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2012年1月20日金曜日

今日の大相撲の取組(#゚Д゚) プンスコ!

 うちの会社は一応メディア企業らしく編集部の中にはテレビが置かれており、中国の経済チャンネルとNHKをずっと映しております。なので今日は仕事の傍らチラチラ横目で大相撲の取組を見ていたのですが、思わず机を叩きなくなるほど見ていてカチンとする取組がなんと二本もありました。

把瑠都変化に「帰れ」コール連呼/初場所
日馬「だますような相撲だった」/初場所(日刊スポーツ)

 取組内容を説明すると、ちょうど優勝争いをしている把瑠都(「ばると」で一発変換出来たよおいおい)と白鵬(こっちも一発だ!)の取組で、なんと二度も立ち会いの変化が起きたのです。相撲をあまり知らない人に説明すると「立ち合いの変化」というのは取組が始まるやいきなり横によけて相手を後ろからついて送り出す、いわば不意打ちのような手段を指します。本来相撲は真正面から力士同士がぶつかるからこそ価値があるので、確かに変化をやってはいけないとは定められてはいないもののこれを使ったらやっぱり評価はしてもらえず、観客も勝った力士に対して誰も拍手をしないのが決まりです。

 私としてはまぁこれも駆け引きなんだし、平幕なら一場所に一回くらいならやってもありなんじゃないかなとは思うんですが、これが横綱や大関だったら話は全く別です。横綱や大関はその地位からして最上位であって、ほかの力士の模範たるべき存在です。そのため常に真っ向から向かう必要があり、特に横綱に至っては相手力士の攻めを一旦受け止めなければならないとまでされており、現実に白鵬の取組は相手を受け止めてから対応しています。これでいつも勝つんだから本当にすごい。

 それが今日、なんと把瑠都対稀勢の里の取り組みで把瑠都がいきなり変化して勝ち、もう一方の白鵬対日馬富士も日馬富士が変化をして勝ち、把瑠都が全勝で白鵬は二敗目を喫するなど優勝争いに水を差される結果となりました。今回引用した日刊スポーツの記事にはどちらも変化した力士の言い訳が見出しになっておりますが、「体が自然に動いた」とか言っていますがあれは誰がどう見たって明らかに確信犯で、初めから変化する気じゃないと絶対にできない動きです。把瑠都に至っては勝った後は意気揚々と引き上げてるし、朝青龍じゃなくったって怒るぞこんなことされたら。
 もうはっきり言っちゃいますが、そこまでしてお前ら勝ちたいのかと目を見て言いたいです。特に日馬富士に至ってはここ数年で変化の回数が明らかにほかの力士より多く、もう大関の地位を返上するべきじゃないかとすら思います。しかもなんでまた優勝争いが盛り上がっている最中にこんなことするのか……。

 ついでにgooブログにも、なんでスポーツのジャンルの中に「大相撲」がないのか文句を言いたいです。私は相撲は国技だなんて言うつもりはさらさらありませんが、野球やサッカーがあるんならこれだって入れろよと言いたいです。まぁさすがにWRCとか入ってたら逆に引くけど。
 それにしても、まさか中国でこんなに熱く相撲について書くことになるとは思わなかったな(∀`*ゞ)テヘッ

2012年1月18日水曜日

私の選挙制度改革案

小選挙区「0増5減」比例は「80減」 民主が方針(朝日新聞)

 やる気あんのかなと思っていたら意外と進んでいた選挙区改革案。上記リンク先に詳しいですがかねてから裁判所に一票の格差を違憲とされてきたこともあり自民、民主ともに選挙制度改革案を出してきたわけでしたが、今回民主党は自民党が提出してきた「小選挙区で5議席減らす」という内容に加え、従来からの「比例区で80議席減」を合わせて法案を用意しているようです。自民党の石原幹事長はなんかこの案に「議論もせずに出すなんて最悪だ!」とか言って批判しているわけですが、私としては今回民主党が出してきた案の方が踏み込んだ内容のように思え、石原幹事長に対しては無駄にやかましいなという印象しか覚えません。
 どちらにしろ現在の一票の格差は明らかに問題なので早めにこの問題が解決されることを祈っているのですが、それとともにこの際だから選挙制度を抜本的に改革したらどうかと以前から考えております。そこで今回はどのように改革すればいいのか、私個人の意見をいくつか紹介しようともいます。

 まず現在の選挙制度についてですが、よく「小選挙区制にしたことが自民党を弱くした」という意見がこのところ出ていて中選挙区制に戻すべきだという話をよく見ます。言わんとすることはなんとなくわかるし決して的外れな意見だとは思わないのですが、私は中選挙区制から小選挙区制に移行した事による影響は実際はそれほどではなく、むしろ現在の状態で中選挙区制に戻したらもっと自民党は弱くなると考えています。理由はと聞かれたら「私のゴーストが囁くのよ」というのが正直な回答ですが、いくつか理由付けするとまず小選挙区制の利点を生かして自民党は2005年の郵政選挙で大勝しており、ごく最近の選挙でも敗北こそしているものの小選挙区制だからなんとか持ちこたえているのではと思う節があるからです。
 そういう意味で小選挙区制というよりむしろ比例代表制の方が弊害が大きく、前回衆議院選挙でも町村議員を始め落選した大物が復活当選を数多く果たすなど、議員の新陳代謝を阻害させているように見えます。また比例制は目立ったもん勝ちということもあって当初は参議院限定ではありましたが今では衆議院でも元スポーツ選手や芸能人などいわゆるタレント候補が数多く立候補するようになり、その人らが実際に政治に対して強い志を持っているのならともかく、誰とは言いませんが傍目にも如何な人物が数多く当選していることを考えると真に廃止するべきはこちらの方でしょう。

 そんなわけで衆議院選挙について私は小選挙区でも中選挙区でも構わないからまずは比例制を完全廃止、もしくは復活当選を禁止し、その上でどちらかと言われるのなら小選挙区制の維持が望ましいと考えています。中選挙区制は中選挙区制でいいところもあるのでいろいろ悩むのですが、仮にこっちに移行すると我が心の故郷こと鳥取県はその人口の少なさから一県では選挙区にならない可能性もあってちょっとまずいかなぁとか思っている上、選挙区が広くなると候補者が選挙活動を行わなければならない範囲も広がるため必然的に有権者も投票対象を見極め辛くなるのではという懸念もあります。

 上記までの内容が衆議院選挙制度の改革案ですが参議院選挙についてはこの際、根底からひっくり返して参議院の役割も変えるべきだという意見をかねてから私は主張しています。参議院は理屈上では「良識の府」として年長者や知識のある議員によって構成される議場とされていますが現代に至っては衆議院選挙で落ちたから参議院に、またその逆で参議院選挙に落ちたから衆議院にと議員の鞍替えが一般化しており、そこにある差異は解散があるかないかしかないと言わざるを得ません。さらに言うとここ4年くらいの間で日本政治の停滞を招いているのは参議院と衆議院のねじれ現象で、なんで独自性も何もなく解散もない参議院の連中がここまでエラそうなんだよと見ていてあまり納得が行きません。

 これは何も私だけじゃなくいろんな人が参議院はもっと改革すべきだと言っていて、中には任期中の歳費(給料)は一切出さないことにして社会的に成功を納めて引退した人だけで構成してはどうかという面白い案を出している人もいます。この案でも悪くはないのですが、それだったら私はもうアメリカの上院と同じようにして、各都道府県ごとに2人ずつ選出してみてはどうかと考えています。
 現在の都道府県は47つなのでこの方法だと合計94人。数字は揃えた方がいいというのなら全国区というのを作ってここから6人を付け加えるのもありかもしれません。私の狙いとしては衆議院は「国の代表」の議場、参議院を「地方の代表」の議場とすることで専門とする役割をある程度分けることなのですが、ちょうど道州制や地方分権も盛り上がっていることですし、この手の議論を新たな選挙制度で構成する参議院に一括して任してしまうのも面白そうです。

 どちらにしろ今の選挙制度はやはり制度疲労が来ていると思います。私の性格もありますがちまちまとしたことをいちいち議論してないで、もっとドラスティックにスケールのでかい選挙改革を期待します。

2012年1月17日火曜日

ネット上のレビューについて

 リンクは貼りませんがこのところカカクコムで発覚したステルスマーケティングのニュースをよく見ます。ステルスマーケティングとは簡単に説明すると、「作為的に見せずに行うマーケティング」のことで、今回騒ぎになっている手法としては一般ユーザーからの投稿と見せかけて飲食店など特定の対象を持ち上げるレビューを載せるやり方が行われましたが、カカクコム本体がこの問題に積極的に取り組んだことによってこれによって報酬を得ている業者の存在が明らかとなりました。
 まず私自身のこれらネット上のレビューに対する姿勢を説明すると、飲食店などについてははっきり言って全く見ることがありません。もともと食に興味がないということもあり、宴会の幹事になっても近くで安くて電話番号知っているところしか予約をしません。そういう意味では今回のカカクコムの事件とは全く無縁なので当初はそれほど大した印象を覚えなかったのですが、仮にこれが別の対象であったらちょっと話が違います。

 ここだけの話ですが、実はアマゾンのゲームソフトに対するレビューは常日頃からよく見ています。アマゾンのレビューを見るきっかけとなったのは以前のブログでも散々悪口を書いたPS3の「ガンダム戦記」というゲームで、すごい期待してPS3本体と一緒に買ったのに、ふたを開けてみたらびっくりするくらいイライラさせられる内容で悔しいやら腹立つやら、たまたま家に誰もいなかったのをいいことに口汚い言葉で怒鳴りながら遊んでました。仮にお袋がいたら怒られて家追い出されていただろうに。
 そんなわけであまりにも憤懣やるかたないのでほかの連中はどう思ったのか見たくてアマゾンのレビューを開いたわけですが、まず開けてみてみて驚いたのは、自分が不満に思った点について漏れることなくほかの人も同じく指摘していたことでした。というかこれさえ見とけば買わずにすんだのにとも思いましたが、案外みんな同じことを考えるんだと変に感心し、これ以降は何かゲームを買う前にレビューでどう書かれているか必ずチェックするようにしています。クソゲーだと書かれていたのに買った「絶対説明都市3」はやはりクソゲーだったが。

 だからといってどうなのかちょっと話のつなげ方に悩みますが、やはりネット上の口コミというものは馬鹿にできないと思います。特に飲食店については自分が興味ないだけで、実際にはすごい影響力があるんじゃないかという気がします。実際にニュースで引用されていた飲食店関係者の声は切実ですし、ユーザー自身が書いたのならともかく、業者が意図的にある方向へ誘導する書き込みをするというのは個人的にやはり許せるものではありません。

 紙幅が余ったのでもう一件ネット上のレビューについて書かせてもらうと、自動車のレビューも一時期熱心に見ていた時期がありましたが、これはゲームとは逆に全くあてにならないように感じました。理由をいくつか述べると、まずみんな数百万もはたいて車を買うせいかどのレビューも基本的に誉めるような内容が多く、比較対象もそれ以前に載っていた車に限られます。だからといって車を何台も乗り換えている人のレビューだと今度は逆に専門的過ぎて、「高速でカーブを曲がる時にややアンダー気味」とか普段使う上では必要のないことばかり書かれていてあまり当てになりませんでした。ゲームや食べ物と違って車の場合はやはり玄人というか、専門雑誌のプロドライバーによるレビューがやっぱり一番参考になる気がします。
 なお私はそんなに運転はうまくないですが、一時期にレンタカーを短期間によく利用してコンパクトカーに限るなら主要車種はすべて運転したことがあります。ホンダのフィットはハンドルやアクセルの効きがいいことで親父なんかは気に入ってますが、自分はあまりスピード出すのは好きじゃないためじんわりとアクセルがかかるマツダのデミオのが好みです。ただ単純に自家用車として見るなら日産のキューブが頭抜けてて、車内の広さには特筆すべきものがありました。唯一の欠点は外形が平べったいせいか、高速になると虫がフロントガラスに当たってバンバン死ぬことだけど。

2012年1月15日日曜日

日本に影響を残した外国人~エドワード・モース

 自分は恐らくほかの歴史好きと共通するでしょうが、子供の頃に歴史漫画を読んだことから歴史に興味を持つように至りました。ちなみに好んで読んだのは編年体ではなく紀伝体というべきか特定の人物にスポットを当てた歴史漫画で、何故かそのころから戦国時代の登場人物を贔屓にして読んでいた気がします。ただ紀伝体の歴史漫画も読み終えるとやはりつまらないもので、仕方ないのでとようやく手に取ったのは確か小学館の「日本の歴史」シリーズだったと思いますが、その第1ページ目に登場したのが今日紹介するエドワード・モースです。

エドワード・S・モース(Wikipedia)

 エドワード・モースはアメリカの動物学者で、明治初期にお雇い外国人として来日を果たした人物です。来日理由は節足動物の標本を集めていたことからこの手の種類が多数生息するという日本に興味を持ったことからだそうですが、彼を現在の日本で有名足らしめたのはこの専門の動物学ではなく、日本考古学の創立者としてでした。
 モースは西南戦争の起きた1877年に来日し、明治政府から標本採集の許可を取るために横浜から新橋へ鉄道で移動中、日本初の考古学発掘の現場となる大森貝塚を見つけます。当時の日本人からすればこの貝塚の考古学的価値に気づく人間はいなかったようですが外国人には魅力的に映ったのか、モースのほかにもかのシーボルトの二男であるハインリッヒ・フォン・シーボルトも同時期に発見して発掘に強い情熱を持っていたと言われております。

 話はモースに戻りますが、元々モース自体が動物学以外にも考古学にも造詣が深かったこともあり、明治政府に対して正式にこの貝塚の発掘許可を申請しました。無事許可が下りるやモースは東大の学生を引き連れて発掘を行い、土器や人骨など様々な発見をして論文で発表し、重複した土器などを一時離日した際にアメリカへ持ち帰り紹介を行ったようです。その後1878年に再び来日すると今度は出土品を細かく整理した上であちこちで講演し、また論文発表や学会の創設などによってこの分野における開拓にいそしんだとされます。

 恐らく通常の日本史だと彼について紹介されるのはここまでで、後はせいぜい「日本で初めて進化論の講義を行った」と書かれる程度でしょう。私自身も彼の名前と功績については強く認めていたもののこれ以上の知識は持ち合わせていなかったのですが、最近になって調べてみると最初の離日の際に東大に対し、「哲学講師が必要ならフェノロサを呼べ」と、なんとあのアーネスト・フェノロサを日本に引っ張り込んだ張本人だったということを知っていろんな意味でしびれました。これはこの時期のお雇い外国人みんなに共通して言えることですが、みんなどこかしこで接点を持っていてそうした縁が数珠つなぎに繋がって来日してきています。

 フェノロサについてもこの連載でいつか取り上げる予定ですが、彼がいなかったら今の奈良の観光産業はまず成り立たないことを考えるとその影響度は半端じゃありません。もうこの時点で私にとってのモースの評価は格段に上がったのですが、その後に起きた関東大震災によって東大図書館が全部焼けたと知るや自分の蔵書1万2千冊をすべて東大に寄付するという遺言を残す(モースの死後、実際に寄付された)など、日本の学術分野における彼の功績は計り知れないものがあります。
 実はこの連載を始めるきっかけとなったのはこのモースにほかならず、明治のお雇い外国人はみんなどこかしかで接点を持ってその縁が伝手となって来日していることを意識した際、こうやってひとりひとり取り上げてみた方がいいのではと思ったからでした。その上で上記の関東大震災のエピソードも、既に知られている人物でもこうしたまだ知られていない面もあり、特に日本に尽くしてくれたエピソードというものは広く認知させるべきだと考えたのも突き動かす一つの理由となりました。最初の歴史漫画と言い、何かと自分のスタートに縁がある人だとつくづく感じます。

2012年1月14日土曜日

部下から評価する管理職

 戦争における優秀な指揮官を指す表現として、「弱卒を以って強兵となす」という言葉があります。これはそれほど訓練されてなかったり、身体的に劣っていたりする兵士でも戦闘を勝利に導くことのできる指揮官を指しており、私の中では補給もままならない中で占領地で食糧を強奪することもなくインパール作戦で善戦した帝国陸軍の宮崎繁三郎がこの評価に値すると思います。それにしてもさっきグーグルでセーフサーチ強で検索したら、上記リンク先(元自分のブログ)が出てこなかったのはなんでだろう……。
 話は戻りますが、逆に言うのなら強兵を率いているのであればよっぽど不利な状況でない限りは勝利するのが当たり前です。そういう意味では指揮官への評価というのは率いる兵や装備の質で決まるようなもので、強い軍隊を率いておきながら負けるというのは無能の証明以外の何物でもありません。話はまた二次大戦中に戻りますが米軍側は日本軍に対して、「兵員は優秀であるが指揮官が無能故に戦いやすい」と分析しており、私も当時の日本軍の作戦を見るにつけ一部には粘って粘って相手を苦しめた栗林忠道などもおりますが、基本的にはアメリカのこの分析に同感です。

 こうした考えは何も軍隊に限らず、私は現代社会の一般企業における管理職についても同じことが言えると考えています。たとえば二つの部署で同じ成果を上げているとしてもそれぞれの管理職が率いる一般社員の質によってはその評価は全然変わってきて、評価変数としては率いる部下の人数、人種、技能、資格、経験などなどたくさんありますが、真に評価する上ではこうした部分に光を当てる必要があるでしょう。世間一般ではよく売上げや収益といった表面的な成果ばかりが評価対象となりますが、こんなのは二度繰り返しますがあくまで表面的な数字を表しているにすぎず、会社経営を考える上では重要ではありますが管理職の評価項目としては実に薄っぺらいものだと常々感じます。重要なのは、どのような戦力でどれほどの成果を挙げたのかです。

 それこそ去年のプロ野球に例えると、阪神タイガースの真弓監督は成績不振からとうとう契約期間を残しながら退任を余儀なくされましたが、去年の阪神は日本人年棒だけ取ってみれば12球団トップで、また8月までは球界一のストッパーと信じている藤川球児選手を全く使おうとしながら2年連続で9月に入るやありえないくらい連投させるという妙な采配を見るにつけ、やはりあの解任は仕方がなかったかと思います。逆にこっちはパリーグですがオリックスの岡田監督なんか補強らしい補強はほとんどない中、というか元々の選手層がそれほど厚くない中でクライマックスシリーズの出場争いに最後まで絡むなど非常に善戦しており、阪神時代からそうでしたが現役監督の中では一目置かされる実力です。

 ちょっと過分に趣味の話が入りましたが今日何を一番言いたのかというと、「お前らが無能だから成績が上がらないんだ」と部下に向かって言う人は「俺は無能だヽ(`Д´#)ノ 」と自分で言っているだけだということです。部下が優秀でないならそんな部下をどのように使っていくのか、どうやって能力を引き上げていくのかを考えるのが管理職の仕事で、先ほどのセリフはそうした責任をうっちゃって自らの無能ぶりを明らかにしているだけです。まぁさすがに暴力事件とか交通事故などの問題をしょっちゅう引き起こす人間が部下だったらいろいろ同情するけど。
 逆に経験年数や実績をたくさん積んでいる部下を付けてもらいながら、標準の成果しか上げられない管理職というのもまた問題で、大きな成果を上げたとしても人員配置によっては取り立てて大きく評価するべきではないかと思います。そういう意味だと去年のソフトバンクホークスの秋山監督への評価はあの戦力だと難しくなる……。

 ちなみに上記の「お前らが無能~」のセリフはさすがに私は言われたことはなく、まだこれまでマシな上司に巡り合っているような気がします。ただ今までついた上司はみんな揃って私に対し、「お前ほど言うこと聞かない奴は初めてだ」と、口裏合わせているんじゃないかと言いたくなるくらいに同じことを言ってきます。以前はそれほど気にしませんでしたが最近になってようやく私も自覚症状が出てきたというか、確かに言うこと聞いてるフリしてスタンドプレーが多く、上司からすると扱いづらいことこの上ない部下だろうなという気がしてきました。

2012年1月13日金曜日

外国との協力の歴史を学ぶ意義

 当初は「日本に影響を与えた外国人」として日清戦争前の風刺画などで有名なジョルジュ・ビゴーを書く予定だったのですが、なんかどうにもやる気が起きないというか文章が浮かばなかったので流すことにしました。実はビゴーについては流すのはこれが二回目で、改めて考えてみると日本に影響というよりもただ有名な外国人なだけなのかもしれないのでもう取り上げない方がいいかもしれません。

 それはさておきこの「日本に影響を与えた外国人」の連載ですが、個人的にはなかなか面白いところに着目しているのではないかと自負しております。というのも歴史というのはどの国においても自国民を中心に語って外国人というのはどちらかというと文化人枠で語ることが多く、どうしても主役としては取り扱われないところがあります。ただ国政において何が最も大事かというと経済と外交(国防や戦争を含む)の二本柱で、経済だけならともかく外交においては相手がいて成り立つ商売です。そういう意味ではもっと外国人に着目して相手側からの視点で見た歴史というのはどんなものなのかというものを追求するのもありなんじゃないかと思います。

 またこれは私個人の主観でありますが、やっぱり外国人の歴史を知るにつけその外人の出身国にも興味が湧いてきます。私自身も三国志で諸葛亮や曹操に興味を持ったことからこうして中国語で飯食う身分になってしまいましたが、仮に幼少のころに興味を持った対象がシモ・ヘイへだったら今頃フィンランドにいたかもしれません。まぁそんな奴はそうそういないだろうけど。
 さらに言えばこうした人物だけでなく、昔にも取り上げましたがイラン・イラク戦争や湾岸戦争時のトルコ航空の日本人への配慮なども知るにつけ、相手国に対して単純に感謝の気持ちも芽生えますしやはり旅行とかにも行ってみたいと考えるきっかけになります。このトルコ航空の事例などは普通に歴史の授業を受けていたらまず知ることのないエピソードでありますが、私は両国の友好感情を高めるためにも、もっとこういうことを日本とトルコの双方で教え合うほうがいいと思います。といっても、トルコの方ではしっかりエルトゥールル号のことをきちんと教えてくれているようなのですが……。

 こうしたトルコ以外にも、杉原千畝とユダヤ人のエピソードとか去年の地震の際の台湾の支援など、年号とかよりも私はこうした両国の協力というエピソードこそ後年に伝えるために教えていくべきなんじゃないかと常々思います。逆に、これははっきりと批判させてもらいますが中国や韓国の歴史教育で日本の大して過剰な憎悪を持たせるような教え方は、日本人の自分がイライラするだけでなく将来的にその憎悪が政府自体に向かってくる可能性もあるのでするべきではないでしょう。何も全く教えるなとは言いませんし韓国については併合、中国に対しては侵略したのは間違いない事実なんだから言い訳するつもりはありませんが、一体何世代に渡って憎悪を植え付け、お互いに分かり合えるかもしれない可能性を摘み取る気なんだと声を大にして言いたいです。まぁ日本も政府主導でロシアに対しては北方領土教育ってのがありますけど……。

 私は熱烈な主義者たちが主張するほど、大半の国民は歴史教育で受ける影響というものはそれほど大きくはないと考えています。むしろ発信力の強い、もとい声のでかい連中が互いを批判するために歴史という科目を出汁に使っている可能性の方が高いと見ています。ただ相手国に対してポジティブな興味を持つ一つのきっかけになるというか、そういうような教育だったらもっと価値が出てくるのではというのが今日の意見です。

2012年1月11日水曜日

調子の良さと記憶力

 昨夜は友人と3カ月ぶりに再会したのですが、食べ飲み放題の焼肉屋だったということもあって無意味にワインなんか頼んで「ルネッサーンス!」を繰り返したせいかなんか今日はやけに右側頭部が痛かったです。それにしてももうずいぶんと日本のテレビは見ていないが、髭男爵はまだ頑張っているのだろうか。

 さてこのところブログの文章表現がやけに調子良いのが反映されてか、いろんな方からコメントをたくさん受けて非常にやる気が出ております。なんで急に文章表現が良くなったのかいろいろ意味が分からないのですがいくつか考えられる理由としては、やはり香港から上海に戻って、一応住み慣れた部屋に戻ってきて落ち着きを取り戻しているのが大きいのかもしれません。海外から海外に戻って落ち着くというのも何ですが。
 それともう一つ、この前の話じゃないですけど自分がややハングリーさを取り戻してきたというか、現状にまたぞろいろいろ不満を持ち始めているのもあるかもしれません。それは一体どんな不満だと普通は続くのですが会社の陰口をここでいちいち言ったってしょうがないし、差し当たって無難なところだと旧正月も近くて日本人みんなそわそわしているのを見ると、長らく日本に帰っていないこともあっていろいろ思うところがあるといったところでしょうか。私の最長海外滞在期間は留学中の1年間ですが、去年7月から一度も帰ってないから下手するとこのまま記録更新になるかもしれません。つうか代休くらい好きに取らせろよ……。

 そんなこんだで不満を持ちつつも好調を維持しているのですが、それは何も文章表現にとどまらずある意味私の代名詞に近い記憶力もこのところ冴え渡っております。昨日もその友人といった焼肉屋で、その店は去年7月にも一緒に訪れているのですがお互いにやけにかわいい女性店員がいることは覚えており、まだ勤務を続けているのを見て懐かしいなぁとかぼやいていたのですが、

私「そういえば前来た時にあの子の日本語が上手だと君言ってたよね」
友人「えっ、そんなこと言ってたっけ?」
私「言ってたじゃん。わざわざ呼び止めてどこで習ったんだって聞いて、中国で独学したと聞いてなんか驚いてたでしょ」
友人「えー、そうだったけ?」
私「でもってやけにかわいいから、焼肉屋の勤務を十時くらいに終えてこのビルの上の階にあるスナックでそのまま勤務するんじゃないのとか、そういうことも話してたでしょ」

 という会話をしたのですが、どうもその友人はこの内容は忘れていたようです。
 別にこれに限らず相手がすっかり忘れていた会話の内容をやけに細かく長年覚え続けていることは私にとって珍しくないですが、なんか年末あたりからこの感覚がやけに鋭くなっており、敢えて口に出したりしませんが相手の顔を見るだけで「数ヶ月前はこういう会話したなぁ」とか頭の中でいろいろ巡ってきます。今まであまり意識はしてきませんでしたが、調子によってこの辺の記憶も左右されることが今回でよくわかりました。

映像記憶(Wikipedia)

 さすがに歴代の偉人たちと比べると程度の差こそあれ、自分ももしかしたらこれんじゃないかと過去に何度か疑っています。この「映像記憶」というのは自分は「直観像記憶」という言葉でこれまで呼んできてますが、要するに目で見た光景をチラ見で永久記憶にしてしまう能力のことを指しており、最近よく引用する南方熊楠なんかは他人の家で何十冊も本を読んで家に帰り、それらの本を一言一句丸写しにしまったことがあるということからこの能力の持ち主だと言われています。
 さすがにこの熊楠みたいな真似しろったって私にできるわけありませんが、佐藤優氏も「その時の光景映像と一緒に会話内容などを覚える」と言っており、私自身もやはり情景とともに会話の内容を思い出すことが多いです。

 ただこの記憶ですが、自分の場合はてんかん症を患っているのが地味に影響しているんじゃないかとも考えています。一応、中学生頃から意識的に記憶力を高めるように努力はしていますが、脳に関わるものだとどうもこっちの線を疑ってしまいます。何気に調子のいい時ほど急に発作が来ることもあるので、ここ一年は全く発作が来ていませんがちょっと体に注意をして過ごそうと思います。