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2011年2月21日月曜日

弟キャラの特徴とは

 それほど詳しいというわけでもないですが、よくある美少女キャラのカテゴリに「妹キャラ」というものがあると聞きます。私は読んだことはないのですがライト小説で「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」という本がよく売れていると聞きますし、一時は年上に当たる姉御キャラが流行っていると聞いていましたがやはり未だに妹属性というものは強いようです。
 どうでもいいですがPixivにて、「俺の壬がこんなに可愛いわけがない」というネタイラストを見た時は久々に腹を抱えて笑いました。滅茶苦茶濃い二瓶氏のマンガ「バイオメガ」が元なだけに、そのギャップが凄まじい。

 さてこういう女性キャラの姉妹属性というかそういうものはよく見ますが、逆に男の兄弟はどういう風な属性を持つのかちょっと考えて見ました。無論兄弟たっていろいろあるでしょうが話的に妹キャラにはどちらかというと保護欲というか弱弱しさみたいなものが求められる一方、弟キャラは逆に「しっかり者」というような印象が浮かんできます。

 私がまず代表的な弟キャラとして考えた際に真っ先に思い浮かんだのは、歴史上の人物ではありますが羽柴秀長です。苗字からわかるとおりにあの豊臣秀吉の父親違いの弟で、目立たない人物ながらも陰で兄の覇業を助けたとして彼の早世が豊臣政権の崩壊を生んだとまで言われるほど評価の高い武将です。96年に放映された大河ドラマ「秀吉」では堺屋太一氏の「豊臣秀長」が原作の一つとして組み込まれ、このドラマで秀長役をした高嶋政伸氏の好演とともに一気に知名度が上がりましたが私自身も非常に好きな武将で、出来る弟といったら日本史中では随一でしょう。

 同じく歴史上の人物で秀長とともに戦国時代で活躍したとなると、武田信玄の弟の武田信繁も優秀な弟として挙がって来ます。この信繁の何が凄いかって言うと元々信玄の父親は信玄を疎んで信繁を跡継ぎにしたがっていたそうですが、兄の信玄が業を煮やして父を追放するやその兄の行動を支持して実質その片腕として縦横無尽に活躍していることです。惜しくも川中島の戦いで戦死しますが、こちらもまた存命していれば長篠の戦での敗戦はなかったとまで言われております。

 こうした歴史上の人物に対してマンガの中の弟キャラとなるとこちらで最初に思い浮かんだのは「北斗の拳」における主人公のケンシロウですが、北斗三兄弟はいろいろと比較対象にするのはどうかと思う兄弟なのであまり参考にならないような気がします。
 そんなケンシロウの次に浮かんできたのはキャラクターのスヌーピーでおなじみの「ピーナッツ」に出てくるライナスです。ライナスには身勝手で口うるさいルーシーという姉がいるのですがあるシーンでそのルーシーが珍しく思い悩み、人生はかなくて生きる価値なんかあるのかなどとつぶやいていると、「少なくとも、いなくなってしまったら寂しがる弟はいるよ」と女殺しもいいところなやさしいフォローをかますようなキャラです。身勝手でわがままな姉と打って変わって冷静で心優しいキャラで、しっかり者の弟キャラとしてはまさに典型でしょう。

 ただこうしたしっかり者な弟キャラがいる一方、しっかりしすぎというか突き抜けすぎて上にあたる兄や姉が困るという関係もいくつかあります。こちらの代表例はまた歴史の人物になりますが真田幸村で、実際に徳川方についた兄の真田信幸は徳川陣営の中でおおいに苦心したそうです。また信幸自身も名将と名高いものの弟の武名が高すぎるがゆえかどうも劣った武将のように思われる傾向もあり、本当に死んでからも弟に苦しめられてるようで可哀想です。

 ちなみに私も姉がいる弟キャラの一人ですが、こうして中国でふらふらしているあたりはとてもしっかり者とは言えるレベルではありません。あと友人に三人男兄弟の一番上とか真ん中がいますが、彼らに聞いたりすると弟は可愛いと思うもののやはり時折鋭い一言を言われたりするので空恐ろしさを感じることがあるそうです。
 近年の中国は一人っ子政策によって兄弟がいるという人自体が非常に少ないですが、こっちの人にこういう兄弟関連の話は理解できるのかな。

 末筆ながら、ニュージーランド大地震の被災者の方々へご無事をここでお祈りさせていただきます。

伝記にまつわるエピソード

 子供に対してどんな本を読ませたらいいかと問われるなら、私は迷わず伝記を勧めます。「事実は小説より奇なり」と言われるだけに、空想の物語と言えども多かれ少なかれ実際に起こる事実や展開に依拠せざるを得ず、そういう意味では現実の人間の話以上にオリジナル性の高いストーリーはないということになります。
 私は小学生くらいの頃からいわゆる歴史マンガを通して人物の伝記を読み漁り、中学生くらいになると歴史小説や人物伝など徐々に文字だけの伝記も読むようになっていったのですが、やはり当時の自分にいい影響を与えて今でも思い出すことのある本のジャンルとなると決まって伝記物になります。聞くところによると世界で一番多く伝記が書かれたのはフランスのナポレオンだそうで、日本は大正期くらいまでは西郷隆盛が一番多かったそうですが恐らく現代では織田信長か坂本竜馬と言ったところでしょう。

 さてこういった伝記ですが、教育的な効果云々について長々と語っても仕方がないのでいくつか伝記にまつわるエピソードを紹介しようかと思います。基本的に伝記というものはヒトラーなどその時代ごとに批判される対象を除いてその人物をどちらかと言えば持ち上げて書かれる傾向があるのですが、中には持ち上げられすぎと言うべきか本質を失って世に誤解を生み続ける伝記も少なくありません。

 その代表格と言うべきか、世間では立派な人物だと言われつつも実際にはすごいダーティだと私が感じる最筆頭の人物はほかでもなくトーマス・エジソンです。
 エジソンときたらアメリカの発明王という認識で一致するかと思いますが、確かに彼は数多くの発明を生み出して千を越える特許を取得しましたが、彼の本当に評価すべきところは発明という才能よりも特許商法とも言うべき経営手腕にあると私は思います。エジソンは自ら発明をする一方で細かな技術を権利者から特許権を買取り、それらを集合させて一つの商品を作って売り出すということで現在のゼネラル・エレクトリックス社を盛り上げました。そのため商品全体で見れば確かにエジソンの発明に見えなくもないのですが、その商品を構成する様々な技術はいろんな人が持つ特許をかき集めたもので実際にエジソンが一から発明したものとなると実際にはほとんどないそうです。

 そのくせ自分の特許権のこととなるとほかの人間には一切つかわせまいとばかりに度々訴訟を起こしてたり、また有名な「天才とは99%の努力と1%のひらめきが必要」という言葉も、実際の意味は「たとえ99%努力したって1%のひらめきもなければすべて無駄」という内容だったそうです。インタビューを行った記者がこれじゃちょっとあんまりだと思って努力が報われるという意味の最初の言葉に改変したそうですが、まさかそれが100年以上も流布されるとは本人も思わなかっただろうな。

 こうしたエジソンに対して、同時代の日本人にも伝記にまつわるあるエピソードがあります。その日本人とは黄熱病の研究で有名な野口英世ですが、彼はその死後に研究結果はほとんど否定されているために実際の功績となると梅毒の研究くらいで、どちらかといえば生前の方が知名度が高かった人物でありますが、そうした生前の知名度の高さが影響してかなんとまだ生きている間に日本で伝記が出版されていたそうです。
 そんなわけで野口英世は出版された自分の伝記を読んだそうですが、一読するや「こんな完璧な人間、いるわけないだろ」といって投げ捨てたそうです。本人ですら否定するくらいなのですから相当持ち上げられた内容だったのでしょう。

 このほか近年で持ち上げられすぎだなと私が感じる人物だと、ちょっと前にブームとなった白洲次郎です。この人はいろいろエピソードがあるのですが生憎ほとんどがはっきりとした根拠のない噂ばかりで、本当にそのエピソード通りの人物かとなると非常に怪しいです。
 特に一番有名なエピソードとしてGHQ統治時代にマッカーサーへ昭和天皇からの贈り物を持って言った際にマッカーサーから、「ああ、そこにでも置いといてくれ」といわれたことに対してふざけるなと抗議したというエピソードですが、これは歴史家からはっきりとありえないと指摘されています。プレゼントを直接渡すなぞ暗殺すら起こりうる事態で、実際にマッカーサーへ届け物がされる際はGHQの係官が受け取ってから中身を確認し、かわりに渡すのが実情だったそうです。ま、そりゃそうでしょう。

 最後に伝記というわけじゃないですが、元阪急の野球選手である福本豊氏のWikipediaのページは下手なギャグマンガよりずっと面白いです。

2011年2月20日日曜日

清末期に争われた立憲君主制と共和制

 先日に中国の歴史参考書を購入したと書きましたがその参考書中で近代のページを見るにつけ、中国近代史においてこれまで着目していなかったある点に目がいくようになりこのところそのあたりをやけに詳しく調べています。具体的に何を気にするようになったかというと、本記事の表題に当たる清朝末期における立憲君主制支持派と共和制支持派の争いです。

 現在において立憲君主制国家の代表格と来れば今度ウィリアム王子が結婚することで早くも盛り上がっている大英帝国ことイギリスで、基本的にこの立憲君主制という政体は憲法をベースに議会が実際の政治を切り盛りするものの最高権力者として世襲制の王を戴くという形で、実質の権力はイギリスと比べると小さく、なおかつ議論も少なからずあるものの天皇制を持つ日本も広義では間違いなくこの立憲君主制国家に含まれます。
 それに対して共和制というのはこれの反対で、いうなれば国王や皇帝といった世襲の権力統治者や象徴が存在せず議会や内閣、大統領が最高権力者となる国のことを指しており、現在でしたらやっぱりアメリカやフランスが代表格です。

 そこで本題に戻りますが、現在の中国は中国共産党の一党独裁による国で君主制か共和制かといえば一応は共和制ではあります。あくまで一応だけど。
 ではそれ以前の中国はどうだったのかというとほかの国同様に君主制こと、王朝が政体をなしておりました。そんな中国における最後の王朝は少数民族である満州族が設立した清朝ですが、その末期において、具体的には1900年前後の日清、日露戦争の時代に中国では今後の政体を立件君主制とするか共和制とするかで知識人内で激しい対立があったようです。

 清朝は日清戦争以降、それ以前のアヘン戦争は言わずもがな日本にも敗戦したことでようやく西洋技術を取り入れなければ最早どうにもならないという認識が各界に根付いたようです。日本も幕末は薩英戦争など当初は攘夷思想が強かったもののそれ以後は率先して西洋技術を取り入れてきたことを考えると今更かという気がしますがその辺は中華思想ということで、とにもかくにもそういったプライドをかなぐり捨ててようやく光緒帝の頃に変法運動といい、政体の革新などを図ったようです。
 その頃に光緒帝の元で活躍し、この変法運動を大いに推進したのは康有為と、その弟子の梁啓超なのですが、どちらも恐らくは漢民族だとは思いますが満州族の清朝を盛り立てて中国の独立を保とうとしています。彼らが目指したのはそれまでの権力を皇帝一人に集中させる専制性ではなくそれこそ明治期の日本のような立憲君主制を目指していたようですが、彼らのこういった革新行動はかの有名な西太后ら清朝保守派のクーデターによって阻止され、光緒帝は幽閉され、康有為と梁啓超はそれぞれ日本に亡命することになります。

 そうした立憲君主制を目指す勢力がいた一方、西洋技術の取入れなどといった点は共通していながらもこの際清朝を打倒し、新たに政体を共和制にして一から構築しなおすべきだと主張する勢力もこの時期に現れております。このような共和制を目指す勢力の代表格は孫文や後に中国共産党初代総書記となる陳独秀らですが、これらの共和制支持派は主に海外に拠点を持って中国国内に革命を呼びかけるなどして清朝打倒を目指していたようです。

 結論から言うと西太后の死後にまだ幼い宣統帝溥儀ことラストエンペラーが即位したこともあり、当時軍権を握っていた袁世凱があっさりと孫文らに裏切って清朝は崩壊して共和制支持派の面々が権力を握ることとなりました。もちろんその後、梁啓超など立憲君主制支持派だった面々も議会に参加するなどして活動を行っておりますが、なんとなくこの争いを日本の薩長を始めとした統幕派、会津藩を中心とした佐幕派の争いのように見てしまいます。
 明治維新期の日本も大きくこの二派に分かれて内戦を起こしましたが、戊辰戦争以後は幾度か内戦が起こったものの、清朝崩壊後の中国ほど激しい混乱にはならず徐々に統一国家への道を歩んでいきます。逆に中国は清朝崩壊以後は各地で軍閥が台頭し、目立った勢力を挙げるだけでも袁世凱の後釜を争って勝ち残った張作霖、中国共産党を引っ張った毛沢東、財閥のコネクションから上海で軍権を得た蒋介石などなど、文字通り群雄割拠の時代が訪れて統一ともなると蒋介石による北伐完了までまたなければなりません。

 何故中国がこれほどまでに混乱を続けたのかとなると一次大戦など当時の世界情勢も影響しますが、むしろ逆に日本の方が異常な速度でまとまったと見るべきかもしれません。日本は明治維新から約30年後に国会を開設し、未だ薩長閥が勢力を握った上での制限選挙ではあったものの、憲法を制定した上で形なりには民主制の開放を達成しています。然るに中国は共産党が実験を握って70年程度経ちますが、未だに全国で一般市民選挙というものは実施されておらず、この点では日本が大いに優れていたと考えてもいいでしょう。

 あと敢えて中国に対して苦言を呈すならば、清朝崩壊後にどうしてここまで混乱したのかといえばその一つの原因はほかならぬ孫文に大きな原因があるような気がします。孫文についてはWikipediaのページを見てもらえばわかる通りに何かと時代時代で手段を選ばずに交渉を行っては後の火種を自ら作っており、もうちょっと革命後の方針について確固たるビジョンを持って取り組んでたら全然歴史が違ったのではないかと思わざるを得ません。そういう意味では日本も、案外幕府をあくまで打倒しようとした薩長の考え方が正しかったのかもしれません。

2011年2月19日土曜日

必要な苦労、余計な苦労

 自分にしては珍しくここ三日間更新がありませんでした。理由は単純に飲み会が昨日一昨日とあって帰宅がどちらも11時を過ぎてただけで、ネタ不足とかそういうわけではありません。

 そういうわけで今日は久々の更新となりますが、まず一つの話から紹介します。その話が載っているのは文芸春秋の1月号で、料亭の京都吉兆で料理長をしている徳岡邦夫氏のコラムです。
 そのコラムによると老舗料亭である京都吉兆もバブル崩壊後は経営が悪化し、料理長である徳岡氏は再建のために様々な改革に取り組んだそうです。まず取り組んだのは「人」こと人材採用で、それまで縁故採用が多かった料理人の採用に当たってなけなしの予算五万円をかけて外部に求人広告による募集をかけ、そうして集めた新人三人の教育に当たり以下のようなことをしたそうです。

「その施策の中には、かつての料亭文化ではありえないようなものも多かった。たとえば、「料理は見て盗め」といわれていた厨房の世界だが、新人にもどんどんレシピを教えてしまうようにした。また、料理経験のある人ならば、包丁もすぐに持たせてしまうこともある。これも、従来では考えられなかったことだ。
 こうした料亭の常識は、実は百害あって一利なし、先輩料理人が後輩に追いつかれないために存在している悪習でしかないと私は考えて、それらを一掃してしまったのだ。」

(文芸春秋2011年1月号より引用)

 正直に言って私は、こういうことを現役の料理人の方が口にするということに非常に驚きました。私は実際にそういう調理の世界に入ったことはないものの新人は皿洗いなど雑用を数年間経て初めて包丁を握らせてもらうものだと聞いていただけに、入ってすぐにレシピから包丁まで、しかも老舗料亭でそういうことが実施されてたなんて思いもよりませんでした。
 ただ言われて見ると徳岡氏の言う通りに料理人というのは包丁持ってなんぼのもんだし、雑用を誰かがこなさなければならないとはしても新人料理人の教育に際して早くにそういった直接的な技術は教えた方がいいに決まってます。それにもかかわらず「新人は皿洗い」というイメージが私の中にあったのは、これもまた徳岡氏の言うように先輩料理人による悪習としか言いようがないでしょう。

 この京都吉兆は直接関係はないものの例の船場吉兆の事件の際にはとばっちりを受けたそうでいろいろと大変だったそうですが、その後もこうした徳岡氏の改革が功を奏したかミシュランガイドにて三ツ星の評価を得たそうです。この話一つとってもなかなか含蓄があって面白いのですが、ちょっと気にかかったというか先ほどの新人料理人にすぐに包丁を握らせるという話から別に思い当たったエピソードがありました。

 そのエピソードというのはほかならぬ田中角栄の生前のエピソードで、以前に鳩山邦夫氏が言っていた話です。兄に鳩山由紀夫元首相がいるのでこれから邦夫氏と表記しますが、邦夫氏は大学卒業後に政治家を志してすぐに田中角栄氏の秘書を始めたのですが、その秘書時代に田中角栄は邦夫氏に対しこんなことを言ったそうです。

「君も将来立派な政治家になろうとするのであれば、今の自分を見てよく反面教師としておきなさい」

 当時の田中角栄は絶頂期であったために邦夫氏は一体先生のどこを反面教師とするところがあるのだと聞き返したところ、続けてこう話したそうです。

「確かに俺は今調子はいいが、ここに至るまで相当無理をやってきている。若いうちの苦労は買ってでもしろとは言うが、余計な苦労はしないに越したことはないんだ」

 後に田中角栄はロッキード事件など金銭に絡む事件で特捜に逮捕されることになりますが、その時に至って邦夫氏はあの時の田中角栄の言葉はこういうことだったのか、つまり金策のために脱法行為も行っていたということを理解したそうです。
 今でこそこういうことは常識はずれですが、当時の政界は工作に当たって何につけても金が必要だったそうですから私はこの点で極端に田中角栄を批判する気はありません。むしろこうした金策に対して田中角栄本人もある程度気にしていたというか、やらずに済むならやらない方がいいと考えていたということが少し驚きで、やっぱり人の子だったんだなとちょっと親近感が湧きました。まぁ逆を言えば邦夫氏の実家が金持ちなんだから無理に金策するなと言っていたんでしょうけど、邦夫氏の兄のことを思うといろいろ複雑です。

 すでに大分長いですが久々の更新でテンションがやけに高いのでこのまま一本の記事にまとめてしまいますが、私が上記二つのエピソードからこのところよく思い耽っているのは「余計な苦労」という言葉です。京都吉兆、というよりそれまで料亭の暗黙の文化だった「新人は初め数年間は皿洗い」といい、田中角栄など当時の政治家による「脱法行為による金策」、どちらもやらずに済むのならそれに越したことはありません。

 上記の田中角栄の台詞の中にあるように世の中には「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉が流布していますが、一応まだこの言葉をかけられる若者身分の私からするとあまり反抗的では良くないと思いつつも、この言葉は上の連中からすると随分都合のいい言葉だなと生意気にも大体中学生くらいの頃から感じていました。そんな性格ゆえによくパソコンに対して八つ当たりするくらい今でも忍耐力がないままなのですがそれでも敢えて続けて言わせてもらうと、苦労とは言っても『必要な苦労』と『余計な苦労』とではっきりと別れるのではないかと思います。

 たとえば大学受験に合格するために長時間の勉強をしたり、体を鍛えるために走り込みを行うなどそれぞれ目的に合致した必要な苦労というものがあると思います。こういった必要な苦労に対してよく運動部などにある上級生の下級生に対するしごき、たとえば野球部における球拾いとか下級生は更衣室を使えないとか(私の実体験)、それぞれのスポーツ技術の向上には全く関係ないと言える余計な苦労も、というかこっちの方が世の中ごくごく溢れかえっております。こういったしごきについてよく指導者や上級生は上下関係を教えたり忍耐力をつけさせるために必要だと主張しますが、では目的に合った苦労では忍耐力はつかないのかと私は逆に問いたいです。

 大学の受験勉強然り、長時間の走りこみ然り、言うは簡単ですがこれらをこなすとなるとなかなか大変な苦労で、実行にあたりそこそこの忍耐力が要求されます。しかも先ほどの運動部によるしごきと比べてこれらの必要な苦労はそれぞれの目的に対して学力の向上、体力の向上といった付帯効果があり、その上で私はちゃんと続けることで忍耐力も共に鍛えられるのではないかと思います。忍耐力がどちらでも鍛えられるのであれば、しごきといった余計な苦労はせずに必要な苦労を率先してやっていった方がずっと効率的ではないでしょうか。

 私は何も、なんでも苦労を避けて楽な道を選ぶべきだと言うつもりはさらさらありません。きちんと目的を持ち、その目的を達成するために必要な苦労はどんどんとやるべきである一方、その目的達成に対して何の関係もない苦労はやらないに越したことはない、むしろ時間の無駄となるのでそういった余計な苦労は避けた方がいいと私は主張したいのです。
 そうは言っても世の中理不尽なことが多いのでそういったことに耐性をつけるためにもある程度は余計な苦労もしておく必要があるのではないかと言われる方もいるかもしれませんが、私はそのような理不尽に対する耐性は必要な苦労でも得られると思いますし、そもそも理不尽に対して何でもかんでも黙っているのもまた問題な気がします。その理不尽を甘受せずに環境を変えるなり対策を行う方がずっと前進的でしょう。ま、多少の我慢はもちろん必要ですが。

 私はこのところ自分を取り巻く環境に対し、今自分が負担に感じている苦労は必要な苦労なのか余計な苦労なのかとよく考えています。もちろん必要な苦労だと思えば心情的にも軽くなるし頑張ろうという気持ちも持てますが、余計な苦労だと一体何のために我慢しているのかと考えれば考えるほど余計に辛くなってきます。ただ単に自分が未熟で必要な苦労か余計な苦労か判別も出来ないのかもと思う一方、先ほどの「新人料理人は数年間は皿洗い」など、世の中では一般化されていたとしても明らかに余計だとわかるものははっきりわかる気がします。
 何でもかんでも人生思い通りに行くわけではないので多少のことはもちろん我慢するべきです。しかしあまりにも余計過ぎる苦労は周囲から非難を受けるとしてもやはり避けるべきで、きちんと目的を持って必要な苦労を求めていくことが我慢強いとされる日本人に必要なのではないかというのが、今日の結論です。

  おまけ
 今回の記事内容について先に友人と相談をしたのですが、その友人とはある苦労を共有しておりました。我々が通った大学の一、二回生時キャンパスは辺鄙な田舎にあり、我々二人はそのキャンパス近くに下宿を借りて住んでいたものの本当にシャレにならないくらいの場所の上に中途半端に都会に近いもんだから精神病を起こす学生もいるほどで、ご多分に洩れず我々二人も入学当初にすぐ五月病をリアルに発祥するなど苦労をしたのですがその時の体験について、

花園「あそこでの生活は確かに辛かったけど、今となれば『必要な苦労』だったかな( ´ー`)」
友人「いや、僕にとっては『余計な苦労』以外の何者でもなかった(´д`)」

 と、見事に意見が割れました。この後もお互いに『必要な苦労』と『余計な苦労』とこの二つの言葉を使い分けてあれこれ愚痴を言い合いましたが、「社内のお局対応は『余計な苦労』だ」、「あの上司の指導は厳しいが、『必要な苦労』だった」など、使ってて意外に便利な言葉だと思いました。

  おまけ2
 三日ぶりの更新ですが見事四千字を越える長文、書いててものすごく気持ちよかったです。やっぱり定期的に文章書かないと自分は駄目ですね( ´Д`)

2011年2月15日火曜日

小沢氏の党員資格停止について

「党員資格停止」を議決=反対論押し切る―民主常任幹事会(時事通信)

 昨日一昨日と力の入った記事を連日投下したので、今日はさらりと流せるニュース解説です。
 ようやくこの問題に一つの目処がついたというべきか、上記リンク先のニュースで書かれている通りに強制起訴された民主党の小沢氏に対して本日民主党幹事会は裁判が確定するまで党員資格停止するという決議を行いました。この決定に対する私の意見は、まぁ当然といえば当然だけどこれまでの対処期間を考えるとやや決断が遅かったかなといったところです。

 小沢氏に対する評価は色々ありますが、先日産経のニュースにてやや高所ぶった目線で書かれていましたがこんな記事がありました。その記者がタクシーに乗った際に政治ついて運転手と会話したというのですが、そのタクシー運転手はこんな世の中だからこそ豪腕の小沢氏が政治を主導した方が何か変わるのではというものの、その記者は小沢氏は豪腕とよく言われるもののこれまでの日本の政治史において何か政策を主導したことはなく、また具体的な政策目標を何も持ってないとしてそのタクシー運転手の意見を否定したというないようです。

 この記事の内容が、小沢氏についてよく言い表していると私は思います。小沢氏は確かに細川連立内閣を作って55年体制に終止符を打つのを主導したことは間違いなく、またその後の小選挙区比例代表制制への以降も彼の強い希望で行われました。この二つを功績と取るならば確かに功績ですが、しかしその後の彼の政治キャリアはというとただ政党を作っては壊し、無駄に日本の政権を不安定にさせてきただけとしか私には思えません。しかも何故政党を何度も壊し続けたのかというとこれも、どう見ても彼が主導して実現した政党交付金制度を悪用して私服を肥やすためでしかないでしょう。
 特に一番罪業が重いというか、公明党とともに連立を組んでいた小渕政権時に自民党の立場が苦しい時期を見計らって無理難題を吹っかけ、要求が通らないとわかるや連立を離脱したことです。実質このときのショックが引き金となって小渕元首相は脳梗塞を起こして死去しており、政治に駆け引きは必要だとは思いますが不必要な要求のために無駄に権力を不安定化させた小沢氏の行動には疑問を持ちます。

 とはいえ今回のこの民主党の決議にてようやく小沢騒動もひと段落しそうです。民主党内の小沢派が反旗を翻して分裂するとも言われておりますが、マルチ商法の親玉である山岡氏はともかく日教組のドンである輿石氏は意外にも早くに見限って菅首相や岡田幹事長側に寄って行っていますので、小沢派の動きはそれほど大きな影響は及ぼさないと思います。どうせすでに参院で過半数割ってるんだし。
 本来ならば小沢氏の強制起訴が決まった段階ですぐにこれくらいの処分は行うべきといえばそうなのですが、曲がりなりにもシンパが多い人なので時間がかかったのはしょうがないのかもしれません。願うことならこれに続いて、勝手にしゃしゃり出ては北方領土などに関して問題発言を繰り返している鳩山前首相も処分してもらいたいのですが。

 あと本件と関係のないニュースですが、ちょっと驚いたというか思うところがあるニュースがあります。

中国の米10%がカドミウム汚染、イタイイタイ病発生(サーチナ)

 内容は中国のお米の10%はあの四台公害病の一つであるイタイイタイ病を引き起こすカドミウムに汚染されているという、実際に中国で生活している私からするとちょっと気が気でないニュースなのですが、実はこのニュースは昨日の中国版Yahooにて載っていたニュースです。たまたま自分も読んでて翻訳してブログで取り上げて見ようかとも思っていたのですが、先を越されたというかまるまんま翻訳しただけのニュース記事に、あまりケチをつけるべきではないと思うもののなにやら釈然としないものをちょっと感じました。
 ちなみに元記事では「イタイイタイ病」のことをそのまま「痛痛病」と書かれており、多くの患者から聞かれる悲鳴から当時の医師が名づけたという由来もきちんと紹介されてます。またその中国の村の土壌が何故カドミウムに汚染されているのかというと、近くに鉱山があってその発掘の際に出る泥などが川を経由して汚染されているのではと書かれていました。よその村から来た女性が言うには、昔からその村にはあまり嫁に来たがる人はいなかったと言うほど曰く付きの土地だそうで、収穫物を国が徴収していた時代(人民公社時代?)もその村は免除されていたとまでいうほどブラックな土地だそうです。

2011年2月14日月曜日

TPPに日本は加盟すべきか 後編

 昨日の前編に引き続きTPP関連の記事です。昨日は主にTPP加盟反対派が強く主張する日本の農業保護を中心に解説した上で私はTPPと農業はこの際一緒に考えるべきではなく、むしろTPPに限らずもっと攻めの農業を考えていかねばならないと主張しました。しかしだからといってTPPに加盟をするべきというわけではなく、現段階ではもっと多方面に渡って議論を行ってTPPに加盟する価値について全体で考えていくべきだという立場だと説明しました。今日は何故私がTPPに対してこのような慎重な立場を取るのかということについて書いていきます。

 まず単純に、何故TPPに加盟する必要があるのかという点でいくらか疑問を感じます。菅首相を始めとして肯定派の人々が決まって主張する理由は、「今加盟しなければ日本は取り残される」という、どちらかといえば消極的な理由ばかりです。もう少し具体的に書くと日本はリーマンショックから未だに不況が続いていますが隣国韓国は自由貿易を推進して目覚しく躍進しているとして、今ここでTPPに加盟して日本も自由貿易化を進めなければ中国の躍進といい、グローバル化に遅れてずるずると衰退を続けてしまうというシナリオをこの手の議論でよく見かけます。

 しかしこうした肯定派の意見に対して反対派の代表的論客である中野剛志氏を始めとした方々からは、TPPに加盟しなければ日本が取り残されるという意見は間違いだという意見が出されており私もこれに同感します。まず先ほどの韓国との比較ではさも日本が自由貿易化に遅れているような印象を与えますが、実際のところ日本は農業を除くと世界的にも関税が低い国で、EUなどと比べるとよっぽど自由貿易国家であります。私も貿易事務をしていた時代に何度か経験しましたがヨーロッパから物を輸入する際には消費税にやられ、輸出する際は関税にやられて商品価格がけたたましく上がるのには面食らいました。
 また韓国は自由貿易を行っているから景気がいいというわけでなく、これも私に限らず多数の方々が指摘しておりますが今の韓国の好景気はウォン安という為替効果以外の何者でもなく、それは逆に日本の不景気は円高以外の何者でもないということです。TPPに加盟しなければ経済は停滞したままと肯定派は主張しますが、仮に加盟したところで現在の円高が解消されない限りは何も変わらないと私も断言します。ではTPPに加盟すれば為替は動くのかといえばこれも結びつく理由は見当たらず、何かすれば都合よく物事が動くなんて信じるのは馬鹿の妄想に尽きるでしょう。

 さらに外交上の観点からも今加盟しておかねば東南アジア諸国の中で孤立する恐れがあるという意見もあり、私の見たところ菅首相はこの意見に一番ほだかされてやけにTPPを推進していると思えますが、これも正直なところ疑問です。現時点において東南アジア地域で影響力が強いのは言うまでもなく日中韓の三カ国ですが日本を除く中国や韓国は今のところTPPに加盟するそぶりは見せておらず、この論法で行くのなら中国や韓国は東南アジアの中で孤立していくはずです。また自由貿易によって東南アジア地域との結びつきを強くして経済的連携を強めるべきだという意見も見えますがすでにTPPに加盟している四カ国は経済規模もそれほど大きくなく、さすがに中国やインドみたいに馬鹿でかい人口を抱えていれば話は別ですが、経済的連携を強めたところで得られるメリットというものはほとんど見えてきません。
 もちろん現在ベトナムやオーストラリアなどの国々も参加を議論しており将来的にはまだわかりませんが、ほかの国がやっているから日本もというのは昔からの悪い癖で、よそはよそでうちはうちなのですからしっかりとメリットとデメリットを計算した上で参加は決めるべきでしょう。少なくとも、「ほかの国が入るから……」という理由だけで参加を考えるというのは大きな間違いです。日独伊三国軍事同盟もそんな感じだったし。

 そして一番肝心な点が、TPPに加盟して日本は輸出を増やすことが出来るかです。これに関しては現時点で私はほとんど増えないと考えております。
 前回の記事でも書いたようにもしTPPに日本とアメリカが加盟した場合はこの二カ国で生産高の九割を占めることになるため、この輸出について考える場合もやはりアメリカを相手に見なければなりません。これはいろんなところで引用されているので試しに私も引用して見ますが、日米間の関税で大きなものといったら日本の農作物に対する関税とアメリカのトラック車に対する関税です。アメリカは海外からのトラック車の輸入に対して25%の関税をかけており普通乗用車の5%と比べると確かに高い印象がありますが、それ以外となると自由の国というだけあってアメリカの関税は日本以上にどれも低いです。また件のトラック車においても日本の自動車会社はどこも米国工場を持っており、現地生産してしまえば関税どころか輸送費用もいらないためトラック車の25%という関税がなくなるからといって何か日本の自動車会社に影響があるかといったらはなはだ疑問です。

 このように私は現時点でTPPに対するメリットをあまり感じません。逆にデメリットについて言えば関税がなくなることでいくつかの部門で安い商品が入り、さらにデフレが悪化する可能性が挙げられます。
 だからといって私はTPPをすべて否定するわけでなく長期的な視点で考えれば大きな経済圏を作り、発展途上国の成長も織り込んで自由貿易は徐々に進めていくべきだと考えています。ただ現時点で日本は円高不況の上にデフレも抱えているため、もう少し体調を整えた上で目指すべき方向をしっかりと定めてからこういったものに参加するべきだと考えており、議論を深めないままほかの国に乗り遅れるなとばかりに急いで参加しようとするのはたとえ鈍亀と罵られるようとも反対です。

 本音を言えば私はTPPよりもEUに参加し、アジアの中のヨーロッパの尖兵として周りから集中砲火を食らおうとも独自性の強い国として日本はやっていく方が面白いんじゃないかと考えています。ただどうもEUは日本を目の敵にしているところがあるのかこうした議論に対して一蹴に付すところがあり、血は水より濃いわけじゃないですが腐ってもEUはアジアを受け入れないかと見ていて実現性は低いと思っています。
 そんなEUもリーマンショック前はユーロの導入など割と順調にやって来れていましたが、リーマンショック後のアイスランドやギリシャの金融危機を受けてでかけりゃなんでもいいというわけじゃないんだなという証明をしてくれました。TPPもこういう点で、うかつに参加したばかりに余計な荷物を抱えないよう、日本はしっかりと議論を深めて考えていくべきでしょう。

  参考サイト
慶応大学教授・竹中平蔵 TPP参加で政権公約も見直せ(産経新聞)
中野剛志:TPPはトロイの木馬──関税自主権を失った日本は内側から滅びる(ニュース・スパイラル)

2011年2月13日日曜日

TPPに日本は加盟すべきか 前編

 先日に来た友人からのメールに今の日本は大相撲の八百長問題とTPPのことばかりと書かれてあったので、ちょっと今日は調べる時間もあったのでTPPについて私の意見を紹介しようと思います。

環太平洋戦略的経済連携協定(Wikipedia)

 このTPPの正式名称は「Trans-Pacific Partnership」で、日本語だと「環太平洋戦略的経済連携協定」になります。この協定は2006年にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドで結ばれたもので、協定締結国内同士では原則関税をすべて撤廃して自由貿易を行うという内容です。一体何故このTPPが急に日本で取りざたされるようになったのかというと去年頃からこのTPPの締結国拡大議論にアメリカが参加するようになり、それに対して日本の菅首相が十月の会見にて参加を目指す方針を述べたことから各業界入り乱れての議論となったようです。すでにあちこちのサイトやニュースにても報道されておりますが、仮に日本やアメリカが参加するとなるとTPP内の総生産高はこの二カ国が九割を占めることになるため、この議論は実質日米のFTA(自由貿易協定)議論であると指摘されております。

 そういうわけでTPPとはアメリカと自由貿易協定を結ぶかどうかという話になるのですが、結論から言うと私はまだ時期尚早で、将来的にはともかく今急いで加盟するべきではなくもっと多方面で議論を重ねた上で決断するべきだという立場を取ります。

 まずこのTPPで一番槍玉に上がっているのは農業です。自由貿易をするとなるとアメリカ産を始めとした安価の農作物が日本に大量に入り込んで日本の農業は衰退を超えて絶滅すると農林水産省を始めとした各団体が主張していますが、率直に言ってこの意見は逆にどうかと私は思います。
 一体何故そう思うのかというとそもそも高い関税障壁の上に税金の保護を行っている現時点でも日本の農業は年々衰退しており、TPPに参加しなくてもこのまま行けば結局駄目になるのがはっきり目に見えているからです。簡単に調べたところ米には700%もの関税がかけられていますがそれでも農家は減少の一途を辿っており、さらに国は減反政策まで取って自ら減らそうとしている始末です。

 確かにTPPで関税がなくなることで大豆(自給率6%)を始めとしたいくつかの品種については国産農家はさら苦しむことになるかもしれませんが、現在農業が衰退している一番大きな原因は現金収入が少なく生計が立て辛いからです。何故収入が少ないのかといえば米が作りすぎてあまってしまうほどそれを食べる人間がいない、つまりは販路がないということや、日本産の作物だと価格が高すぎて市場で売れないなどありますが、その一方できちんと黒字を出している農業法人なども確かに存在します。そういった黒字を出している農業法人からすれば自由貿易による国内価格低下で痛手を被る可能性もありますがその一方でTPPは世界に販路を持つチャンスにもなり、どうせ失うものなどほとんどないのだから挑戦するだけしてみた方がかえって日本の農業振興にはよいのではないかという気がします。

 また外国産の流入によって自給率が下がって大変になるという意見もよく聞きますが、これついても以前に書いた「書評:日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」の記事の中でも引用しているように、そもそもの日本の自給率の捉え方、対策が問題で、このTPPの議論以前の問題でしょう。
 さらに穀物に限れば仮に安い外国産が入ってきたとしても私はあまり影響はないのではないかと見ています。そう思うのもかつて冷害でミニマムアクセスとしてタイ米が一時出回った時の体験で、やはりお米については高かろうとも国産を食べ続けたいと小学生ながら当時は心底思いました。またこうして海外で生活していてもやはり日本産の米が欲しいといつも思え、多分10キロ5000円であろうとも売っていたら私は間違いなく買います。特にいろいろと問題が起こっている中国にいるだけに……。

 元々、日本人は食にはやけにうるさい民族です。かつての米国でのBSE騒動の際も同じ日本人でありながらどうしてここまで拘るのだろうかと思うくらいの反発を見せましたし、食料ナショナリストとでも言うべきか、穀物に限らなくとも安いからといってそうそう外国産を信用することがなく簡単に乗り換えるようなことはないんじゃないかと思います。
 ただ唯一の懸念としては価格の安さから外食産業が外国産を仕入れるようになるというケースが考えられますが、これの対抗策として前もって「全国産使用販売店」などといったお墨付きや臨検を行うことで国産食材使用店のブランドイメージを意図的に高めるような手を使うのもありなんじゃないかと思います。まぁ吉野家は米国産牛肉使用しているから、関税がなくなればますます価格が下がるだろうけど。

 その上で日本は水や南北に長く伸びた国土といった農業上の利点がありますが、耕作可能面積が狭いという難点があります。それゆえに無理にどの作物についても何でもかんでも無理に自給しようとするのではなく、工業についても最近はこの流れですが農業は少量高品質生産を中心に行い、世界で購買力のある層へ販売していくという戦略をとる方が現実的です。元々日本一国で今の人口を全員食べさせるだけ耕地はないのだし、それならば農業を如何に産業として育てていくかという視点でこのTPPを考えていくべきでしょう。
 幸いにも近年の日本食ブームで日本でしかほとんど消費されない食材を世界で販売するチャンスは増えてきております。また今の日本人もそうですが食というものは一回おいしいものを食べてしまうとなかなかそれより味の劣る同じ食材を選びづらくなる所があるので、日本の高品質で味のよい食材を日本食ブームに乗って口にさせて二度とほかの食材を口に出来なくさせてしまえば日本の農業としてはしめたものです。なんか麻薬の売り方みたいだけど。

 こんな具合で私はこのTPPを考える上では農業保護はあまり考えなくともよいのではないかと考えています。むしろTPPによって日本の農業は発展する可能性もあるので、こと農業については私は加盟を検討すべきだと思います。
 現在農業保護を理由にTPP加盟に反対しているのは農水省と全農ことJAですが、私はこれまでこの二組織が日本の農業に対して何をやってきたのかという点で疑問を持っており、特にJAについてその運営から世界的にもあまりに高い日本の農作物流通コストを考えると日本の農業を駄目にしている張本人ではないかとすら疑っています。なんか聞くところによると、市場価格の十分の一程度しか生産者の手元には来ないというくらいだし。

落選させようTPP反対派議員-関税で農業は救えない!!(アゴラ)

 中には上記リンク先の北村氏のように結構激しい意見を言う方もいますが、農業についてはもっといろいろな意見を議論させて見る必要があるものの現時点では農水省の言い分を私は信用しません。

 ではそれにもかかわらず何故今回のTPPについて慎重にするべきだと最初に言ったのは、実はTPPによって好影響があるといわれている工業方面において疑問があるからです。すでに大分長いので、続きはまた次回にて。
 それにしても狙ったわけじゃありませんが、リンク相手のリュウマの独り言さんと見事に記事内容がTPPでかぶってしまいました。なんていうか街中で同じTシャツを着た人に会ってしまったような気まずさですが、これはこれで参考になったりお互いに意見を見比べあったり出来るので歓迎しようと思います。リュウマの独り言さんのところでもTPPについていろいろ書かれているので、もしよければこちらも一緒にご閲覧をお願いします。


  参考サイト
のらくり