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2014年2月23日日曜日

「少年ジャンプ」のテーマパーク建設の提案

 発想自体は昨年末の北京旅行中に出来ておりましたが、記事を書くのが遅れに遅れてしまって今日に至りました。結論から述べると日本はコンテンツ産業を本気で海外に売ってくつもりがあるのなら、四の五の言わずに週刊マンガ誌の「少年ジャンプ」のキャラクターを使ったテーマパークを今すぐ作り始めるべきです。

 「少年ジャンプ」については何も説明する必要はないでしょうが、「ドラゴンボール」や「ONE PIECE」 、古くは「聖闘士星矢」や「キン肉マン」といった大ヒット作を生み出した少年漫画界における王者と言ってもいい漫画雑誌です。これらのコンテンツは日本のみならず海外でも高く評価されており、特に「聖闘士星矢」に関しては2012年にテレビアニメが新規に放映されましたが、何故か中国の新聞が、「日本で聖闘士星矢のアニメが新規放映!」って具合で、でかい紙面で報じておりました。ってか中国で放映するわけじゃないのに……。

 これらのコンテンツは現状でも十分お金を稼いでいると言ってもいいのですが、やはり世界のコンテンツ市場で戦っていくには何が足りないかというと私はテーマパークの存在ではないかとかねてから考えています。その根拠というのもコンテンツ界の覇者と言ってもいい「ミッキーマウス」擁するウォルト・ディズニーが何故君臨し続けているのかというと、やっぱりあの「ディズニーランド」の存在が大きいように思えるからです。ただ漫画やゲーム、関連グッズとしてあり続けることよりもアトラクションなどに乗って実際に体験するということはコンテンツを享受する上で非常に大きく、日本の漫画やアニメコンテンツがこれだけ多種類に渡って海外(中国も含む)から高い評価を得ながらディズニーの後塵を拝しているのかというと、やはりこのテーマパークがあるかないかに尽きる気がします。

 こうした考え、というより発想の原点は「如何にディズニーを打ち倒すか」という我ながら闘争本能に満ちた問いからテーマパークの存在に突き当たったわけなのですが、一体何故それで「少年ジャンプ」を推すのかというとこれまた理由があります。一番大きな理由は「少年ジャンプ」がこの雑誌海外で戦っていく上で必要な人気コンテンツを単独で揃え切れるということにあり、裏を返せば複数の漫画雑誌を横断して一つのテーマパークを作ることはまず不可能だと考えたからです。

 理想を言えば「少年ジャンプ」だけの枠内にとどまらず各ジャンルで確実に売れる作品を結集、具体的にはアニメなら「新世紀エヴァンゲリオン」、少女漫画なら「セーラームーン」などを一堂に集めたいところですが、あくまで予想ですが各出版社の版権の扱いや利益の分配をどうするかで確実に揉めることが目に見え、まとまる話すらまとまらなくなることが目に見えているからです。
 日本は自動車業界などはこの前のブリヂストンみたいにカルテルや談合やらかすほど横のつながりが強いものの、ことコンテンツ業界に関してはコラボレーション企画などはほとんど皆無に等しく、それどころか各出版社間で非常に仲が悪いです。今日広島に左遷された異なるうちの親父にも聞いてみたけど、集英社と小学館は同じ企業系列だがこの二社の編集部同士はやっぱり険悪な関係だそうです。

 こうした見方から、どうせ実現性の低い企画よりもまだ実現の可能性があり、またもっとも主要なコンテンツを集めきれるということとなると「少年ジャンプ」こと集英社に期待するしかないというわけです。ただテーマパークの運営となると集英社だけですぐできるわけではないのですが、幸いというか日本にはこの方面で世界屈指の実力を誇る、「東京ディズニーランド」の運営企業であるオリエンタルランドが存在します。大きく出ると必要なコンテンツをオリエンタルランドに渡せば確実に儲けを生むテーマパークを作って運営してくれるという確信に満ちた期待を私は持っており、集英社とオリエンタルランド、後いくつかの企業に出資してもらえばそこそこ面白いテーマパークが出来るんじゃないかという考えに至りました。
 極端な話、このテーマパークに対しては政府も200億円くらい出資してもいいように思えます。日本のキャラクターコンテンツを海外に発信する上でこのテーマパークは非常に重要な意義を持つと期待でき、集英社だけえこ贔屓になるのではという声が確実に上がるでしょうがそういう声は蟻の如く踏み潰してやって、日本のソフトパワーの発信に国全体で取り組むべきでしょう。なお、中国や韓国でも一企業に対して政府からの財務支援はしょっちゅうやっています。

  その上で私がここで言いたいのは、果断なく今この瞬間から急ぎ計画の策定に入って準備するべきだということです。仮に中国だったら計画策定から施設建設まで二年くらいでやって来れるけど、いろいろと無意味で面倒な手続きが多い上に実行力に乏しい日本だと施設完成まで最低でも五年は食うと予想されます。何故それほど急ぐのかというと、仮に本気でこういうテーマパークをやる気があるというのならたとえ何があったとしても2020年の東京オリンピックまでに入園開始にこぎつけたいからです。
 オリンピックは言うまでもなく世界屈指の大イベントで期間中は外国人も大勢日本を訪問することが予想されます。まさにその瞬間に「少年ジャンンプ」のテーマパークに来てもらうことによってテーマパークを世界全体で売り込むことが出来るだけでなく、オリンピックを目的とした日本旅行でもこのテーマパークの訪問もツアー予定に組み込むことが出来たら、海外にいる日本の漫画、アニメファンなどは結構来てくれて相乗効果が激しく期待できるように思えます。東京オリンピックまであと六年ですが、そこから逆算するとなると本当に今年中にも計画案を出さないと間に合わない計算なので急いでほしいわけです。

 最後にこのテーマパーク、実際にアトラクションとして使えそうな作品ですが、先ほども挙げたように「ドラゴンボール」、「ONE PIECE」、「聖闘士星矢」あたりがまず無難で、このほか「NARUTO」や「SLUM DUNK」などもありかもしれません。人気作であることはもとよりなるべく長期連載作品の方が幅広世代を取り込めるかなと考えて候補を選びましたが、「これやったらなんか別のテーマパークになるのでは……」と考えた作品が一つあり、さくっと書いてしまうと「ジョジョの奇妙な冒険」です。
 この作品も長期連載作品で且つ人気作でありますが、その独特過ぎる世界観からほかの作品と一緒にやってけるのか自分もファンでありながら不安に感じます。多分やるとしたらジョジョのアトラクションがある所だけ「ジョジョ園」とか呼ばれ、なんかビルの上の方に花京院らしき物体が常に突き刺さってたり、アトラクションは「吸血鬼の館(DIO)」とかになるんだろうなと思うにつけ、むしろ単独で作ってもらえないかなと思ったりするわけです。

 この記事の執筆時間は約30分で、まぁいいペースで書けましたね。変に構想が長かった分、文章自体は頭の中でほぼ出来上がっていたというべきか。

新車の初月受注台数データの怪しさ

 フィットHVの記事を書いたばっかなので、同じく自動車業界にまつわる経済記事をまた書いてみます。上海の記者時代もそうだったけど、自動車業界関連の記事書くこと多いなぁ自分も。

 このところ各自動車メーカーは新車を出すたびに、「発売から一ヶ月間で単月販売目標台数の3倍を受注しました」などと景気のいいプレスリリースをすることが多く、リリース内容を報じるメディアも額面通りに受け取ってそのまま記事を書いて出してきています。結論から言うとこれらのはっぴゅ内容は非常に怪しく、はっきり言って報じる価値もない大本営発表とみてもいいのではないかと思っています。こうした初月販売台数データの何が怪しいのかというと、言うなればその数字が実態を持っているかほとんど検証できないばかりか、水増しに近い行為を各自動車メーカーがやっている節があるからです。

 結論から述べると初月販売台数にカウントしている台数の大半は、系列企業や下請け会社の従業員に無理やり買わせた数字が主力となっているのではと見ています。というのも二ヶ月目、三ヶ月目の単月販売データを出す企業はほとんどなく、また自動車業界関係者から話聞いていると新車が出る度にノルマに近い台数が課されるとか、聞いてて独禁法とかどうなのよと思う話がちらほら聞こえてきたりします。
 こうした疑惑について指摘するメディアはほとんどなくて大本営発表を垂れ流すメディアが大半ですが、唯一というか「ベストカー」というランエボが世界最速と信じて疑わないカー雑誌が記事に取り上げ、去年に発売したトヨタの「カローラHV」がこれまた目標台数の何倍も売れているというトヨタのリリースについて、「関連企業に業務用社有車として一社につき数台買わせるだけでこの数字は達成できる」と、身も蓋もないことを書いてました。ちなみに「ベストカー」に限るわけじゃないけど、カー雑誌をとりあえずトヨタ批判をすれば記事が書きやすそうにみえます。その一方で三菱自動車は自分ですらフォローし辛いんだけど。

 先ほどから大本営発表という言葉を使っておりますが、この自動車の初月販売台数といい、小もない内容をさも体操に報じることほど無意味なことはありません。ちなみに中国の経済データだと、地方別GDPを合計させると毎年必ず全国GDPを上回る数字になって、中央政府も「地方はいい加減、GDPを水増しするのをやめろ」という事態になっています。この地方別GDPの合計が全国データと一致しない内容は自分の上海時代の上司が最初に突っ込んだと自慢してましたが、ここで取り上げた初月販売台数データも誰か、「このうち関連会社が購入した割合は何%?」ってメーカーに突っ込んでくれないかなぁ。このところ思うけど、こういう毒のある記事が最近減りましたね。

2014年2月22日土曜日

さようならOpera

 まるで全力疾走をしたかのような脱力感で今いっぱいなのですが、ついさっきまでいろいろと八つ当たりしていて声も完全に枯れてます。明日とかずっと喉痛いだろうな。そもそもなんでそんな激しい八つ当たりをしたのかというと、これまでこのブログでも何度も取り上げてきたマイナーブラウザのOperaで、ちょっとというかかなり納得できないことが多くここ数ヶ月で最大級なくらいに一人で怒っていたからです。

 事の起こりは本日正午ごろ。ひとつ前のホンダのフィットHVをディスる記事を書き終えてアップした後、記事に問題ないかこのブログのトップページを開こうと指示したら何故か無反応。そんでもって「該当のページはURLとか間違ってません?」とか表示され、 どういう事だと思ってYahooのページなども試してみるとこちらも開かない。そのくせ何故か楽天証券は開くし……。

 この時点でかなりカチンと来ていたのですが、もしかしたらブラウザの設定がおかしいのかと思って一旦アンインストールして再インストールをしてみても全く変わらず。ついさっきまで開けられたページが開けないことへのいらだちから何か物を投げたい衝動に駆られ、右手で握っていたものをリアルに全力で投げつけたらマウスが窓に当たって一発でぶっ壊れました。にしてもワイヤレスマウスは投げやすいから駄目ですね、あと窓割らなくてよかった。

 一体なんでこんな妙な現象が起きたのか全く理解できませんが、予兆というものは実はありました。その予兆というのもアカウント認識、具体的にはGメールなどといったGoogle関連のページを開く際にエラーが出て、一部の画像が表示されなかったりページ内の一部内容が閲覧できない状態がずっと続いておりました。それだけに、Yahooメールの認証が必要なYahooのページもうまく開けなかったんじゃないかとも考えています。

 と、これだけだったらマウス壊した程度で済んだでしょうが、まだまだ続きがあります。 もしかしたらOperaの最新版をインストールしてみたら変わるかなと思い、これまで使っていたVer12.11から最新版のVer19.00をダウンロードして入れてみたところ、文字通り面喰いました。何に驚いたのかというとデザインが一新されていたのはいいとして、これまで使えていたオプションがほぼすべて使えなくなっていたからです。具体的に何が使えなくなったのかというと、

・Opera mail(ブラウザを使ったメールソフト)
・ブラウザ上部のメニュ表示
・ブックマーク(お気に入り)メニュー
・ブラウザ右上部にある検索ツールバー

  これら機能はどれも私が重宝していて、逆を言えばこれらの機能とマウスジェスチャーがあったからこそOperaを使っていたと言っても過言ではありません。更にこれまで自由にカスタマイズが可能でホームボタンや印刷ボタンなどを自由に置くことが出来た外観もほぼ固定されてなにも弄れなくなったほか、ホームページを表示させるためのホームボタンは完全になかったことにされてました。

 あと凄まじく納得いかなかったのはブックマークメニューの廃止です。OperaにはSpeedDialといってクリック一つで空白ページから指定のページを開く機能があるのですが、これだと大量のページを管理し辛く、私はブックマークメニューと並行して使っていました。にもかかわらず新しいOperaではこれが廃止されており、代わりにブックマークバーといって画面上部の狭い所にしかブックマークを表示することが出来なくなっておりました。簡単に調べてみたところ、Ver15.00からブックマークメニューをなくしていたようで、なくした理由というのも「大半の人が使わないから」と、本当かよと疑いたくなる理由を発表していたそうです。もっともその後に批判が相次いだことから、さっきのブックマークバーを後から追加したそうですが、ブックマークバーも最初無かったというのは何考えてるんだとちょっと問いたいです。

 このほか動作もなんかもっさり気味で、相変わらずアカウント認証は不安定で、これではもはや使えないと判断した結果、Operaの使用を今日この日を持ってやめようと思います。既に代替として今現在使っているFire Foxにマウスジェスチャー、キーボードショートカット、スピードダイヤルのアドオンを導入してそこそこ満足する設定に持ってこれました。もっともこの前にGoogle Chromeを入れてしばらく動かしていましたが、何故かポップアップ広告の表示を禁止しているにもかかわらずどかどか出続け、Yahooのページですら文字がほとんど見えないくらいに広告で埋め尽くされ、挙句には詐欺サイトの広告も平然と表示されてあまりの怒り心頭からキーボードも叩き壊す寸前にまで行きました。物に八つ当たりするのはよくないと思いつつも、まだわかないなぁと自分で思います。

 幸いというかFire Foxで今現在、機能にそこそこ満足しているので何とかやってけそうです。っていうかスレイプニルとかも試したけど、メニュー表示のできないブラウザがやけに多すぎるような気がします。閲覧するだけならそれでいいだろうけど、自分なんかこうしてブログも書くし「企業居点」のサイト編集もするためブラウザ上で作業することが多いだけに、生半可なブラウザだとストレスたまりまくります。
 それにしても今日はこのブラウザの再設定などで非常に時間を取られ、やりたいと思っていた作業がほとんど何もできませんでした。ブログも今日は大量に書いて、あと企業居点も数百件データを追加しようと思っていたのに。もっとも遊ぼうと思っていたレースゲームの「グランツーリスモ6」に関しては、昼過ぎから親父と合流して実家のホンダ・フィットを久々に運転することで多少は満足しましたが。それにしても実家の車がフィットなのに、あんだけフィットHVを批判するのもまた珍しい。

 非常に八つ当たり的な内容で読んでる方も困惑されていると思うでしょうが、本当にこういうやり方でしか怒りの向け先がないというのが正直な所です。最後にもう一回書きますが、これまで私は熱烈なユーザーで一切浮気をしてこなかったと自負しますが、もうこれ以上はOperaを使う気にはなれません。感覚的にはVer10.00に移行したあたりから更新されるたびに違和感を覚えることが増えておりましたが、今回のOperaの理解のしようがない改悪にはほとほと熱も冷めました。

  おまけ
 Operaに関してはやはり去年あたりからなんでと思うことが増えており、タブレットPCのNexus7を手に入れた際もブラウザはOperaで行こうとインストールしたものの、何故だか妙に動きも表示も悪かったことから結局アンインストールしてしまいました。シンプルイズベストが売りだったのに、無駄な機能に無意味なシンプルさにまみれていて、もはや自分の好きだったOperaはここにはありません。

  おまけ2
 Fire Foxへ使用ブラウザを移行するに当たってブックマークに入れていたサイトのアドレスを移行させようとした際、一気にデータを取り込めないかと検索してみたら、Operaの公式サイトのヘルプにデータのエクスポートの仕方が載っていました。早速このやり方でやってみようと試してみたところ、何故か説明に書かれているエクスポート実行のボタンがありませんでした。調べてみるとどうやらほかの人も同じことを経験しているようで、どうやらヘルプにやり方を指導している癖にエクスポートの機能を実装していないようです。こんなにひどいブラウザってほかにあんのかよ。

ホンダ・フィットHVのリコール多発について

 なかなか興味深い記事があり、かつ最近経済記事を書いていないので簡単な解説を付けて紹介しようと思います。

ホンダ「フィット」に不具合が多発する理由(東洋経済)

 上記リンク先の記事によると、昨年九月に発売されたホンダの主力車種である「フィットHV」で不具合が多発しており、なんと発売から現在までの約五ヶ月間に全車両を対象としたリコールを三度も実施しております。記事によるとリコール原因はデュアル・クラッチ・トランスミッション(DCT)を使ったHVシステムにあるとのことですが、これは言うなればハイブリッド車技術において最も重要かつ難関なゼロ発進システムに起因するもので、この問題背景などについて素人であることを自認しつつも解説します。

 まず具体的にフィットHVで何が問題になっているのかというと、要するに変速機の制御プログラム設定が上手くいっていないようです。変速機の制御プログラムと言っても今回のフィットHVは通常の車両とはちょっと異なっており、モーターとエンジンを組み合わせたやや複雑な構造となっているためその点で難儀している模様です。
 ただモーターとエンジンを組み合わせたと言ってもフィットHVは今回のモデルチェンジ以前の車両でもハイブリッドシステムを導入しており、なにも初めての経験ではないのではと思う方もおられるでしょう。ところがどっこい前モデルと現モデルではフィットHVはほとんど別車種といっていいほどの動力システムが変更されており、具体的には始動時にエンジンが起動しているか否かで異なっています。

 ここでハイブリッド車がどうして燃費がいいのかを簡単に説明しますが、蒸気圧で動くエンジンは静止した状態から動き出すまでにエネルギーを消費しやすい一方、ある程度速度が乗っかった状態だと効率的に稼働するようになっています。逆に電気で動くモーターは高速時は回転数がエンジンほど上がらずエネルギーを食いやすいですが、始動時や低速時にググッと力が入りやすく、静止した状態から動き出させるまではエンジンに比べて低いエネルギー量で出来ます。ハイブリッド車はこうしたエンジンとモーターでそれぞれの長所を役割分担させる車で、低速時はモーターで動かすことによって、高速時にはエンジンで動かすことによって高い燃費効率を実現しているわけです。

 となると車を動かし始める際はぶっちゃけモーターだけで動かさせてエンジンは黙らせていた方が燃費がいいのですが、実は前モデルのフィットHVは始動時からエンジンがずっと起動しており、動かしはじめる際はモーターがエンジンをアシストさせるような形で燃費を向上させていました。はっきり言ってしまいますがこれは特段すごい技術というほどではなく、多分やろうと思えば1990年代にも量産車ベースで実現できていた技術でしょう。
 にもかかわらず何故ホンダがなかなかハイブリッド車を量産できなかったのかというと、始動時にエンジンを黙らせてモーターだけで動かさせるという、いわゆる「ゼロ発進」が技術的にどうしてもうまく作れなかったたからです。具体的にはモーターだけで走っている状態に、途中からエンジンを動かしてスムーズに両者の動力を組み合わせる制御プログラムというのが非常に難しく、これがなかなか作れなかっために、エンジンとモーターをある程度独立して動かさせるのではなく、エンジンはずっと動いたままでそれにモーターの動力をアシストさせるという形でしか作れなかったわけです。ああもう説明が難しいなぁ(;´Д`)

 言うなればモーターアシスト形式は純粋なハイブリッドというわけではなく私に言わせれば出来そこないのニュータイプ……じゃなくてハイブリットで、むしろハイブリッドなどと名乗らず「モーター付きエンジン自動車」とでも名乗ってもらいたかったです。ただそんなホンダも今回のフィットHVでゼロ発進を実現したと謳っていたため、ようやくまともなハイブリッド車を作れるようになったかと思っていたら今回のリコール多発で、未だこの方面の技術を確立したとは言い難い所でしょう。難しい技術であるというのは理解できますが。
 ちなみにホンダが今回のフィットHVでゼロ発進を実現したと発売前に発表した際に私は、「ホンダは実に16年も遅れて、トヨタの初代プリウスに追いついたのか」などと周囲に話していました。この発言が何を意味するのかというと、トヨタは1997年に発売した初代プリウスの時点でエンジンを止めながらモーターだけで自走する「ゼロ発進」技術を導入しています。

 私は他に仲間が誰もいない三菱自動車党であって決してトヨタの方を持つ立場ではなく、むしろ決算の度に純利益の額を自慢している余裕あったら従業員の賃金上げてやれよと批判する側ですが、このトヨタのハイブリッド技術に関しては文字通り他の追随を許さないほどの高い技術を保有していると評価しています。少なくとも私の知る限りでゼロ発進が出来るハイブリッド車を大量に量産しているのはトヨタだけで、新たに導入したホンダがこれほど苦戦しているのを見るにつけまさに「十年以上先の未来の技術」を初代プリウスの時点で確立させていたと言えると思います。
 たまにネットの掲示板で、「トヨタはハイブリッド技術に関する特許を独占して他社が作れないよう、この特許を使用禁止にして妨害している」などという書き込みを見ますが、先ほどにも書いた通りにハイブリッド技術で一番難しいのはエンジンとモーターを別個に制御するプログラムにあり、そんなプログラムに特許とかそういうものがあるとはとても思えないために先程の指摘は的外れもいい所だと私は考えています。第一、特許だったら金払えばすぐ使えるんだし。

2014年2月20日木曜日

ソチ五輪の報道を見て感じること

 自分は見ていませんでしたが昨夜の女子フィギュアではメダルが期待されていた浅田真央選手が不調に終わっていたようで今朝はネットもテレビもその話題で持ちきりでしたが、後出しじゃんけんみたいで少し申し訳なく思うものの、私は浅田選手は今大会でいい成績は取れないだろうなと少なからず感じていました。フィギュア団体戦も金メダルを取った男子の羽生選手とは対照的に転倒するなどあまり調子が良くなく、そして何よりも公開練習時の表情が異常に硬く、見ていてちょっと痛々しかったことからも演技面に影響でるだろなとか思ってました。一方で練習時の鈴木明子選手の表情は柔らかかったことからメダルを取る可能性があるとしたら彼女だろうと思ってましたが、浅田選手とここまで順位に差がつくとは完全に予想外だったというところです。

 蛇足ではあるもののもう少し続けると、浅田選手に関しては演技前の報道においてひどい偏りがあったように強く思います。というのも姉の浅田舞氏をはじめ、みんなジャンプの調子がいいなどと浅田選手のジャンプに関する事ばかり口にしていて、フィギュアのもう一つの評価項目である表現力については何故か話題にすら挙げておりませんでした。厳しい言い方をすると浅田選手の表現力はジャンプに比べ劣っている、さらに言えば韓国のキム・ヨナ選手に負けている点であることがはっきりわかっているためでしょうが、長所だけを持ち上げて短所を隠そうとするのは評論を行うに当たって控えるべき行為でしょう。リアルに現実でも常々言っていますが、評価というのは過大であっても過小であっても好くなく、短所長所をしっかり見極めて発言するべきです。然るにこのところのこういったスポーツ報道では明らかに長所ばかり取り上げて短所を覆い隠そうとする傾向があるように私には見えます。

 同じくソチ五輪ネタで続けると、女子スキージャンプの高梨沙羅選手に関しても同じ様であったと記憶します。自分はスキージャンプの愛好家でもないただの素人ですが、高梨選手に関して言わせてもらうとスキージャンプの一流選手の中にあってあれだけテレマークの姿勢が悪い人はそんないないんじゃないかと内心思っていました。テレマークというのはジャンプ着地時の姿勢のことで野球の審判が「セーフ」っていう時のポーズに似た物ですが、これを着地時にきちんと決められないとスキージャンプでは飛形点が減点されます。具体的に言えば100メートル飛んだとしてもテレマークが悪ければ95メートルとしてカウントされちゃったりするわけです。
 高梨選手のテレマーク姿勢が悪いのは五輪前から度々報じられてきて同選手の課題だと言われてきましたが、いざ五輪が始まるとこの課題とやらが触れられなくなり、ただ飛距離ばかりが評価点であるかのようになって高梨選手はきっと金メダルを取るだろうということばかりしかコメンテーターは口にしませんでした。そういう報道の仕方で金メダル取れてればそりゃいいけど、こういう結果もあるんだし過大な期待をかけるのは選手にとって良くないんじゃないのかとつくづく思えますし、大げさかもしれませんがいい面ばかりに着目して悪い面は見て見ぬ振りするのは古より続く日本人の悪い癖でしょう。

 ここで話は変わりますが、私はよくリアルに空気を読まない奴だとよく批判されてます。しかし私に言わせるならば私ほど空気を読める人間なんてそんじょそこらにはおらず、よくわかっている後輩なんか、「花園さんは周りを見過ぎです」とうまく指摘してくれました。じゃあなんで空気が読めないと言われるのかというと、単純に空気を読まない発言をするからで、なんでそんな発言をするのかというと確信犯で空気をぶち壊そうと動くからです。

 日本人のいわゆる「空気」に関する研究はこれまでにもたくさん出ていますが、総じて日本人は場の空気、たとえば盛り上がっているところでは盛り上げる発言、厳粛な雰囲気には慎重な物言いをすることが求められてかつ自然と合わせる傾向があります。たとえばイケイケドンドンで勢いに乗って行動するような場面では私も合わせますが、その逆で実際は芳しくない状況にもかかわらず楽観的な予測ばかりする場面、大したことでもない事態をさも深刻そうに騒いだりする場面においてはその場の空気とは真逆な「空気を読まない発言」をするように私は本気で心がけています。なんでこんな妙なことをしているのかというと、集団の意識が空気に飲まれてしまうと概してよくない結果を生むことが多く、それであれば批判されること覚悟で冷や水を浴びせるような要素というか人間になろうと17歳の春ごろに決意したからです。自分のことながら、ほんと訳が分からない高校生だったなぁ。

 日本人が空気に飲まれて完全な暴走を行った最大の例は太平洋戦争で、どっからどう見たって勝ち目のない米国との戦争を決断するに当たって、「アメリカ人は精神力がない」などと根拠のない理屈を並び立てては最も勝敗を左右する生産力や連合国と枢軸国の国際関係を無視した過去があります。これは戦後に東大総長に就任した南原繁は戦後直後の演説にて、「日本があの無謀な戦争へと突入したのは個々人が自我を持たず全体の流れに大衆が付き従ったためで、二度とあのような愚行を犯さないためにもしっかりとした自我を持ち正邪の区別を個々人が行わなければならない」、というようなことを言ったそうですが、恐らく現代日本人にとっても耳の痛い演説内容なんじゃないかと私は思います。

 先ほどからずいぶんとえらそうなことを並び立てていることは百も承知ですが、私に言わせても日本人はあまりにも自我を持たなさ過ぎです。たまに飲食店の店員と話をしていると人形と会話しているような感覚を覚えたりしますが、みんな周囲から目立たないように決められた役割を必死で演じているように見えます。好きなこと言わせてもらえば、気に入らない奴がいるなら大怪我させない程度に殴り倒せばいいんだし、つまんないことばっか言う奴には「死ねボケ」って言ってもいいし、カレーが好きなら栄養とか気にせず一週間連続で食べ続けたっていいんだし、もっと自分の志向や欲求に対して直接的に行動した方が楽だよと言いたいです。まぁさすがに路上で殴り掛かるほど自分も直接的ではないですが、中国から帰ってきてからは「じゃあ表に出ろこの野郎」って発言が妙に増えています。高校生の頃に比べれば目つきとか嫌になるくらい軟らかくなっちゃてるけどね。

 結論としては日本人は空気を読まない発言や行動をすることを文句なしに悪だと考えがちですが、時と場合によってはそうした行動こそが大事であるし、むしろ空気に飲まれがちな日本人が多い日本社会にあってはそういう人間がもっと必要だと言いたいわけです。もう最初に書いたフィギュアスケートの話題からずいぶんと遠ざかっておりますが、なんか持ち上げてばっかの報道が見ていて気持ち悪いと思ったので毒入れてやろうと普段よりも遠慮なく書くことにしました。

2014年2月18日火曜日

このところの朝日新聞のスクープ連発について

 またブログの右上に投票アプリを設置しましたので、興味のある方にはぜひボタンクリックで投票してください。今回の質問はストレートに安倍政権を支持するか否かで、このブログの読者はどっちなのかなと思ったので設置した次第です。

 久々に前置きが少ないまま話が本題に入りますが、このところ朝日新聞が猛烈な勢いでスクープを連発しております。一つ目は二月十二日に掲載された下記の記事で、大きな話題とはなっておりませんがよくこんなニュースを見つけて来たもんだと、初めて読んだ際は本当に驚きました。

検事、証人に「想定問答集」 鈴木宗男氏の汚職事件公判(朝日新聞)

 記事内容を簡単に説明すると、元国会議員で「俺たちのムネオ」である鈴木宗男氏の贈賄に関する裁判で、検事側証人として出廷した企業の専務に対して東京地検が裁判出廷前に想定問答集こと、「こう聞かれたらこう答えろ」という書類を覚えさせていたとのことです。「書類」と書きましたがこういうところでは本来「メモ」と書くべきなのですが、記事によるとその証人が東京地検から渡されたのは「B4判38ページの書類」とのことで、もはやメモと呼べる量ではないでしょう。
 書類を受け取った書類は一部の記述に対して事実とは異なると主張したものの、「そこが大事だから」などといって地検は相手にしなかったそうです。出廷する証人に対して意図的な発言を指せるこのような行為は言うまでもなくこれは偽証といってもいい行為であり、当事者である鈴木宗男氏氏はもとより連座して捕まった佐藤優氏がかねてから主張していたようにこの裁判は結論ありきの裁判だったと言えるでしょう。
 この記事の凄い所は証人が裁判に出廷した2004年から十年も経っているにもかかわらずこうして当時の事実を明らかにしている上、問答集の現物もどうやら手に入れているということです。古い事件ながら決して放置せず、新たな事実の発見に伴ってこうして記事にする辺りは見事だと深く感じ入ります。

全日展、架空人物に知事賞 主催者が偽名で書道出展(朝日新聞)

 もう一つのスクープはこちらの全日展の問題で、こちらは「俺たちのムネオ」と比べて扱いも大きく、NHKを始め他のメディアも後追い取材に走っていることから見知っている方も多いと思います。リンク先の記事中に「朝日新聞の調べで分かった」とも書いてありますが、私はこのニュースを朝日新聞のネット記事で初めて読んでおり、すぐにほかのメディアもチェックしましたが他はまだ報じてすらおらず、紛れもなくこの記事は朝日の単独スクープでしょう。
 こちらも内容を簡単に説明すると、書道の公募展示会である全日展で各都道府県別に入賞者を出す「知事賞」で、応募者の少なかった都道府県では適当な作品をあらかじめ用意し、架空の受賞者を出していたとのことです。この事件では各都道府県ちょっとチェック不足だった問題もあり、受賞者の選考はすべて全日展に任せており、受賞者がどういう人物なのか、どこに住んでいるのかもチェックせず賞状を作ってたそうです。まぁ普通の神経してたらこんな呆れたことをするとは思えないんだし、都道府県のチェック不足はまだ理解できなくもないですが。
 既に全日展会長はこの事実を認めた上で責任を取り辞任したと明かしておりますが、なんでもってこんな無意味で妙ちきりんな行為をしたのか、オモシロ中国人が時たまやらかす不可思議なハプニング並に全く理解できません。真面目な話、この架空受賞をやらかした当事者は早く精神病院に入るか、小学校に入り直すかした方がいいように思えます。

 上記二つのスクープは私の目から見て社会的にも大きな影響を与えるし、非常に価値あるスクープ記事だったと高く評価しております。なにもこの二つに限らずここ数年、朝日新聞は質のいいスクープを連発しており、記事文章は読んでてつまらないがスクープだけは多かった毎日新聞がすっかり日陰に追いやられている感もあります。なんで今日こんだけ朝日新聞を持ち上げる記事と書こうとしたのかというと、朝日新聞というかメディアの評価がやや一面的だとよく感じるからです。

 朝日新聞というとネット上では偏向的な報道をするメディアだとして貶す人はいても、誉める人はほとんどいない新聞媒体です。確かに朝日新聞の政治記事は私から見ても偏向が激しく、安倍首相に対してカツカレーを絡めてまで妙な批判をするほど狂った記事を連発しております。こうした政治記事は実際によく批判されるているし私もそれが当然だと思うのですが、その一方で秀逸と言えるほどの社会記事を朝日新聞が出しても誉められることはほとんどありません。
 かなり以前、具体的には10年前に高校の後輩が2ちゃんねるにすっかりかぶれて朝日新聞をこっぴどく批判していたことがあったのですがその際に、

花園「ところで君は偽装請負は知っているかね?」
後輩「もちろん知ってますよ。あれは労働上、よくないですよね」
花園「その偽装請負という言葉を世間に一般化させたのは朝日新聞だ。2003年にキヤノンと松下がこうした行為を行っている事実を一面で報じたが、朝日新聞にはこの後この二社からすぐ広告が切られた。知ってたかね?」
後輩「いえ、知りませんでした」

 ざっとこんな具合で、いい記事は無視される一方で悪い記事だけ取り上げられがちです。いい面も悪い面も両方しっかり見た上で、プラスマイナスを相殺したりせず双方の特徴を掴んだうえで総合的に評価する、こうした姿勢こそが評論をする上で大事だと常日頃から私は考えております。このブログのタイトルに「陽月」という言葉を置いたのも、物事の陰と陽をしっかり両方見極めるという決意表示からで、今回最初に挙げた二つのスクープも朝日のお手柄とあまり取り上げられていない状況から記事にして取り上げようと思った次第です。

 最後に蛇足ですが、さっきにも書いた通りにこのところ朝日新聞は本当にスクープを連発しております。しかしというかこれはメディア関係者ならほとんどの人間が知っていることですが、こうした朝日のスクープ記事を書いている記者はほぼ間違いなく中途採用の記者です。逆を言えば、プロパーの記者がスクープ記事を出すことはほとんどありません。
 これをどう見るか、朝日の人事部が優秀なのかどうなのかわかり辛いというべきか、新人記者の育成方法がどうなのか、まぁ難しい所です。少なくても私が言えることは、記事の執筆量やトップ記事の執筆機会で言えば自分みたいに傍流メディアに身を置いた人間の方が遥かに多い、っていうか大手新聞社だとトップ記事を書く機会を新人はほとんどもらえない現状があります。小記事だけど、多い時は自分も1日10本以上書いてたしなぁ。

2014年2月17日月曜日

憲法の解釈議論に関する私の意見

 先週はやや更新数が落ちましたが基本的にこのブログは毎日更新です。たまになんでこうも毎日長文をだらだら書いているのだろうかとラップでも口ずさみたくなりますが、それでも続けているということはやっぱりいいストレス解消になっているのでしょう。なお記者だった前職の職場で同僚に、文章を書くことに対して何もストレスを感じないと話したら同じ仕事をしている同僚にすら驚かれてました。

 話は本題に入りますが先日に安倍首相は憲法解釈に会する答弁で、一部分、といっても噛んで含めるように言っていたから曲解ではないと考えるのですが、憲法解釈は総理大臣が全責任を負うと共にその解釈を決める権利がある上、法制局は国の位置機関であって総理の解釈に口をはさむことはできないというような発言をされました。この発言は言い換えるなら、憲法解釈は総理大臣が恣意的に決めることが出来るとも取れる発言、というよりそれ以外に取りようがない発言であり、さすがに自民党内からもこの安倍首相の発言に対して批判が集まったことから安倍首相もこの件に関する話題には敢えて触れないようにしているように見えます。
 この安倍首相の発言に対する私の意見を述べると、あんまり与したくはないけど社民党とか共産党の連中と同じく法治国家の根幹を揺るがしかねないほどの問題ある発言で、やはり座視することはできないと考えたことからこうして記事にしています。もっとも私は日本は法治国家ではなく、程度や志向の差こそあれ中国と同じく役人らのさじ加減でいくらでもルールが変わる人治国家であると前から思っていますが。

 具体的に安倍首相の発言の何が問題なのかというと、総理の判断である程度隙に憲法の解釈を変えられるということになったら、総理が代わる毎に憲法解釈が変わってしまうことです。法律というのは改正されない限りずっと同じ効力を持つからこそ価値があるのであって、ある政権ではOKとされることが次の政権では禁止されてしまっては誰も法律を信用しなくなり、ルールを守る人間は減っていきます。信なくば立たずとはこういう事ですが、これすらもアリだと安倍首相は言ってしまったと私は考えています。
 更に憲法というのは一般的な法律を規制する「法の法」です。法治国家(日本は違うけど)であるならば非常に重要な概念であって、その性格は過去には国王や皇帝、現代においては首相や大統領といった最高権力者の権限範囲を制限するものであって、それが逆に最高権力者によって恣意的に運用されるというのならもはや存在しないといっても同然でしょう。

 なお昨日会った友人は今回の安倍首相の発言について、馬脚が出たというか本音が出たと評していました。その友人曰く、安倍首相はアベノミクスとか経済政策には端から興味なんて何もなく、ただ支持を得るために嫌々やっているにしかすぎず、本当は憲法改正しかやりたくないんだろうとのことで、私もこの友人と同意見を持っております。

 ここで少し話題を変えますが、そもそも何故日本ではこうした憲法の解釈議論が延々と続くのでしょうか。寒くてこのところ体力消費が激しく食事量も80%くらい増えている(体重はむしろ減っている)状態なのでもう結論を書きますが、憲法の定義にどうあってもそぐわないほど現状が変わっているにもかかわらず憲法改正が難しいという一点に尽きると私は思います。
 はっきり言ってしまえば自衛隊は英語だと「Self difense force (SDF)」と書く辺りからも明らかに軍隊であるため憲法違反だし、成人の年齢規定でも少年法との兼ね合いから言ってもはや有名無実化していると私は考えます。ただこれらの憲法違反は成立した直後の状況と現状があまりにも乖離しており、現状の課題を克服するためには必要な憲法違反であると私は考えており、社会を有益にさせる憲法違反であるならばもういっそ憲法自体を変えてしまった方がいいと考えることから改正派の立場を以前から取っています。

 然るに何故日本の憲法は改正されないのか。理由は単純に言って日本の憲法は改正するまでの条件が厳しい硬性憲法であるからです。国会で三分の二以上の改正同意が必要であること、国民投票で過半数の賛成が必要なことというこの二条件が主なハードルでありますが、なかなか改正できないにもかかわらず現状の課題に対応するためには無視するしかないため、「条文は同じだが解釈を変える」という、如何にも日本人らしいしょうゆ臭い妙な価値観でこれまでやり過ごしてきました。
 しかしこの解釈を変えるという手段ですが、逆を言えば解釈次第でどうとでもなる悪しき前例を作っていると言っても過言じゃありません。極論を言えば今の状態ならば解釈次第で日本は宣戦布告することすらできるのではないかと見ております。

 ちょっと前置きが長かったかなと反省してますが私が何を一番言いたいのかというと、改正することが難しい硬性憲法では解釈主義に走りがちとなり憲法は有名無実化しやすく、それであるならば改正しやすい軟性憲法に変えた上で解釈主義を徹底的に排除するべきではないかということです。現状では解釈次第でなんでもかんでも実行できかねない状況で、かといって一切の条文違反を認めないとなると国政が滞るのは目に見えています。ならば後世の判断に任せるという意味合いでも、憲法改正手続きの条件を緩和する代わりに一切の条文批判を認めない、敢えて私の言葉で表現するなら「縛りの緩い硬性憲法」から「縛りのきつい軟性憲法」へと変えるべきだとここで主張します。

 なんで軟性憲法にした方がいいと私は主張するのかというと、硬性憲法において悪しき前例を過去に見ているからです。それは19世紀に成立したある国の憲法ですが、国家元首から国民へと与えるという欽定憲法という形で発布したため、不可侵性を持つ憲法として改正されることはタブーとされた憲法でした。それによって何が起きたかというと現代日本と同じく解釈主義に陥り、それ以前は全く問題とされなかった条文が解釈変更によって強い拘束性を持ち、やれ天皇機関説とか統帥権の干犯だとか、政治闘争のための批判材料として無意味な抗争のために散々利用されることとなりました。決して誇張ではなく、誰も言わないから自分が言うけどだから滅んだんだよこの国は。
 もちろん軟性憲法であればそれはそれなりにデメリットはあるでしょう。しかし日本の曖昧で適当な解釈に走りがちな民族性を考慮すると今の硬性憲法はリスクが高すぎるように思え、それであれば安倍首相が現在提唱しているように、国会での憲法改正動議の条件を現状の三分の二から過半数へと緩和する方がいいように思えます。安倍首相を批判しているのか持ち上げているのかよくわからない記事となったなぁ。