先日にも同じテーマで記事を書いておりますが個人的に甚だしく憤りを覚える内容であり、今まで黙っていた理研が妙な会見を開いたので続きを書くことにします。結論から述べると、理研の杜撰な対応もさることながら未だ言い訳に終始する小保方氏についてはもう二度と研究なんてしてもらいたくないというのが本音です。
どっから整理したらいいか非常に迷うところですが、最初は無難に今回の騒動の発端と指摘されている問題点をまとめます。
まず発端となったのは今年初め、理研に所属する研究員の小保方氏がIPS細胞と同じような万能性を持ちながら簡単に作成できるSTAP細胞の存在を示す論文を、世界的に権威のある科学雑誌「ネイチャー」で発表したことからでした。発表当初は画期的な発見だとして大きく注目されたものの、私の記憶では発表から二週間後くらいにはもう論文に使用された画像に流用があるなどと問題点が指摘されました。問題点は画像にとどまらず一部文章も他の論文から引用の示しなくコピペした形跡も見られましたがこれらの指摘に対し小保方氏が所属する理研をはじめ共同執筆者らは、これらは執筆上の軽微なミスであり、論文の核心部分であるSTAP細胞の存在証明は揺るがないとの反論を展開しておりました。
しかし論文のミスに関する指摘は止まらなかったどころかほかのどの研究機関も再現実験に失敗し、研究そのものが捏造ではないかとの声まで上がり始めたところ、今週に入っては核心部に当たる細胞分化を示す画像に、三年前に提出された小保方氏の博士論文の画像が流用されているという指摘まで出てきました。この指摘によって一気に風向きが変わった気がするのですが、共同執筆者も小保方氏に論文の撤回を促すなどして報道も一気に加速し、ついには画像の流用元である三年前の博士論文も全体の五分の二程度のページが他の論文を丸々コピペしていたと指摘される始末で、こんだけ芋蔓状に疑惑が次々と出てきたのは私の中では「疑惑のデパート」こと鈴木宗男氏以来です。まぁ私は鈴木宗男氏のことを嫌ってはいませんが。
こうした数々の不正の指摘を受けて今日ようやく理研が会見を行い、張本人である小保方氏はやはりというか出てきませんでしたが上記の問題点について一通りの回答を行いました。最近中身だしを付けるのがマイブームなので各ポイント別に私が報道で知った内容を下記にまとめます。
1、文章のコピペについて
理研は指摘されている文章のコピペに関しては相似性から言ってそうやったとしか思えないと認めた上で、そのコピペした箇所について小保方氏は、「自分で書いた」と述べていることを明かしました。ただ会見映像を見ていて疑問に感じた点としてその後、同じく小保方氏の証言として「どこから取ってきたのか覚えていない」と言ったことも明かしていて、なんで自分で書いたと言っている傍からどこから取ってきたのかという話になるのか不思議に感じました。まるでコピペしたけど自分で書いたってことにしているような言いぐさです。
2、画像の加工・流用について
こちらも理研側は指摘をほぼ認めており、過去の博士論文からの流用については小保方氏が認めたかどうかはっきりと言及しなかったものの、加工の痕跡が見られた画像に関しては「やってはいけない行為だとは思わなかった」と述べたことを明かし、加工したことを本人も認めていてこれは問題の合うる行為だったと断じております。流用した画像に関しても理研は博士論文に使われた画像と同一であるとしか思えないと説明したものの、悪意があって流用したのかどうかに関しては現在調査中であるなどとお茶を濁したまとめ方をしています。このほか研究全体において不適切な行為があったかどうか、これらの結論も調査中として先送りしています。
3、検証対応が遅れた理由について
こちらに関しては指摘通りに対応が遅れたことをほぼ認めた上で、当初は外部からの指摘に関して楽観視して研究結果は揺るぎないものと考えていたと述べました。なおこの時に回答した理事の方が発言している途中、「研究内容に自信を持っていた、と言ってもいいでしょうか?」と隣にいる、ノーベル賞受賞者でもある野依良治理事長に尋ねるシーンがありましたが、野依氏は一瞥もせず厳しい顔を保ち続けていたので結局その理事の方はその通り話しました。私個人の印象ですが、やっぱり今回の一件で野依氏としては相当腹に据えかねているような表情に見えました。
4、小保方氏の現況
多分一番気になる点はみんなここだと思うのですが、具体的には「内外からの声に非常に憔悴している」という一言だけでしたが、テレビニュースで見た映像の中に気になる別の一言がありました。それは執筆者たちは論文の撤回を決めたのかという質問に対する回答なのですがそれについてある理事が、「論文を撤回してもいいか尋ねたところ、(小保方氏は)言葉を出さず頷いたのでそういう意思があると判断しました」と述べるシーンがあり、勝手な予想ですが小保方氏は数々の疑惑に対して回答できない状態というか、ノックアウト状態でまともに会話できない状態にあるのかもしれません。こういってはなんですが会見に出てこない上に理研の対応が歯切れ悪く遅いことを考えると、本人への事情聴取が出来ない状態だと考えるのが自然に思えるため仮にそうだとしても不思議に感じません。それを考慮した上でなお言いますが、自分でしでかしたことなのだから甘ったれないでちゃんと自分自身でケリつけろ、なんて言いたいです。
5、STAP細胞は捏造か、そうでないか
核心も核心も大核心な部分ですが、ここについては現在調査中だとして明言を避けました。早く決めた方がダメージも少ない気がしますが。
今日の理研の会見についてまとめを書くと、いくつかの疑惑に対して理研としても不正を疑うと認めたことと、そしてその原因が未熟な研究者の経験不足と研究倫理意識の欠如にあると断じたことはまだ評価します。しかし問題点が指摘されだして既に一ヶ月近く経っているにもかかわらずこの程度の内容しか発表できないというのは身内に甘い組織だと言われても仕方ない、というより如何にも日本らしい組織だなと私としては呆れてきます。
既に事態は捏造ではないかと検証する段階ではなく、捏造ではないということを証明する段階にあります。言い換えるなら、前者は問題点や矛盾点を証明する段階で、後者は指摘されている疑惑に対して研究が真実であると証明しなければいけない段階にあるように思えるだけに、今回の会見は消化不良と思える内容でした。さらに強く言わせてもらうと、論文の提出前チェックもしっかりできないような未熟な組織であるならばもうこの際とっとと解体した方がいいように思えます。
最後にどうして私がこの問題で本気で怒っているのかというと、仮にというかそうとしか思えませんが、STAP細胞の研究が捏造だとしたら日本の万能細胞研究に大きく水を差しかねないように思えるからです。言うまでもなく万能細胞研究において日本は山中教授のIPS細胞の研究によって最先端をひた走っており、文字通り世界をリードしております。そんな最中にこんな大々的、世界的に捏造騒動が起こってしまえば、山中教授の業績が揺らぐことはないものの、少なからず日本の研究に疑念の目が持たれるのも仕方ありません。
折角大勢の人間が頑張って発展させようとしている重要な研究に、突然割って入って信頼を損なうような行為をするなんて人として最低な行為の一つとしか私には思えません。それでなくても小保方氏は博士論文でも盗用の疑いが出ており、こんな問題の多い人間が真面目にやっている人の足を引っ張ろうかとしていると考えるとむかっ腹が立ってしょうがなく、関係者たちにはより誠意ある対応を取ってもらいたいという主張を述べて筆をまとめます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2014年3月14日金曜日
2014年3月12日水曜日
人を見る目があるゲームクリエイター
もはや定番となっていますがほんとどうでもいいこととして、マレーシア航空の消息不明となった機体は今も残骸すら見つかっておりませんが今日社内で、「中国軍が撃ち落したんじゃねぇの?」って言う人がいました。もちろん冗談なのはみんなわかってますし目くじら立てるほどのことではありませんがこれの返しとして私は、「イギリスなら今頃UFOのせいにしてますよ」と答えました。多少不謹慎であることは百も承知ですが、ちょっとはこういうユーモアもいるんじゃないかなと思ったわけです。
話は本題に入りますが、まだ疲労が残っているのか左耳が中耳炎の様になんか痛いです。なので今日はブログサボって企業居点の作業(登録拠点数が8000件突破!)だけやってようかとも思いましたが、ネタが有り余っているのとちょっと気分転換にくだらないネタを書きたいと思い、やっぱ書くことにしました。
そんな長い前置きをした上で何を書きたいのかというと、このところの日本は政界はもとい財界や官界、芸能界などにおいても際立つ人物が新たに出てくることがほとんどありません。特に芸能界は深刻で、お笑いBIG3(タモリ、北野たけし、明石家さんま)の後に続く大物司会者が出てこないまま20年近く経っており、明石家さんま氏が既に匂わせているように60歳で引退したら吉本とかどうなるんだろうと他人事ながら気になります。
一体何故日本はこのところ人材不足なのか。結論から述べると人材が不足しているというより才能を持つ人材を見つける、引き上げるような伯楽の不足の方が深刻である気がします。プロ野球界とかならスカウトなど人を見る専門職もおりまだそういう事はありませんが、政界や財界(企業)においては「よりによってどうしてこんな奴を……」と思う人材を支援したり、採用して来たりするから救いがありません。学界でも最近、論文で大量にコピペしてた人に博士号あげるくらいだしな。
では具体的に伯楽はいるのか、いるとしたらどんな人かって話ですが、私が思うあたり一人、確実に伯楽というか人を見る目がすごいと思う人物がいます。もったいぶらずに言うとその人の名は岡本吉起氏といって、ゲーム会社大手のカプコンの元役員で、独立した後はあまり芳しい業績を残していないもののアクの強いキャラで有名な人です。岡本氏は創業まもないカプコンに入社して自ら開発に携わる一方で従業員の採用担当も行っていたのですが、この時に岡本氏が採用した人物らはどれも粒ぞろいだったというか、後のカプコンの躍進につながる人物が数多くみられます。
その中でもまず紹介したいのは船水紀孝氏で、この人は看板タイトルでもあるストリートファイターシリーズだけでなく任天堂の委託で作った「ゼルダの伝説 ふしぎの木の実」などでも開発を指揮しており、私も高く評価している人物です。この船水氏を採用したのは言うまでもなく岡本氏なのですが、その採用理由というのも岡本氏のキャッチボールの相手としてだったそうです。そんな基準で昔のカプコンは採用してたのかよと思いたくなるエピソードですが、結果的に優秀な人材をGETしているのでまあありかなと納得しちゃいます。なおこの船水氏、若い頃は創業まもないカプコンが発売した「ソンソン」というゲームで高得点を出すまで家に帰らせてもらえなかったというエピソードがあります。いじられっ子だったのかな。
この船水氏に関しては多少冗談も入っていますが、岡本氏が採用した人物の中で文句なしに超一流と呼べるのは安田朗氏でしょう。安田氏はデザイナー、イラストレーターとしてカプコンの中興に関わった人物で、代表作としてストリートファイターのキャラデザインがあり、ドット絵に仕上げることを前提としたデザイン設計という分野ではパイオニアに近い存在です。このほかカプコンの外でも活発な活動をしており、有名なのだと「∀ガンダム」のキャラデザインも行っててその独特な画風はさすがだとため息つかされます。
そんなすっごい安田氏ですが、若い頃はなんでも上京してまで入学したデザイン学校を中退(親に内緒で)した後、家の中でじーっとして動かないまま過ごしてたそうです。見かねた同居人に言われてカプコンの採用募集に応じたそうですがなんとその面接にはパジャマ姿で登場し、しかも「帰りの電車賃がないので今日採用してくれたら給料は日割りで欲しい」(Wikipediaより引用)と言ってのけたそうです。更にすごいのはそんな安田氏を見て、「すごい人が来た」と岡本氏は考えて速攻で採用を決断したという事実です。もちろん持ってきたイラストを見た上ですが。
こんな具合というのも変ですが、このように岡本氏はカプコンの中核となる人材を悉く採用しているだけに人を見る目は確かにあるなぁと感心させられます。さらにというか最近、また岡本氏の人物眼に関するエピソードを手に入れたのですが、百聞は一見にしかずというので下の画像をご覧ください。
これはなんかのインタビュー記事でしょうが、カプコンが昔発売した「鬼武者」というゲームでBGMを作曲した佐村河内(実際には新垣氏でしょうが)に対して持った印象を述べています。このインタビュー文で何がすごいかって言うと、「最初、佐村河内さんと会ったときの印象は『こいつ、相当ワルだぞ』って感じでした」と述べており、初見である意味本質を見抜いているっていう点です。変な話、岡本氏はゲーム作っているよりももっと人物批評とかしている方が向いてるんじゃないかな。
話は本題に入りますが、まだ疲労が残っているのか左耳が中耳炎の様になんか痛いです。なので今日はブログサボって企業居点の作業(登録拠点数が8000件突破!)だけやってようかとも思いましたが、ネタが有り余っているのとちょっと気分転換にくだらないネタを書きたいと思い、やっぱ書くことにしました。
そんな長い前置きをした上で何を書きたいのかというと、このところの日本は政界はもとい財界や官界、芸能界などにおいても際立つ人物が新たに出てくることがほとんどありません。特に芸能界は深刻で、お笑いBIG3(タモリ、北野たけし、明石家さんま)の後に続く大物司会者が出てこないまま20年近く経っており、明石家さんま氏が既に匂わせているように60歳で引退したら吉本とかどうなるんだろうと他人事ながら気になります。
一体何故日本はこのところ人材不足なのか。結論から述べると人材が不足しているというより才能を持つ人材を見つける、引き上げるような伯楽の不足の方が深刻である気がします。プロ野球界とかならスカウトなど人を見る専門職もおりまだそういう事はありませんが、政界や財界(企業)においては「よりによってどうしてこんな奴を……」と思う人材を支援したり、採用して来たりするから救いがありません。学界でも最近、論文で大量にコピペしてた人に博士号あげるくらいだしな。
では具体的に伯楽はいるのか、いるとしたらどんな人かって話ですが、私が思うあたり一人、確実に伯楽というか人を見る目がすごいと思う人物がいます。もったいぶらずに言うとその人の名は岡本吉起氏といって、ゲーム会社大手のカプコンの元役員で、独立した後はあまり芳しい業績を残していないもののアクの強いキャラで有名な人です。岡本氏は創業まもないカプコンに入社して自ら開発に携わる一方で従業員の採用担当も行っていたのですが、この時に岡本氏が採用した人物らはどれも粒ぞろいだったというか、後のカプコンの躍進につながる人物が数多くみられます。
その中でもまず紹介したいのは船水紀孝氏で、この人は看板タイトルでもあるストリートファイターシリーズだけでなく任天堂の委託で作った「ゼルダの伝説 ふしぎの木の実」などでも開発を指揮しており、私も高く評価している人物です。この船水氏を採用したのは言うまでもなく岡本氏なのですが、その採用理由というのも岡本氏のキャッチボールの相手としてだったそうです。そんな基準で昔のカプコンは採用してたのかよと思いたくなるエピソードですが、結果的に優秀な人材をGETしているのでまあありかなと納得しちゃいます。なおこの船水氏、若い頃は創業まもないカプコンが発売した「ソンソン」というゲームで高得点を出すまで家に帰らせてもらえなかったというエピソードがあります。いじられっ子だったのかな。
この船水氏に関しては多少冗談も入っていますが、岡本氏が採用した人物の中で文句なしに超一流と呼べるのは安田朗氏でしょう。安田氏はデザイナー、イラストレーターとしてカプコンの中興に関わった人物で、代表作としてストリートファイターのキャラデザインがあり、ドット絵に仕上げることを前提としたデザイン設計という分野ではパイオニアに近い存在です。このほかカプコンの外でも活発な活動をしており、有名なのだと「∀ガンダム」のキャラデザインも行っててその独特な画風はさすがだとため息つかされます。
そんなすっごい安田氏ですが、若い頃はなんでも上京してまで入学したデザイン学校を中退(親に内緒で)した後、家の中でじーっとして動かないまま過ごしてたそうです。見かねた同居人に言われてカプコンの採用募集に応じたそうですがなんとその面接にはパジャマ姿で登場し、しかも「帰りの電車賃がないので今日採用してくれたら給料は日割りで欲しい」(Wikipediaより引用)と言ってのけたそうです。更にすごいのはそんな安田氏を見て、「すごい人が来た」と岡本氏は考えて速攻で採用を決断したという事実です。もちろん持ってきたイラストを見た上ですが。
こんな具合というのも変ですが、このように岡本氏はカプコンの中核となる人材を悉く採用しているだけに人を見る目は確かにあるなぁと感心させられます。さらにというか最近、また岡本氏の人物眼に関するエピソードを手に入れたのですが、百聞は一見にしかずというので下の画像をご覧ください。
これはなんかのインタビュー記事でしょうが、カプコンが昔発売した「鬼武者」というゲームでBGMを作曲した佐村河内(実際には新垣氏でしょうが)に対して持った印象を述べています。このインタビュー文で何がすごいかって言うと、「最初、佐村河内さんと会ったときの印象は『こいつ、相当ワルだぞ』って感じでした」と述べており、初見である意味本質を見抜いているっていう点です。変な話、岡本氏はゲーム作っているよりももっと人物批評とかしている方が向いてるんじゃないかな。
2014年3月11日火曜日
STAP細胞論文の騒動について
今日は311ですが妙な空気に飲まれたくないのでマイペースに記事を書くことにします。ちなみに三年前の311の日に自分は杭州におり、バカみたいな働かせ方させられた会社を辞める日だったのでちょっとテンション上がってました。もっともその日の終業後、夕方に家を引き払ってそのまま上海に予約していたホテルへと移動したので結構慌ただしかったです。次の日には宝山路へ中古ノートPCも買いにいったし。なおその時買った東芝製ノートPCは友人にプライスレスであげましたが、その友人は従弟にプライスレスでまたあげたそうです。
話は本題に入りますが、今まで敢えて無視してきましたが万能細胞の一種であるSTAP細胞の論文に関する騒動が山場を迎えつつああります。論文の内容や使用されている画像、文章に関してこれまでにも数多くの指摘が挙がってきましたが、先週くらいから研究の核心部を示す、STAP細胞から作られた細胞の写真も以前に使われた写真が流用されているのではと報じられ始め、共同執筆者からも一旦論文を撤回するべきだなどという声まで上がってる状態です。
先ほど私もその問題となっている核心部の写真をテレビニュースで見ましたが、筆頭執筆者の小保方氏が三年前に提出した博士号論文に、骨髄から採取したものとして使用していた写真と似ているどころか全く同じで、正直な感想を述べると流用したとしか思えない写真でした。これまでも一部の写真が説明している内容の写真と異なっていると指摘された際には取り違えの事実を認めた上で単純なミスだったなどと執筆者側は主張していましたが、この核心部の写真に関しては、こういう研究の世界のルールについて知らないまでもあくまで素人としての考えですが、もはや取り違えなんてレベルでは済まないように思えるだけに現段階で私はこの研究に真実性を感じることが出来ません。
そもそも、この論文問題では当初から小保方氏、及び小保方氏が所属する理研の態度に一種の奇妙さが見えていました。その奇妙さというのも論文の不備に対する指摘にほぼ全くと言っていいほど反応がなく、むしろ共同執筆者のいるハーバード大学がこうした指摘に対して反論をする始末で、一体何故本来メインであるはずの小保方氏と理研が黙ったままなのか不思議を通り越してきな臭さを感じるほどでした。
そして昨日、山梨大学にいる共同執筆者が論文の一時撤回を口にしてようやくというか理研も会見を行い、プレスリリースでは検証を進めるが「論文撤回も視野に入れている」という文言がはっきり加えられています。皮肉な言い方をしますが、この状況から逆転ホームランはなかなか難しいように思えるし、さらに皮肉を続けると何故理研が一ヶ月間もこの問題にだんまりを決め込んでいたのかというと、案外結論は早くに分かっていてどう着地させるかという対応をこれまで練っていたんじゃないのと勘ぐっております。どっちにしろ、まだ小保方氏本人が表に出てこないというのも切り札として持ってるつもりなのか、あまり悠長なこと言ってる場合じゃないと思うのですがね。
厳しい言葉を続けますが、仮にこの論文の内容が捏造されたものであれば日本としても赤っ恥この上ない失態でしょう。それだけに疑惑がもたれるほど不備の多い論文を発表前に内部で精査できなかった理研の責任は重く、今後どっちに転ぼうが甘んじて批判を受け今後の改善に力を入れてもらいたいものです。
それにしても今年は佐村河内の事件といい捏造・詐称問題が年初から頻繁に上がってくるものだという気がします。それと今回のSTAP細胞はあの天下のネイチャーが載せたのだから日本のマスコミが何の疑いもなくフィーバーして報じたのはまだ仕方なかったと思いますが、個人的に「リケジョ」って言葉を多用したことは強い憤りを感じます。なんで一人で勝手に怒っているのかというと、仮にこの発見が男の研究者だったらここまで取り上げたのかっていうことと、女性だから大きく取り上げるというのは別な意味での女性差別なのではと思うのと、耳障りのする余計な日本語単語を作るなって理由などからです。それこそ、自分だったら「文系男子」だから「ブンダン」とか言うのかよってとこです。
話は本題に入りますが、今まで敢えて無視してきましたが万能細胞の一種であるSTAP細胞の論文に関する騒動が山場を迎えつつああります。論文の内容や使用されている画像、文章に関してこれまでにも数多くの指摘が挙がってきましたが、先週くらいから研究の核心部を示す、STAP細胞から作られた細胞の写真も以前に使われた写真が流用されているのではと報じられ始め、共同執筆者からも一旦論文を撤回するべきだなどという声まで上がってる状態です。
先ほど私もその問題となっている核心部の写真をテレビニュースで見ましたが、筆頭執筆者の小保方氏が三年前に提出した博士号論文に、骨髄から採取したものとして使用していた写真と似ているどころか全く同じで、正直な感想を述べると流用したとしか思えない写真でした。これまでも一部の写真が説明している内容の写真と異なっていると指摘された際には取り違えの事実を認めた上で単純なミスだったなどと執筆者側は主張していましたが、この核心部の写真に関しては、こういう研究の世界のルールについて知らないまでもあくまで素人としての考えですが、もはや取り違えなんてレベルでは済まないように思えるだけに現段階で私はこの研究に真実性を感じることが出来ません。
そもそも、この論文問題では当初から小保方氏、及び小保方氏が所属する理研の態度に一種の奇妙さが見えていました。その奇妙さというのも論文の不備に対する指摘にほぼ全くと言っていいほど反応がなく、むしろ共同執筆者のいるハーバード大学がこうした指摘に対して反論をする始末で、一体何故本来メインであるはずの小保方氏と理研が黙ったままなのか不思議を通り越してきな臭さを感じるほどでした。
そして昨日、山梨大学にいる共同執筆者が論文の一時撤回を口にしてようやくというか理研も会見を行い、プレスリリースでは検証を進めるが「論文撤回も視野に入れている」という文言がはっきり加えられています。皮肉な言い方をしますが、この状況から逆転ホームランはなかなか難しいように思えるし、さらに皮肉を続けると何故理研が一ヶ月間もこの問題にだんまりを決め込んでいたのかというと、案外結論は早くに分かっていてどう着地させるかという対応をこれまで練っていたんじゃないのと勘ぐっております。どっちにしろ、まだ小保方氏本人が表に出てこないというのも切り札として持ってるつもりなのか、あまり悠長なこと言ってる場合じゃないと思うのですがね。
厳しい言葉を続けますが、仮にこの論文の内容が捏造されたものであれば日本としても赤っ恥この上ない失態でしょう。それだけに疑惑がもたれるほど不備の多い論文を発表前に内部で精査できなかった理研の責任は重く、今後どっちに転ぼうが甘んじて批判を受け今後の改善に力を入れてもらいたいものです。
それにしても今年は佐村河内の事件といい捏造・詐称問題が年初から頻繁に上がってくるものだという気がします。それと今回のSTAP細胞はあの天下のネイチャーが載せたのだから日本のマスコミが何の疑いもなくフィーバーして報じたのはまだ仕方なかったと思いますが、個人的に「リケジョ」って言葉を多用したことは強い憤りを感じます。なんで一人で勝手に怒っているのかというと、仮にこの発見が男の研究者だったらここまで取り上げたのかっていうことと、女性だから大きく取り上げるというのは別な意味での女性差別なのではと思うのと、耳障りのする余計な日本語単語を作るなって理由などからです。それこそ、自分だったら「文系男子」だから「ブンダン」とか言うのかよってとこです。
2014年3月10日月曜日
「デスレス」の乙金まどかについて
日本全国そうでしょうが今夜はやけに冷えて指も動かしづらく、ブログを書くモチベーションもやや低めです。なのでどうでもいい話でもと思いつつ日露戦争後に日本人が勘違いしてしまったというむちゃくちゃ重いテーマを書こうとしましたが、やっぱり神経が持たないのでどうでもいい話をちょこっと書きます。
ついさきほど別の記事に頂いたコメントの返信文に、「驕る平家も」という文言を入れたのですが実はこのフレーズ、最近現実世界でも使うことが増えています。なんで増えているのかというと、「エクセル・サーガ」を代表作に持つ漫画家の六道紳士氏が現在、「デスレス」というまた別の漫画作品を書いているのですがこの中に出てくる「乙金まどか」というキャラクターがまさに最新刊で、「驕るがいいこの平家ども!いずれ壇ノ浦の空の下で……」なんていうセリフを述べていたのがやけに印象に残り、すっかり影響されてしまったのか無意識に自分も何故か使ってしまいます。
先に「デスレス」について簡単にあらすじを紹介すると、この作品は法学部に通う女子学生の主人公がひょんなことからヤクザに刺殺されたところ時間を巻き戻す能力のある妖怪に命を救われ、命を救った代わりに残りの寿命分の時間をいただくとばかりに食べられそうになったら逆にその妖怪を取り込んでしまい、その後もハプニングが続いていくという書いてて自分もなんだかよくわからなくなってくるようなストーリーです。
こういうドタバタ系のストーリーは今時珍しくとも何ともないでしょうが、六道氏は「エクセル・サーガ」の連載後半期から顕著になってきましたが頭身の高い女性キャラクターを描くのが非常に上手く、やややセクシーすぎるきらいもありますがそうした絵柄面で一般の萌えマンガと一線を画す出来となっています。なお「エクセル・サーガ」の連載初期に私が読んでて「何これ?」と思った点を今述べると、一話ごとにキャラクターが着る私服デザインが毎回変わっており、当時は今ほど絵が上手でなかったもののこの作者は独特なセンスがあると当時から見ていました。
話は戻りますがこの「デスレス」は当初こそ絵は一流でもストーリーは並の萌えマンガとみて高をくくっていましたが、連載が進むごとに段々伏線が貼られていって今現在だとストーリーも楽しめるようになってきました。またそれ以上にというか、元々六道氏の漫画キャラクターはどれもテンションが異様に高いキャラばかりで、セリフ回しも読んでてためらうような毒の強い物が多い(昔の作品で、「20世紀中盤にニューメキシコで実験が上手くいくよう陰で働いてやった」なんてセリフも)のですが、この「デスレス」でもみんなぶっ飛んでて、その中でも際立っているのが今日槍玉に挙げる「乙金まどか」というキャラです。
このキャラがどういう人物かというと、当初は主人公の敵役としての立場で登場してくるのですが、実際に絵を見てもらえばわかりますが顔のパーツは揃っていて美女として描かれているものの、どのシーンでも目の焦点が常に合っていないというか常に瞳孔が全開みたいな異様な風貌で、その風貌に負けず劣らず口から出るセリフも常軌を逸しているものばかりです。今覚えているのを片っ端から挙げると、
(夜中に電話に出て)「イエス、グッドミッドナイ!乙金、乙金でございます!」
(両人差し指をこめかみに当てながら)「来ました、電波が!」
(主人公宅に物乞いに来た際)「ところで私、お腹がすきましたわパ〇ラッシュ!」
「あんな~に一緒だったのに~!」(ガンダムSEEDのED曲の歌詞をそのまま引用している)
(両親指を地面に向けながら)「ざ~んね~んしょ~!」
文面では非常に伝え辛いのですが、どのセリフも瞳孔全開でかつ妙なポーズを取りながら発するので、見ていて有り得ないくらいにインパクトが強いです。っていうかこれだけインパクトを受けた漫画キャラクターは「餓狼伝」に出てくる「泣き虫サクラ」以来と言っても過言じゃありません。私はこの「デスレス」を今は漫画喫茶で読んでいる状態ですが、六道氏の漫画なだけに一冊当たりのセリフ量が多くてコンテンツ量が多いし、あとこの乙金まどかがやけに気に入ったのでもうこの際だから電子書籍で買っちゃおうかなと検討しております。
それにしてもというかこの記事を書くきっかけにもなっているのですが、この乙金まどかに関するレビューがネットを見ていてやや少ない気がしました。もうちょっとこの作品は評価されてもいいと思い、なら自分が書いちゃえとばかりに30分でサラリと仕上げた次第です。
おまけ
六道氏のキャラクターは女性キャラクターのセクシーさばかり注目されがちですが、「デスレス」を読んでて、「ごつい男キャラもいけるやん」とちょっと思いました。女の子ばっか書いてないでもうちょっとカッコいいおっさんキャラも増やしたらいいようなと一ファンとして思います。
ついさきほど別の記事に頂いたコメントの返信文に、「驕る平家も」という文言を入れたのですが実はこのフレーズ、最近現実世界でも使うことが増えています。なんで増えているのかというと、「エクセル・サーガ」を代表作に持つ漫画家の六道紳士氏が現在、「デスレス」というまた別の漫画作品を書いているのですがこの中に出てくる「乙金まどか」というキャラクターがまさに最新刊で、「驕るがいいこの平家ども!いずれ壇ノ浦の空の下で……」なんていうセリフを述べていたのがやけに印象に残り、すっかり影響されてしまったのか無意識に自分も何故か使ってしまいます。
先に「デスレス」について簡単にあらすじを紹介すると、この作品は法学部に通う女子学生の主人公がひょんなことからヤクザに刺殺されたところ時間を巻き戻す能力のある妖怪に命を救われ、命を救った代わりに残りの寿命分の時間をいただくとばかりに食べられそうになったら逆にその妖怪を取り込んでしまい、その後もハプニングが続いていくという書いてて自分もなんだかよくわからなくなってくるようなストーリーです。
こういうドタバタ系のストーリーは今時珍しくとも何ともないでしょうが、六道氏は「エクセル・サーガ」の連載後半期から顕著になってきましたが頭身の高い女性キャラクターを描くのが非常に上手く、やややセクシーすぎるきらいもありますがそうした絵柄面で一般の萌えマンガと一線を画す出来となっています。なお「エクセル・サーガ」の連載初期に私が読んでて「何これ?」と思った点を今述べると、一話ごとにキャラクターが着る私服デザインが毎回変わっており、当時は今ほど絵が上手でなかったもののこの作者は独特なセンスがあると当時から見ていました。
話は戻りますがこの「デスレス」は当初こそ絵は一流でもストーリーは並の萌えマンガとみて高をくくっていましたが、連載が進むごとに段々伏線が貼られていって今現在だとストーリーも楽しめるようになってきました。またそれ以上にというか、元々六道氏の漫画キャラクターはどれもテンションが異様に高いキャラばかりで、セリフ回しも読んでてためらうような毒の強い物が多い(昔の作品で、「20世紀中盤にニューメキシコで実験が上手くいくよう陰で働いてやった」なんてセリフも)のですが、この「デスレス」でもみんなぶっ飛んでて、その中でも際立っているのが今日槍玉に挙げる「乙金まどか」というキャラです。
このキャラがどういう人物かというと、当初は主人公の敵役としての立場で登場してくるのですが、実際に絵を見てもらえばわかりますが顔のパーツは揃っていて美女として描かれているものの、どのシーンでも目の焦点が常に合っていないというか常に瞳孔が全開みたいな異様な風貌で、その風貌に負けず劣らず口から出るセリフも常軌を逸しているものばかりです。今覚えているのを片っ端から挙げると、
(夜中に電話に出て)「イエス、グッドミッドナイ!乙金、乙金でございます!」
(両人差し指をこめかみに当てながら)「来ました、電波が!」
(主人公宅に物乞いに来た際)「ところで私、お腹がすきましたわパ〇ラッシュ!」
「あんな~に一緒だったのに~!」(ガンダムSEEDのED曲の歌詞をそのまま引用している)
(両親指を地面に向けながら)「ざ~んね~んしょ~!」
文面では非常に伝え辛いのですが、どのセリフも瞳孔全開でかつ妙なポーズを取りながら発するので、見ていて有り得ないくらいにインパクトが強いです。っていうかこれだけインパクトを受けた漫画キャラクターは「餓狼伝」に出てくる「泣き虫サクラ」以来と言っても過言じゃありません。私はこの「デスレス」を今は漫画喫茶で読んでいる状態ですが、六道氏の漫画なだけに一冊当たりのセリフ量が多くてコンテンツ量が多いし、あとこの乙金まどかがやけに気に入ったのでもうこの際だから電子書籍で買っちゃおうかなと検討しております。
それにしてもというかこの記事を書くきっかけにもなっているのですが、この乙金まどかに関するレビューがネットを見ていてやや少ない気がしました。もうちょっとこの作品は評価されてもいいと思い、なら自分が書いちゃえとばかりに30分でサラリと仕上げた次第です。
おまけ
六道氏のキャラクターは女性キャラクターのセクシーさばかり注目されがちですが、「デスレス」を読んでて、「ごつい男キャラもいけるやん」とちょっと思いました。女の子ばっか書いてないでもうちょっとカッコいいおっさんキャラも増やしたらいいようなと一ファンとして思います。
2014年3月9日日曜日
パソコン本体価格の高騰(;´Д`)
昨日、消費税増税前ということと、体調不良からここ一ヶ月休日はほとんど家から出ていなかったこともあり、気分転換を兼ねて秋葉原へ買い物に出かけました。先に買ったものを述べると、1080円と安かったのでUSB3.0のメモリースティック(16GB)と、下記写真の同じくUSB3.0の外付けハードディスク(1TB)です。
なんで外付けHDを買ったのかというと、単純に使ってて便利なのと今使っている外付けHDは容量が320GBで、なおかつ2010年11月に買ったものであることからそろそろ新しいものに切り替える時期だと考えたからです。HDクラッシュほど恐ろしいものはないし、数年単位での交換あればありかと納得しました。
肝心のお値段は11800円で、数あるメーカーの中からこの東芝製を選んだ理由はデザインが気に入ったためです。写真を見ればわかる通りにシルバーの地をやすりで擦ったような侘寂を感じるデザインで、バッファローとかアイ・オー・データより値段は高かったけど長く使うことを考えて嫌いにならないデザインを選びました。あと自宅に着いてから早速使ってみましたが、今回初めてUSB3.0のHDを使ってみるのですがやはりUSB2.0より段違いに読み込み、書き込みが早いです。特にこういう大容量だと速度の差が大きいだけに、今後購入を検討している方は断然USB3.0を選ぶことをお勧めします。
それで話は本題に移りますが、今回の買い物では外付けHDのほか小型のノートパソコン購入も視野に入れておりました。今現在も15.6インチのノートパソコンを持っておりますが、外出の際に使えるような14インチ以下のノーパソがあればなぁと前から思っていたので、いいのがあったら買おうかと考え乗り込みました。
それでいろんなお店を眺めましたが、一見してどこも価格が高い印象を受けました。そんな中、ソフマップでASUS製11.4インチのパソコンがOffice付きで約6万円だったのでちょっと悩んでたところ店員が寄ってきたので尋ねてみると、こう教えてくれました。
「おっしゃる通りに今どのメーカーも価格を上げています。去年の秋冬モデルから値段が上がり、それ以前と比べ大体2万円前後上がってますね」
たとえば今私が使っているNEC製のノートパソコンは2011年7月に約8万円で購入しましたが、これとほぼ同スペックのパソコン(15.6インチ、メモリ4GB、ブルーレイディスク、Office付)を今買おうとすると冗談抜きで10万円くらい値が張る有様で、さっきの店員の話とピタリと値上げ分が一致します。まぁ三年前にいい値段で自分が買えただけかもしれませんが。なんでどこも値段を上げているのかと続けて聞いてみると、頭の中にはありましたがやはり円安が影響しているのではという答えが返ってきました。
今現在、ノートパソコンはほとんどホンハイなどといったEMSによって中国の深圳か重慶で作られている状態で、多分この二都市で世界シェアの過半数を占めるとおもうのですが、向こうで作って日本に持ってくるわけだからそりゃ円安になれば値段も高くなるのが自然の摂理です。今後価格が下がるかどうかは未知数ですが、少なくとも今このタイミングは買うのに適していないと判断したため結局買わずに帰ってきたわけですが、案外こういう物価動向ってニュースで報じられないもんだねと思った一日でした。
なんで外付けHDを買ったのかというと、単純に使ってて便利なのと今使っている外付けHDは容量が320GBで、なおかつ2010年11月に買ったものであることからそろそろ新しいものに切り替える時期だと考えたからです。HDクラッシュほど恐ろしいものはないし、数年単位での交換あればありかと納得しました。
肝心のお値段は11800円で、数あるメーカーの中からこの東芝製を選んだ理由はデザインが気に入ったためです。写真を見ればわかる通りにシルバーの地をやすりで擦ったような侘寂を感じるデザインで、バッファローとかアイ・オー・データより値段は高かったけど長く使うことを考えて嫌いにならないデザインを選びました。あと自宅に着いてから早速使ってみましたが、今回初めてUSB3.0のHDを使ってみるのですがやはりUSB2.0より段違いに読み込み、書き込みが早いです。特にこういう大容量だと速度の差が大きいだけに、今後購入を検討している方は断然USB3.0を選ぶことをお勧めします。
それで話は本題に移りますが、今回の買い物では外付けHDのほか小型のノートパソコン購入も視野に入れておりました。今現在も15.6インチのノートパソコンを持っておりますが、外出の際に使えるような14インチ以下のノーパソがあればなぁと前から思っていたので、いいのがあったら買おうかと考え乗り込みました。
それでいろんなお店を眺めましたが、一見してどこも価格が高い印象を受けました。そんな中、ソフマップでASUS製11.4インチのパソコンがOffice付きで約6万円だったのでちょっと悩んでたところ店員が寄ってきたので尋ねてみると、こう教えてくれました。
「おっしゃる通りに今どのメーカーも価格を上げています。去年の秋冬モデルから値段が上がり、それ以前と比べ大体2万円前後上がってますね」
たとえば今私が使っているNEC製のノートパソコンは2011年7月に約8万円で購入しましたが、これとほぼ同スペックのパソコン(15.6インチ、メモリ4GB、ブルーレイディスク、Office付)を今買おうとすると冗談抜きで10万円くらい値が張る有様で、さっきの店員の話とピタリと値上げ分が一致します。まぁ三年前にいい値段で自分が買えただけかもしれませんが。なんでどこも値段を上げているのかと続けて聞いてみると、頭の中にはありましたがやはり円安が影響しているのではという答えが返ってきました。
今現在、ノートパソコンはほとんどホンハイなどといったEMSによって中国の深圳か重慶で作られている状態で、多分この二都市で世界シェアの過半数を占めるとおもうのですが、向こうで作って日本に持ってくるわけだからそりゃ円安になれば値段も高くなるのが自然の摂理です。今後価格が下がるかどうかは未知数ですが、少なくとも今このタイミングは買うのに適していないと判断したため結局買わずに帰ってきたわけですが、案外こういう物価動向ってニュースで報じられないもんだねと思った一日でした。
2014年3月8日土曜日
豊臣政権が崩壊した原因とは
前回記事で豊臣秀吉がどうして偉大なのかというと戦国時代を終わらせたことと、自身も超一流の才能を持ちながら各分野で自分以上の才能の持ち主を活用した点にあると主張しましたが、同じく豊臣政権について今日は一体何故徳川政権にとってかわられたのかその崩壊原因を分析してみようと思います。この手の崩壊原因で徳川幕府とかはよく話題に上がるものの豊臣家に関しては、ある程度はっきりしているというのもありますがあまり議論がないように思えるので、ちょっとこの辺りで一本書いてみようと考えた次第です。
崩壊原因1、徳川家を滅ぼさなかった
説明するのもばかばかしいくらいに代表的な原因ですが、後に豊臣家を滅ぼして徳川幕府を開く徳川家こと徳川家康を秀吉の存命中に滅ぼさなかったことが最大の崩壊原因でしょう。秀吉と家康は小牧・長久手の戦いで一度戦っており、この時は徳川家が勝利を収めましたが仮に長期戦となれば動員兵力や兵糧の観点から言って秀吉が勝利していたと断言できます。それでも秀吉が家康との和睦を選んだのは当時はまだ九州や中国・四国地方はおろか、近畿地方ですら各地で抵抗勢力が活動を続けており土台が盤石でなかったことが影響しているのですが、これは逆を言えば天下統一後であれば余裕綽々で徳川家など葬り去ることが出来た証左です。
こういってはなんですが天下統一後にあっても徳川家は豊臣家にとって明らかに危険な存在だったとしか思えません。大阪を中心とした近畿地方を所領としていることから経済力では豊臣家に分があったものの、石高で言えば実は秀吉存命中から徳川家の方が上回っておりました。その上というか家康は若い頃から明らかに腹黒で何考えているかわからない節があり(おまけにスケベ)、いくら名声が高かったとはいえ謀反なりなんなり理由をでっちあげてでも秀吉は徳川家を滅ぼしておくべきだったでしょう。
この辺が秀吉の変に甘い所なのですが、意外と彼は性格的にやさしくて非情になりきれなかった節があります。前漢の劉邦は韓信や彭越、源頼朝は弟の義経や範頼、足利義満は山名氏や大内氏といった功臣を天下統一後に悉く誅殺している所、秀吉は伊達政宗に対してはプレッシャーをかけつつもその他の大名に対しては取り潰しらしい取潰しはほとんど実行していません。
さらには、天下取りにおいては活躍したものの治世下に置いて不要ともいえる加藤清正や福島正則といった武功派武将を切り、石田三成や片桐且元といった文治派武将への切り替えも中途半端で、両者の間で派閥争いを作り後の関ヶ原の要因を作るという大ポカもやらかしています。これは後に天下を取る徳川家とは好対照で、この辺が両家の行く末を分けたと言って過言でないでしょう。
崩壊原因2、親類縁者の致命的な不足
これも徳川家とは対照的な点なのですが、豊臣家においては大きな所領を持つ有力な一族が全くと言っていませんでした。皇族などはよく皇室の藩屏などと呼ばれることがありますが、欧州のハプスブルグ家然りで封建制において血のつながりというのは跡目争いの原因にもなるもののやはり強く、いざって時に譜代や外様の人間とは一線を画した行動が期待できます。それだけ重要なだけに徳川家などでは顕著ですが重要拠点を親族に治めさせることによって長い政権維持につなげましたが、豊臣家ではこうした有力な一族大名は全くと言っていいほどいません。
一体何故いなかったのかというと秀吉の出自によるところが大きく、農民出身であったことから第三親等くらいまでしか親族と認識できる一族はおらず、 また秀吉自身が子供をほとんど作れなかったという不幸な現実がありました。そんな秀吉の一族において唯一と言ってもいいほど頼りにすることが出来たのは秀吉の弟の豊臣秀長くらいで、彼は存命中からも高い人望を集めただけでなく兄譲りの高いオペレーション能力を発揮して当地の難しい紀伊地方(和歌山県)を大過なく治めていたことから有力な藩屏となり得たでしょう。しかし惜しいかな兄よりも早く若死にしており、仮に長生きできていれば中国の周王朝における周公旦の様な人物になっていたのかもしれません。
このほかには一応、正室の寧々の出身である浅野家から浅野長政というこちらもオペレーション能力の高く広島藩の藩祖となった武将がおり、彼なら藩屏としての役割も期待できたでしょうが秀吉の後継には寧々とは折り合いの悪かったとされる淀君の子である秀頼に決まり、私は浅野長政としてはこの点が豊臣家と距離を置く要因になったのではないかと少し思います。
その淀君(最初「淀気味」と変換された)もこういってはなんですが、いわば亡国の姫君で出身である浅井家が既に存在せず、息子の秀頼にとって後ろ盾になる外戚が存在しなかったというのも見逃せないポイントです。仮に淀君が豊臣政権下における有力大名家の出身、それこそ上杉家や前田家、毛利家の姫君であれば歴史は全然違ったでしょう。
崩壊原因3、豊臣秀次の粛清
上記の親類縁者の不足にも絡みますが、秀吉が一度は自分の後継者としてレールを敷いたものの秀頼が生まれたことから邪魔者となり、廃嫡した上に粛清までした豊臣秀次の運命もその後の豊臣家の行く末を決めた要因でしょう。豊臣秀次は秀吉の姉の息子で甥にあたるのですが、若い頃からそこそこ戦場でも活躍している人物で、世間で言われているほど決して無能ではなかったと私は評価しております。ちなみに彼は「殺生関白」と呼ばれるほどむやみに人を殺したりするなど乱行を繰り返していたことも粛清された要因と言われていますが、私はこの説に対しては疑問視しており、むしろ秀吉が粛清に正当性を持たせるために流した主張ではないかと見ています。
この秀次の粛清によって秀吉の後継者は秀頼となりましたが、仮に秀次を秀頼が成人するまでのつなぎに使っていればまた違ったでしょう、裏切る可能性はありますが。なおこの秀次の粛清については石田三成が秀吉に讒言をしたためという説がありますがこれは現在では否定されつつあります。豆知識が続きますが秀次は粛清前に追放され出家していたにもかかわらず切腹を申し渡されており、これは当時としても異例なほど厳しい処置だったそうです。なおかつ秀次の一族は女子供に関わらずほぼ全員処刑されていて、これも当人は処刑されても女子供は生かされるケースの多かった日本史上では珍しいことで、先ほどは秀吉のことを「非情になりきれなかった」と評したものの、この秀次事件に関しては異常なほどの残酷性を秀吉はみせています。
もっともというか、中国史では三国志の曹操を筆頭に「三族皆殺し」はしょっちゅうあることなので、中国史に慣れた私からするとこの秀次事件が特段残酷だったとは思えないほどこのところ感覚が麻痺してます。これはほかの面でも言えるけど、中国人と比べて日本人ってやっぱ変に優しいというか甘いところがある気がする。
崩壊原因5、譜代大名の保守化
上記三つまでの理由はあちこちでも説明されておりそれほど珍しいものではありませんがこの崩壊原因4は私オリジナルの説で、恐らく本邦はおろか全米初公開の意見でしょう。どこだっていいけどさ。
秀吉死後に行われた関ヶ原の合戦では加藤清正や福島正則、そして黒田長政といった豊臣家の譜代武将が悉く徳川家率いる東軍についておりますが、これは彼らが西軍の主導者となった石田三成に対する憎悪が主原因となっているものの、それと共に彼らが「如何に領地を切り取るか」という戦国の気風から「如何に藩を守るか」という保守的な思想に変わったことも大きいのではないかと思います。
幕藩体制というと江戸時代の制度のように思えますが、実際にこの制度を作ったのは豊臣政権で徳川幕府がこの制度を流用して定着させました。これ以外にも石高制や五人組など徳川幕府にも流用された制度は多く、そういう意味で豊臣家は前漢の布石となった秦みたいに思えるところがありますがそれは置いといて、関ヶ原の合戦時点で当時の大名らはそれぞれ領国を持って自身で切り盛りするようになっていました。自身で領国を切り盛りするという点は戦国時代でも同じですが決定的に違ったのは現状以上に領土が広がらないという点で、混乱や紛争の隙を見て隣国の領地を奪い取るという概念は関ヶ原の時点ではもはや通用しませんでした。
これがどういう意味を表すのかというと、当時の大名は領土を広げるというより領土を如何に守るかの方に頭が回っており、いわば損得概念が戦国時代とは大きく異なっていたのではないかと言いたいわけです。切り取り勝手の戦国時代では時には不利な状況でも主家に忠誠心をみせることによって戦後の報償に与かるという立ち回りも出来ましたが、関ヶ原の時点ではそういうハイリスクな行動は通用し辛く、むしろ如何に安定して国が保てるかという観点から徳川家についた譜代武将が多かったんじゃないかとこの前閃いたわけです。
翻って当時の状況を見ると、主家は確かに豊臣家であるものの当主の秀頼はまだ幼く、頼りがいのある安心感で言えば家康の方が圧倒的に上でした。そのため豊臣家に恩顧のある大名でも、心情的には西軍参加に傾きつつあっても抱えている家臣やその家族のことを考えると保守的に動かざるを得ず、寄らば大樹の陰とばかりに東軍についたのではないかと言いたいわけです。
こう考えるきっかけとしては豊臣秀長に見出され大名となった、戦国時代の竜騎士カインこと藤堂高虎で、彼は秀吉が死ぬや真っ先に徳川家への接近を図っております。加藤清正や福島正則などは三成憎しで東軍についたと判断できるもののこの藤堂高虎に関しては英語で言うなら「Nothing to do with 三成」というくらい縁がない人物です。「武士は七回くらい主君を変えねば武士とは言えぬ」というくらい利己的だった藤堂高虎は極端な例であるものの、彼ほど露骨でなくても保守的に自国領土を保つという保守的判断から東軍参加を決めた大名はほかにもいたのではないかと思え、如何に領土を奪い取るかという戦国の気風から安定した時代になって芽生えた大名の保守化も家康にとって有利な状況を作ったのではと考えた次第です。
さらっと書くつもりはなかったものの、我ながらえらい長文となってしまいました。故水野晴郎じゃないけど、「歴史ってほんといいもんですね」って言いたくなるくらいの長文だな。っていうか、二回に分けて書けばよかった。
崩壊原因1、徳川家を滅ぼさなかった
説明するのもばかばかしいくらいに代表的な原因ですが、後に豊臣家を滅ぼして徳川幕府を開く徳川家こと徳川家康を秀吉の存命中に滅ぼさなかったことが最大の崩壊原因でしょう。秀吉と家康は小牧・長久手の戦いで一度戦っており、この時は徳川家が勝利を収めましたが仮に長期戦となれば動員兵力や兵糧の観点から言って秀吉が勝利していたと断言できます。それでも秀吉が家康との和睦を選んだのは当時はまだ九州や中国・四国地方はおろか、近畿地方ですら各地で抵抗勢力が活動を続けており土台が盤石でなかったことが影響しているのですが、これは逆を言えば天下統一後であれば余裕綽々で徳川家など葬り去ることが出来た証左です。
こういってはなんですが天下統一後にあっても徳川家は豊臣家にとって明らかに危険な存在だったとしか思えません。大阪を中心とした近畿地方を所領としていることから経済力では豊臣家に分があったものの、石高で言えば実は秀吉存命中から徳川家の方が上回っておりました。その上というか家康は若い頃から明らかに腹黒で何考えているかわからない節があり(おまけにスケベ)、いくら名声が高かったとはいえ謀反なりなんなり理由をでっちあげてでも秀吉は徳川家を滅ぼしておくべきだったでしょう。
この辺が秀吉の変に甘い所なのですが、意外と彼は性格的にやさしくて非情になりきれなかった節があります。前漢の劉邦は韓信や彭越、源頼朝は弟の義経や範頼、足利義満は山名氏や大内氏といった功臣を天下統一後に悉く誅殺している所、秀吉は伊達政宗に対してはプレッシャーをかけつつもその他の大名に対しては取り潰しらしい取潰しはほとんど実行していません。
さらには、天下取りにおいては活躍したものの治世下に置いて不要ともいえる加藤清正や福島正則といった武功派武将を切り、石田三成や片桐且元といった文治派武将への切り替えも中途半端で、両者の間で派閥争いを作り後の関ヶ原の要因を作るという大ポカもやらかしています。これは後に天下を取る徳川家とは好対照で、この辺が両家の行く末を分けたと言って過言でないでしょう。
崩壊原因2、親類縁者の致命的な不足
これも徳川家とは対照的な点なのですが、豊臣家においては大きな所領を持つ有力な一族が全くと言っていませんでした。皇族などはよく皇室の藩屏などと呼ばれることがありますが、欧州のハプスブルグ家然りで封建制において血のつながりというのは跡目争いの原因にもなるもののやはり強く、いざって時に譜代や外様の人間とは一線を画した行動が期待できます。それだけ重要なだけに徳川家などでは顕著ですが重要拠点を親族に治めさせることによって長い政権維持につなげましたが、豊臣家ではこうした有力な一族大名は全くと言っていいほどいません。
一体何故いなかったのかというと秀吉の出自によるところが大きく、農民出身であったことから第三親等くらいまでしか親族と認識できる一族はおらず、 また秀吉自身が子供をほとんど作れなかったという不幸な現実がありました。そんな秀吉の一族において唯一と言ってもいいほど頼りにすることが出来たのは秀吉の弟の豊臣秀長くらいで、彼は存命中からも高い人望を集めただけでなく兄譲りの高いオペレーション能力を発揮して当地の難しい紀伊地方(和歌山県)を大過なく治めていたことから有力な藩屏となり得たでしょう。しかし惜しいかな兄よりも早く若死にしており、仮に長生きできていれば中国の周王朝における周公旦の様な人物になっていたのかもしれません。
このほかには一応、正室の寧々の出身である浅野家から浅野長政というこちらもオペレーション能力の高く広島藩の藩祖となった武将がおり、彼なら藩屏としての役割も期待できたでしょうが秀吉の後継には寧々とは折り合いの悪かったとされる淀君の子である秀頼に決まり、私は浅野長政としてはこの点が豊臣家と距離を置く要因になったのではないかと少し思います。
その淀君(最初「淀気味」と変換された)もこういってはなんですが、いわば亡国の姫君で出身である浅井家が既に存在せず、息子の秀頼にとって後ろ盾になる外戚が存在しなかったというのも見逃せないポイントです。仮に淀君が豊臣政権下における有力大名家の出身、それこそ上杉家や前田家、毛利家の姫君であれば歴史は全然違ったでしょう。
崩壊原因3、豊臣秀次の粛清
上記の親類縁者の不足にも絡みますが、秀吉が一度は自分の後継者としてレールを敷いたものの秀頼が生まれたことから邪魔者となり、廃嫡した上に粛清までした豊臣秀次の運命もその後の豊臣家の行く末を決めた要因でしょう。豊臣秀次は秀吉の姉の息子で甥にあたるのですが、若い頃からそこそこ戦場でも活躍している人物で、世間で言われているほど決して無能ではなかったと私は評価しております。ちなみに彼は「殺生関白」と呼ばれるほどむやみに人を殺したりするなど乱行を繰り返していたことも粛清された要因と言われていますが、私はこの説に対しては疑問視しており、むしろ秀吉が粛清に正当性を持たせるために流した主張ではないかと見ています。
この秀次の粛清によって秀吉の後継者は秀頼となりましたが、仮に秀次を秀頼が成人するまでのつなぎに使っていればまた違ったでしょう、裏切る可能性はありますが。なおこの秀次の粛清については石田三成が秀吉に讒言をしたためという説がありますがこれは現在では否定されつつあります。豆知識が続きますが秀次は粛清前に追放され出家していたにもかかわらず切腹を申し渡されており、これは当時としても異例なほど厳しい処置だったそうです。なおかつ秀次の一族は女子供に関わらずほぼ全員処刑されていて、これも当人は処刑されても女子供は生かされるケースの多かった日本史上では珍しいことで、先ほどは秀吉のことを「非情になりきれなかった」と評したものの、この秀次事件に関しては異常なほどの残酷性を秀吉はみせています。
もっともというか、中国史では三国志の曹操を筆頭に「三族皆殺し」はしょっちゅうあることなので、中国史に慣れた私からするとこの秀次事件が特段残酷だったとは思えないほどこのところ感覚が麻痺してます。これはほかの面でも言えるけど、中国人と比べて日本人ってやっぱ変に優しいというか甘いところがある気がする。
崩壊原因5、譜代大名の保守化
上記三つまでの理由はあちこちでも説明されておりそれほど珍しいものではありませんがこの崩壊原因4は私オリジナルの説で、恐らく本邦はおろか全米初公開の意見でしょう。どこだっていいけどさ。
秀吉死後に行われた関ヶ原の合戦では加藤清正や福島正則、そして黒田長政といった豊臣家の譜代武将が悉く徳川家率いる東軍についておりますが、これは彼らが西軍の主導者となった石田三成に対する憎悪が主原因となっているものの、それと共に彼らが「如何に領地を切り取るか」という戦国の気風から「如何に藩を守るか」という保守的な思想に変わったことも大きいのではないかと思います。
幕藩体制というと江戸時代の制度のように思えますが、実際にこの制度を作ったのは豊臣政権で徳川幕府がこの制度を流用して定着させました。これ以外にも石高制や五人組など徳川幕府にも流用された制度は多く、そういう意味で豊臣家は前漢の布石となった秦みたいに思えるところがありますがそれは置いといて、関ヶ原の合戦時点で当時の大名らはそれぞれ領国を持って自身で切り盛りするようになっていました。自身で領国を切り盛りするという点は戦国時代でも同じですが決定的に違ったのは現状以上に領土が広がらないという点で、混乱や紛争の隙を見て隣国の領地を奪い取るという概念は関ヶ原の時点ではもはや通用しませんでした。
これがどういう意味を表すのかというと、当時の大名は領土を広げるというより領土を如何に守るかの方に頭が回っており、いわば損得概念が戦国時代とは大きく異なっていたのではないかと言いたいわけです。切り取り勝手の戦国時代では時には不利な状況でも主家に忠誠心をみせることによって戦後の報償に与かるという立ち回りも出来ましたが、関ヶ原の時点ではそういうハイリスクな行動は通用し辛く、むしろ如何に安定して国が保てるかという観点から徳川家についた譜代武将が多かったんじゃないかとこの前閃いたわけです。
翻って当時の状況を見ると、主家は確かに豊臣家であるものの当主の秀頼はまだ幼く、頼りがいのある安心感で言えば家康の方が圧倒的に上でした。そのため豊臣家に恩顧のある大名でも、心情的には西軍参加に傾きつつあっても抱えている家臣やその家族のことを考えると保守的に動かざるを得ず、寄らば大樹の陰とばかりに東軍についたのではないかと言いたいわけです。
こう考えるきっかけとしては豊臣秀長に見出され大名となった、戦国時代の竜騎士カインこと藤堂高虎で、彼は秀吉が死ぬや真っ先に徳川家への接近を図っております。加藤清正や福島正則などは三成憎しで東軍についたと判断できるもののこの藤堂高虎に関しては英語で言うなら「Nothing to do with 三成」というくらい縁がない人物です。「武士は七回くらい主君を変えねば武士とは言えぬ」というくらい利己的だった藤堂高虎は極端な例であるものの、彼ほど露骨でなくても保守的に自国領土を保つという保守的判断から東軍参加を決めた大名はほかにもいたのではないかと思え、如何に領土を奪い取るかという戦国の気風から安定した時代になって芽生えた大名の保守化も家康にとって有利な状況を作ったのではと考えた次第です。
さらっと書くつもりはなかったものの、我ながらえらい長文となってしまいました。故水野晴郎じゃないけど、「歴史ってほんといいもんですね」って言いたくなるくらいの長文だな。っていうか、二回に分けて書けばよかった。
2014年3月6日木曜日
英雄としての秀吉
現在放映中の大河ドラマ「軍師官兵衛」を放送時間に自宅にいる際は見ていますが、先週あたりから織田家や周辺諸国と黒田官兵衛が絡むシーンが増えてきて、序盤に比べて格段に面白さを感じるようになってきました。特に織田家とのシーンに出てくる秀吉が場面を盛り上げており、演じる竹中直人氏はかつての大河ドラマ「秀吉」で演じた同じ役が当たり役だっただけに当時の演技ぶりと重ねつつ楽しく見ています。そんなファンキーでモンキーな秀吉ですが実はここだけの話、日本史上で英雄と呼べる人物はこの豊臣秀吉くらいではないかと私は考えております。なんでそんな高評価をしているのか、さっきからやけに左腕がしびれるけど頑張って今日はその辺を書いてみようと思います。
秀吉がどんな人物であるかについては説明するのも野暮なくらいに一般的ですが、農民の出身でありながら織田信長の草履取りに始まり着々と出世してゆき、城持ち大名になったところにとどまらず最終的には天下を統一して関白職に就任した戦国一の出世頭と呼ばれることが多いように思えます。しかし彼を単に出世頭として形容するのはややもったいないように思え、というのも応仁の乱から日本全国で百年以上も続いた戦国時代を終結させたのはほかならぬこの秀吉で、政権こそ次代に引き継がれなかったものの豊臣政権で実施した石高の統一や五人組制度など、政策の多くは江戸時代でも採用され続けていることなどからも近代日本の礎を作った張本人と考えてもいいと思っております。
そうした業績以上に私が秀吉を高く評価している点として、彼自身が軍略家、施政家、説客としてどれも超一流の実力を持っていたにもかかわらず、各分野において自分以上の才能の持ち主を採用し、活用している点が挙がってきます。具体的には今期の黒田官兵衛や石田三成、小西行長などで、これら数多くの人材を見出して使いこなしていたというのは関白は伊達じゃないといったところでしょうか。
私が何でこの点を大きく取り上げるのかというと、歴史上で一芸に秀でているというか非常に高い才能の持ち主というのは概して自分以上の才能の持ち主に対してあまりいい感情を持たず、その才能を認めようとしないところがあるように思うからです。それこそ中国の劉邦や劉備は確かに数多くの名将名軍師を活用しておりますが、二人とも外っ面がいいだけで自分らはそれほど戦争が上手かったり、知略に優れていたというわけではありません。もちろん両者ともに大人物であることに変わりはありませんが。
それに対して秀吉ですが、彼は間違いなくハイレベルでの軍略を理解していた上に初めて持った所領の長浜を大きく発展させただけでなく、若い頃は竹中半兵衛や美濃三人衆の調略に成功して浅井家との交渉を担当するなど外交手腕も半端なものではありません。にもかかわらず自分以上の才能の持ち主を獲得するとその才能に一任するというか、適材適所に仕事を任せて着実に成果を上げ続けました。
秀吉の主君である織田信長も自身で非常に高い才能を発揮していた上、秀吉を初め明智光秀や滝川一益などどこぞの馬の骨ともわからない人物らでも才能ありと見るや大抜擢させて活躍させている点は同じですが、抜擢した部下の裏切りがあったかどうか秀吉とは大きく異なります。今回この記事を準備するため帰りのバス(乗車時間13分)で記憶をめぐらしましたが、改めて考えてみると秀吉を裏切った武将というのはほとんど見当たらないというか、少なくとも知名度のある大身の人物に限れば全くいないと言っても過言ではないでしょう。むしろ秀吉のために主君を裏切った人物は数知れず、徳川家の石川数正や柴田勝家陣営にいた前田利家など、「人たらし」の異名通りに悉く寝返らせ続けました。
さらに秀吉本人もその気があったというべきか、三国志の曹操同様にやや人材の引き抜きマニアと思える節もあります。具体名を挙げると上杉景勝配下の直江兼続で、その才能を高く評価した秀吉は直属の配下にしようとあれやこれやと誘いをかけ続けたと言われています。
話は戻りますが、自らも超一流でありながら多才な人物を採用したというこの点こそほかならぬ英雄の条件だと私は考えます。英雄というと一般的には古代ローマのカエサルやフランスのナポレオンなどが挙がってくるでしょうが、両者ともに非凡な才能を持ちながらも配下には負けず劣らず個性が強くて優秀な幕僚を取り揃えていました。ただナポレオンに関しては、自分以上とも覚えるほど優秀過ぎる部下(ダブーとか)に対して後年になって意見を聞かなかったり、回想録で辛辣ともいえる評価を述べるなど嫉妬に似た感情を見せており、超一流でありながら他人の才能を認めるということがどれだけ難しいかを感じさせる好例にもなっています。
こうした点を考慮するにつけ、決して低くない評価であるものの秀吉に対してはさらに高い評価をしても良いのではないかとこの頃思えm特に賤ヶ岳の合戦前後は神憑り的な勘や行動力を見せており、総合的に見るなら日本史上で最も才高い人物の一人と見てもいい気がします。不足している点といったらあだ名にもされた猿顔という品のよろしくない外見くらいですが、私は仮に外見までパーフェクトだったら人物的に面白さが落ちていたと思うだけにこれをマイナスポイントとしてみるのはどうかなとすら考える次第です。
それだけにというべきか、晩年の判断ミス連発は誠に惜しいというよりほかありません。というわけで次回は一体何故豊臣政権は崩壊することとなったのかその原因についてあまり活発に議論されていない気がするので、自分なりにまとめた論点を書いてこうと思います。久々だなぁこういう力入れる歴史記事。
秀吉がどんな人物であるかについては説明するのも野暮なくらいに一般的ですが、農民の出身でありながら織田信長の草履取りに始まり着々と出世してゆき、城持ち大名になったところにとどまらず最終的には天下を統一して関白職に就任した戦国一の出世頭と呼ばれることが多いように思えます。しかし彼を単に出世頭として形容するのはややもったいないように思え、というのも応仁の乱から日本全国で百年以上も続いた戦国時代を終結させたのはほかならぬこの秀吉で、政権こそ次代に引き継がれなかったものの豊臣政権で実施した石高の統一や五人組制度など、政策の多くは江戸時代でも採用され続けていることなどからも近代日本の礎を作った張本人と考えてもいいと思っております。
そうした業績以上に私が秀吉を高く評価している点として、彼自身が軍略家、施政家、説客としてどれも超一流の実力を持っていたにもかかわらず、各分野において自分以上の才能の持ち主を採用し、活用している点が挙がってきます。具体的には今期の黒田官兵衛や石田三成、小西行長などで、これら数多くの人材を見出して使いこなしていたというのは関白は伊達じゃないといったところでしょうか。
私が何でこの点を大きく取り上げるのかというと、歴史上で一芸に秀でているというか非常に高い才能の持ち主というのは概して自分以上の才能の持ち主に対してあまりいい感情を持たず、その才能を認めようとしないところがあるように思うからです。それこそ中国の劉邦や劉備は確かに数多くの名将名軍師を活用しておりますが、二人とも外っ面がいいだけで自分らはそれほど戦争が上手かったり、知略に優れていたというわけではありません。もちろん両者ともに大人物であることに変わりはありませんが。
それに対して秀吉ですが、彼は間違いなくハイレベルでの軍略を理解していた上に初めて持った所領の長浜を大きく発展させただけでなく、若い頃は竹中半兵衛や美濃三人衆の調略に成功して浅井家との交渉を担当するなど外交手腕も半端なものではありません。にもかかわらず自分以上の才能の持ち主を獲得するとその才能に一任するというか、適材適所に仕事を任せて着実に成果を上げ続けました。
秀吉の主君である織田信長も自身で非常に高い才能を発揮していた上、秀吉を初め明智光秀や滝川一益などどこぞの馬の骨ともわからない人物らでも才能ありと見るや大抜擢させて活躍させている点は同じですが、抜擢した部下の裏切りがあったかどうか秀吉とは大きく異なります。今回この記事を準備するため帰りのバス(乗車時間13分)で記憶をめぐらしましたが、改めて考えてみると秀吉を裏切った武将というのはほとんど見当たらないというか、少なくとも知名度のある大身の人物に限れば全くいないと言っても過言ではないでしょう。むしろ秀吉のために主君を裏切った人物は数知れず、徳川家の石川数正や柴田勝家陣営にいた前田利家など、「人たらし」の異名通りに悉く寝返らせ続けました。
さらに秀吉本人もその気があったというべきか、三国志の曹操同様にやや人材の引き抜きマニアと思える節もあります。具体名を挙げると上杉景勝配下の直江兼続で、その才能を高く評価した秀吉は直属の配下にしようとあれやこれやと誘いをかけ続けたと言われています。
話は戻りますが、自らも超一流でありながら多才な人物を採用したというこの点こそほかならぬ英雄の条件だと私は考えます。英雄というと一般的には古代ローマのカエサルやフランスのナポレオンなどが挙がってくるでしょうが、両者ともに非凡な才能を持ちながらも配下には負けず劣らず個性が強くて優秀な幕僚を取り揃えていました。ただナポレオンに関しては、自分以上とも覚えるほど優秀過ぎる部下(ダブーとか)に対して後年になって意見を聞かなかったり、回想録で辛辣ともいえる評価を述べるなど嫉妬に似た感情を見せており、超一流でありながら他人の才能を認めるということがどれだけ難しいかを感じさせる好例にもなっています。
こうした点を考慮するにつけ、決して低くない評価であるものの秀吉に対してはさらに高い評価をしても良いのではないかとこの頃思えm特に賤ヶ岳の合戦前後は神憑り的な勘や行動力を見せており、総合的に見るなら日本史上で最も才高い人物の一人と見てもいい気がします。不足している点といったらあだ名にもされた猿顔という品のよろしくない外見くらいですが、私は仮に外見までパーフェクトだったら人物的に面白さが落ちていたと思うだけにこれをマイナスポイントとしてみるのはどうかなとすら考える次第です。
それだけにというべきか、晩年の判断ミス連発は誠に惜しいというよりほかありません。というわけで次回は一体何故豊臣政権は崩壊することとなったのかその原因についてあまり活発に議論されていない気がするので、自分なりにまとめた論点を書いてこうと思います。久々だなぁこういう力入れる歴史記事。
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