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2011年6月26日日曜日

素顔同盟の思い出

 突然ですが、「素顔同盟」という短編小説はご存知でしょうか。
 この小説は中学校などの国語の教科書に引用されていて恐らく私と同年代の方なら誰もが呼んだことがある作品だと思いますが、あらすじを簡単に説明すると、人間は喜怒哀楽を表情に出すから争いが絶えないわけでみんなして笑顔の仮面を被って生きるのが当たり前の世界に疑問を持っていた主人公はある日、仮面を脱ぐ素顔同盟という団体があることを知り、その所属員らしき女性の素顔を見て仮面を脱ぐ決心をするというストーリーです。

 この話を何故唐突に持ち出したのかというと、これまたちょっと時間がたっていますが下記のニュースを見たことがきっかけでした。

訃報:すやまたけしさん60歳=作家(毎日新聞)

 今月十二日、この「素顔同盟」の作者であるすやまたけし氏が死去しました。
 このニュースを受けていろいろ思い出すところがあったのですが、実はこの作品に関しては一悶着というか、妙な思い出があってその他の教科書引用作品と比べても格段に強い記憶があり、上記訃報を聞いて「あの素顔同盟か……」とちょっと思い出すところがありました。

 その一悶着とはまさに中学時代にこの作品を国語の授業で扱っていた時でした。授業も終盤にさしかかって当時の教師は生徒に作品の感想を求めるプリントを配ったわけですが、「素顔同盟に走った主人公をどう思うか」という質問に対し、ちょっと妙な回答を私はしてしまいました。

「集団の秩序を乱そうとする典型的な破滅的行動である。テロリズム的な思想で気に入らない」

 これは冗談じゃなくマジで上記のように書いて提出してしまいました。というのもこの授業の直前に読んだ中国史の解説本にて、「始皇帝暗殺」で有名な刺客の荊軻について以下のようなくだりを読んでいたことが原因でした。

「荊軻の評価は暗殺者という特性上、その時代ごとに大きく変わりやすい。ある時代では圧政を敷く暴君に立ち向かう勇者として称えられる一方で、暴力によって権力を転覆せしめようとするただのテロリストとして扱われることもあり、現代ではそのような評価が強まっている」

 この論説を読んでたせいというかなんとなく素顔同盟の主人公も荊軻っぽいなぁとか思い、「テロリズム」という言葉が出てきてしまったわけです。しかもその時の教師も教師で、生徒からプリントを集めるや何を思ったか「こんな意見もありました」と言って上記の私の書いた感想を読み上げると、

「この感想を書いた人の仮面を取っても良いでしょうか、花園君( ´∀`)

 と、いきなりクラス中に名前をばらされてしまいました。
 言われた瞬間はそれこそ「オイオイ、マジかよっ!?Σ(゚Д゚;)ゲゲッ」って滅茶苦茶焦りましたが、元々仲が良かった教師なので問題あるとか気に入らない感想だからといった理由ではなく、「クセ球を投げてきたな、こいつ(・∀・)ニヤニヤ」ってな感じで暴露してきたんだと思います。
 もっとも授業後にこの件をネタにからかってくる生徒はいませんでしたがこの一件を経て私は、「絶対にこの教師には逆らわないでおこう」と決意するに至りました。

2011年6月25日土曜日

自転車チャレンジ、浦東空港まで行ってみよう!

 前々から暇があればやってみたいなと思っていたことで、上海のメインエアポートこと浦東空港まで自転車で行くというのに本日チャレンジしてきました。

 気象は午前六時。当初は六時半から出発する予定でしたが空模様が怪しくてそのまま二度寝し、次に目覚めた時は既に八時半でした。その時間も空模様は怪しいままでしたがもうどうなってもいいやとばかりに強行出撃。
 というのも前日の予報では本日上海の天気は雨模様でありましたが、上海の天気予報は「てめぇ、なめてんのか(#゚Д゚)ゴルァ!!」といいたくなるほど外れることが多く、事実ここ三日間は雷雨と言っておきながらピーカンの晴れが続いたことから、もう降って元々とという半ばヤケになったような感じで出発を決意しました。もっとも、昨日西の空見たら夕焼け見えなかったから自分でもさすがに今日は降ると予報してたけど。

 そうして出発し、まずは上海中心部を経由して上海最大の観光地こと外灘へ向かいました。外灘はなんどかこのブログでも紹介していますが黄浦江という川沿いのビル街で、戦前に立てられた建物が古くから残っていることから人気のスポットです。何故ここへ向かうのかというと、橋は数箇所に架かっているものの自動車しか渡ることが出来ないため、フェリーに乗る必要があったからです。自宅がこの外灘から比較的離れた場所にあり、なおかつ中国人は朝が早いことから既に人や車が街中を行き交っているために時間にして大体一時間程度かけて外灘に着き、フェリー代(2.5元。なぜか反対側は1.8元で値段が違った)を払って無事渡河に成功します。

 そしてやってきた浦東。この浦東という場所はもともとは上海中心部と川を挟んでいたことから1990年くらいまでは農地が集まる田舎の土地として見られていました。しかし経済特区に指定されて以降は急激に開発が進んで昨年の上海万博の開催地となったほか、現在では数多くのオフィスビルが立ち並ぶ高級地となっております。その分道路なども広くて自転車で走る分には走りやすかったのですが、空港までの道のりはやはり長かったです。

 結果をもう言うと、最終的には浦東空港を目前にして今日は引き上げました。理由は空港までの距離が地図上の目測以上に遠かったことと、猛烈な雨と風が吹いてきて疲労が限界に達したことからでしたが、走った感覚としては大体片道3時間で40キロ、合計にして80キロくらいを走ったように思います。あまり言い訳したくありませんが、タイヤの小さい折り畳み自転車でやるような距離じゃなかったと途中で何度も後悔しました。
 それにしても今日は雨が半端じゃないくらい降りました。降ったのは二時間程度ですぐにまたやみましたが、一度全身ずぶぬれになったのに自宅に帰り着く頃には靴下を除いてもう全部乾き切っていました。4時ごろに家に帰ってシャワーを浴びると疲労から懇々と二時間眠り続け、さすがにケチな自分でも今日くらいはおいしいもの食べたいと思って焼肉屋で88元も使って晩御飯を食べ現在に至ります。

 毎回毎回こうやって自転車で無計画に遠乗りする計画を実行しては途中で後悔し、「なんでこんな馬鹿なことをしようと思ったんだろう(´д`)」と走りつつ思うわけですが、途中で自転車を乗り捨ててタクシーとかで帰ることも不可能ではありませんが、一旦遠くまで行ってしまうととんだけ苦しくても自力で帰るしかありません。個人的に思うこととしてこのように本当に逃げ道のない場所に追い込まれた場合(自分で追い込んだわけだが)、やはり精神力というかタフさが非常に問われると思います。もちろん自分はこの程度でひぃひぃ言ってて情けない限りなのですが、それでもズルを使わずにちゃんと自力で帰ってきた分にはまだ及第点かなと思います。

 それにしてもずっと雲がかかってたけど両腕がすっかり日焼けしてひりひりして痛いです。毎年そうですけどある週末に自転車で遠乗りして一気に日焼けし、次の日に職場に「何やってきたんだ!?」と驚かれるので、多分次の月曜日もそうなるでしょう。あとサドルがスポーティなタイプで細くとんがっているのが良くないのか、乗っててお尻がかなり痛かったです。個人的には幅広のサドルのが長距離乗るにはいいんじゃないかと思うけど、プロとかはどうなんだろ。
 あとあと、自転車は買ってまだ二ヶ月ですがやはり折り畳みで家に置いとく分にはコンパクトでいいけど、やっぱりちゃんとしたレース用自転車が欲しくなってきました。この前もカルフールでみてきて880元(約10560円)と1100元(約13200円)がいいなと見てたりしましたが、金に余裕が出来てきたらといってあんま調子に乗るのはよくないかなぁ。来月あたりには一旦帰国してノートパソコンも新調したいし……。

2011年6月24日金曜日

自動車会社グループ化の今後

日産・三菱自:合弁戦略 13年度に「軽」開発・発売--新社名「NMKV」(毎日新聞)

 ちょっと古いニュースですが、私が贔屓する三菱自動車と日産自動車が軽自動車の共同研究・開発のため合弁会社「NMKV」を設立しました。もともと三菱自動車は日産に対して軽自動車をOEM供給しているなどかねてから関係があり、その延長から今回の合弁に至ったものとされます。
 記事中にもありますが現在のん本の自動車市場は軽自動車の割合が三分の一を占めるなど、無視できない存在となりつつあります。うちの親父の若い頃なんて「軽なんて乗ってるのだっせーよなー」ってセガサターンばりに肩身が狭かったそうですが、今こんなことを言っていたら時代の趨勢も読めない奴だと言われてしまうかもしれません。私個人としては燃費で言えば明らかにホンダのフィットを始めとしたコンパクトカーのが優れているのは重々理解しておりますが、軽自動車はあの小さなボディという制約を受けつつ様々な装備やパーツが組み合わせられるなど設計に工夫製が感じられるため、カタログを見る際は真っ先に軽から見ます。

 そんな三菱の軽ですが、日本の軽市場はダイハツ、スズキという二代巨頭が存在するためにいまいち目立ちませんが、改めてラインナップを見てみると三菱の軽もなかなか捨てがたいものがあります。主力のekシリーズはもとよりこの前リコールしたパジェロミニなど、去年のネットスラングを使うなら「そんな値段で大丈夫か?」といいたくなるくらいの面白い車で、駆動方式がRRのアイなど二代巨頭とは別の方面に進化していて見ていて面白いです。

 さてそうした三菱ヨイショは置いといて、今回のこの三菱と日産の提携を見て私が感じたのは自動車業界で統合が進んできたなという感想でした。というのも一昨年くらいにスバルがトヨタに資本を握られ完全に軍門に落ち、同じく既にトヨタの資本下となっていたダイハツとの車種の兼ね合いからスバルは軽自動車事業の廃止を迫られることとなりました。ぶっちゃけ、スバルの軽にはなんの魅力も感じなかったからいいんだけど。
 この結果、トヨタグループではトヨタが全車種ラインナップを維持するとともにスポーツ、ワゴン部門はスバル、軽部門はダイハツと住み分けがなされるようになりました。聞くところによると現在トヨタが開発しているFT-86の開発はかつてのヤマハ2000GT同様にスバルに丸投げだって聞きますし。

 これは別業種ですが、金融においては現在の日本は東京三菱UFJ、三井住友、みずほの三大メガバンクが大半の市場シェアを握っております。もちろん小さい銀行の存在価値は低くはないものの、グローバル化を迎えた現在では主要な業界が許せる企業数というのは3~5社くらいが限界のように思え、三洋はすでに吸収されましたが、パナソニック、シャープ、東芝、日立、ソニー、三菱電機、NEC、富士通など数多くの企業が出揃う電機業界同様に自動車業界の主要企業数はやはり多過ぎるのではないかという気がします。それこそ発展途上の今の中国とかならともかく、既に成熟している日本の市場ではもうちょっと統廃合を進めたほうが全体に良いのではと思え、韓国やアメリカなどの業界企業数を見ているとますますその考えが強くなってきます。

 それゆえに先のトヨタの住み分けも、スバルが買収されるのはちょっと残念ではありましたが内心ではありかという風に見ていました。まぁそれ以上に、スバルには書類選考で落ちてて良かったとほっとしたのが大きかったですが。
 そして今回は三菱と日産が提携したとのことで、両者ともに電気自動車に力を入れているのでうまく話し合いが進めばこの分野でも協力が進むのではないかと思います。ただSUVと乗用車の部門で競合はしますが客層は明らかに違うし、なんとかなるんじゃないでしょうか。

 となると気になるのは残ったメーカーのホンダ、スズキ、マツダです。私の素人ながらの勝手な良そうだとホンダとスズキは会社所在地こそ程近いものの両者は四輪はおろか二輪で競合する企業同士で、傍目にも仲が良さそうには思えません。それに対してマツダはというとかねてからスズキからアルトなど軽自動車のOEM供給を受けており、コンパクトカーの部門でデミオとスイフトが競合(客層は違うように見えるが)するもののそれ以外だとあまり被らないように見えます。私の希望としてはこのままマツダとスズキもどんどんと協力して、合併とまではいかなくとも提携を深めて準グループ化していってもらいたいものです。

 何気にこのところのホンダさんには気に入らないところが多々あり、他社もやってたけどトヨタのアメリカにおけるリコール騒動の陰に隠れて大量リコールを実施したり、プリウスのデザイン丸パクリなインサイトを出したり、質の低いハイブリッド技術を搭載しておきながらこの分野の付加価値を余計に下げたりと、これがかつて技術のホンダと呼ばれた姿かといろいろ問いただしたい気持ちでいっぱいです。はっきり言いますがハイブリッド技術ではトヨタとホンダは天と地ほども差がある上、電気自動車も量産できないようでは三菱、日産以下で、どうかこのまま孤立化して細々と消えてなくなってもらいたいのが本音です。

2011年6月23日木曜日

ニュース雑感

インドネシア向け生体牛輸出を全面禁止(豪州)(農畜産業振興機構)

 日本で報じられているのかはわかりませんが、何でもオーストラリアで生きた状態の食用牛をインドネシアに輸出したところ、現地での堵殺の際の殺し方が残酷だと非難が起こり、オーストラリア政府が生体牛の輸出を禁止したそうです。
 事の発端はインドネシアの堵殺場の映像が報じられたことからだそうですが、その映像というのも麻酔もかけずに生きた牛の首に牛刀を何度もぶつけて潰すやり方だったらしく、「牛がかわいそう」と非難が起こってとうとう外交問題にまで発展したそうです。ただこれに困ったのは自国の酪農家と輸出業者で、深刻化してきたことからわざわざ両国の農相同士が会って対応を検討するところまでいったとのことです。

 このニュースを見て恐らく私だけじゃなく日本人なら誰もが、「またかよ……(;゚Д゚)」とばかりに鯨問題を想像したかと思います。突っ込みどころを挙げればきりがないですがざっと挙げると、

・そもそも解体した状態で輸出しないの?
・どっちにしろ食べるんでしょ?
・インドネシアも、牛刀で潰すのは大変じゃない?(日本は脳天に鉄砲を使うと聞く)

 といったところで、「なんで牛を食べないの」ってすごんでくるアメリカさんを見習いなさいとか個人的に思ってたりします。
 なおこの問題はいろいろ尾を引いているようで、羊も輸出禁止になりそうだとか、インドネシア側も対応として「無痛気絶機」を堵殺場に置いたとかなってるそうです。これまたどうでもいいですが、一時期の北京のバスの中には「無痛流産」という産婦人科の広告ばかりでうちのお袋がびびってました。

中国から輸入のインゲンに基準超の殺虫剤成分(読売新聞)
 またかよ……(;゚Д゚)

時速65キロ超での使用中止を=三菱製軽、燃料漏れの恐れ―1万台リコール・国交省(時事通信)
 三菱自動車は私が贔屓にしている自動車会社ですが、「時速65キロを超す走行を続けると、走行不能になったり、燃料が漏れ車両火災になったりする恐れがある」って、今時こんな不具合あるのかとちょっとびびりました。あまり思い出したくないけど、例のリコール隠し問題がやっぱり頭をよぎります。ついでに書いとくと、三菱自動車は確か先月あたりにも法律で定められている工場の環境測定を行わずに勝手にデータを書き換えて提出してたことから怒られてました。

「2位じゃダメなんです」…日本スパコン、中国抜き世界1位に(サーチナ)
 ニュース自体は取り上げるほどではないのですが、このニュースが取り上げられた翌日には中国の新聞も「また日本に追い越された」という見出しで載ってました。日本ではあの仕分けが実施される前まではスパコンがニュースにならなかったことを考えると、中国はやはりその辺の意識が強かったなという気がしました。

350キロ→300キロ 中国高速鉄道、安全考慮し「減速化」(産経新聞)
 今月末には北京-上海間で新幹線が開通することとなっておりますが、その直前にて既に運航を開始している路線を含めて最高時速をこれまでの350キロから300キロに落とすという発表が中国政府からされました。何気にこの中国の新幹線には何度も乗ってて350キロの速度も体感していますが、そもそも車両の設計図を提供してJR東海にめちゃくちゃ怒られた川崎重工は「270キロまでしか安全は保証できない(;><)」と主張してきましたが、中国側は「改造したから大丈夫(´∀`*)ノシ」と称して運行を続け、先月に乗ったうちの親父も感動するほどの速度を維持してきました。
 それが突然のこの速度引き下げ。恐らく大事故につながりかねないヒヤリハットが人知れずあって、さすがにマズイと上層部が判断したんじゃないかと思います。そう思うと短い期間限定の350キロを体験できたとして、なんだか得した気分になりました。

2011年6月22日水曜日

今年亡くなった二人の女性について

 今年に入ってすでに半年が過ぎ、いつまでも「あれ、今年って2010年じゃなかったっけ」と段々いえなくなってきました。このところ私は時間が経つのがやけに早く感じるのですが、これは年のせいというよりも現在の生活が充実しているゆえのいい傾向だと考えております。ただこれはまた別の機会にでも書いてみようかと思いますが、恐らく私と他の人とでは時間感覚がどこか異なっているように思われ、一年という時間に感じるものもなにか大きく違っているかもしれません。

 そうしたことはさておき、知らなかったわけじゃなくなんとなく取り上げはしませんでしたが、今年に入って著名な二人の女性が死去しました。そのうち一人は通称「マダム・ヌー」ことチャン・レ・スアンです。知っている方には早いですが彼女は今は存在しない国家である南ベトナムにおける初代大統領、ゴ・ディン・ジエムの実弟の妻だった女性で、恐らくゴ・ディン・ジエムや夫以上に有名だった女性です。
 詳しくは関連するサイトを見てもらいたいのですが、ゴ・ディン・ジエム大統領は熱心なカトリック教徒だったことから在任中に国内の仏教徒を激しく迫害していました。それに対しある僧が抗議のために焼身自殺を行ったところ、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」と発言し、世界中から多大な顰蹙を買いました。一説によるとこの発言を受け、遅々として好転しないベトナムの状況に苛立っていたアメリカのケネディ大統領はゴ・ディン・ジエムの暗殺を決意したと言われております。この辺は50代以上のうちの世代には話が早いですが、その後CIAの援助を受けた軍がクーデターを起こし、ゴ・ディン・ジエムとマダム・ヌーの弟を殺害してベトナム戦争は泥沼化するわけですが、マダム・ヌーはこのクーデターから逃れた後は海外を転々とし、今年四月二十四日にイタリアで死去したそうです。

 このマダム・ヌーも噴飯物の人物ですが、それ以上に私にとって、その死去が腹立たしいというかやりきれない思いをさせられるのは下記の人物です。

永田洋子(Wikipedia)

 この人も、知っている人なら話が早いでしょう。昨日あんな記事書いておきながらあえてこの言葉を使いますが極左グループである連合赤軍の元幹部で、あさま山荘事件につながる山岳ベース事件を引き起こした張本人の一人です。

連合赤軍あさま山荘事件
連合赤軍リンチ事件(=山岳ベース事件)
(どちらもオワリナキアクムより)

 永田洋子はあさま山荘事件には関わってはおりませんが、山岳ベース事件では主導者の一人として妊娠八ヶ月だった女性を含む合計12人を筆舌に尽くし難い暴行の上に死に追いやっております。
 私は小学生くらいの頃からあさま山荘事件についてはテレビの特集か何かをつてに知っていましたが(何気に名前を知ったのは「ちびまるこちゃん」からだったが)、この山岳ベース事件についてはおぼろげに親から話には聞いていたものの、詳細については大学生になってから初めて知りました。改めて考えてみると、内容が内容だけにテレビなどでは恐らく今後は一切取り上げられないのではないかと思います。

 これも詳細についてはリンク先などを確認してもらいたいのですが、簡単に言うと社会主義思想を持った十代から二十代の若者らが革命を成し遂げるためなどとほざき戦闘訓練のため山中に仲良く潜伏したところ、やれ態度が悪いとか決意が足りないなどと難癖をつけては集団で暴行し、いわゆる内ゲバというもので次々と仲間を殺害していったという事件です。この事件は数ある内ゲバ事件の中でも関係者が数多く存命してそれぞれが証言を行っていることから、特別と言っていいほどに詳細についてもすでにわかっております。それら事件の詳細を眺めた上の私の意見だと、やはりこの永田が逮捕後に獄中自殺をした森恒夫とともに殺害を主導しており、どちらか片方さえ存在しなければこの事件は起こらなかったのではないかと思わせられます。

 逮捕後に永田はこの事件を起こした理由について、社会主義を掲げる組織が持つ特徴に起因する構造的問題からだなどとあれこれほざいていたようですが、確かに冷戦期の中国とソ連みたいに社会主義者(人類全般に当てはまるかもしれないが)は大きな差よりも小さな差にこだわる同属嫌悪が激しい傾向があることにはうなずけるものの、あれだけ無茶苦茶なことしておきながら小難しいこと言えば許されるとでも思ってるのかという感想を私は持ちました。私は社会学出身ということもあって人間というのはほとんど個性は存在せず、枠を与えられたらその枠にはまるように行動する生物だという考えがベースに存在しますが、この山岳ベース事件についてはやや卑怯ですが別格で、最終的には犯人らの個人的資質によるところが多いように思います。

 ただそれにしてもこの事件は詳細を追えば追うほど、当時の極端な社会主義者達は中国の偉かった人たち同様に自分が考えたことは必ずその通りになる、現実に適用できると何の疑いもなく信じ込む傾向を強く感じます。それゆえに社会主義はやれ教条的だなどと言われ私も実際にその通りだと思うのですが、連中の面倒くさいところは思い通りに行かなかったら何でもかんでも暴力で解決しようとするところで、最近のイスラム過激派とどこか被るところがあるのではとこの頃考えてます。
 かくいう私も高校生くらいの頃は変に政治に興味を持ち出してわかった振りをしてはああすれば景気はよくなるなどとほざいてましたが、ある人物から仮にその通りに実行して思い通りにうまくいかなかったらどう責任を取るんだと言われてからはやや落ち着き、計画性と実現性について必ず検討するようになり多少の慎重さを身につけるようになりました。この事件の犯人らはリンチして殺害した相手に自己批判を求めていましたが、彼ら自身は自分を疑うことはなかったのだろうなという点で、今の自分とは違うように感じます。

 この永田洋子は今年二月五日に獄中でかねてから罹患していた病気で死去したそうです。少なくともネットニュースではみませんでしたが、当時の日本のテレビメディアなどではどのように報じられていたのか少し興味があります。どちらにしろ、これしかないとは思うもののどうにも承服し難い死ですが。

 今回この記事を書こうと思ったきっかけはかつては見上げるだけだった事件当時の犯人らの年齢を追い越すようになり、今の自分の年齢くらいで殺害し、殺害された人物らを再考してみようと思い調べなおしたことからでした。同時代に生きていないから共感できないのだろうと言われてしまえばおしまいですが、少なくとも今の自分はこういう連中にだけはなりたくないし、こういう連中を生かしておいてはいけないという考え方をしています。
 最後に今この記事を読んでいる方で、20代くらいでまだ詳細について知らない方はぜひリンク先などでこの事件を調べてほしいと思います。ただの歴史の一事件として片付けられても仕方ありませんが、一部の関係者はまだ存命していることを考えると現代の人間はまだ認知しておく必要があるように感じるからです。

2011年6月21日火曜日

続、「右翼」、「左翼」という言葉の問題性

「右翼」、「左翼」という言葉の問題性(陽月秘話)

 以前に運営していた陽月秘話で個人的にスマッシュヒットだったと思う記事の一つに、上記リンク先の記事があります。上記の記事で私はかつての日本では自民党を右翼、社会党や共産党を左翼としてそれぞれの立場に立つ政治家や論客を文字通り右左で分けて比較し合っていましたが、ソ連崩壊によって社会主義勢力が大きく後退した上、それまで右派とされた人物達の中でも自由主義経済か統制経済かで大きく主張が異なるようになり、もはや右翼と左翼の二項対立では政治構造は図ることが出来ず、むしろ無理矢理当てはめて考えようとすると本質を見誤る可能性があることからこのような言葉はもう使うべきではないと主張しました。

 この記事は2009年に書いた記事ですが、二年経った現在に至って私の意見に変わりはありません。自民党が与党だった当時と違って現在の与党は民主党ですが、たまに民主党を左派、自民党を右派とする評論や議論を見かけますが、やはりこれは問題だと思います。それぞれの党が本当に右翼、左翼と定義できるのかはもとより、そもそも今の両党をみていて変化しない政治的原則自体があるのかが疑問です。せいぜい言えば自民党内はアメリカ外交において基地容認というある程度統一した意見を持っているのに対し、民主党は未だに党内意見の統一が図れていないという点で異なるものの、それ以外となると自民も民主も統一見解や原則がないように思えます。

 そうした政党評論は今回は置いときますが、どうしてまた一度書いた記事を今日になって掘り返したのかというと未だにこの右翼、左翼という言葉が市民権を持っていることに問題性を感じられるからです。私はこの二つの語は既に役目を終えたと考えており、もはや使う必要はなく死語になっていなければおかしいと思いますが、評論家等も結構頻繁に使います。メディアに対しても産経は右派、朝日は左派と書かれているのをたまにみますが、それであれば自民寄りとか民主寄りと書いたほうがいいのではないかと思います。かといって、リベラルだとか横文字使うのもどうかという気もしますが。

 なんかこのところ中途半端に記事が終わることが多いですが、もうすこし新聞やテレビといったメディアはちゃんとした政治用語を作るべきでしょう。目下のところ主要な政治テーマは「大きい政府」か「小さい政府」かになりつつあるので、このまま取るなら「大政府派」、「小政府派」と分けたり、既存の言葉を使うなら「集権派」、「分権派」という言葉が適当かと思います。といったって、大阪府内でも橋本知事と平松市長が対立してたりして分権派とひとくくりにするべきかちょっと微妙ですが。

2011年6月19日日曜日

ホークスの小久保選手について

小久保裕紀(Wikipedia)

 私が日本にいた頃に観戦することの多い球団ときたら家から球場が近いということでヤクルトスワローズと千葉ロッテマリーンズが多いですが、何気に好きな球団となるとソフトバンクホークスです。何故地元とも全く関係のないこのホークスが好きなのかというと戦力的に非常にバランスがよく、隙のないチーム編成をしていることから自然と贔屓するようになっていきました。好きな選手を挙げると和田、杉内、川崎選手(おすぎ氏も大好き)など比較的若い選手ばかりですが、先日ちょっとしたことから小久保選手の来歴を知っていろいろと驚き、今回こうして記事にすることにしました。

 詳しくは上記のWikipediaの記事を読んでもらえれば具体的にわかりますが、ホークスがダイエーだった時代から小久保選手は若くしてチームの主軸打者となってチームの優勝にも貢献しておりました。にもかかわらず、優勝という最高の結果でシーズンを終了した2003年、ホークス球団は突然小久保選手を巨人へ無償でトレードし、放出してしまいました。

小久保無償トレード問題

 当時の私はあまり野球に興味がなかった頃でこれまでそんなこともあったっけなという程度で覚えてはいましたが、改めて上記ページの内容を見て呆れ返りました。なんでもこのトレードはダイエーと球団オーナーだった中内家との権力闘争の過程で発生し、なおかつ当時の球団社長だった高塚氏が私怨とも言える様な感情で決めたものだったそうです。
 そもそも優勝の立役者を本人はもとより王監督(当時)にも相談せずに経営側の判断のみでトレードを実行する点でも以上で、しかも無償だなんて裏がないことの方がありえません。実際にナベツネがこの件に関わっていたそうですが、当時のホークス選手らのコメントを見るとみているこっちが腹立たしくなってきます。

 ただこの無償トレード事件で最も立派だったと思うのは、ほかならぬ当人の小久保選手です。はっきり言ってこんな扱われかたしたら普通はふて腐れてもしょうがない気がしますが、小久保選手は黙ってトレードに従って巨人に移籍し、そこでも活躍して外様で初となる巨人の4番に就任します。その後FA権を取得後は見事と言っては何ですがホークスに復帰し、現在も主軸として活躍し続けている姿には頭が下がります。

 なおこの無償トレードを主導した中内正氏は昨年、相続した遺産額を一部申告せずに相続税法違反で逮捕、有罪判決を受けており、もう一人の主導者である高塚猛氏は2004年に強制わいせつ事件で逮捕されております。悪い人間というのは悪い行為を繰り返すものです。