友人に何度も書くと言いながらずっと書いていないので、そろそろ腹をくくってこのテーマで書くことにします。
その友人によると、なんでもテレビ局やゲーム会社などといった娯楽業界では消費者の「時間」という単位を如何に取るかという概念があるそうです。く人間が一日に与えられた時間というのは言うまでもなくみんな24時間で共通しており、その24時間内に食事から仕事、そして今回掲げている娯楽へとそれぞれ時間を割り振るわけなのですが、生活リズムは人それぞれによって異なるものの、娯楽においては多くの時間を獲得すればそれだけ売上げなり市場が広がるとされております。
たとえば高校生の平日を例にとってみると、学校の通学から授業に使う時間が8時間、睡眠に使う時間を7時間とすると、可処分所得ならぬ本人が一日のうちで自由に使える時間は残り9時間となります。さらに部活に2時間、宿題に1時間、朝夕の食事時間を1時間かけると仮定すると残りは5時間という計算となり、この5時間が娯楽に使える正味時間となるわけです。
娯楽業界からするとこの5時間を如何に自分たちのサービスに使ってもらうかが肝心となり、テレビ番組であれば平均視聴時間が2時間よりも5時間ある方が広告料が高まり、ゲーム業界にとってもゲームに充てられる時間が多ければ多いほど自分たちの商品が売れる裾野が広がるという感じです。
この概念で以って歴史を振り返ると、それこそ昭和から平成初期の時代であればテレビに最も娯楽時間が費やされており、それ故にテレビ業界は栄華を極めることができました。しかし2000年前後からパソコンが普及したことによって今までテレビ視聴に使われていた時間の一部がインターネットに置き換わり、さらに時間が経つと携帯電話にも時間が割り引かれるようにもなり、ここ数年だとスマホによるネット利用時間も新たに出てきたと言えます。
以上のように考えると新たな娯楽の出現によってテレビの視聴時間は激減したと言ってもよく、近年の視聴率、広告料の低下は自明と言えるでしょう。無論、テレビ業界もそんなことは百も承知で、対策として「如何にテレビ視聴に時間を割いてもらうか」と意識する方もいると聞きます。とはいっても、念力とかでどうにかなるようなものではないが。
この娯楽時間と同じようなものだと食品・外食業界があり、ここなんかも人間の食事回数というか胃袋、言ってしまえば人口によって消費量が決まる所があり、自分もよく取材時にこの業界の人から、「人口減の日本では市場が縮小するのは目に見えており、膨大な人口を抱える中国への進出は誰もが考えている」という言葉を何度も聞きました。
娯楽業界はこの食品・外食業界ほどはっきりしてるわけではないものの、それでも娯楽時間の母数が変動すれば影響を受けることとなります。ちょっと言葉足らずな気もしますがスパッと一言で言うと、社会人の労働時間が増えれば増えるほど娯楽業界は縮小していく可能性が高いということです。
帰宅が夕方6時の人と夜10時の人では娯楽に使える時間は単純に4時間も変わり、下手すれば後者は疲労回復のために睡眠時間が増えることもあるのでもっと差が広がるかもしれません。スマホであれば通勤時間などにも使えるのでまだ影響は小さいですが、テレビ視聴時間、ゲーム時間、読書時間、勉強時間、デート時間、旅行時間、ブログ執筆時間などは社会人が働けば働くほど需要が落ちるのです。そのためこれらに関連するテレビ局、ゲーム会社、出版社、飲食・カラオケ・アミューズメント企業、旅行会社、観光地、ネットサービス企業は余裕のある人が減ると割を食うわけです。
報道、といっても私もたまに行くので実際に見てますが、最近のゲームセンターは若者よりも年寄りが多く集まる傾向があるそうですが、年寄りはお金に余裕があるというよりは時間に余裕があるためにそうなってきたのでしょう。ここまで言えば私が何を言わんとするかはわかると思いますが、第三次産業を盛り上げるという意味でもう少し労働時間を日本は考えた方がいいのではというのが今日の私の意見です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2013年5月19日日曜日
2013年5月16日木曜日
昭和の再建請負人、河島博
先日の記事で「あんぽん」という佐野眞一氏による孫正義氏の票田を読み始めたと書きましたが、ふと佐野氏の著書で取り上げられていた河島博という人物を思い出し、未だに記事化していなかったのでこれを機に書こうと思います。
河島博は昭和期おける経営者で、1977年にヤマハ(当時は日本楽器製造)の社長に46歳にもかかわらず就任しております。就任してからは過去最高益を叩きだすなど順調な経営を続けていましたが、息子に跡を継がせたいと考えていたワンマン経営者の川上源一郎によって就任から3年後の1980年に社長職を解任されてしまいました。
なおヤマハはその後、川上源一郎の息子の川上浩が41歳で社長に就きましたが業績は低迷し、労働組合から直接的に社長退任が申し入れるという異常事態にまで発展し、川上浩は1991年に引退に追い込まれております。
話は河島博に戻りますが、ヤマハの社長退任から2年後、ダイエーの会長であった中内功に請われる形でダイエーの副社長に就任します。ダイエーは2000年代に天文学的な負債額を抱えて経営破綻しておりますが、実はこの河島博が社長に就任した1982年に65億円の赤字を出すなど非常に苦しい経営が続いておりました。かつて日本の小売形態を変えた中内功もその神通力が通じなくなり、むしろそのワンマン経営の弊害が出始めていたようなのですが、このような状況を打開するためヤマハを再建した河島を三顧の礼で迎えました。
河島が副社長就任後のダイエーの業績は1981年が119億円、1982年も88億円の赤字を出しますが、1983年には黒字となり見事にV字回復を成功させます。ただV字回復をするや用済みとばかりに河島は解任され、中内功は長男の中内潤を副社長に抜擢します。その後、ダイエーはプロ野球チームの南海ホークスを買収するなど再び拡大路線へと転換しますが、90年前半のバブル景気が終わるや再び業績が悪化し、経営破綻への道を歩くだけとなります。
佐野氏は毎日新聞の連載記事をまとめた「新忘れられた日本人」という著書の中で「二人のワンマン経営者に仕えた男」として河島を紹介しており、その不運と共に晩年までヤマハの川上、ダイエーの中内に対して何一つ不平を洩らさなかったというか口を閉ざしていたことを称賛しております。その上で山本周五郎の「樅ノ木は残った」を引用して伊達騒動の原田甲斐にもなぞらえております。ちなみにこの「樅ノ木は残った」はたまたまですが自分も読んでおります。
私の方から付け加えると、ヤマハとダイエーの二社を立て直し、しかも引退後は二社とも業績が悪化していることから河島は圧倒的ともいえる経営手腕だったのだろうと推察します。それだけに二回も、それも世襲に巻き込まれる形で経営を退くこととなったのは不運以外の何物でもなく深い同情を禁じ得ません。それとともに、企業経営においてナンバー2というのはどうも地味であまり取り上げられることがないのですが、この河島の話を見るについてそういった人物にスポットを当てるべきではないかともというのが、今日の私の意見です。
河島博は昭和期おける経営者で、1977年にヤマハ(当時は日本楽器製造)の社長に46歳にもかかわらず就任しております。就任してからは過去最高益を叩きだすなど順調な経営を続けていましたが、息子に跡を継がせたいと考えていたワンマン経営者の川上源一郎によって就任から3年後の1980年に社長職を解任されてしまいました。
なおヤマハはその後、川上源一郎の息子の川上浩が41歳で社長に就きましたが業績は低迷し、労働組合から直接的に社長退任が申し入れるという異常事態にまで発展し、川上浩は1991年に引退に追い込まれております。
話は河島博に戻りますが、ヤマハの社長退任から2年後、ダイエーの会長であった中内功に請われる形でダイエーの副社長に就任します。ダイエーは2000年代に天文学的な負債額を抱えて経営破綻しておりますが、実はこの河島博が社長に就任した1982年に65億円の赤字を出すなど非常に苦しい経営が続いておりました。かつて日本の小売形態を変えた中内功もその神通力が通じなくなり、むしろそのワンマン経営の弊害が出始めていたようなのですが、このような状況を打開するためヤマハを再建した河島を三顧の礼で迎えました。
河島が副社長就任後のダイエーの業績は1981年が119億円、1982年も88億円の赤字を出しますが、1983年には黒字となり見事にV字回復を成功させます。ただV字回復をするや用済みとばかりに河島は解任され、中内功は長男の中内潤を副社長に抜擢します。その後、ダイエーはプロ野球チームの南海ホークスを買収するなど再び拡大路線へと転換しますが、90年前半のバブル景気が終わるや再び業績が悪化し、経営破綻への道を歩くだけとなります。
佐野氏は毎日新聞の連載記事をまとめた「新忘れられた日本人」という著書の中で「二人のワンマン経営者に仕えた男」として河島を紹介しており、その不運と共に晩年までヤマハの川上、ダイエーの中内に対して何一つ不平を洩らさなかったというか口を閉ざしていたことを称賛しております。その上で山本周五郎の「樅ノ木は残った」を引用して伊達騒動の原田甲斐にもなぞらえております。ちなみにこの「樅ノ木は残った」はたまたまですが自分も読んでおります。
私の方から付け加えると、ヤマハとダイエーの二社を立て直し、しかも引退後は二社とも業績が悪化していることから河島は圧倒的ともいえる経営手腕だったのだろうと推察します。それだけに二回も、それも世襲に巻き込まれる形で経営を退くこととなったのは不運以外の何物でもなく深い同情を禁じ得ません。それとともに、企業経営においてナンバー2というのはどうも地味であまり取り上げられることがないのですが、この河島の話を見るについてそういった人物にスポットを当てるべきではないかともというのが、今日の私の意見です。
2013年5月14日火曜日
橋下市長の従軍慰安婦発言について
各界を騒がせているので政治ブログを標榜するこのブログでも取り上げざるを得ないと思うので、本日は橋下大阪市長の従軍慰安婦に関する発言について私の意見を紹介します。ちなみにあまり本題とは関係ありませんが、今日から佐野眞一氏の「あんぽん 孫正義伝」を読み始めました。
問題となっている橋下市長の発言を私の理解で大まかにまとめると、戦時中にいたとされる従軍慰安婦の存在を軍の規律を守る上では必要だったと容認するもので、その上で現在どの国の軍隊も多かれ少なかれこのような性風俗サービスを受けている、沖縄の米海軍もそうだ、もっと米軍も性風俗を正規のサービスで受けて沖縄の経済振興を果たしてほしい……といったところです。政界からも批判が出る中で橋下市長はいつも通りですが撤回するつもりは全くないと述べており、私が見る限りだと今のところ応援しているのは同じ維新の会の石原慎太郎氏くらいなものです。
それでこの橋下市長の発言に対する私の意見ですが、まず真っ先に浮かんだのは政府からお金でももらったのかなということでした。最近寒暖差が激しくて疲れがひどいからこんなことも考えるのでしょうが、ちょうど今、日本と韓国は歴史認識問題でまた関係が悪化しており、特に安倍首相の発言に対しては韓国側がややナイーブになっております。そうした中で安倍首相の発言よりずっと過激な橋下市長のこの発言が出ることによって恐らく、安倍首相のこれまでの発言は目立たなくなって韓国側からすればトーンダウン、こんな具合で安倍政権にとってはややプラスになるわけです。もっともさすがにこんな筋書きは書いておきながらだけどないだろうな。
ではなんで橋下市長はこんな発言を突然したのかですが、こういってはなんですが兆候はあった気がします。どうも安倍政権が誕生してからというか前回の衆議院選挙後、維新の会は人気もじりじりと落ちてきて、橋下市長もなにやら焦りとも取れる態度が今年に入ってからちらちら見えてきました。
恐らく今回発言した内容は橋下市長にとって今さっきに思い付いたものではなく前からも考えていた持論でしょう。それが何故出てきたのかというとやっぱり焦りというか、以前みたいに「言いたくても支持を失う恐れがあるため」として言えなかった内容ですらも黙っている余裕がなくなったというか、思ったことをそのまま口にしたくなったんじゃないかと勝手に考えています。
はっきり言って、私は正直な人が好きですし私自身も全球真向勝負で本気で投げ続けるタイプであります。ただ政治家というか大人というのは、嘘は言ってはいけませんが言わなくてもいい本当のことは言ってはならないものだと私は思います。橋下市長は政治家に転向した直後、須つに失言をするだろうと私は思っていましたが致命的なものはこれまでになくかなり成長したとは思っていたのですが、やっぱり地が出てきたというか、これまでは相当に我慢してきたんだと思います。
上記の内容をまとめると私自身は今回の橋下市長の発言を評価しません。評価しない点はその内容よりも、機微な点が数多くある問題について何の準備もなく発言したという、政治家としてやや迂闊な点です。
最後に従軍慰安婦問題についてですが、これはそもそも政治家が議論するような内容ではなく、歴史家にまかせるべき話だと考えています。そういう意味で日本、韓国ともに政治家はあまり口出しするべき話題じゃないと考えており、国内対策として事ある毎に持ち出してくる韓国の政治家はこういってはなんですが未熟に思えます。
問題となっている橋下市長の発言を私の理解で大まかにまとめると、戦時中にいたとされる従軍慰安婦の存在を軍の規律を守る上では必要だったと容認するもので、その上で現在どの国の軍隊も多かれ少なかれこのような性風俗サービスを受けている、沖縄の米海軍もそうだ、もっと米軍も性風俗を正規のサービスで受けて沖縄の経済振興を果たしてほしい……といったところです。政界からも批判が出る中で橋下市長はいつも通りですが撤回するつもりは全くないと述べており、私が見る限りだと今のところ応援しているのは同じ維新の会の石原慎太郎氏くらいなものです。
それでこの橋下市長の発言に対する私の意見ですが、まず真っ先に浮かんだのは政府からお金でももらったのかなということでした。最近寒暖差が激しくて疲れがひどいからこんなことも考えるのでしょうが、ちょうど今、日本と韓国は歴史認識問題でまた関係が悪化しており、特に安倍首相の発言に対しては韓国側がややナイーブになっております。そうした中で安倍首相の発言よりずっと過激な橋下市長のこの発言が出ることによって恐らく、安倍首相のこれまでの発言は目立たなくなって韓国側からすればトーンダウン、こんな具合で安倍政権にとってはややプラスになるわけです。もっともさすがにこんな筋書きは書いておきながらだけどないだろうな。
ではなんで橋下市長はこんな発言を突然したのかですが、こういってはなんですが兆候はあった気がします。どうも安倍政権が誕生してからというか前回の衆議院選挙後、維新の会は人気もじりじりと落ちてきて、橋下市長もなにやら焦りとも取れる態度が今年に入ってからちらちら見えてきました。
恐らく今回発言した内容は橋下市長にとって今さっきに思い付いたものではなく前からも考えていた持論でしょう。それが何故出てきたのかというとやっぱり焦りというか、以前みたいに「言いたくても支持を失う恐れがあるため」として言えなかった内容ですらも黙っている余裕がなくなったというか、思ったことをそのまま口にしたくなったんじゃないかと勝手に考えています。
はっきり言って、私は正直な人が好きですし私自身も全球真向勝負で本気で投げ続けるタイプであります。ただ政治家というか大人というのは、嘘は言ってはいけませんが言わなくてもいい本当のことは言ってはならないものだと私は思います。橋下市長は政治家に転向した直後、須つに失言をするだろうと私は思っていましたが致命的なものはこれまでになくかなり成長したとは思っていたのですが、やっぱり地が出てきたというか、これまでは相当に我慢してきたんだと思います。
上記の内容をまとめると私自身は今回の橋下市長の発言を評価しません。評価しない点はその内容よりも、機微な点が数多くある問題について何の準備もなく発言したという、政治家としてやや迂闊な点です。
最後に従軍慰安婦問題についてですが、これはそもそも政治家が議論するような内容ではなく、歴史家にまかせるべき話だと考えています。そういう意味で日本、韓国ともに政治家はあまり口出しするべき話題じゃないと考えており、国内対策として事ある毎に持ち出してくる韓国の政治家はこういってはなんですが未熟に思えます。
2013年5月12日日曜日
韓国の近現代史~その十三、朴正煕暗殺事件
・朴正煕暗殺事件(Wikipedia)
だいぶ長い間書いてきた朴正煕ともこれでおさらばです。そういうわけで久々の連載再開記事は、朴正煕大統領の暗殺事件を取り上げます。
事件が起こったのは1979年10月。朴正煕は1963年から韓国の最高権力者の座に就いてから16年間もの月日が経ち、この間には暗殺未遂事件も何度か起きておりますが国内の選挙干渉や学生デモを弾圧し続けることによってこの座を維持してきました。また暗殺される直前には憲法を改正して自身が終身制の大統領に就くことを明記しており、当時は朴正煕自身が辞任するか暗殺されるか、はたまた革命が起こるかでしか彼を大統領から引き摺り下ろすことが出来ない状態でありました。
それで実際に暗殺されることとなったわけですが、朴正煕を暗殺した人物は彼の腹心でもありKCIAの金載圭でした。金載圭は暗殺を実行する前に学生デモなどへの弾圧が手ぬるいとして朴正煕から叱責を受けていたことに不満を持っていたそうですが、これが直接の動機だったかについては後に詳しく書きますがちょっと微妙なところがあります。
暗殺の状況について詳しく書くと、当日はソウル市内にあるKCIAの秘密宴会場で朴正煕、金載圭、車智澈・大統領府警護室長、そして何故かこの宴会にお呼ばれされていた女性歌手の沈守峰と女子大生モデルの申才順の五人で晩餐会が行われておりました。この晩餐会の最中にも朴正煕から叱責を受けると金載圭は一旦中座し、部下にいくらかの指示を与えた後に拳銃を持って会場に戻り、そのまま朴正煕と車智澈の二人へ発砲。二発発射した後に拳銃が故障したことからまた部屋を出て、部下から拳銃を借りて戻るとまた朴正煕と車智澈に一発ずつ発砲して止めを刺しました。残った歌手と女子大生に金載圭は「慌てないで。安心するように」と言い、近くにある別の宴会場にいた陸軍参謀総長の鄭昇和を訪ねて、自分が射殺犯であることを隠した上で朴正煕の死を伝えた後、非常戒厳令を布告するよう迫ったそうです。
恐らく金載圭は暗殺を北朝鮮とか別の人物によるものに仕立て上げた上で自分の犯行をうやむやにしたかったのか、ほかに何らかの思惑がったのかもしれませんが、密室でこれだけ露骨な暗殺をしておいてばれないはずがありません。戒厳令の布告を渋っていた鄭昇和は「暗殺犯は金載圭だ」という報告を受けるや金載圭を逮捕し、その上で戒厳令を出して自らが戒厳司令官に就任しました。その後、国内にはしばらく大統領が死亡した事実は伏せられておりましたが日本を含む国外ではすぐに報じられ、外国に親戚や知人がいる人たちから国内にも情報が伝わっていきました。
逮捕された金載圭は動機について当初、終身独裁制を築いた朴正煕を大統領の座から下ろすにはこれしか方法がなかった、民主主義を守るためだったという、KCIA長官らしからぬ理由を話したとされますが、現代では単純に自らの地位が危うく保全を図ったものという説が強いです。もっとも未だにその理由についてははっきりしておらず、翌年には死刑判決を受けてすぐ執行されていることから、なんというか口封じされたような気もしないでもありません。
ざっと上記までが一連の流れですが、太字にしちゃいますが一体どこから突っ込んでいいのかちょっと悩みます。しょうがないのでひとまず疑問点を箇条書きにします。
1、なんで秘密の宴会場なんて言うものがあるのか?
2、しかもなんで女性歌手と女子大生モデルが同席していたのか?
3、しかもなんでなんで二人とも暗殺現場に居合わせたのに射殺されなかったのか?
4、金載圭もどうして陸軍参謀総長に掛け合ったのか?
1番に関しては妻が暗殺されて以降、朴正煕は若い女性と一緒に夕食を取ることが多かったためにそれほど不自然ではないという説明を見かけますが、はっきり書いてしまえば性接待があったのかと勘ぐってしまいます。そしてスルー出来ない2番と3番についてですが、普通の感覚してるなら射殺する現場を見た人間を生かしておくはずないのに金載圭は何故か見逃しております。ちなみにこの二人、確かまだ存命中です。
でもって4番目ですが、仮に金載圭は怨恨目的で暗殺したというのなら普通は海外逃亡するか、偽の犯人を仕立てあげた上で、「大統領は暗殺されたが犯人は我々が逮捕(または射殺)してやったぞ!」というシナリオを組むんじゃないかという気がしてなりません。なのにわざわざ陸軍参謀総長に出向いて戒厳令を求める、やはり腑に落ちませんというか行動が明らかに奇妙です。
それこそ、金載圭が叱責を受けたことによって何の準備もなしに発作的に暗殺を実行してしまうような底の浅い人物だったというのであればそれまでですが、なんていうか逃げ道を約束されていたから同席した二人の女性には手を掛けなかったんじゃないかとも考えてしまいます。じゃあその逃げ道とは何か、こちらもやや安直ですがアメリカです。
ウィキペディアにも書かれていますが当時、朴正煕とアメリカ政府(カーター政権)は韓国の核開発計画を巡って冷え込んでいたとされており、それが原因ではないかという声も出ています。でもってアメリカも前科があるというかベトナムでは実際にCIAによって南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領を暗殺してるんで、朴正煕もやっぱやられたんじゃないかなぁって気がしないでもないです。
となるとシナリオというのはCIAがやや不満を持っていた金載圭を唆して、「朴正煕を暗殺してきたら後の面倒は全部こっちで見るよ、鄭昇和も仲間だから終わったら彼に報告してね」的なことを伝えて、韓国人同士で処理完結させたような感じでしょうかね。あまりこういう陰謀論というかなんでもかんでも悪いことをアメリカのせいにするのも良くないとは思いますが、一つの仮説としてはもっておいた方がいいので書いておくことにしましたが、真実の検証が済むのはあと50年くらい先で、同席した女性二人が回顧録とか出す頃かなと思います。
だいぶ長い間書いてきた朴正煕ともこれでおさらばです。そういうわけで久々の連載再開記事は、朴正煕大統領の暗殺事件を取り上げます。
事件が起こったのは1979年10月。朴正煕は1963年から韓国の最高権力者の座に就いてから16年間もの月日が経ち、この間には暗殺未遂事件も何度か起きておりますが国内の選挙干渉や学生デモを弾圧し続けることによってこの座を維持してきました。また暗殺される直前には憲法を改正して自身が終身制の大統領に就くことを明記しており、当時は朴正煕自身が辞任するか暗殺されるか、はたまた革命が起こるかでしか彼を大統領から引き摺り下ろすことが出来ない状態でありました。
それで実際に暗殺されることとなったわけですが、朴正煕を暗殺した人物は彼の腹心でもありKCIAの金載圭でした。金載圭は暗殺を実行する前に学生デモなどへの弾圧が手ぬるいとして朴正煕から叱責を受けていたことに不満を持っていたそうですが、これが直接の動機だったかについては後に詳しく書きますがちょっと微妙なところがあります。
暗殺の状況について詳しく書くと、当日はソウル市内にあるKCIAの秘密宴会場で朴正煕、金載圭、車智澈・大統領府警護室長、そして何故かこの宴会にお呼ばれされていた女性歌手の沈守峰と女子大生モデルの申才順の五人で晩餐会が行われておりました。この晩餐会の最中にも朴正煕から叱責を受けると金載圭は一旦中座し、部下にいくらかの指示を与えた後に拳銃を持って会場に戻り、そのまま朴正煕と車智澈の二人へ発砲。二発発射した後に拳銃が故障したことからまた部屋を出て、部下から拳銃を借りて戻るとまた朴正煕と車智澈に一発ずつ発砲して止めを刺しました。残った歌手と女子大生に金載圭は「慌てないで。安心するように」と言い、近くにある別の宴会場にいた陸軍参謀総長の鄭昇和を訪ねて、自分が射殺犯であることを隠した上で朴正煕の死を伝えた後、非常戒厳令を布告するよう迫ったそうです。
恐らく金載圭は暗殺を北朝鮮とか別の人物によるものに仕立て上げた上で自分の犯行をうやむやにしたかったのか、ほかに何らかの思惑がったのかもしれませんが、密室でこれだけ露骨な暗殺をしておいてばれないはずがありません。戒厳令の布告を渋っていた鄭昇和は「暗殺犯は金載圭だ」という報告を受けるや金載圭を逮捕し、その上で戒厳令を出して自らが戒厳司令官に就任しました。その後、国内にはしばらく大統領が死亡した事実は伏せられておりましたが日本を含む国外ではすぐに報じられ、外国に親戚や知人がいる人たちから国内にも情報が伝わっていきました。
逮捕された金載圭は動機について当初、終身独裁制を築いた朴正煕を大統領の座から下ろすにはこれしか方法がなかった、民主主義を守るためだったという、KCIA長官らしからぬ理由を話したとされますが、現代では単純に自らの地位が危うく保全を図ったものという説が強いです。もっとも未だにその理由についてははっきりしておらず、翌年には死刑判決を受けてすぐ執行されていることから、なんというか口封じされたような気もしないでもありません。
ざっと上記までが一連の流れですが、太字にしちゃいますが一体どこから突っ込んでいいのかちょっと悩みます。しょうがないのでひとまず疑問点を箇条書きにします。
1、なんで秘密の宴会場なんて言うものがあるのか?
2、しかもなんで女性歌手と女子大生モデルが同席していたのか?
3、しかもなんでなんで二人とも暗殺現場に居合わせたのに射殺されなかったのか?
4、金載圭もどうして陸軍参謀総長に掛け合ったのか?
1番に関しては妻が暗殺されて以降、朴正煕は若い女性と一緒に夕食を取ることが多かったためにそれほど不自然ではないという説明を見かけますが、はっきり書いてしまえば性接待があったのかと勘ぐってしまいます。そしてスルー出来ない2番と3番についてですが、普通の感覚してるなら射殺する現場を見た人間を生かしておくはずないのに金載圭は何故か見逃しております。ちなみにこの二人、確かまだ存命中です。
でもって4番目ですが、仮に金載圭は怨恨目的で暗殺したというのなら普通は海外逃亡するか、偽の犯人を仕立てあげた上で、「大統領は暗殺されたが犯人は我々が逮捕(または射殺)してやったぞ!」というシナリオを組むんじゃないかという気がしてなりません。なのにわざわざ陸軍参謀総長に出向いて戒厳令を求める、やはり腑に落ちませんというか行動が明らかに奇妙です。
それこそ、金載圭が叱責を受けたことによって何の準備もなしに発作的に暗殺を実行してしまうような底の浅い人物だったというのであればそれまでですが、なんていうか逃げ道を約束されていたから同席した二人の女性には手を掛けなかったんじゃないかとも考えてしまいます。じゃあその逃げ道とは何か、こちらもやや安直ですがアメリカです。
ウィキペディアにも書かれていますが当時、朴正煕とアメリカ政府(カーター政権)は韓国の核開発計画を巡って冷え込んでいたとされており、それが原因ではないかという声も出ています。でもってアメリカも前科があるというかベトナムでは実際にCIAによって南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領を暗殺してるんで、朴正煕もやっぱやられたんじゃないかなぁって気がしないでもないです。
となるとシナリオというのはCIAがやや不満を持っていた金載圭を唆して、「朴正煕を暗殺してきたら後の面倒は全部こっちで見るよ、鄭昇和も仲間だから終わったら彼に報告してね」的なことを伝えて、韓国人同士で処理完結させたような感じでしょうかね。あまりこういう陰謀論というかなんでもかんでも悪いことをアメリカのせいにするのも良くないとは思いますが、一つの仮説としてはもっておいた方がいいので書いておくことにしましたが、真実の検証が済むのはあと50年くらい先で、同席した女性二人が回顧録とか出す頃かなと思います。
2013年5月11日土曜日
憲法96条改正案について
政治ネタが続きますが、現在国会での主要議論と言ったら今回緒台に挙げた憲法96条の改正案です。そこで今日はこの議論の論点を整理するとともに私の意見を紹介します。
まず憲法96条の中身を簡単に説明しますがこれには憲法改正の発議に関する条件が定められており、衆参両議院の三分の二以上の賛成を得て初めて発議を認めると書かれてあります。通常の法案が過半数こと二分の一以上となっていることに対して憲法故に条件が強められております。仮に憲法を改正するとしたら国会での発議後、つまり三分の二以上の賛成を得た後に国民投票で過半数の支持を得なくてはならないため、国会内での議論だけで改正されることはありません。
そんな96条に対して安倍首相率いる自民党は発議要件を三分の二以上から二分の一以上に引き下げようと提案したのが今回の議論の始まりです。自民党のほかには維新の会、みんなの党なども賛意を示していると報じられておりますが、みんなの党については渡辺代表が、「憲法改正の前に公務員改革などを片づけるべきだ」と述べていることからやや慎重な姿勢ではないのかと私は見ております。このほかの政党はほとんどが憲法を示威的に変えられやすくなるなどとして反対を示しており、自民と連立を組んでいる公明党ですら、具体的に今の憲法をどのように改正するのか方向性を示してから96条について言及するべきだとして、やや否定的な様子です。
結論から述べると、私は今回の議論では公明党の意見が最も正しいように思えます。というのも自民党というか安倍首相はかなり以前から憲法改正を主張しており、その改正内容も集団的自衛権の行使や自衛隊の存在を明確にするなどと具体的なところまで踏み込んでいたのに対し、今回の96条改正議論を吹っ掛けるや急にこれらの内容への具体的言及は避けるようになってきました。
前もって言いますが私自身としては集団的自衛権、自衛隊の合憲化は望むところであって、むしろ早く憲法を改正するべきだという立場です。ですが安倍首相が堂々と改正案の方向性を示さず96条の改正から先に手を付けようとするのを見ているとどうもこれ以外にも変えようとする腹案があるのか、そんな風に勘繰らざるを得ません。
一方、公明党を除く野党らの主張に関しても不満があります。9条がどうたらこうたらとヒステリックに言う社民党の主張はこの際というか相手しなくていいですが、その他の野党の96条改正に対する反対意見はどれも鋭さがありません。大体が硬性憲法と軟性憲法の比較をした上で憲法は国民を守るために政府を規制するものであって、改正しやすくするなんて言語道断だという意見なのですが、改正には国民投票も必要なのだから発議条件が二分の一にハードルが下げられても一応は政府を規制できるのではと思います。
またそれ以上に、ここからはあまり報じられない私の意見となりますが、そもそも硬性憲法であったことから一度も改正されずにいたがゆえに起こる問題に意識を払わないのかと野党の人には問いたいです。
他の先進国は米国やドイツ、あとお隣の韓国(時の為政者にいいように変えられたケースが多いが)などはこれまでに何度も憲法を改正しております。改正条件も日本同様に議会で三分の二以上の同意が必要なところも多いためにあくまで私が見る限りだと、ほかの国では改正が必要だからこそ改正しているように見え、やはり時代に合わせようとする姿勢が見えます。
それに対して日本。日本はこれまでに一度も改正していませんが、憲法が作成された頃と比べて時代はかなり経ております。これだけ時代を経るとやっぱり憲法自体がいろいろと現実に合わなくなってきているところも増えてきており、卑近な例というか誰も言わないけど私がよく思う点として、選挙権が20歳からなのに衆議院に立候補するための被選挙権は25歳、参議院は30歳からと、小学生へのひっかけ問題にしか使えない無駄な年齢条件などがあります。
こうした経年劣化に対して日本はこれまでによく、憲法の解釈を変えることで対応をしてきました。同じ条文にもかかわらず解釈を変えることでそれ以前は違憲だと考えられた行為を合憲にするという事を繰り返してきており、はっきり言ってしまえば憲法の意味ないじゃんと言いたくなるようなことをかなり繰り返してきました。
こういう風な解釈主義に陥った原因はやはり日本の憲法が改正し辛い、さらに言えば一度も改正されたことがないためだと私は考えているのですが、同時に解釈主義から早く脱しなければと思います。というのも解釈でどうとでもなるのであれば憲法が空文化する恐れもあり、昔の上司の言葉を借りれば、「自衛隊は憲法上、存在しないことになっているという事の方が危険なんだ(法律に縛り辛いから)」とも言えます。
こうした現状に対し野党の意見はとかく、憲法は変えてはならない、絶対神聖不可侵という精神主義が見られ、非常に問題だと私は思います。昔なんかは議論すること自体を許さない雰囲気があったのでそのころと比べると大分マシにはなりましたが、野党の反対意見はそのころから変わっていないというか、幼稚で合理性が含まれておらず、いい加減にしろと強く言いたいです。反対するにしてももう少しまともな言い分もあるというのに。
まず憲法96条の中身を簡単に説明しますがこれには憲法改正の発議に関する条件が定められており、衆参両議院の三分の二以上の賛成を得て初めて発議を認めると書かれてあります。通常の法案が過半数こと二分の一以上となっていることに対して憲法故に条件が強められております。仮に憲法を改正するとしたら国会での発議後、つまり三分の二以上の賛成を得た後に国民投票で過半数の支持を得なくてはならないため、国会内での議論だけで改正されることはありません。
そんな96条に対して安倍首相率いる自民党は発議要件を三分の二以上から二分の一以上に引き下げようと提案したのが今回の議論の始まりです。自民党のほかには維新の会、みんなの党なども賛意を示していると報じられておりますが、みんなの党については渡辺代表が、「憲法改正の前に公務員改革などを片づけるべきだ」と述べていることからやや慎重な姿勢ではないのかと私は見ております。このほかの政党はほとんどが憲法を示威的に変えられやすくなるなどとして反対を示しており、自民と連立を組んでいる公明党ですら、具体的に今の憲法をどのように改正するのか方向性を示してから96条について言及するべきだとして、やや否定的な様子です。
結論から述べると、私は今回の議論では公明党の意見が最も正しいように思えます。というのも自民党というか安倍首相はかなり以前から憲法改正を主張しており、その改正内容も集団的自衛権の行使や自衛隊の存在を明確にするなどと具体的なところまで踏み込んでいたのに対し、今回の96条改正議論を吹っ掛けるや急にこれらの内容への具体的言及は避けるようになってきました。
前もって言いますが私自身としては集団的自衛権、自衛隊の合憲化は望むところであって、むしろ早く憲法を改正するべきだという立場です。ですが安倍首相が堂々と改正案の方向性を示さず96条の改正から先に手を付けようとするのを見ているとどうもこれ以外にも変えようとする腹案があるのか、そんな風に勘繰らざるを得ません。
一方、公明党を除く野党らの主張に関しても不満があります。9条がどうたらこうたらとヒステリックに言う社民党の主張はこの際というか相手しなくていいですが、その他の野党の96条改正に対する反対意見はどれも鋭さがありません。大体が硬性憲法と軟性憲法の比較をした上で憲法は国民を守るために政府を規制するものであって、改正しやすくするなんて言語道断だという意見なのですが、改正には国民投票も必要なのだから発議条件が二分の一にハードルが下げられても一応は政府を規制できるのではと思います。
またそれ以上に、ここからはあまり報じられない私の意見となりますが、そもそも硬性憲法であったことから一度も改正されずにいたがゆえに起こる問題に意識を払わないのかと野党の人には問いたいです。
他の先進国は米国やドイツ、あとお隣の韓国(時の為政者にいいように変えられたケースが多いが)などはこれまでに何度も憲法を改正しております。改正条件も日本同様に議会で三分の二以上の同意が必要なところも多いためにあくまで私が見る限りだと、ほかの国では改正が必要だからこそ改正しているように見え、やはり時代に合わせようとする姿勢が見えます。
それに対して日本。日本はこれまでに一度も改正していませんが、憲法が作成された頃と比べて時代はかなり経ております。これだけ時代を経るとやっぱり憲法自体がいろいろと現実に合わなくなってきているところも増えてきており、卑近な例というか誰も言わないけど私がよく思う点として、選挙権が20歳からなのに衆議院に立候補するための被選挙権は25歳、参議院は30歳からと、小学生へのひっかけ問題にしか使えない無駄な年齢条件などがあります。
こうした経年劣化に対して日本はこれまでによく、憲法の解釈を変えることで対応をしてきました。同じ条文にもかかわらず解釈を変えることでそれ以前は違憲だと考えられた行為を合憲にするという事を繰り返してきており、はっきり言ってしまえば憲法の意味ないじゃんと言いたくなるようなことをかなり繰り返してきました。
こういう風な解釈主義に陥った原因はやはり日本の憲法が改正し辛い、さらに言えば一度も改正されたことがないためだと私は考えているのですが、同時に解釈主義から早く脱しなければと思います。というのも解釈でどうとでもなるのであれば憲法が空文化する恐れもあり、昔の上司の言葉を借りれば、「自衛隊は憲法上、存在しないことになっているという事の方が危険なんだ(法律に縛り辛いから)」とも言えます。
こうした現状に対し野党の意見はとかく、憲法は変えてはならない、絶対神聖不可侵という精神主義が見られ、非常に問題だと私は思います。昔なんかは議論すること自体を許さない雰囲気があったのでそのころと比べると大分マシにはなりましたが、野党の反対意見はそのころから変わっていないというか、幼稚で合理性が含まれておらず、いい加減にしろと強く言いたいです。反対するにしてももう少しまともな言い分もあるというのに。
2013年5月9日木曜日
川口氏の委員長解任について
アニメが絶賛放映中の「進撃の巨人」に関連して上記の画像がネットで流行っておりますが、面白くてつい自分も保存してしまいました。ちなみに自分は4月21日生まれなので上記の表に従って言葉を選ぶと「一個旅団分の地に堕ちた鳥」になります。なにこの鳥インフルエンザっぽい言葉って思いますが、7月3日生まれの人(「超大型芋」)に比べればまだマシかもしれません。
話は本題に移って久々の日本政治ネタこと、本日参議院で行われた川口順子氏の環境委員長解任についてです。事情を知らない人のために簡単に説明すると川口氏は先月、あらかじめ国会に届け出をした上で4月23~24日の二日間の予定で中国を訪問しました。25日には帰国して環境委員会に出席する予定だったのですが、中国外交部の前部長(日本だと前外務大臣に当たる)楊潔篪(ようけっち)との会談が急遽25日に行えることとなったことから、日本の国会に連絡した上で滞在を1日延長することとしました。
これに対し民主党をはじめとする野党7党は、委員長の身分ともある者が会期中にもかかわらず委員会を無断欠席したとして国会を軽視する行為だと批判。川口氏の委員長解任を主張し、これに対し与党自民党も昨日の参議院予算委員会の審議を欠席するなど対抗姿勢をみせましたが、本日に参議院の議席数で野党が上回っていたことから野党の主張通りに川口氏は解任されました。
今回のこの騒動に対する私の意見を述べるとただ一言、低レベル過ぎるに尽き、野党側に問題があると思え批判します。今回の問題では与野党ともにいろんな論点を出してきておりますが、突き詰めると「委員会が1日流れたことによってどれほどの影響が出たのか」に尽きると思います。
自民党側は楊潔篪と会談することは中国外交が冷え込んでいる時期なだけに国益を優先したと主張しておりますが、報道によると川口氏は数分だけしか楊潔篪と話しておらず、第一、役者が外務大臣経験者とはいえ川口氏ですから言うほど価値があったかと言えばないと言わざるを得ません。まぁでも楊潔篪は一応は中国政治界の大物(前の)の一人ではあるし、接触しないよりはした方がよかったというのが私の見方です。
翻ってすっぽかされた環境委員会ですが、25日に川口氏が出るかでないかで何がどう変わったのか、どんな影響があったのかについて野党側の説明は理解できるものではありません。聞くところによると代理を立てて普段通りに運営することも出来たそうなので、馬鹿にしちゃあなんだけど川口氏がいてもいなくても通常通り進行できたことでしょう。仮にすっぽかした理由が昔の田中真紀子みたいに指輪が見つからないからとかいう私的なものなら今回の解任も理解できますが、一応は与党議員としての外交活動で欠席したのだから、無駄にこんな大騒ぎするほどではないでしょう。結構前だけど、小沢一郎が民主党にいた頃に衆議院本会議を欠席したことの方が大きな問題だと私は思いますが、民主党は当時何も処分しなかったしねぇ。
以上のような観点から、今回の騒動で私は与党自民党の肩を持つ、というより野党の幼稚さに反吐が出る次第です。こういってはなんだけど民主党の誰かがこの騒動の責任とって役職下りるなり辞めるなりするまで自民党は参議院での審議を拒否してもいいとすら思います。
2013年5月8日水曜日
中国バブル崩壊論の誤謬 その二
前回に引き続き中国バブル崩壊論者が主張することにいちいち否定するこのコーナーです。前回でそこそこ書いたからもういいかなとか思ってましたが、改めて読んでみるとまだ抜けている内容も多かったのでこうして追加することにしました。それにしてもなんでこの時期に風邪引いちゃったんだろう、マジで体だるい<丶´Д`>ゲッソリ
3、共産党の一党独裁に対する矛盾
中国は言うまでもなく中国共産党による一党独裁で成り立っている国で、民主主義の国みたいに選挙なんてものがなければ民意が政治に大きく反映されることがない国です。そうした点をついて崩壊論者はよく、「高度な資本主義に中国の古い政治体制は耐えられない」といったことを主張し、一党独裁体制に対する矛盾が国家を崩壊させると説明しております。
中国が一党独裁体制だからこそ社会に様々な矛盾があるという事実に関しては私も否定しません。最もその弊害が現れる部分は事故や災害といった問題に対する隠蔽体質で、最近だと四川省での大地震、ちょっと前なら高速鉄道の衝突事故などで当局が被害規模を隠蔽しようとした上に本気で対策に取り組もうとしなかった点が挙げられますが、これらを考慮しても中国が今すぐに崩壊する要因とはなり得ないと私は思います。
確かに一党独裁体制では情報統制がされていろいろと問題な点が見受けられますが、その一方で強みともいえる部分も存在します。私なんかそういうのを目の当たりにした一人だと考えておりますが、中国だととにもかくにも政治での意思決定が異常に早いです。敢えてたとえるなら日本の様な民主主義国家がサラリーマン社長によって経営される会社に対し、中国はオーナー企業そのものと言っていいほどの決断の速さで、また人権も多少無視できるので大規模開発や国家プロジェクトへの投資が異常にスムーズです。
この項目を簡単にまとめると、中国の政治体制は一党独裁体制だからこそデメリットも存在しますが、その一方で民主主義国家に対するメリットもあるということです。そのため、「お国柄の違い」と分析するのが正しくて、「民主主義国家じゃないから駄目」というのはやや上から目線な意見だと私は考えております。
4、住宅価格の乱高下
これは前回取り上げたGDP成長率と並んで引用される指標ですが、はっきり言いますが崩壊論者は卑怯もいいところだと言いたいような主張をしています。それこそ住宅価格が上昇するや「これはバブルだ」と批判し、下がると「景気に勢いがなくなった」、「経済をコントロールできていない」と、どっちに転ぼうとみんな批判してます。
中国の住宅価格に関しては香港の不動産市場を追うなど修行した甲斐もあってそこそこ詳しい自身がありますが、まず2010年にかけては確かにバブル的と言ってもいい上昇ぶりでした。そのため中国政府は主に投資目的で買われる二軒目以上の住宅購入に対して厳しい制限を付けて2011年からは全国各都市で下落が起こるようになりました。なおこの時に一番下落が激しく今も尾を引いているのは、中国で最も投資意識の高い地域と呼ばれる温州市です。
こうしたことから2012年も前半はほぼどこでも下がり続けましたが、後半からはまた徐々に上昇に転じ始め、さっきに中国国家統計局のデータを見たら2013年3月の新築住宅価格統計だと温州市を除いてたすべての都市が前月比で上昇しておりました。ただ今回の上昇は投資目的での購入が厳しく規制されている中での上昇なので、どちらかと言えば実際に居住するための購入、実需が主体の上昇であるため、ブームが終わってガクッと値段が下がるような上昇とは違うような気がします。
第一、これだけ毎年高成長を続けているのだから住宅価格が上がるのも自然と言えば自然なので、仮に前年比で50%上昇とかだったらバブルと言えそうですが、15%以下なら許容範囲じゃないかというのが私の意見です。もっとも今年3月統計だと広州市が前年比11.1%増だから、もうちょっと規制した方がいいかもとは思っちゃいますが。
5、人件費の上昇
多分今一番ホットな中国の経済テーマである人件費の上昇ですが、崩壊論者曰く、人権費が上昇することによって外資が撤退し、中国への投資も落ち込むというシナリオとなっております。確かに中国の人件費は前に私も書いた通りに急激に上昇しており他の東南アジアにある発展途上国と比べると競争力を失いつつありますが、その一方で中国人1人当たりの可処分所得は増え、これまで市場が成り立たなかったブランド品、化粧品といった商品の市場は拡大を続けております。
恐らくライターや靴といった労働集約型の工場は中国から撤退せざるを得ませんが、その一方で付加価値の高い製品を作る工場であれば中国市場向けとしてまだ進出が続くと思います。更に言えばサービス業系企業の進出は可処分所得が膨れるこれからが本番で、実際に上海市に限れば昨年の外資の進出割合だと第三次産業が最も多かったという結果が出ています。そういうわけで、これもデメリットもあればメリットもある論点なので、デメリットだけに着目するのはよくないなぁと思うわけです。
3、共産党の一党独裁に対する矛盾
中国は言うまでもなく中国共産党による一党独裁で成り立っている国で、民主主義の国みたいに選挙なんてものがなければ民意が政治に大きく反映されることがない国です。そうした点をついて崩壊論者はよく、「高度な資本主義に中国の古い政治体制は耐えられない」といったことを主張し、一党独裁体制に対する矛盾が国家を崩壊させると説明しております。
中国が一党独裁体制だからこそ社会に様々な矛盾があるという事実に関しては私も否定しません。最もその弊害が現れる部分は事故や災害といった問題に対する隠蔽体質で、最近だと四川省での大地震、ちょっと前なら高速鉄道の衝突事故などで当局が被害規模を隠蔽しようとした上に本気で対策に取り組もうとしなかった点が挙げられますが、これらを考慮しても中国が今すぐに崩壊する要因とはなり得ないと私は思います。
確かに一党独裁体制では情報統制がされていろいろと問題な点が見受けられますが、その一方で強みともいえる部分も存在します。私なんかそういうのを目の当たりにした一人だと考えておりますが、中国だととにもかくにも政治での意思決定が異常に早いです。敢えてたとえるなら日本の様な民主主義国家がサラリーマン社長によって経営される会社に対し、中国はオーナー企業そのものと言っていいほどの決断の速さで、また人権も多少無視できるので大規模開発や国家プロジェクトへの投資が異常にスムーズです。
この項目を簡単にまとめると、中国の政治体制は一党独裁体制だからこそデメリットも存在しますが、その一方で民主主義国家に対するメリットもあるということです。そのため、「お国柄の違い」と分析するのが正しくて、「民主主義国家じゃないから駄目」というのはやや上から目線な意見だと私は考えております。
4、住宅価格の乱高下
これは前回取り上げたGDP成長率と並んで引用される指標ですが、はっきり言いますが崩壊論者は卑怯もいいところだと言いたいような主張をしています。それこそ住宅価格が上昇するや「これはバブルだ」と批判し、下がると「景気に勢いがなくなった」、「経済をコントロールできていない」と、どっちに転ぼうとみんな批判してます。
中国の住宅価格に関しては香港の不動産市場を追うなど修行した甲斐もあってそこそこ詳しい自身がありますが、まず2010年にかけては確かにバブル的と言ってもいい上昇ぶりでした。そのため中国政府は主に投資目的で買われる二軒目以上の住宅購入に対して厳しい制限を付けて2011年からは全国各都市で下落が起こるようになりました。なおこの時に一番下落が激しく今も尾を引いているのは、中国で最も投資意識の高い地域と呼ばれる温州市です。
こうしたことから2012年も前半はほぼどこでも下がり続けましたが、後半からはまた徐々に上昇に転じ始め、さっきに中国国家統計局のデータを見たら2013年3月の新築住宅価格統計だと温州市を除いてたすべての都市が前月比で上昇しておりました。ただ今回の上昇は投資目的での購入が厳しく規制されている中での上昇なので、どちらかと言えば実際に居住するための購入、実需が主体の上昇であるため、ブームが終わってガクッと値段が下がるような上昇とは違うような気がします。
第一、これだけ毎年高成長を続けているのだから住宅価格が上がるのも自然と言えば自然なので、仮に前年比で50%上昇とかだったらバブルと言えそうですが、15%以下なら許容範囲じゃないかというのが私の意見です。もっとも今年3月統計だと広州市が前年比11.1%増だから、もうちょっと規制した方がいいかもとは思っちゃいますが。
5、人件費の上昇
多分今一番ホットな中国の経済テーマである人件費の上昇ですが、崩壊論者曰く、人権費が上昇することによって外資が撤退し、中国への投資も落ち込むというシナリオとなっております。確かに中国の人件費は前に私も書いた通りに急激に上昇しており他の東南アジアにある発展途上国と比べると競争力を失いつつありますが、その一方で中国人1人当たりの可処分所得は増え、これまで市場が成り立たなかったブランド品、化粧品といった商品の市場は拡大を続けております。
恐らくライターや靴といった労働集約型の工場は中国から撤退せざるを得ませんが、その一方で付加価値の高い製品を作る工場であれば中国市場向けとしてまだ進出が続くと思います。更に言えばサービス業系企業の進出は可処分所得が膨れるこれからが本番で、実際に上海市に限れば昨年の外資の進出割合だと第三次産業が最も多かったという結果が出ています。そういうわけで、これもデメリットもあればメリットもある論点なので、デメリットだけに着目するのはよくないなぁと思うわけです。
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