ページ

2015年12月27日日曜日

三国志9のプレイ日記

寿司28皿食べたら、彼氏にひかれた・・・(アルファルファモザイク)

 上記リンク先は最近読んだまとめ記事で一番笑った奴です。見出しだけでも十分な内容ですが、自分は回転寿司行ってもせいぜい8皿程度、最も餓えてた学生時代ですら12皿くらいでしたから、隣で28皿食われたらしょうがないかななどと彼氏に同情してしまいます。

 話は本題に入りますが、このところ内容ぎっしりでなおかつかなり真面目なことばかり書いてきたせいかちょっと燃え尽き症候群みたいに記事書く気が起きないです。仕方ないので日記がてら今は待っているゲームについて書こうかなと思い、今やっているパソコンゲームの「三国志9」について適当なことをちらほら書きます。

 三国志シリーズとくればコーエー(現コーエーテクモ)が販売してきた傑作シミュレーションゲームシリーズですが、三国志マニアを自認する私も1、3、4、5、7の計五作をこれまでプレイしてきました。7以降は大分遠ざかっていたのですがふとしたきっかけで9が最高傑作との呼び声高いと聞き、どうせ中国行くと暇なんだし念のため買っておくかと今年10月に買っておいて、「メタルギアソリッドピースウォーカー」がひと段落したのを契機に遊び始めました。

 最初のプレイで使用キャラに浸かったのは孫堅で、理由は攻略サイトに「初心者おすすめ」と書かれてあったからです。おすすめされるだけあって孫堅プレイだと敵対勢力が存在しない荊州南郡を早々に植民地化することが出来て、非常に攻略が楽でした。むしろ楽過ぎて物足りなさを覚えるほどでしたけど。
 そんな孫堅でのプレイをあっさり終えて次に選んだのは公孫賛で、なんで彼を選んだのかというと過去の三国志ゲームで彼を一度も選んだことなくてたまには使ってみたいと思ったからです。以前の三国志ゲームだと公孫賛は北っぱじに拠点を構えてて地理的には有利だけど部下が少なく、なおかつ巨大勢力の袁紹が近くにいて難しいとされるキャラでしたが、この三国志9では部下となる武将が増員されており、また騎兵に関連した技能を持つ武将が多くてむしろかなり強い部類でした。なもんだからこっちも袁紹が油断した隙を狙ってどんどん都市を切り取っていって割と順調に天下統一を果たしました。

 と、ここまでプレイした所で初めて気が付いたのですが、今回私が買った三国志9はソースネクストが再販した「三国志9Withパワーアップキット版」というものでおまけ機能を追加したパワーアップキットが付属していたものの、それまでその存在に気付くことなく通常版で遊び続けていました。てっきり最初のインストールディスクにすべて入っているかと思ってたよ……。

 気を取り直してパワーアップキットも追加インストールして、今度は馬超を使用キャラにしてプレイ開始。なんで馬超かというと公孫賛でプレイした際に馬超を部下にして使ってたら強くて頼りになり、今度はこいつ主役で遊んでみたいと思ったからです。
 三国志9の馬超と来たらこんな記事もあるくらい計略に引っかかりやすい能力となっており実際私が使う馬超も戦場に出る度に、「何、後方が敵に攻められているだと?」と言っては無団体客を繰り返すおっちょこちょいさんでしたが、プレイ全体で波乱に富んでて半端なく面白かったです。

 まずパワーアップキットになって敵AIが強化されて手応えのある難易度になったことと、曹操、孫堅、劉備がそれぞれ基盤を固めて大きな勢力となっている時代なので一筋縄ではいかない状況だったのと、馬超の勢力は内政を任せられる政治力の高い人材が誰一人いないため「餓える前に攻め落とす」という異民族的なプレイを迫られることとなって割とひやひやしながら遊べました。
 特にゲーム開始時の時点で馬超は長安を既に支配下に置いていますが、そこからスタートダッシュで曹操の支配する洛陽を順調に落とした後、南からは劉備軍、南東からは孫権軍が北上して来て、ちょうど許昌~徐州のあたりで馬超、曹操、劉備、孫権の四勢力が激しく入り乱れる修羅場と化して誰が漁夫の利を得るのかという状況となって一瞬たりとも気が抜けませんでした。

 しかも面白いことに、馬超軍にいた韓遂が曹操軍に敗北して捕虜となり、そのまま曹操側に就くという展開となった上、逆に馬超軍が捕虜とした曹植を軍門に引き入れようと説得している最中に曹操が病死し、曹丕がその後を継いだところで曹植が馬超につくという、なんか妙なリアル感を持つ展開になっていきました。なお曹植君は筋肉馬鹿ばかりの馬超軍においては貴重な知恵袋となってマジ大活躍でした。
 また四つ巴の状態も、大規模な陽動と挟撃を仕掛けて河北の曹操軍を追っ払ったところで一気にパワーバランスが馬超に傾き、諸葛亮などから引き抜きとか異民族けしかけられる嫌がらせは受けたものの、大きな障害なくそのまま統一までもって来れました。ただ本当に本当の統一直前に、右腕としていた馬岱が寿命で死んでちょっとクラっときましたが。

 現在は呂布でプレイしていますが、正直辛いです。上からは曹操、下からは袁術に攻められ、領地の小ささと兵力差からなかなか逆転が効かず何度も攻め滅ぼされました。どうすれば生き残れるかと考え、最終的には実際の歴史通りにスタート時点で友好関係にある劉備軍を裏切り、小沛をいきなり攻め落とすことで大分やりやすくなりました。生きる為なんだから、これも仕方ないよね。

2015年12月26日土曜日

マイナンバー制度導入に伴う留学生の就労懸念

 昨夜はクリスマスで別に意図なくブログ休みましたが特に何かしたわけじゃなく、洋食屋行ってピザ食べた後、「無双OROCHI2 ULTIMATE」の「アンリミテッドモード」でずっと遊んでました。ちなみに知り合いの現地採用の女の子は、「クリスマスなのに仕事(;´Д`)」ってほざいててちょい笑えました。

 話は本題に入りますが、このところ何かとお騒がせなマイナンバー制度。私なんかこのところずっと日本にいないのでそもそも通知カードが届いているのかすら把握していないほど無視していますが(マジで外国居留者はどうせいちゅうねん)、この制度に戦々恐々しているのは日本人だけでなく、外国人留学生も大きな心配を抱えていると聞きます。というのも、このマイナンバー制度によってアルバイト時間が当局に把握されてしまうのではという懸念を持っているようです。

<留学生バイトは週28時間が上限>
 自分も今回調べてみるまで知らなかったのですが、留学ビザで日本に来た外国人留学生は日本でアルバイトを行うことは容認されているものの、その労働時間は「週28時間」を上限として定められており、これを越えるアルバイトを行った場合は就労違反と扱われます。なお、学校の長期休暇中は「1日8時間」にまで緩和されるそうです。
 もし就労時間の超過がばれた場合にどうなるのかはあんまり書かれていませんが、一例では大学卒業時に就労ビザが発行されず内定が取り消されたという話がネットで紹介されていました。私の推測ですがそれほど厳しく調べられているわけではなく、あまりにも大きく超過しない限りは黙認されているのが現状ではないかと思えます。

 この規定はどちらからというと留学生よりも、彼らを雇う雇用者向けへの注意として広報されることが多いです。曰く、「週28時間以上働かせてはいけません」的にあちこちで書かれているのですが、留学生側はこうした規制に対しアルバイト先を掛け持ちすることで、週28時間以上働くことを可能にしていると聞きます。なんでかっていうと、一か所のバイト先で週28時間以上とならなければばれないからでしょう。

<マイナンバーで上限突破がばれるのか?>
 しかしこうした掛け持ちによって上限以上に働くというやり方が、今度のマイナンバー制度導入によって不可能になるのではという噂がどうも留学生社会に広まっているそうです。自分もこの辺はあまり詳しくない、というかまだ実施されていないのだから無理ないですが、各雇用主はマイナンバーの導入後、雇用者のマイナンバーを集めそれを元に源泉徴収など給与報酬の額を税務署へ報告する義務が課せられます。これによって税務署側は誰がどこでどれだけ働いているのかを把握することができ、結果的に留学生がバイト先を掛け持ちして週28時間以上の就労を行っている事実を把握できてしまうのでは、でもって処分されるのではというのが不安の中身です。

 実際の運用がどういう風になるのかまだわからないものの、可能性としてはなくもない話です。何で政府が留学生の就労時間を規制しているのかというと留学目的で入ってきて本国への送金のため勉強そっちのけで働き続けるようなケースを防ぐためで、これについては非常によく理解できます。

 しかしその上で述べると、発展途上国などから着の身着のままやってきて、自らの生活費はもとより学費も含めて日本で働きながら調達する苦学生がいることも事実です。実際に私の周りの留学生二はそういう子が多く、卒業式の際にすぐ帰国するのかと聞いたら、「まず帰国費用を稼がなくてはいけない」と言い返したチリ人の女の子は未だに強く印象に残っています。
 私が何を言いたいのかというと、事情によって週28時間以上働かなくては勉強を続けられない留学生もたくさんいると思われるだけにマイナンバー導入後も彼らを追い詰めるようなことはしてほしくないということです。恐らくマイナンバー導入後もいろいろ理由付けたりしてお目こぼしをするんじゃないかという気がしますが、そんなことする位ならあらかじめ免罪規定を設けて、たとえば一定の学費を納める目的での就労であれば上限を緩和するなどといった救済措置を作って上げてもらいたいです。

<現行制度での留学生アルバイトのモデル収入>
・週28時間→月間約120時間  ・時給を1000円と仮定
120×1000=120000  おおよその月間収入:12万円

 この収入額ではよっぽどいい奨学金を得られない限りはとても私立大学、最近は国立も授業料上がっているので国立も含め、学費を納めながら生活していくことは難しいでしょう。

<産業界も大打撃?>
 この上限緩和を主張するという意見はただ単に苦学生が可哀相だという同情心から私は言っているわけではありません。もう一つの理由はかねてからこのブログでも主張しているように日本は現時点ですでに深刻な労働力不足となっており、その労働力を支えているのはほかならぬ外国人留学生のアルバイトです。深夜の居酒屋なんて店によっては「ここは日本か?」と思うくらい外国語が飛び交ってることもあり(調子に乗って自分も友人と中国語で話しだしたことある)、3K労働ではもはや外国人留学生なしでは成り立たない業種も多数あるとにらんでいます。そして彼ら外国人留学生は恐らく、週28時間の上限を越えて働いているのが現状で、この規定が厳格に運用されたら途端にあちこちのお店で従業員不足が深刻化するのではと懸念しています。

 内容をまとめると週28時間ルールを厳格に運用すれば外国人留学生、産業界が揃って損を食う羽目になりかねないので例外規定なり緩和条件を早く準備するべきだというのが私の意見です。もちろん勉強そっちのけでバイトしかやらないような留学生は問題なので、そういった学生は年間取得単位などでビザ更新を止めるなど罰則を設けてやれば、少しは制度も回るのではないかと思います。
 繰り返しになりますが、本当に大変な思いしてまで日本へ来てくれている留学生も少なくないのです。そうした留学生の気持ちに日本で学ぶ、生活する機会を広げてほしいというのが、外国に住んでる私の切実な思いです。

2015年12月24日木曜日

MRJと愉快なライバル達、それと今後の課題

「スター・ウォーズ」新作初日 千葉ットマン“お忍び鑑賞” ストーム・トルーパー姿で客に囲まれる(千葉日報)

 ここ最近で一番、「何やってんだこの人?」と思ったニュースです。ってかこういう人が身近にいればいいなぁ。

 話は本題に入りますが先日初飛行を成功裏に終えた日本国産ジェット機のMRJですが、初飛行を終えて大喝采を上げるのはまだ理解できるとしても、「今後の大成功は間違いなし!」、「性能の優秀さが証明された!」などと、少なくとも私から見ていて過剰に誉め過ぎる記事が余りにも多すぎるような気がします。航空業界に決して詳しくはありませんが販売して、営業飛行させるというきっかりした実績を作るまでは過剰に喜び過ぎずむしろ兜の尾を締める様な態度が必要だと思え、今日は少しMRJを取り巻く業界と今後の課題についてさっき勉強した結果を素人的に伝えようと思います。



 上記の比較表は東洋経済がリンク先の記事にてまとめた表で、素晴らしくよくまとまっててこの図表だけでもうこの記事も完結しちゃうんじゃないかと思うくらいの凄さです。簡単にこの図表とMRJを取り巻く背景を説明すると、まずMRJは乗客100人前後を乗せる「中小型旅客機」というカテゴリーに属し、このカテゴリー内で競合し合う機種というのが上記表にまとめられているわけです。

  中小型機というカテゴリー
 ちょっと脱線しますが中小型機というカテゴリーはどんな飛行機かというと、ジャンボジェットなどと比べて軽量かつ小型であることから燃費が良く、離発着が多い中短距離間を結ぶ航路に向いているとされるカテゴリーです。また今後世界市場でも需要が高まるとかねてから予想されていることから日本勢も参入したのでしょうが、それともう一つ日本国内の航路で需要が高いことも影響しているのではと密かに見ています。というのも日本の地方空港は滑走路が狭く大きな機体では入れられないため、こうした地域インフラを維持する上でも中小型機の国産化の必要性があったのかもしれません。

  MRJのライバル
 話は戻りMRJのライバルたちですが、老舗と呼ばれこれまで市場を握ってきたのはブラジルのエンブラエルとカナダのボンバルディアの二社で、新規参入組となるのがロシアのスホーイ、中国COMAC、日本の三菱重工となります。このうちロシアのスホーイに関してはあまり情報がないのですが、エンブラエルとボンバルディアの機種に関しては既に市場に出回っているものの設計がやや古く、燃費などの性能面ではMRJの方に分があると各日系メディアに書かれてあり私も納得できます。となると気になるのは同じく新規参入組でもある中国COMACのARJですが、隣国ということもあってやっぱお互いそれとなく意識し合う存在でしょう。

  中国のARJの実力は?
 ARJはMRJよりも早くに開発が始まっており、私も記者時代は開発状況とか受注状況などといったニュースの記事をよく書いてました。ぶっちゃけ書きながら、「ほんまこれ飛ぶんかいな?」と内心思ってましたが。
 MRJもそうですが中国にとっては初の国産旅客機開発ということもあって開発は計画通りにとは行かず、これまでに何度もスケジュールの延期を行っております。手元の中国語記事などによると2002年に設計開発が始まり2008年に初飛行、2009年3月に初納品の生産が始まり、2014年12月に当局の合格証を得て、2015年6月に検査で合格し、つい先日に初納入先の成都航空へ納められ近く正式な航空営業証が発行される見通しのようです。

 このARJの性能について日系メディアは、はっきり言えば見下した見方をしているのが大半と言ってもいいでしょう。実際に皆さんも検索して記事を見てもらえばわかるでしょうがやれ客室が狭いとか設計がMRJより古いとか開発経験がないとかメイドインチャイナだなどかなり厳しく書かれており、国際評価でもMRJの方が高いとも書かれてあります。ただこうした見方にはすこし頷けるというか裏付ける状況証拠がないわけでもなく、その状況証拠というのも初納入が成都航空という地方航空会社であるということです。
 中国の威信をかけて開発された機種なのですが何故かその初納品は中国三大航空キャリアこと中国国際、東方航空、南方航空ではなく一地方航空会社の成都航空へ引き渡されました。MRJは恐らく全日空か日航が最初に受け取るであろうことを考えるとやや違和感を覚えるのですが、この背景には中国三大キャリアはそれほどARJを高く評価していないためという噂が出ております。一応発注契約は出してはいますが最初は成都航空に掴ませて性能を確かめる、もとい実験台になってもらうという腹積もりがあり、中国政府も多少自認しているのかその案に乗ったためと、あくまで噂ですがこんな話を聞くわけです。

 なもんだから日系メディアはARJは中国国内でしか発注されず、海外市場では恐らく売れないだろう、MRJの敵ではないだろうなんてことをよく書いてます。なんせ性能ではMRJの方が圧倒的に上なのだから。

  本当にMRJは海外市場で売れるのか?
 ある意味この箇所こそ一番書きたかったところになりますが、やはり今の日本のMRJに対する意識は浮かれ過ぎであるような気がしてなりません。特に中国のARJに対しては、「性能では劣るはずがない」と言い切り、非常に強気な態度で見下す以外の目は持ってないように見える。
 しかし、性能が上だからといって必ずしも売れるとは限りません。インドネシアの高速鉄道の受注で先日、日本が中国に一敗地にまみれたのは記憶にも新しいでしょう。実績、性能で言えば間違いなく日本の新幹線の方が上でしょうが、この時は負けました。何故負けたのかというと中国が安値で攻勢をかけてきたというのもあるでしょうがそれ以上に政治力、いや販売力に差があったと見るべきでしょう。

 鉄道にしろ飛行機にしろ、海外で受注を受けるに当たっては安全性や性能、実績もさることながら何よりも大きく左右するのはやはり販売力です。いい物で値段がお手頃だからって売れるとは限らず、この辺に関する言及が日系メディアに全くと言っていいほど見当たらないことに自分は強い危機感を覚えています。

  楽観視はよくない
 こと販売力というか売り込みに関しては中国は本当にえげつないところがあり、果たしてそのえげつない中国に負けないえげつなさを日本はMRJの販売で発揮できるのか、そしてをそれを実行に移す人材がどれだけいるのか、いなかったり少なかったりするのであれば今この瞬間にこそ人材をスカウトなり育成なりすることが喫緊の課題であるように思えます。
 特に中国の場合、無理矢理海外実績を作るために半端ないダンピング攻勢こと大幅な値下げ戦術を取ってくることも考えられるし、メーカーの赤字分を政府が補填するという裏技も仕掛けてくることだって十分あり得ます。そのような場合に日本側はどう対応していくべきなのか、採算を維持した上でどうやって海外で実績を作っていくのかという戦略なり戦術を今この時だからこそ、相手は性能で劣っているからと言って見下し、楽観視するばかりでなくしっかり戦う準備をして蟻だろうが象だろうが向かってくるものすべてを一撃で叩き潰すくらいの気迫を持って売り込みをかけてもらいたいというのが私の本音です。

 結論を述べると、スペックで勝っていることをいちいち自慢ばかりせず、相手が誰であろうとなにがなんでも本気で売り込んで儲けるという強い気迫を日本は持つべきで、浮かれるのにはまだ早いというのが一素人としての意見です。

2015年12月23日水曜日

愛国心とは何か

 最近買い始めたラブコメ漫画に「女の子同士のキスはノーカウント!」というセリフがあり、これを見たそのまさに一瞬、「なら男同士は?」という妙な疑問がよぎりました。なんだろう、こんな疑問よぎるのって自分だけ?

 話は本題に入りますが、先日ふと道を歩いている最中に「愛国心とは何なのだろうか」という疑問がよぎりました。愛国心と一言で言ってもその定義する内容は使う人間によって大きく変わることが多く、Wikipediaの記述を見ても一番最初に大きく分けて二種類あるとして以下のように記述してます。

 一口に「愛国心」といっても、話者によってその意味するところには大きな幅がある。愛国心の対象である「国」を社会共同体と政治共同体とに切り分けて考えると分かりやすい。

・社会共同体としての「国」に対する愛着は「愛郷心」(あいきょうしん)と言い換えることが出来る。
・政治共同体としての「国」に対する愛着は「忠誠心」(loyalty)と言い換えることが出来る。
(Wikipediaから引用)

 この分け方には私も同感でそもそも愛国心という気持ちの対象が何であるのか、自国の国民なのか、民族なのか、文化なのか、政権なのか、国体なのか、言うまでもなく前三つと後ろ二つでは明確に区切る壁が存在します。そう考えると上記のWikipediaの記述がまさに適当だと思え、その上で述べるならば通常使う「愛国心」という言葉は後者で、前者はむしろ「郷土愛」などと呼んで使い分けを明確にした方がいいように思えます。
 何故このように述べるのかというと「愛国心」という言葉はやはり政治用語のように思え、政権などに対する距離感を言い表すためだけに使うべきだと思うからです。妙な例を作りますが、日本食が大嫌いで洋食しか食べないし歌舞伎や能は興味ないけどオペラ好きではあるものの、日々日本のため汚れ仕事も率先して引き受ける敏腕な諜報員(独身)がいたとすると、この諜報員は前者の意味だと「愛国心がない」ということになってしまいますがそれはちょっと違うんじゃないかと思え、政権のために尽くすという一点でもってやはり「愛国心がある」と言うべきだと思うからです。ってかこんな諜報員いたら会ってみたいよ。

 というわけで愛国心は政権や国体にのみ向けられる気持ちだと整理した上で次の疑問点をだすと、その気持ちが向けられる政権というのはいつの政権なのか。また変な例を出しますが中には徳川幕府復興を志してまだ活動している人もいるかもしれず、その人は現在の政権に当たる日本政府に対して反動分子でありますがかつての政権である徳川幕府には忠を尽くしているわけで、こういう人は果たして愛国者と呼べるのでしょうか。同時に、現政権を打倒して新たな政治体制の確立を目指して活動している人間も呼べるのか。
 この疑問の答えははっきりしていて、やはり時の政権以外であればすべてテロリストでしかなく現代でテロリストを愛国者と呼ぶことはまずないので、愛国心は時の政権以外に向けられたものはもはや愛国心ではないというのが私の考えです。仮に革命がうまく成功して政権が転覆すればそのテロリストたちは愛国者として語り継がれるかもしれませんが、それはあくまで成功した上での話であって成功する前の段階でどうこういうべきではないでしょう。

 長々と整理してきましたが核心部分に入りますと、時の政権に対する一体どういう気持ちが愛国心となるのか。単純にその政権を支持する気持ちが愛国心なのかどうかですが、キーワードとなるのはじ「自己犠牲」があるかないかではないかという気がします。国家のために自分を犠牲にして命も捧げるような感情が愛国心なのか、そこまで行かなくても単純に国のために何かできる範囲で協力しようという気持ちがあれば愛国心と言えるのか。
 これは人によって考え方は違うでしょうが私の中の答えを述べると前者で、命すら捧げる気持ちがあって初めて愛国心と呼べるのであって程度の差なんてものはない気がします。なので「愛国心を育てる教育」なんていうのは間違いであって本来ならば「愛国心を作る教育」と言う方が適切ではないかとも考えます。

 なんでこう極端な物言いをするのかというと途中まで愛国心を考えているうちに、「突き詰めればこれは国家に対する『忠』なのでは」というように思え、儒学の価値観に沿うならすべてを投げ打ってでも仕える対象に尽くして初めて「忠」と言え、命の危険を感じて引き払ったり距離を置いたりするのはやっぱり利己主義であって忠とは異なるように感じたからです。
 なんかこう言うと時の政権の言うままに命を差し出すべきだと言ってる極端な人間のように思われそうだから釘刺しときますが、儒学の忠には「諌止の忠」もあり、「命を懸けて主君を諌める」事も含まれており、私もこういう行動も愛国心だと言えると考えています。政権に対して無批判でなければ愛国心がないというつもりはさらさらありません。

 ゲームの「メタルギアソリッド3」でまさにこの「愛国心」という言葉の定義を主人公と敵役が議論というか一方的にまくしたてられるシーンがありますが、ボロ雑巾のように国家に使い倒されてもなお文句ひとつ言わず受け入れることが国家へのLoyaltyであって「愛国心」であると言い、その上で敵役は主人公に対し、「お前の忠はどこに向けられている?国家か、任務か?」と問います。その後の話をすれば主人公のネイキッド・スネークは国家を「棄て」、兵士が使い捨てられないような世界を目指して自らの「国家」を作っていこうすることになります。
 この例に限るわけじゃないけど、本質的に愛国心と平和は同じ軌道上にはないのかもしれません。

2015年12月21日月曜日

大阪人は何故海外に強い?

 昨夜また前に原稿書いた中国雑誌社の編集者に原稿を依頼され、中国語でバッと記事書いたので疲労困憊です。書く時間はたっぷりあったけど慣れないテーマだったのと、最近ちゃんとした媒体に載せる記事書いてないから吐きそうな気分になりながら必死で900字弱で記事を書き終えました。
 なのでこっちのブログの方はパパッと書けるネタとして、昨日ちょっと飲み会で聞いてきた話を書きます。

 まず言いたいことだけ書くと、日本人の海外勤務では関西人、とりわけ大阪人が多方面で強いです。なんだかんだ言ってストレス多いから身体や精神やられる駐在員は決して少なくないのですが、大阪人でそういうのがやられるという話はほとんど聞かないし日本食屋とか言ってるとでかい声で関西弁がよく聞こえてくるなど、大阪人はどこ行っても大阪人だなと思いつつその海外での強さの秘密は何なのかと気になってました。
 何故気になってたのかというと、大学時代の友人との会話が原因です。その友人は岐阜出身なのですが彼曰く、就職活動の際に周りの大阪人は海外はおろか大阪府、下手すれば大阪市からも出たくないと言う奴が多かったと話しており、実際に私も「東京勤務になるなら仕事辞める」とまで言う人を見たりしました。なおその岐阜出身者は海外勤務になったら会社辞めると言っておきながら、面接時はどこでも行きますよアピールして内定取ったそうです。

 話は戻りますがこの過去の体験を鑑みると大阪人はどっちかっていうと地元に縛られてあまり外向きではないのかなと感じたのですが、実際の海外現場ではどこの出身者よりも元気なのは大阪人です。このギャップが気になってしょうがなかったので昨夜直接大阪人二人に、「なんでなん?」って聞いてみたところ、「若いうちは大阪出とうなかったよ」という回答がもらえました。
 その後はあまり深く突っ込みませんでしたが、あの一瞬の回答から察するに社会に出る前の段階では地元愛が強すぎて外界に対して出ていこうという意識が弱い一方、一旦社会に出ると仕事というか商売にのめり込んでぐいぐい出て行こうとばかりに考えが切り替わるのかなと思いました。もちろん個体差はあるでしょうが。

 でもって海外で強い要因に関してはこれは前からもほぼ確信してますが、概念が揺さぶられないのが何よりも大きいでしょう。自分の常識や価値観に対して目の前の人間なり社会が異なった動きを見せると人間は多かれ少なかれ動揺しますが、この際に相手が正しいのか自分が正しいのか、この迷いが大きくなると不安が高まります。関東というか東京の人は周囲に対してカメレオンのように合わせることを信条としているだけに海外では現地に合わせようと行動するも合わせられる限界を越えてパンクする傾向がありますが、これが大阪人だと自分のやり方のが正しいと思って合わせずにむしろ相手を自分の流儀に引き込もうとするので動揺しないのでは、というのが私の分析です。

 こういったことを話したら昨夜話した大阪人のうち一人が、「せやせや、うちのかみさんも中国語わからへんのに中国人の店員相手に電卓ひとつで必死に値切っとったで」と、我が意を得たかのように話し出したので、自分の見方は当たらすとも遠からずではないかとみております。ちなみにこの自分の流儀を押し付けるというタイプですが中国人も当てはまり、アメリカ行っても中国語でしゃべり続けるあたりはほんと大阪人と相性いいなと思います。

2015年12月19日土曜日

危機を切り抜けた名パイロットたち その四

 このシリーズもようやく手持ちストックを使い切れます。当初は一回で全部取り上げようとしてたけど、四回に分けて正解だった。

11、ノースウェスト航空85便緊急着陸事故(2002年)
事故内容:ラダーの破損  乗客乗員数:404人

 米国・デトロイトを出発して太平洋へと飛び立った同便は安定して飛行していた最中、突然機体が左方向に傾くというトラブルが発生しました。パイロットらは当初、左側のエンジンにトラブルがあるのではと考えたもののエンジン回りは特に誤作動はなく、またありとあらゆる方法で原因を捜したもののやはりわからず、緊急事態であることを管制に告げた上で緊急着陸先のテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港へと向かいました。先ほどにも述べた通りに期待は常に左側へ傾いたままでした。しかも姿勢を制御する補助翼も操作を受け付けなかったため、パイロットらは左右のエンジンの出力を調整することで機体を見事に制御し、着陸先の空港でも大過なく無事に着陸してのけました。
 着陸後、機体の検査によってわかったのは姿勢を制御するラダー(尾翼についている稼働する羽)が金属疲労によって破損し、左側に傾いたまま動かなくなってしまったためでした。こういったラダーの故障は過去には一例もなく、原因がわからないまま最後まで操縦し続けたパイロットたちは航空会社から大きく賞賛されることとなりました。
 なお、同便の行き先は何気に成田空港だったりします。

12、ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故(1982年)
事故内容:火山灰  乗客乗員数:263人

 マレーシアのクアラルンプールからオーストラリアのパースへと飛び立った同便はインド洋上を飛行している際、本来雷雲を通っている最中にしか見えない発電現象の「セントエルモの火」がコックピットの中で確認されました。しかしレーダーでは雨雲は表示されておらず、何故この現象が発生するのかと思っていた矢先、突然4つのエンジン全てが停止してしまいました。
 発電機などはまだ生きていたため最低限の機体操作は続けられ、高度も確保されていたためエンジンが停止したままでも相当の距離を飛行できる状態でしたが、同便の航路途中には山岳地帯があり、11500フィート以上の高度が無ければこの山肌に衝突してしまう危険性が残っていました。機長は必死で操縦を続けましたが、いざとなれば海上への不時着も覚悟していたそうです。
 機長らはエンジンの再始動を繰り返したもののエンジンは戻らず、しかも悪い事態は重なるというかエンジン停止によって機内の与圧が下がってきたことから酸素マスクをつけようとしたところ、副機長のマスクが壊れるという事態に見舞われました。そのままだと副機長は酸素不足から気絶する可能性があるため、やむなく機長は酸素濃度を上げるため維持し続けたい高度を下げる決断をしました。

 既に機体は山岳地帯を越えるのに必要な高度を下回る11400フィートに達し、もはや海上着水もやむなしと思ったその瞬間、突然第四エンジンが復帰し、さらにほかのエンジンも次々と復活しました。蘇ったエンジンで機体を立て直し緊急着陸先のハリム・ペルダナクスマ国際空港へと向かったところ、それまで夜間帯の飛行であったため気づかなかったのですが、コックピットの窓ガラスは一面真っ黒になっており窓の先がほとんど見えない状態になっていました。こんな悪条件の中、わずかに見える隙間を頼りに滑走路に狙いをつけ、無事にそのまま着陸して乗客乗員のすべてが生還へと至りました。

 事故原因は頭の所に書いてある通りに火山灰で、インドネシアにあるガルングン山の噴火によって噴出した火山灰が同便が通過する航路にまで達し、エンジンがその灰を吸いこんだことによって灰が熱でガラス化し、詰まってしまったため停止してしまいました。雨雲を捉える気象レーダーは水蒸気に判別するのですが火山灰は乾燥しきってているため感知されず、レーダー上には表示されなかったためその存在に気付くことがありませんでした。無論、この事故を受けて世界の航空業界では火山灰が大きな事故要因になると見て、火山灰に対する観測も始まることになりました。
 なお何故最後にエンジンが復帰したのかというと副機長の酸素マスクが壊れたことによって機体の高度を下げたところ、高高度にまで飛んでいた噴煙は下げた先の高度にはなく、また詰まった火山灰も剥がれ落ちたため復帰することができました。逆に言えば、もし酸素マスクが壊れず高高度を維持していたら……と思うと非常に怖いものがあると同時に、こうした偶然が不思議な奇跡を生むのだなと感じさせられる一端です。

13、ユナイテッド航空232便不時着事故(1989年)
事故内容:全油圧システム喪失  乗客乗員数:296人(死者111人)

 同便ではデンバーからシカゴへ向かう途中、突然の異常音と共にすべての舵が効かなくなるという異常事態に陥りました。同便には乗務員として乗り込んだ三人のパイロットがいましたが、たまたま非番で乗り合わせたデニス・E・フィッチ機長もおり、事態発生を受けフィッチ機長もコックピットに入り対応することとなりました。
 パイロットらは機体の状態を点検し、機体操作に必要不可欠な油圧システムが一本残らずすべて喪失したことを確認しました。この事故原因は第二エンジンのファンブレード(エンジンの羽)が金属疲労によって飛び散り、吹き飛んだ破片が機体本体に衝突した際に油圧システム全てを切断したためでした。

 油圧システムが使えなくなるということは車で言えばハンドルを動かせなくなるような事態なのですが、フィッチ機長は飛行経験が豊富だったことと、たまたま少し前に全油圧システム喪失を想定したシミュレーション訓練を受けており、残ったエンジンを操作することで機体姿勢を維持する、さっきの車で言えばアクセルワークで上下左右を操るような離れ業でもって緊急着陸先のデモイン国際空港へと飛行し続けました。
 旋回すらおぼつかない中で空港へとたどり着いた同便は着陸直前まで理想的な姿勢を維持したものの、最後の最後で機首が下がり、機体が滑走路に衝突したため炎を上げながら分解するように転げまわってしまいました。ただ待機していた消防隊が迅速に消火、救出活動を行ったことで、111人の死傷者が出たものの185人は生還を果たすことが出来ました。

 見てわかる人はすぐわかっていたでしょうが、全油圧システム喪失という事故原因はあの御巣鷹山の事故こと日本航空123便墜落事故と全く同じものです。ただ日航の事故では全油圧システムとともに尾翼部が吹き飛んでおり、このユナイテッド航空の事故と比べれば姿勢を維持することすら難しい状態に置かれたものでした。
 前述のフィッチ機長が行っていた訓練というのはまさにこの事故を教訓として作られた訓練であって、死傷者こそ出たものの、そういう意味ではあの日航の事故に対して借りを返してくれたような生還劇だったのではないかと個人的に思えます。

2015年12月18日金曜日

自動証明写真撮影機で

 昨日から今日にかけてビザ更新手続きのため上海にある事務所などへ赴いておりました。昨夜上海で夜を明かした翌朝に当たる今朝、目的の事務所へ向かう途中であらかじめ用意しておく必要のある証明写真八枚をまた準備していなかったことに気が付き、「そうだ、あいつを使ってみよう!」とある案が閃きました。

 通常、中国で証明写真を取る際はそこら辺にある広告屋に行ってその場で撮影してもらい、印刷してもらうのが普通です。これだと一枚当たり1元(約20円)とか2元(約40円)と格安ですがまんまデジカメで撮影したのをプリンタで撮影するだけなので、正直あまり写り具合はよくありません。以前に頼んだところなんか白いシーツをもう一人が後ろで構えながら撮影した上、印刷前にもパソコンでやたら光沢を強くしてピカリン星人みたいな写真にされたのでげんなりしました。
 なお中国ではほんとそこらじゅうに広告屋兼印刷屋があり、ちょっとしたチラシや看板、タペストリーなど言えば割とすぐ作ってくれます。使い始めたのはつい最近ですが、案外便利な存在だと気づきつつあります。

 話は戻りますがそんなに写真写りを気にする方ではないもののもうちょいマシな写真にしたいと思い、今回中国では初めて自動証明写真撮影機を使うことにしました。
 こういった自動撮影機(省略しよっと)は日本だとごく一般的で昔からありますが、中国では恐らく上海だけ、しかもつい最近になって出回るようになりました。少なくとも三年前はどこ行っても見つからなかったし。聞くところによると日本からこういった機材を送るようになって使われ始めたそうですが、何気に送る事業に自分の大学のゼミ同期が関わってただけに思い入れが深いです。

 そんなこんだでとある上海の地下鉄駅に設置されてある自動撮影機を見つけ、早速撮影してみました。私の必要な写真サイズは3.5×4.5cmなので6枚撮るのに30元(約600円)かかるのでなんか高いなと思いつつ、20元札二枚入れて早速撮影スタート……と思いきや、「これってどうやって使うの?」、と言っていきなりおばちゃんが乱入してきました
 まだ画面開いて写真サイズを選んでいる最中だったので、「金入れて、写真サイズ選んで、椅子の位置調整して撮影ボタンをピッと押すんだよ」と操作しながら説明し、「それじゃこれから自分の写真撮るからちょっとどいて」といったら、「あら、あんた撮影してたの?」と言うあたり、自分のことをメンテナンス要員かなんかだと勘違いしてたのかもしれません。

 何はともあれおばちゃんどかして撮影し、お釣りの10元取ろうと思ったら何故か出てきませんでした。どうやら吸い取るだけ吸い取ってお釣りは出さない仕様のようです。
 さらに、私が必要な写真枚数は8枚に対してい界の撮影では6枚しか出てきません。そして私の手元には20元札が2枚しかなく、なんかもうわざわざくずすのも嫌になってそのまままた40元突っこんで2回目の写真撮影に臨みました。この際、またおばちゃんに一から操作を説明しつつ……。

 最終的に出てきた12枚の写真はなかなか移り具合がよく、やっぱり証明写真は自動撮影機に限るなと改めて感じました。使い終わった後でおばちゃんに、「椅子を回して高さを調節するんだよ」と言って撮影機を明け渡し目的の事務所へ向かいましたが、その途中で今度はおっさんから地下鉄車内で、「上海南駅にはどうやっていくの?」と道を尋ねられ、「あそこの駅で3号線に乗りかえれば着くよ」と教えてあげました。
 振り返ってみてなんかやたらいろんなことを教える日だったなと思え、自分にも人生の道筋を教えてくれる人でてこねぇかなと思いながらこの記事書くことにしました。