自分は恐らくほかの歴史好きと共通するでしょうが、子供の頃に歴史漫画を読んだことから歴史に興味を持つように至りました。ちなみに好んで読んだのは編年体ではなく紀伝体というべきか特定の人物にスポットを当てた歴史漫画で、何故かそのころから戦国時代の登場人物を贔屓にして読んでいた気がします。ただ紀伝体の歴史漫画も読み終えるとやはりつまらないもので、仕方ないのでとようやく手に取ったのは確か小学館の「日本の歴史」シリーズだったと思いますが、その第1ページ目に登場したのが今日紹介するエドワード・モースです。
・エドワード・S・モース(Wikipedia)
エドワード・モースはアメリカの動物学者で、明治初期にお雇い外国人として来日を果たした人物です。来日理由は節足動物の標本を集めていたことからこの手の種類が多数生息するという日本に興味を持ったことからだそうですが、彼を現在の日本で有名足らしめたのはこの専門の動物学ではなく、日本考古学の創立者としてでした。
モースは西南戦争の起きた1877年に来日し、明治政府から標本採集の許可を取るために横浜から新橋へ鉄道で移動中、日本初の考古学発掘の現場となる大森貝塚を見つけます。当時の日本人からすればこの貝塚の考古学的価値に気づく人間はいなかったようですが外国人には魅力的に映ったのか、モースのほかにもかのシーボルトの二男であるハインリッヒ・フォン・シーボルトも同時期に発見して発掘に強い情熱を持っていたと言われております。
話はモースに戻りますが、元々モース自体が動物学以外にも考古学にも造詣が深かったこともあり、明治政府に対して正式にこの貝塚の発掘許可を申請しました。無事許可が下りるやモースは東大の学生を引き連れて発掘を行い、土器や人骨など様々な発見をして論文で発表し、重複した土器などを一時離日した際にアメリカへ持ち帰り紹介を行ったようです。その後1878年に再び来日すると今度は出土品を細かく整理した上であちこちで講演し、また論文発表や学会の創設などによってこの分野における開拓にいそしんだとされます。
恐らく通常の日本史だと彼について紹介されるのはここまでで、後はせいぜい「日本で初めて進化論の講義を行った」と書かれる程度でしょう。私自身も彼の名前と功績については強く認めていたもののこれ以上の知識は持ち合わせていなかったのですが、最近になって調べてみると最初の離日の際に東大に対し、「哲学講師が必要ならフェノロサを呼べ」と、なんとあのアーネスト・フェノロサを日本に引っ張り込んだ張本人だったということを知っていろんな意味でしびれました。これはこの時期のお雇い外国人みんなに共通して言えることですが、みんなどこかしこで接点を持っていてそうした縁が数珠つなぎに繋がって来日してきています。
フェノロサについてもこの連載でいつか取り上げる予定ですが、彼がいなかったら今の奈良の観光産業はまず成り立たないことを考えるとその影響度は半端じゃありません。もうこの時点で私にとってのモースの評価は格段に上がったのですが、その後に起きた関東大震災によって東大図書館が全部焼けたと知るや自分の蔵書1万2千冊をすべて東大に寄付するという遺言を残す(モースの死後、実際に寄付された)など、日本の学術分野における彼の功績は計り知れないものがあります。
実はこの連載を始めるきっかけとなったのはこのモースにほかならず、明治のお雇い外国人はみんなどこかしかで接点を持ってその縁が伝手となって来日していることを意識した際、こうやってひとりひとり取り上げてみた方がいいのではと思ったからでした。その上で上記の関東大震災のエピソードも、既に知られている人物でもこうしたまだ知られていない面もあり、特に日本に尽くしてくれたエピソードというものは広く認知させるべきだと考えたのも突き動かす一つの理由となりました。最初の歴史漫画と言い、何かと自分のスタートに縁がある人だとつくづく感じます。
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