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2014年8月3日日曜日

引越しの顛末

 昨日の記事にも書いたように先週土曜の7/26に引っ越しを行いました。引っ越した理由は何度もこのブログに書いたように、前の部屋があるマンション内にフィットネスクラブがあって、夜に全力で壁を叩くくらいの低音ベース音が鳴り響くのが嫌だったからです。新しい住居ではそんなこともなく、しかも前より家賃が安いのに面積は広くなって大分快適なのですが、今回の引っ越しはなかなかにスピーディだったのにその顛末を書き残しておくことにします。
 
 
  7/23(水)
 この日に会社をちょっと早退させてもらって不動産屋を訪問。いくつか部屋を紹介してもらう。
 
  7/24(木)
 前日に紹介してもらった部屋の中から一つを決めて、仮契約をもう結んでしまおうとローカルスタッフと共に不動産屋へ行く途中、「もっといい部屋が見つかった」と、不動産屋の事務所目の前で電話が来る。とりあえず言われた通りにその部屋を案内してもらうと確かにいい部屋で、じゃあここにしようかな、来週の土曜辺りから入居でいいかと後からやってきた大家に伝えると、「今すぐ契約してよ」と言い返される。
 不動産屋がすかさず間に入り、正式な契約書をまだ準備していないから最低でも次の7/26(土)からと説明し、じゃあその日に正式契約ということで話が落ち着く。
 
  7/25(金)
 とりあえず次の日から新居に入居できる事が確定したが、じゃあ今いる部屋をいつ退去しようかとやや思案に暮れる。というのも翌々日の7/27(日)は上海で人と合う約束が出来ていたため、実質土曜日しか引越しの作業に従事できない。土日二日間動けるのなら問題ないが一日だと心もとないし、また今いる部屋もそんなスムーズに退去できるのかとちょっと不安だったが、強行スケジュールでこの際一気に片付けようと決心。今いる部屋の大家にメールで、「土曜日引っ越すからその日の午後五時に退去でいい?いいならその時に前払いの家賃を返して」と伝える。
 
  7/26(土)
 運命の土曜日。昼過ぎに引っ越す先の部屋で大家と契約書を交わす。その後、ローカルスタッフと上司に手伝ってもらって元の部屋から荷物を運び出し、新居に突っこむ。更にその後、今度は自分一人で通信会社の事務所に行って、引っ越すことになったからとネットの開線工事を依頼して翌日の午前に来てくれと頼んだが、その時間はすでに埋まっているという回答を受ける。翌日午後からは上海に行くため仕方なく翌週の8/2(土)午前で予約を取る。
 通信会社を出るとその足で列車チケットの外部販売所に20分くらい歩いて向かって上海行きチケットを購入。そしてその足でまた20分くらい歩いて最初の部屋に戻り、退去前の確認として大家を待つ。
 
 ここで驚いたのですが、大家を待っていると最初の部屋、新しい部屋を共に紹介してくれた不動産屋が先に来て、自分が退去した後に入居を考えているという客も一緒に引き連れていました。自分は今回の引っ越しをわずか二日(実質一日)で決断してその二日後には引越し&退去を決めたというのに、もう新しい入居希望者を見つけて来たとはと舌を巻きました。
 そうこうしているうちに大家がやってきたのですが、なんとその大家もまた別の不動産屋、そしてその不動産屋の客と共にやってきました。自分が退去するといったのはわずか一日前の金曜だというのにもう新しい入居希望者を見つけてくるこのハイスピードぶり。自分の慌ただしい引越しもさることながら中国の不動産市場の異常なまでのハイペースぶりをまざまざと見せつけられました。
 
 その後は大家に確認してもらい、既に支払っていた家賃の一部を途中解約として返してもらい、無事滞りなく退去は終わりました。もっとも、慌ただしい環境の変化と夏の暑さにやられたのか翌日から夏風邪を引き、さらには引越しに伴う新居の掃除もあって先週一週間は地味に生きてて辛かったです。熱によるだるさはほとんどなかったものの鼻水が出るのと、たまに頭痛がするのとやる気がわかないのでしんどい限りでしたが、今日あたりからようやく回復して元気になってきました。掃除の顛末に関してはまた次の記事で詳しく書きます。

2014年8月2日土曜日

昆山市内の爆発事故について

 日本でも報道されているようですが本日、私の住んでる中国の江蘇省昆山市内にある工場で爆発事故が起こりました。
 
 
 自分の部屋は前回記事で書いたように引っ越した関係でネットがつながっておらず、今日の午前中にまさに回線をつないでもらったばかりだったのですが、例の上海人から電話があってこの爆発事故を知りました。報道によると事故が起きたのは「中栄金属製品有限公司」という会社で、ホームページを見る限りですと合金を使用したホイールのメーカーのようです。
 
 事故が起きた場所は昆山市内の開発区、言うなれば工業団地にあるため、事故が起きた今朝の午前八時に私は爆発音が全く耳に入りませんでした。むしろ近くで新装開店した店の爆竹の方がうるさいくらいだったし。なので友人が教えてくれるまで全く事故を知らなかったのですが、同じ昆山市内となれば話は違うなと思い、バスを乗り継いで事故現場へ行ってみて、撮ってきた写真というのが一番上の写真です。
 見てもらえばわかる通り、事故現場となる工場の目の前のとおりは警察によって封鎖されており、遠目にも爆発現場を見ることはできませんでした。でもって私と同じような理由というかたくさんの野次馬は詰めかけており、この後に夕立が降るとみんなあれよあれよと帰っていきましたが。
 
 そんなわけで特に収穫もない遠出となってしまいましたが、周辺の工場を見た限りだとガラスはどこも割れておらず(元々割れてたようなガラス窓はあったが)、爆風が広がったような形跡は見られませんでした。それと来ていた警察ですが、二十人くらいの一団が数回に分けて入っていって、恐らく現場検証でしょうが人数はすこぶる多かったように思えます。
 
 それにしても復帰一日目からこういう記事とは。あと関係ないけど帰宅後、昼間に食べた饅頭なのかどうかはっきりしませんがなんかお腹下しました。ここだけの話、昆山来てからお腹を下すことが非常に多いです。中国には何度も来ているのにこれだけお腹下したことは今までなく、また今度お話ししますが昆山の衛生が意外に悪いのではないかと疑っている次第です。あまりにも下すもんだから、いま中国で絶好調のヤクルトを買ってきちゃったしなぁ、効果あるかわからないけど。

2014年7月29日火曜日

8/2までおやすみ

 先週土曜に引っ越しを行った関係から現在自宅でネット回線が使えません。8/2に回線工事を行う予定なので、この間ブログ更新をお休みさせていただきます。
 さて、この間にどのゲームをやって時間つぶすかが問題だなぁ。

2014年7月25日金曜日

自分の趣味範囲

 知ってる人には早いですが、記憶力というか知識量において私は絶対の自信を持っており、絶対的な知識量ではただ一人を除けば今まで生きてて誰かに劣っていると感じたことは本当にありません。なおその一人というのは大学で授業してもらった講師でしたが、「ああこの人に俺は絶対敵わないからケンカしないでおこう」と思うほどプレッシャーを感じたほどで、逆を言えば同じようなプレッシャーをその講師を除けば誰にも覚えたことはないので多分ほかの人には負けてないだろうと思うわけです。
 
 そんないつも通りに自信過剰な私ですが、どうも周りから見ると外見がそうでもなさそう、というか趣味や知識の範囲が狭そうに感じる外見のようです。なもんだから初対面の人物と話し込むと、「こんなにいろんなことを知っている人だとは思わなかった」といっつも言われるのでいい加減、うんざりしてます。
 そういう私の知識量が本領を発揮するのは言うまでもなく趣味の世界で、やはり周囲からは多趣味だとよく言われます。といってもここの趣味の範囲ではその趣味を専門的にしている人と比べて浅い程度ですが、話しを合わせる、ある程度知識を持っているというレベルでいいなら自分でも多方面に地盤を築いたと考えており、そこで今日は自分を見つめ直そうと大体どんな範囲が得意なのかいくつか考えながら挙げてくことにします。
 
  一、相撲
 ここ数年ずっと中国入るせいで行けてませんが、一時期は国技館とかにもしばしば赴くくらい相撲は好きです。主要な力士の得意な立ち回りを覚えていることはもとより、平幕からずっと頑張っている力士についてはどういう経歴なのかも大体わかるので、相撲ファンとしては中ごろのレベルだと自認してます。なおお気に入りの力士を挙げると以前は豊真将で、最近は豪栄道です。豪栄道の何がいいかってそこそこ地力がある上に稀勢の里と違って突き相撲だけでなく投げ技も状況に応じて繰り出せる万能さで、相撲に限らず万能型、もとい器用貧乏型を好む傾向があります。
 今思い出したけど、既に引退してしまった琴欧洲が初優勝した時、家近いからわざわざ松戸の優勝祝賀会見に行ったなぁ、何も知らない友人を無理やり誘って。
 
  二、歴史
 分野別の知識量で行ったら間違いなくこの歴史が私の中で最も大きいでしょうが、特筆すべきは日本史、世界史、中国史を問わずかつ古代から中世、近代にいたるまでめちゃくちゃな範囲をカバーしてるっていう点でしょう。唯一苦手としているのはインド史ですがインド旅行に行った時にはインド人ガイドから「インド詳しいね!」と言われたのでそれでも並以上な気はします。たまになんで歴史学者になろうとしなかったのと聞かれますが、歴史を専門的な学問として取り扱ったら嫌いになりそうだったし興味なかったことと、案外日本の歴史学会ってしょうもないことにこだわるし自由な主張を許してくれない雰囲気があるので昔から敬遠してました。
 
  三、パソコン
 恐らく専門的な人から見たら自作も出来ないしプログラムも組めないので私なんて素人同然でしょうが、案外素人に毛が生えた程度である今の水準だからこそ求められるものがある気がします。私がやれることと言ったらエクセルでマクロ組んだりネットの検索や多少使いやすいソフトを知ってる程度なのですが、実生活で使う範囲と言ったら大体この水準を超えることがないことと、こういってはなんですがパソコンに非常に詳しい人は素人に対して「なんでわからないの」という態度を前面にだし、指導の仕方も悪いように感じます。自分は先ほども言った通り素人レベルを越えませんが、逆を言えば素人の気持ち、どこがどうしてわからないのかをまだ理解できるのでどの会社に行ってもやたらとパソコンの使い方を聞かれます。中でも一番驚いたのは、別の場所にあるオフィスからわざわざ電話でどうすればいいかって聞かれた時です。サポートセンターじゃあるまいし。
 
  四、政治
 これはもうマニアと言っていいレベルです。なんでもいいから政治が絡むと外交だろうと内政だろうとその流れ、構造を知りたくなるし、政策案の問題点やら改善点を議論したくなります。なんでこんな政治好きになったのかというと中学生の頃に興味を持ったものの周りにこういう話題を話せる人間がおらず、やたらと内省を深めていった結果がこれなのでしょう。ほかの分野にも言えますが、全体がどういうグループに分かれ、またどういう目的や動機によってその構造が生まれ、何がファクターになっているのかをあれこれ模索して分析するのが理由もなく大好きです。自分で書いてて意味が分からねぇ……。
 
  五、ゲーム
 これも玄人と言われるほどやってはいませんが、周囲からはやり過ぎだと言われるくらいに遊んでたし今も携帯ゲーム機を手放せません。案外この分野は外から入り込み辛い分野のため新聞記者時代は「ゲーム業界の記事は花園に」を合言葉に全部振られて書いてましたが、自分の場合は遊ぶだけじゃなくある程度整理した上で解説できる点で、その点でやや特殊だったなという気がします。あと一応日本ゲーム業界の黎明期から全盛期、衰退期を目前で見てきたのもあり、そういった歴史について語れるのもやや強いかな。
 
  六、社会主義
 恐らく私と同年齢で、私ほどマルクス経済の仕組み、並びに社会主義と共産主義の違い(大まかに言えば政府の有無)を詳しく解説できる人間はほとんどいないでしょう。恐らく上記の歴史と政治好きが組み合わさって、「一時代を築いた社会主義ってなんだろな?」って具合で興味持ってこんなに勉強したのだと思いますが、それにしても中国やロシアなど旧社会主義国がやたら好きになる点から言っても元々こっち分野に適性があったのかもしれません。後輩にも、「花園さんは全共闘の時代にいたらきっとヒーローでしたよ!」と言われ、なんか素直に喜べなかったし……。
 
  七、オカルトと宗教
 子供の頃に今はオシャレなゲームで有名な「ペルソナ」ってゲームをやってからやたら各地の神話や宗教を勉強し始め、大学入ってからは新興宗教、並びに新々興宗教も一通り調べたのでもはや立派なマニアとなってます。さすがに仏教各宗派の経文とか違いまでは判りませんが、新興宗教に関しては成り立ちから軋轢、主要人物についてはそこそこ話せるし、あと社会的な影響、創価学会のピークシフトとか知ってるのと真如園についてはガチで集団念仏会に参加する羽目になったので詳しいです。でもって不思議なことに、何故か宗教やってる人間にやたらモテます。なにもこんなところでモテなくていいのに……。
 
  八、もういいや
 なんか適当に書いてきましたが、如何に自分が統一感のない人物であるかがよくわかった気がします。友人にもこのブログについて、「雑誌にたとえると、文芸春秋と東洋経済とファミ通とアニメージュと人民日報が一緒になったくらい統一感がない」と指摘されてますが、自分でもそう思います。と言ってもジャンルを統一してしまうと記事書くモチベーションが上がらないため、自分としてはこの統一感のないスタイルを貫こうと考えてます。

2014年7月24日木曜日

日本製品の品質の変遷

 昨夜しゃべりだすと自分以上に止まることのない先輩がスカイプチャットで唐突に、「掃除機壊れたから捨ててくる」といって会話を中断して園に出て行き、数分後にまた戻ってきました。その先輩によると捨てられた掃除機はなんと購入から20年も経った代物で、吸口のゴム部分が腐食して使えなくなったもののフレーム部分には全く問題はなく、ゴムさえよければまだ使えるほどの代物だったそうです。
 戻ってきた先輩は軽くこの事実を自慢するとともに、「昔の日本製品はほんと丈夫だったけど、最近のはなんか壊れやすい気がする。そうは思わんかね?」と自分に聞いてきました。それに対し自分も、「ソニータイマーに代表されるように保証期間内はもつものの、20年以上も壊れないとかいう桁違いに丈夫なのは確実に減りましたね」と話し、ちょっと盛り上がったのでこの辺について今日は書いてきます。
 
 ソニータイマーについては過去に書いた「ソニータイマーの真実」という記事でも触れていますが、ソニーの製品は保障期間を過ぎると都単位すぐ壊れるという妙な都市伝説があります。ただあながち都市伝説として流せるものでなく、ソニーに限らず自動車を含む日本製品は一定の期間を過ぎるとほぼ同じタイミングで壊れる傾向があるという噂が中国では割と一般的です。自動車なら購入してから8年後とかにぴったりどこかしら壊れるとか、電化製品も友達同士で一緒に買ったら同じ時期に壊れたりといった具合に。
 
 こうした日本製品の特長について過去の記事では、日系メーカーは製品を構成する部品の耐久度をきっかり分析しており、保証期限をギリギリ越える時期に合わせて品質を調整しているためだと指摘し、耐久度を正確に計算しつくした製品に仕上げているためある意味ですごい品質管理能力だと分析しております。しかし逆を言えば、現代の日系メーカーは耐久度を品質保証期間まで持たせればいい、必要以上に耐久性を高める必要はないという方針を取っているともいえ、それが最初に挙げた20年物の掃除機が現代だと見当たらないという事態を招いているといえます。
 
 どうして耐久性を必要以上に高めなくなったのか、答えは簡単で生産コストを削減するためです。そうした目的の下に公然と品質を落としたのは何を隠そう天下のトヨタ自動車で、ここは三代前の社長の奥田碩氏が社長在任中、「普通のドライバーは新車購入から7~8年で乗り換える。何も10年以上も壊れない車にする必要はない」と述べ、社内でのコスト削減を指揮したと聞きます。実際に奥田体制下でトヨタは純利益を増大させるなど躍進しましたが、こうした方針が後の大量リコール問題にもつながったと指摘されており、評価の難しいところです。
 私個人の見方で述べると、一企業経営者として奥田氏の決断は決して間違っていないように思えます。しかし私が子供の頃、日本製品は何年経っても壊れないほど丈夫だと海外で言われているという話を何度も聞きましたが、ここ数年、というか2000年以降は決して誇張ではなくそういう話はついぞ聞かなくなりました。私もかれこれ中国にも長く滞在していますが、日本製は中国製や韓国製より品質がいい(デザインは悪いが)という話は聞きますが、「絶対に壊れない」、「何年経っても丈夫」という言葉までは出てきません。
 
 日系メーカーは中国をはじめとした海外で品質の良さをアピールしますが、それは相対的な比較レベルでの品質の良さで、絶対的な品質の良さではないでしょう。確かに製品も複雑化していて耐久度の概念が昔と違うのかもしれませんが、バブル期以前の日本製に対する絶対的な信頼度を勝ち取るまでの品質はもはやないと言っても過言ではありません。
 
 私がこの記事で言いたいのは、オーバースペックと言われるかもしれませんがかつてのコストを度外視したかのような品質を取り戻すのか、それともコストを優先して他国のメーカーよりはマシな品質に落ち着かせるのか、この問いを一回は持つべきじゃないかと思います。無論、昔と違って現代は激しいグローバル競争の中にありますが、短期的な利潤よりも長期的な信頼を勝ち取るのが日系企業と常日頃ほざいておきながら今の状況はちょっと乖離しているように思えるとともに、少なくとも昔ほどの信頼性が今の日本製品にはなく、品質重視というのもそろそろ厳しいのでは、言うほど品質の良さに違いがあるのかと言いたくて書いてみた次第です。

2014年7月23日水曜日

上海食品会社の期限切れ肉出荷問題について

 散々このブログで愚痴っていた今借りてる部屋の騒音問題ですが、再来週あたりにでも引っ越すことが決まりようやく落ち着きそうです。今の部屋の大家にこの問題を相談したところ親身に対応してくれて、騒音の元凶であるスポーツクラブにもいろいろ言ってくれていたこともあり申し訳ない気もしますが、今後ずっと続くこと考えるとしょうがないか。
 ただ、さすがにこっち来て二ヶ月後にすぐまた引越しというのはなかなかしんどい話です。ネットの契約はこれまで通り使えますが回線工事には来てもらわないといけないし、気力がかなり萎えてきます。
 
 
 こっちきてからほとんど書いていない中国ネタ記事ですが、自分にとっては「そんな大騒ぎするものかな?」と思うもののなんか日本で大騒ぎしているようなので取り上げることにします。
 
 恐らく皆さんも内容は既に知っているかと思いますが、上海の食肉会社である上海福喜食品がこのほど、中国のテレビ局による潜入取材によって品質保持期限の切れた肉をほかの肉に混ぜて出荷していることが明らかになりました。意外に大手の会社だったので日本のマクドナルドやファミリーマートはおろか、米マクドナルドまでここから食肉を調達しており、各社ともにここから仕入れいていた肉を使った食品の出荷を取りやめるなどその対応と混乱は広がりを続けております。確かファミリーマートだったと思うけど今回の事件について、「我々は裏切られた、そして消費者を裏切ってしまった」と、なんか中二病っぽい発言してて笑えました。
 
 それで早速続報はないかなと中国現地の報道をざらっとみてみたところ、上海ローカルである東方網の記事だとこの会社は食肉というか家禽を自前で育てずよそから仕入れてるのですが、つぶした鷄がなんと何の保冷処置のない常温の倉庫に保管されてて記事中の見出しには、「神秘の倉庫」とまで書いています。でもって国内外で影響が広がっており、日本マクドナルドについてもわざわざ共同の記事引用して取り上げてます。
 
 この事件、というか事件の報道についていくらか私見を述べさせてもらうと、まずリンクを貼った読売の記事には従業員が「(混ぜても)死にはしないから問題ない」と言ったと書かれてありますが、敢えて正確な意味を類推するならこの従業員は「ばれなきゃ問題じゃない」と言ったと見るべきだと思います。ごく一般の日本人からしたら考えられないかもしれませんが、現代中国人の気質として「その場さえよければ未来は考えない」という概念が強く、将来不利になることがわかっていながらもその場が切り抜けられるなら嘘でも偽装でもなんでもやらかします。
 それにしたって問題のある食材を混ぜて後でばれたら大損害を被るはず、なんて日本人は考えますが、そもそも中国人はばれた後のことなんて全く想定せず、その場で儲かるのであればすぐ偽装に手を出します。これは何も食品業界に限らない話でちょっと専門的な話をすると、今私も関係する鋼材業界なんてひどいもんです。知ってる人には当たり前ですが中国の鉄鋼メーカー、商社から鋼材を買おうとすると最初のサンプルは指定通りの良品が届きますが大量に発注すると最初のサンプルとは打って変わって質が悪くなり、また今回の食肉同様に良品の鋼材の中に不良な鋼材をちょこっと混ぜてくることなんて日常茶飯事です。そのため、日系の自動車メーカーはほぼ間違いなくすべての会社で下請けメーカーに対し中国製の鋼材を使用すること厳禁しており、うちなんかは台湾や韓国から引っ張ってますがわざわざ日本から引っ張ってくるのも珍しくありません。
 
 そういう世界を知っているもんだから私はこの事件の報道を見て、「ああ、ばれたんだ。この前ケンタ行ってお腹痛くなったのってこれかなぁ、夏だし」なんて思っただけです。言い換えるなら、こんなのどこもやってることでモラルだのなんだのというより、当たるか当たらないか、最初の従業員の言葉じゃないですけど私の感覚だとその程度にしか思いません。
 
 更に言うと、まぁ確かに中国じゃこういうこと多いけど、日本も過去にやらかしてるしねぇなんてちょっと皮肉っぽく思います。まさかここでこの事件名を出すとは自分以外有り得ないだろうと思うのですが、日本では2007年にミートホープがありとあらゆる食肉偽装、具体的には今回と同じ期限切れ肉を混ぜたり、動物の血液混ぜたり、消費期限切れで返品されたコロッケをラベル張り替えて再出荷したりと、まぁ今見返しても凄いことやってたなと思えてきます。しかもこの事件で面白いのは内部告発者が保険所に訴えても動かず、仕方ないのでNHKと北海道新聞に伝えたら黙殺され、最後に朝日新聞行ったらスクープにしてくれたという点で、北海道新聞は警察には厳しいけど部落には甘いなぁなんて過去記事で私も書いてます。
 
 要するに何が言いたいのかっていうと、こういうことは国や地域に関係なくよくあることだし大袈裟に騒がず、とりあえずばれたところは潰しておけばいいなんて具合でもうちょっと冷静になったらということです。我ながら厭味ったらしい言い方して書いてますが、この事件に関しては先ほどのミートホープの事件を思い返すにつけ、「これだから中国は」と批判するニュースではないと思ったので敢えて皮肉を込めて書いています。

2014年7月22日火曜日

山田風太郎の日記を読みだして その三

 既に何度か記事にしていますが、山田風太郎が戦中に書きつづった日記「戦中派虫けら日記—滅失への青春」をこのほど読み終えました。ちんたらと読んでたのもありますが、ちょっと時間をかけ過ぎた気もしなくもありません。もっとも長い時間かけただけあってこの本の文章量は非常に多く、確か4年くらいの日記がまとめてあるのもあって読み終わった時には何となくほっとした気もしました。
 
 それで早速感想ですが、全編読み終えた後に書かれてあるこの日記が出版された当時の山田風太郎が書いた回想文がなかなか面白かったです。まず第一声に、自分も先に書いたレビューで指摘していますが前半部に何を食べたとかどこで誰と食ったかなどと食べ物の記述が非常に多い点について、山田自身も苦笑するような感じでこれだけ食い意地の張った日記を残しているとはと述懐してます。ただ当時の状況について何よりも「餓え」が記憶に残っているとした上で、「戦時中というと空襲などが連想されがちだが、当時を生きた人間にとっては満足に食べられなかった思い出の方が強いはずだ」とかなり強い口調で述べており、読んでて意外とそうなのかもしれないなと私も思いました。あと、自分は今でもそうだが当時も小食の部類だったと、ちょっと言い訳っぽいことも書き加えられてます。
 
 そうした前半部以外の描写についてはもう一言、「自分はこの日記に書かれている程立派な人間ではなかった」とした上で、哲学めいた思考やどのように生きるべきかなどといろいろ日記に書いているが、それは当時の年齢からくる思考であって、必ずしもそうした高尚な思考の通りに生きていたわけではないと謙遜した内容を書いています。ただ日記の内容からすると医学校での級友たちからは「山田は常に黙っていろいろ考えている」などと言われていたことがわかり、その後長じて昭和を代表する作家となったことからも周囲とは一線を画すような思慮を持った人物であったことは想像できます。
 
 日記部分の感想を述べると、前半に関しては本当にこれでもかというくらいに食べ物の話題が多いのに対し、後半、具体的には1944年のヶ所に至っては空襲の話が非常に多く出てきます。どこそこで空襲があったとか、空襲警報によって列車が止まって移動できなかった、学校の宿直中に空襲警報が鳴り、何も知らないまま寝たままで死ぬこともありうるなどと死生観について仲間と語り合ったりと、まぁ空襲の話ばかりです。もっとも、空襲の悲惨さについてはほとんど触れられず、実生活への影響の方に重きを置いた書かれ方ですが。
 このほか興味深かったのは、学校での軍事教練の話です。医学校に通っていた山田は学校に付いていた軍人の指導の下でクラス全員で演習形式の軍事教練を受け、「怪我人発生!」、「火災発生、消化の水を運べ!」などと実践差ながらの指示が飛ぶ中、どさくさに紛れて、「奥野中尉、戦死!」などと、指導している軍人の名前を勝手に挙げて戦死したことにする学生がいたようで、言われた軍人も、「誰だ、勝手に俺を殺した奴は!」などと怒ってたという話が読んでて面白かったです。どの時代にも面白い奴はいるもんです。
 
 自分がこの日記を読んでみたのは戦時中の人間は実際にどんな生活をしていたのか、どんなことを考えていたのかを知りたかったためです。山田自身もこの日記について、「(出版した)今となっては当時の状況についてこの様に書くことはできない」と語っており、後年述懐するのと、当時に日記としてそのまま書くのでは同じ人物であっても全然内容が変わってきてしまいます。
 こういう点を社会学は重視しており、自分がこの日記を手に取ったのも社会学的な興味によるものが大きいです。実際に読んでみて戦時中の人間は今、教育者や指導者が言うような価値観とはやっぱり異なった価値観だったのでは、具体的に言うと戦況も気になるが一番の関心事は何度言っても実生活で、物資不足や食糧不足といった不満が最大の関心事だったように思えます。何人死んだかについては日記の前半で、ガダルカナル島の玉砕については触れられ、補給をしっかり行えなかった海軍を批判していますが、後半に行くにつれてこうした記述は減り、「国民生活はもう限界に近い」といった内容が多く書かれていきます。
 
 翻って現在をみても、国民の最大の関心事は言うまでもなく生活、給料で、自由だとか倫理だとか国際秩序なんてどうでもいいってところです。集団的自衛権もマスコミが騒いではいるものの、多分どうでもいいって人が8割くらい行くような気がします。
 産経だったか忘れましたが安倍政権の支持率が下がっていることに対する評論で、集団的自衛権の容認で堕ちたことは確かに大きいが、その背後ではこのところアベノミクスに対して批判的する層の割合が肯定の割合を上回るようになっており、こうした経済政策への不満が支持率低下の主要因ではと書かれてあって読んでて唸りました。実生活を何より優先するという価値観を私は批判するつもりはなく、むしろ山田風太郎の日記読んで、昔から案外こういうもんだよねという気持ちが強まりました。