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2011年5月21日土曜日

2011年5月、私の現在の立ち位置

 時期も時期なのでそろそろ白状しますが、実はこのブログを通して私は一つ嘘をついてきました。

 このブログは中国への転職に伴い、以前から続けてきた「陽月秘話」を引き継ぐ形で去年の十二月から開始しましたが、その際に私は勤務地を「上海近郊」と敢えてぼかして書いてきましたが、実際には上海市ではなく浙江省のどこかで働いていました。一体何故このような嘘をついたかというと、その浙江省のどこかも在住日本人が少ないわけではありませんが上海と比べるとやはり数で劣り、警戒するまでもありませんでしたが人物を特定されないためにこのような嘘をつくことにしました。
 その上で私は今年三月頃の記事で引越しをしたと書きましたが、その引越し先こと現在の居住地は紛れもなく上海市内です。ただ一体何故浙江省から上海に引越しをしたのかというと、こちらで再度の転職をしたことが原因でした。

 私は去年の九月に一念発起してお世話になった日本での会社を辞めて転職活動で上海を訪れ、ある日系メーカーから内定をもらいました。そして去年十二月から勤務を開始しましたが、ビザ取得書類が送られてくるや一日でも早く急いで来いとやけに急かされて来てみるや仕事をするのに必要なパソコンを会社側が購入しておらず、入社から一週間はその会社で何もせずに過ごしました。
 この時点でなんか変だと思ってはいましたが、図らずもその予感は当たりました。その会社ではほぼ二週間に一回程度の割合で拒否権なしの強制参加による飲み会があり、面接の段階でアルコールにはあまり強くないと伝えていたにもかかわらず度々、というよりほぼ全部一気飲みを強制され続けました。各飲み会での具体的な回数を書くと、

・ビールコップ二杯、焼酎水割りコップ二杯、ウィスキー水割りコップ一杯
・ビールコップ二杯、ワインコップ三杯、紹興酒コップ三杯
・ビールコップ四杯、紹興酒コップ二杯
・ビールコップ二杯、ワイングラス四杯、紹興酒コップ一杯
※上記すべて一気飲み

 もちろん強制でつれてかれた飲み会は上記四回どころじゃないですが、飲んだ回数を細かく覚えているのはこんなもんです。さすがにビールの一気飲みならともかく、ワインや焼酎といったアルコール度数の高い飲み物の一気飲みを強制された際には耳を疑いました。ワインなんて、こんなもったいない飲み方したら作り手に悪いし。
 すでに書いている通り私は広島に左遷されていて今度は名古屋に栄転することとなったうちの親父同様に生来アルコールには弱く、汚い話ですが飲み会の度に何度も吐かされていました。その回数は一回の飲み会で二桁に上ることもあり、吐き続けると最後は胃酸しか出なくなるというのを身を以って知りました。

 こうした飲み会は予告なくウィークデーだろうと無理やり連れて行かれ、ある時などは泊り込みということを私のみ知らされておらず、ほかの全員が仕事用のノートパソコンを持ってきた中で私だけ持ってきておらず、次の日に一日仕事が全く出来なかったということもありました。当時の仕事はメールが一日百件近く来て八十通くらい返信していたので、この一日のロスはその後しばらく重く付きまといました。
 このような具合だったので、情けない話ですが今年一月頃には早くも真剣に退職を考えるようになりました。ただ退職するといっても二十代で二回も退職経験がつけば次の転職に響くことは予想に易く、ただでさえ不況真っ只中の日本に逃げ帰ってももう正社員職につくことは出来ないと思い大いに悩みましたが、ただその頃には本当に何もないところでも度々えづくようになっており、このまま体を壊しては仕事も何もないだろうということから何もかもうっちゃってしまうつもりでした。

 そんな中、ひょんなことで上海市内のある日系企業が募集をかけているのを知り、どうせ辞めるのなら駄目元でとばかりにその会社の採用試験を受けてみたところ、当時は自分でも信じられませんでしたが再びその会社から内定を得ることが出来ました。どちらにしろ春までには日系メーカーは辞めるつもりだったので一も二もなく内定承諾の返事を出し、日系メーカーへは退職の意思を伝えました。
 なお退職の意思を伝えた時に日本人上司は、「そんなに飲めないのであれば断ればいいのでは」と言いましたが、ほかならぬ私に最も一気飲みを強制してきたのはその上司でした。ある時などは私の様子(すでに五回程度吐いている)を見て周りの中国人社員が必死に止める中でもワインを注いで一気飲みを強制したことがありましたが、そのことを話すと本人は覚えていないと返事しました。さらについでに書くと本来の支払い月から一ヶ月が過ぎて私も何度も催促しているにもかかわらず、その日系メーカーからは未だ退職月の未払い賃金を受け取っておりません。蛇足でしょうし過激なことこの上ありませんが、権力を握ったら日本の本社ともどもどんな手を使ってでも必ず潰すつもりです。

 そうして三月に現在の会社へと転職を果たしましたが、今の会社は名前はもちろん明かせませんがある経済ニュースの通信社で、そこで編集・記者職として雇われました。以前の陽月秘話でも書いていましたがこんだけ長い文章を毎日書くだけあって私は元々ジャーナリスト志望で、新卒でその業種に関係する企業に就職できなかったことからもう縁はないだろう、やるとしても自分で会社を立ち上げるしかないだろうと思っていただけに、こんな形で念願が叶うとは夢にも思いませんでした。特に前職が前職だっただけに、その人生の流転振りには我が事ながら信じられない思いがします。

 私が上海を最初に訪れたのは北京に留学中の2005年に旅行で来た時です。その後去年の二月に友人を訪ねて二回目、そして十月に転職活動で三たび訪れ、今回の転職による定住で四回目となります。ここにくるまで随分と回り道をしてきたものだと思いますが、現在の仕事はやりがいもあり、職場の人たちもいい人ばかりで非常に充実しています。
 思えば中国に来てからちょうど半年が過ぎ、未だ一度も日本には帰っておりません。この半年の間に二度も会社を移るわそのたびに引越しするわで非常に慌しく、これまでどれだけ時間が過ぎたのか感覚がちょっと薄いです。ただ梅雨のない上海では近頃気温が上がってすっかり夏らしくなり、季節感を感じることでようやくここに至ったんだと感じられるようになりました。

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