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2015年1月6日火曜日

林原の破綻を巡る経緯

 トレハロースインターフェロンという名前をどういうものかは具体的にわからないまでも耳にしたことがあるのではないかと思います。両者ともに糖質物質の名前で、前者は主に食品の甘味料として使われ、後者は主に医薬品として抗がん剤などに用いられています。
 この両物質の安価な量産法を確立したのはほかならぬ日系企業で、岡山県にある「林原」という会社でした。自らの技術開発によって量産法を確立したこともありこの二つの物質で林原は世界シェアをほぼ独占するような地位を築くなど岡山県を代表する会社でしたが、2011年に債務超過により経営破綻し、化学品専門商社の長瀬産業によって買収され現在に至っております。

 先日、私の知恵袋的友人から林原の破綻当時の社長であった林原健氏が出した「林原家~同族経営への警鐘」という本が面白いと推薦を受けて試しに読んでみたところ、これがなかなか面白く、非上場のオーナー企業であり独自技術を持つ超優良と思われた会社が破綻に至るまでの経緯は下手な小説よりずっとドラマチックでした。そこで今日はこの林原が破綻するまでの経緯と、林原健氏の書籍を読んで「ん?」と思った点を私なりに紹介しようと思います。
 書く前の段階ですが、詳細にやると文章長くなるし、かといって短くすると面白味が欠けるし、ほんのり気分が憂鬱です。可能な限り文字量を圧縮して伝えなきゃいけないから、腕の見せどころではあるけど。

<林原について>
 まず破綻前の林原についてですが、一般人を含めて超優良企業と誰もが目していた会社でした。独自技術によって世界シェアを独占する商品や生産特許を多数保有していただけでなく地元岡山県を中心に多数の優良不動産、岡山駅前の広大な土地や京都センチュリーホテルなど知名度の高い物も多く保有しており、見方によっては下手な大企業よりも実力も価値もある会社という風に見られていたと思います。多くの経済メディアも同じような視点だったようで、在任中に林原健氏は日経新聞の名物コラム「私の履歴書」に出ただけでなくテレ東の「カンブリア宮殿」にも実弟であり専務の林原靖氏と一緒に出演するなど、カリスマ経営者として高い知名度を持っておりました。

 それほどまでに優良視されていた林原は何故破綻したのか。先日にこの林原の話を大学の先輩に振ってみたところ、「知ってるよ。バブル期の不動産投資に失敗したんだろ。本業は順調だったのにさ」という答えが返ってきました。細かい数字を精査していない段階ではありますが、この先輩の見方は全く的外れでないものの、実態とは異なっているというか逆だと私は考えています。
 というのも林原の破綻後に行われた債務整理で、元社長の林原健氏の私財投入などもありましたが保有している土地や株式などの資産を売却したことによって抱えていた債務(=借金)の弁済率は93%を達成、つまり93%の借金を返すことに成功しているのです。通常の破綻後の債務整理だと弁済率は約10%程度とされるだけに、保有していた不動産などの資産が「不良債権」だったとは少なくとも言えないと思えます。

<破綻の原因>
 では何故林原は破綻したのか。結論から言えば放漫ともいえる研究費の支出と、本業ともいえるインターフェロンをはじめとする化学物質の販売が非常に悪かったこと、そして何よりも不正経理が発覚したためでした。

 順を追って書いていくと研究費については兄であり社長である林原健氏が全く金に糸目をつけず実験に必要な機器を研究員が要望するままに調達し、林原健氏自身も研究員に対して、「もっと高い機器を申請しろ」と発破をかけてたそうです。そうした購入申請に対して金庫番たる林原靖氏は兄の言うことに逆らえず、本業でほとんど利益が出ておらず流動資金にも事欠く状況でありながら言われるがままに研究費を支出し続けていました。

 次に本業の儲けについてですが、確かにインターフェロンは抗がん剤にも使われるなど用途がはっきりあり、なおかつ林原が世界シェアでトップとなる看板商品でしたが、弟の林原靖氏の著書「破綻 バイオ企業・林原の真実」によると、インターフェロン生産のために建設した吉備製薬工場の稼働率は2割を越えたことがなく、インターフェロン事業は赤字も赤字の大赤字で破綻の最大原因になったとまで言及しています。そのほかの物質の事業も大体そんな具合で、世界シェアこそ高かったものの営業利益で見たらそこまで会社を牽引する売上げではなかったそうです。

 そのように本業が駄目だったにもかかわらず膨大な研究費を林原はどうして支出し続けたのか。これには理由が三つあり、一つ目は兄の健氏の要求に弟の靖氏が逆らえなかったこと。二つ目は社長の健氏が研究者肌で経営には全く興味がなく、現状の売上げや純利益にも目もくれず経営状況を全くと言っていいほど省みなかったこと。三つ目は専務の靖氏が金策に走る傍らで不正経理に手を染めていたにもかかわらず、社長の健氏は不正経理の事実を全く知らず自社の経営状況がひっ迫していることに最後まで気付かなかったためでした。

<不正経理>
 林原の不正経理自体は破綻のずっと前、バブル崩壊の頃から始まっていたそうです。土地などの資産を多数持っていた林原はバブル崩壊の以前と以後で保有資産の価値が約1兆円から約1000億円と十分の一まで目減りし、この時から既に債務超過に至ってたそうです。当時から経理業務を担っていた靖氏は周囲のごく近しいメンバーとともに架空売り上げや付け替えといった錬金術によって銀行向けに見栄えのいい決算資料を作成し、そうした行為が破綻の直前に至るまで常態化していました。
 一方で社長の健氏は弟の手によって不正経理が行われているなんて全く知らず、自分が主導している研究が着実に成果を出し会社を潤わせていると信じ続け、「自分の経営方針は間違ってない」とばかりに高額な研究へどんどんとのめり込んでいったそうです。また靖氏もそんな兄に対し、世界的に評価される研究実績を確かに出していたこともあってか本当の台所事情を明かさず、兄が要求するままに研究費を調達することに明け暮れていました。

<不正発覚から破綻まで>
 2010年12月、社長の健氏は専務の靖氏からメインバンクの中国銀行から呼び出しを受けたと連絡を受けます。通常、銀行側から林原本社へやってくることが常だっただけにこの時点で健氏は奇妙に感じていたそうですが、靖氏共に実際に訪問するとサブバンクの住友信託銀行の人間もおり、林原が不正経理をしているという事実を明かされます。
 一体何故発覚したのかというと以前から両行は林原の財務状況に疑問を感じていたそうで、二行だけで提出されている財務資料を付き合わせてみたところ案の定差異が見つかったわけです。不正の事実を告げられたものの健氏は財務は弟に任せていただけに全くの寝耳に水でしたが、靖氏はその場で不正経理をしていたことを認めたため動揺しつつも事後策を練ることとなりました。

 林原健氏、靖氏、そして中国銀行と住友信託銀行は当初、ADRという民事再生法によって致命的な破綻を避ける方向で臨むことを決めました。民事再生法とは言うなれば債権と債務を持つ者同士で話し合って一部債務を放棄する代わりに会社を存続させる、裁判で言うなら「和解」のようなものです。ただこの民事再生法を成立させるには関係する当事者すべての同意が必要で、林原は両行を含め計28行の金融機関と取引があったため初めから困難な交渉になると予想されました。
 案の定というか内密に取引銀行関係者のみを集めた最初の会合は紛糾し、特に債務超過の事実に先に気がついていた中国銀行と住友信託銀行が林原の保有資産に対し抜け駆け的に抵当権を設定(担保を取る)していたため、他の取引銀行からは平等ではないなどと批判が集まり合意を得るどころではなかったそうです。補足的に説明しておくと、抵当権があると林原が破綻したとしても二行はほぼ確実に債権を回収できますが、ほかの銀行はその割りを食って回収できる債権が目減りするためみんな怒ったわけです。

 このように一回目の会合は不調に終わり二回目の会合はどうなることやらと思っていたら、本来秘密にしていなければならないこの会合と、林原がADRに動いているということがメディアによって報じられてしまいます。情報の遅漏元はこの時の銀行関係者なのか林原の内部からなのか未だ明らかになっていませんが、「林原が倒産間際」と報じられたことによって林原の原料仕入れ先や販売先には動揺が走り、仕入れ先の中には即日取引を停止するところも現れたそうです。

<突然の会社更生法申請>
 このようなドタバタな状況の中で開かれた第二回の会合ですが依然として住友信託銀行とほかの銀行間の対立は収まらず全く合意が得られないままだった最中、ある銀行関係者が突然立ち上がり、こう言い放ちました。

「皆さん、皆さん、お静かに願います。当行本部からたったいま、わたしの携帯に連絡が入りました。 西村あさひ法律事務所の弁護士が、東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請をおこなったとのことです」

 その場にいた靖氏によるとこの発言によって会場は大混乱となり、悲鳴や怒号が鳴り響く中でADRは不成立という結論に至ったそうです。
 補足説明をすると、ADRが「民事再生手続き」であるのに対し会社更生法は「法的再生手続き」となります。前者は関係者同士が話し合ってある程度自由な形で債務の減免や資産の処理などが行えますが、後者は法律の規定に則りルールに従って債権の処理が行われます。まぁ端的に言えば、銀行関係者としては前者の方がありがたかったと理解してもらえばOKです。

 靖氏は会社更生法を申請をするなんてこの時全く知らなかったそうで、顧問を請け負っていた西村あさひ法律事務所がADRが不成立に終わると見て、抜け駆け的に行った行為だったと述べています。その上で破綻処理に伴う顧問料や資産売却に関する仲介料などを目的に行った、いわば破綻処理ビジネスのため意図的に林原を倒産させたのではと著書で指摘しております。その後の弁済率が93%だったことを考えると、全く考えられなくはないねと私も思いますが。

 こうして林原は不正経理が発覚してからわずか二ヶ月後の2011年2月、会社更生法の手続き開始によって正式に経営破綻することとなりました。

<両者意見の食い違い>
 上記の会社更生法の申請に至るまでの過程は林原のウィキペディアのページの情報、そのネタ元である靖氏の著書「破綻 バイオ企業・林原の真実」を下地にして書いております。まぁ読んでてなかなか面白い展開だと思うしPwCが出てくるなど陰謀論的な推理は思わず引き込まれます。しかし、これが兄の健氏の著書「林原家~同族経営への警鐘」を読むとこの場面について異なる内容が書かれてあり、一言で言って強い違和感を覚えました。

 先に書いておきますが健氏の「林原家~同族経営への警鐘」は今日1日で読みましたが、靖氏の「破綻 バイオ企業・林原の真実」はKindleで売っておらず、生憎まだ読んでおりません。中国にいるがゆえのハンデと思いウィキペディアの記述を信じてこのまま書き続けますが、健氏はその著書でこの時の状況について以下の様に書いております。

 私はすぐにADRの担当弁護士に来てもらった。
「ADR申請を取り下げ、会社更生法に切り替えてください」

 前後の記述を読むと、健氏はADRに関する報道が出たことによって納入を停止する仕入れ先も現れ、そうなると林原の製品を原料に使っている業者に大きな影響が出ると考え、混乱を早期に収めるためにも会社更生法の申請を決断したと書いてあります。なおその日程は2月2日で、靖氏の著書にある「第2回ADR債権者会議」が行われていた日程と確かに一致するものの、健氏の著書では、

「ADRの第1回債権者会議が予定されていた日、林原はADRを取り下げると同時に、会社更生法の適用を申請し、私と弟は職を辞した。」

 と書かれてあり、第1回か第2回なのか、なんかちぐはぐな印象を受けます。
 もっともそれ以上に健氏は会社更生法の申請を自ら決断したと書いてあるのに対し、靖氏は顧問弁護士事務所が勝手に行ったことで自分は知らなかったと書いてあり、両者で内容が一致しません。となるとどっちかが自分の著書で嘘を書いていることとなるわけですが、さすがにその現場にいたわけでもないし資料も手元に少ないことから私には判断できません。ただ一つだけ言えることは、健氏はその著書の中で申請を決断したことを弟に伝えたということは書いていません。
 結構気になる点だというのに、日経ビジネスの記者はわざわざ健氏にインタビューしておりながらこの点を突っこんでいません。ここが一番肝心だと思うんだけどなぁ。

 と、非常に長く書いてて自分ももうへとへとなのですが、そもそもなんで林原というか健氏の著書を手に取ろうと思ったのかそのきっかけはというと最初に書いたように友人の推薦からでしたが、その推薦を受けた時の会話は以下のようなものでした。

「つうか、霊感のある経営者とかおらんのかな?」
「いるよ」

 と言って友人が紹介してきたのが「林原家~同族経営への警鐘」でした。実際に友人が言う通りにこの本の中で健氏は、「子供の頃から霊が見えていた」と普通に書いており、ビジネス本かと思いきやいきなりスピリチュアルな世界に突入するなどかなり個性の強い人のようです。このほかにも健氏というか林原家の面々は面白い人が多いので、兄弟間の関係を含め続きはまた今度書きます。今日ちょっとあまりにも長く書いたからしばらくは呼吸置きたいけど。


 

中国の先生に対する付け届け

 今日は気温が上がって日中は20度近くにまで上がっただけあって夜もやけにあったかく今窓を開けながら記事書いてます。夜風が素晴らしく気持ちいい。
 ただ久々に気温が上がったせいか非常に強い眠気も覚えてて、もう記事書かずに寝ちゃおうかな(8時くらいに)なんて思ったりしましたが、二日休むのは本意ではないので頑張って書きます。ちなみに中国の仕事始めは昨日4日日曜からなので、連休明けのストレスは日本人と比べて現在低いことでしょう。

 そういうわけで話は本題に入りますが、めったにないけど自分が日本に一時帰国する際、会社の中国人同僚からあれこれ日本で買ってきてほしいものを依頼されます。購入代金は人民元で直接自分がその同僚から受け取って、購入する品物はあらかじめアマゾンで購入し自宅へと送っておき、中国に帰る際に持って帰るというのが通常の算段なのですが、その買ってきてほしい品物というのがちょっと妙なものが多かったりします。

 依頼をするのは子持ち女性の同僚が多いのですが、子供用のJINSのメガネなどはまだ理解できるものの、アメリカ製の妙な栄養剤とか小さい電気マッサージ器、美顔用の家電とかなんかいまいち用途のわからないものがこれまで多かったです。そこでこの前、「これ何に使うの?」と聞いてみたところ、「子供の教師への付け届けに使う」という思わぬ答えが返ってきました。
 なんでもアメリカ製の妙な栄養剤は最初病気の母親に使ったそうですが、少し余ったのを子供の教師に挙げたら「もっとくれ!」と要望があり、それでまた今度買ってきてほしいと言ってきたわけです。美顔用の家電なども同様に先生への付け届けに使ったそうで、その同僚によると、「こうした付け届けは非常に金がかかる」とのことです。

 では何故付け届けをするのか。単純に言って一種の賄賂です。

 これは何もその同僚から話を聞く前にも数多くの子供を持つ中国人から聞いていたことですが、中国では中学、高校はおろか、小学校どころではなく幼稚園の先生にも何か理由つけて贈り物をしないとその親の子供を授業とかで無視するらしいです。しかもこの要求はかなり具体的で、「あんたの所からは500元の贈り物しか受け取ってないが1500元に達さないと基準満たさないよ」なんて堂々と言ってのける教師(幼稚園)もおり、本当にお金がかかるとうちのスタッフも悔しげに文句言っていました。
 また中学生の息子を持つ同僚は、「うちはその時期はもう終わったから」と話すものの、中学校の教師が正規の授業では敢えて肝心な部分を教えず、放課後のお金払って受けれる特別な授業で初めて肝心な部分を教えているらしく、「中国の教育は間違っている!」とたまに憤っています。中国人本人が言うんだからなぁ。

 そんな会話をした際に逆に中国人の同僚から、「日本ではこういうことはあるの?」と聞かれ、部活の顧問とかは別としてもちろんないと言い、「むしろもらってたら問題になる」と話すと「さすが日本」という感じでうんうんうなずいてました。
 それにしても教育の現場に至るまで徹底した資本主義が浸透しているあたりはさすが、「社会主義にも市場があったっていいじゃない」と言ってのけた国だけあります。真面目な話、資本主義という概念においては中国の方が日本より進んでいると自分は本気で考えています。

 ただこうした中国の教育を日本は他山の石と見ていていいのかとなると自分は疑問です。人づてに聞いた話ですが日本の教育現場では教職員の組合なり組織に加入している教師が強い発言権を持ち、そうでない教師や新人教師に対して土日の部活顧問や行政への報告書作成など面倒な作業を押し付ける傾向があると聞き、中国ほど競争原理はないのかもしれませんがいじめの構造は結構深いと聞きます。最近に至っては人件費削減のあおりで契約教師も多いし。

 オチらしいオチがありませんが、中国はいつでもどこでも競争原理、資本主義が働いているという事だけわかってくれれば幸いです。じゃあ日本は平等主義かな、と言いたいところですが実態的にはスクールカーストなどに代表される属性主義かも。

2015年1月3日土曜日

グローカリゼーション

 00年代における経済学の主要な議論はグローバル化に対する態度、言うなればグローバル化を肯定する勢力とそれに反対するアンチグローバル派の対立でした。当時大学生であった私はアンチグローバル派に属してこのブログの設立当初はそのような立場を明確に打ち出した記事投稿が多かったのですが、このグローバル派(新古典派)VSアンチグローバル派(旧ケインズ派)の対立は現在においてはほぼなくなったと言っていいでしょう。

 何故争いがなくなったのかというと理由は単純明快で、2008年にリーマンショックが起こったからです。このリーマンショックによって金融取引を野放図にさせていれば一国の経済はおろか世界経済全体に対しても甚大な悪影響を与えることがはっきりとわかり、現在もこの時の負債によって欧州各国は不景気にあえいでいますが、現時点においては「極端な規制緩和は確実に問題であり、グローバルな取引拡大は是認しつつも一定の規制は必要」という考え方が米国を含む全世界で定着しているように思えます。
 このような結果論で言えば両者の対立はアンチグローバル派の勝利と言えそうですが、少なくとも現在の世界はかつてアンチグローバル派が主張していたほど国際取引に規制が作られているわけではなく、またFTA領域の拡大などグローバル化は現在もなお促進しており一方の勢力の完全勝利と言い切れる状態ではありません。恐らくこんな言葉を使う日本人ももはや私一人だけですが、「トービン税」の導入に至っては議論すらなくなっています。
 ひとまず現在においては不透明で過剰な取引に関しては規制を、その上でFTAの拡大と国際分業を促進していくというのが一つのトレンドです。なお以前あった「グローバル化の促進に伴う貧富の格差拡大」に対する懸念は、欧州各国が貧富の格差以前にみんな失業してきたのでもうどうでもいいやとばかりに一顧だにされなくなってきています。

 少しややこしい前置きを書きましたが、私が何を言いたいのかというと00年代には盛んに繰り広げられた経済議論がリーマンショック以降の現代においては全くなくなっており、今後の世界はどうなっていくのか予想する経済学議論がこのところはほとんどなく、こういってはなんですがやや面白味に欠ける状態となっております。ただ単に私がこのところ勉強していないから知らないだけでもしかしたらちゃんとした議論があるのかもしれませんが、折角だから自分自身で今後の世界の成り行きについて三週間前に30分くらい考え、当たるかどうかは別として一つの議論の柱になりそうだと思いついたのが今日の記事の表題に掲げた「グローカリゼーション」という考え方です。

 グローカリゼーションという言葉は読んで字の如く、「Global」と「Localization」を組み合わせた私の造語です。パッと検索したら教育学とかその辺で一部で使われているようですが、こういう経済学議論で使うのは多分私が日本じゃ初めてでしょう。
 このグローカリゼーションという言葉がどんな意味を成すのかというと、一言で述べるなら今後の世界は国家の枠内にある各地域がそれぞれ分立、独立的な傾向を持ち始め、それぞれ国家システムを飛び越えて独自に国際取引などグローバルシステムに参加しようとする傾向になると見え、そうした流れを敢えて一語にまとめるとこの言葉になります。横文字でやや気に入りませんが、無理矢理日本語にしようとしても「地域環球化」と冴えない言葉になるのでやむを得ません。

 一体何故このような予想を立てたのかというと、一番大きなきっかけは昨年に住民投票まで行われたスコットランド独立問題です。それまで英国の連邦制に属していたスコットランドが英連邦から独立しようとしたこの動きは最終的に過半数の賛成を得られず流れましたが、こうしたスコットランドの動きを受けてか他国でも同じように現在存在する国家の枠内から単独の地域で独立しようとする動きが見られ、スペインのカタルーニャ地方などかねてから火種のあった所でも独立運動が一時盛り上がったと聞きます。
 こうした動きは日本も他山の石というわけではなく、実現性はほとんど限りなくありませんが、沖縄県の選挙で公然と沖縄独立を掲げる候補者が出てメディアにも露出するなどかつては考えられない動きが出てきております。

 こうした国家から地域が独立しようとする動きと合わせて見逃せない存在なのが、勘のいい人なら想像がつくでしょうがイスラム国ことISISです。元々イランやイラク、シリアなど中東は国境線が緩く国家の概念が弱い地域であったものの、これらの地域で現在活動しているISISは既存の国家の枠では考えられない組織として現在も活動を続けております。
 あまり詳しく解説するのは本意ではありませんが、ISISはイスラム教を主是とした組織でありながら同じイスラム教徒をほぼ無差別に襲うこともあり、また日本や欧州、米国などからも参加者が出るなど民族の枠も非常に緩い組織です。一見するととんでもなく統率がなく中心のない組織に見えますがそれでもこれだけ勢力を伸ばして今も活発に活動を続けているあたりは考察に値する存在です。

 ISISに何故参加者が集うのか。これについては一概に言い切れるものはありませんが恐らく各人各様で、イスラム教の原理主義が好きだったり、米国が嫌いだったり、暴れたいだけだったりと別々でしょうが、そうしたバラバラな思想の集まりでありながらこうして一つの塊となってしまうのがかつてはなかった現代世界の傾向じゃないかと思います。その上でこうした組織は国家の概念が全く適用できないばかりか、何を以って区分するのかという意味では非常に難しい存在です。

 私の予想では今後、ISIS程とまではいかないまでもこうした国家や民族、文化、言語、経済範囲に縛られず活動する組織なり地域也は増えていくと思います。更にそうした組織や地域は国家の法律やシステムを無視して国際取引だったり人的移動を行い、国家の権力や縛りは今後どんどん緩くなるのではないかとも考えます。
 二次大戦以降の世界では大体、民族と文化と言語はほとんど1セットになってそれが国家という枠になっていきましたが、今後はこの枠を飛び越える、何かしらの一つの概念が一点突破的に集団をつくりそれが独自性を帯びていくのではないかと思います。

 何故そのように一点突破的な動きが成立するのか、これは仮説ではありますがネットの発達に伴うグローバル化による影響だと思います。それこそISISを例えても昔ではそんな組織の存在や活動を報道で映像を見るのも難しかったですが今ではYoutubeなりを使えば簡単に見ることが出来ます。また特殊な趣味、たとえば珍しいお茶を愛好する人がいたとしたらネットで同じような人を捜せば簡単に見つかり、同好会にも参加できるようになり、以前と比べ距離や時間、民族言語文化をすっ飛ばして集結することができ、それによって一点突破も可能になってくるのではないかと思います。

 またグローバル化の発展に伴い、海外の品物も簡単にインターネットで買えてしまうなど、江戸時代の朱印状みたいに規制する存在がなくなったばかりか国家のシステムを経由せずともこうした国際取引や国際交流が簡単に出来るようになりました。こうした種々の動きがあり、無理して国家に所属せずとも気の合う人間同士で小さくまとまりたい、そんな考えが上記のようなグローカリゼーションの動きを後押しするのではないかと言いたいわけです。
 更に言えば、日本を含め国家のルールを押しつけられたくない、負債を負いたくないと考える動きもあるかもしれません。実際自分だって日本の年金いらないから払いたくないし。

 最後に改めてまとめると、国家以下の組織、または個人が国家の枠を超えてグローバルにつながろうとする傾向が今後より強くなるのでは、そのような傾向をグローカリゼーションと言いたいのがこの記事の骨子です。その上で述べると、仮にこの傾向が強まるとしたら米国はより強くなる可能性があると見ています。何故かというと米国は合衆国せいで国家枠内の地域分立がかなり確立されているからで、こうした流れの傾向の影響をほとんど受けずに動じないのではと思えるからです。
 日本はどうかとなるとせいぜい言って沖縄の中で独立を叫ぶ勢力がやや強まる程度でそんな変わんないと思います。道州制の動きは増すかもしれませんが、日本は地域的なつながりよりも利益共同体、敢えて言うなら企業グループ間の紐帯のが圧倒的に強いのでそっちの方を弄った方が面白いかもしれません。

2014年12月31日水曜日

今年書いた記事について

 年も瀬ですがこっちの本番は旧正月なのでいまいち盛り上がれない状態で今パソコンに向かっています。何気に旅行から帰ってきたばかりのため約二週間分の洗濯物をさっきまとめて洗濯機に放り込んだら途中でエラー出て止まったりと、相変わらずの運の悪さが年末にも来ています。
 さて年末を締めくくる今日のこの記事ですが、差し当たって急いで書く記事もないので一年を振り返る意味合いも兼ねて2014年に自分が書いた記事の中で印象に残ったものをいくつかピックアップして紹介しようと思います。そんなわけで改めて右にある過去記事の履歴ツリーをちらちら見ましたが、我がブログながらその膨大な記事数には一目見てげんなりしました。

 まず今年一番傑作だと自負する記事に関しては全く迷いがなく、「人材派遣企業各社の平均的マージン率」を挙げます。アップ当時から周りに、「この記事は大手新聞の一面を飾っても恥ずかしくない」と豪語し続け、現在においても確実にアクセス数が伸びていることを考慮すると非常に良いテーマに手を付けたなという達成感を覚えます。この記事に関しては近々にも続編を書いてみようと考えており、現在の時点でも非常にワクワクしています。

 次にこのブログに恐らく一番期待されているであろう歴史記事に関して言うと、「二次大戦下のフィンランド前編 後編」の記事が個人的に一番納得する出来でした。アップ直後から複数の読者から、「当時、フィンランドがあんな風になっていたなんて知らなかった」などという言葉と共に賞賛を受け、私自身も大国に挟まれてしまった小国がどのようにして国家の危機を切り抜けたのか、その外交や戦争におけるギリギリの駆け引きを拙い文章ながらこうしてまとめられたのは非常に幸福に感じました。
 同じく歴史記事だと、ちょっと主旨が違いますが「何のために歴史を学ぶのか」が歴史を学ぶ意味についてそこそこいい感じに書けた気がします。案外こういう問いに対する回答案というのが見つからないだけに、未踏のテーマに手を付けたなとも思えます。

 読者からの反響が一番大きかった記事であれば、「やる気のある無能」の記事が自分の想定以上にあちこちからコメントが来ました。友人からは、「あれ見てほんま納得したわ」と言われるし、親父からはこの記事を見せた会社の同僚全員が、「こういう奴っていますよね」と全肯定したなどと、サラリーマンであればあるほど共感が得られた記事だったように思えます。書いた本人としてはほかにもこういうテーマの記事書いてる人はいるだろうと思っててそんな反響ないかなと思ってただけに、想定外の反応に非常に驚きました。

 経済関連の記事だとそれほど多く書いてはいないものの、「中国のビジネスホテル市場2014年版」と「九州丸ごと特区化の提案」がなかなか内容もまとまっていて納得しています。ただ経済系の記事はほかのと比べて反応がやや薄い傾向があるのですが、九州丸ごと特区化の話は多分四年後くらいに同じ内容の話がどこからか出てくるんじゃないかと期待しています。
 このほか単純に読み物として面白い記事だと「不死身の弁護士」が小話として内容もあり、また文章も飛んだり跳ねたりしていてなかなかグッドです。そのまんまどっかの雑誌のコラムにもこれは使えるような。

 最後に、基本毎年大暴れというかおかしな行動を何かしら起こす自分ですが、そんな自分の身の回りで起きた出来事を書いた記事が案外読み返して面白かったです。どれもこれも今年前半に集中していますが、夜中に猫同士のケンカの声で起こされた「深夜の決闘」、買ったポーチが異常に砂利臭くて交換してもらった「PSVitaの付属品に伴う懊悩( 一一)」、そして何よりも雪降る深夜に外で長時間待たされ死ぬ思いした「楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)」が今思い起こしても強烈な体験でした。
 それにしてもどれも「普通こんなのってあんの?」と思う妙な体験ばかりで、書いてる本人ながら「お前適当に話作ってね?」と疑いたくなるものばかりです。今年に限るわけじゃないけど、なんかトラブルに巻き込まれやすい体質してるのかもしれません。

2014年12月30日火曜日

中国でのGメール遮断について

Gメール遮断で中国批判 米国務省(産経新聞)

 Yahooニュースにも上記のようなニュースが出ているので知っている方も多いのではないかと思いますが、どうも先週末くらいからGoogle社のフリーメールサービス、Gメールが中国で遮断されたようです。ちょうど自分は先週金曜から家を空けて西安に行ってたのでこれまで気づかず、昨夜自宅に帰ってきてようやく事の事態を知り、実際に自分のアカウントで送受信を試してみたところやっぱりアクセスできず怒りに震えていました。

 先に情報を整理しておくと、今回のような事態に至るまで「予兆」というものは確かにありました。2013年の年初までは全く問題なくアクセス出来たGoogleのアプリストア、Google Playが2014年には全くアクセスが出来なくなり、同時にこれまではほぼ問題なく使えたGoogle検索も極端に速度が遅くなっていました。そして今年10月頃には私もよく遊んでいたアプリゲームの「パズル&ドラゴンズ」もGoogleアカウントによる接続認証が出来なくなったためある日突然遊べなくなり、なんとなく落ち武者のような気分にさせられました。なおこれまでこのゲームに費やしていた時間がこれ以降はほかの余暇に使われるようになり、その影響からか10月以降はこのブログの記事の質が若干良くなっているような気がします。

 話は戻りますがこうした予兆の末についに最後の牙城というか、切ってはならないインフラといってもいいGメールにまで中国政府の魔の手が及ぶこととなりました。元々、中国ではブラウザからGメールにアクセスするには非常に時間がかかっていたのでこれまで私はメールソフトのWindows live mailを使ってGメールを複数アカウントで利用していました。しかし今回の遮断を受けてかこのメールソフトを使ってもアクセスすることが出来ず、これまでGメールを使って行ってきたこのブログへの投稿も一夜でできなくなり、仕方ないのでこういうこともあろうかと用意していたVPNを使って今この瞬間もブログを書いております。朝日新聞よ、これが検閲だ。でもってこれが自由を求める戦いだ。

 こう言ってはなんですが自分はかなりの中国贔屓で日本人皆に嫌われていると思うから日本人を批判することを数多く書いている傍で中国を持ち上げる記事をこれまでに数多く書いております。そんな自分からしても今回の子の暴挙に関しては激しい怒りを覚え、やってることは北朝鮮と一緒だと強く中国を罵りたい思いがします。
 私などはGメールの依存度は少なく、どちらかというとYahooメールをメインで使用している上にVPNを経由すればまだアクセスできるからいいものの、中には一夜にして連絡手段を断たれた外国人もいるのではないかと思います。そういう人たちの中には家族との連絡に使っている人もいたかもしれませんし、またビジネス上で重要な情報のやり取りをしていた人もいるかもしれません。そのような人と人のコミュニケーションを繋げる電子メールはいわばインフラも同然で、有史以来脈々と続けられてきた文書によるつながりを断つなぞ言語道断と言うよりほかなく、人と人のつながりを断つような人間は真に排除されるべき人種でしょう。

 中国外交部の報道官はこのGメールのアクセス障害について原因は不明で担当部署が確認をしているとした上で、中国は海外からのどんな商業活動も妨害はしないと発言しておりますが、この嘘つき八百太郎が、中国政府は嘘しか言えないのかと面と向かって言ってやりたいです。まだパズドラだけを規制するならともかくこのGメールを規制することはどんな理由があれ納得することはできず、ソニーピクチャーズも折角だから北朝鮮に続いて中国を舞台にした映画を作ったらどうかと密かに思います。

 本日ブログ記事二本、あとあちこちに手紙書いてて、書いた文字数は合計5000字強。執筆時間は実質一時間半でした。自分も手ぬるくなったもんだ。

西安の旅行記


 知ってる人には早いですが先週土曜から昨日の月曜までの三日間、友人の上海忍者と共に中国の陝西省西安市に旅行に行ってきました。なんでこの時期にここに来たのかというと、西安に留学中の後輩が来月にも留学を終えて帰っちゃうので、そんならはよ行かんとと思って上海忍者に航空券からホテルの手配まで全部やらせて(結構得意そう)矢も盾もたまらず行ってきました。

 西安市とは昔の名前で言えば長安市で、前漢や唐の時代にはここに首都が置かれた古都です。それだけあって市内各所には押しも押されぬ歴史的観光地が数多くあり、また外国人観光客も多いことから最寄りの咸陽空港には国際線の発着便が充実しているなど、文字通り観光都市というイメージを強く受けました。
 市政府もそうした観光産業を強く打ち出している向きがあり、空港から市内へのリムジンバスも充実していればしないから兵馬俑など周辺の観光地へ向かう公共バスもルート別に数多く用意されており、またその添乗員らも何時にどこそこを出発するかやお得な入場割引などの制度も熟知しており、ことサービス産業に関してはなかなかの気構えを持って臨んでいるように感じられます。


 上の写真は言うまでもなく兵馬俑でこの写真で見ると対比が難しいですが、左右の端にある小っちゃい黒い影が人間であることを意識すると如何に巨大な遺跡であるかが少しはわかるのではないかと思います。実際いってみて自分も圧倒されましたがよくもこんな巨大な遺跡を発掘した(発掘作業は現在も続いている)物だと思うと同時に、重機もない古代にこんな巨大なものを作るなんて、一体中国はどうして昔から労働力というか人口が豊富なんだと思い知らされました。

 なお写真の遺跡は一号坑で、このほかにも二号坑と三号坑があり、この三つの坑全てで阿発掘作業は完了しておらず、私たちの見ている横でも発掘員がなにかしら動いていました。あとこの兵馬俑は1970年代に井戸を掘っていた農民が見つけて届け出たことにより日の目を浴びましたが、この時発見した農民二人はまだ生きており、この兵馬俑に併設されている博物館に行くとたまに入り口前に座ってて彼らの本を買うとその場でサインしてくれます。そんな情報を後輩に聞いてから博物館に行ったらたまたまその発見者が来ており、お昼時だったので椅子に座ってカップラーメンを食べてました。ちなみに本は200元(約4000円)もしたので買いませんでした。

 このほか写真には撮りませんでしたが気に入った観光地としては華清池という温泉のわき出る保養地があり、ここには日本人もやたら好きな楊貴妃がよく来ていたそうです。てっきり露天風呂っぽい跡地が小さく残ってるだけかと思ったら普通に宿泊施設付温泉保養地みたいなでかい観光地で、裸の楊貴妃の卑猥で巨大な像までそびえていました。上海忍者がやたらその像の胸を触れと薦めてきましたが自分は拒否しました。

 なおこの華清池は近年まで普通に保養地として使われており、日中戦争の最中にも蒋介石が訪れています。そしてこの華清池にいたところを張学良、楊虎城がクーデターを起こして蒋介石を捕縛、監禁し、中国共産党との和解を強制する、俗にいう西安事件の舞台にもなっています。
 この事件の痕跡が華清池には生々しく残っており、山を背にした建物の壁には銃撃によって空いた穴が無数に残っており、なかなかに見ごたえのある観光地です。ちなみに西安市内中心部にはこの時に張学良がいたという建物が残っており、「西安事件記念館」として博物館になっています。


 最後のこの写真ですが、これは市内を歩いている最中に友人が見つけた置物のお土産です。
 男三人揃って全員、「何やねんこれ!?(関西弁)」で叫びつつ、自分は買いませんでしたが上海忍者と後輩はちゃんと買っていきました。このお土産を買う際、友人らはこっちの買い物に当たっては一般的な値切り交渉を土産物屋の親父と行いましたがその親父は、「この置物はもうライセンスがなくなってるためめったに手に入らない」などと言っては値下げ要求を跳ね除けようとしたものの、そもそもこんな物騒な構図の置物にライセンスもクソもあるかと言い返して45元(900円)のスタートから25元(500円)まで値下げさせました。

2014年12月25日木曜日

私的今年の十大ニュース

 昨夜はケンタッキーで中国人の友人に日本語を教えておりましたが、先に着いたので食事を終えて待ってたら、まだ私がご飯食べてないと勘違いした友人がファミリーセットを買い込んで持ってきたため、お互い腹一杯になるまで鶏肉をむさぼり食い続けたクリスマスイブの夜。
 話は本題に入りますが、年の暮ということもあるので今年起きた国内のニュースの中で個人的に印象に残ったニューストップテンをまとめておこうかと思います。なんでこんなことやろうって思ったのかっていうと、友人がこの前にビル・ゲイツが今年一番びっくりしたニュースを教えてくれのがきっかけです。そういうわけで早速ニュース十個を選びました。
 
<印象に残ったニューストップテン>
一位 STAP細胞騒動
二位 袴田事件再審決定
三位 朝日新聞の誤報問題
四位 チバットマン
五位 「笑っていいとも!」終了
六位 佐村河内、野々村などお騒がせ人物
七位 高倉健氏の逝去
八位 田中投手のメジャーでの活躍
九位 神戸女児殺害事件
十位 声優のアイコ昏睡強盗事件
 
 ひとつひとつ解説を行っていくと、まず一位については通年に渡って日本国内を騒がせた問題であることからこれ以外ないというくらいの気持ちで一位に置きました。感想についてはちょっと前の記事でもまとめているのでもうこれ以上は敢えて更には語りません。二位の袴田事件再審決定についてはそこそこ冤罪問題を過去に追っていることもあり、まさかこの事件で最新の光が当たるとは思っていなかっただけに強い衝撃を受けたのと、ここ十年くらいの期間で日本の裁判がここまで変わったのかといういい意味での驚きから強く印象に残りました。
 
 三位の朝日新聞の問題については従軍慰安婦問題で誤報を認め謝罪した点以上に、池上彰氏の朝日を批判するコラムを載せなかった問題の方が自分の中では大きく感じました。別に朝日に限ることじゃないけど、彼ら大手マスコミの「自分たちは批判するが、自分たちだけは批判されたくない」とでもいうような妙な倫理観を強く垣間見えたように思え、やはりというか認識の違いを強く感じた事件弟子亜t。これについてはまた今度、別の所との比較でちょっと取り上げるつもりだけど。
 
 五位の「笑っていいとも!」終了は一つの時代の終焉を強く感じさせる出来事と、その後番組の「バイキング」のどうでもよさが相まって見事ランクイン。六位のお騒がせ人物はある意味で一位のSTAP細胞騒動も含まれますが、一人ずつ取り上げてったらこいつらで全部ランキングが埋まる恐れがあったのでひとまとめにしました。
 七位の高倉健氏の逝去は中国でも大きく取り上げられるなど、かつての三船敏郎同様に海外での影響が大きな役者の死だった故にランクインしました。なお逝去直後のネットの声に、「この人の演技は下手だったが」というコメントが結構見られましたが、これには個人的に違和感を覚えました。確かに役者であれば演技が上手いに越したことはなく、その目で見れば高倉氏の役柄はどれも似たような寡黙なキャラで演技達者と言えるかと言ったら微妙な点です。しかし役者にはもう一つ「雰囲気」という要素が要求されるのであり、それこそオーラとも言うべきかただ画面に映っているだけで強い存在感が感じられるような雰囲気を持つ意味では、高倉氏は大した役者だったように思えます。逆を言うなら、現代の俳優はこうした雰囲気を持っている人がほとんどいないということの表れなのですが。
 
 八位の田中投手の活躍については開幕前からある程度予想していたものの、その予想以上の堂々としたピッチングぶりにはさすがマー君と、一体いつまで君付けで呼ばれるのだろうかと思いつつ唸らされました。マウンドでの活躍はもとよりも、試合後のインタビューも「メジャー選手なんて軽いね」なんていうような驕った発言はほとんど見られず、それでいて各試合の調子を自分の目線できちんと伝える姿勢には見ていて惚れ惚れしました。元々、デビュー一年目から受け答えが立派な選手でしたがこのところはますますよくなっているように見えます。
 九位の神戸女児殺害事件は事件の陰惨さもさることながら、遺体発見現場が自宅近くだったにもかかわらず長い時間発見することが出来なかったばかりか、容疑者の自宅に凶器が見つからないと発表してから数日後にすぐ血の跡のある包丁を見つけたと訂正するなど、兵庫県警の対応が見ていて非常に腹立たしかったです。尼崎の事件といい、元から兵庫県警は信用していませんでしたが今度の事件でもその不甲斐なさが発揮され、馬鹿は死ななきゃ治らないというのをきちんと証明してくれたように思えます。
 なお今年起きた陰惨な殺人事件では佐世保の女子高生が同級生を殺害し、バラバラにした事件もありましたが、私個人としてはこれはそんな印象には残りませんでした。というのも、世の中この女子高生みたいな人間の一人や二人くらいはいるよなって思ったからです。
 
 十位の「声優のアイコ」と名乗っていた容疑者の昏睡強盗事件にかんしては、監視カメラに映っていた控え目に言っても目立つ犯人の容姿、そして犯行の手口の時点でも面白い事件でしたが、それ以上に驚いたのは犯人が性同一障害を抱えており裁判でも自分は男だと主張した点です。自分を男だと認識しておきながら一体何故女の振り(?)して男たらしこみながら昏睡強盗していたのかいまいちよくわからない上、しかも裁判途中で実は妊娠していたという衝撃の事実と相まって何度も驚かされつつ色々気になった事件でした。あとネットの掲示板にあった、「(裁判で)容疑は否認するが、避妊はしなかったんだな」というツッコミが妙に面白く感じました。それと容疑者は今月、お腹の子を無事出産したようです。
 
 最後、敢えて飛ばした四位のチバットマンについてです。内心ではもっと上に上げてもいいかなと思いつつ中途半端な順位にしましたが、個人的に一番お気に入りのニュースは間違いなくこれです。最初に「千葉県内でバットマンのコスプレした人が走っている」というニュース文を読んだ際はまた変な人が出たのかと思いましたが、写真や映像で見てみたら思ってた以上に本格的で、しかもインタビューに答える中の人の声も低く渋いいい声で、「まんまバットマンやんけ」とそのバイクで走る姿には思わず見入ってしまいました。さらにはなんでこんなことをするのかというBBCなどからの問いに対して、「東日本大震災を受けて周囲の人を笑顔にさせたいため」と答え、また過剰な取材を受けることは本意でないとして途中から取材一切をすべて断るなどいろんな点でこんな人もいるのかと驚かされたニュースでした。
 最近取り上げられる回数は少なくなったものの日本に定着しつつあると見られる伊達直人運動と言い、こういうチバットマンのような人が日本にも出てきたということは素直に歓迎すべきことではないかと思います。たかがコスプレされどコスプレ、根底には周囲の人を楽しませようという奉仕心があるのであって、その気持ちを今後の日本社会がきちんと汲み取れるかが一つの試金石です。
 
 明日からまたしばらく家を空けるので更新を休みます。再開は恐らく次の月曜からです。