今更ながら恥ずかしい話ですが私は2005年に留学のため中国で生活していた際に初めて
P&Gが日系企業じゃないということを知りました。ただ同じような間違いをしていた人はほかにも多くおり、何故それほど自国の企業だと誤解する人が多いのかというと単純にP&Gが世界市場で圧倒的なシェアを誇ること、各地域の市場に根差していることが要因ではないかと思われます。
実際に石鹸やシャンプーといった一般消費財市場は世界規模でP&Gが大半のシェアを持っており、中には同じ業種で対抗する企業がほとんどないという国や地域もあると聞きます。そんなP&Gという巨人に対し、日本国内市場では花王という会社が「調査兵団」みたいな感じで割と頑張って抵抗してたりします。
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花王(Wikipedia)
後に花王を創業することとなる長瀬富郎はまだ江戸時代だった1863年に現在の岐阜県福岡町にある酒造業者の次男として生まれます。富郎は小学校を卒業すると親戚の商家に奉公へ出て下積み時代を過ごし、22歳の頃に自らの独立資金を貯めると奉公を終えて上京し、独立資金を増やそうと米相場の先物取引に手を出します。
この時投じた金額は150円という明治初期としては非常に大きな金額ですが、案の定というか富郎はこの資金を全てすってしまいます。本人もこれには大分懲りたのか、「もう投機的なことは絶対しない」と言っては自分の信念にしていた節があります。
独立資金を失った富郎は再び奉公に出てお金を貯め、25歳の時に再び独立して東京の馬喰町に洋小間物を取り扱う自分の店を構えます。この時はいろんな商品を取り扱っていたようですがその中でも富郎が目をつけたのはほかならぬ花王の代名詞ともいえる石鹸で、洗浄用としては幕末に海外から輸入され明治期には一般市民にも大きく普及していたものの当時の国産石鹸は海外性と比べて品質が著しく悪かったそうです。
富郎本人も客からのクレームを受けながらまともな品質の国産石鹸を探しあぐね、以前の奉公時代に知り合った村田亀太郎という石鹸職人が独立して石鹸作り始めると聞くや富郎は専属契約を結み、村田と一緒に石鹸の品質改善に取り組むことになります。
二人は薬剤師の親戚から石鹸に必要な知識や技術を学ぶと試行錯誤の末に一年半後、ついにこれはと言えるような石鹸を作ることに成功します。この石鹸を売り出すに当たって化粧用石鹸のことを当時は「顔石鹸」と読んでいたことから音を取って「香王」と名付けて商標を登録しますが、売り出し前に思い直し「花王」と改め、こちらの名前で売り出すことにしました。
こうして売り出された「花王」石鹸は他者と比べて高い値段設定であったものの評判が評判を呼び、売り出しはじめから割とよく売れたそうです。しかし売れ行きが良くなるにつれて模造する業者が続出し、最初に商標登録までした「香王」や「花玉」などと似たような名前の石鹸が次々と売り出されたそうです。あながち昔の日本人も中国人を笑えんな。
こうした模造品に対して富郎は何度か告訴したりもしましたが終いには「品質では勝ってる。ほっといてもパクリメーカーは潰れる」などと無視する方向に舵を切ります。その一方で自社製品の宣伝には当初より力を入れており、鉄道沿線に宣伝看板を設置するのを始め全国の新聞にも積極的に広告を掲載していきました。
この間、品質の向上も怠らずに続けており、その甲斐あってか1904年に米国セントルイスで開かれた万国博では花王の石鹸がその品質を評価され名誉銀杯を取得しています。その後もシアトルやロンドンの博覧会でも賞を取り、国内外でその品質への評価は日増しに高まっていきました。
このように書くと富郎の人生は順風満帆のようにも見えますが途中途中で何度か痛い目にも遭っており、いくつか例を挙げると資金余裕を持って工場の拡張に取り掛かろうとしたところいきなりメインバンクの東西銀行が破綻して多額の出費を迫られ計画を延期しています。ただ最初の米相場の失敗経験から堅実経営は貫いており、この時の出費で会社を致命的な所まで追い込んでいない辺りはさすがというべきでしょう。
世界各国で石鹸が高く評価され始めた頃に富郎は病にかかり、晩年は割と寝たきりの生活が続いてたと言われます。病床で富郎は自分亡き後の会社について遺言状を下記、当時まだ小学一年生だった三男を後継者に指名した上で弟二人に後見人となるよう指示します。こうした備えを終えてから富郎は1911年、48歳という年齢でこの世を去ります。時代的にちょうど明治期を貫通するような生没年だったりします。
長瀬富郎に関しては経歴以外はあまり書くネタを持っていないのが実情ですが、特筆すべきはやはりその品質へのこだわりでしょう。当初から高級路線で石鹸の製造を志していたことは間違いなく、それが発売当初から評価され現代に続く日系消費財メーカーの雄として活躍する下地はここにあると言えるでしょう。
多少国策的なことを言えば、日系企業を応援するという意味ではP&Gよりも私は花王やライオンの消費財を敢えて選ぶようにしています。P&Gが嫌いというわけでもなく品質に疑いを持っているわけではありませんが、一応地元を応援するって意味合いで。
参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行