11、ノースウェスト航空85便緊急着陸事故(2002年)
事故内容:ラダーの破損 乗客乗員数:404人
米国・デトロイトを出発して太平洋へと飛び立った同便は安定して飛行していた最中、突然機体が左方向に傾くというトラブルが発生しました。パイロットらは当初、左側のエンジンにトラブルがあるのではと考えたもののエンジン回りは特に誤作動はなく、またありとあらゆる方法で原因を捜したもののやはりわからず、緊急事態であることを管制に告げた上で緊急着陸先のテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港へと向かいました。先ほどにも述べた通りに期待は常に左側へ傾いたままでした。しかも姿勢を制御する補助翼も操作を受け付けなかったため、パイロットらは左右のエンジンの出力を調整することで機体を見事に制御し、着陸先の空港でも大過なく無事に着陸してのけました。
着陸後、機体の検査によってわかったのは姿勢を制御するラダー(尾翼についている稼働する羽)が金属疲労によって破損し、左側に傾いたまま動かなくなってしまったためでした。こういったラダーの故障は過去には一例もなく、原因がわからないまま最後まで操縦し続けたパイロットたちは航空会社から大きく賞賛されることとなりました。
なお、同便の行き先は何気に成田空港だったりします。
12、ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故(1982年)
事故内容:火山灰 乗客乗員数:263人
マレーシアのクアラルンプールからオーストラリアのパースへと飛び立った同便はインド洋上を飛行している際、本来雷雲を通っている最中にしか見えない発電現象の「セントエルモの火」がコックピットの中で確認されました。しかしレーダーでは雨雲は表示されておらず、何故この現象が発生するのかと思っていた矢先、突然4つのエンジン全てが停止してしまいました。
発電機などはまだ生きていたため最低限の機体操作は続けられ、高度も確保されていたためエンジンが停止したままでも相当の距離を飛行できる状態でしたが、同便の航路途中には山岳地帯があり、11500フィート以上の高度が無ければこの山肌に衝突してしまう危険性が残っていました。機長は必死で操縦を続けましたが、いざとなれば海上への不時着も覚悟していたそうです。
機長らはエンジンの再始動を繰り返したもののエンジンは戻らず、しかも悪い事態は重なるというかエンジン停止によって機内の与圧が下がってきたことから酸素マスクをつけようとしたところ、副機長のマスクが壊れるという事態に見舞われました。そのままだと副機長は酸素不足から気絶する可能性があるため、やむなく機長は酸素濃度を上げるため維持し続けたい高度を下げる決断をしました。
既に機体は山岳地帯を越えるのに必要な高度を下回る11400フィートに達し、もはや海上着水もやむなしと思ったその瞬間、突然第四エンジンが復帰し、さらにほかのエンジンも次々と復活しました。蘇ったエンジンで機体を立て直し緊急着陸先のハリム・ペルダナクスマ国際空港へと向かったところ、それまで夜間帯の飛行であったため気づかなかったのですが、コックピットの窓ガラスは一面真っ黒になっており窓の先がほとんど見えない状態になっていました。こんな悪条件の中、わずかに見える隙間を頼りに滑走路に狙いをつけ、無事にそのまま着陸して乗客乗員のすべてが生還へと至りました。
事故原因は頭の所に書いてある通りに火山灰で、インドネシアにあるガルングン山の噴火によって噴出した火山灰が同便が通過する航路にまで達し、エンジンがその灰を吸いこんだことによって灰が熱でガラス化し、詰まってしまったため停止してしまいました。雨雲を捉える気象レーダーは水蒸気に判別するのですが火山灰は乾燥しきってているため感知されず、レーダー上には表示されなかったためその存在に気付くことがありませんでした。無論、この事故を受けて世界の航空業界では火山灰が大きな事故要因になると見て、火山灰に対する観測も始まることになりました。
なお何故最後にエンジンが復帰したのかというと副機長の酸素マスクが壊れたことによって機体の高度を下げたところ、高高度にまで飛んでいた噴煙は下げた先の高度にはなく、また詰まった火山灰も剥がれ落ちたため復帰することができました。逆に言えば、もし酸素マスクが壊れず高高度を維持していたら……と思うと非常に怖いものがあると同時に、こうした偶然が不思議な奇跡を生むのだなと感じさせられる一端です。
13、ユナイテッド航空232便不時着事故(1989年)
事故内容:全油圧システム喪失 乗客乗員数:296人(死者111人)
同便ではデンバーからシカゴへ向かう途中、突然の異常音と共にすべての舵が効かなくなるという異常事態に陥りました。同便には乗務員として乗り込んだ三人のパイロットがいましたが、たまたま非番で乗り合わせたデニス・E・フィッチ機長もおり、事態発生を受けフィッチ機長もコックピットに入り対応することとなりました。
パイロットらは機体の状態を点検し、機体操作に必要不可欠な油圧システムが一本残らずすべて喪失したことを確認しました。この事故原因は第二エンジンのファンブレード(エンジンの羽)が金属疲労によって飛び散り、吹き飛んだ破片が機体本体に衝突した際に油圧システム全てを切断したためでした。
油圧システムが使えなくなるということは車で言えばハンドルを動かせなくなるような事態なのですが、フィッチ機長は飛行経験が豊富だったことと、たまたま少し前に全油圧システム喪失を想定したシミュレーション訓練を受けており、残ったエンジンを操作することで機体姿勢を維持する、さっきの車で言えばアクセルワークで上下左右を操るような離れ業でもって緊急着陸先のデモイン国際空港へと飛行し続けました。
旋回すらおぼつかない中で空港へとたどり着いた同便は着陸直前まで理想的な姿勢を維持したものの、最後の最後で機首が下がり、機体が滑走路に衝突したため炎を上げながら分解するように転げまわってしまいました。ただ待機していた消防隊が迅速に消火、救出活動を行ったことで、111人の死傷者が出たものの185人は生還を果たすことが出来ました。
見てわかる人はすぐわかっていたでしょうが、全油圧システム喪失という事故原因はあの御巣鷹山の事故こと日本航空123便墜落事故と全く同じものです。ただ日航の事故では全油圧システムとともに尾翼部が吹き飛んでおり、このユナイテッド航空の事故と比べれば姿勢を維持することすら難しい状態に置かれたものでした。
前述のフィッチ機長が行っていた訓練というのはまさにこの事故を教訓として作られた訓練であって、死傷者こそ出たものの、そういう意味ではあの日航の事故に対して借りを返してくれたような生還劇だったのではないかと個人的に思えます。
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