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2013年12月9日月曜日

みんなの党の分裂騒動について

 このところ本当に時間がなくて、本気で勉強がしたいです。なもんだから今回も予習復習なしでまた適当に手持ちの知識だけで政治ネタを書くわけですが、もっと背景とか批評とかをきちんと調べてから書きたいものです。

 各所の報道で皆さんも知っているかと思いますが、先日に成立した特定秘密保護法案の作成過程において修正協議に応じたみんなの党が見事なまでに分裂しました。分裂の主役は現党首の渡辺善美氏と前幹事長の江田憲司氏で、江田氏が党内の議員十人以上を引き連れて独立するような形で袂を分かつこととなりました。今後のみんなの党の先行きについて先に私の見方を述べると、恐らくこのまま瓦解するかと思います。

 まず今回の主役である二人について先に述べると、渡辺氏は故渡辺美智雄の息子でいわゆる二世政治家です。彼が表舞台に出てきたのは奇しくも第一次安倍内閣において公務員制度改革の責任者となった時で、この時期にかなり激しい内容の改革案を作成したものの次の福田康夫政権でこの案は却下され、公務員改革が最も急務な改革であることを主張して離党、独立をしました。
 この独立時というかみんなの党の結党に参加したのが、それまで自民党に近い立場をとりつつも無所属で居続けた江田憲司氏です。江田氏は故橋本竜太郎が首相だった頃に通産省から首相秘書官として移り、当時の行政改革にも携わった人間の一人であります。

 私はみんなの党が結党された際、正直な所渡辺氏にはあまり期待はしていませんでした。というのも渡辺氏は厳しい評価となりますが起こったり嬉しかったりといった感情をすぐに顔に出す性格で、政治家としては小物の部類に含まれる特徴があったからです。ただ彼の主張する公務員改革の必要性は理解でき、誰か理解者の下であれば猪突猛進に活躍できるだろうけど政党の党首としては外よりも内に敵を作るタイプなだけに明らかに向いていないという印象を覚えました。
 しかしそのみんなの党に江田氏が参加すると聞き、この党への評価は一変しました。というのもあまりこのブログでは言及していませんでしたが江田氏に関してはかねてから高く評価しており、そのスマートな振る舞いから造詣の深い政治知識など、 現役の政治家としては屈指の実力者というように見ていました。それだけにこの人がサポートに付くのであればこの政党は面白いことになると見て、実際にこれまでの選挙ではみんなの党に投票することが多かったです。

 実際にうまくいったかどうかは別として数多くの政党が出来ては消えていく中、みんなの党は数度の選挙を経ながら着実に議席数を伸ばしていきました。そこへ至って今回の騒動が起きたのですが、もうちょっとお互いに辛抱していたら立派な野党になれたのかもしれないのにねと思わざるを得ません。

 それで今回の分裂の原因について私の個人的な見解を述べますが、江田氏は独立理由をみんなの党が与党自民党にすり寄っていき国民の意思を無視し始めたためなどと述べていますが、これは江田氏の嘘だといっていいでしょう。その理由というのも江田氏は無所属時代から自民党寄りの政策を主張しており、現在においてもその価値観は大きく変化しているとはとてもじゃないけど思えないからです。では何が分裂の真の理由かというと、もったいぶっていうのも馬鹿馬鹿しいくらいですがただ単に渡辺氏と江田氏が互いに反目し合ってケンカになっただけで、政治的利害は何も存在しないかと思います。

 この二人は前回の参議院選挙以降からしっくりいってないことが公にも伝えられており、江田氏が勉強会を作ろうとしたら渡辺氏が激しく批判した上、その門で江田氏は幹事長職も下ろされています。初めから仲良しというわけじゃなかったもののこれまではうまくいっていたのがなぜ急に関係が悪化したのか、江田氏の影響力拡大を渡辺氏が牽制したためなのかどうかとか勉強不足でわかりかねますが、独立する江田氏に対して渡辺氏が「出て行け!」といったなどと報じられる辺りは感情のもつれが最大の原因と言って差し支えないかと思えます。

 先ほども言った通り、私はみんなの党というのは江田氏の支えがあって初めて成り立つ政党だと考えておりました。それだけに江田氏が抜けるとなるとワニの歯が抜けるようなもので、さらに渡辺氏は過去にリクルート事件に関わって父親の足を引っ張ったといった迂闊な性格が未だに尚っていないように見えるだけに、みんなの党はこのまま瓦解していくと予想するわけです。
 では江田氏が新しく作る政党はどうなるのか。今後の状況にもよりますが順当に行くならやっぱり自民党に合流する方向に向かってくんじゃないかと思います。別に悪いことじゃないんだけど、政治票をする立場からすると与党ばっか強くなっても書き辛いんだよねぇってのが本音です。

2013年12月8日日曜日

和食に関する報道で一言

 今日は何にも予定が入っていない休日だったので自宅から半径500メートルも動かずに過ごしました。っても、このところの週末はいつも同じくらい動いていない気がするが。

 で、動かず何してたかというとちまちま自分の作業を進めてたというのがメインですが、その一方でAmazonで大人買いした「ブロッケンブラッド」っていう漫画が午前に届いたので一気に読んでました。この漫画、以前から注目していて1巻だけは数ヶ月前に読み終えており、やはりすごい作品だと思って今回満を持してまとめ買いしたわけなのですが、これ単独でレビュー記事書いてもいいのですがあらすじを簡単に話すと、主人公は高校生の男の子なのにわけのわからない錬金術を使い、変身魔法少女となってコスプレマニアのおっさんなどといった変態と戦い合うといういろんな意味できわどい作品です。
 この設定だけでも色々と笑えるのですがそれ以上に作者のセンスがいろいろとぶっ飛んでて、AKB48をパクッた「KGB48(ケイサツ・ガールズ・バタリオン48)」というバンドが出てくるわ、さらには「AKW47(アコウ47)」のグループ内ユニットとして「松の廊下斬りかかり隊」というのが出てきた時は「マジすげぇこの作者」とか思いました。

 そういうのは置いといて今日ちょっとテレビを見ていて思うところがあったので一言だけ寸評入れます。その番組はNHKの海外ネットワークなのですが、先日に和食がユネスコの無形文化遺産に指定されたことから特集が組まれ、映し出された映像ではフランスの料理人が、「いい素材を選んでいたら和食にたどり着いた」とか、同じくフランスの一般人が魚の味噌漬けを家庭で作っているとかそういうのを報じてたたのですが、見ていて正直嘘くせぇと思いました。いや、出てきた人が仕込みだというつもりは毛頭ありませんが、少なくともこんな無批判で礼賛する人が大量にいるわけなくあくまで「こういう人もいる」くらいなんじゃないかと思ったわけです。

 その上で個人的な意見を述べると、なんでヨーロッパを映したんだということにやや不満を覚えました。確かにフランスはフランス料理持っているだけあって料理大国なんだしそこでの和食の普及度というのは一つの参考値となりうるかもしれませんが、私としてはヨーロッパではなくアジア、それも贔屓を込めると香港を映せといいたいです。
 というのも香港は日本の食品輸入額でずっとナンバー1の国で、いわば日本の食糧産業の最大のお得意先です。更に言えば日本食が本当に浸透しているところで、街中では回転寿司屋が当たり前のようにあちこち存在しており天ぷらうどんとかも余裕で食べられます。感覚的には日本人にとってのカレーくらいに普及しているように見えます。

 ヨーロッパ市場の売上げも決して低くはないと思うのですが、やはり日本食の市場は香港、シンガポール、そして中国といったアジアが中心であり、もっとこういった市場の取材、特に現地の人間の反応とかどんな日本料理が人気なのかを取り上げるべきだと私は思います。さらに意地悪な言い方をすると、欧米が挌上でアジアが格下って見てない?ってちょっと聞きたいです。ま、実際にアジア人が日本食うまいっていうよりも欧米人が言った方が絵になりやすいんだけどね。

 最後に中国人はどんな日本食を食べるかですが、まず寿司ネタで言えば圧倒的にサーモンの人気が高く、安い回転寿司屋行くとサーモンしか回っていないという笑えない事態に陥ります。なんでも、改革開放後に最初に入ってきた魚がサーモンだったからというのが理由らしいですが。
 このほかだと地味にたい焼きやたこ焼きといったB級料理が変に普及してます。この二つはどうも台湾経由でかなり昔に入ってきたそうで、中にはたい焼きは中国の料理だと思い込んでいる中国人もいると聞きます。

  おまけ
 たい焼きに関しては韓国も同じように自国の料理だと信じている人がいるそうで、私の留学仲間のクラスでは「たい焼きは日本のものか、韓国のものか」で激論となり、最終的に「日本にはたい焼きの歌がある」という主張が通って日本のものと認定されたそうです(そのクラス内で)。なんというか子門真人さんのおかげかなぁとしみじみ思います。

2013年12月7日土曜日

上海忍者との邂逅

「一人っ子政策」違反、チャン監督相手取り170億円の訴訟(AFP=時事)

 本題と全く関係ありませんが上記リンク先の記事で誤植見つけちゃいました。もしかしたらアップ後に修正されているかもしれませんが、該当箇所はチャンイーモウ監督に対する請求賠償金額で、第一段では「10億元(約170億円)」と書いてあるのに第三段では、

 「弁護士がチャン監督に支払いを求めた100億元の内訳は、5億元(約84億円)が『公的資金への補償』、残りの5億元が『懲罰的損害賠償金』としているが」

 となっています。残りの90億元はどこ行ったのか気になりますが、これくらいはさすがに校正係も気づけよなぁ。

 話は本題に入りますが昨日今日とこのブログにコメントをよく書く上海忍者と合っていました。彼は自分の大学時代のゼミの同期で、コメントみてりゃわかると思うけど中国人です。
 彼とはもともと大学での学年は異なっておりましたが自分が北京に留学に行ったことから一学年落ち、三回生の後期から同じゼミとなり知り合いました。ゼミにいた間からも仲は良かったですが大学卒業後、二人とも就職先で東京勤務となったことから休日によく秋葉原とかで落ち会う機会も増えてさらにその関係は深まったのですが、2009年に彼が仕事の関係で出身地である上海に赴任することとなった際はしばらく会えなくなるなぁ等と考えていました。その予想は大きく外れることとなったのですが

 ブログでも書いている通りに2010年の後半から自分も中国に渡って転職することとなり、その際には住居の確保など様々な面で上海忍者からバックアップを受け、向こうにいる間は本当にしょっちゅう会ってました。そもそも中国に転職しようと考えたのは色々ときっかけはありますが、彼から「君も早く上海に来なさい」と度々言われていたこともあり、いい意味で彼には人生を変えられたと思います。ただ実際に転職を果たした後にこのことを彼に伝えると、「僕はまさか本当に君が来るとは思わなかった」と言われて、ちょっと「えぇ(;゚д゚)」とか思ったりしましたが。

 話は現在に戻しますが、今回彼は旅行目的で来日してきました。昨晩は東京上野で落ち合ったのですが、何食べるかと相談した所、「鳥貴族がいい」とやけに具体的な指定があったので取り貴族にしました。ちなみに店に入った際、「鳥貴族くると日本で生活した時代を思い出す」と彼は言いましたが私は、「俺はむしろ、君といった上海にある鳥貴族を思い出す」と言い返しました。

 そこで話した話題は取り留めのないものでしたが、問題だったのは座った座席でした。当時、金曜の晩ということから店内は混雑しており、20分くらい待って入店したこともあって座席は狭いカウンターだったのですが、何故かその座席は二人掛けの座席で、同じタイプの座席には自分たち以外にはカップルしか座っていませんでした。そのためお互いに、「これじゃ俺らゲイカップルだよ」なんて言い合って、上海忍者も自分との間にかばんを置き、「ここが我々の38度線ね」といい、「その一線越えたらどうなるんだよ」と聞いたらなんかお茶を濁されました。

 でもって今日も午前から午後にかけてまた合流して二人で東京をうろうろしてましたが、まぁ普段通りというかいつもみたいにゲイネタを交えつつのんびり過ごしました。彼と会うのは実質9ヶ月ぶりですがどうせ自分も上海に行く機会が今後も多くあるだろうし、逆に彼も日本に来る機会が定期的にあるだろうし、お互い懐かしあうとかそういう感情はほぼ全く芽生えませんでした。
 彼は今頃大阪にいるでしょうが、国境を越えた知り合いがいるというのも悪くはない気がします。

2013年12月5日木曜日

平成史考察~通信傍受法と国旗国歌法の成立(1999年)

 昨日に引き続き平成史考察の記事です。今日は1999年当時にメディアなどによって「悪法」と名指しされた二つの法律の成立当時を振り返ります。

犯罪捜査のための通信傍受に関する法律
国旗及び国歌に関する法律(Wikipedia)

 上記の二つの法律が今回取り上げる題材ですが、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」は「通信傍受法」、「国旗及び国家に関する法律」は「国旗国歌法」という通称がされているのでこの記事でもこの通称を用いて話を進めます。

 それぞれの法律を簡単に説明すると、まず後者の方は読んでそのままで国旗は日の丸、国歌は君が代ということを明記したもので、前者の通信傍受法は平たく言うと暴力団などの組織犯罪に対する捜査において裁判所などの手続きを踏んだ上で盗聴行為を行うことを認める法律です。両者とも法案の審議過程では野党、メディアの双方から激しく批判され、「こんな悪法がよりによって二つも成立するなんて!」ていう論調で報じられていたことを私自身も強く覚えています。
 一瞬書くのを悩みましたが、当時に私は中学生でしたが中学の社会科の教師がちょこっとだけこの二法に言及して、「悪法などと呼ばれている法律が二つ通りました」と話題にしてたのが印象に残っています。もっともこの時の先生の話し方は感情は入っておらずただ単に国会での動きを取り上げただけだったので問題は全くなかったと思いますが、そのように授業でもちょっと話題になったことだけを書いておくことにします。

 話は戻りますが、一体何故この二つの法案が議論の的になったのかをまた軽く解説します。まず国旗国歌法案に関しては今もまだ公立学校にいますが卒業式などで君が代斉唱を拒否したり、拒否するよう生徒に促す現場教師が徐々に見え始めるようになり、現場と教育委員会の間に立つ校長先生が法律に書かれていないのもあって強制し辛いと言った声があり、じゃあこの際だしはっきりさせようという具合で立法されました。しかし国旗も国歌も強制されて歌うのはどんなものか、国民が自分の意思で選ぶべきなのではなどと言う自主性を重んじた反対意見のほか、君が代は戦前からの国歌で軍国主義を惹起させるほか、歌詞が天皇への崇拝の意味しか持ってないため国歌として相応しくないという意見もありました。

 こうした議論の中で覚えていることを挙げてくと、どっかの新聞は君が代に代わる国歌として「ふるさと」を提案してましたが、なんていうかポイントが違う様な気が今だとします。このほか先程の軍国主義を惹起させるという意見に対しては反対意見として、フランスの国歌の「ラ・マルセイエーズ」の歌詞には「ファッキンな敵兵をぶっ殺してドブに捨てちまえ!」っというような内容の文言も盛り込まれていて、それに比べればかわいいものだという声も出てました。
 そのほかにも、これは大分後になって佐藤優氏が自著にて国旗も国家も法律として規定するべきではなく悪法だという意見を書いております。佐藤氏の主張によると、どちらも法律に書かれてなくても国民が想起できることがベストであり、法律化してしまうと変更しようと思ったら変更できてしまうリスクが生まれるとして廃止を求めていました。やっぱ視点が一味違う人だなぁ。

 当時の私の印象だと、国旗に関してはそれほど反対意見は出ておらずやはり国歌を君が代にする点が大きくクローズアップされていた気がします。私個人としても君が代は歌う機会もそんなに多くないし、あとあの独特のテンポがなんか妙に歌い辛いこともあってもし代案があるなら検討した方がいいのでは、ないならないで新しいのを作らせたらいいのではなんていう事を友人と話してました。なお、じゃあ誰に作らせればいいかという点に関しては、「さだまさしでいいんじゃね( ゚д゚)」って結論に落ち着き、何だったらさだまさし氏の「関白宣言」という曲をそのま使ってもアリかもなどと言ってました。

 国旗国歌法に関してはここまでにしてもう一つの通信傍受法に話を移します。この法案も審議当時は散々に叩かれており、具体的には警察が無制限に盗聴活動を行うことによって犯罪とは関係のない民間人も盗聴される可能性がある、プライバシーが侵害されるなどという批判が毎日テレビで報じられていました。
 結論から述べると、成立からもう10年以上も経ちますがこの法律に規定された捜査機関による盗聴が民間人のプライバシーが侵害されたとかいう話は全くと言っていいほど聞きません。そもそもこの法律で規定された通信傍受が認められるのは年間でも十数件くらいらしくそんなに量が多くないってのもありますが、あれだけ大騒ぎしていた割にはなんだよこれはとかちょっと思います。こういってはなんですが騒ぎ損でしょう。

 当時、盗んだバイクで走り出しそうな年齢だった私自身は、そもそも私生活でサツに聞かれちゃまずいような内容を口にするかといったらそんなことはないし、排泄など聞かれたらちょっと恥ずかしい音はたてるもののそんな音をわざわざ盗聴することはないだろうと思って普通に考えれば市民はノーダメージな法律だと思っていました。その上でこの法律によって犯罪組織に対する捜査が広がるのであれば市民にとってはプラスなのだし、何を以ってか世論は反対するのだろうか、自分のプライバシーに盗聴されるだけの価値を持っていると自惚れているのかということを決して誇張ではなく、本気で当時にそう思って周りにも口にしてました。

 今回、なんで1999年のこの二つの法案成立を取り上げたのかというと、いうまでもなくこのところこのブログでも度々取り上げている特定秘密保護法案に対する野党、そしてメディアの対応への不満がきっかけです。この特定秘密保護法案は現在進行形でやんやかんやと批判的に報じられていますが、きっと1999年時と同様に騒ぎ損で終わることになるだろうという予言を書いておこうと思い、また当時と比較するのに面白いと思ったからこそ書き残そうと考えました。

 それにしても今回の特定秘密保護法案に対するメディアの報道の仕方は目に余ります。中には「この法律でプライバシーが侵害される」なんていう全く脈絡のない批判意見まで出てくる始末で、そもそも他人や企業のプライバシーを暴くのがジャーナリストの仕事だってのに何言ってるんだこいつらはと呆れてきます。ある著名ジャーナリストなんかこの特定秘密保護法案が成立すると日本の民主主義が滅びると言ってましたが、そのまえに日本のジャーナリズムを心配しろよと亜流のジャーナリストは思うわけです。

  おまけ
 国旗国歌法に関しては当時に中学生の自分が作った、仲間内で回すだけの文芸同人誌で評論文みたいなのを書いておりました。当時は小説家志望でしたがそれらの同人誌に載せた社会批評文が自分で見てもどれもいい出来で、また書いてて素直に楽しいと思うようになったことからこの時辺りを境にジャーナリストへと志望を転回することとなったわけです。
 なお最初に作った同人誌は友達数人を誘って一緒に作りましたが、その友人らは役に立つどころか足を引っ張る始末で開始二号で廃刊に。この時を境に「他人はクズだ、頼れるのは自分の腕力だけ」という妙な信念を持つに至りました。でもって高校生の頃に今度は一人だけでまた小説メインの同人誌を作りましたが、誌名は何故だか「文化大革命」にしてしまい、友人に渡すところを担任の社会科の教師に見られてしまい、「すごいタイトルだね(;´∀`)」なんて言われたのを昨日のことのように覚えています。あの頃は中身の小説も自分で書いて、表紙絵も描いて、でもってタイトルは筆ペンで書くという有様でしたが、目的に向かって突き進むパワーは高校生として見たら大したものだったと今思えます。

2013年12月4日水曜日

平成史考察~野茂英雄のメジャー挑戦(1995年)

 仮に尊敬する人は誰かと聞かれるのであれば、私ならいの一番にほかならぬ野茂英雄氏の名前を挙げます。なんでまたこの人を尊敬しているのかというとその野球での実績以上に日本人野球選手に対してメジャーへの道を切り開いたパイオニアとなったことに尽き、そこで今日は米野球協会殿堂入りにノミネートされたこともありますし、ほぼ放置していたこの企画不定期連載で取り上げようと思います。

 野茂氏が日本球界からメジャー球団であるドジャースに移籍したのは1995年でした。野茂氏は1990年にプロデビューしていますから日本での実働5年を経て、プロとして6年目からアメリカに渡ったということとなります。
 現在でこそメジャーに挑戦する日本人選手は今話題の田中将大選手を初め、行ってみて本当に上手くいくのかが楽しみなロッテのミスターサブマリンこと渡辺俊介選手など枚挙にいとまがなく、高校生の時点でメジャーを希望する選手まで出てきております。しかし野茂氏がドジャースに移籍した当時はメジャーなど別世界という感覚であり、向こうは向こう、日本は日本と完全に分け隔てて考えられていたように思います。

 では何故そんな別世界に野茂氏は飛び込んだのでしょうか。現在メジャーに渡る選手のようにより高いレベルでの世界でプレイしたいというプロ選手ならではの欲求もあったのかもしれませんが、巷間で伝えられている内容を聞く限りですとそれはやはり二の次で、単純に日本球界で野茂氏がプレイする道がほぼ閉ざされていたことが最大の原因でしょう。

 この辺りの過程についてはウィキペディアに詳しく解説されておりますが、野茂氏は1994年のシーズンを終えた後の近鉄球団との契約更改で球団側と大きく揉めます。元近鉄ファンの方に対して非常に失礼であることは百も承知ですが、この球団は後年にも数多くの選手と契約交渉で騒動起こしたり、末期には球団のネーミングライセンスを他社に売却しようとするなど本気で経営する気がほとんど感じられないほど問題がある球団でした。一説によるとこの時の契約更改でも、優勝すると選手の年俸を上げなくてはいけないから2位くらいの成績が一番いいなどという球団幹部の放言も出ていたそうです。

 話は野茂氏に戻りますが、複数年契約等を求める野茂氏に対して球団側は即座に拒否した上でマスコミに対し、野茂氏は年俸を引き上げるために交渉を長引かせているなどという悪辣な情報を流していました。また当時の近鉄監督である鈴木啓示氏と野茂氏の間ではプレイや調整法などで激しく対立があり、かといって当時においてほぼナンバー1の投手であった野茂氏を他球団に放出する考えは近鉄になく、野茂氏が自分の意図するように野球を行おうにも日本では行えないような状況となっておりました。このように交渉が難航した結果、日本球界に復帰する際は近鉄が所有権を持つことなどを条件に米球団への移籍を球団に認めさせ、野茂氏はドジャース入りすることとなります。

 当時のチームメイトなどによると野茂氏自身は必ずしもメジャーにいきたかったわけでなく、単純に近鉄球団ではプレイできないためだと漏らしていたそうです。私もこの話は本当だと思え、その理由というのもメジャーへの移籍によって野茂氏の年俸は前年の十分の一以下である約980万円まで落ち込んだからです。またメジャーに行く前に記者に対して言った、僕は英語を覚えるためにアメリカに行くわけじゃない。野球をやりに行くんです」というセリフが彼の強い決意を物語っていると思えます。

 こうして海を渡った野茂氏に対して当時の日本メディアは、当時子供だったので正直なところあまり良く覚えていないのですが、少なくとも「頑張っていって来い!」というよりは「散々交渉こじらせて我侭で勝手に飛び出していった」といったような、冷淡な扱いだったと聞きます。かすかな自分の記憶を辿っても、「新たな日本人メジャーリーガーが誕生、勇気をもってアメリカに挑戦!」というようなフレーズは当時聞いた覚えがありません。
 当時の心境は本人のみぞ知る所でしょうが、傍目にも決して気分のいいものではなかったことでしょう。ただ野茂氏のさすがともいうべきところはそのような逆境の中、ましてや環境が全く異なるアメリカのグラウンドで桁違いの脱三振率と防御率を叩きだすという実績を残した点です。その活躍ぶりは現地アメリカ人も認めるほどで、また当時のメジャーリーグは選手のストライキ問題で人気が低迷した中だったそうですが、トルネード投法と呼ばれる野茂氏の独特なフォームが大きな注目を呼んで観客動員数の増加に貢献したと言われ、実際に当時のチームメイトから野茂氏は「お前はメジャーを救った」という言葉をかけられたそうです。

 この時の野茂フィーバーは私もよく覚えており、確か同年にブレイクしたイチロー選手が日産のCMに出て好評を博したことから、シーズンを終えて帰国した野茂氏に対してトヨタがすぐに契約してCM出演していたはずです。もっとも、イチロー選手ほど売り上げを伸ばすには至らなかったようですが。

 その後、野茂氏はアメリカでプレイし続け二度のノーヒットノーランを初め輝かしい記録を作った上で2008年に引退します。私が野茂氏を尊敬するのは半ば日本から追い出されるような逆境の中、自らの実力で以って世間に自らを認めさせたことと、未踏とも言っていいメジャーへの移籍を実現した上でその道を開拓したためです。仮に野茂氏がいなければ現代の様に多くの日本人選手がメジャーでプレイしていたかとなるとやや疑問で、仮にプレイしていても今ほど多くなかったことは確実でしょう。このような意味から野茂氏はしばしば「開拓者」と呼ばれますが、現代においてこの呼び名が最も相応しい人物だと私も思えます。

 なお自分が中国へ渡り転職したのは26歳の頃でしたが、たまたまですが野茂氏がメジャーに渡ったのも26歳で、全然次元も難易度も違いますが野茂氏と同じ年で海外に渡ったというのが自分の一つの自慢です。

2013年12月3日火曜日

伊藤博文に対する日本メディアの浮き足

 先程ちょっとコメント欄に書きましたが実は最近、またぞろ小説でも書いてみたいなと考え始めています。私が何で毎日こんなだだ長いブログを書けるのかというと無駄なものにやけに集中力を発揮出る自分の特異性もさることながら、高校生の頃までかなり本気で小説家を目指して文章を書く訓練を続けていたことが大きいです。自分などより書いている人はいっぱい書いている人はもちろんいるでしょうが中学生の夏休みの頃などは毎日最低三時間は小説を書いており、今思うと酷い表現力でしたががむしゃらな努力は今の自分の大きな糧にはなったでしょう。

 そんな小説家への熱意は大学に入った頃、具体的には2003年の芥川賞受賞と「涼宮ハルヒの憂鬱」を見て一気に冷めたのですが、このまえネットで歴史を読み返していてちょっと気になったテーマがあり、もったいぶらずにいうと伊藤博文と山縣有朋の二人を主人公にして幕末から明治に至る歴史を一気に書ききったら面白いかもという構想が出てきました。

 伊藤に山縣と言ったら維新の元勲でもありながら明治初期にこの世を去った西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允などとは異なり、、この三人が死去した後の明治政府を実質的に切り盛りしながら始まったばかりの議会制民主主義の時代にあってもリーダーとして活躍した人物であります。歴史に詳しい方ならわかるでしょうがこの二人は明治の国会開設当初は互いに政友会、改進党のリーダーとなって政治方針で激しく対立しあうライバルでありましたが、元々は同じ長州の松下村塾出身であり、またその松下村塾内に通っていた武士たちの中でもほぼ最下級の身分同士でもありました。
 こうしてみてみると二人とも数奇な縁を持っており性格もほぼ真逆で、それが政治方針にもしっかり現れています。ただ政治の場では激しく対立しながらもプライベートでは終生仲が良く、お互いに腹の内を相談し合いながら桂小五郎、高杉晋作亡き後の時代を作っていったと思うとロマンが感じられます。

 もっともこのところ忙しいのでこういう小説を書こうには取材する時間と気力もない状態なのですが先にというか伊藤博文について私の評価を述べると、彼は文句なしに近代以降の日本で女癖を除けば最上級の政治家でありその波乱に富んだ人生はもっと高く評価されるべきだと思います。更に言えば、私は彼こそが大河ドラマの主役として相応しいと思うしもっとメディアも彼を主役として取り上げることによって日本における民権運動の流れがより知られるようになるのではと思っています。だからこそ小説で書きたいんだけどね。

 しかし、こういってはなんですが伊藤が主役のドラマなどのテレビ番組は贔屓目に見ても多くありません。それどころか同時代を扱ったドラマでも彼の登場というか描かれ方はあまり良くない気がします。はっきり言ってしまうとこのような伊藤に対するメディアの取り扱い方は韓国を意識したものがあるのではないかと強く疑っております。

 言うまでもなく伊藤博文は韓国で最も有名な日本の偉人の一人で、初代統監府総監に就いて安重根に暗殺されたことから悪者の象徴みたいに見られていますが、少なくとも私の見識内では彼こそが明治政府内でも韓国への対応で穏健派だった人物で、むしろ彼が暗殺されたことによって強硬派だった山縣有朋が勢力を増し、韓国併合に踏み切ることとなったと見ております。言うなれば、伊藤に対して実像とは真逆の見方と評価を韓国は持っているように感じるということです。

 この時点でもかなり不満だし、ちゃんと日本の歴史を勉強しているのか韓国の連中はと言いたいこともあって「じゃあ自分が書くか」などと思うわけなのですが、こんだけネタばらしするのは本音を言うと自分が書かずに済むならそれでいいと思う、というよりも誰か自分の代わりに伊藤の実像を描く人間はいないのかと思うからです。テレビ局でもゲーム会社でもいいから、もっと伊藤を主役に据えてエアポケットみたいにあまり取り上げられない明治中期の時代を見せてくれと私は言いたいわけです。

 仮に大河ドラマで伊藤博文を主役に据えたら韓国側がもう反発してくることでしょう。しかし外国に批判されるから取り上げないというのはあまりにも意気地のない話ですし、それが誤解に基づくものだとしたら尚更です。私の目から見て伊藤は間違いなく明治を語る上で外せない人物であり、そのような人物をまるで腫れ物に触るかのように取り上げないというのはなんだこの根性なしと言いたくなる始末です。むしろ韓国に対して問題提起、伊藤は本当に韓国に対する侵略者なのかを議論を吹っかける意味合いでも大きく取り上げるべきだと思います。

 さて、宣言しちゃったからこれで書かないと不言実行だな俺も。あんまり案件抱え込むのもいろいろとあれだけどなぁ。

  おまけ
 伊藤博文は一時期、日本国内の紙幣の肖像画にも使われていましたが韓国との問題があるので今後使われることはまずないでしょう。仮に印刷したら燃やされそうだし。
 なお紙幣の肖像画についてですが個人的には下記の、徳川家康が三方ヶ原の戦いで大敗した直後のがっかり肖像画とか使ってみたら面白い気がします。日本人はこの肖像画が描かれた紙幣を見る度に臥薪嘗胆の気持ちになれるんじゃないかな?

2013年12月2日月曜日

投稿件数2000件達成

 目指していた数字というわけでもないですが、この記事の投稿を以って陽月秘話の投稿件数が2000件となります。もっとも企画倒れで終わったものや社会状況の変化によって自分の病気自慢がガチでやばくなったため削除した記事がいくつかあるため、実質的な投稿件数ではとっくに2000件を超えており、あくまで今回の数字は現時点での投稿件数ということになります。
 このブログは2007年の12月スタートですのでほぼ丸六年かけて2000件の記事を投稿したことになり、年平均で言うと約333件ペースで投稿していることとなります。ただ今年や去年はサボることも多くなっている一方、2008年とか2009年は1日2本投稿することも珍しくなかったのでかなり貯金を食っているような状況と言えるでしょう。

 改めてこの2000件という記事投稿数ですが、正直な所それほど感慨はありません。本気でやればこれの倍くらいは書く自信もあるしブログだけに力入れるならあれこれ取材してもっと面白い記事を書く自信もあります。決して惰性でやっているわけではありませんがあくまで片手間で書き続けるということがこのブログのポリシーで、自分の政治意思や価値概念を世の中へ意識的に広げようとは考えず、変な出世欲などとは一線を置いた距離を保つことを意識しております。といってもほぼ毎日書いてるブログを片手間と呼ぶのも変な感じですが。

 なもんで今日は2000回記念で何か気合入れた記事でも書こうかなとも思ってましたが、昨日の記事が結構真面目に長く書いたものであり、二日続けてかたっくるしいを書くことにやや疑問を感じました。じゃあ何書こうと考えた結果、好きなものを書こうという結論に至り、ある漫画のキャラクターについて書くことに決めました。ただこのまえ半年ぶりに話をした友人に聞かせたら微妙な反応だったので自己満足な記事になるでしょうが。

 そんなわけでやっと本題ですが、今回紹介しようと思うその漫画キャラクターというのは球磨川禊(くまがわみそぎ)というキャラクターで、このブログに限らずあちらこちらで取り上げられていてジャンプ読者であればまず知っているであろう超有名キャラクターです。このキャラは今年初めに連載を終えた「めだかボックス」というまごうことなき萌え漫画に出てくる男性キャラクターなのですが、作中で主役を明らかに食う人気ぶりで、事実キャラクター人気投票では主人公に4倍ものスコア差をつけて堂々の第1位に君臨してました。

 私がこの「めだかボックス」という漫画に初めて接触したのはちょうど去年の今頃、十秒間口閉じてることのない先輩が日本からジャンプもってきたというので譲り受けて読んだ際、連載中だったこの漫画を初めて見ました。ちょうどその回にも今日取り上げる球磨川禊というキャラが出ていたのですがやはり一見して感じるものがあり、その独特なセリフ回しから非常に強い印象を覚えたわけです。なもんだから日本に帰ってきてからは「めだかボックス」の単行本を手に取って読み始めたのですが、最初に感じた印象に偽りはなく読み進めるごとにこの球磨川禊に対して興味を深めていきました。

 ここでこのキャラを簡単に解説しますが、この「めだかボックス」はジャンプの王道漫画らしく途中からは各人が持つ能力を駆使する完全なバトル漫画と化していくのですが、その中で主人公を含む生徒会一派に対してリコールを要求するグループのリーダーとして球磨川禊は登場します。これだけの設定であればよくある敵役であって、どうせ敗北した後は主人公の見方になるんだろ的な流れに繋がっていくわけなのですが(実際にそうなる)、そのキャラ造詣のいびつさから後半になっても一切人気が衰えず、というかむしろ高まっていた節すらあります。

 では球磨川禊はどんなキャラクターなのかというと、一言で言えば「ネガティブの塊」みたいな人間で、実際に作中でも「負完全」な存在だと自称してます。どれだけネガティブなのか作中のあるキャラクターに言わせると「まるで心が無いような」キャラで、実際に話すセリフはどれも飄々としていて本音が全く感じられず、本気で言っているのかふざけて言っているのか、果てには何が目的なのか全くわからないようなセリフを並べ立ててきます。一例を挙げると、誰がどう見たって明らかに球磨川禊が手を下してモブキャラを打ちのめしているのに、自分は経った今ここに来たばかりだと主張して『僕は悪くない』という口癖を平然と言ってのけてしまいます。

 その一方、会話の端々には妙にリアリスティックというか正鵠を射ぬくようなことを突然口にすることがあり、名言と称される代表的なセリフがNAVERにまとめられていますがをいくつか挙げると以下の様なのがあります。

『エリートを皆殺しにすればいいんですよ。そうすれば世界は平等で平和です』
『「人生はプラスマイナスゼロだ」って言う奴は、決まってプラスの奴なんだ』
『だからこの痛みの恨みは日之影くんに迷惑をかけないように、きみとは何の関係もないその辺の誰かに何かして晴らすとするね』

 引用しておいてなんですが、なんていうセリフばっかだと私も思います。
 上記のセリフからもわかると思いますが、このキャラは極端に破滅願望が強く、また世界全体に対してほとんど価値を見出さない傾向を持っています。それは他人に対してだけでなく、むしろ自分自身に対しても強く向けられており、自分の様な底辺は何をどうやっても勝利を得ることがないと自覚して勝負自体の勝利は相手に譲るものの、散々な嫌がらせをして勝利そのものを無意味にするかのような行動ばかりとってきます。

 と、ここまでで説明しただけのキャラクターであればただの気味の悪いキャラクターで終わるのですが、彼の評価がうなぎ昇り(うなぎが絶滅したらこの言葉はどうなるのか?)になった回で、球磨川禊が唯一と言っていいくらい信頼するキャラクターに対して初めて本音をぶちまけます。その本音というのも「勝ちたい」という4文字の言葉で、どんなに蔑まれても、嫌われても、才能に恵まれなくても、これらの条件をすべて兼ね備えたエリートに対して勝って駄目な人間でも主役を張れることを証明したいという内容でした。

 ほかの解説記事などでも書かれていますが、ジャンプの漫画というのは「努力、友情、勝利」というのが三原則になっていますが、球磨川禊に言わせるとそれでもジャンプの主役たちは現実世界と同じように、結局は恵まれた才能を持っている人間が勝つべくして勝っているそうです。そして、だからこそそれらすべてを持たないというか敢えて持とうとしない自分がエリートに挑んだところで負けることはわかっていながらも、それでも一度は勝って見せたいというある意味でジャンプキャラらしい強い意志を持って動いていたことを明かします。

 実際にこの「勝ちたい」というセリフに続く球磨川禊の独白シーンが私もこの漫画で一番好きなシーンで、ほかの多くの方々も名シーンに取り上げています。これ以外にも色々とすごいセリフを連発していてみていて本当に面白いキャラクターで、ネガティブさを前面に出し、実際にはチート級の特殊能力を持ってて簡単に勝利を得るのに自ら敗北へと走り、その上で自分が認める勝利を求めるという複雑な人物像であることから、個人的には日本漫画史上でも屈指のキャラクターではないかと私は評価しています。

 ここでがらりと空気を変えますが、私がこの球磨川禊に対して強い関心を持つのはその特異なキャラクター性もありますが、それ以上に自分自身も非常に強い破滅願望を持っていることが原因でしょう。スピリチュアリストの荒川さんにも、中世の西欧騎士の様に美しく散るような結末を強く望んでいると直接指摘されましたが、事実その通りで子供の頃から如何に生きるかよりも如何に死ぬかに対する関心の方が現在に至るまで強いです。でもって自分の知識量をはじめとする一部の能力は世の中で役に立つ要素があるかもしれないけど、少なくとも自分自身に関しては世の中にあってもなくても意味はなく、今現在を生きていても死んでいてもあまり意味はないなどと捉えております。

 荒川さんからはこのような破滅願望は百害あって一利なしだから早く捨てるべきだと結構マジで注意されましたが、私としては逆に生存欲求というかそのような希望を持ったところで何の価値があるのか、無駄に生き永らえようとして生き恥さらしたり、いざってところで自分の命優先してリスクを取れなければ何も面白くないのではなどと考えてしまうためやっぱりそっち方面に考えを変えることが出来ません。

 こういう自分だからこそこの球磨川禊に対して並々ならぬ共感を抱いたと自己分析しているのですが、このキャラクターの最後の結末というか作中で示されたメッセージに、「負け続けることがわかっていても勝負から逃げずに戦い続ける、何故なら負け続けることは戦わないことよりも価値があるから」というような内容のセリフがあり、なんとなく自分そうなのかもしれないと思えました。少なくとも、たとえ命を失うこととなっても勝負をしないような人生だけは送りたくないと本気で思います。

 以上が好き勝手に書いた内容ですが、やっぱり歯止めを掛けなくなるとネガティブな内容に走ってしまうのが自分らしいです。