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2014年1月6日月曜日

毛沢東の中国のGDPに対する貢献度

 真冬にもかかわらずGジャン一枚で貫き通す人間ときたら私とスギちゃん位なもの、といってもスギちゃんみたいに素肌の上ではなく私はちゃんと厚手のシャツの上にGジャンですが、そんな自分でも昨日今日の寒さは身に応えて今日も夕方から頭痛が響き、ぶっちゃけ持病とセットで気絶しそうです。でもブログは書くんだ(゚∀゚)アヒャ
 なので簡単に書けるネタとして今日は、毛沢東と中国のGDPについてちょっと書きます。

 結論から書くと、毛沢東が現代の中国に与えている観光収入は一体どれほどのものなのか非常に気になります。この前も北京に行ってきましたが相も変わらずに街中にはたくさんの毛沢東グッズ、具体的には毛沢東の肖像画が書かれた絵皿やバッグ、時計、人形などなどで、マフィアなど闇社会の経済を研究する学者はよくいますが、毛沢東による中国の観光収入を研究している学者がいるのであれば是非詳しく教えてもらいたいものです。
 なお今回の旅行中に一番気になったのは天安門前にでっかく掲げられていてニュース映像にもよく映るあの肖像画だったのですが、一緒にいる友人に対して、「そろそろあの肖像画も3Dで表示できるようにしないと中国は遅れてしまうぞ」などと、寒かったからなのかわけのわからないコメントをしてました。まぁやれるもんだったらぜひやってみてほしいのが本音で、闇夜に3D映像で浮かび上がる毛沢東を想像するだけで体が震えてきます。ただ単にいま寒いだけだけど。

 ただそれだけ死後も中国の観光産業に貢献し続ける毛沢東ですが、以前にも書いたことがあると思いますが一つ気になることとしてこれら毛沢東の商標権ことコピーライトは誰が持っているのかが未だにわかりません。もしかしたら中国共産党が持っていてあのお土産一つ一つからお金を取っているのかもしれませんが、あの中国のことだからみんな勝手に作っていてはっきりとした商標権は誰も持っていない気がします。
 だとすれば折角だし、敢えて日本人なり日本企業が「毛沢東」ないし「毛主席」で商標権を取ってみたらどうなるのか。恐らくですがこういう事したら中国政府並びに中国人はマジギレする一方、焦って自分たちも商標権を得ようと似たような言葉で商標権の登録に走るんじゃないかと思います。まぁ実際には受け付けてくれないだろうけど。

 それにしても日本にはこれほどたくさんグッズが作られる首脳は今だ出ておらず、そういう意味では中国がうらやましいです。日本で作るとしたら自分だったら伊藤博文だけど、商業的には早稲田卒が買ってくれそうだから大隈重信のがいいかもしれません。

2014年1月5日日曜日

監視し合う民族

 昨日の記事で年末の北京旅行で気づいた点というかインスピレーションを個別に紹介していきましたが、最後の最後に気付いた大きなトピックについて今日は紹介しようと思います。先に書いておくと恐らくここで書く内容は書かなければ書かずに置いた方がよく、書くことによって少なからぬ人間を敵に回してしまう内容です。

 その事実に気が付いたのは、日本に到着して自宅に帰る途中の電車の中でした。帰路が同行した友人と同じ方向なので電車でも隣り合って座り、話しをしながら乗っていたのですが、途中の駅で特急待ちとなったことからそこで停車する時間がありました。その停車中、自分の携帯電話が鳴ったので着信元を見ると上海にいる中国人の友人からだったので、電車も停車しているのだしまぁいいかとばかりに電話を取って、「喂,你好啊!」って具合で景気よく中国語を口にしました。
 その瞬間、それほど多くはいませんでしたが車内にいる乗客の目が一斉に自分へと向けられました。こういう体験は何もこれが初めてでなく、これまでにも中国語を電車で移動中に使うと日本語にない発音の珍しさからなのか、乗客が一斉にこっちを見つめてくることを何度も経験しています。なので今回も「よくあること」で片づけられたのかもしれませんが、この直前にあった出来事とリンクして咄嗟にある仮説が思い浮かんだのです。

 私が中国からの電話を受け取る直前、具体的には特急待ちで電車が駅に停車をした際、一旦車内のドアを閉めて空調の電源が落とされたのですが、空調の電源が落とされた瞬間は一時的にそれまであった空調特有の騒音がなくなり会話をする自分たちの声が急にクリアに聞こえるようになりました。ただクリアになったとは言ってもそれは本当にごく一瞬で、そのすぐ後には「シーン」という擬音が似合うほどの静寂が車内を包みます。何故かというと、それまで会話をしていた乗客が一斉に会話をやめたからです。
 日本人である皆さんならこのような体験を一度や二度、ひょっとすれば何度も経験してはいないでしょうか。室内にいる人間全員がそれまで会話をし続けていたのに、突然騒音がなくなったりBGMが中断されたり、誰かが部屋に入ってきたりすると一斉に黙ったり、声を小さくしたりなどと。もしくは、誰かが近づいて来たりしただけでも会話を中断してしまうこともあるのでは。

 まどろっこしい言い方はこれまでにして私が導き出した仮説を述べると、日本人というのは無意識に周囲の会話を盗み聞きしようとする一方、自分の会話を盗み聞きされないように気を配っているように見えます。嫌らしい言い方をすると、常に相互監視し合っているのが日本人社会だと言いたいわけです。誇張ではなく日本人は周囲で会話があると無意識にその内容を把握しようとするし、周囲に人がいれば自分たちの会話を聞かれていないかどうかを意識するところがあります。

 私がこのように考える根拠はいくつかあり、一つ目は上記の私の中国語の発音に対して乗客全員が反応を見せたこと、二つ目は私自身も電車に一人で乗っていたりすると知らず知らずのうちに周囲の会話に聞き耳を立てていること、三つ目は中国人は全く他人の会話に興味を持たないことからです。
 ちょっと長くなりますが三つ目について自分の体験を話すと、中国人は電車で移動中、本当にやかましいくらいの大声で常にみんな話をし合っています。なもんだから私が日本人の友人と一緒に電車に乗りながら日本語で会話していると中国人のおばさんが、「ねぇねぇこの駅に行くのはどう乗り換えたらいいの?」って中国語で尋ねてくることがありました。なんでよりによって日本人の自分に聞いてくるんだよと思いつつ中国語で路線の説明をしましたがどうもなかなか通じず、終いには我々を見かねた別の中国人のおばさんが、「この子たちは日本人よ。私が教えてあげるからあなたたちは無理しなくていいわ」と助け舟に入ってきてくれました。電車を出た後には一緒にいた友人に、「俺ら結構大声で日本語話してたんだけど、あのおばさんは全く聞いてなかったようだ」と言い合いました。

 この自分の例に限らず中国人は全く以って他人の話を聞かず(やや仕事でも)、かつ自分の会話が他人に聞かれることについて全く恐れを抱いていません。それに対して日本人は自分の会話を聞かれることに強い恐れを抱くし、盗み聞きした会話をよく話のネタに使います。先程やってみましたがGoogleで「電車 会話」と検索するとまさに盗み聞きした内容が書かれたサイトが出るわ出るわで、こんなの見ている電車の中で会話すること自体がタブーなのではないかとすら思えてきます。
 ただ同じ日本人でもこの傾向には地域差があり、関東よりは関西の方が聞き耳を立てないというか中国的な印象を覚えます。とはいえ関西人が全く聞き耳を立てないかというとそれはなく、というのも非常に嫌らしいことですが私はこの日本人の盗み聞きしようとする傾向に気付いてはいなかったものの、自分の会話の内容に何かしらの反応を示すことは知っていてそれを逆手に取ってしょっちゅう実験をしていたからです。

 その実験をしていたのは関西で過ごした学生時代ですが、友人と一緒に電車に乗るとやおら日本の統計データ、具体的には日本人の平均年収や自殺率、国債残高や首相支持率などといった数字をやや大きな声で口にして、それに対して周囲の乗客がどんな顔をするのかじーっと観察してました。日本人の世代別平均年収を話すと若い女の子は大抵意外そうな顔します。
 そんな私の本当に厭味ったらしい学生だった過去は置いといて話を戻しますが、まぁこれだけグダグダ説明しなくても同じ日本人なら最初の方の説明ですぐに理解してるんじゃないかと思います。何せ普段からやっていることなんだし。

 では何故日本人はそのように盗み聞きしようとして、またそれに対して盗み聞きされないように気を配るのか、これは結論から述べると単純に教育が悪いせいだと思います。ここ数日、この仮説に気が付いてから街中を歩く時や電車に乗っている最中はずっと観察してましたが、やはり小学生くらいの子供だとこの傾向が全く当てはまらないことに気が付きました。日本人の大人は電車が駅に到着して騒音が減ると露骨に会話の音量が小さくなったり下手すれば中断したりしますが、小学生はそんなのなんのそのとばかりにそれまで通りの音量でしゃべり続けています。また大人がみせる盗み聞きされているのではないかとばかりに周囲に向ける警戒感らしきものも全く見せず、まぁ無邪気に話し続けます。
 ターニングポイントとなる年齢層はやっぱりというか中学生くらいで、この層あたりから気にせず話し続けるのと周囲を気にするようなのに分かれてきます。友人にこの仮説を説明した所、やはり思春期に当たる世代で色々と気にし始めることが影響しているのと、日本人の場合その思春期特有の感覚が成人になっても変に続いているのではないかという面白いコメントが得られました。

 今回、ここで書いた内容はあくまで仮説であり実態としてはもしかしたら間違っているかもしれません。しかしそれを推しても自分としてはそこそこ自信のある仮説であり、日本人の民族性において意外な盲点によく気が付いたという自負があります。もっともこれまでなんで気が付かなかったのか、自分もやはり日本人の一人だったのかという妙な敗北感も覚えますが。

 率直に言って、このように盗み聞きをしようとするような、まるで密告社会であるかのようなこの特性を持つ自分を含めた日本人というのは非常に気味悪く感じます。また古来よりこのように相互監視し合うかのような陰湿な民族が栄えたという試しは聞いたことはなく、むしろ衰退していくというのが自然の流れの様にも思います。メディアも去年は個人情報保護法案関連で日本が監視社会になるだのなんだの散々に煽りましたが、同じ日本人同士で日常茶飯事みたくしていることを今更何言ってるんだよという気がしてなりません。

 冒頭から非常に挑発的な文章を綴っておりますが、自分は日本人がこのような行為をそうそう簡単にやめるとは思えず、この記事で改善を促すなぞ以ての外でしょう。ならなんで記事にしたのかというと、このブログの読者であればこうした日本人の傾向を意識することでいい意味で見えてくるものがあるだろうと確信していることが大きいですがそれ以上に、書かなくてもいいことを書くと「俺はお前たちとは違う」ということを鮮明に宣言したいというのが本音かもしれません。

2014年1月3日金曜日

北京で受けたインスピレーション

 既にブログで写真もアップしてますが、昨年末に北京へ友人と旅行に行ってきました。この時一緒に来た友人は自分の同世代の友人の中でも十指に入るくらい頭が回る勘のいい友人なだけに、旅行中は様々なポイントを指摘してくれて数多くのインスピレーションを受けたので今日はそれらを順番に紹介していきます。ただ十指とはいっても、そもそも私の友人は十人もいるのかどうかちょっと微妙ですが。

1、真冬の北京の味千ラーメンはうまい
 味千ラーメンというのは中国滞在者なら知らない人はいない、日系で最も向こうで人気なラーメンチェーンです。友人がこの店には是非とも行ってみたいと言っていたことから一日目の夕方に訪れたのですが、上海で何度も味千ラーメンを食べている私ですらスープをずっとすするほどこの時食べた味はおいしかったです。恐らく真冬の北京を、具体的には日壇公園の近くを長い時間うろうろして体が冷えた後に食べたからおいしかったのだと思いますが、友人も大絶賛で二人してべた褒めしながら麺をすすってました。

2、アイスクリーム屋に行列をつくる中国人
 この時訪れた味千ラーメンの店舗はショッピングセンター内にあったのですが、同じ階は他にも飲食店が並んでいる階でした。なので麺つゆすすりながら周りを見てみるとなにやら行列が出来ている店があり、どんな店かと見てみるとなんとアイスクリーム屋でした。なんで真冬にアイスクリーム屋が繁盛するんだよなどと思いつつもあれだけ並んでいると自分もなんか食べたくなるなと見ていたら友人が、「おい見てみろよ、中国人が行列作ってるじゃねぇか」と言って、自分も初めてその事実に気が付きました。
 そう、肝心なのは真冬にアイスクリーム屋が繁盛していることじゃなく、並ばずに割り込んでばっかだった中国人がきちんと行列を作って並んでいることです。言われて自分も目を疑ったのですが私が留学していた七年前なら行列なんてまず有り得ない光景だったのに、時が経った現在に至って中国人というか北京人もちゃんと並べるようになってます。
 この傾向は何もそのアイスクリーム屋に限らず地下鉄の乗車口でもきちんとドアの左右に並んで待っており、以前はドアが開くや降りる人と乗る人が毎回のようにラグビーの試合みたく激しくぶつかり合っていたものの、こちらも現在ではちゃんと降りる人が全員降りてから乗る人が整然と乗るようになってました。わずか七年でこれほどまでにマナーは改善するのかと驚くのと同時に、貼り紙をあちこちに貼ってマナーを守るよう喚起していたこともちゃんと効果があったのかという事をしみじみ感じます。っていうか中国人もやればできるじゃん。

3、中吊り広告のない車両
 これも友人が指摘してくれたのですが、中国の地下鉄車両には基本的に中吊り広告はありません。中吊り広告と来ると日本では週刊誌の見出しがいっつも踊っててなんとなく見ちゃうあれですが、改めて中吊り広告のない中国の車両を見ると同じ車両の奥の方まで見ることが出来ます。
 その友人曰く、中吊り広告がないと空間が広く感じるとのことで、確かに言われてみると日本の車両はなんとなく圧迫感というか中国の車両に比べて狭く感じる気がします。それに中吊り広告の週刊誌の見出しは下品なものも少なくなく、むしろない方が精神衛生上いいのではなどと言うことをお互い話しました。
 また電車内に限らずとも、中国は都市部にいて圧迫感を感じることがほとんどありません。建物のサイズが何でも日本の数倍くらい大きいということが第一ですが、日本の都市部と比べて統一感がなく見ていて不快に感じる広告が少ないこともあるでしょう。はっきり言えば日本の都市設計は酷いなんてもんじゃなく、各担当者はシムシティでしっかり勉強し直せと言いたいです。

4、流れるモニター広告
 市内での移動中に地下鉄に乗っていてふと窓の外を見てみるとトンネル線路の壁にモニターが横一線に設置されてて、まるでパラパラ漫画を見るかの様に列車に乗りながら広告が見られる路線区間がありました。私はそれほど感動しなかったのですが友人はこれにいたく感動して、単純に視覚的に面白いだけでなく広告の幅が広がる、中国は進んでいるなどとべた褒めでした。
 そんな友人に対して付け加えるように私も説明したのですが、中国の地下鉄車両には基本的に、ドアの横に一台はテレビモニターが設置されています。そのモニターは主に新華社のニュース番組を流しつつ広告も流すのですが、日本ではこのようなモニターは都心の一部車両にしかなく、また流す映像も中国のものよりお粗末な感じがします。こと電車での広告に関しては中国の方が日本の先を行っている、私にはこう思うし友人もきっとそう思っていることでしょう。

5、ゆっくりと流れる時間
 北京の留学体験記にも確か書いていたと思いますが、不思議なことに中国にいると日本にいるときに比べて時間がゆっくりと流れるような感覚があります。それは今回の短期滞在でも同じで、日本だと大分時間が立ったからもうそろそろお昼かなと思っていたらまだ午前十時だったり、晩飯食べて風呂も入ったしそろそろ寝る時間(午後十一時過ぎ位)かと思ったらまだ午後八時半だったり、こういう事が本当に数多くありました。
 この感覚は中国にどっぷりつかっている私だけでなく友人も一緒だったようで、二人してこっちは時間が本当にゆっくりだなどと何度も話し、じゃあなんで日本はあんなに時間が足りず、いつもめまぐるしいんだという原因について議論しました。結論としては日本は周囲に対して常に神経を貼っているというか気を配る必要があるのと、テレビ、ネット共に膨大な情報が常に流れているからそういった情報の処理に脳の大部分が使われるからじゃないかということに落ち着きました。
 ちなみに旅行三日目は万里の長城の疲労が祟ったのでホテル内の部屋で長い時間を過ごしましたが、その際にNHKワールドプレミアムで「あまちゃん」のダイジェスト版が流れてて、「能年もいいけど橋本愛のがかわいいよね」なんていいながら見てましたが、この時ばかりは時間が早く流れた感覚がありました。耳にする言語が日本語、中国語ってのも影響あるんだろうね。

 以上が今回の旅行で主に感じた点ですが、帰路における最後の最後でとんでもない事実というか傾向について気が付いたことがあります。なかなか大きなネタなので、こちらは次回に独立して解説することとします。

2014年1月1日水曜日

阿修羅像祀ってみた

 かねてからこのブログでは買ったものを写真に撮って公開する際、親父と親父の従弟のいい年こいたおっさん二人がガシャポンで獲得した阿修羅像を大きさを比べる材料として一緒に写真に撮っています。一昨年の「中国製タブレットPC購入」の記事で詳しく紹介していますが、この阿修羅像は未だに手元に置いているのですが、何を思ったのかいつも窓際に置いています。
 私が今住んでいるのはアパートの1階で、しかも道路側に一番近い部屋です。このアパートでよくわからないのは道路に面した窓が曇りガラスとなっていないため、カーテンを開けていると部屋の中がまる見えとなってしまい、しかもその道路側の窓は部屋の壁から突き出ており、突き出た部分にはカーテンがかけられない構造となっています。

 仕方ないので突き出た部分の外側というか壁沿いにいつもカーテンをかけているのですが、突き出た部分が棚みたいになっているので、何も置かないのもあれだと思って何故か、「阿修羅像を置こう」ってことになり、私の家の前を通る人は洩れなく阿修羅像が見えるような配慮をしています。そんな配慮、誰もいらないだろうが。

 そんなみんなの崇望集める阿修羅像ですが、なんか今日は元旦だし儀式めいたことをしてみたいなぁと考えていたところ、アロマかと思って間違って100円ショップで買ってしまった普通のキャンドルがあることに気が付き、せっかくだからこのキャンドルと阿修羅像を組み合わせてみようと思い立ちました。恐らく普通の人なら思い立つだけでしょうが、実行力に関しては定評のある自分なだけに即実行しちゃいました


 これがその写真です。「その」って言うのもなんかおかしい気がしますが。
 手前の下部分に窓の桟があると思いますが、この構図はばっちり道路からも見ることが出来ます



 フラッシュをたいたバージョンです。右のキャンドルの炎が小さいのが残念。後ろに見えるカーテンを開くと自分のプライベートが見たい放題です。



 斜めの構図からのショット。なんでこんなことを真冬に路上で、しかも風呂入った後にパジャマ姿でやっているんだろうという疑問が頭をよぎります。相変わらず右の炎が小さい。



 ちょっと時間をおいてから、室内の電気をつけた状態で再撮影。光が露光しているのは間に窓ガラスを挟んでいるからです。右のキャンドルもこの時点はこうこうと光ってた。

 なんでこんなことをしようと思って本気で実行してしまったのか我ながら理解に苦しみますが、こうした自分の信仰心を汲んでかなりハードだった去年よりはいい一年にしてくれたらいいなとか思います。
 あとこの記事書いている最中に家の前で「すげぇ」って子供の声がしましたが、これ見て言ってくれたのかな?好評なら定期的にやってみようかなという気もしますが、こんだけ阿修羅像に対して信仰する元キリシタンも珍しいでしょう。

正月とグランツーリスモ6と自転車

 このブログの早期からの読者なら恐らく覚えているのではないかと思いますが、五年前の2009年の正月に私はなぜか自転車での房総半島一周を企図していろいろと痛い目に遭いました。詳細は「房総半島自転車一周地獄の旅」の中で書いていますがこの体験のせいか、正月を迎える度によくもまぁあんなアホなことをしたもんだとよく思い出します。ちなみにある友人はこのブログで一番おもしろい記事がこのネタだったとよく言ってくれます。

 話は現在に戻しますが私はここ数年中国で生活していたこともあり、日本で正月を過ごすのは実に2010年以来となります。向こうで生活していて日本の生活を懐かしむことなんてほぼ皆無でしたが、この正月のシーズンだけは向こうで日本のサイト見ていていっつもさびしい思いをしていたので何が何でも今年は日本で年越そうと思っていました。この辺は海外駐在者じゃないとわからない感覚じゃないかな。

 そのように待望していた今日の元旦ですが、特にやることもなく朝起きてからは普通にゲームしてちょっとぼんやりしてました。一人暮らしなせいでおせち料理や飾りつけを準備する気も起きず、昨夜も夜中まで年末に買っておいた「グランツーリスモ6」で遊んでたくらいで、ちょっともったいない過ごし方しているなぁ等と感じてました。
 ちなみにこの「グランツーリスモ6」とはPS3のレースゲームですが、日本では希少な親子二代揃っての三菱党である私はこのゲームでも三菱自動車の車ばかり動かしてます。ただ今回のこの6に登場する三菱の車種だと「FTO」と「GTO」がグレードや年代別に細かく分かれて登録されてますが、こんだけこの二車種を数多く登場させるくらいならハッチバックの「ミラージュ」とか「八代目ギャランVR4」を出してくれよと贅沢な文句が出てきます。まぁ三菱の車の中でもFTOが一番好きだから別にいいんですが。
 もう少しこの話を続けると、ランエボの中では「ランサーエボリューションⅧ MR」が一番好きです。他のメーカーについても触れると、スズキの車で「スイフトスポーツ」が入っている一方で市販されている「SX4」が入っていない(WRCに出した特別車は出てくる)のは残念でした。スズキの中ではあれが一番好きなのに。

 話を今日やったことに戻しますが、午前中はゲームしながらボーっとしてたので午後は外出しようと思い、先ほど話した房総半島一周の悪夢を思い出し、「今回は距離を控えて白井まで行ってみよう」という結論に至りました。
 隠すことないので明かすと現在は千葉県松戸市のやけに横揺れの激しいアパートに住んでます。で以って今回目標の白石は同じ千葉県内で、昔予備校講師が「毎年あそこではセミが集団自殺する」と語るほど自然にあふれた場所だと聞いてたので、今まで行ったことないし自転車で行ってみようと思い立ったわけです。

 京成線の白井駅まで私の家から直線距離で約5キロ、往復で約10キロの距離です。軽く地図で見て行ってみましたが、京成線の沿線というか千葉県内は都市部以外だと入り組んでいることが多く、行くまでに結構道に迷ってかなり遠回りした挙句に到着しました。しかも千葉県内は沿岸部を除いて丘(形状からしてその多くが古墳)が多く、自転車での移動だと昇って下りての繰り返しになるため、正直な感想としては走っててスゴイつまらなかったです。途中の鎌ヶ谷大仏の近くでは狭い道に車が渋滞して先進めなかったし。
 京都とかだと道も走りやすいし風景もいいからそういうことないけど、千葉県というか関東は自転車で走ってても面白味が少ないです。まだスピードの出せる河原沿いならともかく都市部や都市間に至ってはイライラが増すだけであんまこういうところ走るのはもうやめようかなと思います。

 自転車で走ってたのは午後一時前から三時までの二時間ですが、ずっと走ってて疲れたので家に戻った後は漫画喫茶行って真冬にもかかわらず清涼飲料をがぶ飲みして、友人おすすめの「電波の城」と「自殺島」という漫画を読んでました。でもって家に帰った後、何をトチ狂ったのか妙な行為をおっぱじめるわけです。

2013年12月31日火曜日

今年体験した嫌な出来事(´;ω;`)

 恐らくこれが今年最後の記事となります。今年は何気に投稿本数が多く293本に上り、2010年以降としては最高の投稿数となりました。まぁ贅沢言えば300本に載せとけばよかったかもしれません。そこで最後となる今回は、心情的にも体力的にもハード打た一年を振り返って今年に自分が体験した様々な嫌な出来事を一気に暴露しようと思います。年末にこれだけ後ろ向きな人物も珍しいだろうな。

今年嫌なこと第5位:円安による為替損(´;ω;`)
 二月ごろの記事に書いていますが、私は今年になって日本で起業するために中国での勤務を辞して帰国しました。起業するための資金はそれなりにためていたのですが、過去二年間は中国での勤務が続いていたために人民元で貯金を持っていたのですが、起業するともなると見せ金が必要なため、アベノミクスで為替が円安に動くことがわかっていながらもある程度まとまった額を換金せざるを得ませんでした。
 その結果というか、仮に二月ではなく現時点で日本円に換金していたらどのくらいの日本円を得ていたのか大雑把に計算した所、ざっと約40万円くらい損している計算となります。40万円あったらあんなこと、こんなことをドラえもんがいなくたってできるじゃん、もう……(ノД`)

今年嫌なこと第4位:スマイルサーバー(´;ω;`)
 詳細は以前に語った通りです。詳しくは「スマイルサーバーに対する不満と不信」を閲覧ください。ちなみに今、Googleで「スマイルサーバー」と検索をかけるとこの記事が1ページ目に来てくれるのでなんだかうれしいです。

今年嫌なこと第3位:自分の会社の清算(´;ω;`)
 知ってる人は知っていますが、このブログでは初公開の情報です。
 上にも書いていますが私は今年二月に起業しようと日本に帰ってきましたが、まさに会社登記を終えた直後、ある身内から根も葉もない言いがかりをつけられたことにより、当初事務所代わりに使用しようとしていた実家から出て行かざるを得なくなりました。既に登記で会社登録地、並びに税務登録として実家の住所を入れていたというのにこっからどうしようか、それどころか外に事務所を借りるとなると家賃、光熱費、通信費がかかり、手持ちの資金では1年も戦えないぞなどと非常に悩まさせられましたが、最初はそれでもバイトを始めるなどしても会社を続けるつもりでありました。

 そんな気持ちが吹っ飛んだのはまた例の身内で、有り得ない言いがかり、ぶっちゃけ自分が「野菜炒めを食べたい」と言ったらそれが非難の言葉だと罵ってきて私が折れる形で家を出て行くことになったのですが、あろうことかほかのありとあらゆる親戚に対して自分が暴言を吐いたなどと悪評をばらまいていたことがわかり、元からそんなタフな方じゃないけどなんかもう馬鹿馬鹿しくなってきて会社を続けるというか挑戦する気力が全部なくなってしまいました。
 前からその身内の頭がおかしいのはわかっていたことだし、内心、会社を潰すことになるとしたらきっとその身内が起こす騒動からだろうと去年から想定していましたが、まさか何も始める前に面倒起こされて潰されるとは思っていませんでした。もっともそう言いながら、最大のリスクであると認識しておきながら自分が折れればきっと何とかなるだろうなどという甘い考えを持っていたこと自体に我ながら反吐が出る。

 その身内とは既に距離を置いており、運が良ければもう浮世で会うことはないでしょう。惜しむらくは上記の理由上、その身内の血縁とも理解が得られる見込みがないため全部絶縁せざる得ず、この年で准天涯孤独となったことです。ただ繰り返しになりますが、何故5年前の時点でこうしなかったのか、甘い考えを持っていた自分に対して何より腹が立ちます。

今年嫌なこと第2位:苦しい就活(´;ω;`)
 上の様な顛末があり、自分の会社をやめるのであれば早く心機一転して再就職した方がいいだろうと清算を進めながら再就職活動を始めました。いくら不況の世の中とはいえ貿易も出来るし中国語も得意だし何とかなるだろう、なんて自分の気持ちを落ち着かすために言い聞かせていましたがこれがなかなかうまくいきませんでした。それでも活動を始めて約一ヶ月後、中国への進出を考えているというとある空調機器メーカーの正社員職を得ました。職種は営業でしたが自分なら何でもできるだろうということと、精神的にかなり堪えてきてたので条件とかそういうのは度外視で入社を決めました。

 結果論から言うとその会社は二ヶ月でさよなライオンしました。というのも職種は営業というもの、やることは設計事務所、並びに介護施設などへの電話セールスしかなかったからです。しかも電話セールスを始めるに当たってネットのタウンページから電話番号を探せというので探してリスト作ったら、「なんでこんな少ないんや」とかいうので東京都の建築士組合のサイトから数百件のリストを持ってきて見せたら、明らかにそのサイトの存在を知らない反応を見せました。電話セールスをもう十年以上やってるというのに、基本となるリストすら作っていないしこういうサイトの存在も知らないことに対して、「真面目に商売やる気あるのか?」という感慨を素直に持ちました。そもそも電話セールスじゃ売れるわけないし。
 それと介護施設、具体的には老人ホームなどへですが、ここへも一日中電話かけろと指示され、夕方とか明らかに職員が夕食の準備とかで忙しい時間帯にもかけさせられ、電話口でも慌てているのがわかるだけに内心相手に悪いなぁって罪悪感でいっぱいでした。一応拾ってもらっといて悪口ばかり書くのもあれですが、入社一か月後に正式採用手続きを取ってその際に給与額について改めて相談すると入社前に説明受けてましたが、あっさりスルーされたので「もう辞めます」と伝えたわけです。

 なもんだからまた夏頃から再び転職サイトに登録してあれこれ探し、面接に行ったら募集条件とは明らかに異なる待遇や仕事内容を説明されたりと腹立たしいことでお腹いっぱいな日々を過ごしましたが、また約一ヶ月後に今度は部材メーカーの内定採って、現在はそこでお世話になってて来年にもそこの中国法人へと出向く予定です。ちなみに会社には「起業してた」ってことはもちろん今も内緒です(∀`*ゞ)エヘヘ

今年嫌なこと第1位:PSPの盗難被害(´;ω;`)
 栄えある第1位は、自分と苦楽を共にしたPSP、そうソニーが販売しているプレイステーションポータブルという携帯ゲーム機の盗難です。
 本当に盗難されたのかという証拠はありませんが、実家のリフォーム中にソフトを残し、突然本体と電源コンセントだけなくなったので、施工業者の誰かが盗んだんだろうと思います。この手のゲーム機って換金しやすいので地味に盗みがいあるし。

 無くなった当日は京都の方に出向いていたため自分は留守にしており、自室の目立つところに置きっぱなしにしてました。というのもリフォームで自分の部屋も壁紙とかはがす予定だったから特に弄らない物置に入れといたところ、例の身内が自分の部屋は後で施工するのだから勝手に物置に物を置くなと一方的に言ってきたので戻したところ、自分の部屋が真っ先に施工されてPSPも消えてしまいました。
 たかがゲーム機、しかも後継機のPSVitaも既に発売されているのでありますが、このPSPは私が中国へ働きに行く前に購入したもので、向こうでの苦しい日々を慰める最大の娯楽として大活躍してくれてました。しかも杭州、上海、香港と結構距離のある土地を転々とする間に肌身離さず持っており、プライベートにおける相棒と言ってもいいくらいに愛用していた品です。こいつで遊んだモンハンP2Gの日々(インザ香港)は忘れない。

 ソニーのゲーム戦略はこのところあれこれ批判されたり、なんでPS4の日本発売を遅らせるんだなどという声もありますが私個人として言わせてもらうと、素晴らしいゲーム機を提供してくれてありがとう。そしてそれをなくしてしまって本当に申し訳ないということを声を大にして言いたいです。
 ってことで、来年の中国凱旋に備えてPSVitaを買っとかないとなぁ……。

今年うれしかったこと
 よくもまぁこんだけ暗い内容を年末に書くもんだと自分でも思うので、最後にポジティブなことも書いておくことにします。まぁ見方を変えれば、上に書いた暗い内容はこうしてネタにできるくらい整理就いたってことでもあるんだけど。
 今年うれしかったこととしてはこのまえ記事にも書きましたが、中国語の資格であるHSK6級に受かったことが真っ先に浮かびます。飽きっぽい自分ながら一応意識してずっと鍛え続けた中国語でギリギリとはいえ最上級を取得し一つの区切りを迎えられたのは感慨深く、なんか書いてて言葉が出てきません。

 あと今年、このブログの読者数人と直接お会いして知り合いになれましたが、どの方も自分から見て「スゴイ∑(゜∀゜)」と思う人ばかりで、こういう人たちに自分の書く、かなり癖のある記事を毎日読んでもらえているんだと考えるだにタイプ打つ指が震えてきます。友人にもたびたび言われていますが、このブログは文章量が長いし書いてることもわかり辛いのばっかなので明らかに読者を選ぶブログとなってますが、その分だけいい読者に恵まれてると思います。シャレ抜きでしんどかったこの一年を乗り越えられたのもそういった読者の方の励ましがあってこそで、来年はまだ気持ちに余裕もあると思うのでもっといい記事書いて娯楽の足しになれればと、来年の目標を書いて結びとします。

寒かった北京

 これまでにアップしているため記事にも書いていますが、昨日まで北京に友人と旅行に行っていました。私にとっては実に6年ぶりの北京訪問で、いろいろとカルチャーショックも受けてきたのでその有様を写真と共に解説していこうと思います。


 まずこちらの写真ですが、ここは北京一の繁華街である王府井(ワンフーチン)です。12/25を過ぎていますが細かいことは気にしない中国なだけに、クリスマスムード一色なライトアップで、あちこちのショッピングセンター内にもツリーが飾られていたままでした。でも逆に言うと、12/25を過ぎたら一斉に撤去し始める日本が神経質すぎるのかもしれません。



 こちらは同じく王府井の中にある、「全聚徳」という名前の北京ダック料理店です。ここは数ある北京ダック屋の中でも最も知名度が高い上に店舗数も多く、王府井に限らずとも北京市内ならどこにだってあるお店です。同行した友人は今回が北京初訪問だったので、有名どころに連れて行った方がいいだろうとの判断からここに来ることにしました。
 で、実際の料理の方ですが大手なだけにやはりちゃんとしていておいしかったです。しかし中華レストランなだけに出される量が桁違いに多く、二人向けコースに大の男でかかったのに結局全部食べきれず一部残しちゃいました。



 続いてこちらの写真はお馴染みの万里の長城。 写真を見てもらえばわかりますが、PM2.5を期待していったのに滞在中の北京の空気は有り得ないくらいに綺麗で、ご覧の通りに青い空が満面に広がっていたし、実際に空気吸ってておいしかったです。これはこれで期待外れだ。



 で、この万里の長城ですが、本当に寒かったです。北京にいる知り合いの中国人にこの日に行ったことを話すと、「凍死するほど寒かったんじゃない?」と言われましたが、実際に投資するんじゃないかと何度か思いました。
 北京のこの時期の気温は一日中氷点下を下回っており、なおかつ風も強く吹きます。北京市内ならまだしも、山の上のこの長城は市内よりもさらに気温が低くて風も体ごと持ってかれるほど強くて、移動に使ったタクシーから降りるや「マジやべぇ!」と、渋谷のギャルみたいな言葉が友人と共に口を突いて出てきました。

 しかも友人はともかく私は普段のノリで行ってしまったため、周囲が全員ダウンジャケットを着こんでいた中、ただ一人だけGジャン一枚で長城を駆け廻りました。呆れるくらいに寒さに強い自分もこの日はさすがに参って、長城手前の入り口で慌てて20元の帽子を買ったくらいでした。なお散々寒い思いしてホテルに帰ると入り口手前でタクシーの手配をするボーイにも、「そんな恰好じゃさすがに寒いでしょ」とツッコまれてしまいました。

 もう少しだけ万里の長城について書くと、この上の写真で見える範囲はすべて昇り降りしています。私はこれまでにこの長城を2回訪れていますが、三回目の今回でもその高低差の激しさ、あと微妙に滑りやすい床、そして油断したら吹っ飛びかねない横風に難儀して、息も絶え絶えになりながら全行程を踏破しました。
 写真で見るとそうでもなさそうですが、体力に自信のない人は真面目に万里の長城を訪れるべきではありません。軽いコースを通るにしても傾斜が急で、下り坂で転ぼうものなら大怪我を負ってもおかしくありません。今回同行した友人は比較的体力自慢な輩でありますが、そいつですら「マジやべぇ」を繰り返しつつなんとか踏破を完遂出来たくらいだし。



 この写真は万里の長城に併設してある「熊楽園」にいた熊です。なんか座り方が様になっていたので撮りましたが、そもそもこの時期に熊は冬眠しているというのに働かされてて「熊も大変だなぁ」としみじみ思います。



 所変わってこの写真は地下鉄構内に置かれた広告の写真ですが、ロックフックがリラックマとコラボしていたことに驚いたので写真に収めました。決して「熊楽園」との関連はありません。ロックフックについて知ってる人はそのままで、知らない人はいい機会なのでググってみましょう。ついでにチョウサンサンも覚えておけば香港通です。



  続いてここは北京市内にある「天壇」という世界遺産です。いまいち写真だと伝わり辛いですが桁違いにでかくて高い建物で、友人と一緒に「中国は何でも十倍サイズだよなぁ」と言いながら見学してました。



 最後はお馴染みの天安門の故宮博物館(紫禁城)前です。中央に毛沢東の写真が貼られていますが、そろそろこれも3Dにしないと駄目だよなぁと友人と話してました。さらには、「毛沢東はグッズといいこの写真といい、中国の観光収入にどれだけ寄与しているんだろうか」などと経済チックな話でも盛り上がってました。
 それにしてもこの日も青空がやけにまぶしかった。こうしてみるとPM2.5で大気汚染がと映している映像は、暗い空の日を選んで撮影してるんじゃないかとすら思えてきます。

 この旅行で得たインスピレーションについてはまた別の機会に詳しく書きます。