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2012年12月27日木曜日

新島八重について

 日本は恐らく明日が仕事納めでしょうが、メディアという仕事上から私は今日が仕事納めでした。その代り仕事始めも1日早くなるけど。
 そんな具合で解放感いっぱいかと思いきや、なんか11月から12月にかけて公私ともに面倒な事が一気に片付いたこともあってちょっと脱力感があります。っていうか、午後6時台に家に帰ってくるのが真面目に数年ぶりで時間のやり場に困る。あとこれは友人に向けてですが、

 話は本題に入りますが、今年放映された大河ドラマの「平清盛」は視聴率が過去最低を記録したようですが、Yahooの記事コメント欄に「平家の凋落と共に視聴率が落ちてきたのがリアル感がある」という指摘が妙にツボにはまりました。そんな不信を挽回すべく来年1月6日からは綾瀬はるか主演で、新島八重を題材にした新たな大河ドラマが始められるそうです。

 新島八重について簡単に説明すると、東日本大震災の被災地である福島県(会津藩)出身で同志社大学の創立者である新島襄の奥さんです。この人自体は以前から知らなかったわけではないのですが、歴史マニアを自称する自分でもそんなに詳しくはなく、とあるエピソードで名前を知っていたにすぎませんでした。
 そのエピソードというのも新島八重を代表するエピソードなのですが、会津藩は幕末に有名な白虎隊を始め薩長政府軍と激しく戦い合ったのですが、この戦争中に会津藩内の一部女性は男性と共に城に立てこもって抵抗を行ったそうです。この新島八重もその一人で大河の主役になるだけあって血気盛んなわけなのですが、同じく立て籠もった女性に高木時尾という人がおり、何を隠そう後に新撰組の斎藤一の奥さんになる人です。私はこの斎藤一について調べている時にこの新島八重も知ったのですが、回り回って京都に来るっていうのもまた数奇な運命です。

 そんな具合であまり詳しくないのでこれ以上取り立てて書く必要はないのですが、京都に過ごしたこともあるので新島八重の旦那の新島襄が作った同志社大学についてちょこっとだけ補足します。京都というのは昔からしきたりには無条件で従うところがあるものの、平清盛がいた頃から支配者がコロコロ変わることもあってルールとか規則はあまり重要視しないところがあります。そんな京都の中でも同志社は特にルールを無視する風潮が強く、結果が良いなら過程は何したっていいというような校風があります。
 過去をさかのぼるとどうも創立当初(同志社英学校)の頃からそういう雰囲気だったらしく、アメリカのラジカルな方の自由っぷりを継承したのかやりたい放題なところがあります。京都の人間もそんな同志社を許容する懐の深さがあり、戦時中に同志社の学生が喫茶店にいたところ警官が、「こんな時代にこんなところで学生が何しとる、どこの学校や」と聞くので同志社だと答えたら、「なんや、あそこは治外法権や」といって許してもらったって話を聞いたことがあります。

 私自身、同志社出身の知り合いが多くいますが、まぁどれもこれも調子のいい人間というかちょっとタガが外れた人が多いです。たとえばある作業を指示しても、「こんなん面倒やん、こっちのがええ」といって勝手に作業手順とか変えて仕事を仕上げてしまう事が多く、関西人全体にも言えますが関東人と比べて本音を行動に移す割合が高いです。ただ本音を貫き通す分だけあって人間関係の風通しは抜群に良く、普通にキャンパス内でも「っていうか学長、ええかげんにせえよな」と一切周りを見ずに学長や教員批判をする声が出てきます。もっともこれは学生間に限らず同志社の教員も、「教授会でも本人を前にしていつもそんな感じです」と言ってました。

 なんか悪口ばかり書いてるような気もしないでもありませんが、全体を通していい学校だとはよく思います。同志社に限らず京都にはたくさん大学があり、市民も学生に対して街全体で大目に見てくれる(そして消費者として扱う)ので関東近郊の高校生なんかは東京の大学ばかりに目を向けず、自分のように京都に進学することも考えてみたらどうかなと強く勧めたいです。このところ本気で思いますが、多分京都に行ってなければ自分もここまでラジカルな人生は送らなかったなと思えます。

2012年12月26日水曜日

第二次安倍内閣の陣容について

第2次安倍内閣の閣僚名簿発表(読売新聞)

 既に報じられている通りに、第二次安倍内閣が本日正式に発足しました。ちなみに以前の記事で一旦退陣した首相が間隔を置いて再登板するのは今回が戦後初めてと書きましたが、先に吉田茂がやってたようです。至極、勉強不足でした。
 それで今回発表された内閣、党役職の人事ですが、決して誇張ではなく三度の飯より政治談議が好きな私から見ていくつか言いたい点というかほかのメディアはなんで解説ないんだろうと思う点がちらほらあるので、先日に友人からも解説頼まれたのでその時の話した内容を今日は書いていきます。

 まず今回の人事全体に対する意見として、第一次安倍政権の頃と比べて知名度の高い党内でも重鎮の議員を比較的登用しているように見えます。財務大臣の麻生元首相を筆頭として前総裁の谷垣氏を法務大臣、前幹事長の石原伸晃氏を環境・原子力防災相などお馴染みの面々が名を連ねてます。ただ町村派会長の町村氏は選挙中にも体調を崩して入院したのが響いたのか閣僚入りしていません。因縁が全くないとも言えないから安倍首相の報復人事かなともちょっとよぎりましたが、それ言ったらもっと仲が良くない谷垣氏が入ってるんだから町村氏へは単純に体調を気遣っての配慮でしょう。
 そんな重鎮がひしめく中で要職である外務大臣には知名度がそれほど高くない岸田文雄氏が入っており、ある意味今回の人事で最大のサプライズでした。不勉強で情けない限りなのですが岸田氏はノーマークといっていいほどこれまでほとんどチェックしておらず、どういった政治思想を持っているか全く未知数です。それだけに安倍首相が何か明確な外交方針を持って岸田氏を外務大臣につけたのではないのかと思うので、日本帰ったらいろいろチェックしてみることにします。ちなみに職場でも、「誰こいつ?」って具合で同僚らとちょっと議論になりました。

 ここから少し特殊というか恐らくよそでは聞けない内容に移りますが、今回の人事で私が最も注目したのはほかでもなく、官房長官に菅義偉氏が就任したことでした。私が以前に田原総一郎氏の講演会に参加した際、田原氏が最も誉めていた議員はこの菅氏で、その時の発言をリアルに抜粋すると、「官僚を殴ったり蹴ったりして言うこと聞かせられるのはこの人しかいない」と評していました。この殴ったり蹴ったりという表現ですが、私も個人的に調べてみたところどうやらマジらしく、官僚が本気で恐れているのはみんなの党の渡辺代表や民主党の仙石全議員ではなく菅官房長官だそうです。
 この人の経歴はウィキペディアの記事を見てもらえばわかりますが、世襲どころではなく完璧なまでの叩き上げの政治家です。過去には総務大臣も経験しておりますが、官僚全体を統括する官房長官に今回就いたことから安倍内閣は公務員改革を進めるつもりで菅氏を官房長官に置いたのではないかと邪推しております。仮にそうであれば同様に公務員改革をずっと叫んでいるみんなの党との連合の可能性もあり、現に渡辺代表も政策に共通するものがあれば協力すると秋波を送っておりますし、参院選前までにこの辺がどうなるかを考えるだけでごはん三杯は食べれそうです。

 逆にもしかしたら閣僚入りするかなと思ってて今回入らなかったのは、第一次安倍内閣で官房長官を務めた塩崎恭久氏です。官房長官時代はやや無愛想な態度から「少年官邸団」の筆頭として大きな批判を受けた人物ですが、以前にこの人の著書を読んだ限りだと素直に頭の切れる人物だという印象を持っており、その後の政策に対する発言を見ていても安定感があることからかねてから評価しておりました。そのため今回の組閣でも何かしらの大臣職には就くのかとみていたのですが、麻生おろしに参加したりと変に行動力あるのが祟ったのかどうやら駄目だったようです。
 なお塩崎氏を見ていてよく、同じく間違いなく政策通ではあるんだけど党内から全く人望のなかった橋本龍太郎元首相が重なります。塩崎氏も会話の中で英語を多用することから「政界のルー大柴」と呼ばれているそうですが、なんか政策通の議員ってこういうキャラが多いような。

  追伸
 今回の話で引用している田原総一郎氏の講演会は4年前に記事化しております。

田原総一朗に凝視された日(陽月秘話 出張所)

 我ながら随分前からブログ書いてるんだなぁと思うのと同時に、記事中に書かれてある通りにめちゃくちゃガン見されてたのを昨日のことのように覚えてます。当時から4年経ちますが、少しは期待を持たせられる若者になれたかなと、ちょっと年月とその間の自分の行動を省みてしまいます。

2012年12月25日火曜日

育成、スカウトの上手い球団、下手な球団

 昨日はクリスマスイブにブログ更新を休みましたが、別に予定があったわけじゃなくて中国コラムの更新をしてました。ちなみに日本は今大寒波らしいですが、上海は昨日が一番寒く、多分今冬で最も気温が落ちる日になったでしょう。それにしても、リーマンショック以降は誰も地球温暖化を叫ばなくなり、中国のメディアに至っては「京都議定書体制が終わった」とまで書かれてます。

 話は本題に入りますが今年のプロ野球のドラフトは例年になく豊作だっただけでなく、大リーグ行きを希望していた大谷選手が指名権を得ていた日ハムに逆転入団をするなど話題には事欠きませんでした。その大谷選手に関連して、日ハムは選手育成の面で実績が高いことが大きく影響したのではないかとよく報じられており、せっかくの機会なので私の視点から育成の上手い球団、下手な球団を上下3位ずつ指名して効果と思います。
 そんなもんだから早速、育成の順位から並び立てます。

<育成の上手い球団>
1位、日ハム
2位、ソフトバンク
3位、西武
次点、巨人

<育成の下手な球団>
1位、阪神
2位、横浜
3位、オリックス

 上手い球団のトップには日ハムで私の中では動きません。ここはダルビッシュ選手、中田翔選手などアマチュア時代から将来を渇望されていた逸材を見事にスター選手へと育て上げるのに成功しているだけでなく、党首から打者へ転向した糸井選手、昨年1勝も挙げていないのに今年最多勝を挙げた吉川選手など、ほぼ毎年レギュラー陣が誰かしら入れ替わってます。それでいて強いのだから本当に隙がない。
 2位のソフトバンクについてもほぼ同様で、このところはややメンバーが固定されつつありますがほぼ毎年優秀な選手をレギュラーに送り込んできております。ただこのチームは選手の流出が激しいというか、中軸選手がメジャー行ったり巨人行ったりするからレギュラー変えざるを得ないのかもしれませんけど。
 3位の西武、次点の巨人に関してはちょっと悩みました。長年強豪として君臨し続けている西武が実績から3位に置きましたが、このところの巨人は山口選手を筆頭に育成選手枠で採用した選手から球界を代表する選手をよく育てており、他球団から選手を強奪していた頃とは似ても似つかないほどいい球団になっている気がします。

 ワーストのランキングはあまり悩みませんでした。最低の阪神はかつての巨人よろしく、他球団から変な選手を連れてきては折角育ちつつある選手のポジションを奪って、挙句に連れてきた選手が全然活躍しないなど目も当てられない状態です。野村阪神時代に育った選手も引退しつつあり、球団フロントを見るにつけしばらく改善の見込みはなさそうです。
 2位、3位の横浜とオリックスは阪神ほどではありませんが、長年にわたって自前でいい選手を育て挙げられていない点に加え、2005年からリーグに参加している楽天より弱いという今の状況を考えればお金がないというのは言い訳にならないでしょう。

 こんな感じで引き続き、スカウトの優劣順位です。

<スカウトの上手い球団>
1位、広島
2位、日ハム
3位、ヤクルト

 当初はワーストの順位も入れようかと思いましたが、具体的な根拠も浮かばないし素人の癖に適当なことを書くべきじゃないと思ったので省きました。

 まず1位の広島は見る人にとっては意外かもしれませんが、広島はこのところドラフト1位で獲得した選手が前田健太選手を筆頭にみんな揃って先発で活躍しており、なおかつ連れてくる外人選手もはずれが非常に少ないです。もっとも、片っ端から阪神に取られるのが不憫でならないけど。
 2位の日ハムについては今回の大谷選手の獲得もそうですが、大物選手を競合で必ず引き当てる運の強さを評価しました。3位ヤクルトは西武とどっちにするかで悩みましたが、国内は際立ってスカウティングがいいという風には見えないものの外人選手に限っては広島以上にはずれが少なく、どいつもこいつも球界を代表する成績を残しております。もっとも、こっちも片っ端から巨人に取られるのが不憫でならないけど。

2012年12月23日日曜日

自民、公明連立の歴史とその意味

 前回書いた小渕元首相に関する記事で私は、現在に至るまで続いている自民、公明の連立政権を作ったこそが彼の最大の功績だと評しました。また二党の連立は日本政治史においても非常に大きな意味合いを持っているとも考え、さすがに55年体制が出来た保守合同ほどには行かないまでもその後のパワーバランスを大きく方向づけた一事件としてもっと注目、研究すべきだと日頃考えます。ついては今日はその意義と背景、さらに今後の展望についていろいろ書いてみようかと思います。

 既に書いてある通り、自民党は1999年の小渕政権時に公明党と連立を組むことで合意し、その後は一貫として協力政党同士として政策や選挙などで関係を保っております。文字にするとたった一言ではありますがこの協力関係が続いている期間は今年で実に13年にも達しており、さらにずっと与党であったのならともかく自民党は一度は野党にも転落しておりますが、この野党時代も両党は歩調を合わせた活動を取っております。このように政党同士の協力関係がこれほどまで長く続くというのは戦後の日本政治史にはなく、またはっきりとは言えませんが世界的にも非常に珍しいように思います。既に安倍総裁は自らが総理に就任する次期政権で公明党と連立を組むと発表しており、まだまだ協力関係は続きそうで下手したら20周年とかにも行くかもしれません。

 一体何故この両党はこれほどまでに長く協力関係を保てたのか。一言で言えば公明党の他の政党にない特殊性が最大の要因でしょう。公明党の特殊性とくれば言わずもがなでその支持母体が宗教法人の創価学会なのですが、先に断っておくとよく「公明党は支持母体が創価学会なので政教分離に反する」と言う人もいますが、あれこれ宗教政策に口出したり自分とこだけ優遇する政策を取るならともかく、投票行動だけでこういう風な批判をするのは問題外といわざるを得ません。宗教勢力が組織票となるのはどの国でも一緒ですし。
 話は戻りますが公明党は上記のように創価学会が支持母体であるゆえに、以下の点で自民党と相性がいいと私は見ます。

1、政党支持層が被っていない
2、外交方針を始め政策方針にとやかく口出ししない

 1番目の点については、公明党の支持層は比較的低所得層が多いのに対し、自民党は中間~高所得層を支持層に持っております。こうした支持層の違いから選挙では投票者が被らず、お互いに協力した選挙戦を展開しやすいという利点があります。ただ現在においても唯一公明党批判を続けている平沢勝栄議員はちょっと特別で、この人は「政界窓際族」といってもいい立場から好きなこと言えるというのもありますが、選挙区の関係から公明党などと支持層が重なるという事情があります。ま、それ以上に本人の性格によるところの方が大きいかもしれませんが。

 次に2番目の点ですが、連立相手として見るならば公明党は非常に聞き分けのいい政党であります。基本的に主張するというか自民党に飲ませる政策といったら社会保障政策、それも内容面で結構妥協してくれるのでパートナーにする政党としてはやりやすい相手です。
 個人的に私がよく公明党が飲んだなぁと思うのは小泉政権の頃の自衛隊イラク派遣です。これは小泉元首相が公明党はおろか自民党内、果てには国内世論を押し切って実行したというのが大きいですが、それ以前の公明党からしたら絶対に飲めない内容だったように思えます。それだけにこれすらも公明党は飲んだことによってハードルが下がったというか、外交面では自民党に大きく妥協するようになって協力関係が深まったといえるかもしれません。

 そんな公明党と対照的なのは、言っては悪いですが社民党と国民新党です。どちらも民主党政権発足時に連立を組みましたが、議席数で大した貢献もしなかったくせに随分態度がでかいというかむちゃくちゃな要求ばかりしてきて、はっきり言いますが分をわきまえない行動が目立ちました。民主党も、こんな連中と組むくらいならねじれ国会覚悟で単独で政権運営しておけばよかったものを。

 話は自公に戻りますが、公明党としても全国すべての選挙区に候補者を擁立するほど体力を持っていないこともあり、自民と選挙協力をすることで得られるメリットが高いと言えます。あまり言われてはいませんが個人的に今回の選挙で一番驚いたのは、公明党は小選挙区すべてで全勝していることです。議員数で言えば比例当選がメインではあるものの、妥協は迫られるものの一度も裏切らずに自民党と組み続けたことによって無傷勝利を実現するまでの実力までも身に着けたかと感心しました。更に言えば、自民党が野党に落ちても歩調を合わせ続けたことによって再び与党に返り咲けたとも言え、結果論ではありますがあんな頼りない谷垣自民党相手によく我慢したものだとも思えます。もっとも野田内閣不信任案に同調しなかった点を見るといろいろな考えるところはあったのでしょうが。

 こんな具合でさっきから相性がいいと言っている両党ですが、今のところ仲違いする火種もないことから今後もしばらくは連立を組み続けることになると私は予想します。ただ一点だけ指摘すると、公明党は先にも書いた通りに選挙では比例制度に大きく依存しているところがあるため、選挙制度改革では比例制度廃止を飲むことだけは絶対にないでしょうし、仮に自民党がそれを実行しようものなら決裂に至る可能性すらあります。
 しかしかねがね主張しているように今の日本の選挙制度における最大の癌はこの比例制度にほかならず、よく小選挙区制度が自民党を弱くしたから中選挙区制に戻すべきという意見がありますが、自民党が弱くなったのは比例制度によって老害となる議員が復活当選してくることが大きく、むしろ中選挙区制に戻せば自民党はさらに弱くなる可能性があると思えます。

 それだけに私としては比例制度は早く廃止してもらいたいものですが、自公連立が続く間はそれを望むべくもありません。そこで敢えて公明党にも飲める内容として提案するなら、要は小選挙区で有権者にNOを突きつけられた議員が復活当選することが最大の問題なのだから、小選挙区と比例の二重立候補を禁止すれば少しはよくなるかもしれません。説明するまでもありませんが小選挙区で立候補する議員は比例名簿に名前を載せられないようにするだけで復活当選ができなくなり、重鎮というだけで居残る議員は追放することが出来るようになります。先にも書いたとおりに公明党は今回、小選挙区で全勝したのだからこれくらいならまだ飲めるかもしれないので、もし誰か見ているのなら真剣に検討してもらいたい内容です。

2012年12月22日土曜日

クリスマス前の上海の風景


 先日に中国ではそれほどクリスマス文化が普及してないと言っておきながらなんですが、一応それらしい街中の写真を取ってきたのでアップします。上記写真は上海市で、主に外国人を相手する観光地の「新天地」の写真です。新天地ならまだクリスマス向け装飾と化するだろうと踏んでの撮影です。


 ハーゲンダッツもレンガ造りの外観だとなんか迫力ある。


 同様にOMEGAも。


 中国共産党第一回決起大会記念館の前で、やけに塗装とかこだわられているベンツのスポーツカーが駐禁取られてました。自分以外にも写真を撮る人が多かったです。


 場所は変わってこちらは「老外街」という、外国人向け飲食店街の入り口です。ここは店舗オーナーの八割が外国人で、なおかつ客の八割も外国人という場所で、夏場と比べて客は少ないものの夜とかに訪れると外人ばっかで真面目に中国にいる気がしなくなります。そういう自分も中国では外人の一人なのですが。


 同じく老外街の一角。クリスマス前ということでシャンパンなどを売るで店が出ていた。


 白い靴下履いた猫を発見。しつこく追いかけて撮影。


 入り口夜。一応ライトアップするようだ。


 同じく夜。特にそれほど芸のない写真だ。


 番外編。老外街にある店の前に置かれていたが、なかなかジョークが効いている。

2012年12月21日金曜日

平成史考察~小渕元首相の突然死(2000年)

 またびっくりするくらいのタイムラグが空いたこの連載ですが、今回は自分の専門領域というかこの前友人にも「君は経済記者じゃなく政治記者になるべきだった」と言われるくらいに大好きな政治史にまつわる話で、小渕敬三元首相の突然死とその前後、そして歴史的意義について書いていきます。書く前だけど腕が鳴るというか、手ごわい内容だな。

小渕敬三(Wikipedia)

 小渕元首相の細かい経歴については本題ではないので省略しますが、1998年の参院選で大敗した責任を取って辞任した橋本龍太郎元首相の後継選挙で勝利し、第84代総理大臣に就任します。ちなみにこの時の総裁選には梶山静六前官房長官と小泉純一郎元首相が立候補し、小渕元首相を含めて「軍人、変人、凡人」と実にうまく言い表したのはこの前の選挙で落選した田中真紀子氏でした。宮沢喜一元首相といい、評論の上手い政治家は決まって政策手腕は悪い。

 話は小渕元首相に戻りますが就任当初は不人気だった橋本元首相と同じ派閥出身で、また総裁選挙も派閥単位での投票で決まったもんだから支持率は非常に低い水準でした。今でもよく覚えているのは当時放映されていた「ニュースステーション」に薬害エイズ問題で名を上げていたまだ若い管直人元首相が出てきて、小渕元首相とどちらが総理としてふさわしいか電話投票を受け付けたらダブルスコア以上で管元首相が得票を得ていました。それにしてもみんなその語首相になってるから、「元首相」という肩書が多くて書き辛い。

 とまぁこんな具合で出だしこそ悪かったものの、元々「人柄の小渕」と形容されるほど穏やかな性格だっただけに支持率は徐々に上昇。また「ブッチホン」といい有名人やテレビ番組にノンアポでいきなり電話をかけてくるという庶民性が受けて、在職後半期は高い人気を獲得するに至りました。また本業の政治舞台でも自由党、公明党との連立を取りまとめ安定政権を確立し、あのまま何もなければ少なくとも4年の任期は全うできたと私は考えています。

 そんな順風満帆だった時期の2000年4月2日、小渕元首相は脳梗塞で突然倒れ執務不能へと陥りました。その後は昏睡状態が続き一か月半後の5月14日に死去しますが、実際は倒れた当初からほぼ脳死状態だったとされメディア業界でも当初から回復は絶望視されていたようです。ただ国民の側は、恐らく人気も高かったことからでしょうがもしかしたら回復するかもという期待がどことなく会ったような感じがして、当時私は中学生でしたが死去が報じられるやクラスの女子が「えー、助かると思ってたのに」と言っていたのをやけによく覚えてます。確か小講堂前の渡り廊下の上だったな。
 倒れた原因については元から心臓に持病を抱えていたこともありますが、あくまで推論としてよく語られるのは倒れた直前に小沢一郎率いる自由党が連立離脱を発表し、そのショックの影響が強かったのだと言われております。ただこの連立離脱自体は政治的な駆け引きの一つであって、これを以って小沢がどうのこうのというのはちょっと筋が違うと私は考えています。

 この小渕元首相の突然死について生前に取材したこともあった佐野眞一氏は以前、日本の総理の短命化を決定づけた事件だったと評してました。もっとも小渕元首相ともう一人、愛人スキャンダルでわずか69日で退陣した宇野宗佑元首相も総理の椅子を軽くした張本人だと言ってましたが。
 話は再び小渕元首相に戻しますが、この佐野氏の評論に対して私は基本的に同意です。小渕元首相の後は密室の談合によって森善朗氏が首相に立ちますが、えひめ丸事故の対応といい資質的にかなり問題のある人間だっただけに首相公選制の議論が大きく持ち上がるようになりました。その次の小泉元首相は非常に長い人気を全うしたものの、安倍晋三元首相(次首相になるのにこの肩書きもどうかと思うが)以降はほぼ1年ごとに首相が交替するのが恒例となり、きっと将来歴史を勉強する日本人は「なんでこの時期はこんなにコロコロ変わるんだよ、覚えてらんないって」と思うことでしょう。

 更に折悪くというか小渕元首相の死去後から金融などで日本の経済は大荒れすることになり、文字通り混乱と低迷の時代へと突入することになります。そういった点を考慮するにつけて小渕元首相の死去後から小泉元首相の就任までは日本の大きなターニングポイントだったとこのところよく思え、ちょっとこじつけなような気もしますが小泉政権下で大きな問題となった派遣労働の範囲を最初に拡大したのは実は小渕政権でした。その一方で景気対策として公共事業支出を大盤振る舞いした挙句に全く経済効果を生まなかった地域振興券を配るなど小渕政権は積極財政を続けましたが、小泉政権は真逆の縮小財政を取っております。両政権は一見すると真逆である一方、根底では確かな流れというか明確な接続があるようにも見え、平成政治史を見る上でこの期間は非常に重要な時期だと感じます。

 最後になりますが小渕政権の日本政治史に与えた最も大きな影響としてほかのなによりも、自民党と公明党の連立を取りまとめたことにあると思います。この点についてはまた別枠で記事を書く予定ですが、この時の連立成立があったからこそ小泉政権の長期安定化も実現したと断言でき、現代における影響力も半端ではなく大きなものがあります。
 ただこうした政界交渉という面ではその功績を認めるものの、以前から書いているように施政方面での業績に関してはただムダ金をばらまいて、見かけ上の景気をよくして借金を増やしただけだとあまり評価していません。内輪ネタになるけど、佐野眞一氏の講演終了後に一人だけという条件で質問に立った人が小渕元首相を持ち上げていた佐野氏に、いきなりこの点を追及してきたので結構笑えました。

  おまけ
 竹下登元首相の孫のDAIGO氏によると、彼が15歳だった頃に小渕元首相はお年玉に8万円も包んでくれたそうです。一方、祖父の竹下元首相のお年玉は最高額が3万円だったため、「小渕さん、リスペクトですよ」と語っているそうです。

2012年12月20日木曜日

中国のクリスマス事情

 いただいたコメントにも書かれてありましたが、日本では今頃クリスマスや年末ということで慌ただしい日々が続いているかと思います。一方、こちら中国ですが日本とは対照的に実に普段通りの日常続いており、むしろ気温が落ちて寒くなってきたから人通りが減るなど実に毎日が静かです。
 そんな静かな日々を過ごす中で先日にちょっと気が付いたのですが、日本とは違って中国ではいわゆる「クリスマス商戦」に関する話題がほとんど出てきません。一応毎日経済紙をチェックしておりますが、クリスマス前の消費需要とか子供向けプレゼントの話は全くなく、唯一出てきた話としては世界一の雑貨卸売市場といわれる浙江省義烏市で9月頃、欧州の債務危機はどこ吹く風でクリスマス関連の装飾、おもちゃの輸出が過去最高なくらいに好調だったくらいです。

 なもんだから同僚にクリスマス関連の消費ニュースとかないものかと話を振ってみたところ、そもそもクリスマスというイベントの習慣自体が中国には根づいていないと返されました。なんでもその同僚の家では以前、クリスマス前に子供に「悪い子にはサンタさん来ないよ」と言いつけたことがあったのですが、クリスマス後に幼稚園から帰ってくると子供は、「周りの友達は誰もプレゼントもらってなかったけど、悪い子なの?」と言ってきたそうです。それ以降はちょっと叱り方を変えたと同僚は言ってました。
 実際に周りを見ていても、クリスマスに子供にプレゼントをあげるという文化は中国にはほぼ全くない気がします。西洋文明が最も普及している上海ですらこんな感じなのですから、ほかの中国の都市に至っては恐らく皆無でしょう。一応、クリスマスの存在自体は認知はしており、この時期になると商店などではいかにもその場しのぎな感じのステッカーとかを店先に貼ったりしてますが、サンタさんのステッカーが2月ごろまで貼られ続けることなんてざらです。

 ただ個人的にちょっと気になる点として、クリスマスはこんな感じである一方で2月14日のバレンタインデーは比較的普及しているところがあります。普及していると言っても上海市など大都市限定ではありますが、今年なんかは地元の新聞とかでもチョコレートの価格帯とか、当日に予約されていたホテルのテーブル席の価格などが取り上げられており、西洋伝来のイベントでも普及にこうも差があるものかと感じます。
 もっともこれは日本もあまり人のこと言えないかもしれません。西洋ではクリスマスは家族のイベントであるのに対して日本では子持ち家族、または恋人とのイベントになっており、この辺で微妙なずれがある気がします。またハロウィンも最近は普及しておりますが、バレンタインとクリスマスと比べたら一足遅れが感があり、西洋人とかも日本でまだ普及してないとか思ってたのかもしれません。

  中国語豆知識
 中国語ではクリスマスのことを「聖誕節」と書きます。これはそのままだし実に的確な翻訳だと思うのですが、問題なのはサンタクロースでこちらは「聖誕老人」と訳されてます。昔のルームメイトのルーマニア人はこの語を見て、「キリストとサンタクロースは直積的な関係はないのになぁ」とか洩らしていました。