何度かこのブログで書いていますが私が現在日本で隠れ家に使っている部屋は「千葉のマッドシティ」こと松戸市にあります。隠れ家といいましたがこれは決して誇張な表現ではなく、松戸駅に歩いて10分程度で行ける便のいい場所にありますが行き方を知らないとまず見つからないような変な場所にあり、多分住所とか渡してもGPSとか使わない限りは普通はたどり着けないだろうと言えるようなところにあります。
現在の私は中国滞在中ということもありこの部屋にいることはほぼないのですが、日本にもある程度私物を置いておきたいのと、ちょうど部屋を借りたがっていた友人がいたので私が中国に行くのと入れ替わりにその友人が住んで現在使用しています。私物の管理はおろか郵便物、電気代諸々の諸費を友人が払ってくれるので私としても大助かりなのですが、去年の9月に一時帰国した際にちょっと驚く光景が広がっていました。
単刀直入に述べると、部屋中いたるところにこれでもかというくらい無数のアナログ時計が置いてありました。なお私が部屋を出て行く際にはデジタルの置時計が一つだけしかありませんでした。
実際にどれくらいの時計があるか正確には数えてませんが、友人曰く部屋の中にいてどの方向を向いても時間がわかるような配置にしてあるということで、感覚的には居間内の八方向すべてに何かしらの時計が置いてあり、台所にも複数、そして何故か風呂の中にもハンガーの針金使って無理矢理吊るす形で配置されていました。
一体なんでこんな時計置くのかついさっき聞いてみたところ、なんでも友人の実家では当たり前の光景だったそうで、風呂の中で読書したりするので長湯となるため時間を把握するのに風呂内に置くのも特別不思議に感じてないそうです。
また時計の種類も基本はアナログで、正確に何分何秒かを知ることよりも一目で大まかな時間がわかる方が大事とのことで、割とデジタル時計を使う傾向のある自分と対照的な答えをしてきました。
しかし友人の言うことの中でもどの方向を向いても時計が視界が入るようにするというのはまだ理解でき、先日にふとこの時の友人の話を思い出し、私も文具屋で小さいアナログの置時計を買ってパソコンの隣に置くようにしてみました。パソコンの画面内にも時計表示がもちろんありますがやっぱり置いてみると違うもので、作業中に今何時なのかパッと見る際はついついアナログの方を向いてしまいます。
それと私のパソコンは設定変えればそれまでですが、現在のところ日本標準時に設定していて中国の時間とは一時間の時差があります。なんでこんな風にしているのかというと作業中とかに日本は今何時当たりなのかと意識させるためなのですが、ぶっちゃけそうした意識よりも現在こっちで何時かを把握する面倒さの方が大きい気がします。
なお私と友人の二人で以前にインテリア関連に詳しい方と話をする機会がありましたが、その時の会話をきっかけに私もインテリアというか室内の空間をどのようにみせるのか、家具などの配置をどうするのかということに興味を持つようになり、先日にこのブログでも紹介した革椅子の購入など以前に比べこだわりを持つようになってきました。この友人のやたら時計を置く、それもアナログでというスタンスも一つのセンスで、そう考えると部屋には何かしらのコンセプトというかこだわりがあった方が面白いのかなと思えてきます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2015年2月11日水曜日
2015年2月10日火曜日
シチズンの広州工場閉鎖について
経済記者でもないんだしニュース自体は取り上げなくてもいいんですが、このニュースの扱いについてちょっと思うところがあるので執筆します。
・シチズン系の中国工場が閉鎖 突然の通知、従業員ら抗議(朝日新聞)
・西铁城在中国销售边缘化或成公司清算主因(中国広播網、中国語)
多分このブログを訪れる人も上記のニュースは知らなかった方が多いのではないかと思います。ニュース概要を簡単に説明すると、日本の腕時計メーカー大手、シチズンの子会社、西鉄城精密(広州)有限公司(広東省広州市)は先週の2月5日午後、全従業員に対して突然、翌6日付で解雇するとの通知を出しました。もちろんこの通知は従業員らにとって寝耳に水でしたが、工場はその日の就業を終えると翌日には既に閉鎖され、事の説明を求める従業員らが入り口前に集まるなど大きな騒ぎとなりました。
シチズン側は今回の突然の解雇、閉鎖について会社自体の清算に伴うもので、従業員らに対しては契約終了(=解雇)に同意すれば一ヶ月分の給与に当たる補償金に加え勤務年数に応じた一時金を支払う方針であると発表しています。こうした通知に対して従業員の中にはやむなく同意する方も出ているようですが、大半の方は事前通知もない度の過ぎた解雇行為であるとしてシチズンと地元当局などに抗議を続けているとの報道も出ています。
論点を整理すると、今回シチズンはこの子会社の従業員に対して文字通り、「明日から来なくていいよ」と突然発表したということです。この事前通告なしの解雇が問題であるか否かですが、結論から言うとクロで、明らかに法律に違反した行為と言わざるを得ません。中国の労働法では会社が従業員に対して解雇を行う場合、最低でも一ヶ月前には通知しなくてはならないと明記されています。しかも不渡りを出しての突発的な倒産でもなく自主的な清算であればなおさらでしょう。
もっともシチズン側がこうした強引な手段を取った気持ちも、経営社側からの視点であれば理解できなくもありません。しかし理解できるのは「こうしたいと思う気持ち」だけであって実際にやるとなると話は別で、ストレートに言えばひどいことをやる会社だと私も思います。
特に中国は2月18日から旧正月(春節)の長期休暇に入り、故郷へ里帰りするためにもただでさえお金が入用なこの時期に解雇を迫るというのは、こう言ってはなんですが確信犯でしょう。また長期間勤務していた人からすればいきなり定職を失うようなもので、ろくな再就職支援も受けられないまま放りだされるなんて家族持ちの方々には心の底から同情心を覚えます。
なお引用した中国語の記事には業界関係者のコメントとして、シチズンは確かに世界七大腕時計ブランドに入っているが近年は他の日系ブランド共にフェードアウトしつつあり、中国市場でもスイス製やドイツ製の腕時計の方へ人気が高まってきていると述べ、経営環境が悪くなっているというような見方を示しています。
以上が事件の事実解説ですがこの件についてもう少し触れると、こう言ってはなんですがやや日系メディアの取り扱いは小さすぎやしないかという気がします。私自身も友人から昨日に教えてもらってこの事件を知りましたが、日系メディアで大きく取り扱っている所は、見落としているだけかもしれませんが今の所見当たりません。
仮にこのような行為を、それこそシチズンほどの規模を持つ会社が実行したら少なくとも三日くらいは大きくニュースに取り上げられ、企業の倫理観を問う記事も出てくるでしょう。しかし中国の工場だったら、中国人を解雇するのであればそこまでしないのか……となっていいものでしょうか。そりゃ外国の工場なのだから国内より注目が小さくなるのは仕方ないとしても、それを考慮に入れてもこの件の日本の報道はやや小さすぎる気がしてなりません。
最後にシチズンについて個人的な思い出を述べると、今をさかのぼること約3年前、香港でこのシチズンの時計を巡り多大な苦労をかけさせられました。
・シチズンの呪い
詳細は上記の記事を是非読んでもらいたいのですが、結局この時にしていたシチズンの時計は日本に送り修理しました。修理から戻ってきた後はしばらくつけていましたが自分の中の愛着はとうに薄れており、また別の理由でこの時計が憎くてたまらなくなったため、「ファッキンシチズン!」と吐き捨てて実家で投げ捨ててしまいました。
そんなこんだで今はイトーヨーカドーで買った1000円の女性ものっぽい腕時計をしています。この時計1000円やったと周囲に話すと、「中国でもそんなに安くで腕時計買えないって」と反応されてしまいます。
・シチズン系の中国工場が閉鎖 突然の通知、従業員ら抗議(朝日新聞)
・西铁城在中国销售边缘化或成公司清算主因(中国広播網、中国語)
多分このブログを訪れる人も上記のニュースは知らなかった方が多いのではないかと思います。ニュース概要を簡単に説明すると、日本の腕時計メーカー大手、シチズンの子会社、西鉄城精密(広州)有限公司(広東省広州市)は先週の2月5日午後、全従業員に対して突然、翌6日付で解雇するとの通知を出しました。もちろんこの通知は従業員らにとって寝耳に水でしたが、工場はその日の就業を終えると翌日には既に閉鎖され、事の説明を求める従業員らが入り口前に集まるなど大きな騒ぎとなりました。
シチズン側は今回の突然の解雇、閉鎖について会社自体の清算に伴うもので、従業員らに対しては契約終了(=解雇)に同意すれば一ヶ月分の給与に当たる補償金に加え勤務年数に応じた一時金を支払う方針であると発表しています。こうした通知に対して従業員の中にはやむなく同意する方も出ているようですが、大半の方は事前通知もない度の過ぎた解雇行為であるとしてシチズンと地元当局などに抗議を続けているとの報道も出ています。
論点を整理すると、今回シチズンはこの子会社の従業員に対して文字通り、「明日から来なくていいよ」と突然発表したということです。この事前通告なしの解雇が問題であるか否かですが、結論から言うとクロで、明らかに法律に違反した行為と言わざるを得ません。中国の労働法では会社が従業員に対して解雇を行う場合、最低でも一ヶ月前には通知しなくてはならないと明記されています。しかも不渡りを出しての突発的な倒産でもなく自主的な清算であればなおさらでしょう。
もっともシチズン側がこうした強引な手段を取った気持ちも、経営社側からの視点であれば理解できなくもありません。しかし理解できるのは「こうしたいと思う気持ち」だけであって実際にやるとなると話は別で、ストレートに言えばひどいことをやる会社だと私も思います。
特に中国は2月18日から旧正月(春節)の長期休暇に入り、故郷へ里帰りするためにもただでさえお金が入用なこの時期に解雇を迫るというのは、こう言ってはなんですが確信犯でしょう。また長期間勤務していた人からすればいきなり定職を失うようなもので、ろくな再就職支援も受けられないまま放りだされるなんて家族持ちの方々には心の底から同情心を覚えます。
なお引用した中国語の記事には業界関係者のコメントとして、シチズンは確かに世界七大腕時計ブランドに入っているが近年は他の日系ブランド共にフェードアウトしつつあり、中国市場でもスイス製やドイツ製の腕時計の方へ人気が高まってきていると述べ、経営環境が悪くなっているというような見方を示しています。
以上が事件の事実解説ですがこの件についてもう少し触れると、こう言ってはなんですがやや日系メディアの取り扱いは小さすぎやしないかという気がします。私自身も友人から昨日に教えてもらってこの事件を知りましたが、日系メディアで大きく取り扱っている所は、見落としているだけかもしれませんが今の所見当たりません。
仮にこのような行為を、それこそシチズンほどの規模を持つ会社が実行したら少なくとも三日くらいは大きくニュースに取り上げられ、企業の倫理観を問う記事も出てくるでしょう。しかし中国の工場だったら、中国人を解雇するのであればそこまでしないのか……となっていいものでしょうか。そりゃ外国の工場なのだから国内より注目が小さくなるのは仕方ないとしても、それを考慮に入れてもこの件の日本の報道はやや小さすぎる気がしてなりません。
最後にシチズンについて個人的な思い出を述べると、今をさかのぼること約3年前、香港でこのシチズンの時計を巡り多大な苦労をかけさせられました。
・シチズンの呪い
詳細は上記の記事を是非読んでもらいたいのですが、結局この時にしていたシチズンの時計は日本に送り修理しました。修理から戻ってきた後はしばらくつけていましたが自分の中の愛着はとうに薄れており、また別の理由でこの時計が憎くてたまらなくなったため、「ファッキンシチズン!」と吐き捨てて実家で投げ捨ててしまいました。
そんなこんだで今はイトーヨーカドーで買った1000円の女性ものっぽい腕時計をしています。この時計1000円やったと周囲に話すと、「中国でもそんなに安くで腕時計買えないって」と反応されてしまいます。
2015年2月9日月曜日
鎌倉仏教が成立した背景
上記の画像はまたネットで拾ってきたものですが、鎌倉時代に新たに成立した六宗派の仏教、いわゆる鎌倉仏教の特徴と関連性が非常にわかりやすく図示されており、初め見た際には「こんなものあったのか」と思わず唸りました。真面目な話、これ中学や高校での歴史の教科書や資料集に載せた方が良いんじゃないかと本気で思います。なお一番ツボだったのは時宗です。
さてこの鎌倉仏教ですが、現代で最大勢力を誇るのは浄土真宗ですが他の五宗派も現代において一勢力を張るだけの勢力はしっかり保っており、これは逆に考えるならば現代にも続くくらいスタンダードとなる宗派がすべてこの鎌倉時代に成立したということになります。何故成立したのがすべて鎌倉時代なのか、これは一つのキーワードになるように思え今日はその辺について自分なりの意見をスパッと書くことにします。
結論からとっとと書くと鎌倉仏教が成立した当時、日本人にとってまさに世界観が一変する出来事があったためではないかと思います。その出来事というのも天皇制の立ち位置の変化こと、1221年の承久の乱で、この事件による思想、社会的価値観の大きな変化が新仏教の成立に寄与したと素人ながら考えています。
承久の乱については説明するまでもないでしょうが、天皇家の権威と権力の回復を図った後鳥羽上皇らの一派が鎌倉幕府と対立したところ鎌倉幕府側が圧勝し、それによってそれ以前はやや拮抗していた両者の関係が幕府側が皇位継承権に干渉できるようになるなど優位に立つようになった事件です。承久の乱については以前にも一度取り上げていますが、日本というのは良くも悪くも天皇を中心とした国家で、その天皇制の立ち位置が大きく変化するということは文字通り国体が変わると言ってもいいほどのインパクトを持ち、それだけにこの事件も日本史上でも稀に見るくらいの大事件であったと考えてもいいくらいです。それこそ承久の乱以外で天皇制の立ち位置が明確に変わった例を挙げるとすれば明治維新と二次大戦の敗戦しか例はなく、いわば承久の乱は日本史上の事件としてはトップスリーに入るくらいのインパクトを持っていると私は考えています。
ちょっと脱線しますが、トップスリーというには承久の乱はほかの二つと比べて現代日本ではやや取り扱いが小さいようにも感じます。恐らくそれは戦前の皇国史観が影響していて、天皇家側が敗戦したという事実にあまり触れたくなかったのではないかと推測しています。ただ事件のインパクトを考えると明らかに扱いが小さすぎて評価を誤る恐れがあり、もうちょっと大きく取り扱うべきではないかと日頃から私は主張しています。
話は戻りますが、事件当時に当たる鎌倉時代初期は武士の地位が確実に向上しつつも日本の統治主は天皇家でまだ変わりないというのが常識だったと思います。それがこの事件によって一気にひっくり返るというか天皇家の上に幕府が明確に立ち、また土地の支配に関しても公家より武士が勝るようになったことは本気で世界そのものが変わるくらいのインパクトだったのではないかとも思えます。勝手な推測が続きますがそれは一種の社会的不安を起こしたでしょうし、また権威の崩壊というかそれ以前まで尊敬を集めていた組織や人物が一気に軽蔑されるようになるなど、ヨーロッパのルネサンスのような大きな思想の変化があったのではないかという気がします。
そのような世界観の中で求められたのはやはり新しい価値観であったように思え、そうした背景もあって鎌倉仏教は当時の新興宗教として設立に至っていったのではないかというのが私の意見です。最近この言い回しが多くて自分でも嫌な気もしますが、逆を言えばこうした社会不安がなければ鎌倉仏教は成立していなかったのではとも言いたいわけです。
最後におまけというか自分の実体験を話すと、この六宗派の中で明確に帰依している人物と会ったことがあるのは曹洞宗の人です。その人は自分の大学の先輩にあたる人物で、なんでも在学中に出家して一旦は大学を退学したもののもう一度学問に目覚めて復学し、自分と同じ講義を受けていたことから知り合いました。
やっぱりユニークな人で話してて面白かったのですが、ある日に曹洞宗なら座禅の時間が長いのかと聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。
「いや、ほかの寺は違うかもしれないがうちは座禅というよりもとにもかくにも掃除に力をかける。もう何も考えず永遠に掃除をしてろっていう具合に。なもんだから静かな所で瞑想に耽りたいと思ってうちに来る人なんかは違和感を感じることが多いよ」
こういう話はなかなか外では聞こえないだけに、聞いた当時は非常になるほどと思って感心しました。やっぱり仏教解説本を読むよりも、実際に修行している人の話を聞く方がずっと早そうです。
2015年2月7日土曜日
山本議員のISIL非難決議棄権について
・山本太郎氏のテロ非難決議棄権 民主・榛葉氏「決議の意味、分かっているのか?」 連携見直しも…(産経新聞)
詳しい説明は無用でしょうが、本日参議院で行われたISILのテロ行為を非難する決議の採択の際、山本太郎議員が投票を棄権する行動を取りました。この山本議員の行動に対して私の感想を述べると、どうあっても理解できない上に望ましいとは思えない行動で、なんでこんな人が議員やっているんだろうという強い不信感を覚えました。
山本議員がどういう思惑で棄権したのかまではわかりませんが、私の勝手な推量で話させてもらうとこの決議が政府の主導で進められたからだという理由でしかないのではないかと思います。山本議員は反原発を掲げて政界へ進出しましたが、当初でこそ具体的な政策案も出さなかったもののまだ原発反対という基本的な政治姿勢を持っているように見えてました。ただ年を経るにつれて次第に原発問題以外の面でも様々に意見するようになり、政治家なのだからそれ自体は問題ではないものの、発信する意見はどれも時の政府の方針に反対するというものしかなく、国家や政治ををどう持っていきたいのかというイメージは全く見えないままただ逆らうことにだけに意義を持って活動してるように私の目には見えました。
今回の棄権も、個人的な推測ですがどうせ政府が定義した内容だからとか、他者の存在を否定するためだけの内容だからとかそういう考えからやっただけで、ISILがどんな組織であるのかなんていうのは度外視しているのではないかと思います。それこそ、ISIL自体が自分たちの価値観以外を全く認めない組織であることなんて度外視で。
私はこのブログでISILを初めて取り上げた際、日本は国家としてこの組織に対しどのような姿勢を持つのかしっかり考えるべきではないかと言うようなことを書いたと思います。これははっきりとは書きませんでしたが、ISILを潰そうとする米国を初めとした国家連合を政府として本腰入れ、資金援助なり後方支援なりで応援するべきか否かを考えなければならないし示さなければならないと暗に述べていました。私の意見は言うまでもなく実際に自衛隊を派遣するかどうかは別問題として置き、やれるのであれば全力でもってISILを潰すよう日本は支援なりで動くべきだと当時考え、現時点でもそのように考えています。
一体何故そのように考えるのか。色々記事を読んでいると識者などはISILは国家システムを否定する存在だから危険などというようなことを書いていますが私の意見は少し違い、単純に彼らの暴力性や破壊行動に対し歯止めをかけるべきであることと、現代の倫理的価値観を守るため彼らの存在は許されないと考えたからです。
その上で仮に日本がISIL潰しのために動いたら日本でテロを起こされたり、日本人が捕縛されたり殺害されたりするリスクが生まれると考えられますが、私は今のISILの行動を見ている限りだと支援をしようがしまいが何らかの形で危害を加えてくると踏んでいました。なんでかっていうと彼らは他者に対して服従するか破壊するかの二択しか選択肢を持っていないように見えるからです。
どう解釈されるかは任せますが、今回の日本人人質事件でもって私の考えは大筋で正しかったと証明できたのではないかと思います。仮に日本が人道支援も含めて中東事情に関わらないようにしても、今回の様に日本人が人質になることもあれば日本のどっかでテロ事件が起こる可能性はなくならないと思います。それこそ、「日本人はアメリカ産牛肉を牛丼にして食べている」とか、「日本はイスラム教の教えに染まっていない」なんてふざけた攻撃理由を挙げられて。
私にしては丁寧な言葉で書き綴っていますがちょっとだけ本音を出すと、何したって突っかかってくるんだったら二度と立ち上がれないよう確実に仕留める以外にリスクをなくす方法なんてありません。折角米国とかが潰そうと動いているのだし日本は直接手を下さずに済むのなら、資金を回したり後方支援するなどして彼らが一刻も早く潰れてしまうよう動くべきなのが今求められている外交じゃないかと思いますし、これを対岸の火事と思っててはいけない気がします。自衛隊を派遣せずに済むのならそれに越したことはありません。
ここで話を戻しますが、このように考えるにつけ今回の山本議員の行動は一有権者としては不愉快極まりありません。恐らくこの一件は海外にも報じられ、「日本はISILに対して一枚岩ではない」なんて報じられ方もするかもしれません。この非難決議はただ決議するだけで意味がないという方もいますが、国内以上に国外へメッセージを発信するという意味ではやらないよりやった方が価値があるし、今後何かしらの行動を日本が取っていくというのであれば必要な決議だと思います。
それだけに山本議員は、重ねて言いますがどうでもいい理由で今回の行動を取ったというのであれば正直議員を辞めてもらいたいのが本音です。そもそも何故彼のような人間が議員になるのか、小沢が当選することといい日本の民主主義にはまだまだ課題が多いように感じたのが今日一日です。
詳しい説明は無用でしょうが、本日参議院で行われたISILのテロ行為を非難する決議の採択の際、山本太郎議員が投票を棄権する行動を取りました。この山本議員の行動に対して私の感想を述べると、どうあっても理解できない上に望ましいとは思えない行動で、なんでこんな人が議員やっているんだろうという強い不信感を覚えました。
山本議員がどういう思惑で棄権したのかまではわかりませんが、私の勝手な推量で話させてもらうとこの決議が政府の主導で進められたからだという理由でしかないのではないかと思います。山本議員は反原発を掲げて政界へ進出しましたが、当初でこそ具体的な政策案も出さなかったもののまだ原発反対という基本的な政治姿勢を持っているように見えてました。ただ年を経るにつれて次第に原発問題以外の面でも様々に意見するようになり、政治家なのだからそれ自体は問題ではないものの、発信する意見はどれも時の政府の方針に反対するというものしかなく、国家や政治ををどう持っていきたいのかというイメージは全く見えないままただ逆らうことにだけに意義を持って活動してるように私の目には見えました。
今回の棄権も、個人的な推測ですがどうせ政府が定義した内容だからとか、他者の存在を否定するためだけの内容だからとかそういう考えからやっただけで、ISILがどんな組織であるのかなんていうのは度外視しているのではないかと思います。それこそ、ISIL自体が自分たちの価値観以外を全く認めない組織であることなんて度外視で。
私はこのブログでISILを初めて取り上げた際、日本は国家としてこの組織に対しどのような姿勢を持つのかしっかり考えるべきではないかと言うようなことを書いたと思います。これははっきりとは書きませんでしたが、ISILを潰そうとする米国を初めとした国家連合を政府として本腰入れ、資金援助なり後方支援なりで応援するべきか否かを考えなければならないし示さなければならないと暗に述べていました。私の意見は言うまでもなく実際に自衛隊を派遣するかどうかは別問題として置き、やれるのであれば全力でもってISILを潰すよう日本は支援なりで動くべきだと当時考え、現時点でもそのように考えています。
一体何故そのように考えるのか。色々記事を読んでいると識者などはISILは国家システムを否定する存在だから危険などというようなことを書いていますが私の意見は少し違い、単純に彼らの暴力性や破壊行動に対し歯止めをかけるべきであることと、現代の倫理的価値観を守るため彼らの存在は許されないと考えたからです。
その上で仮に日本がISIL潰しのために動いたら日本でテロを起こされたり、日本人が捕縛されたり殺害されたりするリスクが生まれると考えられますが、私は今のISILの行動を見ている限りだと支援をしようがしまいが何らかの形で危害を加えてくると踏んでいました。なんでかっていうと彼らは他者に対して服従するか破壊するかの二択しか選択肢を持っていないように見えるからです。
どう解釈されるかは任せますが、今回の日本人人質事件でもって私の考えは大筋で正しかったと証明できたのではないかと思います。仮に日本が人道支援も含めて中東事情に関わらないようにしても、今回の様に日本人が人質になることもあれば日本のどっかでテロ事件が起こる可能性はなくならないと思います。それこそ、「日本人はアメリカ産牛肉を牛丼にして食べている」とか、「日本はイスラム教の教えに染まっていない」なんてふざけた攻撃理由を挙げられて。
私にしては丁寧な言葉で書き綴っていますがちょっとだけ本音を出すと、何したって突っかかってくるんだったら二度と立ち上がれないよう確実に仕留める以外にリスクをなくす方法なんてありません。折角米国とかが潰そうと動いているのだし日本は直接手を下さずに済むのなら、資金を回したり後方支援するなどして彼らが一刻も早く潰れてしまうよう動くべきなのが今求められている外交じゃないかと思いますし、これを対岸の火事と思っててはいけない気がします。自衛隊を派遣せずに済むのならそれに越したことはありません。
ここで話を戻しますが、このように考えるにつけ今回の山本議員の行動は一有権者としては不愉快極まりありません。恐らくこの一件は海外にも報じられ、「日本はISILに対して一枚岩ではない」なんて報じられ方もするかもしれません。この非難決議はただ決議するだけで意味がないという方もいますが、国内以上に国外へメッセージを発信するという意味ではやらないよりやった方が価値があるし、今後何かしらの行動を日本が取っていくというのであれば必要な決議だと思います。
それだけに山本議員は、重ねて言いますがどうでもいい理由で今回の行動を取ったというのであれば正直議員を辞めてもらいたいのが本音です。そもそも何故彼のような人間が議員になるのか、小沢が当選することといい日本の民主主義にはまだまだ課題が多いように感じたのが今日一日です。
2015年2月6日金曜日
自分の食べ物の好み
特にこのブログでは書きませんでしたがスパイアクションゲームとして名高い「メタルギアソリッドシリーズ」の3のPSVita版をを昨年日本に帰国した際に購入し、昨年のうちにクリアしていました。メタルギアソリッドシリーズは何本も作品が出ていますがその中でもこの3が最高傑作とも呼ばれているだけに自分も楽しめ、そのゲーム性からストーリーまで文句なしに人に薦められる出来でした。
このゲームをやったことのある人なら話が早いのですがこの作品のテーマはサバイバルにあり、戦場で蛇やカエル、蝙蝠、果てにはツチノコまで捕まえて時に捕食し時に敵兵へ投げるなどして遊べますが、食べる際に主人公であるスネークは様々な反応を見せ、「まっずぅ……」と言うこともあれば「もっと食わせろ!」、「最高だぁ!」などと大塚明夫氏の渋い声で見事な演技ぶりを見せてくれます。
そんなこのゲームの後半には主人公に加えヒロインを同行して戦う場面が入ります。ヒロインも主人公同様に食べ物を食べないと体力が落ちていくので蛇とかカエルを食わせるのですが、この時にヒロインがみせる反応は主人公と同様というべきか、色っぽい声で「もっと食べさせてぇ」などと言うなど様々な反応を見せます。ただ食べ物の好みは主人公と同じで、主人公が絶賛した物には同じく絶賛し、嫌う食べ物は嫌う反応を見せます。
そんな反応を見ていてふと思ったのは、「食べ物の好みは案外、根源的な人間の相性にも影響するんじゃないか?」という点です。よく夫婦喧嘩の元になるのは食べ物の好みの違いだと聞くし、逆に好みが一致した相手とは意外と関係が続くということも耳にします。実際このゲームの主人公とヒロインはその後のストーリーだと一旦離れ合うものの後に盟友となり、最終的にヒロインは主人公のデザイナードベビーの代理母となります。
では男女関係なく自分と相性を図る上で自分と同じ食べ物の好みを持つ相手を捜したらどうなるのか。これはまだ実証していませんが、少なくとも自分がやたら食べるカレーが嫌いな奴とは仲良くなれそうもないと思えるだけにやっぱり食べ物の好みは相性に影響するのでは、なんて思います。
そういうわけでこの場で私の食べ物の好みについて書いていくと、まず食べられない食べ物に関してはほぼなく、出されたら一般的な範囲内で何でも食えます。辛い料理に関してもさすがに四川料理のきついのとかは無理ですが、標準的な中華料理の辛さであれば一般的な中国人同等に口にすることができ、酸味が効いたものとかでも対応できる自信があります。
ただ苦手と言うか率先して食べないものはあり、ズバリ言うと牡蠣に代表される貝類です。貝類は食べててあまりおいしいとは思えないし身も少ないので、出されても一口しか端をつけずその後は放置することが多いです。食べられないわけではないのですが、他に食うものがあればそっちの方を優先してしまいます。
シーフード系で言えばほかにもウニやいくらも全く手をつけません。これも食えないわけじゃないですが値段の割に身が少なく、なんか食べてて損した気になるのでパック寿司のネタに入っていれば大抵欲しがるほかの人にあげてしまいます。なお寿司ネタで言えばイカが一番好きで、開口一番にイカを5皿頼んで周りにドン引きされたこともありました。
反対に好きな食べ物となると、既に挙げているカレーとサンドイッチが代表格です。カレーに関しては三日連続、場合によっては一週間連続でも飽きない自信があり、自分でもしょっちゅう作ればインド料理屋などにしょっちゅう通ったり、カレー専門の小さなレストランの親父とは顔見知りになるくらいに通いました。
サンドイッチに関してはそれほど特別な感情はないものの、具材を変えれば味はいくらでも変わるので対外的に「好きな食べ物は?」と聞かれた際にこれを挙げると便利だからという理由でいつもあげています。ただこう言いながらも実生活で食べることは多く、前の会社では昼食に食べるものと言ったらコンビニで売ってるカレーかサンドイッチの二択で、周囲からもっと他のを食べたらと言われましたがコストパフォーマンス的にこれがいいと言って譲りませんでした。
このカレーとサンドイッチが好きな食べ物の代表格であることは間違いないものの、この二つの陰に隠れて真に一番好きなのは厚焼き煎餅です。以前香港に滞在していた時に尋ねてきた友人にわざわざ買って持ってこさせたことがありましたが、久々の再会ということもあって友人とあれこれ話をしながら平気で袋を開け、そのままバリバリと食べ続けながら話し続け、結局中に入っていた八枚くらいの煎餅を友人には一枚もくれてやらずにそのまま全部平らげたこともありました。自分でもよくわかりませんが厚焼き煎餅が目の前にあると一心不乱に食べ続ける癖があり、その甲斐あってか歯もやたら丈夫に育ちました。胡桃の殻だって噛んで割るし。
何が言いたいのかっていうと、多分自分と同じ食べ物の好みの人間はきっと少ないだろうなってことです。食べ物の味よりも栄養価で選んじゃう癖もあるしなぁ。
おまけ
最初に取り上げた「メタルギアソリッド3」ですが、やや難しいゲームであるものの上にも書いてある通りに文句なしで人に薦められるゲームです。声優陣もほかにかわりがいないと思えるくらいに各キャラクターとマッチしていることもさることながら、ストーリーもエンディングのラストシーンは秀逸の一言に尽きます。
なおそのエンディングでヒロインが事件の真相を涙声の独白形式で語るシーンがあるのですが、このセリフは実際に声優が泣きながら収録したという噂があります。真偽はどうかわかりませんが、実際にそのシーンは自分も涙流しながら聞いてました(ノД`)
このゲームをやったことのある人なら話が早いのですがこの作品のテーマはサバイバルにあり、戦場で蛇やカエル、蝙蝠、果てにはツチノコまで捕まえて時に捕食し時に敵兵へ投げるなどして遊べますが、食べる際に主人公であるスネークは様々な反応を見せ、「まっずぅ……」と言うこともあれば「もっと食わせろ!」、「最高だぁ!」などと大塚明夫氏の渋い声で見事な演技ぶりを見せてくれます。
そんなこのゲームの後半には主人公に加えヒロインを同行して戦う場面が入ります。ヒロインも主人公同様に食べ物を食べないと体力が落ちていくので蛇とかカエルを食わせるのですが、この時にヒロインがみせる反応は主人公と同様というべきか、色っぽい声で「もっと食べさせてぇ」などと言うなど様々な反応を見せます。ただ食べ物の好みは主人公と同じで、主人公が絶賛した物には同じく絶賛し、嫌う食べ物は嫌う反応を見せます。
そんな反応を見ていてふと思ったのは、「食べ物の好みは案外、根源的な人間の相性にも影響するんじゃないか?」という点です。よく夫婦喧嘩の元になるのは食べ物の好みの違いだと聞くし、逆に好みが一致した相手とは意外と関係が続くということも耳にします。実際このゲームの主人公とヒロインはその後のストーリーだと一旦離れ合うものの後に盟友となり、最終的にヒロインは主人公のデザイナードベビーの代理母となります。
では男女関係なく自分と相性を図る上で自分と同じ食べ物の好みを持つ相手を捜したらどうなるのか。これはまだ実証していませんが、少なくとも自分がやたら食べるカレーが嫌いな奴とは仲良くなれそうもないと思えるだけにやっぱり食べ物の好みは相性に影響するのでは、なんて思います。
そういうわけでこの場で私の食べ物の好みについて書いていくと、まず食べられない食べ物に関してはほぼなく、出されたら一般的な範囲内で何でも食えます。辛い料理に関してもさすがに四川料理のきついのとかは無理ですが、標準的な中華料理の辛さであれば一般的な中国人同等に口にすることができ、酸味が効いたものとかでも対応できる自信があります。
ただ苦手と言うか率先して食べないものはあり、ズバリ言うと牡蠣に代表される貝類です。貝類は食べててあまりおいしいとは思えないし身も少ないので、出されても一口しか端をつけずその後は放置することが多いです。食べられないわけではないのですが、他に食うものがあればそっちの方を優先してしまいます。
シーフード系で言えばほかにもウニやいくらも全く手をつけません。これも食えないわけじゃないですが値段の割に身が少なく、なんか食べてて損した気になるのでパック寿司のネタに入っていれば大抵欲しがるほかの人にあげてしまいます。なお寿司ネタで言えばイカが一番好きで、開口一番にイカを5皿頼んで周りにドン引きされたこともありました。
反対に好きな食べ物となると、既に挙げているカレーとサンドイッチが代表格です。カレーに関しては三日連続、場合によっては一週間連続でも飽きない自信があり、自分でもしょっちゅう作ればインド料理屋などにしょっちゅう通ったり、カレー専門の小さなレストランの親父とは顔見知りになるくらいに通いました。
サンドイッチに関してはそれほど特別な感情はないものの、具材を変えれば味はいくらでも変わるので対外的に「好きな食べ物は?」と聞かれた際にこれを挙げると便利だからという理由でいつもあげています。ただこう言いながらも実生活で食べることは多く、前の会社では昼食に食べるものと言ったらコンビニで売ってるカレーかサンドイッチの二択で、周囲からもっと他のを食べたらと言われましたがコストパフォーマンス的にこれがいいと言って譲りませんでした。
このカレーとサンドイッチが好きな食べ物の代表格であることは間違いないものの、この二つの陰に隠れて真に一番好きなのは厚焼き煎餅です。以前香港に滞在していた時に尋ねてきた友人にわざわざ買って持ってこさせたことがありましたが、久々の再会ということもあって友人とあれこれ話をしながら平気で袋を開け、そのままバリバリと食べ続けながら話し続け、結局中に入っていた八枚くらいの煎餅を友人には一枚もくれてやらずにそのまま全部平らげたこともありました。自分でもよくわかりませんが厚焼き煎餅が目の前にあると一心不乱に食べ続ける癖があり、その甲斐あってか歯もやたら丈夫に育ちました。胡桃の殻だって噛んで割るし。
何が言いたいのかっていうと、多分自分と同じ食べ物の好みの人間はきっと少ないだろうなってことです。食べ物の味よりも栄養価で選んじゃう癖もあるしなぁ。
おまけ
最初に取り上げた「メタルギアソリッド3」ですが、やや難しいゲームであるものの上にも書いてある通りに文句なしで人に薦められるゲームです。声優陣もほかにかわりがいないと思えるくらいに各キャラクターとマッチしていることもさることながら、ストーリーもエンディングのラストシーンは秀逸の一言に尽きます。
なおそのエンディングでヒロインが事件の真相を涙声の独白形式で語るシーンがあるのですが、このセリフは実際に声優が泣きながら収録したという噂があります。真偽はどうかわかりませんが、実際にそのシーンは自分も涙流しながら聞いてました(ノД`)
2015年2月3日火曜日
よくわかってない江戸時代の庶民の生活
一昨日、日本語を教えている中国人労働者が誘ってきたので昆山市内にある周荘という観光地に行ってきました。そこで中国人労働者が焼き焼売を買って自分にも勧めてくれたので食べようとしたところ落っことしてしまいましたが、何のためらいもなく拾い上げて口の中に放り込もうとしました。「汚いからよせ!」と中国人労働者は止めてきましたが、「日本には3秒ルールというものがあるんだ。よく見ておけ!」と言って結局食べましたが、その晩にちょっとお腹が痛くなるに至り、「いい年こいて何やってんだよ俺……」とさすがに後悔しました。盛ってるようにも見えますが、実話です。
話は本題に入りますが派遣マージン率の記事を終えてやや燃え尽き気味ということもあり、リハビリがてら歴史記事を書きます。
私が小学校の中学年から高学年の頃、江戸時代の庶民の生活について学校で習うことがありました。その中でも特に強烈と言うか当時にして、「なんでやねん」と思ったことで、「『切捨御免』という制度によって武士は庶民を斬り殺しても処罰されなかった」という説明がありました。
大名行列を横切ったとか高位の武士に対する露骨な嫌がらせとかしてれば無礼討ちとして確かに放免されましたが、何の理由もなく庶民を斬り殺した場合はその武士もほぼ間違いなく処刑されていただろうと現代では考えられています。しかし私が子供だった頃は、ただ単に私が無知だったせいかもしれませんが、まだこの「切捨御免」という制度が変な風に曲解され、江戸時代は武士が威張りに威張って好き放題していた時代だったという風に認識されていたのではと思います。さすがに歴史学者でないので実際に考証することはできませんが、武士が自由に庶民を殺していいのなら何故「辻切り」という言葉があるのかという疑問が出てくるため、現代の解釈の方が正しいように思えます。
上記の例は極端なものですが、これに限らず案外江戸時代の庶民の生活がどんなものだったというのかは意外とわかっていません。もう一つ代表的な例を出すと「慶安の御触書」に対する後世の解釈で、詳しくはリンク先のウィキペディアのページを見てもらいたいのですがこの文書では農民はお茶・酒は飲むな、米も祭日を除いて食うな、煙草も吸うななどと農民の生活について事細かに指示してあり、ほんのつい最近までこの文書は江戸時代の幕法、つまり全国で使われた法律だと思われ農民は苛め抜かれていたという証拠として使われてきました。しかし近年の研究によるとこれは甲府の一部地域で配布された、どっちかっていうと農民生活のスローガン的な文書だったようで、実際にはほとんど出回っていなかった上に当時の農民も素直にこの文書の指示に従っていたわけなかったようです。普通に考えて、お茶もお酒も飲まずに農業なんてやってられっかよと禁酒法時代のアメリカを見るにつけ思います。
このようにほんの200~300年前の生活すら現代では案外理解されておらず、どちらかと言うとプロパガンダに使われるような形で変な誤解が広まっていることも少なくありません。武士と違って作法や礼節、日記など残っている文書資料が少ないこともあってか、それほどまでに庶民の生活というのはわかっていない部分が広かったりします。
もっともそのような暗黒大陸的な庶民生活も近年は研究が進んでおり、たとえば私が直接大学で授業を受けた講義では、離島における寺子屋の進学率から識字率を導きだし、当時の日本は約4割、男子に限ると8割くらいは寺子屋で読み書きを習って識字できたという研究結果を聞きましたが、意外に感じると共に、逆に当時は多くの人が文字を読み書きできなかったという根拠も確かにないなという具合で納得しました。
あとこれは以前に雑誌で読んだ記事ですが、江戸時代というととかく女性の地位が低かった時代に思われがちですが、武家の女性はともかく庶民は必ずしもそうではなかったとする研究も出ています。その研究によると、当時の男女の結婚の際は仲人が両者が保有する財産をしっかりと記録を取り、もし離婚となった場合にはその記録に基づき妻の財産を夫が必ず返却しなければならないという習慣があったそうです。
またその離婚を行う決定権は江戸時代は男性側にしかなく、DVなどでどうしても離婚したい女性はそこに行けば無条件で保護される「駈込寺」に行くしかなかったかのように時代劇などで描かれていますが、場所や地位によっては必ずしもそうではなく、女性の側から夫に三下り半を突き付ける例もあったそうです。中には逆に妻からのDVから逃げ出し、「頼むから妻と離婚させてくれ」とお寺に駆け込んだ夫がいたという話も伝わっており、案外こっちの方が現実味があるというか人として自然な姿なんじゃないかなと妙な真実味を覚えます。私なんかむしろ、明治から終戦までの日本人の方がそれ以前、以後と比べて日本人として特別だったのではと考えていますし。
まとめとしましては武家や公家といった社会的に高い地位の人間の生活はそこそこ研究されているものの、地べたの庶民の生活はそれほど研究史料も多くないこともあって案外わからないことが多いということです。なおこれは江戸時代以前となるとよりわからなくなっており、鎌倉時代や室町時代の農民や町人の生活となると、せいぜい1日2食か3食か程度しかわかってないんじゃないかと思います。
なおこうした庶民の生活を知る上で最大の手掛かりとなるのは、恐らくは外国人による見聞録でしょう。外国人というのはいい意味でその土地の習慣になじんでいないため、れりごーなままの情景を日記などに書き記してくれることが多いです。室町後期であればキリスト教宣教師が代表格ですが、戦後に上野に来て日本人の生活を分析した英国人社会学者であるロナルド・ドーア氏の論文は私も読みましたが、「ああ、こういうところは当たり前すぎて俺たちにはわからないかもな」と感じるくらい示唆に富んだ内容でした。
おまけ
ちょっと検索かけたら、ロナルド・ドーア氏が昨年11月にまた本を出していたようです。噂には聞いてはいたが、本当にタフで元気な人だなぁこの人。
話は本題に入りますが派遣マージン率の記事を終えてやや燃え尽き気味ということもあり、リハビリがてら歴史記事を書きます。
私が小学校の中学年から高学年の頃、江戸時代の庶民の生活について学校で習うことがありました。その中でも特に強烈と言うか当時にして、「なんでやねん」と思ったことで、「『切捨御免』という制度によって武士は庶民を斬り殺しても処罰されなかった」という説明がありました。
大名行列を横切ったとか高位の武士に対する露骨な嫌がらせとかしてれば無礼討ちとして確かに放免されましたが、何の理由もなく庶民を斬り殺した場合はその武士もほぼ間違いなく処刑されていただろうと現代では考えられています。しかし私が子供だった頃は、ただ単に私が無知だったせいかもしれませんが、まだこの「切捨御免」という制度が変な風に曲解され、江戸時代は武士が威張りに威張って好き放題していた時代だったという風に認識されていたのではと思います。さすがに歴史学者でないので実際に考証することはできませんが、武士が自由に庶民を殺していいのなら何故「辻切り」という言葉があるのかという疑問が出てくるため、現代の解釈の方が正しいように思えます。
上記の例は極端なものですが、これに限らず案外江戸時代の庶民の生活がどんなものだったというのかは意外とわかっていません。もう一つ代表的な例を出すと「慶安の御触書」に対する後世の解釈で、詳しくはリンク先のウィキペディアのページを見てもらいたいのですがこの文書では農民はお茶・酒は飲むな、米も祭日を除いて食うな、煙草も吸うななどと農民の生活について事細かに指示してあり、ほんのつい最近までこの文書は江戸時代の幕法、つまり全国で使われた法律だと思われ農民は苛め抜かれていたという証拠として使われてきました。しかし近年の研究によるとこれは甲府の一部地域で配布された、どっちかっていうと農民生活のスローガン的な文書だったようで、実際にはほとんど出回っていなかった上に当時の農民も素直にこの文書の指示に従っていたわけなかったようです。普通に考えて、お茶もお酒も飲まずに農業なんてやってられっかよと禁酒法時代のアメリカを見るにつけ思います。
このようにほんの200~300年前の生活すら現代では案外理解されておらず、どちらかと言うとプロパガンダに使われるような形で変な誤解が広まっていることも少なくありません。武士と違って作法や礼節、日記など残っている文書資料が少ないこともあってか、それほどまでに庶民の生活というのはわかっていない部分が広かったりします。
もっともそのような暗黒大陸的な庶民生活も近年は研究が進んでおり、たとえば私が直接大学で授業を受けた講義では、離島における寺子屋の進学率から識字率を導きだし、当時の日本は約4割、男子に限ると8割くらいは寺子屋で読み書きを習って識字できたという研究結果を聞きましたが、意外に感じると共に、逆に当時は多くの人が文字を読み書きできなかったという根拠も確かにないなという具合で納得しました。
あとこれは以前に雑誌で読んだ記事ですが、江戸時代というととかく女性の地位が低かった時代に思われがちですが、武家の女性はともかく庶民は必ずしもそうではなかったとする研究も出ています。その研究によると、当時の男女の結婚の際は仲人が両者が保有する財産をしっかりと記録を取り、もし離婚となった場合にはその記録に基づき妻の財産を夫が必ず返却しなければならないという習慣があったそうです。
またその離婚を行う決定権は江戸時代は男性側にしかなく、DVなどでどうしても離婚したい女性はそこに行けば無条件で保護される「駈込寺」に行くしかなかったかのように時代劇などで描かれていますが、場所や地位によっては必ずしもそうではなく、女性の側から夫に三下り半を突き付ける例もあったそうです。中には逆に妻からのDVから逃げ出し、「頼むから妻と離婚させてくれ」とお寺に駆け込んだ夫がいたという話も伝わっており、案外こっちの方が現実味があるというか人として自然な姿なんじゃないかなと妙な真実味を覚えます。私なんかむしろ、明治から終戦までの日本人の方がそれ以前、以後と比べて日本人として特別だったのではと考えていますし。
まとめとしましては武家や公家といった社会的に高い地位の人間の生活はそこそこ研究されているものの、地べたの庶民の生活はそれほど研究史料も多くないこともあって案外わからないことが多いということです。なおこれは江戸時代以前となるとよりわからなくなっており、鎌倉時代や室町時代の農民や町人の生活となると、せいぜい1日2食か3食か程度しかわかってないんじゃないかと思います。
なおこうした庶民の生活を知る上で最大の手掛かりとなるのは、恐らくは外国人による見聞録でしょう。外国人というのはいい意味でその土地の習慣になじんでいないため、れりごーなままの情景を日記などに書き記してくれることが多いです。室町後期であればキリスト教宣教師が代表格ですが、戦後に上野に来て日本人の生活を分析した英国人社会学者であるロナルド・ドーア氏の論文は私も読みましたが、「ああ、こういうところは当たり前すぎて俺たちにはわからないかもな」と感じるくらい示唆に富んだ内容でした。
おまけ
ちょっと検索かけたら、ロナルド・ドーア氏が昨年11月にまた本を出していたようです。噂には聞いてはいたが、本当にタフで元気な人だなぁこの人。
2015年2月2日月曜日
秋葉原通り魔事件に関するムカつく毎日記者の記事
書くことと言ったら昨日中国人労働者と周庄という観光地に行って三つ足の蛙の置物を買ったくらいしかないので、ちょうど本日当事者の死刑が確定したのもあるので、先日書こうと思って一旦は放置した毎日新聞記者が秋葉原通り魔事件について書いた記事に文句書こうと思います。ここまでストレートに嫌悪感出すのも自分にしては珍しいな。
・7人が死亡した無差別殺傷事件 「秋葉原事件」とは何だったのか(THE PAGE)
2008年に起きた秋葉原通り魔事件の詳細については省きますが、この事件について取材したという毎日新聞記者の伊藤直孝氏がTHE PAGEでこの事件について寄稿したものが上記記事です。なんでこの記事をいちいち取り上げるのかと言うと、上にも書いている通りに一見して非常強い不信感と腹立ちを覚えたからです。どの点が不満だったのかと言うと、このライターがどうしても犯人は社会に不満があったため事件を起こしたという風に話を完結させたいようにして書かれてあり、客観性がまるで見えないからです。
まず最初にカチンときた点を引用すると、
「進学校の青森高に進んだが、母親への反発から四年制大学に進まず、短大を経て宮城、埼玉、青森と非正規雇用を転々とした。事件前年の07年には静岡県の自動車工場で派遣社員として働き始めた。
08年5月末、加藤被告は上司から派遣契約期間を6月末で終了すると伝えられ、6月5日には職場で作業着が見つからず怒りをぶちまけ帰宅。職を失った。不安定な若者が行き場のない怒りをぶつけたように見えた事件に、ネットでは共感の声があふれた。」
この箇所を見てピンと来る人なんてまずいないでしょうが、犯人は確かに派遣社員でいた期間が長かったですが事件の一年前には正社員としての就職を果たしていたというのにそうした事実については一切触れず、常に非正規雇用と言う不安定な立場でストレスをためていたような書き方が成されているように私には見えます。この正社員でいた、そしてそれすらも自己都合で退職したという事実は犯人の動機を考える上でもなくてはならない要素だと思えるのに、それすらをスルーするというのは私には理解できません。
続いて気になった箇所はこちらです。
「加藤被告は、現実では決して孤独ではなかった。中学時代は2人の女子生徒と交際。青森の幼なじみとは一斉メールで連絡を取り続け、静岡では同僚と居酒屋に行き、秋葉原で遊んだ。『リア充』な生活の一方で、掲示板にのめり込んでいく心情は理解しがたい。」
こっちはまだピンとくる人も多いのではないかと思いますが、「リア充」という言葉の意味をどこかはき違えていないかと言う気がします。でもってそんな充実している生活している人間が掲示板にのめり込むはずがないと言いますが、それこそそんなの人それぞれじゃないかと思え勝手にだkれ家が判断することじゃない気がします。
そして最後の結論部に至っては、
「秋葉原事件は、孤独を恐れる弱い若者が、並外れた行動力を発揮してしまったゆえに起きた、極めて不幸な事件だった。」
と断定してくれています。友人も少なく、中国で毎日ネットでブログ書いたり派遣企業調べてる私はどうだってんだと文句の一つくらい言ってもいい気がしますし、行動力も自分は並外れている自身があるけどこういう事件起こせってのか。
要旨をまとめますが、この記事は全体を通して「犯人はネットにしか居場所のない孤独な人間で、不安定な雇用形態といったストレスと相まって事件を起こした」というこじつけを徹頭徹尾押し付けるかのような印象を覚えました。しかし私は、以前に書いた記事でも書きましたが犯人も手記でこのような理由を否定しており、ただ単にネット掲示板で成りすましを受けて腹立ちまぎれに起こした事件以上でも以下でもない気がします。
こう考えるのもこの犯人の格別に際立った特徴で、自分が感じたストレスをそのストレスの発信源たる本人には必ず向けないという大きな特徴を犯人は持っているようにみえます。辞めた会社でも人間関係に不満があると言いながらその問題の人物との関係を改善するためには何ら行動は起こさず、「抗議」と称して無断欠勤するなどして自然退職するパターンが主で、また過去に一度自殺を試みた際は、トラックで壁なり路肩なりにツッコんで自分に迷惑をかけた人間を公開させてやるん度というメールを知り合いに出しています。私に言わせるならムカつく人間の所に直接トラックで突っこめばいいってのに、犯人は絶対にそういうことをしません。
秋葉原の事件もそうで、逮捕後に話した供述では大きな事件を起こすことで成りすましをした人物にとんでもないことをしたと思い知らせてやろうと起こしたと話しており、彼のこれまでの行動、「当事者には直接攻撃せず、関係ない所で一人勝手に大騒ぎして相手を困らせてやろうとする」という指針とピタリと一致するので、特に疑問は感じません。何故彼がこんな行動指針を持つに至ったのかについても大体想像はつきますが、自分はそこまで残酷な人間ではないのでその仮説は敢えて書かずにおきます。
話しは毎日のライターに戻りますが、はっきり言って彼は事件をちゃんと取材したのかとても疑問に感じます。分析に何の着眼もないどころか最初の引用文中にある、「08年5月末、加藤被告は上司から派遣契約期間を6月末で終了すると伝えられ、6月5日には職場で作業着が見つからず怒りをぶちまけ帰宅。職を失った。」という記述に関しても、私の記憶が確かならその職場では一旦は派遣社員に対して契約を6月末で打ち切ると通告したものの、その後延長することになったと犯人を含む従業員は再度通告されており、そうした事実を書かずに都合のいい部分だけ切り取るのは如何なものかと感じます。それこそ、まるで派遣契約の打ち切りがきっかけになったような書き方に使うなんて。
最後にこの犯人の経歴が明らかになって事件直後はネットを中心に不安定な雇用に喘ぐ若者から共感の声が上がったと書いていますが、私はそんなことはなかったと思います。確かに一人や二人は変な奴が賞賛してましたがそれはあくまで例外というような変な人間で、むしろマスコミの方が犯人を「不安定な雇用に喘ぎ、社会に復讐しようとした抵抗者」に仕立て上げようと遠回しに賞賛していたような印象を覚えました。この毎日の記者の様に。
以上が私の言いたいことすべてですが、所詮は毎日というか、風の息遣いを感じられると妄想するだけのレベルだなと思います。犯人の動機について私の仮説の方が絶対正しいなんて言うつもりはありませんが、少なくとも事実を都合のいいように切り貼りしているこの記者よりはまだ物事を客観的に見ているよと言うだけの自信が自分にはあります。
・7人が死亡した無差別殺傷事件 「秋葉原事件」とは何だったのか(THE PAGE)
2008年に起きた秋葉原通り魔事件の詳細については省きますが、この事件について取材したという毎日新聞記者の伊藤直孝氏がTHE PAGEでこの事件について寄稿したものが上記記事です。なんでこの記事をいちいち取り上げるのかと言うと、上にも書いている通りに一見して非常強い不信感と腹立ちを覚えたからです。どの点が不満だったのかと言うと、このライターがどうしても犯人は社会に不満があったため事件を起こしたという風に話を完結させたいようにして書かれてあり、客観性がまるで見えないからです。
まず最初にカチンときた点を引用すると、
「進学校の青森高に進んだが、母親への反発から四年制大学に進まず、短大を経て宮城、埼玉、青森と非正規雇用を転々とした。事件前年の07年には静岡県の自動車工場で派遣社員として働き始めた。
08年5月末、加藤被告は上司から派遣契約期間を6月末で終了すると伝えられ、6月5日には職場で作業着が見つからず怒りをぶちまけ帰宅。職を失った。不安定な若者が行き場のない怒りをぶつけたように見えた事件に、ネットでは共感の声があふれた。」
この箇所を見てピンと来る人なんてまずいないでしょうが、犯人は確かに派遣社員でいた期間が長かったですが事件の一年前には正社員としての就職を果たしていたというのにそうした事実については一切触れず、常に非正規雇用と言う不安定な立場でストレスをためていたような書き方が成されているように私には見えます。この正社員でいた、そしてそれすらも自己都合で退職したという事実は犯人の動機を考える上でもなくてはならない要素だと思えるのに、それすらをスルーするというのは私には理解できません。
続いて気になった箇所はこちらです。
「加藤被告は、現実では決して孤独ではなかった。中学時代は2人の女子生徒と交際。青森の幼なじみとは一斉メールで連絡を取り続け、静岡では同僚と居酒屋に行き、秋葉原で遊んだ。『リア充』な生活の一方で、掲示板にのめり込んでいく心情は理解しがたい。」
こっちはまだピンとくる人も多いのではないかと思いますが、「リア充」という言葉の意味をどこかはき違えていないかと言う気がします。でもってそんな充実している生活している人間が掲示板にのめり込むはずがないと言いますが、それこそそんなの人それぞれじゃないかと思え勝手にだkれ家が判断することじゃない気がします。
そして最後の結論部に至っては、
「秋葉原事件は、孤独を恐れる弱い若者が、並外れた行動力を発揮してしまったゆえに起きた、極めて不幸な事件だった。」
と断定してくれています。友人も少なく、中国で毎日ネットでブログ書いたり派遣企業調べてる私はどうだってんだと文句の一つくらい言ってもいい気がしますし、行動力も自分は並外れている自身があるけどこういう事件起こせってのか。
要旨をまとめますが、この記事は全体を通して「犯人はネットにしか居場所のない孤独な人間で、不安定な雇用形態といったストレスと相まって事件を起こした」というこじつけを徹頭徹尾押し付けるかのような印象を覚えました。しかし私は、以前に書いた記事でも書きましたが犯人も手記でこのような理由を否定しており、ただ単にネット掲示板で成りすましを受けて腹立ちまぎれに起こした事件以上でも以下でもない気がします。
こう考えるのもこの犯人の格別に際立った特徴で、自分が感じたストレスをそのストレスの発信源たる本人には必ず向けないという大きな特徴を犯人は持っているようにみえます。辞めた会社でも人間関係に不満があると言いながらその問題の人物との関係を改善するためには何ら行動は起こさず、「抗議」と称して無断欠勤するなどして自然退職するパターンが主で、また過去に一度自殺を試みた際は、トラックで壁なり路肩なりにツッコんで自分に迷惑をかけた人間を公開させてやるん度というメールを知り合いに出しています。私に言わせるならムカつく人間の所に直接トラックで突っこめばいいってのに、犯人は絶対にそういうことをしません。
秋葉原の事件もそうで、逮捕後に話した供述では大きな事件を起こすことで成りすましをした人物にとんでもないことをしたと思い知らせてやろうと起こしたと話しており、彼のこれまでの行動、「当事者には直接攻撃せず、関係ない所で一人勝手に大騒ぎして相手を困らせてやろうとする」という指針とピタリと一致するので、特に疑問は感じません。何故彼がこんな行動指針を持つに至ったのかについても大体想像はつきますが、自分はそこまで残酷な人間ではないのでその仮説は敢えて書かずにおきます。
話しは毎日のライターに戻りますが、はっきり言って彼は事件をちゃんと取材したのかとても疑問に感じます。分析に何の着眼もないどころか最初の引用文中にある、「08年5月末、加藤被告は上司から派遣契約期間を6月末で終了すると伝えられ、6月5日には職場で作業着が見つからず怒りをぶちまけ帰宅。職を失った。」という記述に関しても、私の記憶が確かならその職場では一旦は派遣社員に対して契約を6月末で打ち切ると通告したものの、その後延長することになったと犯人を含む従業員は再度通告されており、そうした事実を書かずに都合のいい部分だけ切り取るのは如何なものかと感じます。それこそ、まるで派遣契約の打ち切りがきっかけになったような書き方に使うなんて。
最後にこの犯人の経歴が明らかになって事件直後はネットを中心に不安定な雇用に喘ぐ若者から共感の声が上がったと書いていますが、私はそんなことはなかったと思います。確かに一人や二人は変な奴が賞賛してましたがそれはあくまで例外というような変な人間で、むしろマスコミの方が犯人を「不安定な雇用に喘ぎ、社会に復讐しようとした抵抗者」に仕立て上げようと遠回しに賞賛していたような印象を覚えました。この毎日の記者の様に。
以上が私の言いたいことすべてですが、所詮は毎日というか、風の息遣いを感じられると妄想するだけのレベルだなと思います。犯人の動機について私の仮説の方が絶対正しいなんて言うつもりはありませんが、少なくとも事実を都合のいいように切り貼りしているこの記者よりはまだ物事を客観的に見ているよと言うだけの自信が自分にはあります。
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