昨日は昆山市内の観光地である千灯鎮という場所に朝から行き、天気が崩れ始めた夕方ごろから頭痛を起こして寝込んでブログを休みました。パズドラはもちろんやってたけど。
この千灯鎮は17世紀に活躍した中国の哲学者である顧炎武の故郷で彼に関連した史跡や寺があってそんなに悪くない場所でした。ただ臭豆腐を売ってる横でソフトクリーム売るのはどうかな、まぁ買って食べたんだけど。
話は本題に移りますが私は先日、「大逆事件とは」という記事にて見出しの通りに大逆事件を取り上げ、この事件は確かに大きな事件であることは間違いないものの実際に捕まった社会主義者の一部が天皇を暗殺しようとした事実はほとんど教えられない一方、でっち上げで死刑にされた幸徳秋水に対する弾圧にのみがクローズアップされ教えられているのではという意見を書きました。その上で幸徳が無実の罪で死刑にされたのはもちろん無視するべき内容ではないものの、事件全体の事実は大きく取り上げられずこの一点のみ語られるというのも歴史教育として如何なものかと簡単に問題提起しました。
この大逆事件に限らず現在日本の中学、高校で教えられている日本史教育では何故か政弾圧事例がまるで特別扱いされているかのように大きく取り上げられているように私には思えます。具体例を挙げると甘粕正彦が出てくる大杉事件、それとこれはどちらかというと叩いたのは世論ですが日露戦争時の与謝野晶子などで、特に後者は有名な「君死にたまふことなかれ」の短歌が反戦的だと言われたと、実際に反戦を主張した内村鑑三と共に大きく取り上げられています。しかしこの件、与謝野は過去の日清戦争時に「日本ガンバレ!」というような好戦的な短歌を残しており、この日露戦争時の短歌はただ単に弟の身を案じたら反戦的だとして思われ叩かれたのが実情で、彼女自身は全く反戦的な思想はなかったとみられるのに反戦の象徴みたいに現代の歴史教育で教えるのは如何なものかと前から思っています。
本題に戻りますが、現代、というよりは戦後の日本史教育は近現代史において「弾圧」と「反戦」がキーワードというくらいやけに強調した教え方がされている気がします。その強調ぶりはやや度を越しており先程の大逆事件、や与謝野晶子などのように事実関係を誤認させてしまうのではないかと疑うくらいに見えます。それこそ、天皇を中心に歴史人物をどれだけ皇室に貢献したか否かだけで評価していた戦前の皇国史観とおなじく公平な視点からとは言い難い歴史の見方で、何故こうも弾圧が取り上げられるのか、可能性として私が真っ先に疑っているのは日教組の影響です。
日教組についての説明は省きますが戦後の教育、特に道徳や歴史において日教組が果たした影響は大きく、彼らの概念が色濃く反映された教育が戦後長きにわたって実施されていたと言われています。分水嶺となったのは2001年に「新しい教科書をつくる会」が教科書を発行した時でそれ以降からこうした流れに反発する声も強くなってきましたが、それにしたってなんで弾圧をことさら引き立てて教えていたのか気になります。
ここから私の妄想というか仮説になりますが、日教組、というよりあまりこの言葉を使いたくはないのですが「左派」とされる人たちは、弾圧されたという事実でしか自分たちの正当性を説明することが出来なかったからでは、という答えにつきました。本当にあくまで私個人の見方ですが、全共闘の連中や社会主義を信奉する政治家たちの話を聞いていると如何に自分たちが公権力によって妨害されてきたか、警察に邪魔されてきたか、資本家に搾取されてきたかなどとやたら受けてきたとされる被害ばかり主張しているのに対し、自分たちの政治信条や行動が何故正しいのか論理だった説明がとんと聞こえてきません。全共闘の連中に至っては明らかに論理が破綻しているし。
私が何を言いたいのかというと、彼らは自分たちが正しいと信じる理由を持っていなかった、だから「(悪人である)政府から弾圧されるのは自分たちが正しいからだ」という結論に至り、弾圧こそが自分たちの正当性を証明する手段だという風に考えたのではと、勝手ながら思った次第です。
この点についてはまた次回に詳しく書きますが、こうした被害者じみた思想を持ったことから弾圧事例についてやたらと日教組が持ち上げて来たのではないかという風に考えました。よく戦後の歴史教育については戦前の「皇国史観」に対し「自虐史観」と言われますが、そのキーワードの根本を辿ると、「弾圧とは、受けることに価値がある」という面もあるのではないかと思い、我ながら妄想を膨らましているというわけです。