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2010年5月13日木曜日

ひきこもりやニートは救うべきなのか

 なんか時代ゆえかもしれませんが、この所ネットの掲示板を見ているとかなり昔の「こち亀」のあるシーンの画像がよく貼られているのを見かけます。それはどのシーンかというと、それまで不良だった若者が改心して警察署に来るのですが、主人公の両津はこれまで好き勝手していた人間がようやくまともになっただけで、誉める必要もなければ就職の世話とかいちいちしてやる必要もないと言うシーンです。
 これとは別で私が覚えているのだと、恐らく作者も明確に社会風刺をしようとする意思を持って描かれたと思うのですが、不良学生の更正をはかるために自治体が球場を借りて野球大会を開くことに対し、真面目に野球をやり続けている少年らにこそそのようなお金を使うべきだと発言する回が、確か96年くらいにあったような気がします。

 正直な所、私もこれら漫画の中の両津の発言の方が正しいと思います。後者の不良少年更正のための野球大会は当時実際に開かれていて、確か借りた球場というのも東京ドームだったように記憶しております。それまで野球と縁のゆかりもなかったろうな不良にはそんな厚待遇がなされるのを比べると真面目に野球をやっている高校球児が馬鹿を見ているみたいで、当時私はまだ小学生でしたが見ていて嫌な思いをしたのを未だに覚えています。

 ここですこし話は変わりますが、現代の大きな社会問題として「ひきこもり、ニート問題」があります。どうでもいいですが、ちょっと前までは「フリーター、ひきこもり問題」だったような気がするのですが、バージョンアップはいつなされたのだろうか。
 内容はわざわざ説明するまでもないので省きますが、現在国や自治体はこの問題を解消するためにひきこもりやニートの若者への就職支援、社会復帰支援政策に予算を割いております。これらの支援策として具体的にどのような政策がなされてどれほど効果を上げているかはあいにくデータを見ていないのでわからないのですが、今日片道二時間の通勤途中にあるバスの中でふと考えていると、果たしてこれら支援策は現代において優先度の高い政策なのかと少し疑問を感じました。

 私は何もひきこもり、ニート問題は放っておいてもいい問題だとは思っていませんし、これらへの支援策が全く無駄だとも考えていません。ですが現代の若者はひきこもりやニートではなく、学校をきちんと出て社会でもまともにやっていける人ですら不況ゆえに就職口はほとんどなく、地方によってはアルバイトの口捜しすら大変で生活を成り立たせることの出来ない者が数多くおります。そんな状況下で、ひきこもりやニートの支援に割けるだけの予算があるのであれば、その予算をまだやる気もあって社会でやっていける若者への就職支援、訓練などに使う方がまだ効率的なのではないかと思ったわけです。
 仮に普通の若者が普通の生活を送れる世の中であれば、ひきこもりやニートといった弱者への支援はどんどんとなされるべきでしょう。しかし現代はひきこもりやニートでなくとも社会的に弱者となる若者が数多く、同じ弱者であるのに片一方、厳しい言い方をすれば手間のかかる方にだけあれこれ支援策が使われるのはどうにも釈然としないものがあります。

 この私の意見は見方によっては冷酷だと批判されるかもしれません。確かに最底辺の弱者を支援する事は社会的にも意義ある事ですが、その一方でなんとか立ち直ろうと頑張っている若者を放置していれば、生活保護給付が最低賃金額を上回っているのと同様に社会全体で頑張ること、努力する事の価値を下げてしまうのではないかという懸念があります。そしてなにより、リアリスティックに考えるのであれば今いる若者すべてをただでさえ厳しさを増す今の日本の予算で救えるはずなどなく、ある程度の排除と淘汰と、予算の選択と集中が今だからこそ必要だと私は考えます。

 あくまでこれは私の思いつきから来る一意見であって、詳しくデータなどを比較した上での違憲ではありません。しかし最後の選択と集中というのは今の時代、強く社会に求められている事だと見ているので、敢えて現代の若者問題を取り上げて引っ張り出す事にしました。

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