2011年6月21日火曜日

続、「右翼」、「左翼」という言葉の問題性

「右翼」、「左翼」という言葉の問題性(陽月秘話)

 以前に運営していた陽月秘話で個人的にスマッシュヒットだったと思う記事の一つに、上記リンク先の記事があります。上記の記事で私はかつての日本では自民党を右翼、社会党や共産党を左翼としてそれぞれの立場に立つ政治家や論客を文字通り右左で分けて比較し合っていましたが、ソ連崩壊によって社会主義勢力が大きく後退した上、それまで右派とされた人物達の中でも自由主義経済か統制経済かで大きく主張が異なるようになり、もはや右翼と左翼の二項対立では政治構造は図ることが出来ず、むしろ無理矢理当てはめて考えようとすると本質を見誤る可能性があることからこのような言葉はもう使うべきではないと主張しました。

 この記事は2009年に書いた記事ですが、二年経った現在に至って私の意見に変わりはありません。自民党が与党だった当時と違って現在の与党は民主党ですが、たまに民主党を左派、自民党を右派とする評論や議論を見かけますが、やはりこれは問題だと思います。それぞれの党が本当に右翼、左翼と定義できるのかはもとより、そもそも今の両党をみていて変化しない政治的原則自体があるのかが疑問です。せいぜい言えば自民党内はアメリカ外交において基地容認というある程度統一した意見を持っているのに対し、民主党は未だに党内意見の統一が図れていないという点で異なるものの、それ以外となると自民も民主も統一見解や原則がないように思えます。

 そうした政党評論は今回は置いときますが、どうしてまた一度書いた記事を今日になって掘り返したのかというと未だにこの右翼、左翼という言葉が市民権を持っていることに問題性を感じられるからです。私はこの二つの語は既に役目を終えたと考えており、もはや使う必要はなく死語になっていなければおかしいと思いますが、評論家等も結構頻繁に使います。メディアに対しても産経は右派、朝日は左派と書かれているのをたまにみますが、それであれば自民寄りとか民主寄りと書いたほうがいいのではないかと思います。かといって、リベラルだとか横文字使うのもどうかという気もしますが。

 なんかこのところ中途半端に記事が終わることが多いですが、もうすこし新聞やテレビといったメディアはちゃんとした政治用語を作るべきでしょう。目下のところ主要な政治テーマは「大きい政府」か「小さい政府」かになりつつあるので、このまま取るなら「大政府派」、「小政府派」と分けたり、既存の言葉を使うなら「集権派」、「分権派」という言葉が適当かと思います。といったって、大阪府内でも橋本知事と平松市長が対立してたりして分権派とひとくくりにするべきかちょっと微妙ですが。

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