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2016年1月3日日曜日

日独伊三国同盟が結ばれた背景

 先日、「昭和史裁判」(文春文庫)という半藤一利氏と加藤陽子氏の対談本を購入して読みました。この本は戦争史となると軍人ばかりが取り上げられるのに対して文官はどうか、具体的には広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、木戸幸一、○○○○の五人が戦争前、戦争中にどのような行動を取ってどれだけ戦争責任があったのかを整理していくというものでなかなか面白かったです。
 ただこの本の中で私が一番注目したというかなるほどと感じさせられたのはほかでもなく、見出しに掲げた日独伊三国同盟がどうして結ばれたのか、何故日本が参加したのかという背景について得心がいく説明がなされていた部分です。

日独伊三国同盟(Wikipedia)

 日独伊三国同盟についてはもはや説明不要で、いわゆる二次大戦における枢軸国側の中心三ヶ国の間で結ばれた軍事同盟です。この同盟、そして反同盟側の構造は終戦まで変わらず、事実上世界の大戦構造を決定づけた同盟だったと言っても十分でしょう。
  そんな歴史的にも意義深い同盟を日本はどのような背景で結んだのか、また狙いはなんだったのかという動機についてWikipediaでは以下のように記述されています。

「既に日中戦争で莫大な戦費を費やしていた日本は、蒋介石政権を支援するアメリカと鋭く対立していた。 日本政府は日独伊防共協定を強化してドイツと手を結び、アメリカを牽制することで、日中戦争を有利に処理しようとしていた。また日本がアジア太平洋地域の英仏蘭の植民地を支配することを、事前にドイツに了解させる意図もあった。実際、外務事務当局が起案した「日独伊提携強化案」には、前述した地域が日本の生存圏内にあることをドイツは認めるべきという趣旨のことが明記されている。」

 私が高校時代に教えられた内容としては上記記述にある冒頭の、「米国への牽制」が大きな理由だと説明されました。しかし当時の私としては何故ドイツと手を結ぶことが米国への権勢につながるのか、そもそも日本とドイツじゃ距離がありすぎて共同戦線を張ることもできないのではなどと少なからず疑問に感じました。まさか太平洋と大西洋から米国本土を挟撃できるわけなんかないんだし。
 一方、以前に読んだ本では米国への権勢以外にも松岡洋右は「四ヶ国同盟」を構想していたという説がありました。これは日独伊の三ヶ国にソ連を加えた四ヶ国で米英に対抗するというような内容で、少なくとも松岡洋介がこの構想を持っていたのは確かですが果たしてこれだけの理由で本当に同盟を結ぶのか、そもそも結ぶのなら初めから三ヶ国でスタートする必要なく最初からソ連も巻き込んでいるはずではなどとちょっと腑に落ちませんでした。

 まどろっこしい言い方はやめて今回読んだ内容を率直に書くと、日本は三国同盟を結んだ1940年の時点で二次大戦はもうすぐ終戦すると考えていたからという説が唱えられていました。一体これはどういう事かというと、既にフランスを陥落せしめたドイツ軍は時期に英軍も降伏に追いやり、ドイツを中心というか主役で一次大戦後のパリ講和会議のような講和会議が開かれると政府内で予想しており、その会議でアジア、特に中国大陸における権益をなるべく多く得られるよう早めに戦勝国側につく、つまりはドイツに擦り寄っておく必要があるという観点から三国同盟を結んだと書かれてありました。

 私は今まで聞いてきた三国同盟締結に関するどの説明より上記の説明が一番合点がいき、軍事的にはほとんど何も恩恵が得られないドイツと結んだということも理解できるし、また日本がこのような行動を取ったというのも一次大戦時の日英同盟という前例があったことからも十分あり得ると思えます。そしてもう一つ、他の説明に多く書かれている「米国への牽制」についてはほとんど頭になかったという指摘も合点がいきます。
 半藤氏と加藤氏も当時の政府、軍部はともに中国との戦争を如何に終結させるか、それもなるべく多くの権益込みでと考えており、蒋介石政権との交渉を打ち切った手前、講和会議に懸けるしかないという思いが強かったと指摘しています。その上で三国同盟が結ばれることによって米国側が態度を硬化させるということはほとんど想定しておらず、昭和天皇を始めとした何人かの人物は同盟締結によって米国との関係悪化を懸念したものの大半は、「これで戦争も終わる」という楽観的な考え方をしていたため締結直後に米国が日本への屑鉄禁輸措置を取ってきたことにむしろ驚いたそうです。これも状況を比較するにつけなんとなく理解できるというか、「どうしてこの程度で米国は怒り出すんだ?」という戸惑いが当時の政府幹部から見てとれます。
 もっとも米国側からすれば同盟国である英国が必死でドイツ軍と戦っているそばでドイツ側に就くんだから、そりゃ怒るに決まってるんですが。

 結局、実際の歴史では日本の目論見は崩れて英国は降伏せず、またドイツは英国に加えソ連とも開戦し、日本も日中戦争を終えることが出来ないばかりか南部仏印進駐を起こして米国との関係をより悪化させた上で開戦へと至り、敗戦へと続くこととなります。敢えて苦言を呈すならば勝ち馬に乗ろうとしたばかり情勢を読み間違えた、特に独ソ開戦を読めなかったというのは日本外交史において最も致命的な失敗だったといっても差し支えないでしょう。楽しておいしいとこどりってのはやっぱなかなかうまくいかないもんですね。

2016年1月2日土曜日

「秋水」と呼ばれた戦闘機

 昨年のある日突然、「戦闘機で戦いたいな、それもレシプロ機で」という妙な願望が持ち上がってきました。なんでこんなこと急に思いついたのか我ながら全く意味不明ですが、早速手持ちのPSVitaで遊べる範囲でそういうゲームないのか調べたところPSPの「零式艦上戦闘記2」というのが割とよさそうだったなので日本に一時帰国した際に購入、インストールしておきました。

 このゲームは二次大戦時に活躍した機体を中心に空戦や艦爆陸攻を楽しむゲームなのですが、一通りプレイしてみた感想としてはグラフィックが初代PS並に粗いのはファミコン世代に育っている私からするとそんな気にするほどではないものの、単純に操作が難しいというべきか最初プレイして投げ出したくなるくらいの難しさがちょっとアレかなぁと思いました。実際の空戦もそうなんだから文句言う方がおかしいでしょうが戦闘機同士のドッグファイトとなると敵機が射線に入るのは本当に一瞬で、撃っても撃ってもなかなか当たらないしそうこうしてたら燃料なくなるしで、慣れないうちは二度目だけど投げ出したくなりそうでした。艦爆や陸攻に至っては命中させるだけでも一苦労なのに、外すと魚雷と爆弾の補充が遅くなるというデメリットはきつ過ぎる。
 ただ慣れれば適応できないっていうレベルではなく、実際私もすべての面を一応はクリアできました。隠し機体はまだ全部出し切れていない、というか攻略サイトがほとんどないから出し方がわからないのですが、陸攻する面はB29使った絨毯爆撃すれば何とかなるとわかってから突破口は開きました。

秋水(Wikipedia)

 などと長々ゲームの説明してきましたが、このゲームに登場する機体の中で一番驚いたというか印象に残ったのが、上記リンク先で解説されている「秋水」という戦闘機です。恥ずかしながらあまりこういった航空機についてはほとんど造詣がなく「XB-70 バルキリー」という機体が格好いいなと思うだけだったのですが、この秋水に関してはゲームで登場するだに、「なんなんじゃこんか飛行機?」と変に西郷さん入った言葉が口を突いて出てきました。

 私の方で簡単に解説すると秋水とは日本で唯一製作された、プロペラではなくロケットエンジンで飛ぶロケット推進戦闘機です。史上唯一運用されたロケット推進戦闘機「メッサーシュミットMe163」をドイツが開発したことにより、当時同盟関係にあった日本はこの戦闘機の技術資料をドイツから供与してもらいました。ただその資料の大半は潜水艦で運んでいる最中に米軍によって潜水艦が撃破されたため届かず、一部の資料のみが航空機で日本側へ届けられました。
 はっきり言って「こんな飛行機もあるよ!」っていくらいしか資料なかったそうですがそこは日本御得意の創意と工夫でいろいろごまかし、なんだかんだ言いつつロケットエンジンを組み上げることはできたそうです。ただ燃やす燃料こと推進剤の開発には苦労したそうで、当時理研にいた日本で三番目の女性博士の加藤セチも開発に加わって試行錯誤を繰り返したとのことです。別に加藤さんが悪いわけじゃないんだけど、理研の女性博士というとどうしてもOBKTが頭に浮かんでしまう……。

 すったもんだの末、秋水の試作機は二機完成しましたが試験飛行で一号機は離陸はしたものの空中でエンジンが停止して墜落し、テストパイロットも救出時は息があったものの翌日亡くなっております。レシプロ機の開発においては当時としても目を見張る技術を持っていた日本の研究陣でしたがジェット機においてはその技術は全く別分野となりほとんど生かせられず、離陸から4分程度と言われる航続時間の極端な短さもあって秋水の開発は結局頓挫することとなりました。
 なお秋水について荒蒔義次陸軍少佐は、「(他の飛行機はどれもへっちゃらだけど)秋水だけは怖かった」という証言を残しております。

 さてなんでこんな秋水に私は魅せられたのかというと、一言でいえばその外観フォルムです。こちらのサイトに復元モデルの写真が載せられておりますが、まるでロケットミサイルに無理やり羽とコックピットをくっつけただけのようなやっつけなデザインぶりがかえって新鮮で、自分の感性に物凄く触れました。っていうかゲームで操作していても、飛ばしているこっちの方が見ていて不安に感じる飛行機でした。

 最後にまたゲームの話に戻ると、レシプロ機の戦闘ゲームはちょっと工夫すればすごく面白くなるような気がします。リアル志向の人には申し訳ないのですが初心者を阻んでしまう操作性の難しさをカバーする、それこそオート&追尾ロックとか、弾薬爆弾の自動補給システムとか入れたりして、もう少し入りやすいゲームを誰か作ってくれないかなと期待してます。まぁ調べたらPCゲームだといろいろあるようですが、ガンダムゲーみたいにパイロットも特徴づけた奴で遊んでみたいです。

2015年12月31日木曜日

サンドラ・ブロック女史の輝かしい栄光

 本日最後の五本目。一気に記事を連投したためか右腕に軽くしびれるような痛みが走っています。こういう感覚も久しぶりだなぁ。
 当初は「確かあと4本で300本だったはず」と思っていたら実際には5本足らなかったので、ネタは四つくらい抱えてたけど最後の子の五本目は何書こうかちょっとタイプする手が止まりました。逆に言えば先の四本はマジでノンストップで一気に書き上げたんだけど。最後はどうでもいい記事がいいなと言う風に考えたらサンドラ・ブロックが思い浮かんできたので、最終的にこの人について書くことにします。

サンドラ・ブロック(Wikipedia)

 日本でサンドラ・ブロックというと、1994年にヒットした「スピード」という映画のヒロイン役をやった女優というのが一番多い印象ではないかと思います。一発屋で終わるハリウッド俳優が多い中でこの人は実際にはその後もコンスタントに活躍を続けているのですが、生憎というかスピード以降の彼女の出演作はそんなに日本では大ヒットするものが多くなく、なんか古いイメージのまま現代に続いてきてしまっているような感があります。ちなみに自分は2009年の「幸せの隠れ場所」がこの人の出演作だと好きな方ですが、この映画はちょっと邦画タイトルで損しているなという気がします。

 この人の魅力を述べるならば、割と姉御肌、というより兄貴肌で日本で言えば杉本彩氏みたいなキャラクターを演じるのが上手い点にあると思います。スピードでもそうですが女性でありながら妙に頼りがいがあってリーダシップ満々で物事進める、でもって美人ってのがいいのだと思え、本国でもそういうキャラなのか何故か「GIRL NEXT DOOR」、邦訳するなら「隣のお姉さんにしたい人で賞」というものも受賞しています。それにしてもアメリカ人もマニアックな賞を作るもんだ。

 話は戻りますがサンドラ・ブロック自体はスピード以降もキャリアを上重ね、主要な映画賞を物にするなど役者としては大成したといえる人です。ただいくつかの受賞歴でちょっと変というか妙な記録も作っており、知ってる人には有名ですが2009年にさっき挙げた「幸せの隠れ場所」でアカデミー主演女優賞を受賞しているのですが、同年に公開された「ウルトラI LOVE YOU!」といういかにもB級臭いタイトルの映画でラズベリー賞の最低主演女優賞も獲得しており、なんと同じ年に最高と最低の女優賞をダブル受賞するという史上初の恐ろしい快挙を成し遂げちゃっています。
 しかもラズベリー賞の授賞式に普通はみんな嫌がって来ないのにこの人は何故かわざわざ来て、「てめぇらどうせこの映画見てねぇだろ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言って、わざわざリヤカー引いて持ってきた映画のDVDを会場で配ったりするなど、明らかにサービス精神が満点な人のようです。

 このラズベリー賞のエピソードといい、映画で演じるキャラ同様に割と男性的でカジュアルな性格した人なんじゃないかと勝手に想像しているのですが、実は日本とも少し縁があるというか、東日本大震災の折には真っ先に100万ドルを寄付してくれています。もちろん彼女だけでなく多数のハリウッド俳優らが当時日本へ支援してくれていますが、やっぱり折に触れて思い出さなければならない恩じゃないかと個人的に思うわけです。なもんだから、彼女の出演作を見る度にこの記事ネタをちょこっと思い出してもらえればなと思い、たまにはこんな記事も書いてみました。

自分の忠の矛先

 本日四本目。

 先日書いた愛国心についての記事で私は「忠」という言葉を用いましたが、これは現代的に言い換えるなら「信念」とした方が案外適当だと思います。通常は主従関係に用いる忠ですが、「他の何よりも優先する対象への意識の深さ」という風に解釈するなら、何も主人に限って使うものではないと思えるからです。
 先の記事では「メタルギアソリッド3」で使われた、「国に忠を尽くすか、任務に忠を尽くすか」というセリフを引用しておりますが、国家への忠は紛れもない愛国心でしょう。では任務への忠は何になるか、どちらかと言えばプライドに近いものになるかもしれません。
 
 ここでそんな私の忠の矛先をを明かすと、それは間違いなく自分自身の能力と才能です。ちょうど先月にも後輩にこの意味を説明しましたが、私が生きる上で何よりも優先するのは自分の能力を最大限に発揮できる場所に自らを置くこと、そして最大限に才能を引き延ばす、自らの感覚を可能な限り広げるということを子供の頃からかなり強く意識して生きてきました。何故こんなみょうちきりんな概念を持ったのかというとナポレオンに強く影響を受け、彼が幼年学校時代に述べたとされる、「人間の最大の幸せとは、自分の能力を最大限に発揮することです」というセリフをみてまさに自分が捜していた概念はこれだと中学生くらいの頃に思いました。

 このような考えだから一般人と常識が異なるのは当たり前で、自分の力が発揮できないとわかればその場を去るし、逆に自分の感覚を広げられると感じられるものには割と率先して学ぼうとしにいきます。その行く末には何があるのか、そんなの他の人間に言われる筋合いはないと言いたいところですが無難な言い方をすると論語における、「朝に道知れば夕に死すとも可なり」といったところです。

 では普通の日本人の忠の矛先はどこなのか。家族か、会社か、生活か、お金か、日常か、世間体か。私の見方だというまでもなく最後の世間体である人が大半であるように思え、如何に集団の中で目立たず浮かず脱落せずに生きていけるか、世間で言われるモデルケースのような人生をなぞることこそが最大にして唯一の生きていく上での信条なのではないかと、皮肉っぽい言い方ですがそう思います。別にこれが悪いというつもりは全くないですが、そうじゃないというのなら何を信じて生きてるのか聞いてみたいです。それこそ名誉やお金、家族を犠牲にしてでもこれだけは欲しい、信じてたいっていう信条をです。

忍者関連部署、科目の設置案

 本日三本目。

 昨日友人にスカイプで、「イギリスの子供は将来の夢にMI6とかスパイとか書くのかな。こういうこと書ける国って夢があっていいよね」といったらまた嫌そうな感じで黙って聞いてくれました。なんでこんなこと急に言い出したのかというと映画の「007」が頭に浮かび、スパイが確実に存在する国なら夢の職業として実際に書けるのかなと思ったためでした。

 それに対して日本。見出しにも掲げた通り忍者発祥の国でありながら世界に誇れるような堂々たるスパイ機関は存在しません。内情はあるけど、あれってどういう風に機能しているかよくわからんし、少なくとも海外のスパイ小説に出てこない時点で国際スパイとしては失格でしょう。
 何が言いたいのかっていうと日本も子供が堂々とスパイになりたいと思えるような夢のある国になるべきだということで、そのためにはまず政府内にはっきりと忍者関連の部署を設置する必要があるでしょう。構成員はMI6だって新聞広告で募集掛けるくらいなんだからリクルートとかで、

諜報員(忍者)急募!
募集年齢:全年齢(若手も活躍出来る職場です)
仕事内容:敵対国家への嫌がらせ、表じゃ言えない汚れ仕事
その他:経験者優遇(国籍問わず)

 こんな具合で募集広告乗っけたら一人や二人は応募してくるんじゃないかと思います。よくこういうのは内密に人を取ろうとしますが、どうせ内密になるのは後からでも構わないんだし募集くらいはオープンでやってもいいはずでしょう。

 でもってこうした募集にとどまらず、国内で諜報員の直接養成も手掛けるべきです。具体的に言うと前にも書いたかもしれませんが日体大とかで「忍者科」ってのを作って、尾行の仕方とか実践的な忍術とかを教えるコースを作っておくと万全です。もっとも学生の募集掛けたら日本人よりも外人の方がたくさん来そうな気がしますが。

 最後に映画の「007」についてですが、実は古い作品は見ておらず現在のダニエル・クレイグが主演するバージョンしか見ていません。この人は舞台での経験が長いだけあって立ち居振る舞い、特に姿勢が非常にきれいなのでアクションシーンも見栄えがよく私もお気に入りの俳優なのですが、なんていうか最初の「カジノロワイヤル」はまだそうでもありませんが、「慰めの報酬」、「スカイフォール」と続編が出る度に寡黙で冷徹な諜報員というキャラになっていき、見かけの強面と相まってなんとなくプーチンっぽいなとこの頃思えてきました。あっちもリアルスパイだったんだからさもアリなんだけど。
 ってか、ロシアは諜報員でも大統領になれるってんだから、ある意味夢のある国だ。

海に沈んだ南宋のラストエンペラー

 本日二本目。

 前に南宋末期の著名な戦いである襄陽・樊城の戦いを取り上げましたが、今日するのはその後のお話しです。襄陽・樊城の戦いの戦いで最大重要防御拠点である同地を元軍に攻略された南宋軍はその後も連戦連敗で、ついには首都である臨安を落とされてしまいます。しかし南宋の家臣団は抵抗をあきらめず幼い皇帝一族を連れて南へ南へと逃げ、当時はほとんど開発が進んでなかったと思われる現在の広東省地域にまで逃げて亡命政権を打ち立てていました。

 しかしそんな抵抗勢力の存在を元軍は許すことなく、亡命政権に対しても追撃軍を差し向けました。無論南宋軍はそうして迫りくる元軍に勝てるわけはなく依然と連戦連敗を続け、最終的には源氏あの香港近くにある崖山という場所で、元軍と海上決戦に臨みました。しかし海上戦に不慣れな元軍が相手とはいえ時既に大勢が決まっていた状況で、当初は有利に戦いを進めたものの徐々に追い込まれ、結局南宋軍はこの決戦においても敗北することとなりました。
 当時の南宋の皇帝は9歳の祥興帝で、ほぼ間違いなく政治の実権は持っていなかったと思える年齢です。決戦後、祥興帝に講義を行っていた陸秀夫は運命を決めたのか幼い皇帝を抱いたまま入水し、これによって南宋は完全に滅亡することとなります。

 この過程を見てピンときたら110番ですが、見てわかる通りにまるきり壇ノ浦の戦いの再現です。この崖山の戦いは1279年ですが、壇ノ浦の戦いから約100年後にほとんど同じ経過というか日本の安徳天皇のように入水して亡くなった幼い皇帝がいたというのはなかなか奇妙な縁でしょう。当時の日本側もこの偶然に感じるものがあったのか漢詩などで幼い皇帝を悼む詩が作られたりするなどされたとのことで、自分も面白いと思ったのでここで紹介することとしました。

また海外の床屋で……

 あと記事5本で今年の年間投稿数がちょうど300本になるので、あと一日ですがちょっと頑張って書いてみようとやる気になってしまいました。昨日もちょっとよぎったんだけど、別にこだわらなくていーしとか思ったのですが心変わり早過ぎ。

 ってことで早速今日早朝の失敗エピソードですが、床屋で失敗しました。
 海外生活で何が一番困るかって言ったら案外大きいもので散髪で、というのも微妙に出身国と美的センスが違うし、言葉も通じ辛くて変な髪型になってしまうケースが多いからです。なもんだから中国にいる日本人は大抵上海とかに行ってそこにいる日本人理髪師に切ってもらうのが普通ですがこれだとお値段が200元とかして結構お高い。ローカルのお店できれば大体20元以下で切れるのだし、そんなとこいってられるかと私はいつもローカルなお店で切るようにしてますが、自分の知る限りこんなことしてるのって私だけです。みんな高くても日本人に切ってもらうようにしてるし。

 ローカルの床屋で困るのが、地方出身者が多くて普通話がほとんど通じないことです。昔から「三本刀」といって中国人は散髪用ハサミ、包丁、裁縫用ハサミのどれかが一つがあれば世界中どこでも生きていけると主張するほど万能な技術として理髪は使われてきましたが、万能すぎて言葉が通じないってのは案外考え物です。
 ただ中にはきちんと話が通じるし、センスも似通っていて「短くして」といったら割ときれいに切りそろえてくれるローカルな床屋もあります。以前上海で通っていたところなんかまさにそんなお店で重宝していたのですが、今回は昆山市内にあるっていうか家の近くのお店に強行突入してきました。

 前も昆山市内で切ってはいるのですが、そのお店は今日なんかやたらとお客が入っていて仕方なく近くの別の店に入ったのですが、言葉は通じるもののいかんせん段取り悪く、「短く」つってるのに何故か七三分けにするし、「余計なことするな」つってるのに何故かドライヤーで髪膨らまそうとするしで、非常にファッキンな床屋でした。別にここに限らず中国の床屋は頼んでなくても勝手にあれこれ工夫することが多く、やたらパーマをかけたがる店が多い気がします。
 正直な感想を述べると、今日行ったところはワースト2な水準でした。過去最悪だったのは杭州市の床屋で、あそこは妙なムースとか片っ端からかけられ、変な髪型になるしムースは無駄に臭いしで、ちょうどアルハラで殺されかけてた時期でもあったので自宅でリアルに泣きながら自分で髪を切り直しました。今日の出来もよくなかったので、やっぱり自分で切り直しました。

 ただ人間って案外適応できるものなのか、何度もこういう風に妙な髪型になる度に納得できず自分で切りなおしているせいか、前髪だけなら自分で切ってある程度調髪できるようになってしまってます。私自身、元々髪型にはこだわらず伸びたら切る、「伸即斬」なので短ければそれでいいってのもありますが、ただ短く切ることすら満足にしてくれない中国の床屋はほんと何なんだろうとつくづく思います。なお今日の散髪料金は15元(約300円)で、昼飯にサイゼリヤで食べたミラノ風ドリアとコーンスープの合計料金は16元(約320円)でした。ミラノ風ドリアは中身が米じゃなくて餃子で、店員も文句多いのか注文前にわざわざ教えてくれましたが。