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2011年5月23日月曜日

グッドウィルを振り返る

グッドウィル(Wikipedia)

 当時にも取り上げていますが、ちょっと思うことがあるのでまた取り上げます。
 グッドウィルというのはかつて存在した企業グループで、介護人材サービスのさきがけとなったコムスンを含む人材派遣業を中核事業として一時期急成長し、2008年に破産した会社です。今ではすっかり当たり前となった日雇い人材派遣ですが、小渕政権時の規制緩和を受けて2000年ごろから同業のフルキャストともに急拡大し、会長の折口氏は一時は政財界にも顔を出すなど大きな影響力を持つようになりました。

 しかし平家も久しからずと言うべきか、2007年に「データ装備費」という、一回の派遣労働につき労働者から200円のマージンを取っていたことが突然槍玉に挙げられ、その後も次々と同社の事業を糾弾する訴訟や摘発が相次いで最初の「データ装備費」の問題が表面化してからたった一年後の2008年には廃業に追い込まれることとなりました。以下に当時問題とされたグッドウィルが行っていた事業内容を列記します。

・「データ装備費」という中間マージンの搾取(二重取り)
・労災隠し
・二重派遣
・製造現場(工場)への派遣

 細かいのを洗えばほかにもありますが、代表的なものは以上四つです。ただこれははっきりいいますが、確かにこれらの違法行為はそれ以前から法律で規制されてはいたものの、グッドウィルに限らずどこの派遣会社でもさも当然のようにやられていたことで、これらが違法であるならば日雇い派遣業はすべてが違法だったというくらいに一般化していたものでした。現実に私の周りでも普通に工場へ派遣されて作業をしてた友人もいますし、「データ装備費」についてはフルキャストも同時期に摘発を受けています。
 私自身はグッドウィルが摘発される以前からNHKが作って見事に普及させたワーキングプア問題を調べていた関係でこれら日雇い人材派遣会社を比較的激しく批判していた立場でしたが、2007年の突然のルール変更によるグッドウィル叩きに対しては悪いことだとは思わなかったものの、運が悪かったなと気の毒には思いました。

 私が何故この話を三年も経った現在に掘り返したかと言うと、当時はまだ景気がよかったことからああいったワーキングプア問題も取りざたされたものの、現在に至っては派遣でも仕事があるだけマシと言うべきか、人材派遣会社への批判がほとんど聞こえなくなったことからでした。もちろんこれらの違法行為が完全に根絶されたから批判が起きないというのであればそれに越したことはないのですが、どうも人から話を聞いていると当時はあれだけ叩かれたのに工場への日雇い派遣はまだ続いているそうですし、誰もケチをつけなくなりましたが二重派遣もまた堂々とまかり通っているからです。

 久々にこの言い回しをしますが、勘のいい人ならもう察しがついているでしょうが私が今回この記事を書こうと思ったもうひとつのきっかけは東電の原発作業員です。東電の原発作業員は福島原発の事故が深刻化している現在はもとより以前からも危険な作業ゆえになり手が見つからないため、非常に複雑な経路と幾重ものの仲介業者を経由してホームレスなどといった人を半ばだますような形でつれてきていたと言われております。実際に先日、関西での募集を受けたある男性が当初受けていた説明とは異なり福島原発につれていかれて作業をさせされたというニュースが報じられましたが、これについて男性を雇った仲介業者は「複数からの募集を裁いていて派遣先の割り振りを間違えてしまった」などというコメントをしていましたが、はっきりとは言ってはいないもののこれは普通に二重派遣で問題ないのかとと頭を抱えました。

 さらにこれの何が一番怖いのかって言うのは、かつてグッドウィルが摘発された際に散々批判していたメディア達がこの原発作業員らの二重派遣についてはなにも違法性を言及していないことです。もちろん今はそんなこと言ってられる場合じゃないってことはわかりますが、かねてからも指摘されていたように原発での作業は東電本社は一切手につけず、協力会社と呼ばれる企業がさらに人材派遣を雇って実施していたのは周知の事実で、私にはそれが本社と現場の情報疎通の齟齬や本社の危機管理に影響しているのではないかと思うがゆえに放っておくべきではないと考えています。それが何故か、不気味なくらいに大メディアは二重派遣問題については揃い合わせたかのように指摘がありません。

 私は何も一部で言われているようにこれだけの問題を起こしたのだから東電社員自らが直接原発に行って作業しろとまでは言いません。ただ非常に重要な作業をやるのだから、下手な派遣業者や協力会社を通すのではなく東電が直接ハローワークなりで募集してマージンを抜かさず作業員に給金を渡すべきなのではないか、というのが本日言いたかったことです。

2011年5月21日土曜日

2011年5月、私の現在の立ち位置

 時期も時期なのでそろそろ白状しますが、実はこのブログを通して私は一つ嘘をついてきました。

 このブログは中国への転職に伴い、以前から続けてきた「陽月秘話」を引き継ぐ形で去年の十二月から開始しましたが、その際に私は勤務地を「上海近郊」と敢えてぼかして書いてきましたが、実際には上海市ではなく浙江省のどこかで働いていました。一体何故このような嘘をついたかというと、その浙江省のどこかも在住日本人が少ないわけではありませんが上海と比べるとやはり数で劣り、警戒するまでもありませんでしたが人物を特定されないためにこのような嘘をつくことにしました。
 その上で私は今年三月頃の記事で引越しをしたと書きましたが、その引越し先こと現在の居住地は紛れもなく上海市内です。ただ一体何故浙江省から上海に引越しをしたのかというと、こちらで再度の転職をしたことが原因でした。

 私は去年の九月に一念発起してお世話になった日本での会社を辞めて転職活動で上海を訪れ、ある日系メーカーから内定をもらいました。そして去年十二月から勤務を開始しましたが、ビザ取得書類が送られてくるや一日でも早く急いで来いとやけに急かされて来てみるや仕事をするのに必要なパソコンを会社側が購入しておらず、入社から一週間はその会社で何もせずに過ごしました。
 この時点でなんか変だと思ってはいましたが、図らずもその予感は当たりました。その会社ではほぼ二週間に一回程度の割合で拒否権なしの強制参加による飲み会があり、面接の段階でアルコールにはあまり強くないと伝えていたにもかかわらず度々、というよりほぼ全部一気飲みを強制され続けました。各飲み会での具体的な回数を書くと、

・ビールコップ二杯、焼酎水割りコップ二杯、ウィスキー水割りコップ一杯
・ビールコップ二杯、ワインコップ三杯、紹興酒コップ三杯
・ビールコップ四杯、紹興酒コップ二杯
・ビールコップ二杯、ワイングラス四杯、紹興酒コップ一杯
※上記すべて一気飲み

 もちろん強制でつれてかれた飲み会は上記四回どころじゃないですが、飲んだ回数を細かく覚えているのはこんなもんです。さすがにビールの一気飲みならともかく、ワインや焼酎といったアルコール度数の高い飲み物の一気飲みを強制された際には耳を疑いました。ワインなんて、こんなもったいない飲み方したら作り手に悪いし。
 すでに書いている通り私は広島に左遷されていて今度は名古屋に栄転することとなったうちの親父同様に生来アルコールには弱く、汚い話ですが飲み会の度に何度も吐かされていました。その回数は一回の飲み会で二桁に上ることもあり、吐き続けると最後は胃酸しか出なくなるというのを身を以って知りました。

 こうした飲み会は予告なくウィークデーだろうと無理やり連れて行かれ、ある時などは泊り込みということを私のみ知らされておらず、ほかの全員が仕事用のノートパソコンを持ってきた中で私だけ持ってきておらず、次の日に一日仕事が全く出来なかったということもありました。当時の仕事はメールが一日百件近く来て八十通くらい返信していたので、この一日のロスはその後しばらく重く付きまといました。
 このような具合だったので、情けない話ですが今年一月頃には早くも真剣に退職を考えるようになりました。ただ退職するといっても二十代で二回も退職経験がつけば次の転職に響くことは予想に易く、ただでさえ不況真っ只中の日本に逃げ帰ってももう正社員職につくことは出来ないと思い大いに悩みましたが、ただその頃には本当に何もないところでも度々えづくようになっており、このまま体を壊しては仕事も何もないだろうということから何もかもうっちゃってしまうつもりでした。

 そんな中、ひょんなことで上海市内のある日系企業が募集をかけているのを知り、どうせ辞めるのなら駄目元でとばかりにその会社の採用試験を受けてみたところ、当時は自分でも信じられませんでしたが再びその会社から内定を得ることが出来ました。どちらにしろ春までには日系メーカーは辞めるつもりだったので一も二もなく内定承諾の返事を出し、日系メーカーへは退職の意思を伝えました。
 なお退職の意思を伝えた時に日本人上司は、「そんなに飲めないのであれば断ればいいのでは」と言いましたが、ほかならぬ私に最も一気飲みを強制してきたのはその上司でした。ある時などは私の様子(すでに五回程度吐いている)を見て周りの中国人社員が必死に止める中でもワインを注いで一気飲みを強制したことがありましたが、そのことを話すと本人は覚えていないと返事しました。さらについでに書くと本来の支払い月から一ヶ月が過ぎて私も何度も催促しているにもかかわらず、その日系メーカーからは未だ退職月の未払い賃金を受け取っておりません。蛇足でしょうし過激なことこの上ありませんが、権力を握ったら日本の本社ともどもどんな手を使ってでも必ず潰すつもりです。

 そうして三月に現在の会社へと転職を果たしましたが、今の会社は名前はもちろん明かせませんがある経済ニュースの通信社で、そこで編集・記者職として雇われました。以前の陽月秘話でも書いていましたがこんだけ長い文章を毎日書くだけあって私は元々ジャーナリスト志望で、新卒でその業種に関係する企業に就職できなかったことからもう縁はないだろう、やるとしても自分で会社を立ち上げるしかないだろうと思っていただけに、こんな形で念願が叶うとは夢にも思いませんでした。特に前職が前職だっただけに、その人生の流転振りには我が事ながら信じられない思いがします。

 私が上海を最初に訪れたのは北京に留学中の2005年に旅行で来た時です。その後去年の二月に友人を訪ねて二回目、そして十月に転職活動で三たび訪れ、今回の転職による定住で四回目となります。ここにくるまで随分と回り道をしてきたものだと思いますが、現在の仕事はやりがいもあり、職場の人たちもいい人ばかりで非常に充実しています。
 思えば中国に来てからちょうど半年が過ぎ、未だ一度も日本には帰っておりません。この半年の間に二度も会社を移るわそのたびに引越しするわで非常に慌しく、これまでどれだけ時間が過ぎたのか感覚がちょっと薄いです。ただ梅雨のない上海では近頃気温が上がってすっかり夏らしくなり、季節感を感じることでようやくここに至ったんだと感じられるようになりました。

2011年5月20日金曜日

新入社員のアンケートについて

新入社員の1割が、「会社を辞めたい」(ITmedia)

 個人的に見出しのつけ方が違うのではと思ったニュースなので取り上げます。ならお前ならどんな見出しをつけるのかというのなら、「会社を辞めたい新入社員、たったの1割」といったところでしょうか。

 私が新卒で入社した頃に大学時代の面子と会うと、まず間違いなく九割が「会社辞めてぇ」、「バイトのが絶対楽で稼げる」などという愚痴をこぼしていました。その中で唯一と言っていいくらい、「今の会社に全く不満はない」と言っていた自分が真っ先に転職するとは思わなかったけど。

 あくまで私個人の所感ですが、楽な大学生活から勤め人になれば普通の人ならまず間違いなく「辞めたい」と思うのが普通な気がして、こういうアンケートとるなら五割弱は素直にそう書くんじゃないかと思っていました。しかし実際の結果は上記の通りで、調査方法がインターネット調査という時点でまず正式な論文には一切使うことが出来ませんが、票数は272人ということで参考には足りるデータなので一概に否定することはできません。それでも敢えてケチをつけると、震災や不況の影響で辞めたくとも辞められない、なんとしても今いる会社を続けなければという意識が影響しているのではという気がします。

スーパー堤防について

 以前に行われた仕分けを見ていて、「おっ、これも廃止か。そりゃよかった」と思ったものの中の一つに、今日取り上げるスーパー堤防が入っていました。結論から申せば、震災を経た今においてもこの考えに変わりはありません。

高規格堤防(Wikipedia)

 スーパー堤防の正式名称は上記の高規格堤防というそうですが、時期にして大体五年位前にこの計画案を聞いて大いに呆れたのをよく覚えています。今回の東日本大震災では津波被害が深刻だったことからこのスーパー堤防がやけに注目を浴び、事業仕分けで廃止を決定した蓮舫氏には非難が集中して石原都知事もドヤ顔で、「廃止したんだってな( ゚∀゚)」と、直接皮肉を言ったそうです。そうした声がある中、繰り返しますが私はスーパー堤防には反対です。

 私が何故スーパー堤防に否定的なのか、その理由は上記に貼ったウィキペディアのページに貼られている図を是非とも直接見てもらいたいのですが、はっきり言ってとても実現できるとは思えない代物だからです。あくまで素人ながらスーパー堤防の中身を解説すると、通常の堤防は川や海沿いに盛土、水門設置などをすることで水かさが増した際に堤防の内側にまで水が入ってこないようにするのですが、あくまで盛土されるのは水のある付近だけです。それに対してこのスーパー堤防というのは水が一切入ってこないように川、海沿いだけでなく、堤防の内側深く、長さにして数百メートルに渡って堤防の高さと同等まで盛土し、言い方を変えるならそのまま丘を作ってしまうという途方もない計画です。

 この計画は言うは易いですが実現となると果てしない過程を要します。まず必要なのは丘を作るまでの大規模な工事ですが、そもその話として国土交通省がゼネコンの利権などを失わないためにこのスーパー堤防を提案したとも言われており、仮に現在堤防のある地域をスーパー堤防化させようというのなら一部の箇所だけでも百年単位の時間が必要と予想されるほどの工事になると聞きます。確かにそんな大工事ならゼネコンは一生食うに困らないだろうけど。
 そうしたありえない工事量もさることながら、私が絶対に実現不可能と断言するのはすでに堤防周りに住んでいる住人の存在です。計画を実行するのであれば堤防の内側深くまで高く盛土しなければならず、言うまでもありませんが工事をするためには堤防近くに住んでいる人たちには全員立ち退いてもらわなければなりません。私の家の近くの川沿いにも土手がありますが、その周辺は100メートルはおろか道路一本挟んだ先にはすぐ家があり、住人全部を立ち退かせるというのであれば一体どれだけの費用がかかるのか、まさしく天文学的です。

 その上、これは技術的なことなので極端に強くはいえませんが、このスーパー堤防は大雨などによる河川氾濫には有効でも津波対策としては価値がないという話を聞きます。私自身も津波のメカニズムやこのスーパー堤防のシステムを考えると、確かにあまり効果がないように思えます。
 その一方で、「大量に盛土するスーパー堤防では地震時に液状化現象が起きる」という話を聞きますが、逆にこれはあまり心配しなくてもいいような気がします。液状化現象は高校で地学(独学)を勉強しただけあって管首相が「俺は原子力に詳しいんだ」と言った程度に詳しい自信がありますが、これは湿地帯や海などの水分を多く含む土壌への埋立地にて起こる現象で、元々固まっている地盤の上の盛土であれば液状化は起こらないと思います。だからと言ってスーパー堤防がいいわけじゃないけど。

 友人にはネットの意見なんかいちいち気にするなと言われますが、私はこのスーパー堤防を廃止したとして蓮舫氏を非難している方々に対して直接、本気でこんな計画が実現できると思っているのかと問うてみたいです。現在の案では川沿いに住んでいる住人らには工事中は別の場所に住んでもらって、工事が完了したらまた戻ってもらおうとしているそうですが、この案でも家は建て替えなければならないし工事はいつ終わるかもわかんないのだし、そんな案が呑めるとはとても思えません。
 なおかつこのスーパー堤防は一部分でも盛土が出来なければ、それだけで価値はなくなると聞きます。いくら津波対策が必要だからと言って、こんな実現性も実用性も低いものには私は支持することができません。

 批判、非難はいくらでも受けます。ただその際には技術的な内容とともに実現性について説明をしてもらえば助かります。

  おまけ
 大学受験で地学は選択者が少なくて点数が稼げるというので、高校に授業がないにもかかわらず独学してセンター試験で受験しました。結果は三ヶ月の勉強で80点だったので、まぁまぁだと思います。もっともそれ以上に、日本史をメインに勉強しつつ世界史で85点取ったことの方が我ながらよくやったと思うのだけれど。

2011年5月19日木曜日

因幡の白兎について

 ちょっと歴史物が不足しているので、しばらく古代史物を書いてこの際に一気にまとめてしまおうかと思います。歴史に詳しい方からすれば「何を今更」と思われる内容かもしれませんが、知らない人に話すと結構受けがいいので批判を気にせず書いてしまいます。

 そんな一発目に取り上げる今日のネタは、有名な童話の「因幡の白兎」についてです。この話の舞台は私が本気で永住を考えている因幡の国こと鳥取県で、鳥取の海岸沿いを車で走っているとガードレールなどによくこの白兎のイラストが描かれています。
 ただ現在の研究によるとこの話で書かれている因幡の国は現在の鳥取県である確証はなく、山陰地方での話という可能性は高いものの確たる証拠がないのが現状です。まぁそれ言ったら東京都の業平橋の元となった在原業平の東下りも、当時あのあたりは全部湖沼地帯だったろという突っ込みも出来てしまうのですが。

 話は戻って因幡の白兎についてですが、恐らくこの話ほど議論を呼び、歴史的考証価値の高い童話はないでしょう。と言うのもこの話の主人公は古代史におけるキーパーソンの一人である大国主で、その後の彼の行跡を考えると無視することの出来ない逸話です。では具体的にどんな話なのかですが、以下に簡単にまとめておきます。

 ”ある日一匹の白兎が沖合いの島に渡ろうと思い立ち、ワニ(原典では和邇)に対して「お前たちが何匹いるか数えてやるから、あの島との間にみんなで整列してくれ」といい、浜から島まで一列に並んだワニたちの頭を飛び越えながら島へと向かいました。島まであと少しというところで白兎は、「俺は島に渡りたかっただけだよ、ご苦労さん」とつい洩らしてしまい、怒ったワニによって白兎は背中を噛み付かれて皮を剥ぎ取られてしまいました。
 背中を噛まれた白兎はその痛みから海岸で泣いていると、通りかかった大国主の兄弟らに、「海水を背中につけて風に当たると良くなるよ」と嘘をつかれ、正直にそうやった白兎はますます背中が腫れてまた海岸で泣き続けていました。すると今度は大国主が通りかかってわけを聞くと、「水門へ行って水で洗い、蒲を撒き散らしてその上で転がれば良くなるよ」と教え、白兎がその通り実行すると今度はきちんと治ったとのことです。”

 話自体は童話によくある話ですが、肝心なのは大国主が出てくることはもちろんのこと、この話が載っているのが「古事記」ということです。古事記というのは現在になって研究が進んで大分わかってきましたが、実際にあった歴史を微妙にぼかすと言っては何ですが、童話や寓話仕立てにテイストしなおして書かれていることが多い史料です。よってこの因幡の白兎についてもなんらかの歴史的真実が含まれている可能性が高いと言われております。
 今現在で最も有力視されているのは、大国主がその兄弟と比べて立派だったということを立証するエピソードとして添えられたという説です。ネタバレしますがこの後に大国主は兄弟から命を狙われたために逆に全員を皆殺しにして、出雲にて自分の国を開きます。つまり国を開いた大国主を正義の味方のように書き、兄弟たちは人の悪い性格で殺されても仕方ないと思わせるために入れられたのではないかとされています。まぁこれ以外にも大国主には似たようなエピソードがたくさんありますが。

 そうした大国主の正当性を高めるためといった内容とともに、恐らく最大の議論となっているのは途中に出てくる「ワニ」でしょう。もちろん今の日本にはワニがそこらへんうろちょろしているわけじゃないため当時の日本にはワニがいたのかってことになってくるのですが、当時の気候条件や生態系から考えるとやはりその可能性は非常に低いです。ではここで出てくるワニとは何なのかということで日夜熱く議論されているのですが、そもそもの話として原典では「和邇」という漢字が当てられているだけで、本当にこれを「ワニ」と読むのか、はたまたどんな生物を指しているのか全くわかりません。

 一応現時点で強い説というのは「ワニ」ではなく「サメ」なのではないかという説で、私もこの説を支持してます。実際に日本海にいて噛み付くといったら適当だし。ただこのサメ以外にもウミヘビとか、はたまた昔から中国には痛そうですから伝え聞く話で適当にワニを入れたという説もあります。ただどうしてこの「和邇」という字が使われたのか、単に適当に入れられただけかもしれませんが考察する価値は高いように思えます。

 敢えてここで大胆な説を挙げると、もしかしたこの話の舞台は因幡ではなく当時にもワニがいたと考えられる中国南部のどこかだったのかもしれません。中国南部には今は野生ではまったくと言っていいほどいませんがヨウスコウワニという種類のワニがおり、その地域における話が回りまわって日本にも伝わって、登場人物が大国主、舞台が因幡に置き換わっただけなのかもしれません。何の確証もありませんが。

 最後にこの因幡の白兎について、20世紀最高のギャグ漫画とまで評された「MMR」では、白兎が背中を噛まれたというのは暗に放射能被爆をしたことを物語っているのではないかと聞いてるこっちが大爆笑しそうな大胆な予想を立ててました。

2011年5月18日水曜日

テレビ局への罰則

 突拍子もなく言いますが、テレビ局にはそろそろ明確な罰則規定が必要じゃないかとこの頃よく思います。以前の陽月秘話時代にもテレビ局の不祥事などは割と頻繁に取り上げてきましたが、そうした不祥事を改めて眺めてみるとテレビ局というのはたとえどんな不祥事を起こしても放送免許が取消されることはおろか外部から処分されることはなく、影響力の強い媒体なだけにやはり問題があるように感じます。

 現在テレビ局の不祥事についてはBPOという、テレビ局関係者や有識者によって組織される委員会が視聴者からの提起やクレームを受け、問題があると判断した番組を放送したテレビ局に対して注意や勧告を行っております。しかしBPOははっきりとテレビ局を処罰することはなく勧告しかしないと宣言しており、実際にこれまで勧告を受けてきたテレビ局も本当に受けるだけで、中には反省して番組を打ち切りにすることもありますがTBSの「バンキシャ」や「朝ズバッ」に至っては何度も勧告を受けてきているにもかかわらず未だに放送が続けられております。

 これまでにも何度かテレビ局の不祥事への処罰を法制化してはという声は上がってきましたが、そのたびにテレビ局側からは「報道の自由が侵される」と主張して見送られてきましたが、逆を言えばどんなことをやっても一切処罰が強制されない今の状況はどんなものかと思います。それこそTBSのように開き直ってしまえば事実上抑えが利かず、好き勝手にやられても黙ってみているしかないのではないでしょうか。

 そういう意味ではこの際、法律化してもいいしBPO以外にも外郭団体を作ってテレビ局をしっかりと監視、処罰を決める団体を作っては如何でしょうか。「報道の自由」とはいいますがそれはルールあってのもので、自主規制がきちんとなされているのであれば黙ってみていられますが「バンキシャ」が続いているあたりはそれを期待することも難しく、この際作っちゃほうが早いと思います。
 ではどのような不祥事にどんな処罰を与えればいいのかですが、最高罰にはもう放送免許剥奪を据えていいでしょう。というのも今の東電の不祥事を見ているとやはり独占企業は危機管理が甘いというか、どうせなんとかなるだろうという意識があるのかどうも責任というものが他の民間企業と比べて希薄です。それであれば下手なことをするのであれば一挙に廃業にしてしまえるように、また独占体質を打破するためにも放送免許剥奪は入れてもいいでしょう。

 とはいえそうバンバンとテレビ局を潰していてはいろいろとややこしいので、実際にはもっと軽い処罰をいろいろ用意しておかねばなりません。まず最もポピュラーで実際によくされているものとしては「番組内での謝罪、訂正」です。これなんかは意図せずして誤報を流してしまった場合、思わぬものが映ってしまった場合などにすればいいかと思います。
 次に厳しい処罰としては、これも実際に行われている「番組の打ち切り」です。これは確信犯的に誤報を流した、もしくは番組内で死傷者が出るなど安全対策を怠った際への処罰にいいでしょう。

 そしてこの上に、何度も注意や勧告や処罰を受けているにもかかわらず不祥事を繰り返す、もしくは社会的に重大な影響を与えた不祥事を起こした際には、一週間とか一ヶ月間と期限を決めてそのテレビ局でのすべての番組放送禁止を盛り込むことを提案します。個人的に放送免許剥奪以外に、テレビ局が一番嫌がるのはこれだと思うし。

 こんな具合で昨日からいろいろと考えつつ下調べを進めてきていたのですが、改めて調べてみるとBPOに寄せられるクレームの中には確かに「なんじゃこりゃ」と言いたくなるような妙なクレームとかが数多く、処分をきつくしろと言いながらもテレビ局側の立場も尊重しなければと少し考えを緩めました。具体的にその妙なクレームをいくつか紹介すると、深夜番組に子供が見るのに不適切な内容がある(そんな遅くまで子供を起こすな)、番組に出てくる芸人が気に入らないなど、ただでさえモンスターペアレントなどクレーマーが増えている世の中なので罰則を決めるのであれば慎重な議論を行い、何をしたらどうなるのかを明確にした上で実施すべきでしょう。

 最後にテレビ番組についてちょっと一言言うと、何故かは知らないですが日曜昼過ぎに放送される「新婚さん、いらっしゃい」は中国人留学生らにやけに人気で、私の現上海在住の友人もことあるごとに「あれが見たい」と洩らします。なにか中国人と波長が合うのかわからないけど。
 ただ「新婚さん、いらっしゃい」は確かに私もよく見ており、飼い犬(ペス)に子供のへその緒を食べられたなどくだらないエピソードをよく覚えています。特に予定がない日曜日などはこの「新婚さん、いらっしゃい」ともども、昨日亡くなられた児玉清氏が司会をしていた「アタック25」を続けてよく見ていました。児玉氏は元NHKアナウンサーの松平定知氏に次ぐほど話し方がきれいな方で、私自身も非常に好きな司会者だっただけに今回の訃報は非常に残念なものでした。心から、ご冥福をお祈りします。

2011年5月16日月曜日

自虐史観の系譜について私の印象

 本当は昨日の記事に合わせて書くつもりでしたが、紙幅が足らないので今回独立して書くことにしました。

自虐史観(Wikipedia)

 自虐史観というのは戦後に行われた日本の歴史教育のことを指す際に使われます。内容としては戦前の日本を世界大戦を引き起こしたとして批判的に捉える観点から語られ、一部の論者からは過剰に日本、ひいては自国を否定する内容だとして90年代頃から逆批判が起こり、しばしば論争の的となりました。
 この自虐史観で強調されたのは戦前に日本が行った侵略への反省で、ある意味私なんか論争の起こった頃に教育を受けていた世代なので割かし懐かしい感覚すらあるのですが、南京大虐殺や朝鮮人強制連行、従軍慰安婦問題などは小学生時代からしつこく教えられた記憶があります。ただこうして教えられる内容はなんだか東アジアに集中してて、バターン死の更新とか東南アジア方面の話はなんだか扱いが小さかったような……。

 こうした歴史教育が戦後は一貫して行われたそうですが、これについて行き過ぎだとして主に「新しい教科書をつくる会」のメンバーなどから逆批判が起こるようになり、上記の歴史事件の再検証とともに戦前の日本政府、ならびに軍人らを再評価する動きが90年代中盤から起こるようになりました。そうした逆批判論者らの意向が強く反映されたいわゆる"つくる会の教科書"が発売されるや中国や韓国は、「過去の真実をごまかし、歴史を改変した内容だ」として公式に批判し、当時はってか今も続く国際問題とまでなりました。

 さてこの自虐史観ですが全部が全部語ると非常にややこしく、また議論する相手によっては余計なヒートアップを招いて論争にならなくなる可能性が高い議題です。そこでいくつかポイントを絞って実際にこの自虐史観による教育を受けた私の考えと現状を説明します。

・ポイント1、自虐史観はアメリカによる押し付けか
 これなんか安倍元首相とか平沼赳夫氏が激しく主張していますが、戦後日本を占領したGHQが日本が二度とアメリカに歯向かわないように徹底した反軍主義、戦前否定の教育を実施したことで自虐史観が生まれたという意見ですが、これについては私は明確に否定します。
 まず勘違いしてもらいたくないのは、実際にGHQが戦後直後の日本で戦前を否定する教育を推し進めたのは事実でそれについては私も異論はありません。ただGHQは占領後半になると対共産主義のために率先して日本の再軍備化を推し進める、いわゆる「右旋回」をするようになり、その過程で自衛隊の前身となる警察予備隊も生まれています。

 だからといって教育内容まで当時に変わったというわけじゃないですが、肝心なのはGHQの占領は1951年で終わっていることです。その後の日本はGHQが作った憲法とはいえ、日本人自ら選挙を行い、政府を組織し、文部省で自ら教育内容を決めていきました。少なくとも私が見る限り独立回復後の日本で90年代にいたるまでアメリカが日本の教育行政を握っていたとは思えず、きっかけは確かにアメリカの指導かもしれませんがそれを維持したのはほかならぬ日本人自身で、それにもかかわらずアメリカが押し付けて日本の教育は駄目にされたというのはちょっと違うような気がします。

・ポイント2、自虐史観が日本人をだめにしたのか
 これもまた上の二人組+藤原正彦氏がよく主張していますが、私としては疑問に思う意見です。そもそもの話としてそれほどまで歴史教育に影響される生徒自体多いとは思えず、いくら学校の授業で聞いたからといって日本は悪い国だ、周辺国に謝罪しなければなどと真剣に考える人間はそんなにいなかったと思います。一人や二人ならいるかもしれないけどさ。
 その根拠と言っては何ですが、90年代後半から尖閣諸島や魚釣島などで領土問題が起こるや中国や韓国への日本人感情は一気に悪くなり、その変貌振りを見るとそれ以前の両国への感情は申し訳ないとかそういうもんじゃなく、ただ単に無関心だった気がします。ついでに書くとこの教育でアメリカに対しても反抗心を持たなくなったとも言われていますが、これは沖縄問題が一番影響しているように思います。基地負担などすべてを沖縄に押し付けたが故で、アメリカに対してもまた大半の日本人は無関心だっただけではないかという気がします。

・ポイント3、自虐史観は今も続いているのか
 これについてはさすがに義務教育現場ではどうなっているのかまではわかりませんが、少なくとも日本全体の論調としては大分後退しているかと思います。その理由としては自虐史観では徹底的に被害国として扱われた中国や韓国と明確に領土問題になったり、中国に至ってはGDPでも抜かれるようになって主張に現実味がなくなってきたことが原因だと思います。さらについでに書くと、中国の方こそが自国の歴史をごまかそうとする気合が半端じゃないし。
 またこれは私自身が高校生だった頃の感傷ですが、はっきり言って歴史を勉強していてその主義主張なんかよりこっちとしては如何に受験でポイントを稼げるか一番関心があり、こういうことに大騒ぎするのはむしろ外野の大人たちだったような気がします。

 ただ振り返ってみてこの自虐史観は歴史認識として明確な間違いをいくつかしており(日本に民主主義はなかったとか、国民は軍部にだまされていたなど)、後退して個人的にはよかったなぁとは思います。その一方でつくる会らの「日本は米国などに追い込まれて戦争をした」などという後から来た主張も私は理解することが出来ず、こっちの主張も今度後退してくれればいいなぁって思ってます。
 なお戦前の歴史認識としては私が今一番傾倒しているのは半藤一利氏で、半藤氏の主張のように「日本人は何も考えずに戦争に向かっていった」というのが戦前に対して最も納得できる意見です。