いろいろと不審に思っていた方もいるかと思いますが、実に一週間ぶりにこのブログを更新します。
以前に私はこのブログで、「このブログはほぼ毎日更新でしかも毎日長文を書いているだけに何の予告もなしに一週間くらい更新が無かったらみんな不気味に思うんじゃないかな」と書いたことありますが、今回がまさにそのような休載となってしまい、こういってはなんですが書く側の自分ですら不気味に感じました。実際に何人かの読者の方から「どうしちゃったの?(;゚Д゚)」と心配の声をかけていただき、なんか申し訳ないなと思うのと同時にいい読者に囲まれていることを再確認しました。
今回更新が空いた理由はごく単純に疲労からで、先週、というよりそれ以前からあまり調子が良くなく、更新が止まった先週金曜の夜から急激に持ち崩しました。その先週の金曜日に私は既に記事にもしてますが、朝方は元気で昼には友人と一緒に池袋にある文革レストランに行ってきたほどなのですが、多分三連休に入って緊張感がすっと抜けたせいもあるでしょうが、夕方からだるくて動けなくなり、よく日曜日も家からほとんど出ず漫画喫茶にだけしか外出しませんでしたがそれでも体調はあまり復調しませんでした。でもって体力が戻らないだけでなく精神的にも常にイライラしていて、敢えて芸能人にたとえると常に沢尻エリカ氏(失礼な気もするが)みたいな具合で、言葉遣いとかもやけに荒くなってました。そして今のような感じに文章も歯切れ悪く、全部「でした」などの「た止め」が続いたりとか……。
特に致命的だったのは日曜日で、出来るだけ長く寝ていたかったのに人が来るから朝早くに起きて対応し、しょうがないから寝れなかった分を昼寝で補填しようと別れてから昼寝に入ったらその人物から本当にくだらない理由で電話かけられ起こされて、おまけに来るなと言ってるのに家にまで来られて、これで本当に立ち直り効かないくらいに気力も体力も悪化しました。次の月曜日の出勤なんか文字通り死にそうな顔で(「死ね、死ね……」って呟きながらドアオープンだった)家を出て行きましたが、なんか職場でも「疲れてない?」ってよく聞かれました。ああ、「た止め」が終わらない……。
そんな理由もあって意識的に休もうとしたというより、このところは素直に疲労でブログが書けなかったというのが真情で、しばらくブログを休むという告知記事すら書く気が起きませんでした。このブログで同時進行で進めている「企業居点」というサイトの構築作業も完全ストップで休むことに集中しましたが、今週は水曜日に部内の飲み会、昨日の木曜日は今年医学部に受かった友人と二人で牛角パーティをやるなどこういう時にとばかりにイベントが目白押しでした。いやどっちも楽しかったけどさ。
しかしブログ更新を完全にサボった甲斐もあってやや持ち直したのと、明日土曜日は出勤日ですが思い切って有給を取得して休むことにしたので、今日久々の更新と相成りました。
ここで自分の苦労自慢からやや話の方向を変えますが、今回ブログの更新をサボってみていくつか気づいたことがあります。一つは先ほどにも書いた通りにわざわざ心配してくれる読者がいることで、もう一つはやはり更新が途絶えると心配されるほど普段の更新量が異常だということ、そして三つ目に、自分がこのブログに相当な時間をかけていることです。三つ目に関してもう少し続けると、ブログを敢えて書かないで少し過ごしてみたら自分でも驚くほど一日の時間が余りました。それこそ睡眠時間もとれるし、ゲームをする時間、読書をする時間も余裕があり、言っちゃなんですがかなり楽でした。
たまに自分でもなんでこんなに毎日記事を書くんだと、「誰のため?なんのため?5W1H?」っていう歌詞でラップが歌えるんじゃないかと思う時もあったのですが、実際に書かなくなってみるとかなり自由な時間が持てて、たまっているゲームもみんな片づけられるしまだ納得いっていない科目の勉強も出来そうで、どれだけの時間と労力、熱意をこのブログにかけているんだと我ながら少し呆れました。ちなみにこのブログの記事は一本当たり大体一時間弱をかけており、記事によっては事前に勉強したり資料を整理するので平均すると大体一時間強になると計算してます。仮にこの計算だと、私は年間で400時間くらいこのブログに費やしていることとなります。もしこの400時間を別の方面に使えば……。なんて考えもよぎらなくもありません。
しかし、それでもやっぱり私はブログを書き続けなければならない人間でしょう。先程にも書いた通りにこの一週間は一日の時間が余ったりしましたが、この余った時間は正直に言って何をすればいいのかわかりませんでした。それだけこのブログの執筆が習慣になっているのと同時に、私個人の考えとしても折角自分が蓄えた知識や視点を世に出さないのは惜しいという気持ちが強かったです。
このブログは自分の知識と文章力をひけらかしてちやほやされたいという下心もありますが、それ以上に自分の持っている知識を求めている人がいるなら、役に立つのなら出来るだけわかりやすく解説して届けたいという妙なボランティア精神で成り立っています。ブログを始めて間もない記事にも書いていますが究極的にこのブログは私が大学一回生の頃に、「こんなのあったらいいな(*´∀`)」と思ったものを具現化させたものです。現時点でそこそこ手ごたえも掴んでいるしいい読者にも囲まれているという点である程度この目標は達成できている気がします。
あと、ちょっと本筋からずれますがこのところ意識している作家として松本清張と山田風太郎がおります。どちらも小説家として名を成した人物ですが、松本清張は生前、後進の育成は全くせず新人賞のパーティも嫌々そうに出ていたそうなのですが、同時代の作家によると松本清張はまだ形にしていないアイデアをたくさん抱えていて後進の育成とかやる暇あったら原稿を書いていたいというような人物だったためとされています。次に山田風太郎ですが、彼は戦前から日記を書いていてその時期ごとの事件について彼の視点で鋭い寸評が書かれてあり、当時の状況を知る一つの資料となり得ています。
自分が何を言いたいのか詳述はしませんが、自分の一つの理想は具現化したのだから、これ以前からも意識はしていましたがそろそろまた別の概念を以ってこのブログを続けてこうかと考えてるわけです。そんなわけで明日からまた普段のペースで更新していきます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2014年3月28日金曜日
2014年3月21日金曜日
直近一ヶ月間で閲覧数の多いページ
最近になって友人からGoogle Analiticsで閲覧数の多いページのタイトルを表示して順位を見られることを初めて教えてもらい、密かに見ていて楽しんでいます。というのもこれまで閲覧数の多いページはアドレスでしか表示されないと思い込んでおり、検索ワードとかなら以前から見ていましたがページタイトル別ではこれまで把握しておらず、どういう傾向があるのか測りかねていたからです。
そこで折角なので、多分興味を持っている人も多いかと思うので今日は直近一か月間における上位50位くらいまでの閲覧数が多いページを一覧にして初公開します。早速ですが以下がその順位と閲覧数です。
<解説>
まず一位は普通にトップページが着ましたが、2位の「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」に関しては時期的要素が強いです。というのもこの記事は地下鉄サリン事件が起きた日である昨日にアクセス数が急増した記事で、事件を振り返る方が大量に訪れたことが原因でしょう。3位の「足利事件の真犯人について」も同じような要素を含んでおり、この記事で紹介している清水潔記者がまさにこの内容で近日新たに本を出されたとのことで、それに付随して閲覧数が増えたのでしょう。
もっとも地下鉄サリン事件の記事に関しては事件全体ではなく医療現場の状況に限定してスポットを当てており、 なおかつ短いテキスト量で割とよくまとめられたという自負があります。この記事を嚆矢として、今後もこの事件に関してはいい記事をかけられたらとも内心考えてます。
上記を踏まえ、そうなると外部的要素なしに一番人気の記事は4位の「漫画レビュー『実は私は』」 ということになってしまいます。6位の「漫画レビュー『シドニアの騎士』」にも言えますが、こういうサブカル関連の記事は検索されやすく地味にアクセスが稼ぎやすいです。特に「実は私は」に関してはまだマイナーさの残る漫画作品でレビューも少なく、このタイトルで検索かけるとレビュー記事として一番上に自分の記事が出た時は本気で焦りました。
このほか際立っているタイトルとしては、やはり7位の「奈良ドリームランドを偲ぶ」でしょう。この記事自体は割と自己満足というかこんなん書いたってそんな反応はないだろうと思っていたら意外や意外にコンスタントに閲覧数が現在に至るまで伸び続けており、地味にこのブログのキラーコンテンツとなり得ました。うちの親戚を始めドリームランドを懐かしい世代が大量にいたのだなと再認識させられるとともに、ある意味でそういった世代にいい記事を提供できたのかなと割と満足しています。
あと今回この順位を見て思ったのは、ブログ開設当初にアクセスゲッターだった「猛将列伝 ~宮崎繁三郎~」の記事を始め、歴史系記事がだいぶ落ちてきたなという感があります。歴史記事は社会ものと比べて時期に関係なくアクセスが来るのでブログ開設当初は意識的に多く書いておりましたが、最近だと自分でも自覚するくらい書く機会も減っており、それらが影響しているのかもしれません。
最後に全体の特徴として述べると、本当に同じ一人の人間が書いているとは思えないほど記事内容がばらけている、と我ながら思います。漫画のレビューを書いているかと思ったらウクライナ情勢とか中国事情、スピリチュアル体験なども書いてあり、その一方で房総半島に自転車乗った話とか日本人の家族関係に関する考察も書いてあって、見る人が見たら複数人で書いているブログではと思うのが自然な気がします。もっとも私の文章は特徴がはっきりしているから途中でやはり一人が書いているとしか思えなくなるでしょうが。
最後にこの中で自身が気に入っている記事をいくつかピックアップしておきます。ほかのはともかく最後のは書いた時期が新しいのと、記憶が鮮明というか生々しいことが影響してます。
・地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡
・上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る
・楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)
そこで折角なので、多分興味を持っている人も多いかと思うので今日は直近一か月間における上位50位くらいまでの閲覧数が多いページを一覧にして初公開します。早速ですが以下がその順位と閲覧数です。
| 1 | トップページ | 2391 |
| 2 | 地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡 | 609 |
| 3 | 足利事件の真犯人について | 473 |
| 4 | 漫画レビュー「実は私は」 | 398 |
| 5 | ホンダ・フィットHVのリコール多発について | 349 |
| 6 | 漫画レビュー「シドニアの騎士」 | 340 |
| 7 | 奈良ドリームランドを偲ぶ | 296 |
| 8 | 近年の漫画雑誌印刷部数の推移 | 198 |
| 9 | HSK5級、6級の試験対策 | 190 |
| 10 | 平成史考察~玄倉川水難事故(1999年) | 187 |
| 11 | ヒトラーが溺愛した姪 | 157 |
| 12 | 自販機業界の便乗値上げについて(#゚Д゚) プンスコ! | 152 |
| 13 | 石川啄木と金田一京助 | 143 |
| 14 | スピリチュアル体験録 | 140 |
| 15 | 猛将列伝~今村均~ | 137 |
| 16 | 中国人の好きな男性のタイプ | 132 |
| 17 | 中川元財務相の泥酔会見の裏側 | 130 |
| 18 | ソチ五輪の報道を見て感じること | 118 |
| 19 | 中小企業は本当に人手不足なのか | 116 |
| 20 | 猛将列伝 ~宮崎繁三郎~ | 112 |
| 21 | 埼玉県三郷市、千葉県松戸市通り魔事件の犯人逮捕を受けて | 97 |
| 22 | 理研の会見、そしてSTAP細胞捏造疑惑について | 94 |
| 23 | PM2.5を排出しているのは誰か | 87 |
| 24 | 「シドニアの騎士」の11巻について | 86 |
| 25 | 漫画レビュー「レッド」 | 83 |
| 26 | さようならOpera | 76 |
| 27 | 三菱地所の欠陥マンション事件について | 75 |
| 28 | 素顔同盟の思い出 | 74 |
| 29 | ウクライナを巡る国際情勢 | 72 |
| 30 | ソニータイマーの真実 | 72 |
| 31 | こんなに上がった漫画の価格 | 69 |
| 32 | 水木しげる伝説 | 69 |
| 33 | スズキの会長の鈴木修について | 68 |
| 34 | 豊臣政権が崩壊した原因とは | 68 |
| 35 | 「極黒のブリュンヒルデ」のアニメ化について | 67 |
| 36 | 平成史考察~磯野カツオの声優交替(1998年) | 66 |
| 37 | このブログのアフィリエイト収入額 | 63 |
| 38 | 疲労のためしばらくお休み(ヽ´ω`) | 63 |
| 39 | 猛将列伝~木村昌福~ | 62 |
| 40 | 暗殺者列伝~山口二矢 | 58 |
| 41 | 房総半島自転車一周地獄の旅 | 58 |
| 42 | 漫画レビュー:怨み屋本舗シリーズ | 58 |
| 43 | 最近なくなったコールドスリープの話 | 57 |
| 44 | 本当に強い剣客は誰なのか? | 57 |
| 45 | このところの朝日新聞のスクープ連発について | 55 |
| 46 | 湾岸戦争直前における人質事件 | 52 |
| 47 | 高齢者層は本当に金融資産を蓄えているのか? | 50 |
| 48 | 犯罪者の家族への社会的制裁について | 50 |
| 49 | パソコン本体価格の高騰(;´Д`) | 49 |
| 50 | 上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る | 49 |
| 51 | 中華料理の名前とその意味たち | 49 |
| 52 | 家族関係が異常に希薄な日本民族 | 48 |
| 53 | 楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`) | 47 |
<解説>
まず一位は普通にトップページが着ましたが、2位の「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」に関しては時期的要素が強いです。というのもこの記事は地下鉄サリン事件が起きた日である昨日にアクセス数が急増した記事で、事件を振り返る方が大量に訪れたことが原因でしょう。3位の「足利事件の真犯人について」も同じような要素を含んでおり、この記事で紹介している清水潔記者がまさにこの内容で近日新たに本を出されたとのことで、それに付随して閲覧数が増えたのでしょう。
もっとも地下鉄サリン事件の記事に関しては事件全体ではなく医療現場の状況に限定してスポットを当てており、 なおかつ短いテキスト量で割とよくまとめられたという自負があります。この記事を嚆矢として、今後もこの事件に関してはいい記事をかけられたらとも内心考えてます。
上記を踏まえ、そうなると外部的要素なしに一番人気の記事は4位の「漫画レビュー『実は私は』」 ということになってしまいます。6位の「漫画レビュー『シドニアの騎士』」にも言えますが、こういうサブカル関連の記事は検索されやすく地味にアクセスが稼ぎやすいです。特に「実は私は」に関してはまだマイナーさの残る漫画作品でレビューも少なく、このタイトルで検索かけるとレビュー記事として一番上に自分の記事が出た時は本気で焦りました。
このほか際立っているタイトルとしては、やはり7位の「奈良ドリームランドを偲ぶ」でしょう。この記事自体は割と自己満足というかこんなん書いたってそんな反応はないだろうと思っていたら意外や意外にコンスタントに閲覧数が現在に至るまで伸び続けており、地味にこのブログのキラーコンテンツとなり得ました。うちの親戚を始めドリームランドを懐かしい世代が大量にいたのだなと再認識させられるとともに、ある意味でそういった世代にいい記事を提供できたのかなと割と満足しています。
あと今回この順位を見て思ったのは、ブログ開設当初にアクセスゲッターだった「猛将列伝 ~宮崎繁三郎~」の記事を始め、歴史系記事がだいぶ落ちてきたなという感があります。歴史記事は社会ものと比べて時期に関係なくアクセスが来るのでブログ開設当初は意識的に多く書いておりましたが、最近だと自分でも自覚するくらい書く機会も減っており、それらが影響しているのかもしれません。
最後に全体の特徴として述べると、本当に同じ一人の人間が書いているとは思えないほど記事内容がばらけている、と我ながら思います。漫画のレビューを書いているかと思ったらウクライナ情勢とか中国事情、スピリチュアル体験なども書いてあり、その一方で房総半島に自転車乗った話とか日本人の家族関係に関する考察も書いてあって、見る人が見たら複数人で書いているブログではと思うのが自然な気がします。もっとも私の文章は特徴がはっきりしているから途中でやはり一人が書いているとしか思えなくなるでしょうが。
最後にこの中で自身が気に入っている記事をいくつかピックアップしておきます。ほかのはともかく最後のは書いた時期が新しいのと、記憶が鮮明というか生々しいことが影響してます。
・地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡
・上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る
・楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)
琴欧州の引退について(ノД`)・゚・。
本日、前から興味があったので池袋にある「東方紅」という文革レストランに友人と一緒に行ってきました。このお店はリンク先のぐるナビの店舗内写真の通り、文化大革命期の中国をイメージした内装となっており何故か24時間営業です。私と友人はランチとしてお昼に赴いたのですが店内は自分たち以外客はおらず、出て行くまで他に人は入ってこない貸切状態でいい気分でした。
ウェイトレスはちゃんと緑色の人民服を着ていて、ランチメニューは宮爆鶏丁や木須肉など一般的な中国の家庭料理が並んでおり、中華料理らしく料理量が多くて夜になっても私はお腹がほとんど減りませんでした。店員は全員中国人のようで(恐らく常連客も)、最初は日本語で我々に対応してくれましたが私が中国語でオーダー取ってからは中国語に切り替えてくる有能ぶり。料理はおいしく量も多く、ランチメニューの価格は500~800円とお得なので割とお勧めです。ただ今回残念だったのは、羊肉の串焼きがメニューには入っているもの材料がなく食べられなかったことです。また今度食べに行こう。
・琴欧洲「体ボロボロ」涙の引退!悔いなし大関在位47場所(スポーツ報知)
話は本題に入りますが、昨日大相撲の琴欧洲関(本名:安藤カロヤン)が引退することを発表しました。琴欧洲関に関して説明は不要でしょうが、欧州出身の力士としては初めて、しかも19場所という史上最速で大関に昇進し、2メートル超の長身を生かした懐の深い特徴的な相撲で観客を沸かせてきました。私はこの琴欧洲関が上位に昇進して来た頃にちょうど相撲を見始めたこともあり、今回の引退発表にはこみ上げ来るものがあります。実際、昨日のテレビ放送を見て本気で泣いてました(ノД`)
琴欧洲関といったらやはりその長身が最大の特徴でもあり武器で、全盛期であれば四つに組んで後ろ回しを掴めたら反射神経が尋常でなかったあの元朝青竜関ですらねじ伏せるほどの地力を持ち合わせていました。ただそのかわりに長身というか足が長すぎるせいもあってどうしても重心が高くなりがちで突き相撲には弱く、自身も突出しなどの手がどうしても腰が入らず終生弱点として付きまとっておりました。
とはいえ実力は高く、なんだかんだ言いながら長期間に渡って大関の地位を保っていたというのは立派な力士の証です。優勝こそ一回しかなかったものの、これは同世代に多くのライバルに恵まれた、というより白鵬関という不世出と言ってもいいほど異常に調子が安定した横綱が立ちふさがったことも大きいのではないかと私は考えます。
そんな琴欧洲関に対してですがここだけの話、ちょっとNHKの解説は酷かったなぁとつくづく思います。琴欧洲関は先ほども書いたように長きにわたって大関の地位を守りましたが二桁勝利することは少なく、九勝六敗くらいで場所を終えることが非常に多い力士でした。この点についてNHK解説は大関なんだから優勝争いに絡むことはもとより、最低でも二桁勝利(十勝以上)をしなければと度々苦言を呈しておりました。言ってることはもっともだし、琴欧洲関へ期待を込めての発言だと思うのですが、同時期に同じ大関の元魁皇関が毎回八勝七敗という奇跡的な勝ち越しターンを一年にもわたって続けていたことに関してはスルーしてたことを見るにつけ、外国人と日本人でなんだこの温度差はと内心いい気分しませんでした。まぁ誰かとは書かないけどさ。
話は引退の件に戻りますが、会見にて「相撲をやれてよかった」と話した上で、「白鵬関と相撲を取れたことが幸せだった」という発言をしている最中に琴欧洲関は涙を流しましたが、自分もこの時に一気にブワーって涙してました。記事にも書かれている通りこのところは大型力士の宿命とも言えますが怪我も多く、見ていて苦しそうなのがはっきりわかるのに大関から陥落しても相撲を取り続けていた姿には深く感銘を覚えていました。また彼がここまで頑張ってくれたことから同時期の黒海関、把瑠都関といった他の欧州出身力士も続き、現役のエジプト出身である大砂嵐関も続けたのだと思えます。、
大相撲の外国出身者の参加は私見だと、「ハワイ→モンゴル→東欧→アフリカ」と徐々に広がっており、モンゴル勢に続く流れを作ったという意味では琴欧洲関の功績は非常に高かったと言えるでしょう。相撲というのはルールが非常にシンプルであるだけでなく力士の体が大きいだけに初見でもどの国、どの文化の人間でも楽しむことが出来るスポーツです。それだけに私は忍者と並んで日本が世界に放つキラーコンテンツにしたいと前から考えており、そのためには外国出身の力士をもっと増やしていくべきだと考えています。そのような観点から、琴欧洲関は今後も親方として後進の指導に当たるとのことですが、是非ともその経験を活かして新たなニューカマーの育成を担ってくれればと思うのと同時に、これまで本当にご苦労でしたとこの場で以って伝えさせてもらいます。
おまけ
今日「東方紅」で友人とこの話をしている際、大相撲協会はこのところ問題を起こしているから外部の元プロスポーツ出身者、具体的にはプロ野球の桑田氏などを招いてもっと改革を進めたらいいんじゃないかという話題になったのですが、
「サッカーだったら誰かいるかな?」
「ザッケローニとか呼んでみろよ。あの人歯に衣着せぬ人だからすごいことになるぞ」
なんて話してました。ってかわざわざ休日に中華料理食うのに付き合ってくれてマジありがと。今日買ったPSVitaはまだ開封してない。
ウェイトレスはちゃんと緑色の人民服を着ていて、ランチメニューは宮爆鶏丁や木須肉など一般的な中国の家庭料理が並んでおり、中華料理らしく料理量が多くて夜になっても私はお腹がほとんど減りませんでした。店員は全員中国人のようで(恐らく常連客も)、最初は日本語で我々に対応してくれましたが私が中国語でオーダー取ってからは中国語に切り替えてくる有能ぶり。料理はおいしく量も多く、ランチメニューの価格は500~800円とお得なので割とお勧めです。ただ今回残念だったのは、羊肉の串焼きがメニューには入っているもの材料がなく食べられなかったことです。また今度食べに行こう。
・琴欧洲「体ボロボロ」涙の引退!悔いなし大関在位47場所(スポーツ報知)
話は本題に入りますが、昨日大相撲の琴欧洲関(本名:安藤カロヤン)が引退することを発表しました。琴欧洲関に関して説明は不要でしょうが、欧州出身の力士としては初めて、しかも19場所という史上最速で大関に昇進し、2メートル超の長身を生かした懐の深い特徴的な相撲で観客を沸かせてきました。私はこの琴欧洲関が上位に昇進して来た頃にちょうど相撲を見始めたこともあり、今回の引退発表にはこみ上げ来るものがあります。実際、昨日のテレビ放送を見て本気で泣いてました(ノД`)
琴欧洲関といったらやはりその長身が最大の特徴でもあり武器で、全盛期であれば四つに組んで後ろ回しを掴めたら反射神経が尋常でなかったあの元朝青竜関ですらねじ伏せるほどの地力を持ち合わせていました。ただそのかわりに長身というか足が長すぎるせいもあってどうしても重心が高くなりがちで突き相撲には弱く、自身も突出しなどの手がどうしても腰が入らず終生弱点として付きまとっておりました。
とはいえ実力は高く、なんだかんだ言いながら長期間に渡って大関の地位を保っていたというのは立派な力士の証です。優勝こそ一回しかなかったものの、これは同世代に多くのライバルに恵まれた、というより白鵬関という不世出と言ってもいいほど異常に調子が安定した横綱が立ちふさがったことも大きいのではないかと私は考えます。
そんな琴欧洲関に対してですがここだけの話、ちょっとNHKの解説は酷かったなぁとつくづく思います。琴欧洲関は先ほども書いたように長きにわたって大関の地位を守りましたが二桁勝利することは少なく、九勝六敗くらいで場所を終えることが非常に多い力士でした。この点についてNHK解説は大関なんだから優勝争いに絡むことはもとより、最低でも二桁勝利(十勝以上)をしなければと度々苦言を呈しておりました。言ってることはもっともだし、琴欧洲関へ期待を込めての発言だと思うのですが、同時期に同じ大関の元魁皇関が毎回八勝七敗という奇跡的な勝ち越しターンを一年にもわたって続けていたことに関してはスルーしてたことを見るにつけ、外国人と日本人でなんだこの温度差はと内心いい気分しませんでした。まぁ誰かとは書かないけどさ。
話は引退の件に戻りますが、会見にて「相撲をやれてよかった」と話した上で、「白鵬関と相撲を取れたことが幸せだった」という発言をしている最中に琴欧洲関は涙を流しましたが、自分もこの時に一気にブワーって涙してました。記事にも書かれている通りこのところは大型力士の宿命とも言えますが怪我も多く、見ていて苦しそうなのがはっきりわかるのに大関から陥落しても相撲を取り続けていた姿には深く感銘を覚えていました。また彼がここまで頑張ってくれたことから同時期の黒海関、把瑠都関といった他の欧州出身力士も続き、現役のエジプト出身である大砂嵐関も続けたのだと思えます。、
大相撲の外国出身者の参加は私見だと、「ハワイ→モンゴル→東欧→アフリカ」と徐々に広がっており、モンゴル勢に続く流れを作ったという意味では琴欧洲関の功績は非常に高かったと言えるでしょう。相撲というのはルールが非常にシンプルであるだけでなく力士の体が大きいだけに初見でもどの国、どの文化の人間でも楽しむことが出来るスポーツです。それだけに私は忍者と並んで日本が世界に放つキラーコンテンツにしたいと前から考えており、そのためには外国出身の力士をもっと増やしていくべきだと考えています。そのような観点から、琴欧洲関は今後も親方として後進の指導に当たるとのことですが、是非ともその経験を活かして新たなニューカマーの育成を担ってくれればと思うのと同時に、これまで本当にご苦労でしたとこの場で以って伝えさせてもらいます。
おまけ
今日「東方紅」で友人とこの話をしている際、大相撲協会はこのところ問題を起こしているから外部の元プロスポーツ出身者、具体的にはプロ野球の桑田氏などを招いてもっと改革を進めたらいいんじゃないかという話題になったのですが、
「サッカーだったら誰かいるかな?」
「ザッケローニとか呼んでみろよ。あの人歯に衣着せぬ人だからすごいことになるぞ」
なんて話してました。ってかわざわざ休日に中華料理食うのに付き合ってくれてマジありがと。今日買ったPSVitaはまだ開封してない。
2014年3月19日水曜日
卒論に関する議論あれこれ
先日にもこのブログに取り上げたSTAP細胞を巡る問題ですが、変に飛び火して早稲田の大学院に関してもあれこれ議論が起こっているようです。
・小保方さん論文コピペ問題 「早稲田の理系はコピペで成り立っている」はてな匿名ダイアリーの記事が話題に(ガジェット通信)
上記は昔私も一回だけお世話になったガジェット通信さんの記事ですが、この記事によると早稲田大学大学院出身の小保方氏がSTAP細胞を発表した論文だけでなく、大学院の博士論文でも大量にコピペしていた形跡があったことについて、ネット上で早稲田出身者と語る人間が「早稲田でコピペは日常茶飯事」と語っているとのことです。何故コピペをするのかというと早稲田の履行では実験などで忙しく論文を書く暇もないため、学生はおろか教授陣の間でもこうした行為が蔓延しているなどと、真偽はともかく書かれています。
私はこの話を友人から聞き、どちらかというとその友人は学生の置かれている忙しい環境に問題があるせいでコピペもやむなしみたいな状況じゃないかという感じで話してくれましたが、その場ではあまり強く言わなかったものの、どんな理由があろうとコピペというか剽窃が許されるわけがないと私は思います。
一言で決着付けようとするならば、仮に剽窃がまかり通るというのなら「引用」という手段が全くいらなくなります。引用なら引用と堂々と断ればいいのだし、他人の文章をさも自分が書いたように書くという行為は底意地が悪い上に非常に卑怯な行為だと私は思うゆえ、忙しいとかそういう事はまったく理由にならず小保方氏を初め剽窃をやった学生なり教授なりは相応の報いを受けるべきでしょう。第一、学問に携わる身でありながらそんな行為をして恥ずかしいと思わない時点で人間としてどうかと思いますが。
と、のっけからかなりかっこいいことを書くなぁなんて我ながら思いますが、論文というか卒論においてちょっとした不正に自分も関わったことがあります。それはどんな不正か正直に述べると代筆で、四回生だった頃にゼミ同期生三人分の卒論を私が代筆しました。
一体なんで代筆したのかというと、当時から文章に関しては相対的な自信があったためこの機会に自分の腕を一つおおっぴらみせてやろうという妙なチャレンジ精神に溢れていたことと、所属したゼミの教授があまり指導に熱心でなく文章指導も疎かだったのに、いきなり卒論で2万字超を書かせるというのも学生にとってはやや酷だなと感じたためです。またゼミのTAがあまりしっかりサポートするような奴(元々は自分と同期の学生で今も友達)ではなかったため、ほかの同期生が卒論でまともなサポートを受けられないと見越していたこともあります。にしても、自分も卒論を書く立場だったのに随分と上から目線でさっきから物言ってるな。
とまぁ上のような問題を抱えていたことと、みんなで笑って卒業したいねなんてとも思ってたので、「卒論で困ったら自分に相談するように」と同期生にはあらかじめ伝えておきました。何度も言いますが当時の自分も同期生たちと同じように卒論を書かなければ立場です。そんなわけで実際に相談してきた代筆してあげたゼミ同期生三人、三人とも女の子でしたが、そろそろ時効だと思うのでそれぞれの特徴を簡単にまとめます。
1、A子
一番最初にかつかなり早い時期に相談してきたため、三人の中では最も作業がしやすかったと同時に代筆量も最も多く、結果的に卒論全体の二分の一超を私が書きました。卒論のテーマがはっきりしていたことと材料集めがしっかりしていたため一、二回聞き取りするだけで全体像が作れたのですが、最後の考察部分に関してA子はあまり具体的なイメージを持っていなかったため、この部分は全部自分が考えて書き上げました。ある意味肝な部分ですが我ながらいい考察をかけたと自負しており、この論文が所属ゼミ代表として冊子に載りました。
2、B子
この子はA子に続いて相談してきましたが、まず卒論テーマが厄介でした。最初にやろうとしていたテーマというのが具体的には書きませんが聞いてて戦慄するほどどうしようもないテーマで、先ほどのTAの友人と二人っきりで、「あれで本気で書こうとしたらやばいよな」なんてゼミ授業の後に話したくらいです。もちろんそんなテーマで書きあげられるわけなく、最初に相談してきた際にはまだ書けられそうなテーマを構築するところからはじめました。
このように出足こそ悪かったものの三人の中で唯一の外部生だったこともあってポテンシャルは高く、テーマを与えたら割としっかり準備してきて自分でも結構な文章量をこさえてきました。私は大体五分の二くらいを書きましたがこの子はちゃんと考察部分は自分で作ってきたので、補填するような感じで文章を膨らませただけで一応出せる論文に仕立て上げることが出来ました。
3、C子
この流れを見ていればわかると思いますが、一番手を焼かされたのはこの子です。相談してくる時期がかなり遅く確か提出期限の二週間くらい前だったような気がします。ちなみに自分は期限の一ヶ月くらい前に書きあげてました。
C子が相談しに来るのが遅かったのはギリギリまで自分で何とかやろうと努力する姿勢があったからですが、生憎その努力に実力が全く追いついていませんでした。B子も大概でしたがC子もテーマ設定からして結構ヤバく、まず最初に聞き取りをした時点でこれじゃ論文にならないからこういう方面からせめてこういう結論に持っていけそうな材料を集めようなどと全体像を組み上げるのに私もかなり頭使い、長い時間話し合って大体の方向性を組み上げたのを未だによく覚えてます。本当に何度も書きますが、当時の私は指導教授でもなければTAでもなく同じゼミの同期生です。
テーマ設定を終えるとさすが自分の出身母校の学生なだけあって内部生でしたがポテンシャルだけはやけに高く、 執筆に必要な材料は比較的早くC子は集めてきました。しかしいかんせん、それら材料をまとめ上げる実力がありませんでした。なもんだから材料を集めてくるそばから聞き取りをしてどういう風な切り口で論文にするかを細かく指示した上、「こっからこの部分は君が書いて、その先の論の発展はきつそうだから俺が書く」などと、工事現場のリーダーみたいな感じで作業工程を細かく分担する計画も私が立ててました。
最終的に私が執筆した量は全体の五分の二程度ですが、C子が書いた文章を出してくる度に何度もかなり修正していたので実際には過半数くらい書いてたかもしれません。A子と違って後半部分を私が独壇場で書くのではなく、C子の場合は出してくる文章を片っ端から書き直すようなもんだったし。
なおこの作業は本当に提出期限ギリギリまで続けられ、確か提出日前日の時点で5000文字、原稿用紙にして10枚分くらい足りてなかったので二人で学内にある共同パソコンルームに入って一緒に作業しましたが、後半部に入って私も文章を練るのに頭を悩ませていたらそのすぐ横でC子は居眠りをしていて、さすがにこの時には温厚な私も「寝るなっ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」って起こしつつ本気で怒りました。結局、パソコンルームが閉まり切るまでに作業を終えることが出来なかったので、その後はそれぞれの自宅に帰って、作業が進む度に互いにメールを交換し合って深夜一時くらいに確か完成したような。なおその時の卒論が書かれたテキストファイルは同名だと上書きする恐れがあったので、「卒論 WRX STI versionⅥ」とか「卒論 Evolution Ⅲ」、「卒論 Spirit R」などと、送信する度に毎回趣向を凝らして変えてました。
以上のような具合で、自分の卒論に加えてほか三人の卒論も一緒に書き上げたというのが私の四回生時代の過ごし方です。念のため書いておきますがこの三人からは特に何もお礼はもらっておらず、むしろC子に至っては卒論を提出した後の週末、漫画喫茶に行ってから自宅に帰ろうとしたところ喫茶店でバイトしていたC子に見つかり、売り上げに貢献するためケーキセットを注文させられました。もちろんこれは半分冗談でこの時は自分からケーキセットを注文しましたが、今思うとあの場面はおごってもらってもよかったような……。
なおこの三人以外のほかのゼミ同期生は全員自分で卒論を書いてきたのですが、ほかのゼミ同期生四人中三人は中国人留学生でした。本当は日本語の長文文章に苦しむであろう留学生をメインで支援するつもりだったのになんだかなぁ。
この三人の中国人留学生のうち一人に関しては提出前に文章におかしなところがないか見てほしいと頼まれて最終チェックを自分がやりましたが、その時に自分が指摘したポイントは以下の一つだけでした。
「ねえさ、この部分に『シェンチェン(シェンチェン)』って二度もカタカナで書いてあるけど何か特別な意味あるの?」 (「シェンチェン」とは中国の主要都市「深圳」を中国語で読んだ発音)
これを指摘したらその留学生はえらい爆笑して、私にありがとうと言いつつ、吹き出しつつ修正してました。
最後の最後でまた蛇足ですが、こんな風に苦労して(主にC子のせいで)卒論を提出し終えた後、ある程度やることもなくなりひゅっと手が空いたことからそろそろかなと思い、この陽月秘話を12月に起ち上げました。
・小保方さん論文コピペ問題 「早稲田の理系はコピペで成り立っている」はてな匿名ダイアリーの記事が話題に(ガジェット通信)
上記は昔私も一回だけお世話になったガジェット通信さんの記事ですが、この記事によると早稲田大学大学院出身の小保方氏がSTAP細胞を発表した論文だけでなく、大学院の博士論文でも大量にコピペしていた形跡があったことについて、ネット上で早稲田出身者と語る人間が「早稲田でコピペは日常茶飯事」と語っているとのことです。何故コピペをするのかというと早稲田の履行では実験などで忙しく論文を書く暇もないため、学生はおろか教授陣の間でもこうした行為が蔓延しているなどと、真偽はともかく書かれています。
私はこの話を友人から聞き、どちらかというとその友人は学生の置かれている忙しい環境に問題があるせいでコピペもやむなしみたいな状況じゃないかという感じで話してくれましたが、その場ではあまり強く言わなかったものの、どんな理由があろうとコピペというか剽窃が許されるわけがないと私は思います。
一言で決着付けようとするならば、仮に剽窃がまかり通るというのなら「引用」という手段が全くいらなくなります。引用なら引用と堂々と断ればいいのだし、他人の文章をさも自分が書いたように書くという行為は底意地が悪い上に非常に卑怯な行為だと私は思うゆえ、忙しいとかそういう事はまったく理由にならず小保方氏を初め剽窃をやった学生なり教授なりは相応の報いを受けるべきでしょう。第一、学問に携わる身でありながらそんな行為をして恥ずかしいと思わない時点で人間としてどうかと思いますが。
と、のっけからかなりかっこいいことを書くなぁなんて我ながら思いますが、論文というか卒論においてちょっとした不正に自分も関わったことがあります。それはどんな不正か正直に述べると代筆で、四回生だった頃にゼミ同期生三人分の卒論を私が代筆しました。
一体なんで代筆したのかというと、当時から文章に関しては相対的な自信があったためこの機会に自分の腕を一つおおっぴらみせてやろうという妙なチャレンジ精神に溢れていたことと、所属したゼミの教授があまり指導に熱心でなく文章指導も疎かだったのに、いきなり卒論で2万字超を書かせるというのも学生にとってはやや酷だなと感じたためです。またゼミのTAがあまりしっかりサポートするような奴(元々は自分と同期の学生で今も友達)ではなかったため、ほかの同期生が卒論でまともなサポートを受けられないと見越していたこともあります。にしても、自分も卒論を書く立場だったのに随分と上から目線でさっきから物言ってるな。
とまぁ上のような問題を抱えていたことと、みんなで笑って卒業したいねなんてとも思ってたので、「卒論で困ったら自分に相談するように」と同期生にはあらかじめ伝えておきました。何度も言いますが当時の自分も同期生たちと同じように卒論を書かなければ立場です。そんなわけで実際に相談してきた代筆してあげたゼミ同期生三人、三人とも女の子でしたが、そろそろ時効だと思うのでそれぞれの特徴を簡単にまとめます。
1、A子
一番最初にかつかなり早い時期に相談してきたため、三人の中では最も作業がしやすかったと同時に代筆量も最も多く、結果的に卒論全体の二分の一超を私が書きました。卒論のテーマがはっきりしていたことと材料集めがしっかりしていたため一、二回聞き取りするだけで全体像が作れたのですが、最後の考察部分に関してA子はあまり具体的なイメージを持っていなかったため、この部分は全部自分が考えて書き上げました。ある意味肝な部分ですが我ながらいい考察をかけたと自負しており、この論文が所属ゼミ代表として冊子に載りました。
2、B子
この子はA子に続いて相談してきましたが、まず卒論テーマが厄介でした。最初にやろうとしていたテーマというのが具体的には書きませんが聞いてて戦慄するほどどうしようもないテーマで、先ほどのTAの友人と二人っきりで、「あれで本気で書こうとしたらやばいよな」なんてゼミ授業の後に話したくらいです。もちろんそんなテーマで書きあげられるわけなく、最初に相談してきた際にはまだ書けられそうなテーマを構築するところからはじめました。
このように出足こそ悪かったものの三人の中で唯一の外部生だったこともあってポテンシャルは高く、テーマを与えたら割としっかり準備してきて自分でも結構な文章量をこさえてきました。私は大体五分の二くらいを書きましたがこの子はちゃんと考察部分は自分で作ってきたので、補填するような感じで文章を膨らませただけで一応出せる論文に仕立て上げることが出来ました。
3、C子
この流れを見ていればわかると思いますが、一番手を焼かされたのはこの子です。相談してくる時期がかなり遅く確か提出期限の二週間くらい前だったような気がします。ちなみに自分は期限の一ヶ月くらい前に書きあげてました。
C子が相談しに来るのが遅かったのはギリギリまで自分で何とかやろうと努力する姿勢があったからですが、生憎その努力に実力が全く追いついていませんでした。B子も大概でしたがC子もテーマ設定からして結構ヤバく、まず最初に聞き取りをした時点でこれじゃ論文にならないからこういう方面からせめてこういう結論に持っていけそうな材料を集めようなどと全体像を組み上げるのに私もかなり頭使い、長い時間話し合って大体の方向性を組み上げたのを未だによく覚えてます。本当に何度も書きますが、当時の私は指導教授でもなければTAでもなく同じゼミの同期生です。
テーマ設定を終えるとさすが自分の出身母校の学生なだけあって内部生でしたがポテンシャルだけはやけに高く、 執筆に必要な材料は比較的早くC子は集めてきました。しかしいかんせん、それら材料をまとめ上げる実力がありませんでした。なもんだから材料を集めてくるそばから聞き取りをしてどういう風な切り口で論文にするかを細かく指示した上、「こっからこの部分は君が書いて、その先の論の発展はきつそうだから俺が書く」などと、工事現場のリーダーみたいな感じで作業工程を細かく分担する計画も私が立ててました。
最終的に私が執筆した量は全体の五分の二程度ですが、C子が書いた文章を出してくる度に何度もかなり修正していたので実際には過半数くらい書いてたかもしれません。A子と違って後半部分を私が独壇場で書くのではなく、C子の場合は出してくる文章を片っ端から書き直すようなもんだったし。
なおこの作業は本当に提出期限ギリギリまで続けられ、確か提出日前日の時点で5000文字、原稿用紙にして10枚分くらい足りてなかったので二人で学内にある共同パソコンルームに入って一緒に作業しましたが、後半部に入って私も文章を練るのに頭を悩ませていたらそのすぐ横でC子は居眠りをしていて、さすがにこの時には温厚な私も「寝るなっ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」って起こしつつ本気で怒りました。結局、パソコンルームが閉まり切るまでに作業を終えることが出来なかったので、その後はそれぞれの自宅に帰って、作業が進む度に互いにメールを交換し合って深夜一時くらいに確か完成したような。なおその時の卒論が書かれたテキストファイルは同名だと上書きする恐れがあったので、「卒論 WRX STI versionⅥ」とか「卒論 Evolution Ⅲ」、「卒論 Spirit R」などと、送信する度に毎回趣向を凝らして変えてました。
以上のような具合で、自分の卒論に加えてほか三人の卒論も一緒に書き上げたというのが私の四回生時代の過ごし方です。念のため書いておきますがこの三人からは特に何もお礼はもらっておらず、むしろC子に至っては卒論を提出した後の週末、漫画喫茶に行ってから自宅に帰ろうとしたところ喫茶店でバイトしていたC子に見つかり、売り上げに貢献するためケーキセットを注文させられました。もちろんこれは半分冗談でこの時は自分からケーキセットを注文しましたが、今思うとあの場面はおごってもらってもよかったような……。
なおこの三人以外のほかのゼミ同期生は全員自分で卒論を書いてきたのですが、ほかのゼミ同期生四人中三人は中国人留学生でした。本当は日本語の長文文章に苦しむであろう留学生をメインで支援するつもりだったのになんだかなぁ。
この三人の中国人留学生のうち一人に関しては提出前に文章におかしなところがないか見てほしいと頼まれて最終チェックを自分がやりましたが、その時に自分が指摘したポイントは以下の一つだけでした。
「ねえさ、この部分に『シェンチェン(シェンチェン)』って二度もカタカナで書いてあるけど何か特別な意味あるの?」 (「シェンチェン」とは中国の主要都市「深圳」を中国語で読んだ発音)
これを指摘したらその留学生はえらい爆笑して、私にありがとうと言いつつ、吹き出しつつ修正してました。
最後の最後でまた蛇足ですが、こんな風に苦労して(主にC子のせいで)卒論を提出し終えた後、ある程度やることもなくなりひゅっと手が空いたことからそろそろかなと思い、この陽月秘話を12月に起ち上げました。
2014年3月18日火曜日
ロシアのクリミア併合について
つい先ほど速報ニュースが出ましたがロシアが現在軍隊を送っている、ウクライナのクリミア自治共和国を併合することを宣言したようです。昨日くらいまで日本の報道ではクリミア自治共和国内での投票でロシアとの合併を望む票が圧倒的多数となったものの、国際社会の反発を恐れてロシアはすぐに編入する決断には至らないだろうという見方が出ていましたが、生憎というか外れてしまったようです。もっとも外れたとはいえこの見方は決して無分別な見方ではなかったと私は思え、結果から言うなら一般的な感覚を越えたレベルでロシアのプーチン大統領の決断が早かったといったところでしょう。
最初に話しておくと私は中国を初め東欧やあさま山荘など旧共産圏がやけに 好きな人間ではありますが、東欧の政治事情については詳しくなくて素人も同然です。そんな素人としての意見を今日は勝手に並べていくわけですが、今回このクリミアを巡る問題が始まった時に真っ先に思い浮かんだのは、北京の留学中にクラスメートだったウクライナ人です。
こういってはなんですが非常に悪い奴で、北京で禁止されているのに、バイク乗り回してたのですがなんと自国でもバイク免許を持っていないという、国境を越えた無免許運転をやらかしてました。ほかにも別のクラスメートの誕生日会の最中に仲良くしているドイツ人の顔目がけてケーキを思い切りぶん投げたり、授業で空いた時間に映画を見ようかって話になったら、「ポルノビデオ見ようぜ!」って言って先生から止められると、「でもこのドイツ人が見たがっているんだ」って勝手な嘘をつくなど、まぁおもしろい奴でした。
そんなウクライナ人のクラスメートは日本人であることから割と自分に興味を持ってくれて何度かウォッカとかを飲みに出かけたりもしたのですが、確か授業中に国際外交の話が出た時に何かの拍子で、「ウクライナとロシアは兄弟だ!」って大きな声で言っていました。それ以前からウクライナとロシアは歴史的にも関係の深い国だとは思っていましたが、こんなふざけた奴でも強くアピールするほどお互い意識し合っているのかと妙に感じ入ったのを今でもよく覚えています。
その一方で、確か当時のウクライナはロシアとの距離を置いたユーシェンコ大統領の政権で、政府は反ロシアでもこうしてロシアとの密接さを強く訴えるウクライナ人もいる当たり、一枚岩ではないのかなとも考えました。今回のウクライナの問題を見ているとあながちその見方ではずれではなかったようで、それこそこのふざけたウクライナ人のクラスメートはクリミア出身だったのかもしれません。
話は戻りますが今回のクリミア併合、実にスピードの速い政治決断だったでしょう。ウクライナで政変が起こったのはソチ冬季五輪の最中でしたが、さすがに五輪開催中はロシアも遠慮して動きはほとんど見せませんでしたが、五輪が終わった後の決断速度は桁違いな速さで米国やEUなんて経済制裁こそ実行に踏み切りましたが、まともな対策が打てない間にしてやられてしまったように見えます。
一体何故ロシア、というよりプーチン大統領はこれほど素早く対応し、決断したのでしょうか。本当に勝手な予想を上げると、冬季五輪で表立って動けない最中に欧米があれこれウクライナの政治勢力に干渉して政変を起こさせたことに相当腹が立っていたのが原因じゃないかと思います。欧米の勢力がウクライナで新露派政権に対抗する勢力を実際に支援したかどうかはまだはっきりしませんが、私個人の考えとしては先ほどのウクライナ人のクラスメートの様に親ロシアを訴える層が確実にいるであろうことを考えると、やっぱ何かの後ろ盾がないとあんな風に大統領を追い出せなかっただろうなと思うとやっぱりちょっかいかけてたように思えます。
そのまま欧米がウクライナにちょっかいをかけていたこと前提で話を進めると、ソチ五輪という鬼の居ぬ間に好き放題やられて、なおかつロシアに取って裏庭、アメリカにとってのカナダみたいな地域を荒らされたりしようものなら心中穏やかではないでしょうし、だったら政変で混乱している最中に軍事基地もあって重要なクリミア半島を強引にでも取ろう、っていうか取らないとなめられるみたいにプーチン大統領は考えたのかもしれません。あくまで私個人の予想として。
また今回の状況を見てもロシアに取ってやや分がある状況のように思えます。米国はケリーが国務長官になってから外交方針がはっきりしなくなり、対日外交でもそうですがやや不安定になってきています。それにロシアに取って目前のEUこと欧州諸国も債務危機問題でお互いにギスギスし合っているし、米国とも共同歩調を歩めるほどの信頼関係が出来ていないように見えます。なので今後の予想を書けば米国はロシアに対してあれこれ文句を言うものの、欧州はどちらかと言えば併合を追認する方向で動いてくると思います。それを見越しているからこそロシアも即断即決で動いてきたのでしょうが。
最後に今回のクリミア併合がいいことなのか、悪いことなのかを考えると、少なくとも住民投票で九割以上のロシアとの併合を望むという結果が出てしまったことを考慮すれば、仮にロシア軍が撤退したとてもウクライナ政府はクリミアに対してその後どういう措置を取るか、まぁあまり甘い措置は取らないでしょう。それと、仮に欧米が何も干渉せずにこういう結果となるならともかく、連中も連中できな臭い干渉をしていた節があるだけに、そうした高度の結果が今回のロシアの行動と考えると有り得ない歴史ではないかなとも思えてきます。
どうでもいいけど、ロシアのことばっか書いてたら映画「ポリスアカデミー」シリーズの第七作目である「モスクワ大作戦」をまた見たくなってきました。
最初に話しておくと私は中国を初め東欧やあさま山荘など旧共産圏がやけに 好きな人間ではありますが、東欧の政治事情については詳しくなくて素人も同然です。そんな素人としての意見を今日は勝手に並べていくわけですが、今回このクリミアを巡る問題が始まった時に真っ先に思い浮かんだのは、北京の留学中にクラスメートだったウクライナ人です。
こういってはなんですが非常に悪い奴で、北京で禁止されているのに、バイク乗り回してたのですがなんと自国でもバイク免許を持っていないという、国境を越えた無免許運転をやらかしてました。ほかにも別のクラスメートの誕生日会の最中に仲良くしているドイツ人の顔目がけてケーキを思い切りぶん投げたり、授業で空いた時間に映画を見ようかって話になったら、「ポルノビデオ見ようぜ!」って言って先生から止められると、「でもこのドイツ人が見たがっているんだ」って勝手な嘘をつくなど、まぁおもしろい奴でした。
そんなウクライナ人のクラスメートは日本人であることから割と自分に興味を持ってくれて何度かウォッカとかを飲みに出かけたりもしたのですが、確か授業中に国際外交の話が出た時に何かの拍子で、「ウクライナとロシアは兄弟だ!」って大きな声で言っていました。それ以前からウクライナとロシアは歴史的にも関係の深い国だとは思っていましたが、こんなふざけた奴でも強くアピールするほどお互い意識し合っているのかと妙に感じ入ったのを今でもよく覚えています。
その一方で、確か当時のウクライナはロシアとの距離を置いたユーシェンコ大統領の政権で、政府は反ロシアでもこうしてロシアとの密接さを強く訴えるウクライナ人もいる当たり、一枚岩ではないのかなとも考えました。今回のウクライナの問題を見ているとあながちその見方ではずれではなかったようで、それこそこのふざけたウクライナ人のクラスメートはクリミア出身だったのかもしれません。
話は戻りますが今回のクリミア併合、実にスピードの速い政治決断だったでしょう。ウクライナで政変が起こったのはソチ冬季五輪の最中でしたが、さすがに五輪開催中はロシアも遠慮して動きはほとんど見せませんでしたが、五輪が終わった後の決断速度は桁違いな速さで米国やEUなんて経済制裁こそ実行に踏み切りましたが、まともな対策が打てない間にしてやられてしまったように見えます。
一体何故ロシア、というよりプーチン大統領はこれほど素早く対応し、決断したのでしょうか。本当に勝手な予想を上げると、冬季五輪で表立って動けない最中に欧米があれこれウクライナの政治勢力に干渉して政変を起こさせたことに相当腹が立っていたのが原因じゃないかと思います。欧米の勢力がウクライナで新露派政権に対抗する勢力を実際に支援したかどうかはまだはっきりしませんが、私個人の考えとしては先ほどのウクライナ人のクラスメートの様に親ロシアを訴える層が確実にいるであろうことを考えると、やっぱ何かの後ろ盾がないとあんな風に大統領を追い出せなかっただろうなと思うとやっぱりちょっかいかけてたように思えます。
そのまま欧米がウクライナにちょっかいをかけていたこと前提で話を進めると、ソチ五輪という鬼の居ぬ間に好き放題やられて、なおかつロシアに取って裏庭、アメリカにとってのカナダみたいな地域を荒らされたりしようものなら心中穏やかではないでしょうし、だったら政変で混乱している最中に軍事基地もあって重要なクリミア半島を強引にでも取ろう、っていうか取らないとなめられるみたいにプーチン大統領は考えたのかもしれません。あくまで私個人の予想として。
また今回の状況を見てもロシアに取ってやや分がある状況のように思えます。米国はケリーが国務長官になってから外交方針がはっきりしなくなり、対日外交でもそうですがやや不安定になってきています。それにロシアに取って目前のEUこと欧州諸国も債務危機問題でお互いにギスギスし合っているし、米国とも共同歩調を歩めるほどの信頼関係が出来ていないように見えます。なので今後の予想を書けば米国はロシアに対してあれこれ文句を言うものの、欧州はどちらかと言えば併合を追認する方向で動いてくると思います。それを見越しているからこそロシアも即断即決で動いてきたのでしょうが。
最後に今回のクリミア併合がいいことなのか、悪いことなのかを考えると、少なくとも住民投票で九割以上のロシアとの併合を望むという結果が出てしまったことを考慮すれば、仮にロシア軍が撤退したとてもウクライナ政府はクリミアに対してその後どういう措置を取るか、まぁあまり甘い措置は取らないでしょう。それと、仮に欧米が何も干渉せずにこういう結果となるならともかく、連中も連中できな臭い干渉をしていた節があるだけに、そうした高度の結果が今回のロシアの行動と考えると有り得ない歴史ではないかなとも思えてきます。
どうでもいいけど、ロシアのことばっか書いてたら映画「ポリスアカデミー」シリーズの第七作目である「モスクワ大作戦」をまた見たくなってきました。
2014年3月16日日曜日
超然主義の再考
先々週に一週間以内に書くと言いながらまたずいぶんと伸び伸びになってしまいましたが、日露戦争、並びにポーツマス条約前後で日本がどう変わったかについて一筆書きます。結論から書くと、日露戦争によって日本の国民が慢心を持ったことから他国を侮るようになり、その慢心が後の太平洋戦争への無謀な参戦へとつながったと考えております。
まず歴史的事実から簡単に整理しますが、日本は前年に開戦したロシアとの日露戦争で勝利し、1905年にロシアとの間でポーツマス条約を結び戦争を終結します。この日露戦争は海外の目から見ても日本の勝利と位置付けられておりますがその内実は辛勝も辛勝で、当時の日本は既に戦争継続能力が尽きており、仮にポーツマス条約がまとまらなければ戦況がひっくり返ることも十分あり得たでしょう。また歴史の授業では旅順攻略、日本海海戦の勝利によってさも自然とポーツマス条約がまとまったかのように書かれておりますが実際の交渉は非常に難航しており、交渉期限ギリギリにおいても日本側は交渉決裂を覚悟していたとも伝えられます。もっとも確か合意の一日前かに、ロシア側の「樺太の南半分は妥協してもいい」という電信を傍受したことによって、一気に合意へと進んだとされてます。
このように日露戦争は薄氷の勝利と言ってもいいもので勝利したことは確かに誇れるものの、まだ日本は欧米列強の一員完全に肩を並べたとは言えないような状態にありました。この事実に対し当時の日本政府のリーダーたちは理解していた節があり、だからこそポーツマス条約においても賠償金なしという条件を飲みました。ただ日本の国民はどうだったのかというと逆で、これだけロシアに勝っているにもかかわらず条約交渉で及び腰過ぎたと、むしろ日本政府を批判する声の方が大きかったようです。
その結果起きたのが日比谷焼打ち事件で、これは明治以降に都市部で起きた大規模暴動としてはもっとも最初の事件なのですが、政府の条約交渉に不満を持った民衆が日比谷公園に集まった後に官邸や交番が襲撃され、死者17名負傷者500名以上にも上った事件です。明治政府に対する批判や反対行動はこれ以前からもなかったわけではありませんが、政治活動家や団体ではなく一般大衆が政府に対する不満から起こされた最初の事件としてみるならば非常に意義深い事件と言えます。
この日比谷焼打ち事件が起こった背景として、日本におけるジャーナリズム、デモクラシーの勃興があります。既に当時の日本では制限選挙ではありませんが国会も開設されており、それに伴って大都市を中心に新聞社もあちこちにできて一般大衆も一連の政治の動きを追うことが出来る時代になっていました。
ただ当時、と言っても今もそういう面がなくなったわけではありませんが、どの新聞社も部数を伸ばすために読者受けのいい記事を載せる一方、反感を買うような記事は敢えて排除する傾向がありました。 特に日露戦争中は文字通り「煽る」記事が多く出回り、日本政府が戦争への支持をつなぎとめるために戦果を過大に宣伝していたこともありますがどの新聞も日本がさも圧勝しているかのように報じ、条約交渉中も多くの割譲領土ならびに大量の賠償金が得られてさも当然かの様な予想記事が並び、国民もそれを見て過大な期待を抱いたと言われます。
にもかかわらず実際の交渉結果は賠償金が得られないどころか日本が支配権を得た領土も期待より少なく、八万人以上も戦死者を出した一般国民としては非常に不満を覚える内容だったのでしょう。また国民を煽っていた新聞社も条約内容は手ぬるいとして政府を激しく批判して煽り、徳富蘇峰が主宰していた国民新聞が唯一、条約交渉の結果について政府を支持したら猛批判を浴び、日比谷焼打ち事件の際に国民新聞の社屋には五千人が集まり襲撃される事態を招いています。それにしても五千人って、黒田官兵衛もびっくりだ。
言ってしまえば当時の日本のジャーナリズムは未熟で、実態をよく把握せずに部数獲得という俗物的な目的から国民を煽り、余計な暴動を引き起こしてしまったと考えることも出来ます。こうした傾向は大正時代以降も続き、昭和に至って極大化して太平洋戦争へと国民を駆り立てる大きな要因になったと断言してもいいでしょう。こうした歴史の流れを改めて振り返るにつけ、もしかしたら超然主義というのは正しかったのかもなと最近思うようになってきました。
超然主義とは明治初期に維新の元勲内閣が主張した政治姿勢で、平たく言えば「民意を無視して自分たちが考える政策を推し進める」というような姿勢です。この超然主義の代表格とも呼べるのが山縣有朋が首相、または桂太郎など彼の腹心が首相だった内閣で、本当に清々しいほど民意を無視しまくって政策を進めていたので現代における山縣の評価は高いとは言えません。
私は以前の記事で山縣有朋と伊藤博文を主役に置いた小説を書いてみたいと書きましたが、折々に両者の人生とその時代背景を探っていくと、この日露戦争後を初めあの明治という時代において、日本はまだ民主主義をやっていくには早かったのではないかという考えがどんどん強まっていきました。もっともそれを言えばほかの欧米列強に関しても同様ですが。
そのような時代にあって民意を無視して推し進める姿勢、もちろん露骨な選挙干渉とか勧誘物の払い下げといった汚職(山縣は汚職政治家の第一号)も黙認できるわけじゃありませんが、あの時代にあってはそうした超然主義の方が正しかったのかもという考えが強まってきていました。原敬に至っては民意を無視してたら暗殺までされたけど。
翻って現代を見てみると、果たしてどうなのかって話に発展してきます。私は常日頃から民意にだけ従う政治家や政党は間違っているし、また国民を「煽る」新聞も論外だと主張してますが、特定機密保護法案やSTAP細胞に関する初期の報道などを見ている果たして今、必要なレベルに日本は達しているのかななんて思ってしまいます。
少し脱線しましたが話を戻すと、山縣に対する否定的な評価要因は裏返してみると太平洋戦争の遠因にもなりかねず、時代背景を考えると超然主義は今言われているほど否定的に見るべきではないのではというのが私の意見です。それにしても超然主義を支持するなんて、自分も中国共産党に感化されてきたかななんていう気もしてきます。
まず歴史的事実から簡単に整理しますが、日本は前年に開戦したロシアとの日露戦争で勝利し、1905年にロシアとの間でポーツマス条約を結び戦争を終結します。この日露戦争は海外の目から見ても日本の勝利と位置付けられておりますがその内実は辛勝も辛勝で、当時の日本は既に戦争継続能力が尽きており、仮にポーツマス条約がまとまらなければ戦況がひっくり返ることも十分あり得たでしょう。また歴史の授業では旅順攻略、日本海海戦の勝利によってさも自然とポーツマス条約がまとまったかのように書かれておりますが実際の交渉は非常に難航しており、交渉期限ギリギリにおいても日本側は交渉決裂を覚悟していたとも伝えられます。もっとも確か合意の一日前かに、ロシア側の「樺太の南半分は妥協してもいい」という電信を傍受したことによって、一気に合意へと進んだとされてます。
このように日露戦争は薄氷の勝利と言ってもいいもので勝利したことは確かに誇れるものの、まだ日本は欧米列強の一員完全に肩を並べたとは言えないような状態にありました。この事実に対し当時の日本政府のリーダーたちは理解していた節があり、だからこそポーツマス条約においても賠償金なしという条件を飲みました。ただ日本の国民はどうだったのかというと逆で、これだけロシアに勝っているにもかかわらず条約交渉で及び腰過ぎたと、むしろ日本政府を批判する声の方が大きかったようです。
その結果起きたのが日比谷焼打ち事件で、これは明治以降に都市部で起きた大規模暴動としてはもっとも最初の事件なのですが、政府の条約交渉に不満を持った民衆が日比谷公園に集まった後に官邸や交番が襲撃され、死者17名負傷者500名以上にも上った事件です。明治政府に対する批判や反対行動はこれ以前からもなかったわけではありませんが、政治活動家や団体ではなく一般大衆が政府に対する不満から起こされた最初の事件としてみるならば非常に意義深い事件と言えます。
この日比谷焼打ち事件が起こった背景として、日本におけるジャーナリズム、デモクラシーの勃興があります。既に当時の日本では制限選挙ではありませんが国会も開設されており、それに伴って大都市を中心に新聞社もあちこちにできて一般大衆も一連の政治の動きを追うことが出来る時代になっていました。
ただ当時、と言っても今もそういう面がなくなったわけではありませんが、どの新聞社も部数を伸ばすために読者受けのいい記事を載せる一方、反感を買うような記事は敢えて排除する傾向がありました。 特に日露戦争中は文字通り「煽る」記事が多く出回り、日本政府が戦争への支持をつなぎとめるために戦果を過大に宣伝していたこともありますがどの新聞も日本がさも圧勝しているかのように報じ、条約交渉中も多くの割譲領土ならびに大量の賠償金が得られてさも当然かの様な予想記事が並び、国民もそれを見て過大な期待を抱いたと言われます。
にもかかわらず実際の交渉結果は賠償金が得られないどころか日本が支配権を得た領土も期待より少なく、八万人以上も戦死者を出した一般国民としては非常に不満を覚える内容だったのでしょう。また国民を煽っていた新聞社も条約内容は手ぬるいとして政府を激しく批判して煽り、徳富蘇峰が主宰していた国民新聞が唯一、条約交渉の結果について政府を支持したら猛批判を浴び、日比谷焼打ち事件の際に国民新聞の社屋には五千人が集まり襲撃される事態を招いています。それにしても五千人って、黒田官兵衛もびっくりだ。
言ってしまえば当時の日本のジャーナリズムは未熟で、実態をよく把握せずに部数獲得という俗物的な目的から国民を煽り、余計な暴動を引き起こしてしまったと考えることも出来ます。こうした傾向は大正時代以降も続き、昭和に至って極大化して太平洋戦争へと国民を駆り立てる大きな要因になったと断言してもいいでしょう。こうした歴史の流れを改めて振り返るにつけ、もしかしたら超然主義というのは正しかったのかもなと最近思うようになってきました。
超然主義とは明治初期に維新の元勲内閣が主張した政治姿勢で、平たく言えば「民意を無視して自分たちが考える政策を推し進める」というような姿勢です。この超然主義の代表格とも呼べるのが山縣有朋が首相、または桂太郎など彼の腹心が首相だった内閣で、本当に清々しいほど民意を無視しまくって政策を進めていたので現代における山縣の評価は高いとは言えません。
私は以前の記事で山縣有朋と伊藤博文を主役に置いた小説を書いてみたいと書きましたが、折々に両者の人生とその時代背景を探っていくと、この日露戦争後を初めあの明治という時代において、日本はまだ民主主義をやっていくには早かったのではないかという考えがどんどん強まっていきました。もっともそれを言えばほかの欧米列強に関しても同様ですが。
そのような時代にあって民意を無視して推し進める姿勢、もちろん露骨な選挙干渉とか勧誘物の払い下げといった汚職(山縣は汚職政治家の第一号)も黙認できるわけじゃありませんが、あの時代にあってはそうした超然主義の方が正しかったのかもという考えが強まってきていました。原敬に至っては民意を無視してたら暗殺までされたけど。
翻って現代を見てみると、果たしてどうなのかって話に発展してきます。私は常日頃から民意にだけ従う政治家や政党は間違っているし、また国民を「煽る」新聞も論外だと主張してますが、特定機密保護法案やSTAP細胞に関する初期の報道などを見ている果たして今、必要なレベルに日本は達しているのかななんて思ってしまいます。
少し脱線しましたが話を戻すと、山縣に対する否定的な評価要因は裏返してみると太平洋戦争の遠因にもなりかねず、時代背景を考えると超然主義は今言われているほど否定的に見るべきではないのではというのが私の意見です。それにしても超然主義を支持するなんて、自分も中国共産党に感化されてきたかななんていう気もしてきます。
2014年3月14日金曜日
産経新聞の自虐ネタ
なんか朝日新聞の「天声人語」が意味不明な文章だとして盛り上がっているとジェイキャストなどが報じておりますが、その陰に隠れて今日の産経新聞の社説にクスリと来ました。その産経の社説というのも、下の記事です。
・これも右傾化? 3月14日(産経新聞)
この社説ではアンネの日記が都内各所で破られている騒動に触れて、なんかこの事件も日本の右傾化を表しているという中国や韓国からの批判は的外れだということを書いているのですが、その末尾にて、
「ちなみに、『右』寄りの小欄は子供のころ、『アンネの日記』を読んで涙し、今も大虐殺を経験したユダヤの人たちに、深い同情を寄せている。」
うん、「右寄り」ってやっぱ自覚してるんだねと、その潔さになんかクスリと来たわけです。自分だけかな、こういうのがツボに来るのって。
・これも右傾化? 3月14日(産経新聞)
この社説ではアンネの日記が都内各所で破られている騒動に触れて、なんかこの事件も日本の右傾化を表しているという中国や韓国からの批判は的外れだということを書いているのですが、その末尾にて、
「ちなみに、『右』寄りの小欄は子供のころ、『アンネの日記』を読んで涙し、今も大虐殺を経験したユダヤの人たちに、深い同情を寄せている。」
うん、「右寄り」ってやっぱ自覚してるんだねと、その潔さになんかクスリと来たわけです。自分だけかな、こういうのがツボに来るのって。
登録:
コメント (Atom)