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2014年9月10日水曜日

アクセス不良の原因判明(+_+)

 一昨日の記事で何故か自宅のネット回線でGoogle関連サイトやサービスのアクセスが非常に悪くなったと書きましたが、昨日になってようやく原因が判明しました。その原因というのも、なんとDrop Box(ドロップボックス)でした。
 
 ドロップボックスとは知ってる人には説明不要ですが、無料で使えるクラウドサービスでネット上にファイルを保存できるサービスです。わかりやすく言えばネット上にフォルダを設けるようなもので、自宅外でデータを共有する際やバックアップデータを保存する目的で使用する人が多いのですが、私はそれほど利用しているわけではないもののサイトのバックアップデータをパソコン内HD、外付けHD、そしてこのドロップボックス内の三つに保管しております。
 
 今回のアクセス不良が何で起ったのかというと、先週土曜に三カ月ぶりにバックアップデータをエクスポートして念のためドロップボックスにも置いておこうとデータのアップロードを指示したのですが、この操作はパソコン内でデータをドロップボックスの仮想フォルダに置いとけば勝手にやってくれるので実際にアップされたかどうかは確認しませんでした。それでどうなったのかというと、結論から言えばデータのアップロードは叶いませんでした。
 自分も今回の一件で初めて知ったのですが、Face book、Youtube同様にドロップボックスも中国国内ではアクセス禁止対象だったそうです。そのため自分のパソコンは起動中、繋げることのできないドロップボックスに延々とアクセスを試みており、昨夜になって画面右下にあるアイコンの非通知欄を見たらドロップボックスの「接続中」と表示されてたことからようやく気が付きました。
 
 ドロップボックスへのアクセス試行が何でほかのGoogle関連のアクセスにだけ影響を及ぼした(ほかのサイトはノープロブレム)のか、理由はわかりませんがドロップボックスのアップロードを中止してプログラム時代を終了させたところまた元に戻りました。ほかの人間にもよく伝えておりますが、中国は常識じゃ考えられない事態が平気でよく起こります
 ただ真面目な話、こうした劣悪なIT環境はいつか中国にとっても大きなしっぺ返しを与えかねないのではないかと密かに思います。近年は色々抜け道も増えてきて事実上検閲があんまり機能しなくもなってきており、もはやここまでネットを規制するのは海外投資を引き込む上でリスクとしてみられかねないと思うだけに、もっと開放してくれ、自由をよこせと叫びたくなる次第です。
 最後に蛇足ですが、こうしたネットの自由のない中で生活していると、日本の記者が自由を侵された経験がないにもかかわらず自由を守ろうとか抜かしているのを見ると非常に腹が立ちます。

2014年9月8日月曜日

滅亡後の殷の人々の行い

 今日は中国では休日だったので朝からパズドラばかりやってましたが、降臨系ダンジョンの「ヘラ・イース降臨」が出ていたので一つ攻略法を頼りにチャレンジしてみました。攻略法に従い防御・回復に特化した陣容で挑んだため屁のような攻撃力でちまちまと実に一時間前後も戦って無事に超級のダンジョンをクリアできたのですが、ボスのヘラ・イースというモンスターの獲得確率は40%であり、見事に取り逃しました。しかも二回も……。
 そんなこんだでテンションだだ落ちの状態ながら今日も元気に歴史記事を書きますが、「殷」という中国王朝についてちょっと書いていきます。
 
 殷という王朝については少年ジャンプで「封神演義」という藤崎竜氏の人気漫画に登場したことから日本でも比較的知名度の高い王朝だと思います。この王朝は遺跡などが確認できる中国最古の王朝で、時代としては紀元前17~10世紀に存在していました。ただ中国最古の王朝とはいっても領土範囲は現代の中国からするとごくわずかで、大体陝西省、河北省、河南省の範囲くらいにしか領土はなく、中国を代表するというよりは中国の一地方にあって後の漢民族に連なる王朝と考える方が適当かもしれません。
 
 この王朝の最後を飾ったのは紂王という現代においても暴君の代名詞とされる王で、「酒池肉林」や寵愛した「妲己」という妃などといった言葉と共に悪し様に言われ続けております。最も紂王の悪行については比較的近い時代からも疑問視はされており、論語においても「世の中の悪いことすべてを紂王のせいにされたのだろう」とフォローする言葉が残されています。
 こうした「紂王擁護派」には作家の陳舜臣氏も属しており、殷を葬り政権を乗っ取った周王朝のプロパガンダによる影響が強いと指摘しております。陳氏によると、周が挙兵した際の大義名分の中には「紂王はみだりに人を殺し」という文言が入っているのですが、これについては民族間の文化の違いが大きいと分析しております。
 
 陳氏の著作「中国の歴史(1巻)」にはこう書かれています。殷王朝は狩猟民族による王朝で、狩猟の成功を祈る祭事が盛んに行われていたそうです。現代においても祭器に使われたであろう殷時代の青銅器は数多く残っており、また占いに使用された骨(=甲骨文)も多数出土しております。こうした祭事の際によく使用されたのは生贄なのですが、この生贄に殷は異民族の人間を数多く使っていたのではないかと陳氏は指摘しております。同じ人間とは言え現代みたいな人権思想は全くなく、また言葉も違えば風体も異なる異民族は当時の殷の人々からすれば現代における家畜のような存在で、恐らくは同じ人間を殺しているという感覚がなかったのではと書かれています。
 こうした殷の人々に対して周の人々は農耕民族で、彼らからすれば労働力となる人間はたとえ異民族であっても貴重で、彼らも恐らくは異民族を家畜の如く奴隷として使っていたでしょうが、殷のように祭事のために殺すのはもったいないと考えていたのではないでしょうか。それゆえ「みだりに人を殺す」という大義名分が出来上がったわけですが、殷の人間からすれば真面目に祈っているというのに何をか言わん、というように受けたのではとまとめています。
 
 私自身もこの説をおおむね受け入れており、殷が悪逆を繰り返したというより民族間の文化の違い、民族間の単純な対立が殷に対する周の革命劇だったのではないかと見ています。この説の根拠として陳氏は、「殷の時代のものと思われる祭器や甲骨はたくさん出ているが、周の時代になるとこれが全く出てこなくなる」と書いており、殷は祭事に関して非常にまじめな王朝だったと記しています。
 
 ただそんな真面目王朝の殷は周に負けてしまって落草の身分へと落ちるわけなのですが、殷の貴族や人々は全員殺されたわけではなく、大幅に領土を削られたとはいえ首都朝歌のあった場所を中心に居住し続けることを許されました。ただ領土は限定され、しかも山間部の土地の貧しい所に追いやられたこともあって農業で生活していくのは難しく、仕方なく殷の人々は各地の物産を売り買いする交易を行うことによって生活基盤を作っていきました。こうした交易活動は「殷」の別名である「商」を使い、「『商』の人々の行い」と言われるようになり、現代においても使われる「商い」、「商人」という言葉はここから出来たと言われています。もっとも、故・白川静はこの説を否定してたそうですが。
 
  おまけ
 藤崎竜氏の漫画版「封神演義」はネットでレビューなどを見ていると非常に高い評価が並んでおりますが、私個人としてはストーリーに風呂敷の広げすぎが見られるし、明らかに途中でコンセプトをひっくり返しているのであまり評価しておりません。特に、悪役としてとてもキャラが立っていた妲己をラスボスに据えず、最後の最後で「実はいい人」みたいに扱ってしまったのは非常にもったいなかったのではと考えています。
 
  おまけ2
 日本人なんか比較的スイーツだから討幕された後の北条家や足利家、徳川家の一族に対して苛烈なことをしてないけど、中国では今回取り上げた殷に限らず滅亡後の王朝の皇族や貴族たちの末路はどの時代も悲惨です。特に12世紀に金に敗けた北宋ではほぼ全員が北方地域に連呼すあれ、男はみんな殺されるか奴隷となり、女はほぼ全員娼婦にされて当時の人々からも深く同情されています。こうした中国の歴史を日常的に触れているせいか、女子供を含む一族郎党全ての処刑がそれほど残酷だとは思えなくなってきたなぁ。

Google関連サービスのアクセス悪化

 今日は中国では中秋節といって祝日のため家でボーっとしていたのですが、なんか一昨日あたりからGoogle関連のサイトやサービスの接続が悪く面倒被っています。具体的に述べると、自分のサイト「企業居点」でGoogleのフォントサービスがJavaに組み込まれているのですが、このフォントサービスの接続にやたら時間がかかるため更新作業とか始めると腫れぼったく遅いです。またメインで使用しているプロキシサーバーではGoogle関連のサイト、検索やYoutube、このブログでも使っているBroggerなどは完全にアクセスできなくなり、泣く泣くこのところほとんど使っていなかったサブのプロキシを使ったりして糊口をしのいでおります。
 
 原因はまだはっきりせず、もしかしたら自宅に引いてる回線に問題があるのかもしれませんし、中国政府がまた何かしら制限をかけているのかもしれません。しばらくしたら回復するかも、というか回復しないと困るのですが、ひとまず日記として書き残しておこうと思った次第です。

2014年9月7日日曜日

プロ野球、記憶に残る優勝チーム

 上の写真はこの前ネットで拾ってきた写真ですが、遠距離撮影の静止画ながら妙に躍動感がある画像で気に入っています。それにしてもなにしやがるんだこのツバメは……。
 写真に合わせて、というわけでもないですが最近スポーツネタを書いてないので、今日は前から準備していたプロ野球関連のネタについて書きます。そのネタというのも、私個人の中で記憶に残っている優勝チームです。
 
 プロ野球は言うまでもなく毎年ペナントレースが行われセパ両リーグで二つの優勝チームが出ます。毎年出てくる優勝チームですが何年かに一度は際立ったというか記憶に深く残るチームがあり、今日は私の目線で「あのチームはほんと強かった」と思えるチームをいくつかピックアップしてみようと思います。なお年齢の関係から、90年代以降のピックアップとなってしまう事にはご承知を。
 
 
1、1998年・横浜ベイスターズ(マシンガン打線
 今でこそAクラスからはほど遠いチーム事情が続くベイスターズですが、90年代後半は間違いなく競合の一角でほぼ毎年優勝争いの候補として名前が挙がるほどの実力を擁しておりました。その高い実力の原動力たるや括弧書きに書いた「マシンガン打線」と呼ばれた打撃陣で、ホームラン数こそ少なかったもののバッター全員が異常なまでにヒットを量産していただけでなく、一人が塁が出るや後続も次々と続くなど数得点を一度にもぎ取る非常に稀有な打線でありました。
 その中でも特に目立っていたのは4番を担ったロバート・ローズ選手です。優勝したシーズンの打率が「.325」という高い数字だったこと以上に、ランナーがいる状態であればほぼ確実に長打を放ってくるという恐ろしいまでの勝負強さが際立っており、満塁時であれば五割くらいの確率でヒットを打っていたようにすら思えます。このほかにもその後に2000本安打も決めた1番の石井琢朗選手、打って、走って、守れての三拍子が見事揃っていた3番の鈴木尚典選手など、素晴らしくタレントの揃っていた打線でした。特に鈴木選手は長打も単打も盗塁も自由自在だったので私がゲームで使っていた際は本当にありがたい選手でした。
 このように打線こそチームの代名詞となっておりますがその裏で投手陣も異常なまでに充実しており、現在も横浜で活躍されている三浦選手、楽天にいる斎藤選手、野村選手とエース級の先発投手が揃っていただけでなく、「大魔神」のニックネームで有名なストッパー、佐々木選手が君臨しておりました。後年、中日の岩瀬選手や元阪神の藤川選手、巨人の山口選手など球界を代表するようなストッパーが各チームに現れておりますが、ことストッパーという点においてはこの時の佐々木選手以上の圧倒的な威圧感、迫力、そして安心感を持ったストッパーはいないんじゃないかと思います。それほどまでにこの時の佐々木選手の投球は図抜けており、今も当時のビデオを見る度に「なんやねんこのフォーク……」とため息が出てきます。
 
2、2003年・ダイエーホークス(ダイハード打線
 2000年代前半にパリーグの各球場で使われていたボールは現在と比べて明らかに「飛ぶ球」で各球団ともに大幅な打高投低な傾向が見られましたが(近鉄の「いてまえ打線」も当てはまる)、ことホークスの打線となると記録上でも異常な数字が並んできます。
 優勝こそ逃した2001年は井口選手、小久保選手、松中選手、城島選手の四人が30本以上の本塁打を記録しております。その二年後の2003年、この四人のうち小久保選手は怪我で試合には出られませんでしたが、残りの三人にペドロ・バルデス選手の四人が四人とも100打点以上を記録した上、チーム打率も「.297」という途方もない記録を打ち立てております。注目すべきは打率や打点の高さに隠れて井口選手、村松選手、川崎選手の三人がシーズン盗塁ランキングの上位三位を独占するという機動力も備わっていたという点で、本当に資格のないチームだったように未だに強く記憶に残っています。
 この時クリーンナップを担った各選手はその後、松中選手を除いて他のチームへ移籍しておりますが、どのチームでも4番を含めた主軸を担っており、誇張ではなく「4番の実力を持った選手だけでチームを作った」ようなチームだった気がします。また先のベイスターズ同様に2003年優勝時は投手陣も充実というかエースがずらりと並んでおり、和田選手、杉内選手、新垣選手の三人のルーキーが揃って大活躍して優勝に大きく貢献していました。新垣選手だけはその後のシーズンでは持ち崩しておりますが、何とか今後復活を期待したいところです。
 
3、2009年・WBC日本代表
 仮に歴代で最強と呼べる日本のチームを挙げるとしたら、私はこの2009年のWBC日本代表チームを挙げることにします。各チームから名選手だけを引っ張ってきているのだから多少ずるい気はするものの、チームとしての完成度で言ったらこのチームが一番素晴らしかったと今では思えます。
 参加した選手はお馴染みのイチロー選手を筆頭に松坂選手、ダルビッシュ選手、岩隈選手、田中(マー君さん)選手、青木選手、川崎選手などその後にメジャーリーグでも大活躍する超一流選手たちはもとより、内川選手や小松選手などその後も在籍するチームの柱石となる選手も多く、これほどはずれのない人選はそうないんじゃないかと思える陣容です。
 実際の試合では予選リーグで大活躍した村田選手が怪我で本戦に出られなかったり、ストッパーとして期待された藤川選手が不調でダルビッシュ選手が代わりにストッパーを務めるなど多少のトラブルはあったものの、実際の試合では各選手が文字通り奮戦し、見事優勝にまでこぎつけました。特にイチロー選手に至っては予選から本戦までずっと不調であったものの、最後の大一番である決勝戦の韓国戦では決勝打を放つなど事実上、試合を決めるキーパーソンとなっており、あれだけの不調にもかかわらず使い続けた原監督の采配には頭が下がります。
 なおこの時のWBC大会では投手MVPは松坂選手に挙がりましたが、一番私の印象に残ったのはほかでもなく岩隈投手でした。数試合の登板を見ましたが大舞台でも一切動じず安定した投球を見せ、やはりその実力は抜きんで板という印象を覚えます。松坂選手自身も「真のMVPは岩隈選手」と話していたらしく、その後のメジャーでの活躍を見ても現時点でのナンバーワン日本人投手はやっぱこの人ではと思えてきます。
 最後に蛇足ですが、「マー君さん」こと田中選手はこの時にWBC代表として偉大な先輩たちと共に世界のチームと戦ったというのはその後のキャリアにおいて素晴らしい経験になったのではないかと素人ながら思ってます。また優勝時、藤川選手に「お前、まさひろっていうよりまさおって顔だよな」って言われ、「まさお」と連呼されながらみんなから蹴られたというのも、今思うといい経験だったんじゃないかなとか思ったりします。

2014年9月6日土曜日

中国の天気予報に対する不満

 今日の中国江蘇省は一日中晴れてて乾いた空気でもあり、さわやかな初秋の一日でありました。にもかかわらず先程MSNの天気予報を見たら今日の天気は「雷雨」と書かれてあり、なんやねんと思いつつまたもかと思ったわけです。
 
 あくまで私の肌感覚ですが、中国の天気予報は日本の気象庁と比べて的中率は悪く、全く当たらないというわけではないですが信頼がおけるデータではなくあくまで「参考値」としか見れないところがあります。もっとも中国は日本と比べて山地が少なく、平地ばっかなためにどこで雨雲が発生して降雨となるのか予想が難しいであろうということは多少同情します。
 しかしそれにしたってもうちょっと的中率を上げられないのかと思い、だったら始めから信用せずに自分で天気図を見てこれから予想を立てようというところに行きついたのですが、この時点でちょっと妙な事実に気が付きました。その事実というのも、中国には天気図がないということです。
 
 もしかしたら存在はしているのかもしれませんが、私が確認している限りだと天気図はネット上だとどこも公開しておりません。中国の気象局のホームページに行っても妙なレーダー図とか衛星写真こそ確認できるものの、日本みたいに前線記号や等圧線の書かれた天気図はついぞ確認できませんでした。中国一の検索ツールである百度でも「天気図」や「気圧配置」などというワードで検索してみましたが、どちらも日本のサイトしか検索に引っかからず中国地域のこれらの図はどうやっても見つかりません。
 
 もしかしたらですが、もしかしたら中国には天気図という物がそもそも存在しない、予報士も天気図を見ないでレーダー写真だけで予報を立てているのでは……という疑問がもたげてきました。っていうか天気図作れないんだったらまともに登山すらも出来ないはずなんだけどなぁ。
 恐らく日本人の大半は天気図なんて見ないで生活していると思いますが、なんだかんだ言いつつ予報を立てる際に天気図を見ると参考になるし、気圧配置とかでどれくらい風が吹くのかもわかったりできます。中学校の頃の教師があんまり教えるのが上手くなかったので当時は興味ありませんでしたが、高校時代に地学を学んだ際に再度勉強し直して、現在は予報士が晴れとか雨とかいうのよりもこっちの天気図で予想を立てることの方が多いです。
 
 にもかかわらず、中国ではその天気図を気象局が作成して公開してくれてはいません。もしかしたらプロの予報士すらも天気図を作れもしないしわかりもしていないのであれば、ちょっと自然科学のレベルを真面目に疑います。悪いことは言わないからちゃんと日本みたいにウェブサイトやテレビニュース中にちゃんと公開してくれと心の底から叫びたい次第であります。

朝日新聞の池上氏コラム問題について

 すでに各所で報じられているので説明する必要がないでしょうが、ジャーナリストの池上彰氏が朝日新聞紙上で連載していたコラムにて朝日新聞の従軍慰安婦記事が誤った事実を根拠に書かれていたと朝日自身が認めたことについて、誤報を流したことを正式に謝罪すべきではないかと書いたところ修正を求められ、掲載が見送られたという事実が池上氏自身の口から明かされました。記事掲載の見送りについては朝日新聞も認め、またその後に激しい批判にさらされたことから一転して掲載見送りは誤った判断だったとして掲載すると発表し直しました。
 今回の朝日新聞の対応について私個人の意見を述べると、やっぱこの会社って責任とかが緩いなぁなんて思います。共同通信なら担当編集長が間違いなく解任くらうのに。

 今回の掲載見送り判断のどこが問題なのかというと、単純に朝日が日頃から批判している「検閲」そのものを自身でやってのけたという点に尽きるでしょう。池上氏のコラムの内容は朝日にとって耳に痛い批判そのもので、そうした批判文などを意図的に載せようとしないのは戦前の日本と何も変わらず、こんなことしでかしておきながらどうにかなると判断した人間の頭はきっときれいなお花畑が広がっているかと思います。
 折しも、週刊文春など週刊誌数誌がまさに同じ従軍慰安婦誤報関連の記事を載せた号の広告を朝日新聞に載せようとしたところ、朝日は広告の掲載を認めないと拒否し、最終的には該当記事の見出しを黒塗りにする、これまた戦前、というよりは戦後ですが、検閲そのものという荒業をやって広告掲載を認めています。あまりこの週刊誌の広告問題と絡めて報じるメディアはまだ見ないですが、全く同じベクトルの問題だというのに池上氏には謝って、週刊誌には謝らないというのは報道機関、というより普通の人間の神経からしてどうかといったところでしょう。

 もっともこの問題はほかでも言われている通りに、当事者が池上氏だったからこそ朝日は対応を変えたと見て間違いないでしょう。仮にほかの人、それほど有名でなかったり、連載を中断するというような骨のある人間じゃなかったら黙殺して、そのまま知らぬ存ぜぬで無視していたと思います。今回の逆転劇も世間の批判が予想以上に大きかったからで、こういってはなんですが「都合の悪い内容は無視して載せない」という点については何も反省していないだろうし、近いうちにまた同じことをやらかすと私は予想します。古い話ですが、まだフジサンケイグループはホリエモンのニッポン放送買収事件の際は身内の出来事ながら逐一自分とこのメディアでも報じていた分、しっかりやっていたなと改めて感じます。

 問題の発端である従軍慰安婦誤報問題についてですが、事実概要についてはちょっとあれだけどこばやしよしのり氏の漫画「ゴーマニズム宣言」が比較的わかりやすく解説されていると思います。ちょこっとだけ説明すると、朝日新聞や韓国政府が従軍慰安婦が存在していた根拠とする本があるのですが、その本は全くのでたらめで、書中にある部隊名や命令書の番号などどれもこれもいい加減で作者本人も後で嘘書いたと認めているくらいです。それが今回の誤報問題の根源なのですが、最初に従軍慰安婦問題が持ち上がった頃と比べて現在はネットでの伝播力というものは高まっており、今とは時代が明らかに異なっております。

 何が言いたいのかというと、恐らくこの問題はまだまだ続くだろうし、朝日も同じような検閲を続けるでしょうし、変に長引くことによって部数もどんどん減っていくのではと私には思えます。ただでさえ新聞業界は不況だというのに、今後は明確な意思の下で購読を拒否する層が出てくるのではないかと思えるのに対し、朝日新聞側は未だにそれなりの緊張感というか危機感を呆れるくらい持っていないなという風に見えます。

 なお先ほど誉めたフジサンケイグループですが、フジテレビの韓流偏向について批判デモが行われた際は今回の朝日新聞同様に見事黙殺にかかってきました。結果はというとその後フジテレビはじりじりと視聴率を落としていき、韓流番組がすっかり減少した現在においてもかつての栄光どこ吹く風というくらいに丁重な視聴率順位に甘んじています。デモ当時にあのデモは韓国に対する排外主義的なデモだと批判する声もありましたが、今となってみると偽らざる単純な視聴者の声だったものではないかと思え、フジテレビは明らかに対応を誤ったなと考えてます。それにしても、フジテレビは韓流ゴリ押しだったのに同じグループの産経新聞は韓国大統領に因縁つけられるって面白い関係だなぁ。

2014年9月4日木曜日

後輩に行った講義

 先日、私の後輩が自分が「上海人とほかの中国人」の記事で書いたような内容を本社への報告として書きたいから、この記事にちょっと出てくる管仲の「衣食足りて礼節を知る」という格言のエピソードについて講義してほしいと依頼をしてきました。文書で送るのも面倒だったのでそのまま電話で簡単な解説を行った上で、
 
「ちなみに論語で孔子は、『金持ちで優しくなるのは簡単だが、貧しいのに優しくなるのは難しい』という言葉を残している。この言葉も『衣食足りて礼節を知る』につながる内容だと思う」
 
 と付け加えました。更にその上で、
 
「ちなみに『艦隊これくしょん』というゲームで戦艦大和は大鑑巨砲主義の申し子ということで巨乳に描かれている。作った奴はよくわかっている」
 
 と付け加えました。会社の報告書にこれも書いたらと後輩に言ったら、「上司にマジギレされる」といって拒否されました。後輩の会社では「艦隊これくしょん」は流行ってないそうです。
 
 なお実は私もこの「艦隊これくしょん」は遊んだことがありません。しかしネットで見ていると非常に流行っているようだし関連グッズも好調なようですからちょっと無視し辛いかなと思いつつ、ウェブブラウザで遊ぶゲームという性格から中国ではおいそれと触れられないというのが痛い所です。仮に遊ぶ機会があるなら私が一番好きな空母の「瑞鶴」を延々と使うことになると思え、もうこの際だから「永遠の瑞鶴」みたいな小説でも書いてみようかななどと密かに計画中です。マジでやったら百田尚樹氏に怒られるだろうな。
 ただこの「艦隊これくしょん」ですが、キャラクターとなる女の子のイラストを見ていて最近気が付いたのですが、かなりアレンジされてはいるものの基本的に和装をしているのが地味に大きな特徴ではないかと思えてきました。改めて眺めていると和服にこれほどバリエーションがあるのかと気づかされると共に、見ていて文化的なインスピレーションも受けるし見栄えも悪くないんだから、多少崩すというかアレンジを加えてもいいのでもっと日本人は和服を着てもいいんじゃないか、かえってそのほうが多様性を広げられるんじゃないかとこの頃よく思います。
 
 もっとも和装といってもこれは女の子が着るから価値があるのであって、男が衣冠束帯や鎧武者姿で街中にでも繰り出そうものなら周辺の要注意人物としてピックアップされるのがオチでしょう。以前に外語大出身者から聞いた話ですが、日本の着物といい韓国のチマチョゴリといい、伝統的衣装というのはどの国でも女性がそれを守る、保持する立場に置かれる傾向があるそうです。中国の旗包ことチャイナドレスにも言えることかな。
 なんで女性ばかりで男は伝統衣装着ちゃだめなのか、また伝統衣装を男も守るべきだという声が出てこないのは改めて考えると不思議です。成人式でも女の子は着物を着るのが普通ですが男が羽織袴だと暴れる新成人みたいに見られるため、やっぱスーツ姿に納められてます。もっともそんなこと言いながら自分は成人式の日、京都から実家帰るんだからといって京都の土産物屋で新撰組の羽織買った上にレンタルで袴借りて、ちゃんと「誠」の鉢巻締めて会場に繰り出しております。ほかの奴らは知らんが自分は伝統を守ったぞ等と周りに言ってましたが、「コスプレ会場と間違っただけやろ」とツッコまれてしまいました。