、自分を意図した育成方針通りに育てられたという自負があります。
しかしそんな風に育った今においても、未だに私は最強の兵士への思いを捨てきれているわけではありません。またまた三国志で言うなら諸葛亮を目指すのも満更ではないのですが、やっぱり前線の将軍ながらも臨機応変に対応できてひょっとしたら指揮官でも十分にやれたんじゃないかという趙雲のような人材が私にとっては理想です。
最強の指揮官というのは言うまでもなく組織の指揮、運営を管理するタイプの人材で、三国志で言うなら諸葛亮のようなタイプで、このタイプの人材は手持ちの部下をどのように配置して動かし、また全体の動きの把握に務める事が主な仕事となります。翻って最強の兵士というのは、三国志で極端なものを挙げると張飛みたいなタイプで何も考えず猪突猛進に与えられた仕事を確実にこなすような人材で、それぞれの担当分野の能力をひたすら磨く事が主眼となってきます。
もちろんどちらか片一方に特化する必要はなく、それこそこれまた三国志で言うなら関羽みたいに両方の役割をある程度兼任できるような人材を目指してもよいのですが、指揮官か兵士のどっちにより比重を加えて自らを磨くとすればどっちだろうかと考えたわけです。私はすでに当時から何かしら文章を書く事で、それもジャーナリズム関係で生計を立てて生きたいと考えており、その業界で指揮官となると編集者、もしくは企業運営者こと社長になり、兵士となるとそのまんま記者か作家になって来ます。
本音で言えば前線でひたすら戦うだけの記者を目指すだけで十分だろうと考えたのですが、現時点でもそうですが日本の教育は全体的にスペシャリストばかりを育成したがっており、周りを見ても全体を見渡せるだけのジェネラリストとなれるような同世代の人間が見当たらず将来的にこの方面の人材が不足して行くことが目に見えていました。そこで当時はまだ愛国心も強かったがゆえに私は、「国の穴を埋めるのだ!ヽ( ゚д゚)ノ」とばかりに、本音とは逆にジェネラリストたらんと自分の育成方針を定める事にしました。
といっても特別に何かをするというわけではなく何事に関しても自分とは関係ないと言って切り捨てたりせずに何にでも手を出して勉強していこうと決めただけでしたが、その後の進学先も社会学という専門のしばりが緩い学部で、前にも書きましたが文系学問なら法学以外はそこそこ手を出してやっていたので方針通りのコースを歩んできたと思います。あいにく出版業界には就職は適いませんでしたがこうしていまいち専門範囲のわからないブログを三年近く運営できている辺り、自分を意図した育成方針通りに育てられたという自負があります。
しかしそんな風に育った今においても、未だに私は最強の兵士への思いを捨てきれているわけではありません。またまた三国志で言うなら諸葛亮を目指すのも満更ではないのですが、やっぱり前線の将軍ながらも臨機応変に対応できてひょっとしたら指揮官でも十分にやれたんじゃないかという趙雲のような人材が私にとっては理想です。
2010年5月14日金曜日
少数精鋭は成り立つのか?
よく事業に行き詰って人員の少なくなっていく企業ほど、「うちは少数精鋭だからな」などと強がりますが、果たして本当に少数精鋭というのは成り立つのでしょうか。精鋭というと確かに聞こえは良いのですが、戦争などをするに当たってやはり数は多いに越したことがなく、シミュレーションゲームの「信長の野望シリーズ」などでも兵数は質が低かろうが多い方がやはり優位に事を運べることが多いです。
しかし私が知る中で、この少数精鋭主義を実際に実行して大きな成功を納めた人物が一人おります。その人物は誰かというと、ほかならぬ秦の始皇帝です。
始皇帝がまだ中国を統一しておらず秦王だった頃、ある日自国の将軍に対して今いる60万の兵を三分の一の20万にまで減らせと命令しました。この命令を受けた将軍は戸惑い、どうして兵力をわざわざ減らすようなことをするのかと始皇帝に聞き返した所、秦国は土地が痩せているため常に兵糧の確保が難しく、役にも立たない雑兵を多く飼っておくよりは精鋭を選り抜いて兵力を削減した方がいいと始皇帝は答えました。
それでしぶしぶこの将軍も兵力の削減、今風に言うならリストラを推し進めた所、なんと新たに編成された精鋭部隊はそれまでいくら攻めても全く落ちなかった隣国の城を次々と落とすようになり、編成を行った将軍も驚くほどの成果を直ちに挙げるようになったのです。
この始皇帝のリストラがどこでも通用するというわけではないですが、秦の土地が痩せていた、元々の兵隊がそこそこ強かった、などという当時の秦の状況を鑑みるなら実に的を得た決断だったと私も思えます。ただこの急激なリストラ策は多くの反発者も生み、異を唱えたがために始皇帝に処刑されかけた秦のある将軍は燕国に逃亡して後にあの有名な始皇帝暗殺計画に加担するようになるなど、円満にこのリストラが進められたというわけではありません。それだけ始皇帝の改革や決断がドラスティックだったというわけで、あの広い中国(今の中国に比べりゃ狭いけど)を始めて統一しただけはあります。
余談ですが私は高校時代に文化祭で出し物をやろうと企画して賛同者を広く募ったのですが、今思いだすと頭数を無理に揃える位ならしっかりと信頼の出来る人間数人とだけ組んでやっとけばよかったと思うほど、引っ張っていく途中で散々な目に遭いました。恐らく私の生まれ育った年代も関係しているでしょうが、やはり私は組織というものはフットワークの軽い小さな少数精鋭組織の方が上手く回るんじゃないかと思います。公務員が嫌いってのも影響しているでしょうが。
なお今日取り上げた始皇帝ですが、現在ヤングジャンプで連載中の「キングダム」という漫画がまさにこの時代の秦を描いており、中国史好きもあって面白く読ませてもらっております。この漫画は登場人物が着る衣装から時代背景、戦闘の描写などが細かく、どうしてこんな漫画家が今まで日の目を浴びてこなかったと思うほどなのですが、唯一欠点だと思うのは、「男かと思っていたら実は女だった!Σ(・Д・ノ)ノ」、という展開がやけに多い事です。作者の趣味なのかと疑うくらいに多いのですが、それにしても同じヤングジャンプでは「ノノノノ」という、これまた性別を男性だと偽っている女性スキージャンパーが活躍する漫画があるなど、何かとユニセックスの激しい連載陣が続いております。
しかし私が知る中で、この少数精鋭主義を実際に実行して大きな成功を納めた人物が一人おります。その人物は誰かというと、ほかならぬ秦の始皇帝です。
始皇帝がまだ中国を統一しておらず秦王だった頃、ある日自国の将軍に対して今いる60万の兵を三分の一の20万にまで減らせと命令しました。この命令を受けた将軍は戸惑い、どうして兵力をわざわざ減らすようなことをするのかと始皇帝に聞き返した所、秦国は土地が痩せているため常に兵糧の確保が難しく、役にも立たない雑兵を多く飼っておくよりは精鋭を選り抜いて兵力を削減した方がいいと始皇帝は答えました。
それでしぶしぶこの将軍も兵力の削減、今風に言うならリストラを推し進めた所、なんと新たに編成された精鋭部隊はそれまでいくら攻めても全く落ちなかった隣国の城を次々と落とすようになり、編成を行った将軍も驚くほどの成果を直ちに挙げるようになったのです。
この始皇帝のリストラがどこでも通用するというわけではないですが、秦の土地が痩せていた、元々の兵隊がそこそこ強かった、などという当時の秦の状況を鑑みるなら実に的を得た決断だったと私も思えます。ただこの急激なリストラ策は多くの反発者も生み、異を唱えたがために始皇帝に処刑されかけた秦のある将軍は燕国に逃亡して後にあの有名な始皇帝暗殺計画に加担するようになるなど、円満にこのリストラが進められたというわけではありません。それだけ始皇帝の改革や決断がドラスティックだったというわけで、あの広い中国(今の中国に比べりゃ狭いけど)を始めて統一しただけはあります。
余談ですが私は高校時代に文化祭で出し物をやろうと企画して賛同者を広く募ったのですが、今思いだすと頭数を無理に揃える位ならしっかりと信頼の出来る人間数人とだけ組んでやっとけばよかったと思うほど、引っ張っていく途中で散々な目に遭いました。恐らく私の生まれ育った年代も関係しているでしょうが、やはり私は組織というものはフットワークの軽い小さな少数精鋭組織の方が上手く回るんじゃないかと思います。公務員が嫌いってのも影響しているでしょうが。
なお今日取り上げた始皇帝ですが、現在ヤングジャンプで連載中の「キングダム」という漫画がまさにこの時代の秦を描いており、中国史好きもあって面白く読ませてもらっております。この漫画は登場人物が着る衣装から時代背景、戦闘の描写などが細かく、どうしてこんな漫画家が今まで日の目を浴びてこなかったと思うほどなのですが、唯一欠点だと思うのは、「男かと思っていたら実は女だった!Σ(・Д・ノ)ノ」、という展開がやけに多い事です。作者の趣味なのかと疑うくらいに多いのですが、それにしても同じヤングジャンプでは「ノノノノ」という、これまた性別を男性だと偽っている女性スキージャンパーが活躍する漫画があるなど、何かとユニセックスの激しい連載陣が続いております。
2010年5月13日木曜日
ひきこもりやニートは救うべきなのか
なんか時代ゆえかもしれませんが、この所ネットの掲示板を見ているとかなり昔の「こち亀」のあるシーンの画像がよく貼られているのを見かけます。それはどのシーンかというと、それまで不良だった若者が改心して警察署に来るのですが、主人公の両津はこれまで好き勝手していた人間がようやくまともになっただけで、誉める必要もなければ就職の世話とかいちいちしてやる必要もないと言うシーンです。
これとは別で私が覚えているのだと、恐らく作者も明確に社会風刺をしようとする意思を持って描かれたと思うのですが、不良学生の更正をはかるために自治体が球場を借りて野球大会を開くことに対し、真面目に野球をやり続けている少年らにこそそのようなお金を使うべきだと発言する回が、確か96年くらいにあったような気がします。
正直な所、私もこれら漫画の中の両津の発言の方が正しいと思います。後者の不良少年更正のための野球大会は当時実際に開かれていて、確か借りた球場というのも東京ドームだったように記憶しております。それまで野球と縁のゆかりもなかったろうな不良にはそんな厚待遇がなされるのを比べると真面目に野球をやっている高校球児が馬鹿を見ているみたいで、当時私はまだ小学生でしたが見ていて嫌な思いをしたのを未だに覚えています。
ここですこし話は変わりますが、現代の大きな社会問題として「ひきこもり、ニート問題」があります。どうでもいいですが、ちょっと前までは「フリーター、ひきこもり問題」だったような気がするのですが、バージョンアップはいつなされたのだろうか。
内容はわざわざ説明するまでもないので省きますが、現在国や自治体はこの問題を解消するためにひきこもりやニートの若者への就職支援、社会復帰支援政策に予算を割いております。これらの支援策として具体的にどのような政策がなされてどれほど効果を上げているかはあいにくデータを見ていないのでわからないのですが、今日片道二時間の通勤途中にあるバスの中でふと考えていると、果たしてこれら支援策は現代において優先度の高い政策なのかと少し疑問を感じました。
私は何もひきこもり、ニート問題は放っておいてもいい問題だとは思っていませんし、これらへの支援策が全く無駄だとも考えていません。ですが現代の若者はひきこもりやニートではなく、学校をきちんと出て社会でもまともにやっていける人ですら不況ゆえに就職口はほとんどなく、地方によってはアルバイトの口捜しすら大変で生活を成り立たせることの出来ない者が数多くおります。そんな状況下で、ひきこもりやニートの支援に割けるだけの予算があるのであれば、その予算をまだやる気もあって社会でやっていける若者への就職支援、訓練などに使う方がまだ効率的なのではないかと思ったわけです。
仮に普通の若者が普通の生活を送れる世の中であれば、ひきこもりやニートといった弱者への支援はどんどんとなされるべきでしょう。しかし現代はひきこもりやニートでなくとも社会的に弱者となる若者が数多く、同じ弱者であるのに片一方、厳しい言い方をすれば手間のかかる方にだけあれこれ支援策が使われるのはどうにも釈然としないものがあります。
この私の意見は見方によっては冷酷だと批判されるかもしれません。確かに最底辺の弱者を支援する事は社会的にも意義ある事ですが、その一方でなんとか立ち直ろうと頑張っている若者を放置していれば、生活保護給付が最低賃金額を上回っているのと同様に社会全体で頑張ること、努力する事の価値を下げてしまうのではないかという懸念があります。そしてなにより、リアリスティックに考えるのであれば今いる若者すべてをただでさえ厳しさを増す今の日本の予算で救えるはずなどなく、ある程度の排除と淘汰と、予算の選択と集中が今だからこそ必要だと私は考えます。
あくまでこれは私の思いつきから来る一意見であって、詳しくデータなどを比較した上での違憲ではありません。しかし最後の選択と集中というのは今の時代、強く社会に求められている事だと見ているので、敢えて現代の若者問題を取り上げて引っ張り出す事にしました。
これとは別で私が覚えているのだと、恐らく作者も明確に社会風刺をしようとする意思を持って描かれたと思うのですが、不良学生の更正をはかるために自治体が球場を借りて野球大会を開くことに対し、真面目に野球をやり続けている少年らにこそそのようなお金を使うべきだと発言する回が、確か96年くらいにあったような気がします。
正直な所、私もこれら漫画の中の両津の発言の方が正しいと思います。後者の不良少年更正のための野球大会は当時実際に開かれていて、確か借りた球場というのも東京ドームだったように記憶しております。それまで野球と縁のゆかりもなかったろうな不良にはそんな厚待遇がなされるのを比べると真面目に野球をやっている高校球児が馬鹿を見ているみたいで、当時私はまだ小学生でしたが見ていて嫌な思いをしたのを未だに覚えています。
ここですこし話は変わりますが、現代の大きな社会問題として「ひきこもり、ニート問題」があります。どうでもいいですが、ちょっと前までは「フリーター、ひきこもり問題」だったような気がするのですが、バージョンアップはいつなされたのだろうか。
内容はわざわざ説明するまでもないので省きますが、現在国や自治体はこの問題を解消するためにひきこもりやニートの若者への就職支援、社会復帰支援政策に予算を割いております。これらの支援策として具体的にどのような政策がなされてどれほど効果を上げているかはあいにくデータを見ていないのでわからないのですが、今日片道二時間の通勤途中にあるバスの中でふと考えていると、果たしてこれら支援策は現代において優先度の高い政策なのかと少し疑問を感じました。
私は何もひきこもり、ニート問題は放っておいてもいい問題だとは思っていませんし、これらへの支援策が全く無駄だとも考えていません。ですが現代の若者はひきこもりやニートではなく、学校をきちんと出て社会でもまともにやっていける人ですら不況ゆえに就職口はほとんどなく、地方によってはアルバイトの口捜しすら大変で生活を成り立たせることの出来ない者が数多くおります。そんな状況下で、ひきこもりやニートの支援に割けるだけの予算があるのであれば、その予算をまだやる気もあって社会でやっていける若者への就職支援、訓練などに使う方がまだ効率的なのではないかと思ったわけです。
仮に普通の若者が普通の生活を送れる世の中であれば、ひきこもりやニートといった弱者への支援はどんどんとなされるべきでしょう。しかし現代はひきこもりやニートでなくとも社会的に弱者となる若者が数多く、同じ弱者であるのに片一方、厳しい言い方をすれば手間のかかる方にだけあれこれ支援策が使われるのはどうにも釈然としないものがあります。
この私の意見は見方によっては冷酷だと批判されるかもしれません。確かに最底辺の弱者を支援する事は社会的にも意義ある事ですが、その一方でなんとか立ち直ろうと頑張っている若者を放置していれば、生活保護給付が最低賃金額を上回っているのと同様に社会全体で頑張ること、努力する事の価値を下げてしまうのではないかという懸念があります。そしてなにより、リアリスティックに考えるのであれば今いる若者すべてをただでさえ厳しさを増す今の日本の予算で救えるはずなどなく、ある程度の排除と淘汰と、予算の選択と集中が今だからこそ必要だと私は考えます。
あくまでこれは私の思いつきから来る一意見であって、詳しくデータなどを比較した上での違憲ではありません。しかし最後の選択と集中というのは今の時代、強く社会に求められている事だと見ているので、敢えて現代の若者問題を取り上げて引っ張り出す事にしました。
2010年5月12日水曜日
ポスト鳩山は誰なのか?
この所の各報道機関の政治系記事は普天間問題が全く進展しないなどといった事から民主党に対して批判的で、この与党民主党に対して野党はどうすれば次の参議院選挙で過半数割れに追い込む事ができるのかという視点で書かれているものばかりが目に入ります。そこで今日は、別に私は今の民主党を支持しているわけではないのですが敢えて逆の視点で、民主党は何をすれば支持率を挙げて次回参議院選を勝ちぬけるのかを考えてみようと思います。
まず結論から言えば、民主党が支持率を回復するのに最も良い手段というのは小沢一郎氏の幹事長職を解任する事です。タイムリーに今日、検察が先月の審査会の議決を受けて小沢氏に聴取を要請しましたが、普天間問題に次いで民主党の支持率を下げる要因は間違いなく小沢氏の資金問題でしょう。
渡部恒三氏などは長い付き合いもある事から堂々とテレビカメラの前でも小沢氏に辞任要求をしては鳩山首相に決断を求めているのですが、肝心の鳩山首相も小沢氏同様に自身の資金管理団体の問題、しかもその責任をすべて元秘書に擦り付けたことから事実上解任する事は不可能だと見ております。仮に鳩山首相が小沢氏を解任すれば自分のことを棚にあげておきながらと、野党や国民のみならず民主党内からも批判される可能性もあり、そうなった場合はよっぽど鷹の爪を隠していない限りは政権の維持は完全に不可能となるでしょう。
このように、支持率を回復するには小沢氏の解任が必要、しかし鳩山首相は解任が出来ないという、小沢―鳩山の相互補完構造が成り立っているとします。となると民主党としてこの際、小沢氏と一緒に鳩山首相を退陣させるしかないように思えます。
先月までは各評論家らからこのような案、いわゆる五月政局こと普天間問題の決着と引き換えに鳩山首相は退陣するのではという声がささやかれましたが、五月も三分の一が過ぎた今になっても鳩山首相は一切退陣する素振りを見せないどころか、米国に対して約束した五月決着も反古にするかのような発言もこのところ目立ちます。
こういった背景から私が気になっているのが、民主党内の議員は倒閣を考えないのかという事です。小沢氏に対する辞任要求は確かに少数ながらも、先ほどの渡辺氏や副幹事長の生方氏など何名か声を上げているものの、さすがに鳩山首相に退陣を要求する民主党議員はまだ出てきていません。自民党ではかつての安部、福田、麻生政権、そして現在の谷垣体制に対して公然と退陣要求する議員がごろごろいますが、民主党は結束力が強いと言うべきか、議員一人一人の後ろ盾が弱いのか上層部批判がやはり少ない気がします。
ではこれまた仮の話で、鳩山首相が自ら辞任した場合は誰が民主党の党首、ひいては首相となるのがベストかとなると、これまた結構悩ませられる話です。
もし支持率回復だけを目指すのであれば最有力なのは、政権からやや遠ざかった位置にいて小沢氏を度々批判している仙石良人氏なように思えますが、どうもこの人は組織を引っ張る人間としてはいまいち頼りない気がします。ではかつて党首を務めた経験のある菅直人氏ではというと、かつての「イラ菅」から「アホ菅」とこのところは揶揄されるほど人気も低迷しており、周囲の民主党議員からもどうもあまり支持されていないように見えます。
では外務大臣の岡田克也氏はというと、なんかこのところ急激に老けてしまってテレビ映りの悪さが私は気になります。能力的にも真面目なんだけどそれだけという感じで、党首時代の郵政選挙の大敗もあってイメージ的には非常に苦しい気がします。それならばその岡田氏の後を継いだ国土交通大臣の前原誠司氏ならばどうかですが、顔もイケメンということもあってイメージ的には今の民主党内で最も力を発揮するでしょうが、多分なったらなったで小沢氏を初めとする現上層部から物凄い嫌がらせを受けて党内を維持する事が出来ない可能性があります。更に言えば、かつての偽メール騒動もあるからイメージが良くても支持率には必ずしも結びつかないとも考えられます
いちおう他にもポスト鳩山としては枝野幸男氏もいますが、どれも選挙で戦っていけるかとなるとどれも一癖足りない面子ばかりです。まして自民党時代に散々党首の代替わりがあって民主党が行っても今じゃあまり効果も見込めないでしょう。
となると政策で挽回するより他がないのですが、子供手当ても第二次仕分けもすでに終わり、残った普天間問題はまだまだ支持率を下げる要因としかならないため、もう大分手遅れな感があります。何でもやっていいというのであれば残るはネガティブキャンペーンしかなく、ちょっと前に「あいつは部落だから首相には出来ない」と麻生が言っていた野中広務氏が官房機密費の使途(与野党問わず議員に配り、評論家らにも渡していた)を口にしていましたが、あれを洗いざらい公開すれば少しは効果があるかもしれません。
まず結論から言えば、民主党が支持率を回復するのに最も良い手段というのは小沢一郎氏の幹事長職を解任する事です。タイムリーに今日、検察が先月の審査会の議決を受けて小沢氏に聴取を要請しましたが、普天間問題に次いで民主党の支持率を下げる要因は間違いなく小沢氏の資金問題でしょう。
渡部恒三氏などは長い付き合いもある事から堂々とテレビカメラの前でも小沢氏に辞任要求をしては鳩山首相に決断を求めているのですが、肝心の鳩山首相も小沢氏同様に自身の資金管理団体の問題、しかもその責任をすべて元秘書に擦り付けたことから事実上解任する事は不可能だと見ております。仮に鳩山首相が小沢氏を解任すれば自分のことを棚にあげておきながらと、野党や国民のみならず民主党内からも批判される可能性もあり、そうなった場合はよっぽど鷹の爪を隠していない限りは政権の維持は完全に不可能となるでしょう。
このように、支持率を回復するには小沢氏の解任が必要、しかし鳩山首相は解任が出来ないという、小沢―鳩山の相互補完構造が成り立っているとします。となると民主党としてこの際、小沢氏と一緒に鳩山首相を退陣させるしかないように思えます。
先月までは各評論家らからこのような案、いわゆる五月政局こと普天間問題の決着と引き換えに鳩山首相は退陣するのではという声がささやかれましたが、五月も三分の一が過ぎた今になっても鳩山首相は一切退陣する素振りを見せないどころか、米国に対して約束した五月決着も反古にするかのような発言もこのところ目立ちます。
こういった背景から私が気になっているのが、民主党内の議員は倒閣を考えないのかという事です。小沢氏に対する辞任要求は確かに少数ながらも、先ほどの渡辺氏や副幹事長の生方氏など何名か声を上げているものの、さすがに鳩山首相に退陣を要求する民主党議員はまだ出てきていません。自民党ではかつての安部、福田、麻生政権、そして現在の谷垣体制に対して公然と退陣要求する議員がごろごろいますが、民主党は結束力が強いと言うべきか、議員一人一人の後ろ盾が弱いのか上層部批判がやはり少ない気がします。
ではこれまた仮の話で、鳩山首相が自ら辞任した場合は誰が民主党の党首、ひいては首相となるのがベストかとなると、これまた結構悩ませられる話です。
もし支持率回復だけを目指すのであれば最有力なのは、政権からやや遠ざかった位置にいて小沢氏を度々批判している仙石良人氏なように思えますが、どうもこの人は組織を引っ張る人間としてはいまいち頼りない気がします。ではかつて党首を務めた経験のある菅直人氏ではというと、かつての「イラ菅」から「アホ菅」とこのところは揶揄されるほど人気も低迷しており、周囲の民主党議員からもどうもあまり支持されていないように見えます。
では外務大臣の岡田克也氏はというと、なんかこのところ急激に老けてしまってテレビ映りの悪さが私は気になります。能力的にも真面目なんだけどそれだけという感じで、党首時代の郵政選挙の大敗もあってイメージ的には非常に苦しい気がします。それならばその岡田氏の後を継いだ国土交通大臣の前原誠司氏ならばどうかですが、顔もイケメンということもあってイメージ的には今の民主党内で最も力を発揮するでしょうが、多分なったらなったで小沢氏を初めとする現上層部から物凄い嫌がらせを受けて党内を維持する事が出来ない可能性があります。更に言えば、かつての偽メール騒動もあるからイメージが良くても支持率には必ずしも結びつかないとも考えられます
いちおう他にもポスト鳩山としては枝野幸男氏もいますが、どれも選挙で戦っていけるかとなるとどれも一癖足りない面子ばかりです。まして自民党時代に散々党首の代替わりがあって民主党が行っても今じゃあまり効果も見込めないでしょう。
となると政策で挽回するより他がないのですが、子供手当ても第二次仕分けもすでに終わり、残った普天間問題はまだまだ支持率を下げる要因としかならないため、もう大分手遅れな感があります。何でもやっていいというのであれば残るはネガティブキャンペーンしかなく、ちょっと前に「あいつは部落だから首相には出来ない」と麻生が言っていた野中広務氏が官房機密費の使途(与野党問わず議員に配り、評論家らにも渡していた)を口にしていましたが、あれを洗いざらい公開すれば少しは効果があるかもしれません。
2010年5月11日火曜日
次回参院選の有名人候補擁立について
谷亮子氏:参院選に民主から出馬表明 「五輪は金目指す」(毎日jp)
すでに各所で報道されているので皆さんも知っての事だと思いますが、上記リンク先のニュースの通りに柔道金メダリストの谷亮子氏が次回の参議院選挙にて民主党から出馬すると発表されました。このニュースに対する私の感想はというと、いつまでもこんな事をやっているから駄目なんだということと、恐らく谷氏のこの出馬は大勢に何も影響を与えないかと思います。
これまでの参議院選挙でも各政党は比例代表枠での票数をかき集めるためにとにかく目立つ候補、知名度のある人間を擁立してきて、現在でこそ人気の高い桝添要一氏などもこのいわば「有名人枠」から初出馬しております。
しかし当時の有名人候補は曲がりなりにも学者なり知識人なり活動家なりと、桝添氏を初めとして未だ衰えを知らない田嶋陽子女子などまだ政治や社会に関わる生業の方達でした。しかし近年の参議院選挙はお世辞にもそれまで全く政治とは縁がないとしか思えない候補ばかりが、名指しこそ避けますがただ有名というだけで元スポーツ選手などがスポーツの振興を掲げて取っ替え引っかえ出ているだけで、彼らが当選後に何か立派な政治的活動をしたとも思えません。スポーツの振興ったって、選手の身分でも十分出来るはずなのだし。
しかも今回の谷選手に至ってはまだ現役の選手で、本人も次回のオリンピックで金メダルを取ると息巻いていますがそれならなおのこと政治活動なんかしないでトレーニングに従事するべきなのではないかと思えます。それと比べるなら自民党は、ただでさえ巨人ファンからも人気がなくて果たして花形候補となるか非常に疑問ですが、前巨人監督の堀内氏を擁立するようなので、まだこちらの方が引退した人間という事からマシなように見えます。
あくまで私の所感ではありますが、どうも他の日本人もこうした有名人候補擁立に対して疑問を感じ初めているように思えます。先月にも自民党が「美人過ぎる市議」として有名となった藤川優里氏を擁立しようとした矢先に本人が先に辞退したと報じられましたが、この時の反応も一体自民党は何をやろうとしているのかという、冷めたような声ばかりだった気がします。
それでも有名人候補がいないよりはマシと各政党選対は考えているのかもしれませんが、返ってこういった軟派な候補を出すくらいならこれまできちんと活動していたり実績のある地方議員などを擁立して前に押し出す政党の方を、少なくとも私は評価します。
こう言いながらも、また広島県尾道市の衆院選でホリエモンが出馬したら、私も亀井静香憎さで多分ホリエモンに票を入れると思います。ホリエモンも決して好きな人間じゃないのですが。
すでに各所で報道されているので皆さんも知っての事だと思いますが、上記リンク先のニュースの通りに柔道金メダリストの谷亮子氏が次回の参議院選挙にて民主党から出馬すると発表されました。このニュースに対する私の感想はというと、いつまでもこんな事をやっているから駄目なんだということと、恐らく谷氏のこの出馬は大勢に何も影響を与えないかと思います。
これまでの参議院選挙でも各政党は比例代表枠での票数をかき集めるためにとにかく目立つ候補、知名度のある人間を擁立してきて、現在でこそ人気の高い桝添要一氏などもこのいわば「有名人枠」から初出馬しております。
しかし当時の有名人候補は曲がりなりにも学者なり知識人なり活動家なりと、桝添氏を初めとして未だ衰えを知らない田嶋陽子女子などまだ政治や社会に関わる生業の方達でした。しかし近年の参議院選挙はお世辞にもそれまで全く政治とは縁がないとしか思えない候補ばかりが、名指しこそ避けますがただ有名というだけで元スポーツ選手などがスポーツの振興を掲げて取っ替え引っかえ出ているだけで、彼らが当選後に何か立派な政治的活動をしたとも思えません。スポーツの振興ったって、選手の身分でも十分出来るはずなのだし。
しかも今回の谷選手に至ってはまだ現役の選手で、本人も次回のオリンピックで金メダルを取ると息巻いていますがそれならなおのこと政治活動なんかしないでトレーニングに従事するべきなのではないかと思えます。それと比べるなら自民党は、ただでさえ巨人ファンからも人気がなくて果たして花形候補となるか非常に疑問ですが、前巨人監督の堀内氏を擁立するようなので、まだこちらの方が引退した人間という事からマシなように見えます。
あくまで私の所感ではありますが、どうも他の日本人もこうした有名人候補擁立に対して疑問を感じ初めているように思えます。先月にも自民党が「美人過ぎる市議」として有名となった藤川優里氏を擁立しようとした矢先に本人が先に辞退したと報じられましたが、この時の反応も一体自民党は何をやろうとしているのかという、冷めたような声ばかりだった気がします。
それでも有名人候補がいないよりはマシと各政党選対は考えているのかもしれませんが、返ってこういった軟派な候補を出すくらいならこれまできちんと活動していたり実績のある地方議員などを擁立して前に押し出す政党の方を、少なくとも私は評価します。
こう言いながらも、また広島県尾道市の衆院選でホリエモンが出馬したら、私も亀井静香憎さで多分ホリエモンに票を入れると思います。ホリエモンも決して好きな人間じゃないのですが。
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