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2011年9月4日日曜日

日本人の習性

 最近なんだかリストっぽい記事が続いていますが、昨日に引き続き今日は国際的に見て日本人の習性と思う部分をいくつか挙げようと思います。それにしても先程面倒だから持ち帰った内容の記事を書き上げましたが、毎日記事書いておきながらこんだけブログ更新する人ってほかにいるのかという気がたまにします。確かに商社勤務(去年まで)だった頃は頃で文章を書きたい執筆意欲というのが今より強かった気もするけど。

1、清潔好き
 日本国内にいる日本人はあまり気にしませんが、日本人というのは国際的に見て明らかに異常なほどきれい好きです。浪費のたとえとして「湯水の如く」という言葉がありますが、それだけ身を洗う水が豊富だったことが影響しているかもしれません。
 それでどの程度日本人が綺麗好きかですが、七月に日本に帰った際に私が最初に思ったのは、「うわ、全く匂いがしない」ってことでした。中国に限らず以前に行ったことのあるイギリスでも外国ではどこでも食べ物やらほこりなどいろいろな匂いがするのですが、日本に至ってはどこに行こうが完全に無味無臭。しかも確か十年くらい前には口臭スプレーについて口臭までいちいち気にしなければいけないのかという論評を見た覚えがありますが、今に至っては口臭なんて完全NGでないのが一般マナーになっているような気がします。

2、首振り
 これは中国人の友人に指摘してもらって私も初めて気が付いたのですが、日本人は外国人、ひいては同じアジア人の中でも圧倒的に首を振るジェスチャーが多いです。具体的には肯定時の頷きと否定時の横振りですが、意外や意外に外国人はこのようなジェスチャーを多少はするものの日本人ほど明確にかつ頻繁にすることはなく、中国で日本人を見分ける際には首の動作を見ればそれなりに見分けられます。
 私が思うに欧米人は腕など上半身全体をつかったジェスチャーを多用するのに対し、日本人はお辞儀の習慣からか挨拶から頷き、お礼などの表現の際には必ず首が縦に動きます。韓国人はわかりませんが中国人は意外とこの手のジェスチャーが薄く、ちょっとしたことでよく怒鳴り合ったりすることが多いですが、友人曰く上海人は口だけで殴り合ったりすることは少ないそうです。中国東北部の人は逆らしいけど。

3、他人の判断が正しいという前提
 我ながら極論を言うもんだという気がしますが、日本人は自分で考えた判断内容より他人の判断内容、ひいては合議での結果をやや無条件で正しいと考えるところが過分に多い気がします。私はというと前に書いた「自分の判断への信頼性」の記事で言っているように逆に自分の判断は基本的に他人より優れているという逆の前提がありますが、私が一番わからないのはそれぞれの案やら判断内容に対して理屈なり原理なりを一切考慮せずに「正しいだろう」と推定する人たちです。そりゃ自分が経験や知識がないとわかった上での判断なら何も言いませんが、もう少し正しいと思うことは主張すべきだという気がします。

4、人の言うこと聞いてる振りして勝手な自己アレンジを加える
 これは習性というよりかは文化ですが、よく日本人は他国の文化やら技術を学ぶとそのまんまコピーすることは少なく、ほぼ必ず日本に合わせたアレンジなり改良を加えてしまうことが明らかに多い気がします。具体例を挙げてくと中国から漢字を学ぶと勝手にひらがなやカタカナを作り、インド人からカレーを習うと向こうでは食べることが遠慮されている牛とか豚と一緒に煮込んだりなどと。これなんか自分は最近になっていろいろ感じるようになってきましたが、もしかしたら日本はアメリカがまだ民用化する前の最先端の軍事技術などを利用していろいろ製品作って、それがアメリカ側からすると気に入らなかったんじゃないかと思います。まだ裏とかとってませんが形状記憶合金というのはヘリコプターに使われる軍事技術だったのを、日本人がブラジャーとかに最初に使いだしたという話を聞いたことがあります。

5、相手が逆らえないとわかるや途端に狂暴になる
 これは何度もこれまでの記事でも書いてて繰り返しになりますが、日本人は外国人と比して基本的には大人しく温和な性格ではあるものの、相手が自分に逆らえない、反抗出来ないとわかった際の狂暴性は異常と言っていいほどのものがあります。具体的には明らかに海外より多い駅員らへの暴力や精神病者を多数輩出するカスタマーセンターへのクレームなどがありますが、最近思うのは学校や職場でのいじめももしかしたらここからきているのではないかと見ています。
 一体いつから日本人はこの習性を持つようになったかですが、前にも書いた朱子学の上意下達が影響とか戦前の陸軍教育などいろいろ意見はあるものの、私の中、というよりは私のゴーストに囁かせるならどの意見も腑に落ちず、結局的にはそれらの教育的要素よりずっと以前の日本人の習性が影響しているのではないかというのが一番納得できます。ちなみに他国のいじめについては昔に外国人らが出演した番組で、日本ほどの陰湿さは持たないという意見が多かったです。唯一、韓国においては多少はあるものの、学校現場ではまだ教師の権威が強くて日本ほど発展はしないそうですが、軍隊内では先日も銃乱射事件が起きるなど根強いと聞きます。この辺を比較したらなんか出てくるような気がしますけど、詳細は次回記事に回します。

2011年9月3日土曜日

日本プロ野球、魔球の射手たち

 野球漫画ときたら魔球、と言われるくらいに野球における変化球というものはいろんな意味で人の注目を浴びます。まぁそういっておきながら自分が一番好きな野球漫画は魔球とか一切出ない、ちばあきお氏の「キャプテン」なんだけど。
 前からやろうやろうと思ってなかなか実現できずにいた企画ですが今日はその変化球に絞り、拙い私の知識ながらも現実のプロ野球選手の中でひときわ記憶に残る「魔球」と呼ばれるような変化球を投げていた投手とその球種を紹介しようかと思います。

1、伊藤智仁(スライダー)
 一番に持ってこないと怒る友人がいるので早速持ってきましたが、元ヤクルトの伊藤智仁選手とくればなんといってもスライダーです。生憎中国だとYoutubeがつなげられないのでもってこれませんが、実際に現役時の伊藤選手のスライダーを見てもらえばわかりますが、明らかに物理学の法則を無視した軌道で、バッターの目の前で真横に曲がっているようにしか見えません。もっともこんなとんでもないスライダーを投げられたのはもともと伊藤選手の方がルーズショルダーという、脱臼しやすい特殊な体つきをしていたからだそうで、そのせいか現役時代が短かったのは残念な限りです。

2、佐々木主浩野茂英雄(フォーク)
 現在でもアメリカでは普通に魔球として取り扱われるフォークボールですが、その使い手と言ったらなんといっても大魔神・佐々木選手とパイオニア・野茂選手の二人が自分の中で挙がってきます。二人とも日米球界で活躍したのはもとより、バッターからすると「目の前ですとんと落ちるため視界から消える」と言わせるほどの落差の大きいフォークボールを決め球として持っていましたが、それ以上に特徴的と言えるのはそのフォークを生かす速球の威力でしょう。二人とも全盛期の最高球速は時速150キロを超えており、それ故にバッターもフォークに対応できなかったと言われています。
 なおフォークボールの神様と呼ばれる杉下茂氏によると、現在のフォークボールはSFF(スプリット・フィンガー・ファストボール)などといった亜流が多く、本物のフォークを投げたのは自身と村山実選手、村田兆治選手、野茂選手、佐々木選手の5人を挙げています。それにしても日本は変化球にも神様がいるあたり、バラエティが本当に豊富な気がする。

3、藤川球児(ストレート)
 現在私が最も好きな選手の一人ですが、実際に野球選手になれたからよかったものの親にこんな名前を付けられると相当なプレッシャーものです。
 変化球と言っておきながらですが、藤川選手の投げる直球ことストレートもよく魔球として取り扱われます。藤川選手については何度もこのブログで取り上げていて誰も覚えていないでしょうが繰り返しになってしまいますが、私が2005年のシーズンで藤川選手の投球を見た際は文字通り目を疑いました。これも実際の動画を確かめてみればわかりますがどのバッターも藤川選手のストレートを空振りする際はいつもボール二、三個分下を振りぬくのですが、対戦したバッターによると「ボールが浮き上がってくるように見える」そうで、実際にテレビ画面で見ていてもボールの軌道が浮いているように見えます。それ故に私は当初、直球に近いシュートという変化球を投げたのではないかと思い、テレビでストレートと表示されても最初は疑ったほどでした。

4、潮崎哲也(シンカー)
 シンカー(スクリュー)という球は手首を捻じるようにして投げるため、ダルビッシュ選手ですら封印したほど肘などを故障させてしまいやすい球種です。ただ潮崎選手のようなサイドスローやオーバースローでは腕の振りと合わせて投げやすいそうで、それ故に現在のプロ選手でもオーバースロー以外の投手が投げることが多いように思います。
 そんな潮崎選手のシンカーですが、1番の伊藤選手同様にどこかで物理学を無視したような動きをしてました。当時のバッターからも来るのがわかっていても打てないと言われたほど変化する軌道が大きかったことはもとより、バッターから見て最初右に変化したかと思ったら急激に左下へ落ちてくるというタイミングの合わせ辛い球だったそうです。ゲーム中で私も潮崎選手と対戦しましたが、確かに相手していて「反則だろっ」って言いたくなる変化球でした。

5、ジェフ・ウィリアムス(スライダー)
 阪神ファンからするとバースと並び記憶に残る外人選手のウィリアムス選手ですが、いろんな意味で私の中のサイドスロー投手の常識を打ち破った選手でもあります。というのも私の中でサイド、アンダースローの選手というのはどこか非力な感じがして速球はそれほど速くないという印象があったのですが、このウィリアムス選手に至ってはサイドスローながら速球が時速150キロを超えるなどパワフルな投球をしており、それに加えて文字通り左から差し込むスライダーの凄さには目を見張りました。
 ウィリアムス選手は左利きなので左手からボールを投げるのですが、サイドスローゆえにほかの投手と比べてリリースポイントが大きく左にずれており、そこから放たれるスライダーというのは横一文字に大きく変化するのが特徴でした。ただ球が早い、投げるポイントがずれているとかいうのではなくともかく大きく変化するのが特徴で、なんでも空振りした右バッターに投げたスライダーボールがそのままぶつかるといったことが何度かあったそうです。現在ヤクルトの久古健太郎選手もサイドスローでスライダーを武器にしていますが、案外こういった投球方法は定着してくるかもしれません。

6、星野伸之今中慎二(スローカーブ)
 変化量が大きい変化球といったらこの二人を忘れるわけには行かないでしょう。両選手ともおおよそ野球選手にとしては似つかわしくないほど細身の長身選手で、ルックスと相まって現役当時は女性ファンなども多かったと聞きます。そんな二人ですが今中選手はまだ最高球速が時速145キロに達したものの、星野選手に至っては130キロ前後が限界というほど他の一般の投手と比べて非力さをあちこちから指摘されていました。しかし両者ともそれを補って余りある投球術に加え、時速100キロを切るとんでもなく遅いスローカーブを武器に、奇しくも同時期に長きに渡って活躍しておりました。
 これも当時に対戦したバッターらの証言ですが、左バッターからすると両者(どちらも左利き)が投げるスローカーブは大きく変化するために背中から入ってくるため、通常の構えからすると完全に一時視界から消えるそうです。しかもそんな遅い球を投げられた後だと速球との球速の落差に目が慣れず、それほど速い球でもない割に空振りを失してしまうことが多かったようです。
 それにしても星野選手の球速の遅さは色々とエピソードが多く、奥さんからは「私でも打てる」と言われ、完封勝利後に相手チームの西武の選手らから、「今日の星野は一段と遅い」、「ボールが止まって見えた」などと言われたそうです。個人的にはすごい好きな選手ですが。

7、渡辺俊介(シンカー)
 通称「地上3cmの男」ことマリーンズの渡辺選手は恐らく史上最も低い位置から投げつけるアンダースローという特殊な投球フォームばかりが取り上げられますが、何気にもっとすごいんじゃないかと思うのがシンカーボールです。というのも先ほどにも書きましたがシンカーというのは手首を捻じって投げることからサイド・アンダースローと相性がいいのですが、渡辺選手のシンカーはその特徴的な下手投げというフォームから捻じって投げる投げ方ゆえに、ドリルの回転と同じジャイロ回転をしていると言われています。これがどのような意味を持つのかというと、なんでも一説には渡辺選手のシンカーは自身のストレートボールより球速が早いそうです。原理はジャイロ回転をしているゆえに空気抵抗が低いとのことで、それ故に「高速シンカー」という名前が冠されています。まぁそれ以上に、そもそも渡辺選手のストレートの球速が130キロ台と低いのが大きいですが。

 ただこの渡辺選手についてもう少し付け加えると、先の星野選手、今中選手同様に体格に恵まれず中学、高校と二番手以下の投手に甘んじていたそうです。そこでどうすればいいかということで父親と、唯一の取り柄でこれだけなら誰にも負けたことのなかった体の柔らかさを生かして「アンダースローになるしかない」という結論から今のフォームに至ったそうです。その後大学野球時代もあまり注目されませんでしたが、投げていた試合を見に来ていた社会人野球の新日鉄君津の監督の目に留まったことからチームにスカウトされたそうですが、本人の著書によると当時の大学の監督は、「いやいや、今日たまたまあいつは調子が良いだけでやめておいた方がいいですよ(;´Д`)」と止めたらしいです。ひどいよ監督。
 しかしそうしたやや日陰者の経歴ながら現在では球界を代表する投手となり、ひいては彼の影響からアンダースローに挑戦する中学、高校野球選手も増えてきているといい、人生譚として渡辺選手の「長所にかける」生き方には強い共感と尊敬を覚えます。同様の選手では元阪神の赤星選手がいますが、一試合一試合のプレイとともにこうした選手らのバックグラウンドを知ることでよりスポーツが楽しめるのではないかと思い、こうしてまとめてみました。

2011年9月1日木曜日

野田新首相に対する中国紙の反応

 昨日はなんだかやけに眠くて十時半に床についたら、今日はなんだか躁気味にテンションが高かったです。こんなところで病気自慢をしてもしょうがないですがてんかん症患者は信長やナポレオンを筆頭として感情の上下が激しいとよく聞きますが、私に限って言えばあながち間違いじゃないように思います。それにしても最近になって、年寄り同士が顔を合わせると自分の病気の話から始めるというのがだんだんわかってきました。

 そうした無駄話は置いといて今日の本題ですが、日本での野田新首相誕生に合わせてこちらの中国現地紙でも各紙が一面で取り扱うなど、非常に大きく注目されています。その中でいくつか私が読んだ新聞ではまず今回の総裁選の結果をそのまま「意外」と書いてありましたが、これは恐らくその新聞に限らず中国全土のメディア、果てには日本メディアを含めて同じような感想を持ったことでしょう。
 というのも総裁選前は中国紙も小沢派肝煎りの海江田氏(中国語が得意らしい)と前原氏ばかり取り上げており、特に前原氏については外務大臣時代に中国ともいろいろやりあったことから首相として望ましくないというような論調が多かったです。もっとも私としては小泉時代ですら日中はそれなりにやってこれたんだから、前原氏が首相になったところで日中関係に影響はないとみておりましたが。

 そうした経緯はさることながら今回就任した野田首相については早くも、「歴史認識が肝心」と釘を刺すのも忘れてませんでした。恐らくこれは野田氏がかつてA級戦犯は犯罪者ではないと日本でもあちこちで報じられている過去の発言を得たものとも見ることができますが、そもそもの話として日本政府が中国と関わることと言ったら歴史問題以外はないと言っても過言ではなく、またまた引っ張り出しますが政冷経熱と言われた小泉時代ですら日中の貿易量は増えていったのだし、ほかに書くことがなかったのが現実でしょう。
 ただこれ以外に割といい点を突いているなと思ったところで、「財政立て直しを図るのか震災復興を優先するのか、難しい選択が迫られる」という論評がつけられていました。これについては前に書いた記事で私も書きましたが、野田氏は増税をはっきりと口にするなど根っからの財政健全派です。しかし先の東日本大震災での復興活動を行うに当たって大幅な財政支出は避けることは出来ず、この相反する課題に対してどう取り組むのかが今後の試金石となるでしょう。

 ついでなのでほかの政治系話題についても書いてしまいますがなんでも今回の総裁選の最中にこちらも立候補した鹿野氏は、決選投票前に海江田氏を支持するか野田氏を支持するのかをスーツを脱ぐことで自派閥に伝えたそうですが、ここはひとつ鹿野氏を見習って自分もこれから会議のたびにむやみやたらにスーツを脱ごうかなと画策してます。それにしても高校野球のサインじゃないんだからと思う一方、こういう古典的な方法を見るとなんか安心してしまう自分もいます。

 あと有力候補とみられながら落選した件の前原氏ですが、また今日も外国人献金が明るみになってとうとう合計金額が百万円を突破したそうです。一回目にまとめてわかるならまだしもその後きちんと調査していなかったのかただただ呆れるばかりですが、ここまでの迂闊ぶりを見ると本当にこの人は今回の総選挙で落選してよかったと一国民として思います。日本で既に誰か言っている人がいるかもしれませんしキツイ言葉だということは承知の上ですが、永田元議員はメール問題の際に自ら議員辞職しました。

2011年8月30日火曜日

情報媒体別の信頼性

 このところ自分も元気がないのか記事を一日に二本更新することがほとんどなくなりました。まぁその原因は元気がないんじゃなくて、「モンスターハンターP2G」と「太閤立志伝5」というゲームのせいなんですが、後者は今、敦賀でOLしてたけどある日脱サラして甲賀の里で忍者になったという設定のくのいちでプレイしていますが、上役からの仕事指示で茶道を教わりに通っている千利休から何度も茶碗を盗んだりしていていろいろと胸が痛みます。終いには悪名が高まり過ぎて、柳生宗厳に突然襲われたりするし……。

 そうした雑談は置いといて今日の本題ですが、昨日総裁選に勝利した野田氏は本日晴れて衆参の決議を経て首相に就任し、これからは野田首相と呼べるようになりました。さすがに昨日の今日ということで組閣にまではまだ至ってはいませんが、党内人事には小沢派、非小沢派からそこそこ信頼が持たれている輿石氏を幹事長に迎えるなど、当初の発言通りに党内融和を図った人事を進めているようです。
 実はこの輿石氏の幹事長就任ですが本日昼ごろにNHKが、「輿石氏、就任に難色」という報道をしていました。にもかかわらず夕方には輿石氏は承諾し、NHKも七時台のニュースで昼間の報道には全く触れずに就任報道をしていました。

 まぁいくら報道機関だからと言ってなんでもかんでも正しく報道できるわけじゃないし、時にはしくじることもあるでしょうからあまり気にするわけじゃないですが、タイミングがいいというかこういった勢い余ってしまったような飛ばし報道について、池上彰氏が日経新聞に対して言及する記事をたまたま読む機会がありました。

池上彰氏が日経報道姿勢に「苦言」 「日立・三菱重工統合」続報なぜ出ない(JCASTニュース)

 件の記事は上のものですが、確か今月初め頃にあった「日立、三菱重工が経営統合」という記事を日系が出したもののその後うんともすんとも続報を出さないでいる日経(ちなみに対象の企業側は報道を否定)に対して池上氏が苦言を呈したそうなのですが、元々日経には以前からこういう飛ばし報道をする癖があると指摘されており、キリンとサントリー合併報道でもほかのメディアが「そりゃないよ」としている中で日経だけは「合意間近」と主張し続けておりました。それ故に「日経は経済面以外はいい」とまで言われる所以なのですが、大新聞や大メディアであっても一見して怪しい情報はやはり怪しい情報として終わるという例によく使わせてもらっております。

 ここで話は変わりますが自分以上に反権力の塊みたいなある友人はやはりその思想上から記者クラブで囲い込みする大メディアをとことん嫌い、情報入手先として週刊誌をよく頼り、週刊現代とビッグコミックについてなら何でも来いというのが一人います。もちろんその友人は出来がいいために週刊誌から怪しい情報は拾わずに地味に面白い情報だけをきちんと選び取ってきて末恐ろしいのですが、私も確かに大メディアは嫌うものの、週刊誌はやはりメインソースには出来ないと考えています。
 というのも昔にリアルタイムで取り上げた週刊新潮の偽赤報隊事件犯人の記事などのように時たま大真面目に平気で大ウソをこくところがあり、「所詮は週刊誌」というスタンスで取り扱わなければ変なところで痛い目に遭うと感じるからです。だからと言って週刊誌など雑誌メディアに価値がないというわけじゃなく、現在取りざたされている島田伸介氏の引退を巡る騒動については明らかに大メディアは引いて報道する中で今年四月の段階からかなり踏み込んで報道するなど、大メディアの弱い部分については一程度の信頼は置けますし情報ソースとして重宝します。ちなみに2007年くらいに確か文芸春秋は当時の中田カウス氏の報道と合わせて、サイドビジネスに執心し過ぎるとして島田氏のことを取り上げていたような気がします。先見の明があるというかなんというか。

 こうした既存メディアに対し、近年新たに出てきたメディアとしてはこうしたブログに代表されるネットメディアです。インターネット新聞については一時は一気に広がると言われながらもやはり採算を取れるところは少なく未だにごく少数でしか運営されていませんが、基本的に私はネット発の情報は初めの段階では全く信頼しません。以前にも誰かが妙なコメントをしてきた際に取り上げましたが一部のネットメディアは本当に愚にもつかない情報を最低限の確認もせずに載せたりすることがあり、しかもアクセス数を稼ぐためなのかかなり刺激性で過激性に偏ったことを書いたりします。
 個人的には今後ネットメディアもこうした情報の確証性などを組合かなんか作って高めていき、他の既存メディアと並ぶような存在になってほしいとは思うものの、現状ではまだそこまで望むべくもありません。まぁどれか一つのメディアに偏るのではなく、状況に応じて使い分けるというのが一番ベストであることに変わりはないですが。

2011年8月29日月曜日

野田氏の民主党総裁就任について

 このところ政治系記事から遠ざかっておりましたが、久々に大きく取り上げるニュースが入ってきました。
 すでにあちこちで報じられていると思うのでリンクは貼りませんが、本日行われた管首相の後継を巡る民主党代表選挙の結果、現財務大臣の野田佳彦氏が当選しました。与党民主党の代表ということで事実上次の総理就任が確実ですが、私の感想はというと意外な結果でした。

 今回の民主党代表選挙ですが、私の予想では第一回目の投票では小沢派が推す海江田現経産大臣が一位になるも過半数は獲得できず決選投票となり、その決選投票を経て前原氏が勝つんじゃないかと思っていたのですが、ふたを開けてみると一回目の投票で二位となったのは野田氏で、二回目の投票でも海江田氏を破っての当選となりました。前の記事で「小沢派は言われているほど影響力はない」と書いてしまってたのもあり、海江田氏が落ちて実はホッとしました。

 それで当選して次の首相になる野田氏についてですが、正直なところこの人の持つ政策案や人物は未知数なところが多いです。最近日本の情報から遠ざかっているのもありますが、私が唯一といって野田氏について知っていることはその財政方針が増税・健全化派だということです。
 かねてから野田氏は与謝野氏同様に財政健全化のためには増税が必要だと主張しており、なんかあっちこっちでもう書かれていますが一日二箱を消費する程のヘビースモーカーにもかかわらずたばこ税増税を自ら手掛けています。私も与謝野氏、野田氏同様に増税やむなし、下手すりゃ震災だからと言い訳せずに果断に実施すべしというくらいの立場であることから、この点については野田氏に対して好感が持てます。

 またこのほか今日になって焦って経歴とかも調べましたが、現在の管首相同様に野田氏も二世議員ではなく完全な叩き上げの議員であることも期待感が得られます。管首相もたたき上げであることからこれまでの二世議員と違って、辞任発言をしたにもかかわらずなかなかやめようとしないなど余計なくらいにタフでありましたが、近年の日本の政治的混乱は安倍首相に始まるすぐに交代する首相職が大きな原因であることから、是非とも野田氏も生半可な批判程度には負けずに任期を全うしてもらいたいものです。

 なんかつぎはぎだらけの文章が続いていますがもう一つ野田氏を持ち上げるエピソードを挙げるとすると、ちょっと時期は忘れましたが円が急騰を見せた際に記者からコメントを求められ、「状況を注視して見守っていく」と発言したことが確かありました。この発言の後、あくまでネット上ではどれだけのんきなことを言っているんだ、無策な人間だなどと激しく野田氏を批判する声が見かけられましたが、私はこの野田氏の発言を見て意外にしっかりした人だと感じていました。というのも当時の状況(現在もだけど)で日本が円高に対して打てる手段なんてないに等しく、具体的な手段に言及しようものならその程度しかもう政府には手が残っていないのかと懐を見透かされる恐れがあり、それであるのなら何も言わずに手段があるのかないのかを敢えてぼかし牽制するのが一番と考えており、まさにそのように野田氏が発言したのを見てああいう場での発言をよくわきまえている人だと思いました。

 と、こんな感じで折角の新首相なのでやや持ち上げるようなことを多く書きましたが、マスコミもすでに言及しているように野田氏を待つ現状はお世辞にも楽な環境ではありません。まず求められるのは震災被災者に対する支援と復興対策ですが、物事を決めようにも衆参でねじれ現象が起きており、なおかつ民主党内もいつものことですが一枚岩ではないために党内運営ですら困難が予想されます。また仮に総裁選前に前原氏が公約に掲げた自民党、公明党などとの大連立が起きたとしても、恐らく所帯がでかくなるだけで現在の民主党と同じ内部抗争を繰り広げるだけに終わる可能性が高いです。
 ではどうすればいいかですが、一つ考えられるのは自民と大連立した上で掲げる政策に同調できない議員らを党内から追放し、政界再編を敢えて起こすことです。リスクは高いですが成功すれば衆参のねじれを解消した上で政策を一本化し、安定基盤を作ることができます。もう一つの案としては現民主党体制を維持した上で、世代交代を進めることです。こっちの案については詳細を省きます。

 とはいえ、今の日本の状況を考えると誰が首相になるかよりもどのように首相を切り盛りするかが大事です。一国民として必要であれば引きずり降ろすべく批判しますが、そうでない場合は可能な限り応援したいと思います。

2011年8月28日日曜日

儒学の反骨性

 よくネット上などで、「日本は儒学社会だから社畜が多い」などという言葉を見かけます。この言葉の言わんとしていることは「お上に何でも従え」と教える儒学概念が日本では強いため、外国人からしたら劣悪以外の何物でもない雇用環境でも文句も言わず働く日本人が多いという意味ですが、後者の部分はともかくとして前者の部分には「異議ありっ!!( ゚Д゚)」と言いたいです。私は確かに真剣に儒学を学んだわけじゃありませんが、儒学は上意下達な学問ではなく、むしろ反骨心が高い学問だとみているからです。

 そもそもの話として、日本で儒学と言ったらほぼ間違いなく朱子学を指します。この朱子学というのは私の恩師に言わせると、「儒学の中でも極左的なもの」だそうで、中国でも一時国学化されたものの決して全土で流行ったものじゃなかったそうです。しかし何故かその極左的な朱子学は上意下達で為政者にとって都合がよかったことから朝鮮半島、そして日本では流行ってしまい、中国本国とはまた違った儒学がそれぞれの国で発展することとなりました。

 では元々の儒学はどうなのかということですが、儒学と言ってもたくさん学派があるのでひとくくりは出来ないもののその一番のバイブルとなっている「論語」においては結構反骨心が高い記述が多く、むしろ効かん気の強い学問ではないかという風に感じるところが多いです。
 そう思うような具体的な個所をいくつか紹介すると、「もし主君が正道を務めないようであれば諌め、それでも改めなければそっと離れなさい」という記述があります。これは主が間違った行為をしているようであれば批判を恐れず諌め、それでも行動を改めようとしないのであればその主君に付き従ってはならない、むしろ協力するなという意味です。またこれ以外にも間違った方向へは自分の才能は使ってはならないなど、ゆくゆく仕えるべき主君についてあれこれ注意がなされております。

 実際に古代における中国の儒学者の経歴を見ると、頑固というか言うこと聞かない直言居士ばかりが目につきます。当時から一流の儒学者だった司馬遷はもとより、今のアカデミックの主流が反権力を掲げているのと同様に儒学も権力に対して批判的な立場であるのが正位置なのではないかと思います。
 それ故に最初の話に戻るのであれば、今の日本社会は邪教がはびこったせいでいろいろおかしなことになっているのではないかと私は思っている、というか常日頃から主張しています。人間もちろん我慢が出来るというのは美徳ですが、度が過ぎた我慢というのは周囲をも巻き込み全体を不幸にしてしまうと考えます。友人などから話を聞きますが冗談抜きでどうして過労死にならないのか、なったとしても誰も気に留めないのか、年末に毎日のように人身事故が起きても誰も気に留めないのかと思うくらいの今の日本の状況においては、嫌なものは嫌とはっきり拒否する勇気が必要なのではないかと思い、本来の儒教にある価値観こそが今求められているのではという気がします。

 ちなみに日本におけるもう一つの有名な儒学の学派は陽明学がありますが、こちらも日本に伝わる途中でちょっと変遷を受けて「実践第一」が妙に重んじられるようになりましたが、そのせいか著名な日本の陽明学者は吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山と、反体制思想の塊のような面々が集うようになってしまいました。もし仮に私が為政者の側であったら、朱子学は弊害が大きいと判断して採用しない程度でほっとくでしょうが、陽明学においてはさすがにあれなんで流行らせないようにするかもしれません。

 最後にもう一つ蛇足ですが実践という話ではよく、「義の無き信念は無に等しい」という言葉を私は使ってます。これは原作:武論尊氏、作画:池上良一氏の漫画の「HEAT -灼熱-」という漫画に出てくるセリフですが、セリフが出てくるシーンのネタバレをするとアメリカで弁護士をしていた主人公の父親が世話になったマフィアのボスから、黒人への銃乱射事件を起こした白人の少年の弁護を頼まれます。目撃者も多くいたことから有罪確定とみられた裁判は主人公の父親の腕もあり無罪へと傾きますが、この父親の行動に子供だった主人公は強く反発します。
 そして裁判では最後に無罪判決が下りて裁判所から喜んで白人の少年は出てくるわけですが、主人公の父親はその背後から少年を射殺すると、自分の保険金は事件の遺族らに渡るよう手配していると言って自殺します。その父親から主人公への遺書に上記の言葉が入っているわけですが、頭で考えるだけでも駄目、実践するだけでも駄目という意味でこのエピソードをよく思い浮かべるようにしています。

2011年8月27日土曜日

各国の輸出依存度統計について

 先日自殺率について書いた記事で、「日本が最も自殺率が高いと思っていた」というコメントを受けました。実をいうと私もかつて自分で統計を調べてみるまでは同じように、恐らく1~3位には必ず入っていると漠然と考えていたのですが、実際にデータを調べてみると上には上がいるというか2010年度で日本は6位でした。
 しかしこのように「日本は自殺が最も多い国」と誤解するには、断言してもいいですがマスメディアのミスリードが原因でしょう。テレビなどで自殺が取り上げられる際には枕詞のように「先進国中最も自殺率の高い日本」という言葉が付け加えられますが、仮にこの言葉通りだと日本より上位のロシアはG7に入ってるのに先進国ではないということになります。まぁ確かに日本の自殺率は高い方ですが。

 実は最近、この自殺率と同じように実際の統計データを見てみて激しく誤解していたことに気が付いたことがありました。その統計データというのは最近あちこちでちらほら見かけるのでもしかしたら皆さんも知っているかもしれませんが、今日の題になっている輸出依存度です。

統計局ホームページ 世界の統計第9章 貿易

 社会学やっている人間からすれば必ず知っておかなければならない、というより知らなかったら冗談抜きで社会学を真面目にやっていないと言ったっていいくらいの上記統計局ホームページですが、今回私が参考にしているのは、「9-3 貿易依存度」のところにある貿易依存度のエクセルファイルです。このファイルの中には「輸出依存度」といって、どれだけその国が輸出で生計を成り立たせているのかということを示す指標があります。ちなみに計算方法は、以下の通りです。

  輸出額(FOB価格)÷国内総生産(GDP)=輸出依存度

 どうでもいいですがFOBというのは「Free on board」の略字です。最近はクーリエが流行って輸出もCIFで出すことの方が多いのですが、貿易事務屋からすると輸出も輸入もEx worksでやった方がコストの計算がしやすくて助かります。
 そういうどうでもいい愚痴は置いときまして、早速主要国の輸出依存度を紹介します。

<各国の輸出依存度(2008年)>
日本:16.1%
韓国:45.3%
中国:33.0%

シンガポール:179.0%
香港:168.6%
タイ:63.4%
アメリカ:9.0%
カナダ:29.9%
ブラジル:12.1%
イギリス:17.1%
イタリア:23.5%
ドイツ:39.5%
フランス:20.8%
ロシア:28.1%
オーストラリア:18.0%
ギリシャ:7.3%

 統計局のデータでは2009年度のデータが最新ですが、2009年はリーマンショックの影響で世界中で輸出量が大きく目減りしているので、2011年の現状に近いのは2008年ではないかという判断から敢えて2008年データを引用しました。
 このデータを見てもらえばわかる通りに日本の輸出依存度は16.1%で、実は先進国中ではアメリカに次いで低い(ギリシャの7.3%を除いた場いい)という、かなり特異な国だったというわけです。ちなみにシンガポールや香港といった、中継貿易が非常に盛んな国は100%を超えており、元データを見てもらえばわかりますがこの二カ国は輸入依存度でも100%後半に位置しています。

 こういうのもなんですが、GDP規模が小さい国であれば輸出依存度が低くてもまぁありかなという気はするのですが、日本ほどのGDP規模ながらこれほど低い輸出依存度で経済が成り立っているというのは異常な気がします。アメリカの場合はドル体制と財政赤字無視できるという環境があるからまだ理解できますが、よくこれで維持できるなというのが最初見た時の感想です。
 もう少し解説を加えると、輸出依存度が低いということはそれだけ内需の規模が大きいということです。つまりこの数値は日本は内需規模が非常に大きいとともに、必ずしも輸出に依存し切った経済ではないというのを表しています。

 私はこれまで日本というのは内需が小さい国であるから、輸出産業がなければ経済を維持することができないとずっと教え続けられてきました(特に親父から)。しかし上記統計だけで判断するのは早計かもしれませんが、このデータを見る限りですと日本は他国ほど輸出に依存しておらず、内需規模も実質にはかなり大きな国ではないかという気がしてなりません。逆に日本より輸出依存度の高い韓国などは日本の円高以上にウォン高が韓国全体の経済に与える影響は大きく、世界的な景気の影響を受けやすいとも聞きます。

 ……ここでもう記事を書き終えてもあまり問題はない、というかそうした方が差し障りはないのですが、もう少し深く突っ込むとどうして私を含め日本人は「輸出がなければ日本はやっていけない」と考えるのでしょうか(うちの親父を含め)。もちろん内需規模が大きいから輸出産業を疎かにしていいわけでありませんし、むしろ低いのだからもっと引き上げるような努力をやるべきという前向きな意見にまとめても良いのですが、その輸出を増やすために日本は何をしてきたかということです。
 ここで私が言いたいのは、自動車メーカーや家電メーカーといった声のでかい産業企業らが必要以上に日本人の輸出に対する不安を煽って、自分たちの都合のいいように世論や政策を動かしてきたのでは、ということです。今の円高にしたって輸入産業にとってはプラスに働くのですが、そういった方面の景気のいい話はほとんど聞こえず、自動車メーカーや家電メーカーの嘆き節しか報道されていないような気がします。

 そりゃ人間誰だって自分がかわいいはずですし、自分たちに都合のいいように物事を動かそうとするでしょうしそれが悪いことだとは私は毛頭いうつもりはありません。しかし根が真っ正直で真面目に嘘がつけず就職活動で苦労した私からすると、現実を覆い隠すような策謀をする人間は大嫌いですし、二次大戦中の日本みたいに虚飾ばかりの情報が流れていると世の中必ず悪くなるという確信があります。
 くれぐれも言いますが輸出依存度が低いからって日本は安心していいわけじゃありません。ただ輸出ばかりどうこうしようというのではなく、内需においてももっと考えられる方向性を考える道もあっていいのではないか、輸出産業ばかり保護する必要はあるのかというのが、今日の私の意見です。

 今日も太閤立志伝5ばかりやってたから、記事書くの遅れてしまったな(;´Д`)