昨日に引き続き平成史考察の記事です。今日は1999年当時にメディアなどによって「悪法」と名指しされた二つの法律の成立当時を振り返ります。
・犯罪捜査のための通信傍受に関する法律
・国旗及び国歌に関する法律(Wikipedia)
上記の二つの法律が今回取り上げる題材ですが、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」は「通信傍受法」、「国旗及び国家に関する法律」は「国旗国歌法」という通称がされているのでこの記事でもこの通称を用いて話を進めます。
それぞれの法律を簡単に説明すると、まず後者の方は読んでそのままで国旗は日の丸、国歌は君が代ということを明記したもので、前者の通信傍受法は平たく言うと暴力団などの組織犯罪に対する捜査において裁判所などの手続きを踏んだ上で盗聴行為を行うことを認める法律です。両者とも法案の審議過程では野党、メディアの双方から激しく批判され、「こんな悪法がよりによって二つも成立するなんて!」ていう論調で報じられていたことを私自身も強く覚えています。
一瞬書くのを悩みましたが、当時に私は中学生でしたが中学の社会科の教師がちょこっとだけこの二法に言及して、「悪法などと呼ばれている法律が二つ通りました」と話題にしてたのが印象に残っています。もっともこの時の先生の話し方は感情は入っておらずただ単に国会での動きを取り上げただけだったので問題は全くなかったと思いますが、そのように授業でもちょっと話題になったことだけを書いておくことにします。
話は戻りますが、一体何故この二つの法案が議論の的になったのかをまた軽く解説します。まず国旗国歌法案に関しては今もまだ公立学校にいますが卒業式などで君が代斉唱を拒否したり、拒否するよう生徒に促す現場教師が徐々に見え始めるようになり、現場と教育委員会の間に立つ校長先生が法律に書かれていないのもあって強制し辛いと言った声があり、じゃあこの際だしはっきりさせようという具合で立法されました。しかし国旗も国歌も強制されて歌うのはどんなものか、国民が自分の意思で選ぶべきなのではなどと言う自主性を重んじた反対意見のほか、君が代は戦前からの国歌で軍国主義を惹起させるほか、歌詞が天皇への崇拝の意味しか持ってないため国歌として相応しくないという意見もありました。
こうした議論の中で覚えていることを挙げてくと、どっかの新聞は君が代に代わる国歌として「ふるさと」を提案してましたが、なんていうかポイントが違う様な気が今だとします。このほか先程の軍国主義を惹起させるという意見に対しては反対意見として、フランスの国歌の「ラ・マルセイエーズ」の歌詞には「ファッキンな敵兵をぶっ殺してドブに捨てちまえ!」っというような内容の文言も盛り込まれていて、それに比べればかわいいものだという声も出てました。
そのほかにも、これは大分後になって佐藤優氏が自著にて国旗も国家も法律として規定するべきではなく悪法だという意見を書いております。佐藤氏の主張によると、どちらも法律に書かれてなくても国民が想起できることがベストであり、法律化してしまうと変更しようと思ったら変更できてしまうリスクが生まれるとして廃止を求めていました。やっぱ視点が一味違う人だなぁ。
当時の私の印象だと、国旗に関してはそれほど反対意見は出ておらずやはり国歌を君が代にする点が大きくクローズアップされていた気がします。私個人としても君が代は歌う機会もそんなに多くないし、あとあの独特のテンポがなんか妙に歌い辛いこともあってもし代案があるなら検討した方がいいのでは、ないならないで新しいのを作らせたらいいのではなんていう事を友人と話してました。なお、じゃあ誰に作らせればいいかという点に関しては、「さだまさしでいいんじゃね( ゚д゚)」って結論に落ち着き、何だったらさだまさし氏の「関白宣言」という曲をそのま使ってもアリかもなどと言ってました。
国旗国歌法に関してはここまでにしてもう一つの通信傍受法に話を移します。この法案も審議当時は散々に叩かれており、具体的には警察が無制限に盗聴活動を行うことによって犯罪とは関係のない民間人も盗聴される可能性がある、プライバシーが侵害されるなどという批判が毎日テレビで報じられていました。
結論から述べると、成立からもう10年以上も経ちますがこの法律に規定された捜査機関による盗聴が民間人のプライバシーが侵害されたとかいう話は全くと言っていいほど聞きません。そもそもこの法律で規定された通信傍受が認められるのは年間でも十数件くらいらしくそんなに量が多くないってのもありますが、あれだけ大騒ぎしていた割にはなんだよこれはとかちょっと思います。こういってはなんですが騒ぎ損でしょう。
当時、盗んだバイクで走り出しそうな年齢だった私自身は、そもそも私生活でサツに聞かれちゃまずいような内容を口にするかといったらそんなことはないし、排泄など聞かれたらちょっと恥ずかしい音はたてるもののそんな音をわざわざ盗聴することはないだろうと思って普通に考えれば市民はノーダメージな法律だと思っていました。その上でこの法律によって犯罪組織に対する捜査が広がるのであれば市民にとってはプラスなのだし、何を以ってか世論は反対するのだろうか、自分のプライバシーに盗聴されるだけの価値を持っていると自惚れているのかということを決して誇張ではなく、本気で当時にそう思って周りにも口にしてました。
今回、なんで1999年のこの二つの法案成立を取り上げたのかというと、いうまでもなくこのところこのブログでも度々取り上げている特定秘密保護法案に対する野党、そしてメディアの対応への不満がきっかけです。この特定秘密保護法案は現在進行形でやんやかんやと批判的に報じられていますが、きっと1999年時と同様に騒ぎ損で終わることになるだろうという予言を書いておこうと思い、また当時と比較するのに面白いと思ったからこそ書き残そうと考えました。
それにしても今回の特定秘密保護法案に対するメディアの報道の仕方は目に余ります。中には「この法律でプライバシーが侵害される」なんていう全く脈絡のない批判意見まで出てくる始末で、そもそも他人や企業のプライバシーを暴くのがジャーナリストの仕事だってのに何言ってるんだこいつらはと呆れてきます。ある著名ジャーナリストなんかこの特定秘密保護法案が成立すると日本の民主主義が滅びると言ってましたが、そのまえに日本のジャーナリズムを心配しろよと亜流のジャーナリストは思うわけです。
おまけ
国旗国歌法に関しては当時に中学生の自分が作った、仲間内で回すだけの文芸同人誌で評論文みたいなのを書いておりました。当時は小説家志望でしたがそれらの同人誌に載せた社会批評文が自分で見てもどれもいい出来で、また書いてて素直に楽しいと思うようになったことからこの時辺りを境にジャーナリストへと志望を転回することとなったわけです。
なお最初に作った同人誌は友達数人を誘って一緒に作りましたが、その友人らは役に立つどころか足を引っ張る始末で開始二号で廃刊に。この時を境に「他人はクズだ、頼れるのは自分の腕力だけ」という妙な信念を持つに至りました。でもって高校生の頃に今度は一人だけでまた小説メインの同人誌を作りましたが、誌名は何故だか「文化大革命」にしてしまい、友人に渡すところを担任の社会科の教師に見られてしまい、「すごいタイトルだね(;´∀`)」なんて言われたのを昨日のことのように覚えています。あの頃は中身の小説も自分で書いて、表紙絵も描いて、でもってタイトルは筆ペンで書くという有様でしたが、目的に向かって突き進むパワーは高校生として見たら大したものだったと今思えます。
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