ページ

2012年1月9日月曜日

日本は不況なのか

 なんかこのところ短い記事が続いているから今日あたりは長い記事を書こうとビゴーについて調べたりしてましたが、どうもそんなノリになりきらないので今日もまた短めになりそうです。ただ文章量は短い一方で、表現なんかはやけに調子がいいのが気になるんだけど。

 それでは本題に入りますが、先月の香港滞在中にやってきた友人とあれこれ話した中に、香港の景気の話がありました。現在、というより去年の香港の景気は本人らも認めるくらいにバブリーともいえる好景気で、日本で言えば丸の内に当たるセントラルの地価が一時は歴代最高にまで高騰した1997年の香港返還時を上回ったくらいでした。
 そうした私の話を聞いて友人も、街中を観察するにつけ「確かにバブルだよなぁ」とため息をよく漏らしていたのですが、そんな友人に対して私は、「そんな香港にいるからこそよく思うが、今の日本はみんな不況不況というけど俺には好景気を謳歌しているようにしか見えない」と話しました。

 普通に考えれば誰だっておかしいと思うし私自身もなんか間違っている気がしないでもないですが、それでも私は奇をてらってではなく真面目に日本の景気はいい状態だと考えています。国内だけ見ていると景気の悪いニュースしかありませんが、国際的に比較するなら日本の経済データは間違いなくほとんどの国を上回っており、こういってはなんですが景気が悪いと言うことがなにかおこがましいような気すらします。
 具体的なデータを片っ端からあげていくと、若年失業率は欧州先進国でも20%以上いくのが当たり前だし、物価と比較したパートタイムの給与も十分生活していけるどころか貯蓄すら貯められる、失業しても各種手当を受けられる、そしてなんといってもこれだけの円高にもかかわらず企業がなかなか潰れない点も見逃せません。

 さらに言えば、恐らく日本ではそれほど大きく報じられていないかと思いますが中国や香港では毎日と言っていいほど欧州の債務危機問題が経済紙に大きく載ります。それだけ危機感も強ければこの問題が悪化することで被る影響も多いからでしょうが、日本はいくらなんでもと思うくらいに報道に温度差が感じられます。この理屈は単純で、別に欧州の景気が悪くなったところで日本は中国をはじめとしたほかの国ほど影響を受けないからで、現実に今私が欧州での取引が多い企業を挙げるとすれば自動車のマツダくらいしか浮かびません。逆を言えば今後のマツダの経営が非常に気になるんだけど。
 さらにさらに言うと、世界的に見ても銀行を始めとした日本の金融系企業は現金もたらふく持っており、あっちこっちで悲鳴が上がる中でかなり余裕綽々な状態に見えます。中国の銀行も同様に大量の現金を持っていますが、今の日本は円高ということもあって今年は欧州系企業の大型買収が一気に進むんじゃないかと内心見ています。去年武田薬品がどっかの製薬企業を買収してその買収額が大きくニュースになりましたが、今年に入って1ユーロ=100円を切ったけど支払いはもう済んじゃったのだろうか。

 こういう風に思うのも海外にいるからかも知れませんが、厳しいことを言えば今の日本は余裕があるにもかかわらず苦しい苦しいと言って、苦しい振りする自分に酔っているようにしか見えません。ハングリーさを持てとは言いませんが、必要以上に自分を卑下するのは現状認識を危うくさせるだけだというのが今日の私の意見です。

2012年1月8日日曜日

与謝野晶子の教科書の扱いについて

与謝野晶子(Wikipedia)

 与謝野晶子とくれば明治から昭和にかけて活躍した女流歌人として中学生以上の日本人なら誰もが知っている人物ですが、実はここだけの話、私は教科書における彼女の扱いにかねてから不満を持っております。別に与謝野晶子に対して何か恨みがあるわけでもないですし彼女の業績、そして和歌は素人ながら高く評価しているのですが、日本の教科書では「日露戦争に対して和歌で反戦を主張した女性」として紹介されるのが我慢ならないのです。

 件の和歌というのは言うまでもないでしょうがいわゆる「君死にたまふことなかれ」で戦地に赴く弟の身を案じる歌だったのですが、確かにこの和歌が発表された当時は国よりも家族のことが大事なのかといろいろ批判を受け反戦思想家と思われたようですが、恐らくこの時の与謝野晶子の心境というのは単純に、戦争どうこうは無視してその歌の通りに弟のことだけを心配していただけかと言われております。というのも後年、与謝野晶子は第一次大戦、二次大戦の頃には「ガンバレ日本!」ってな感じの、日本の戦争勝利を祈るようなかなり好戦的な和歌を詠んでいるからで、本人も言っていますが根っからの反戦主義者でなかったというのは間違いないと言っていいでしょう。

 にも関わらずここまで与謝野晶子が「反戦主義者」として現代日本で祭り上げられているのは、はっきり言いますが橋本大阪府知事が現在目の敵にしている日教組をはじめとした一部の集団による事実歪曲があったからでしょう。こう考える根拠として、日露戦争時より明らかに言論弾圧が激しかったにもかかわらずシャレや冗談抜きで徹頭徹尾で反戦を主張し政府を批判し続けた、石橋湛山については「反戦主義者」として教科書では教えられていないからです。この理由はあくまで私の推測ですが、石橋湛山は戦後に自由民主党に在籍したからだと思います。

 一応、日露戦争時の反戦主義者としては与謝野晶子のほかにも内村鑑三(この人は根っからの反戦主義者、ってかお上嫌いだった人)もよく一緒に教えられていますが、私は与謝野晶子を反戦主義者だったと教えることは彼女の実情から認識を遠ざけてしまうと考えており、「まぁこんな歌も歌ってたよ」と教えるくらいの方がいいと思っています。

2012年1月7日土曜日

茶のしずく石鹸問題に対する消費者庁の不作為

消費者庁「茶のしずく」報告見過ごす 注意喚起に遅れ(朝日新聞)

 当初は見送ろうと思っていた事件ですが、やはり記録のために一筆書いておくことにします。
 発端となる事件は福岡県のせっけん製造販売会社「悠香」が販売する「茶のしずく石鹸」の利用者の間で、小麦アレルギーが発症したことでした。既に報道で知っている方も多いでしょうが、それまで何の不自由なく生活していた利用者たちはアレルギーの発症によって小麦を使った食品が一切食べられなくなったそうで、深い同情を覚えるとともに事件を引き起こした連中に対しては強い憤りを覚えます。

 ただこの事件で許せないのは販売する前にアレルギーの可能性を考えて検査をしなかった悠香はもとより、事件報告を受けていたにもかかわらず放置し、発表を遅らせたことで事件を拡大させた消費者庁の存在です。上記の朝日のリンク先によると、消費者庁は事件報告を受けてから注意喚起するまで七ヶ月も要しており、もし即座に発表してさえいれば被害の拡大が一程度防げたでしょう。今日の報道によると少なくとも569人が発症しており、潜在的な被害者は4桁にも上ると推定されております。

 こんにゃくゼリーに対する粘質的な態度をはじめ、かねてから私は消費者庁には強い疑念を持っておりました。福田康夫元首相は辞任時の記者会見にて在任時の成果としてこの消費者庁の創設を挙げておりましたが、仮に消費者庁が存在などせず従来の部署がこの茶のしずく問題に当たっていれば被害の拡大を防げたかもしれないと思うと、随分と余計なものを作ってくれたものだと思わざるを得ません。あれだけこんにゃくゼリーに構っている暇があったのに、どうしてこの問題には常識的な対応が取れなかったのか疑問極まります。ただの張りぼてなど必要なはずはなく、早めに消費者庁は潰れてくれた方が世のためだと私は考えます。

艾未未氏への報道の違い



 上の写真に写っている建物は皆さんお覚えでしょうか。これは北京国家体育場と呼ばれる体育館で、2008年の北京五輪の際に一つのシンボルとして建てられたもので、通称「鳥の巣」と呼ばれております。自分の目から見てもこの建物は非常に前衛的かつ目を引く外観で、こう言うとひどいですが中国でこんないいセンスした人なんていないだろうし、これを設計したのはきっと海外の有名デザイナーかなんかだろうと本気で思っていました。

艾未未(Wikipedia)

 ところがどっこい「鳥の巣」を設計したのは紛れもない中国人で、上記リンク先の艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏でした。ちょっと中国をなめすぎだと、この件については至極反省しております。

 ここでちょっと紹介に入りますがこの艾未未氏は前衛芸術家としてかねてから中国はおろか世界中で活躍しており、そうした実績からこの「鳥の巣」の設計デザインに加わったとされます。ただそうした国家的プロジェクトに絡む一方で人権活動家としても有名で、中国政府に対しても本当に容赦ない批判を繰り返しており、北京オリンピックについても途中からは開催に反対して開会式にはとうとう出席しませんでした。
 彼の名がある意味日本で大きく報じられるようになったきっかけは2008年の四川大地震で、この際に被害状況を隠そうとする政府をブログ上で批判して正確な実態調査を要求しております。ただ中国でこうした行動は出る杭が打たれるというかこれ以後は当局から物凄いマークがかかるようになり、去年四月には香港に行こうと空港に来たら突然逮捕連行されてその後2ヶ月間も音信不通となりました。最終的にはイギリスをはじめとした海外から散々批判を食らった当局が、「疑いは晴れた( ゚Д゚)イッテヨスィ」と言って釈放しましたが、まさか真に受ける人はいないでしょう。

ヌード写真で支援拡大、艾氏のわいせつ容疑に抗議(共同通信)

 そんな感じでいろいろと嫌がらせを受けている艾未未氏ですが、ちょっといいリンク先が見つからなかったので変な見出しの記事となりましたが、去年十月にも当局から突然奥さんの会社が数年前に脱税していたという指摘を受け、確か数週間以内に莫大な追徴課税を支払うように、もし払えなければ収監すると言われました。
 もうこの時点でいろいろとあれなのですがやられた方の艾未未氏もやはり只者ではなく、「ネットのみんな、オラに現金を分けてくれヽ(゚д゚)ノ (後で必ず返すから)」と、なんとネット上で幅広く募金を呼びかけたのです。その辺について上記のリンク先の記事も書いているのですが、なんとこの呼びかけに約3万人が応じ、総額で1億円以上もの募金が集まったそうで余計に当局を警戒させる結果となったわけです。

 自分はこの辺の過程を香港にいた頃に新聞でリアルタイムで読んでいたのですが、敢えて当時は記事にせず、上海に戻ってから書こうと考えていました。何故かというと勘のいい人ならわかるでしょうが、この事件を中国現地では報じていたのかが気になったからです。多分どっかが報じてはいたと思いますが、上海の同僚に聞いたら「そんなことあったなんて知らなかった」と述べており、やはり報道規制があったような気がします。
 逆に香港はというとこのニュースは比較的扱いが大きく、やはり本土の人権関係について熱を持って報道しているような気概が感じられます。また取材についてもなんていうかイギリスのパパラッチ顔負けなところも多く、鄧小平の死を最初に報じた(病院のドアの隙間からベッドを激写)悪名高い蘋果日報(アップルデイリー)という日刊紙は、「読者が求めているのは裸体と死体だ!」をスローガンに毎日呆れるような取材記事を載せていました。ただ交通事故死者の死体をモザイクなしで載せるのは勘弁してほしいけど。

2012年1月6日金曜日

香港で飛び交う言語

 中国語を使って仕事しているのだし、たまには語学の話をします。
 香港で使われる言語と聞いたら、皆さんは一体何を想像されるでしょうか。答えを言うと香港では大まかに分けて広東語、中国語の標準語に当たる北京語、そして英語が使われており、官公庁サイトなどでは各言語別にページが設けられるなどマルチ言語な地域です。このうち最も使われるのは広東語で、ほかの二つについて言えば香港人からすればやはり外国語として捉えられているような気がします。

 ただ外国語と言っても、英語についてはやはり通じやすいです。上海や北京といった中国本土の年では本当に簡単な英語すら通じないくらいで、ここだけの話、よく英会話教室などが「日本人はアジアで一番英語が下手だ」と煽ってきますがこれは絶対嘘で、中国人の方が明らかに英語のレベルは低いです。しかし香港に限って言えば元々イギリスの植民地だったこともあって一般市民に至るまで英語のレベルは非常に高く、日常会話程度だったら難なくこなす人間が多いです。けど中にはあまり上手じゃない人もいて、夜中のマクドナルドでオーダーし辛かったりして結構困ったりするんだけど。

 もう一つの北京語については、中国返還前と比べて大分普及したとは言うものの私の実感では通じる人、通じない人で半々くらいな感じです。文語は全く一緒なので仕事で翻訳する際は繁体字に慣れればどうというわけではありませんが、日常生活だと意外と北京語が通じなかったりするのでどちらかと言えば英語を用いることのが私の場合多かった気がします。
 ちなみにこれは留学中も幾度か経験しましたが、香港のような場所だと使用言語を英語か北京語かで使い分ける必要があるため、頭の中で非常に混乱します。なんていうか頭の中で英語と北京語の単語が飛び交い、変な時なんか「I prefer ferry to 地鉄」など、ごっちゃになって出てくることだってありました。

 そういう意味で上海に戻った今、基本的に使う言語は北京語オンリーなためにこうした妙な混乱は収まり、なんていうか非常に会話がしやすくなりました。19ヶ国語が出来た南方熊楠なんてどういう頭の構造してたんだろうなぁ。

論理的に正しいもの、破綻したもの

 基本的に議論というものは「自分の意見を通す」ということではなく、「論理的に最も正しい意見をみんなで共有する」ということが目的だと私は考えております。そのため議論中に相手の意見、もしくはその場で出てきた案が最も論理的な正当性を持っていれば、当初持っていた自分の意見を捨て去る必要もあります。中にはこの原則を持たず、やはり自分の意見を通そうと場合によっては怒鳴ったりするなど脅しを手段とする人もいますが、はっきり言ってそういう方々とは議論をする価値もないと言っていいでしょう。

 ただここで勘違いしてもらいたくないのは、論理的に正しいことが必ずしも現実に適用する際に上手く作用するというわけではないということです。一例をあげるとマルクスの考えた社会主義は論理的には確かに通らないこともないのですが(人間の意欲は完全に無視しているけど)、実際にその通りに作り上げたソ連は社会的にも閉鎖した国となり崩壊しました。私の友人なんか、「あれは人類史上、最も壮大な社会実験」と言い切ってますが。
 論理的に正しいのにうまくいかない理由というのは私は単純に、人間の知恵には限界があるせいだと思います。それこそ先ほどのソ連の例だと人間の勤労意欲や欲望を無視していることもさることながら、共産党の一党独裁政権となることから密告社会になってしまったという可能性が見落とされておりました。無論その可能性に気づいていたところでどうにかなるわけじゃありませんが、概してこういう失敗パターンは「想定外」の事態によって起こり得ます。

 そういう意味では、実際に成功を収めたプロジェクトの多くはそういった想定外の事態に対する対応、それこそ石橋を叩いて渡るような慎重さで準備がなされているように思います。もしくは想定外の事態に立ち会った際、必死でリカバリーを行ったアポロ13や日本の探査機「はやぶさ」といった例でも最終的に成功へ至っております。
 自分もそうした成功するプロジェクトにあやかろうと何か計画を立てる際は比較的に余裕を持たせるというか、細かい内容までは敢えて決めず、応変に対応できるようにして臨むことが多いです。ただあまりにも細かいことを決めず大雑把すぎて失敗することも多いのですが。

 話を戻しますが、やはり基本的には論理的に正しいことは現実面でも重視するべきです。たまに頭の中だけで考えた通りに行くはずがないと頭から論理を否定する意見も見受けられますが、やはりこれは問題のある意見だと思います。というのも今日一番に言いたいことをここで書きますが、論理的に正しいことが必ずしも正しいというわけではないものの、論理的に破綻したものはまず以って正しくはないと言えると考えるからです。論理的に破綻しながら実行されてやっぱり失敗した例は本当に数限りなくありますが、昔で言えばシミュレーションで必ず負けると出ていながらも「勝負はやってみなきゃわからない」で開戦した太平洋戦争、最近の例だと「津波は起こらない」と可能性を捨てきった福島原発。

 この頃の政治を見ていて、どうして論理破綻していて明らかに取り合う必要もない案件についてもぐだぐだ言い合いを続けるのかとよく思います。その筆頭は八ッ場ダムの問題で、過去数十年にもわたって工事に移れなかったというだけでもその建設価値が疑わしいのに、建設の根拠とされた国土交通省作成のデータが実は都合のいいように改ざんされていたにもかかわらず、どうしてまた建設へと舵を切るのか理解出来ません。論理がすべてではありませんが、ここまで無視するのは冒涜もいいところだと感じます。

2012年1月3日火曜日

「中国人男性との結婚が日本人女性でブーム」という誤報について

 明日から日系企業が仕事始めになるので自分らメディア関係、特に編集職は今日から仕事でしたが、新華社のサイトを見ていたら気になる見出しの記事が見つかりました。どうでもいいですが、なんかOperaの最新版で新華社サイトを開いたら延々とリロードしてえらいことになるのだが……。

日本女性流行“吃中国餐,嫁中国男”(国際在線)

 リンク先の記事は中国語ですが、見出しを邦訳すると「中華料理が食べたいなら中国の男に嫁げ、日本人女性の間で流行」と書いており、記事の中身も最近の情けない日本の男と比べて中国の男は頼もしくて優しい、そんな中国人男性と結婚する日本人女性が増えているという内容なのですが「どこが?(ヾノ・ω・`)ナイナイ」と思わず口に出しそうになりました。
 それで記事に書かれている「中国信息研究機構代表の武石健」というのがどんな奴か調べてみようと思って検索してみたところ、なんと全く同じ内容が2009年の12月にも出ていたことがわかり、レコードチャイナも取り上げて全文をきちんと訳していました。

<レコチャ広場>日本の男は無能!?「中国の男」との結婚が日本人女性にブーム(1)(レコードチャイナ)

 元記事の時点でいろいろ突っ込みどころが満載なのですが、2年前に全く同じ内容の記事が出ているあたりここで書かれている内容はまずもって嘘も嘘、誤報と言って間違いないでしょう。第一、日本人女性と中国人男性の結婚が増えていることが現象として起きているのであれば自分の耳にも入ってくるでしょうに。

 ちなみに私の知り合いには中国人男性と結婚した日本人女性、中国人女性と結婚した日本人男性がそれぞれおりますが、二人とも婚姻証明を出す際に窓口の人から、「あら、あなたたちは外国人カップルなのにお互いに年が近いのね」と、全く同じ言葉を言われたそうです。というのも中国で外国人カップルの結婚というと大抵が「愛人」との結婚だからだそうで、最近はまだ普通の恋愛結婚も増えているようですがどうも窓口の人からはそう見られているようです。

 あとこれは香港人女性と結婚した私の中国語の恩師が言っていた言葉ですが、「愛は国境を越えられるとか言う奴がいるが絶対に越えられない文化の壁というものは必ず存在する。如何にお互いが妥協するかだ」とやけに力説していましたが、これを以前の会社の上司や先輩に話したところ、「別に外国人じゃなくとも普通夫婦は妥協してなんぼだよ(´ω`)」とみんなして言っていました。