最近やる気のない記事ばかり書いてたのでたまにヒア真面目に記事を書こうと、今日はまだまだホットな東芝の不正経理問題について書きます。
電機大手の東芝が社内で不正経理があったことにより決算発表が遅れたことは皆さんの記憶にも新しいかと思います。この問題で調査を行った外部委員会は組織ぐるみの不正で、また歴代の経営陣が問題を未然に防ごうとせず、むしろその原因を作ったとして責任があるとの結論を下し、また社内調査でも同様の結果であったことから本日、東芝の直近三代の社長がそれぞれの役職から辞任することを発表しました。
個人的にこのニュースを見て思ったこととして、東芝は西田厚聡元社長以降は派閥間の争いが激しくなり、社長職を巡って暗闘が続いていたとかねてから聞いていたので、今回の問題もそれに端を発した物なのかなと考えておりました。ただ今回、直近三代がまとめて辞任するので、こうした派閥間争いも少しは緩和されるのかなという期待も持てます。
こうした東芝単体の問題と共にこの事件で私が感じたこととして、「アメリカだったらなぁ」という比較した考えです。アメリカだったらどうなのかというと、一言で言えば即刻で東芝は上場廃止になっています。むしろ、「不正経理」、「利益の水増し」、「数年続いている」、「外部からの指摘を無視」、「役員も関与」というフルコンボであることを考えると、一体何をすれば東証で上場廃止になれるのか、かえってわからないくらいです。
こうした東証の大手企業に対する異常な甘やかしぶりは何も今に始まることではなく、2011年に発覚したオリンパスの不正経理事件の際もあれだけ大きな事件で巨額の不正だったにも拘らずオリンパスは上場廃止を免れており、正直この時は目を疑いました。もっともオリンパスの旧経営陣はさすがに逮捕されましたが、逆に言えば経営陣が逮捕されるような不正事件でも東証は上場廃止にしないってことです。
今回の東芝の事件も役員連中は利益水増しについて知らなかったと話していますが、外部役員が急激な利益の増加ぶりについておかしいと指摘していたにもかかわらず黙殺していた点を考えると知らなかったわけないでしょう。そのように考えると今回の東芝からも逮捕者の一人や二人は出てきてもいい気がするのですが、オリンパス程は長期間に渡って行われた不正経理でなかったので多分見逃されることになるでしょう。
しかし仮にこれが米国での事件だったらどうなるのか。まず確実に逮捕者は出ていたと予想され、でもって逮捕された元役員は懲役で10年以上はくらっている可能性すらあります。一般の日本人が知ってるかどうかはわかりませんが向こうでは不正経理に対する処分は非常に厳しく、懲役30年とかでるのもざらですし、とんでもないのだと70年とか一生出られなくなるくらいの懲役が科されることもあります。
私の目から見て経済犯罪に対する米国の処罰はきつすぎるのではと思う一方、日本の処分は逆に緩すぎるように思います。それこそ一年や二年程度の不正経理なら「知らなかった」と言って修正申告済ませればそれっきりですし、長期間にわたるものでも自ら辞任するなど社会的処罰を受けていれば逮捕はまずまぬがれます。そして何より、どれだけトレーダーを欺いたとしても、どんなことしたっても大手なら上場廃止にはならないというのはオリンパスの例で証明されています。
こうした日本と米国の経済犯罪に対する温度差はどこから生まれてくるかですが、単純に資本主義が成熟しているか否かということよりも何に対する責任に重きを置くのかという点において両国で大きく異なっていることが大きいように思えます。
言ってしまえば経済犯罪というのは個人に対する罪ではありません。企業が不正経理を行ったところで誰か一人が大きな損害を受けることもなければ権利を侵害されることもありませんが、トレーダー全体では大きな影響となる、いわば社会に対する不正なり裏切りです。私が見る限り日本人は個人が損をする、侵害されるということに対して強く敏感である一方、社会に対する侵害に関してはやや無頓着な所があるような気がします。
それこそBSEの時とかぺヤングに虫が入っていた際などは激しく動揺するとともに強く憤りを見せますが、社会全体に対しては大きな影響があるものの自分には直接的な被害がまず及ばないような経済犯罪だとほとんど興味を持たず、また処分なども軽めで済ませようとします。私が何を言いたいのかというと、そもそも日本人は社会に対してそれほど帰属意識を持っていないのでは、だからこそ社会に対する不正があっても自分、もしくは身内など周りが影響を受ける恐れが無ければ全く意に介さないのではなんて思うわけです。
この辺また次回でゆっくり語ってもいいですが、一言で「社会」といってもその範囲は個人によって変わります。私の場合は極端に広くて下手すりゃ「人類全体」を指すこともありますが、一般の日本人にとってすれば「家族」の枠を少し大きく広げた範囲、具体的に言えば「家族+職場」が彼らにとっての社会全体であって、それ以上は関知しない領域となります。
もちろんほかの国も多かれ少なかれそれくらいの範囲がメインとなりますが、日本と米国で絶対的に異なっているのはエリートが認知する社会範囲で、やはり欧米のエリートは日本と比べるとここら辺で差があるように感じます。なお中国の場合、人が多すぎるのでエリートであっても認知する社会の範囲は割と狭く家族程度であることが多いですが、その分プレイべーとでの友人との紐帯が強いのでピンポイントに範囲が広い人もいる気がします。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2015年7月21日火曜日
2015年7月20日月曜日
千葉のマッドシティ~良文堂書店
久々にこのブログの投票機能を作って、「新国立問題で誰が戦犯なのか?」というアンケートをトップページ右上部に設けたので、興味がある方は投票していってください。ぶっちゃけ、候補に挙げた全員どれも問題抱えてるような気がするけど。
そんなわけで本題ですが、今日は松戸ことマッドシティ市民なら恐らく誰もが知っていると思われる、良文堂書店松戸駅前店を紹介します
上記写真の良文堂書店は松戸駅東口目の前にあり、松戸駅とはコンコースが直結していて夕方くらいになると帰宅者たちが大勢目の前を通っていくのでいやでも目に入ります。写真はそのコンコースから取られた写真で、この入口から入ると良文堂書店の2階に入ります。
この本屋の面白い所はなんと6階建ての本屋になっており、階層ごとに置いてある本のジャンルが分けられています。適当な記憶に従って書くと、確か1階は雑誌類、2階以降は文芸書、文庫、漫画、教育参考書、児童書などに分かれてたような気がします。最近行ってないからほんと記憶が曖昧。
階層は2階ならばコンコースから直接入れますがそれより上は店内の細い階段を昇り降りしなくてはならないのでたまにしんどさを覚える時があります。ただジャンルごとに階層が別れているので捜したい本は割とすぐ見つかるし、雑誌を立ち読みする人とかに邪魔されずに店内を歩き回れるのは地味にいい点だったりします。
あとこの本屋で特筆すべき点は、個人的には受験参考書の充実ぶりです。松戸駅前には大手予備校の河合塾松戸校舎があり、またその近くには予備校生寮もあることが影響しているのか、ほかの本屋と比べてもこの良文堂にはやたら受験参考書がずらっと置いてあります。私も赤本(大学別の過去問集)は全部ここで買って、関西の大学なんかよそではあまり置いてないのにここにはしっかり置いてあって非常に助かりました。
オチらしいオチはありませんが、駅の真ん前にあるという立地上、電車で移動する前とか通勤途中に立ち寄るという意味では非常にいい本屋です。ただ松戸はやたらと本屋が多く、競争相手も多そうな気がするので内実はどうなのかなとちょっと気になっていたりもします。
2015年7月19日日曜日
かつて餓えた日々
適当に書くネタがパッと用意できないというかさっき上海から帰ってきたばかりでもあるので、私が餓えていた学生時代の日々について少し書こうと思います。
一言で言って、学生時代は本当に金がなかったです。別に使ってもよかったのですがわざわざ東京の大学を蹴って京都に下宿しながら進学した負い目もあったのでなるべくお金は使わないように節約し、差し当たって削りようのある食費は自分の気力の許す限り削っておりました。もちろん自分以上に削っていた人間もおり、具体的には「冷蔵庫は必要ない」と主張してやかんでスパゲッティをゆでていた友人もおりましたが、私自身はとにもかくにも余計なおかずを買わずに白米で乗り切る戦略を取り、そのせいか白米の消費量は一食で2合食べることがざらでした。
またおかずも60円のコロッケとか、酷い時はキムチのみで乗り切ることもあり、大体夕方くらいになると今晩何を食べるのかという事ばかり考えるほどでした。ひどい時なんかはあまりにもお腹すいて夜眠れなくなったこともあり、また夢でたくさん食べて満腹感を感じた瞬間に目を覚ますという貴重な体験も経験しています。
あとお腹がすくと甘いものに餓えるというか、お菓子への欲求が非常に高まりました。とはいえお菓子を買うと家系に直撃するため、如何に少ない投資で腹の足しになるお菓子が買えるかを友人などと必死で研究したこともあり、最終的な結論としてはホットケーキを大量生産するか、100円のビスケットを買うかというところに至りました。それでもホットケーキとビスケットだけでは飽きてくるため、具体的に言えばチョコレートが無性に食いたくなる時があり、ある日断腸の思いで「きのこの山」を買って口に入れた時は涙が出そうになるくらいおいしく、今でもあの時の感動というか味覚を覚えている程です。
なんで今日こんな記事を書いたのかというと、今日たまたま寄った上海の森ビルことSWFCの地下にあるローソンで「たけのこの里」が売られているのを見て、「きのこの山」と「たけのこの里」のどちらが優れているかというのはある意味一つの日本の論点だろうななどと思い浮かべ、そういやあのときの「きのこの山」はうまかったなぁなんて思い出したからです。もっともここまで書いておきながら、私は「たけのこの里」の方が好きだったりします。
一言で言って、学生時代は本当に金がなかったです。別に使ってもよかったのですがわざわざ東京の大学を蹴って京都に下宿しながら進学した負い目もあったのでなるべくお金は使わないように節約し、差し当たって削りようのある食費は自分の気力の許す限り削っておりました。もちろん自分以上に削っていた人間もおり、具体的には「冷蔵庫は必要ない」と主張してやかんでスパゲッティをゆでていた友人もおりましたが、私自身はとにもかくにも余計なおかずを買わずに白米で乗り切る戦略を取り、そのせいか白米の消費量は一食で2合食べることがざらでした。
またおかずも60円のコロッケとか、酷い時はキムチのみで乗り切ることもあり、大体夕方くらいになると今晩何を食べるのかという事ばかり考えるほどでした。ひどい時なんかはあまりにもお腹すいて夜眠れなくなったこともあり、また夢でたくさん食べて満腹感を感じた瞬間に目を覚ますという貴重な体験も経験しています。
あとお腹がすくと甘いものに餓えるというか、お菓子への欲求が非常に高まりました。とはいえお菓子を買うと家系に直撃するため、如何に少ない投資で腹の足しになるお菓子が買えるかを友人などと必死で研究したこともあり、最終的な結論としてはホットケーキを大量生産するか、100円のビスケットを買うかというところに至りました。それでもホットケーキとビスケットだけでは飽きてくるため、具体的に言えばチョコレートが無性に食いたくなる時があり、ある日断腸の思いで「きのこの山」を買って口に入れた時は涙が出そうになるくらいおいしく、今でもあの時の感動というか味覚を覚えている程です。
なんで今日こんな記事を書いたのかというと、今日たまたま寄った上海の森ビルことSWFCの地下にあるローソンで「たけのこの里」が売られているのを見て、「きのこの山」と「たけのこの里」のどちらが優れているかというのはある意味一つの日本の論点だろうななどと思い浮かべ、そういやあのときの「きのこの山」はうまかったなぁなんて思い出したからです。もっともここまで書いておきながら、私は「たけのこの里」の方が好きだったりします。
2015年7月17日金曜日
三国志で打線組んでみた
最近ホイールのクリック反応が悪かった私のロジクール製マウスですが、今日思い切って上蓋取っ払って中を見てみたところそもそもホイールスイッチは弄れない設計になってて意味がなく、仕方ないので投げたりしてました。多分に私がマウスを酷使しているということもありますが、どうもロジクールのマウスは値段の割にはやたら壊れやすいような気がしてなりません。前のマウスも一回投げたら壊れちゃったし、デザインも正直気にらないので無線キーボードとセットでなければ使わずに済むのにと思って仕方ありません。しょうがないからまたロジクール製で買い替えるけど。
それで話は本題ですが、今日日本ではプロ野球のオールスターゲームが開催されていますが、それに触発されたので三国志の国ごとに打線というか野球チームを組んでみました。選考はあくまで私の視点によるもので、有名な武将を敢えて中心にして選んでおります。てなわけでまずは蜀からどうぞ。
<蜀>
(スタメン野手) | (ベンチ野手) | ||
1 | 魏延 | レフト | 劉封 |
2 | 趙雲 | ショート | 孟達 |
3 | 関羽 | 三塁 | 廖化 |
4 | 張飛 | 一塁 | 沙摩柯 |
5 | 馬超 | センター | |
6 | 黄忠 | キャッチャー | |
7 | 馬岱 | ライト | |
8 | 関平 | 二塁 |
(先発) | (リリーフ) |
諸葛亮 | 蒋琬 |
龐統 | 費禕 |
法正 | 馬良 |
徐庶 | 伊籍 |
姜維 | 馬謖 |
まず蜀チームで特筆すべきは圧倒的といえるくらいの超重量打線でしょう。3番の関羽と4番の張飛を筆頭にどこからでもホームランが飛んできそうな打線でありながら、2番の趙雲の様に小技も効かせられる武将が多いのも特徴です。なおベンチの沙摩柯は助っ人外国人枠として敢えて入れてみました。
一方、投手陣の方はというと先発は一見すると隙のない布陣に見えますが、龐統と法正はどちらも選手寿命が短く、徐庶もワンシーズン、下手すりゃ1試合限りのレンタル移籍要員ですので、姜維が育つまでは実質的にエースの諸葛亮がほぼフル登板しなくてはならないという、やたら史実に近い台所事情となっています。リリーフ陣は決して悪くないものの絶対的なストッパーはおらず、またこの中から先発に昇格させられそうなのもいません。馬謖に至っては登板するごとに炎上しそうなので運用に当たっては注意が必要です。
それとどうでもいいけど、「伊籍が移籍」なんていうくだらないダジャレを思い浮かべたことがあれば、あなたはもう立派な三国志マニアです。
<魏>
(スタメン野手) | (ベンチ野手) | ||
1 | 夏侯淵 | ライト | 李典 |
2 | 夏候惇 | レフト | 楽進 |
3 | 張遼 | 二塁 | 曹真 |
4 | 許褚 | 一塁 | 曹洪 |
5 | 徐晃 | センター | 于禁 |
6 | 張郃 | ショート | 曹彰 |
7 | 典韋 | 三塁 | |
8 | 曹仁 | 捕手 |
(先発) | (リリーフ) |
荀彧 | 郭嘉 |
荀攸 | 陳羣 |
程昱 | 鍾繇 |
賈詡 | 満寵 |
司馬懿 | 劉曄 |
韓浩 | |
楊修 |
魏チームは野手、投手共に選手層がとにもかくにも分厚いという一言に尽きます。打線はさすがに蜀の超重量打線と比べると見劣りしますがそれでも一線級の武将たちで構成されており、また代打要員も粒揃いであるためスタメンの一次離脱があったとしても戦力の低下はほとんど起こり得ないでしょう。
投手陣も盤石の一言に尽き、先発は一応五人揃っていますがリリーフの中からも先発に切り替えられる武将、っていうか文官もいるため、こちらも打線同様に欠員が出てもすぐ穴が埋まってしまうような充実ぶりです。なお郭嘉は先発にするべきか悩んだ挙句、抑えの切り札にしようと思ってリリーフに入れました。
強いて弱点を挙げるなら、先発五番手の司馬懿が背信投球をやらかさないか監視が必要ってくらいでしょう。ってかこいつ、首が180度回ったっていうから二塁のランナー警戒する時は便利そう。
<呉>
(スタメン野手) | (ベンチ野手) | ||
1 | 甘寧 | ライト | 徐盛 |
2 | 朱桓 | センター | 丁奉 |
3 | 程普 | 二塁 | 蒋欽 |
4 | 周泰 | 三塁 | 朱然 |
5 | 太史慈 | 一塁 | 孫韶 |
6 | 凌操 | ショート | |
7 | 黄蓋 | レフト | |
8 | 韓当 | 捕手 |
(先発) | (リリーフ) |
周瑜 | 張昭 |
陸遜 | 張紘 |
呂蒙 | 諸葛恪 |
魯粛 | 闞沢 |
諸葛勤 | 虞翻 |
呉チームは投手陣にいい選手が揃っており、先発が周瑜、陸遜、呂蒙の三本柱が君臨しているだけでなく、抑えも張昭、張紘のダブルストッパーが控えていて、下手すりゃ三国(三鷹~国分寺間)一と言っていいくらい充実しています。
しかし打線はというと投手陣の充実ぶりとは対照的に一発の破壊力に乏しく、幸い足が早そうな武将(印象でしかないけど)が揃っているので小技を駆使して点を取っていくか、日ハムの大谷選手ばりに打つ方も投げる方も二刀流できそうな呂蒙を主力バッターに組み込んでいくといった大胆な戦術を取らざるを得ないでしょう。
なお先発の魯粛は、好投しても味方の援護に恵まれなさそうな気がする。
<総評>
上記のチーム編成案は大体10分くらいですぐに大枠が埋まるくらい簡単に作ることが出来ました。それほど意識して作ったわけじゃありませんが、案外実際の史実通りの国情に近いチーム構成になっており、このように野球チームに見立てて国家なり軍隊なりを分析比較するのも手法としてアリかもとやってて思いました。
そもそもなんでこんなことを急に思いついてやったのかというと、以前流行った「もしドラ」こと「もしも高校野球部の女子マネージャーがドラッカーを読んだら」という本を思い出し、「もしも高校野球部の女装マネージャーが孔明だったら」というくだらない想像をして、だったらチーム作った方が面白そうじゃんと思いついたことがきっかけでした。ぶっちゃけ、作っててそれなりに楽しかったです。
2015年7月15日水曜日
書評「新・観光立国論」
どうでもいいネタ挟む余裕ないのでいきなり本題ですが、例の冷凍たこ焼き好きの友人が「これを読め」というので、元ゴールドマンサックスのアナリストで現在は日本で文化建築物の修繕事業を営んでいるイギリス人のデービッド・アトキンソン氏による、「新・観光立国論」を紹介します。もっとも、結構売れてる本だからそこまで宣伝しなくてもいい気はしますが。
この本では日本の観光事業について元アナリスト、というより日本在住歴の長いイギリス人としての観点からあれこれ物を語っています。全体の内容を一言で要約するならば、「独りよがりの自己満押し付けてんじゃねーよ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と言ったところです。
1、日本の観光産業の立ち位置
基本的には元アナリストらしく種々のデータを引用した上で日本の観光産業の立ち位置を説明した上で、現在の課題と日本人の無知ぶりを厳しく指摘しています。いくつかそのデータを引用すると、世界銀行がまとめたGDPに対する各国の観光収入の比率を最初に囲繞し、世界平均が1.8%であるのに対して日本はたった0.4%と極端に低い状態にあるとした上で、国別の国際観光客到着数のデータを連投しています。こちらのデータは下記に私も引用しましょう
<国際観光客到着数ランキング>
1位、フランス:8473万人
2位、アメリカ:6977万人
3位、スペイン:6066万人
4位、中国:5569万人
5位、イタリア:4770万人
~
12位、香港:2566万人
~
22位、韓国:1218万人
~
26位:日本:1036万人
見てもらえばわかる通り、日本は他の先進国はもとより東アジアの中でもかなり下位に属する位置にあることがわかります。なお24位はクロアチア、25位はハンガリーですが、日本人からしたらこの国は観光的にはそれほど魅力があるようには見えないと思いますが、欧米人から見たら日本も同じ程度のレベルに見られていると作者は指摘しており、意訳するなら「身の程を知れっ(#゚Д゚)<JAP!」、といったところです。
2、観光大国の四条件
ただ日本の観光産業がこれほどまで小さいということは「伸び代はあるってことだ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)とも語っており、その伸びしろを認識する上で重要な要素となるのが観光大国の四条件だと作者は述べています。その四条件とは「自然」、「気候」、「文化」、「食事」の四つだと述べ、観光大国フランスはもちろんこの条件を備えており、また日本もフランス同様に満たしていると太鼓判を押しています。なお作者の故国である英国は「気候」と「食事」に欠いており、残念ながらフランスに大きく劣ると認めてます。
ただこの四条件ですが、日本人はほとんど認識していないどころかまともなPRすらできていないと厳しく断言されちゃっています。では日本は外国人観光客を誘致するに当たって何をPRしているのかというと、何故だか「国としての知名度」、「治安の良さ」、「交通インフラの充実」が最も多いとした上で、「三つとも誘致に当たって何の効果もねぇよ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と批判しています。
一つ一つ述べてくと知名度があるからわざわざその国に行く奴なんていませんし、同様に治安がいいから観光に行くなんて、じゃあインドとかタイは日本より治安悪いのに何で観光客多いのか。でもって交通インフラが充実しているから見に来るなんて鉄道マニアくらいだと切って捨ててます。なおこの三つを三つともPR文に載せている意味の分からない会社として何故だか「星野リゾート」をここだけ名指しで批判しています。何か嫌なことでもあったのかなここに、俺もあるけど。
総じて言えばPRのポイントが根本から間違えているとして、「逆にそういった点を少しずつでもいいから修正していけば、ポテンシャル自体は高いのだから高い成長を期待できるぞ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と、フォローをきちんと入れる辺りは英国紳士です。
3、おもてなしに対する疑問
恐らく友人が何でこの本を私に勧めたのかという理由の一つとして、この日本の「おもてなし」という言葉に対する作者の意見も大きかったんじゃないかと思います。作者はこの本の中ではっきりと、「もうおもてなしなんて言葉は使うな(#゚Д゚)<JAP!」と述べており、去年あたりからずっとこのブログで私が主張してきた内容と同じことを主張しています。
はっきりいますが日本人の言うおもてなしというのは自己満足そのもので、外国人からしたらそれ程質の高いサービスでもなければむしろ邪魔くさくて鬱陶しいマナーに見えることのが多いです。サービス対応一つとっても日本ではちょっとした注文というか変則オーダーですらやれ規定が、ルールが、上司がなどと言っては対応を断ることが多く、また飲食店などで英語がほとんど通じないというのも地味に問題です。私の方から断言してもいいですが、日本の「おもてなし」は上海市の一般的なサービス水準と比べても質が劣ります。
更に作者はこうした「おもてなし」に代表される日本人の自己満足に外国人がケチをつけたり満足しなかったら、「あいつらはモノのわからない野蛮人だ(#゚Д゚)<鬼畜米英!」」などと逆批判をして、彼らが求めるサービスを探ったり、能動的に対応していこうとすることに無関心すぎるところがあると指摘してますが、はっきり言えば私もこれに同感です。結局、日本の価値観に合う外国人しか誘致しようとせず、折角誘致できる可能性の外国人を自ら排除して稼ぎ的に非常にもったいないことをし続けているのが日本人だと分析しているわけです。
以上がこの本の主だった内容ですがこの記事の目的上、敢えて辛辣な文体で書いております。この文体に対して読者がどのように感じるかはさておきこの本の中で作者は実際には、卑屈なくらいにへりくだった文体で内容を説明しております。どれくらいへりくだっているのかというと、「私は日本が嫌いなわけではなく本当に大好きなんです。だからこそ潜在力の高い日本の観光産業はそのポテンシャルを生かし、大きく伸びてもらいたいのです」、といった内容の言葉が一体何回出てくるんだよと言いたくなるくらい繰り返されています。
これは私と友人の想像ですが、多分作者は日本での駐在生活で相当苦労したんだろうなぁという気がしてなりません。会社の同僚に、「もう彼は半分中国人ですから」とリアルで言われたくらいに日本離れしている私に言わせると、きちんとデータに基づいた当たり前の内容を指摘すると何故だか日本人は強い拒否感を示した上で怒り出す傾向があります。この本に書かれている内容も徹頭徹尾、普通に考えたらその通りだと思える当たり前な内容で占められていますが、恐らく普通に口頭で話したら、「お前は日本を貶そうっていうのか?」とまず反感を買うことが私にも予想できます。それこそ、「日本のおもてなしは日本人の自己満だ」なんて言ったらどうなることやら。
だからこそ作者は耳を傾けてもらうためにも卑屈なくらいに、「悪気はない、ただ君たちにはもっと良くなってもらいたいだけなんだ」という言葉を繰り返したのでしょう。しかし私としては外国人であるのだからここはびしっと、「いちいちめんどくせーんだよてめーら日本人はよ(#゚Д゚)<JAP!」、というくらいきつく言ってもらった方が案外日本人にとってよかったのではと思う節があり、敢えてこの記事では辛辣な文体に意訳しました。
もちろん日本の観光産業について、当たり前だけど日本人は当たり前の事すらまともに言えないだけに貴重な意見をたくさん提供してくれてて非常に価値がありますが、それ以上にまともなことを普通に言っても日本人は全く聞いてくれないんだなということがこの本読んでて強く感じ、そっちの方が私の印象には強く残りました。ある意味、海外に出ている人間の方がこの本読んで思うこと多いんじゃないかな。
勢いで一気に書きましたが、我ながら有り得ない書評になったなという気がしてなりません。
平成史考察~名古屋中学生5000万円恐喝事件(2000年)
本題とは関係ありませんが、学生時代に私は喫茶店でアルバイトをしていたのですがたまたまそこのマスターが戦国武将の中川清秀の子孫ということを知り、同じ歴史好きの友人に教えてやろうとしたらこんな会話が生まれました。
花園「山口君、中川清秀って知ってる?」
友人「うん、(ゲームの「信長の野望」で)よく使ってるよ」
他人の先祖を「使ってる」呼ばわりかよ、なんて思ってちょっと私の中で微妙な空気が流れました。
そんな私のセンチメンタルな思い出は過ぎて今日の本題ですが、平成史ネタで今日は2000年に起きた「名古屋中学生5000万円恐喝事件を取り上げます。」
・名古屋中学生5000万円恐喝事件(Wikipedia)
花園「山口君、中川清秀って知ってる?」
友人「うん、(ゲームの「信長の野望」で)よく使ってるよ」
他人の先祖を「使ってる」呼ばわりかよ、なんて思ってちょっと私の中で微妙な空気が流れました。
そんな私のセンチメンタルな思い出は過ぎて今日の本題ですが、平成史ネタで今日は2000年に起きた「名古屋中学生5000万円恐喝事件を取り上げます。」
・名古屋中学生5000万円恐喝事件(Wikipedia)
事件概要を簡単に説明すると、当時名古屋市内の中学校に通っていたある中学生(被害者)が同じ学校の生徒数人(加害者)からいじめを受け、当初は暴行からでしたが次第に現金も恐喝されていくようになりました。被害者は言われるがままに加害者にお金を渡し、また被害者の母親も子供が暴行されて帰ってくることが忍びなく事故死した父親の生命保険で得たお金すら少年に渡してまで加害者の要求に答え続けました。
加害者らは恐喝して得たお金をほぼすべて豪遊に使い、移動にはタクシーを使ってカラオケやパチンコ店で散財していたそうです。加害者の豪遊ぶりは周辺も見聞きしており、当時よく使われたタクシーの運転手がある日どこでそんなにお金を得ているのかと尋ねたところ、「パチンコ、パチンコ」などとほざいたとされています。
もっともそんな加害者らも暴力団関係から恐喝を受けており、被害者から受け取っていた金を一部その関係者へ手渡していたという、二重恐喝の構造を持っておりました。最終的にはこの関係者も一緒に捕まるんですがね。
話は被害者に戻りますが一方的に恐喝され続けた結果、被害者が渡した金額は累計で5000万円という常識では考えられない金額にまで達していました。しかし言われるままにお金を渡していたにもかかわらず暴行は収まるどころかむしろ激しさを増し、鼻や肋骨まで折られ病院に入院する羽目となり、しかも入院先の病院にまで加害者らは現れ被害者を屋上に連れて行くと、なおもお金を無心したと言われています。
しかしそこが皮肉にも一つの転換点となりました。屋上に来ていた少年らに、被害者と同室に入院していたある青年男性が突然割って入り、加害者らを強い視線で凄みました。この男性は父親が暴力団組長ですが本人はホワイトという出自の人で、同室となった被害者の怪我を見て暴行されているのではとうすうす勘付いており、それ以前にも何度か被害者にトラブルを抱えているのではと尋ねていました。被害者は男性には暴行の事実を頑なに否定し続けおりましたが、突然やってきた被害者らに屋上へ連れて行かれるのを見るや後をつけ、絶好ともいう場面で現れ被害者の側に立ってくれたのです。
男性に凄まれた加害者らは態度を急変してすごすごと去り、また心を閉ざしていた被害者もこの男性には心を開いて徐々に打ち合け、男性の側も被害者の気持ちに応えようと被害者の母親を交え対策を取ろうと動き出します。
ただここがこの事件の一番の特徴なのですが、暴行の事実を打ち明けられた男性が被害者の母親に手を打とうと持ちかけたところ、この母親は当初拒否したそうです。母親は非常に大人しい性格の方だったらしく、戦うくらいならお金を出し続け嵐が過ぎるのを待つ方が良いと考えるような人だったと当時報じられており、それ故に被害金額が5000万円という途方もない金額にまで達した一つの要因となりました。
しかし男性の熱心な説得を受け母親も最終的には対策を取ることに同意し、母親と男性、そして男性の知人らは加害者宅を回って恐喝され取られた金額の弁済を求めると共に、警察への通報も行ったことで事件は発覚しました。
なお当時の報道では恐らく被害者を救ってくれた男性の出自からでしょうが、「恐喝された被害者が暴力団組員をつれて加害者を逆に恐喝してきた」という報道がありました。実際には弁済を求めただけなので恐喝なわけないのですが、結構誤った報道も大手を振って歩くというか報道なんていい加減なもんだなと思います。
一方、息子が恐喝でとんでもない金額を奪っていたことを知った加害者の両親は弁済を求められて最初、その金額のとんでもなさに頭が真っ白になったと書いてありますが、まぁそりゃそうでしょう。そしてその弁済協議に当たって名古屋の緑署に相談へ行ったところ、「被害者から被害届が出ておらず、事件化していないから対応できない」などと意味の分からない対応されて、何にも相談に乗ってくれなかったそうです。なおこの緑署はそれ以前に少年と母親から恐喝について相談を受けたもののこれまた真面目に相手せず、結局この事件は中署が捜査して事件化して、事件後には警察庁も緑署の対応の不手際を認めています。
事件が公になってからは立場が逆転というかワンサイドペースになり、全国から加害者とその家族への批判が大きく集まったほか、加害者らもほぼ全員が逮捕され処分が下されました。なお加害者家族への批判はほかの事件に劣らず激しかったそうで、中日新聞に至っては取材をしていないにもかかわらず加害者家族は反省の意識が低いと思わせるような記事を載せて発行してくださったそうです。まぁそういう新聞社だけどねあそこは。
その後、この事件については続報がなくネットを見ると加害者らはきちんと被害者に弁済をしたのかどうかが少し議論となっていますがこれは確認の取りようがないので置いておくとして、加害者についてはその後の続報が出ました。何でも主犯格だった男二人は2002年に少年院を出所したものの定職には就かずまた変な連中と付き合いだし、2006年にパチンコ店の売上金を強奪する事件を起こして揃って逮捕され、揃って懲役刑を喰らいました。なおこの時強奪した金額は約1200万円で、クズは所詮はクズのままですが金額的にはスケールダウンしたんだなというのが私の印象です。
今日になって一体何故こんな昔の事件を掘り起こしたのかというと、一言で言えば矢巾町の中学生自殺事件がきっかけです。この名古屋の恐喝事件もそうですが学校側は薄々いじめと恐喝の事実に気が付いていたものの何の対策や被害者への詳細な聞き取りを行わず、事件が発覚した後は「知らなかった」、「やるべき対策は取っていた」、「防ぎようがなかった」と、いわゆる「でも、だって、どうせ」の無責任三拍子が15年前も今も同じように繰り返されています。特に矢巾町の事件ではいじめで不登校になっていた女子生徒もいたっていうのに委員会への報告ではいじめはゼロってことにされていたとされ、まともな報告・連絡・相談の「ホウレンソウ(このフレーズは内心大嫌い)」という三拍子すらまともにできてないのかよと見ていて呆れます。大津の事件だって、そんな昔じゃないってのに。
思うにこういういじめ事件は歪んだ教育とか家庭環境、あと受験ストレスが原因だなどとよく言われたりしますが、突き詰めれば目の前で起きている現実を直視するどころか放置する教育機関こと学校側に最大の原因があるのではないかと思えてきました。いくつかの例を見ていると、いじめる側も学校側が何の対策を取らないことを見て図に乗り、いじめられる側も学校側が何の対策を取らないことを見て心を閉ざしていくように見えますし。
そういう意味ではいじめを根絶する上で真に教育を受けるべきは生徒ではなく平気で隠蔽しようとする教師たちでしょう。生徒に向かって「いじめはよくない」などと言うのではなく、教師に向かって「現実を見ろ!放置してたらお前をぶっ殺すぞ」と言った方が対策として効果ある気がします。もっともこう言ったら、「国からの強いプレッシャーがあって報告義務を……」なんて言い訳するのが出てくるんだから、案外そうでもないかな。
参照サイト
・--5000万円恐喝事件はなぜ起きた--名古屋の現場を歩く(ZAKZAK)
・『息子がなぜ 名古屋五千万円恐喝事件』(三日坊主日記)
参照サイト
・--5000万円恐喝事件はなぜ起きた--名古屋の現場を歩く(ZAKZAK)
・『息子がなぜ 名古屋五千万円恐喝事件』(三日坊主日記)
2015年7月13日月曜日
猛将列伝~宇喜多秀家
猛将と呼ぶにはやや戦場のエピソードが少ない人物ですが、かといってカテゴリから離す理由もないので今日はこのカテゴリで宇喜多秀家について語ります。
・宇喜多秀家(Wikipedia)
宇喜多秀家は備前の豪族である宇喜多直家の次男として1572年に生まれました。父親の宇喜多直家については以前、親族だろうがなんだろうが謀略の上に暗殺しまくってリアルにサイコパスな人物だったと評したことがありますが、息子の方は幸いというかそんなサイコパスな性格は受け継ぐことはなかったようです。
なお予断ですが、昨年の大河ドラマの「軍師官兵衛」では宇喜多直家役を陣内孝則氏が演じ、老獪な策士という直家の役柄を存分に演じられて強い印象を覚えました。またこのほか高山右近役を演じた生田斗真氏も見ていて惚れ惚れする演技ぶりで、このドラマは総じて役者の質が高かったとつくづく思います。
話は戻りますが父の直家は秀家が9歳の頃に逝去したため、幼かった秀家は当時中国地方を攻略中だった秀吉の元で、ほかの加藤清正や福島正則といった子飼いの武将らと共に育てられます。そういう意味で今様に言えば「羽柴チルドレン」ともいうべき武将となったのですが、成人してからは朝鮮出兵などで武功を立てるなど宇喜多家の当主としてしっかり活躍しています。
ただ秀家を語る上で外してはならないのは、ほかの羽柴チルドレンを差し置いて、徳川家康や前田利家らと共に五大老に任命されているという点です。元々秀吉の直参に近い立場であったことは間違いなくしっかりと信頼できる人間として任命されたことはまだわかりますが、同じく羽柴チルドレンの黒田長政や片桐且元などを置いて秀家が任命されたということは、やはりそれだけ秀吉から信頼されていたのかもしれません。なお秀家は五大老であったことから、在任中は領地になぞらえて「備前宰相」などと呼ばれていたそうです。
このように出世街道を歩んだ秀家ですが、関ヶ原の前年に当たる1599年に家中で「宇喜多騒動」といって家臣内の内部分裂が起こり、勢力を大きく弱体化させてしまっています。なんかこの騒動についてはいろいろと軋轢があったと書かれてありますが、時期が時期だけに徳川家が仕掛けた謀略なんじゃないかなぁという気も少しします。
そしてここが本題なのですが宇喜多騒動の翌年に当たる1600年、秀家は関ヶ原の合戦に自ら出陣します。彼が属したのは石田三成率いる西軍ですが一体何故彼は西軍についたのか、一説によれば同じく秀吉子飼いの武将だった大谷吉継同様にプライベートでも三成と仲が良かったため、彼に準じるような形で参戦したとなど言われており、率いた兵力は西軍中でも最大の1万7千人だったことからその熱意は相当なものだったでしょう。
この関ヶ原の合戦で西軍に参加した部隊の中で真面目に戦闘を行っていた部隊としてよく、三成直参の島左近隊、そして敗北を見越した上で参戦した大谷吉継隊だけだったと言われますが、この秀家の舞台も最前線で福島正則の部隊とぶつかり合うなど激しい戦闘を行っております。よく大谷吉継ばかりが三成との友情に準じたとばかり言われますが、私個人としては秀家も吉継同様にそれなりに熱い思いでもって西軍に参加したのではないかと思います。
ここで話は石田三成について触れますが、よく三成は賢かったものの偏狭で鼻にかけるところがあり人望がなかったなどと言われます。しかし上記の大谷吉継や宇喜多秀家の様に、彼との友情に殉じて骨身を惜しまず支援してくれる人物も案外多く、多くの史料中に、「嫌な奴だった」、「友達少なかった」とはっきり書かれていることは事実であるものの、仲良くなる相手とはとことん仲良くなれる人物でもあったのではないかという気がします。直接関が原には参加してないものの、あの上杉家の直江兼続も三成と一緒に行動しているわけですし。
話は秀家に戻りますが、結果的には関ヶ原で宇喜多隊は壊滅して秀家も落ち延び、島津家に一時身を寄せます。しかし居所が幕府にばれたことによって出頭し、妻・豪姫の出身家である前田家や匿ってくれた島津家のとりなしもあって死罪は免れましたが宇喜多家は改易の上、八丈島に流刑となりました。
八丈島では島の主としての身分が認められたもののそこはさすがに流刑地、生活は非常に厳しかったようで前田家からは毎年米70俵の支援を受けていました。そんな生活を秀家はなんと1655年に84歳で没するまで続け、既に時代は4代将軍家綱が治める頃となっていました。なおこの関ヶ原に参戦した武将としてはこの秀家が最も遅くまで生きていたこととなります。
最後にまとめとして述べると、大谷吉継だけでなくこの宇喜多秀家も石田三成との友情に殉じ、なおかつ合戦中もそこそこ奮戦していることから、もっと評価されてもいいのではないかと思いこうした記事を書きました。なおこの記事を書くきっかけとしては、八丈島に流された後も宇喜多家は細々と命脈を保ち、明治の時代に至って現在の千葉県浦安氏に移り住んでからも続いてて徳川家などと同様に現代にも残っていることを最近知ったからです。現在の当主も2009年の岡山城の築城400年式典に参加されたそうですし。
おまけ
最近読んでいる漫画で長谷川哲也氏による「セキガハラ」という漫画があります。この漫画のあらすじを簡単に述べると、戦国武将が一人につき一つの超能力を持ってて豊臣秀吉の死去から関ヶ原の合戦に至るまでの間にあれこれ戦ったりする漫画なのですが、主人公はほかならぬ石田三成だったりします。
この漫画の三成は自分の賢さを鼻にかける傲慢な性格でまだテンプレ通りの三成ではあるのですが、そのほかのキャラクターはさにあらず、一つの特徴がやたら大きくデフォルメされててとにかくみんなすごいことになっています。
島左近はグラサン掛けた上にひげを蓄えたラッパー風になってて「誰これ?」状態ですし、今日取り上げた秀家は「友情こそ至高」という言葉が口癖のまんまフランス貴族な見た目してて、武器もサーベルです。そして大谷吉継は恐らく、包帯をまといながら関ヶ原に参戦したエピソードからでしょうが、包帯を操るミイラ男になっています。
このほかだと徳川家康は健康オタクだったことから鍛錬好きな超ムキムキマッチョに描かれ、加藤清正に至っては虎退治どころではなく虎そのもの、淀君もすごいボディコンなくのいちに描かれてて、歴史漫画はこれまでたくさん読んできたけどこれほどいろんな意味ですごいデフォルメされた戦国武将を見るのはこの漫画が初めてです。
・宇喜多秀家(Wikipedia)
宇喜多秀家は備前の豪族である宇喜多直家の次男として1572年に生まれました。父親の宇喜多直家については以前、親族だろうがなんだろうが謀略の上に暗殺しまくってリアルにサイコパスな人物だったと評したことがありますが、息子の方は幸いというかそんなサイコパスな性格は受け継ぐことはなかったようです。
なお予断ですが、昨年の大河ドラマの「軍師官兵衛」では宇喜多直家役を陣内孝則氏が演じ、老獪な策士という直家の役柄を存分に演じられて強い印象を覚えました。またこのほか高山右近役を演じた生田斗真氏も見ていて惚れ惚れする演技ぶりで、このドラマは総じて役者の質が高かったとつくづく思います。
話は戻りますが父の直家は秀家が9歳の頃に逝去したため、幼かった秀家は当時中国地方を攻略中だった秀吉の元で、ほかの加藤清正や福島正則といった子飼いの武将らと共に育てられます。そういう意味で今様に言えば「羽柴チルドレン」ともいうべき武将となったのですが、成人してからは朝鮮出兵などで武功を立てるなど宇喜多家の当主としてしっかり活躍しています。
ただ秀家を語る上で外してはならないのは、ほかの羽柴チルドレンを差し置いて、徳川家康や前田利家らと共に五大老に任命されているという点です。元々秀吉の直参に近い立場であったことは間違いなくしっかりと信頼できる人間として任命されたことはまだわかりますが、同じく羽柴チルドレンの黒田長政や片桐且元などを置いて秀家が任命されたということは、やはりそれだけ秀吉から信頼されていたのかもしれません。なお秀家は五大老であったことから、在任中は領地になぞらえて「備前宰相」などと呼ばれていたそうです。
このように出世街道を歩んだ秀家ですが、関ヶ原の前年に当たる1599年に家中で「宇喜多騒動」といって家臣内の内部分裂が起こり、勢力を大きく弱体化させてしまっています。なんかこの騒動についてはいろいろと軋轢があったと書かれてありますが、時期が時期だけに徳川家が仕掛けた謀略なんじゃないかなぁという気も少しします。
そしてここが本題なのですが宇喜多騒動の翌年に当たる1600年、秀家は関ヶ原の合戦に自ら出陣します。彼が属したのは石田三成率いる西軍ですが一体何故彼は西軍についたのか、一説によれば同じく秀吉子飼いの武将だった大谷吉継同様にプライベートでも三成と仲が良かったため、彼に準じるような形で参戦したとなど言われており、率いた兵力は西軍中でも最大の1万7千人だったことからその熱意は相当なものだったでしょう。
この関ヶ原の合戦で西軍に参加した部隊の中で真面目に戦闘を行っていた部隊としてよく、三成直参の島左近隊、そして敗北を見越した上で参戦した大谷吉継隊だけだったと言われますが、この秀家の舞台も最前線で福島正則の部隊とぶつかり合うなど激しい戦闘を行っております。よく大谷吉継ばかりが三成との友情に準じたとばかり言われますが、私個人としては秀家も吉継同様にそれなりに熱い思いでもって西軍に参加したのではないかと思います。
ここで話は石田三成について触れますが、よく三成は賢かったものの偏狭で鼻にかけるところがあり人望がなかったなどと言われます。しかし上記の大谷吉継や宇喜多秀家の様に、彼との友情に殉じて骨身を惜しまず支援してくれる人物も案外多く、多くの史料中に、「嫌な奴だった」、「友達少なかった」とはっきり書かれていることは事実であるものの、仲良くなる相手とはとことん仲良くなれる人物でもあったのではないかという気がします。直接関が原には参加してないものの、あの上杉家の直江兼続も三成と一緒に行動しているわけですし。
話は秀家に戻りますが、結果的には関ヶ原で宇喜多隊は壊滅して秀家も落ち延び、島津家に一時身を寄せます。しかし居所が幕府にばれたことによって出頭し、妻・豪姫の出身家である前田家や匿ってくれた島津家のとりなしもあって死罪は免れましたが宇喜多家は改易の上、八丈島に流刑となりました。
八丈島では島の主としての身分が認められたもののそこはさすがに流刑地、生活は非常に厳しかったようで前田家からは毎年米70俵の支援を受けていました。そんな生活を秀家はなんと1655年に84歳で没するまで続け、既に時代は4代将軍家綱が治める頃となっていました。なおこの関ヶ原に参戦した武将としてはこの秀家が最も遅くまで生きていたこととなります。
最後にまとめとして述べると、大谷吉継だけでなくこの宇喜多秀家も石田三成との友情に殉じ、なおかつ合戦中もそこそこ奮戦していることから、もっと評価されてもいいのではないかと思いこうした記事を書きました。なおこの記事を書くきっかけとしては、八丈島に流された後も宇喜多家は細々と命脈を保ち、明治の時代に至って現在の千葉県浦安氏に移り住んでからも続いてて徳川家などと同様に現代にも残っていることを最近知ったからです。現在の当主も2009年の岡山城の築城400年式典に参加されたそうですし。
おまけ
最近読んでいる漫画で長谷川哲也氏による「セキガハラ」という漫画があります。この漫画のあらすじを簡単に述べると、戦国武将が一人につき一つの超能力を持ってて豊臣秀吉の死去から関ヶ原の合戦に至るまでの間にあれこれ戦ったりする漫画なのですが、主人公はほかならぬ石田三成だったりします。
この漫画の三成は自分の賢さを鼻にかける傲慢な性格でまだテンプレ通りの三成ではあるのですが、そのほかのキャラクターはさにあらず、一つの特徴がやたら大きくデフォルメされててとにかくみんなすごいことになっています。
島左近はグラサン掛けた上にひげを蓄えたラッパー風になってて「誰これ?」状態ですし、今日取り上げた秀家は「友情こそ至高」という言葉が口癖のまんまフランス貴族な見た目してて、武器もサーベルです。そして大谷吉継は恐らく、包帯をまといながら関ヶ原に参戦したエピソードからでしょうが、包帯を操るミイラ男になっています。
このほかだと徳川家康は健康オタクだったことから鍛錬好きな超ムキムキマッチョに描かれ、加藤清正に至っては虎退治どころではなく虎そのもの、淀君もすごいボディコンなくのいちに描かれてて、歴史漫画はこれまでたくさん読んできたけどこれほどいろんな意味ですごいデフォルメされた戦国武将を見るのはこの漫画が初めてです。
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