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2012年2月20日月曜日

詐欺事件の実名報道について

富士重、クリーンロボット事業撤退も…不正発覚で(レスポンス)

 昨日に引き続きまた実名報道についてです。上記のニュースは富士重が今日発表した、同社のクリーンロボット事業に関わっていた元従業員が国の機関に過大な請求をしていたことから告訴されたというニュースですが、何気に朝一番にプレスリリースをチェックしてたらいきなりこれが出てきて朝っぱらからこれかよとか思いました。
 ただ今回の富士重の事件については、多分似た系列で出てきたんでしょうが先日に発覚した三菱電機の同じような過大請求と違い、ちゃんと社内調査をした上で会社として該当する元従業員を告訴しているので、組織ぐるみだった前者よりかはまだ良心的な感じがします。それにしても、確か先週末には「スバル、好調の要因は」という記事が出た翌週にこんなニュースが出るのも残念ですが。

 話はそろそろ本題に移りますが、今回の事件で不正請求を行い、告訴された従業員の名前は出てきませんでした。まぁ会社として処分をしているのだから私としてもわざわざ出す必要はないと思うのですが、基本的に詐欺事件で実名報道がされるのは少ないような気がします。それこそ闇金とかの話だったらもちろん出てきますが、こうした企業絡みとかだとどれだけ悪質でも出ることはなく、昨日に取り上げた避けようがない交通事故の報道と比べると明らかな温度差を感じます。さらに言うと、違法な行為やサービスを行っていたという風俗店摘発のニュースはほぼ確実に店長とか責任者の名前が出るのもなんだかなという気がします。

 あと最後に一つだけ付け加えると、現代だと名前をネット検索にかけると一発で履歴とかがばれることが多く、実名報道によって起こる社会的制裁の度合いは確実に高まっていると言い切れます。自分なんか仕事で社会記事を書くことはほぼなく(むしろブログのが多い)あまり気にする必要ありませんが、報道機関はもっとそういうことに神経使うべきだと考えています。
 ちなみに私の本名は比較的ありきたりな名前のせいか、検索を書けても私本人に直接たどりつくことはありません。むしろハンドルネームの方がそこそこ長期間ブログしているのもあって、引っかかりやすいです。

2012年2月19日日曜日

交通事故の実名報道について

路面凍結で自転車転倒…高校生はねられ死亡 千葉・柏(産経新聞)

 前から疑問に感じていたので、交通事故報道について一筆書いておきます。上記リンク先の記事は千葉県で起きた死亡交通事故のニュースですが、この事故の展開をみるにつけ実名で報じる、というかそもそもニュースとして報じるべき価値があるのかと強い疑問を覚えます。
 この事故は凍結した路面を自転車で走行していた高校生が車道側に倒れ、そこをたまたま通った自動車がはねてしまい死亡させてしまったというのがあらましです。この内容を見る限りですと、目の前を走っている高校生が突然点灯するなんて予測できるはずもなく、乗用車の運転手に対しては実に不幸というか、その行為を責めることはできないのではないかと強く感じます。

 にもかかわらず、今回産経新聞は運転手の名前を実名にて報じております。以前、というかかなり前に書いたことがありますが、日本の刑法というものは前科という社会的制裁を受けることを前提として量刑を定めております。それだけに社会的制裁の大半を担う報道というものは当人にとって非常に大きなものなのですが、この事件についてはそもそも社会的制裁が必要なのかどうかです。そもそも事件自体報じるべき価値があるかと言ったらもっと他のに紙面を割けよと言いたい内容である上に、報じるにしても実名を入れる必要性があるかといえば皆無でしょう。

 この記事に限らず、このところこういった事故記事が目立ちます。自分は報道にはモラルとかそういったものはそもそも存在しないと思うし、そういうものを主張すること自体が空々しく感じます。しかし必要のないことをわざわざやるということは報道以前に人間としても如何なものなので、こういったことをやる記者が一人でもいなくなればと陰ながら願っております。

2012年2月17日金曜日

週刊文春の橋下大阪市長批判記事について

 この前に日本から本を取り寄せる機会がありましたが、これまでずっと買ってきた文芸春秋は今回入れませんでした。何故文芸春秋を取り寄せなかったのかというと、同じ文芸春秋社が発行している週刊誌、週刊文春の橋下大阪市長に対する報道に対して強い反感を覚えたためでした。市長に対する報道に対して強い反感を覚えたためでした。
 詳しい内容はここでは語りませんが去る大阪市長選挙前、週刊文集は橋下市長の政策論とは全く関わりのない彼の出生について批判的な記事を載せました。仮に国籍条項を偽るなど市長選出馬に当たって不正を行っているのならばともかく、完全にお門違いもいいようなどうでもいい内容をことさらに取り上げてさも「市長として不適格」とするようなあの記事については到底看過することが出来ませんでした。

 自分はこれまで実に十年近くも文芸春秋を購読してきましたが、雑誌媒体が違うとはいえあんな内容の記事をよくもまぁ載せるというか、出版社としても強い疑問に感じる事件でした。まぁそれを言ったら、本来ならばほかのメディアも激しく糾弾すべき内容だったにもかかわらずスルーしていたということも不満なのですが、ちょっともう読む気は起きてきません。どのみちあんな記事を出せる神経してるなら、ほかの記事もあまり当てにならないでしょうし。
 さらに言うと、このところの文芸春秋は明らかにつまらなくなっておりました。読者層が自分のように若い世代ではなく年長世代が多いこともあってか、何かとガンの放射線治療とか病気関連の記事が異常に増えており、特集記事も「田中角栄のラブレター」とかそんな大きく取り上げる必要あるかいなと思う記事ばかりで、真面目に半分しか読まなかった月も珍しくありません。

 別に雑誌に限るわけじゃないですけど、部数減少を「若者が雑誌を読まなくなったせいだ」と他人のせいにする主張をよく見ますが、そもそも若者を購読者、消費者として見据えた記事をあんたらは書いているのかと深く問いたいです。まぁこれを言ったら90年代のスポーツカーばかり紹介する「ベストカー」はどうなるんだということになりますが、こっちについてはスポーツカーを出さなくなった自動車メーカーにも一部責任あるけど……。

オリンパス旧経営陣らの逮捕について

オリンパス菊川前社長ら逮捕 証券OB含む7人 虚偽記載の疑い(日経新聞)

 このブログでも何度も取り上げているオリンパス事件ですが、今日になりようやく逮捕者がでました。この件に対する私の意見は、一体今まで何をやってきたのだと、東京地検に対して呆れるような感情を持つといったところです。

 既に何度も書いているので端折って書きますが、私はこの事件はかねがね、不正経理が明らかになった段階で早くに関係者一同を逮捕し、とっとと真相解明に取り組むべきだと考えていました。仮に疑いの段階であればこのところ冤罪事件も多発していることもあって逮捕するべきではないですが、今回のこの事件は明らかに不自然な資金処理がなされており、しかも退任したウッドフォード元社長を筆頭として隠し損失がはっきりとあると言っていたことを考えると、手心を加える必要は全くないと言っていいでしょう。
 その上でさらにいうと、オリンパスの上場維持を決めた東証に対しても疑問がたくさんあります。はっきりいってこれほど巨額の損失隠しをしておきながら上場が維持されるようでは、一体何をすれば上場廃止になるのかわかりません。公開して株式の取引がなされる取引上では企業情報の完全公開が原則であってちょっとでも不正があるようであればほかの国(中国は除いてもいいけど)なら即刻廃止され、相応の処罰がなされているはずです。恐らく今回の事件で海外メディアなんかは、「やはり日本は身内に甘い」と書いているかと思います。

 あと同じ企業犯罪だと、この前にハーネスメーカーの矢崎総業の人間がカルテルの疑いでいきなりアメリカで逮捕されていました。そりゃ人を殺したんじゃないんだしとも言うことはできますが、それにしたって私は日本の司法は経済犯罪に甘いというか、やる気あるのかと言いたくなります。あとこれも何度も自分で言っているから段々嫌になってきてもいるのですけど、一体何故ライブドア事件の際はあれほど厳罰を課したのにほかの事件にはこんなにも甘いんだと、ダブルスタンダードぶりにはほとほと嫌になってきます。堀江元社長の方を持つ気はなく、むしろこの人は個人的にそりの合う人じゃないですが、懲役を受けていることに関しては強く同情いたします。

2012年2月14日火曜日

中国のバレンタインデーについて

 なんかこの前親父に話をしたら受けたので、時期も時期なので中国のバレンタインデーについて話をします。よくバレンタインデーにチョコを贈るのは日本くらいだという人をたまに見かけますが、どうもこのチョコを贈るという習慣を作ったマーケティングはお菓子業界が仕組んだもので、韓国財界とも縁のあるロッテの影響なのか韓国でも非常にお盛んだそうです。
 これに対し中国はどうかというと、もちろん女性がチョコを贈る習慣も全くないわけでもありませんが、どちらかというと男性側から女性に花束を贈るという手法の方が主流です。今日も取材帰りの電車の中で、でかい花束持った女性を何人も見たし。

 ただマーケティングについてはこっちでもかなり力が入っており、ホテルなどでは特別ディナーコースを用意したりするなどして対応しています。その中でも一風変わったものには、「店内で60秒間キスし続けたら一食タダ」という、一体誰が得するんだといろいろわけのわからないものまで出てきております。
 あとこのところの報道を見ていて気になったものの中には、「バレンタインのプレゼントの代わりに、最近の女の子は旅行の地図を送り、彼氏に旅行に連れてくよう要求する」というものもあり、本当に中国の女性はいろんな意味でたくましいなと思った次第です。

2012年2月13日月曜日

日本の社会保障の行方

 前回更新から大分日が経ってしまいましたが、どうにかまた再開できました。ちょうど先週がいろいろと山場だったためにこれからはまた普段のペースを再開できるんじゃないかと思いますが、早速明日にはまた夜中に取材入っているから難しいかも。そういうわけで今日はちょっと力の入ったネタを一本投下しておこうかと思い、日本の社会保障議論について基本論点を整理することにします。

 まず前提条件についてはっきりと指摘しますが、年金をはじめとした現行の社会保障制度の国家は日本が高度経済成長をしていた時期に作成され、当時並みの経済成長を保つことで維持できるように制度設計されております。当時の日本の成長は日本自身の努力というよりは冷戦下という国際環境によるところの方が大きいと私は見ており、ソ連が崩壊した現在においてはどう踏ん張ったって再現できる代物ではないと断言してもいいです。それはつまり、現行の社会保障制度は初めから何をどうしたって維持できるものではなく、もっと早くに制度改革をするべきものだったというわけです。

 この場合の制度改革というのは保障内容の希薄化を指しており、具体的に言うと年金の支払額などや対象者を減少したりするということですが、日本は冷戦が終わってから20年以上も経つにもかかわらず未だに矮小な議論を続け、確かに一部で年金支給年齢の引き上げや一部削減など見直しこそされているものの、抜本的な改革にはとうとう至れておりません。
 しかもこの社会保障の混乱はそれ自体の混乱にとどまらず、日本の経済全体にも大きな悪影響を及ぼしていることも見逃せません。ごくごく簡単な経過を書くと、

・社会保障が維持できる見通しがない→将来のリスクに備えて貯蓄傾向が高まる→消費額が低迷→景気が停滞

 これはほんの一例ですが、細部まで詰めると実に多岐にわたって悪影響を及ぼしており、今も続くデフレの主要因となっている点も見逃せません。じゃあ社会保障をどうすればいいのかですが、一番大事なのは「維持できるシステム」に変えることです。維持できないシステムだと国民に思われているということが一番問題で、内容が何であれ20年先が見えるシステムにすることが肝心要です。
 となると今度はどんな形にすれば維持できるのかという話に移りますが、極論を言えば「どの世代に死んでもらうか」という議論となります。現在私が想定している改革方針としては主に以下の二点に絞られます。

A案:給付額などを徹底的に削減し、年長世代に泣いてもらう
B案:給付額なども相当程度下げるが、一定の給付額を維持するため増税をして現役世代に泣いてもらう

 実に当たり前の議論ですが、今後日本が取るべき道は上の二つ以外にないとこちらも断言してもいいです。中間なんてものはありません。
 では政党は現在どっちの方針で制度改革をしようとしているのかですが、実に情けないというか私の見る限りだと民主党も自民党も、存在するはずのない中間策、誰にも恨まれずにハッピーになれる案を未だに捜しているように見えます。野田首相は増税をして増やした税収分を社会保障へ振り分けると言っていましたが、その一方で子ども手当の支給額を増やすとも発言しており、いわば「増税する代わりに給付額を増やす」という現実を無視、というか実現不可能で維持することのできない案を主張していると私は感じます。自民党は増税はしないがその代わり景気を回復させ、増えた税収分で現行制度を維持すると言っていますが、私は今の社会保障制度に道筋をつけない限りは景気回復も無理なんじゃないかと思っており、順番を履き違えているとこちらも話にならない案だと見ています。

 ではA案とB案のどちらが望ましいのかと言ったらこれはもう、どの世代に属しているかでしか語れないでしょう。私は生憎というか現役世代に属していることもあり、多少の負担増は仕方ないにしても大幅な削減なしには一人唐傘連判状の提出も辞さない覚悟です。さらにこれはひがみだと言われても言い返しませんが、現在の年長世代は若い頃に高度経済成長を謳歌し、簡単に就職できて、毎年昇給をして、自家用車も買えて、住宅ローンも組めれたことを考えると、これらの機会すら得られない自分たちの世代をさらに踏み台にするつもりかという気持ちもあります。年金額が減って将来設計が崩れると主張する方もいるかもしれませんが、将来どころか現在の生活すらままならない自分たちに比べて甘いことを抜かすなと、一人の若者として言わせてもらいます。

2012年2月9日木曜日

続、大学の秋入学検討について

 今日の中国の朝刊には、「日本で聖闘士星矢の新シリーズテレビ放映が4月から始まる」ってのがでっかく載ってました。なんで日本での放映に対してここまで反応するのかいろいろ突っ込みたくなりますが、同僚の中国人の奥さんは、「フェニックス一輝こそ、男の中の男だ」と言ってはばからないくらいにこっちでも浸透しているらしいです。

 話は本題に入りますが、東大が入学時期を現在の春から秋へ移行する案を検討していることについて以前にも取り上げたことがありますが、今日見たニュースにこの話題について非常によくまとまった記事を見かけたので紹介します。

【日本版コラム】『大学秋入学』の落とし穴 議論の迷走と状況悪化が危惧される理由(ウォール・ストリート・ジャーナル)

 はっきり言って私のブログなんかより上の記事見てもらった方がずっといいと断言できるのですが、いくつか重要なヶ所を引っ張ると、この記事を書いた尾崎氏は「入学時期を秋に変えるだけでは留学生も増えず、学生も起業も混乱するだけと」指摘しています。

 一つずつ詳しく解説していくと、東大をはじめとした国立大学などは入学時期を国際的に標準な秋(春入学は日本と韓国しか私も知らない)にすることで、日本にやってくる留学生も増える効果が見込めるとしています。これに対して尾崎氏は、そもそも世界の大学ランクは在籍する教授の論文の発表数などで決まるために英語を使用する欧米の大学が初めから有利で、入学時期が変わったくらいでは留学生を引っ張る上ではあまり効果がないと主張しており、私もこれを支持します。その上で今実際に日本位やってくる留学生はどんな学生かというと、やはりアニメや漫画といったサブカルチャーに関心の強い短期留学生らが主で、こうした留学生をもっと受け入れやすくするために春でも秋でもいつでも入学して授業を受けられるカリキュラムを整備する方が価値が高いと言っています。

 言われることいちいち的を得ていて反論のしようがないのですが、この上で尾崎氏は日本の学生についても言及しています。kの秋入学議論でよく取り上げられている効果に、「3月の高校卒業から秋の大学入学まで半年間の空白の期間が生まれ、この期間を学生はボランティアや短期留学などに使える」という意見があります。これについても尾崎氏は、日本の大学生は夏休みや冬休みなどまとまった余暇があり、わざわざ半年の空白期間、それも受験前の期間に用意したところで大きな変化が望めないとした上、「学生が在学中に多様な経験をするには時間以外に精神的なゆとりも必要である」と述べてます。これについても、私は同感です。

 こうした尾崎氏の意見について基本的に賛成ではあるのですが、それでも私はこの秋入学以降に期待を持っています。一体何故期待するのかというとこれも尾崎氏が「メリット」として挙げている、「企業の新卒一括採用が多様化するきっかけとなる」という効果が強く望めるからです。
 大分自分でも色々変わったと思いますが、現状の日本を見るにつけもっと雇用は流動的にしなくてはならないと考えており、特に若年世代については新卒一括採用こそが諸悪の根源にも思えるのでどうにかこれを打破できたらと常に考えています。理想としてはそれこそ、一年間を通した授業を作りづらくなりますが、春でも秋でもいつでも入学できて授業登録も自由にでき。単位がたまればいつでも卒業できるようなシステムになれればという気持ちがします。ちなみに自分は三回生が終わった段階で卒業必要単位数をオーバーしてましたが、全く意に介さず授業を取りまくって卒業時は160単位くらい持ってました。単位認定されない授業もたくさん取ってたから、実質的には180くらいあったろうな。