最近上海人の友人に、以前日本で相談した事のあるスピリチュアリストに「感情や気持ちの上下が激しい」と指摘されたことを伝えたところやけに深く納得されて、それ以降はことある毎に、「君は気持ちの上下が激しいから」とツッコまれる機会が多くなりました。まぁ当たってるし、この友人も何度も目の当たりにしているから全く以って言い返せないのですが。
ただ最近、気持ちの上下が激しいってなんだかガンダムに出てくる「強化人間」みたいだなとふとよぎり、もしかしたら私も知らないうちに、マシュマーの様な強化人間手術を施されたのではないかという疑念を覚え、ひょっとすればサイコミュ兵器が使えるようになっているのではないか、ファンネル飛ばせるんじゃないかという妙な期待を持ちましたが、そもそもサイコミュ兵器すらまだ実現していない現状に後になって気が付きました。
もちろんこれは半分冗談ですが、自分の性格を「強化人間っぽい」と評するのは我ながら適切というかわかりやすい気がします。突然妙な所で半端ないバイタリティを発揮することもありますし、その一方で落ち込み方も激しいだけに、これから機会あれば強化人間キャラで売りだして行くつもりです。
なお強化人間と一口で言ってもパターンがいくらか分かれ、簡単ですが一つここで類型を作ったのでおいておきます。
<強化人間の類型>
・フォウ型:物忘れが激しい
・ロザミィ型:ブラコンかシスコン
・マシュマー型:特定人物への肩入れが激しい
・キャラ型:ハンドル持つと性格変わるような感じ
・プルツー型:ツンデレ
・カロッゾ型:マスク被りだす
・カリス型:プライド高くて見下しやすい
・ステラ型:ファザコン
・ファラ型:部下への八つ当たりが激しい
・カテジナ型:超危険
・ギュネイ型:意外とまともな常識人、ってか普通
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年6月15日水曜日
2016年6月13日月曜日
ベスラン学校占拠事件を振り返る
・マンダム、日本人男女の腋臭(ワキ臭)の違いを明確化(マンダム)
また本題と関係ありませんが、今年もイグノーベル賞は日本人がいただきだと思う明るいニュースを見つけたので紹介しておきます。
それで本題に移り、昨日は上海浦東空港で起きた爆発事件を取り上げましたが、この報道を見たから思い出したわけではなく二ヶ月くらい前に突然「ベスランとはなんだったけ?」とこの単語が気になって事件を思い出したこともあり、爆発があったという点で共通するので今日はこの事件を取り上げます。
・ベスラン学校占拠事件(Wikipedia)
記憶の忘却に対する耐久度で言えば誇張ではなく並ぶ者がない私ですら「ベスラン」という単語が何を意味するのかをこの前まで忘れていたくらいなので、恐らくこの記事を読んでいる方ほぼすべてはこの事件のことを覚えていないのではないかと思います。ではこの事件がどういったものだったのかという、とロシア連邦を構成する北オセチア共和国のベスラン市にある小学校がテロリストに襲撃、占拠され、死亡者が386人以上(うち186人が子供)、負傷者が700人以上に上った事件を指します。
この事件は2004年9月1日、ちょうど始業式があったことから体育館に生徒らが集められたところ、チェチェン独立派の武装したテロリスト集団32人が乱入してそのまま学校の教師、生徒、関係者の計1181人を人質として体育館に監禁しました。テロリストらは人質が逃げないよう、彼らの周囲をぐるりと囲むように対人地雷を置き、ロシア政府へチェチェンからの撤兵などの要求を行った上でこれを受け入れない場合は人質を殺害していくと発表しました。
テロリストグループの人質への扱いは劣悪極まりなく、気温が30度を超す猛暑の、しかも蒸し暑さがこもる体育館の中にもかかわらず一切の水分補給やトイレなどを認めず、6歳の女の子が突然起こった事態に泣き出したところ容赦なく射殺されたそうです。こうした扱いはもとより、子供を人質に取ることに対しテロリストグループ内からも抗議を行った人間が二人いたとのことですが、この二人は襲撃当日のうちに粛清されました。
ロシア政府は仲介役を立てた上で特殊部隊のスぺツナズを出動させいざという事態に備えますが、状況はなかなか進展せず、そのまま二日経ち9月3日を迎えます。この間に一部の赤ん坊と母親26人が解放されましたがその一方で些細なことから殺された人質の死体も幾度か運び出されています。
事件発生から50時間以上経ち人質の体力も懸念される中、9月3日の昼過ぎに事態は大きく動きます。きっかけは「爆発」があったことでどの情報も一致していますが、一体何が爆発したのか、どうして爆発したのかについては未だ真相がはっきりしていませんが、当時現場にいた人質らの証言を取るならば、どうやら人質を囲んでいた対人地雷の一部が何らかの原因で偶発的に爆発したという可能性が高いと私は見ています。この爆発を受け近くにいた特殊部隊は一斉に体育館へ突入し、テロリストらも応戦する形で銃撃戦が始まります。この際、中にいた人質らは体育館内を逃げまどい、特殊部隊によって無事に救出された方もいましたが大半は銃撃戦に巻き込まれたり、爆発物によって吹っ飛ばされたりし、最終的に体育館は屋根ごと崩落したため隠れていたところ押しつぶされて亡くなった方もいました。幸運にも生還した人質の男の子によると、目の前で上半身と下半身が真っ二つになっていた人もいたとのことで、恐らく我々が想像できる領域をはるかに超えて凄惨な現場になっていたことでしょう。
最終的にテロリストグループは一人を除いて全員死亡しており、中には体育館から逃げ出そうとしたところ周囲にいた武装した保護者らによって四肢をバラバラにされるほどの虐殺を受けた者もいました。また特殊部隊の隊員も10人が死亡、28人が重傷するという大きな損害を出しています。この時死亡した隊員の中には結婚してまだ三週間だったり、子供を守るためテロリストが投げた手榴弾に覆いかぶさって亡くなったり、銃撃から身を挺して盾になったりと、こういってはなんですがまるでお話の中にしか存在しないと思っていたようなことが現実にあったのかと、何とも表現しにくい複雑な感情を惹起させられます。
自分が何故このような事件を今頃になって掘り起こすのかというと、昨日米国のバーで銃乱射事件が起こり何十人の方が亡くなり大きく報じられていますが、ほんの10年ちょっと前の出来事であるのに、これほど大きな事件を時間が経つとこうも忘れてしまうのかと自分で感じたからです。またベスランの事件に先立つ2002年には同じくチェチェン独立派によってモスクワ市内の劇場が占拠され人質129人が死亡するモスクワ劇場占拠事件が起こっており、もちろん今でもロシアが治安警備に多大な努力を払っていることは承知ですが、かつてと比べると今のロシアは随分と落ち着いたものだなとも感じたからです。
その上で、やはりこうした民間人を狙うテロリストは許し難く、どのような形であれその根絶に向け各国市民は努力すべきであると改めて主張したいです。昨日の上海浦東空港の爆発事件のYahooニュースの記事には、「いよいよ始まるのか……」などと、まるで事件が起きたことを喜び期待するかのようなコメントを書いた人がいましたが、どんな理由があれ自分にとってはこのような態度自体が非常に許し難い気持ちを覚えます。どの国だろうがどの民族だろうが、一般市民を対象とした無差別なテロ犯罪は絶対に許容、歓迎してはならず、社会全体で強い認識を持つべきだというのが今日の私の意見です。
<参照サイト>
・ベスラン学校人質事件を生き延びたゲオルグ少年 前編、後編(なんでも評点)
・ベスラン学校占拠事件にて殉職された特殊部隊員(ロシア軍を追い続けて)
また本題と関係ありませんが、今年もイグノーベル賞は日本人がいただきだと思う明るいニュースを見つけたので紹介しておきます。
それで本題に移り、昨日は上海浦東空港で起きた爆発事件を取り上げましたが、この報道を見たから思い出したわけではなく二ヶ月くらい前に突然「ベスランとはなんだったけ?」とこの単語が気になって事件を思い出したこともあり、爆発があったという点で共通するので今日はこの事件を取り上げます。
・ベスラン学校占拠事件(Wikipedia)
記憶の忘却に対する耐久度で言えば誇張ではなく並ぶ者がない私ですら「ベスラン」という単語が何を意味するのかをこの前まで忘れていたくらいなので、恐らくこの記事を読んでいる方ほぼすべてはこの事件のことを覚えていないのではないかと思います。ではこの事件がどういったものだったのかという、とロシア連邦を構成する北オセチア共和国のベスラン市にある小学校がテロリストに襲撃、占拠され、死亡者が386人以上(うち186人が子供)、負傷者が700人以上に上った事件を指します。
この事件は2004年9月1日、ちょうど始業式があったことから体育館に生徒らが集められたところ、チェチェン独立派の武装したテロリスト集団32人が乱入してそのまま学校の教師、生徒、関係者の計1181人を人質として体育館に監禁しました。テロリストらは人質が逃げないよう、彼らの周囲をぐるりと囲むように対人地雷を置き、ロシア政府へチェチェンからの撤兵などの要求を行った上でこれを受け入れない場合は人質を殺害していくと発表しました。
テロリストグループの人質への扱いは劣悪極まりなく、気温が30度を超す猛暑の、しかも蒸し暑さがこもる体育館の中にもかかわらず一切の水分補給やトイレなどを認めず、6歳の女の子が突然起こった事態に泣き出したところ容赦なく射殺されたそうです。こうした扱いはもとより、子供を人質に取ることに対しテロリストグループ内からも抗議を行った人間が二人いたとのことですが、この二人は襲撃当日のうちに粛清されました。
ロシア政府は仲介役を立てた上で特殊部隊のスぺツナズを出動させいざという事態に備えますが、状況はなかなか進展せず、そのまま二日経ち9月3日を迎えます。この間に一部の赤ん坊と母親26人が解放されましたがその一方で些細なことから殺された人質の死体も幾度か運び出されています。
事件発生から50時間以上経ち人質の体力も懸念される中、9月3日の昼過ぎに事態は大きく動きます。きっかけは「爆発」があったことでどの情報も一致していますが、一体何が爆発したのか、どうして爆発したのかについては未だ真相がはっきりしていませんが、当時現場にいた人質らの証言を取るならば、どうやら人質を囲んでいた対人地雷の一部が何らかの原因で偶発的に爆発したという可能性が高いと私は見ています。この爆発を受け近くにいた特殊部隊は一斉に体育館へ突入し、テロリストらも応戦する形で銃撃戦が始まります。この際、中にいた人質らは体育館内を逃げまどい、特殊部隊によって無事に救出された方もいましたが大半は銃撃戦に巻き込まれたり、爆発物によって吹っ飛ばされたりし、最終的に体育館は屋根ごと崩落したため隠れていたところ押しつぶされて亡くなった方もいました。幸運にも生還した人質の男の子によると、目の前で上半身と下半身が真っ二つになっていた人もいたとのことで、恐らく我々が想像できる領域をはるかに超えて凄惨な現場になっていたことでしょう。
最終的にテロリストグループは一人を除いて全員死亡しており、中には体育館から逃げ出そうとしたところ周囲にいた武装した保護者らによって四肢をバラバラにされるほどの虐殺を受けた者もいました。また特殊部隊の隊員も10人が死亡、28人が重傷するという大きな損害を出しています。この時死亡した隊員の中には結婚してまだ三週間だったり、子供を守るためテロリストが投げた手榴弾に覆いかぶさって亡くなったり、銃撃から身を挺して盾になったりと、こういってはなんですがまるでお話の中にしか存在しないと思っていたようなことが現実にあったのかと、何とも表現しにくい複雑な感情を惹起させられます。
自分が何故このような事件を今頃になって掘り起こすのかというと、昨日米国のバーで銃乱射事件が起こり何十人の方が亡くなり大きく報じられていますが、ほんの10年ちょっと前の出来事であるのに、これほど大きな事件を時間が経つとこうも忘れてしまうのかと自分で感じたからです。またベスランの事件に先立つ2002年には同じくチェチェン独立派によってモスクワ市内の劇場が占拠され人質129人が死亡するモスクワ劇場占拠事件が起こっており、もちろん今でもロシアが治安警備に多大な努力を払っていることは承知ですが、かつてと比べると今のロシアは随分と落ち着いたものだなとも感じたからです。
その上で、やはりこうした民間人を狙うテロリストは許し難く、どのような形であれその根絶に向け各国市民は努力すべきであると改めて主張したいです。昨日の上海浦東空港の爆発事件のYahooニュースの記事には、「いよいよ始まるのか……」などと、まるで事件が起きたことを喜び期待するかのようなコメントを書いた人がいましたが、どんな理由があれ自分にとってはこのような態度自体が非常に許し難い気持ちを覚えます。どの国だろうがどの民族だろうが、一般市民を対象とした無差別なテロ犯罪は絶対に許容、歓迎してはならず、社会全体で強い認識を持つべきだというのが今日の私の意見です。
<参照サイト>
・ベスラン学校人質事件を生き延びたゲオルグ少年 前編、後編(なんでも評点)
・ベスラン学校占拠事件にて殉職された特殊部隊員(ロシア軍を追い続けて)
2016年6月12日日曜日
上海の浦東空港爆発事件について
・上海空港爆発 ビール瓶で自作した爆発物投げる 男は自ら刃物で首切り重傷(産経新聞)
・一男子在浦东机场航空柜台手持烟花爆炸 颈部受伤(東方網)
日本でも既に報じられているでしょうが中国時間で本日午後二時半頃、上海の浦東空港で爆発事件が起こりました。新華社などの報道によると爆発があったのひゃ浦東空港のターミナル2にあるチェックインカウンターで、犯人とみられる男がビール瓶で作った爆発物を投げつけて爆発し、破片に当たった三人(うち一人はフィリピン国籍)が怪我を負って病院に搬送され、投げた男もその場で首を切って病院に送られたそうです。
なんか友人がネットからかき集めたのか知らないけどどかどか画像やファイルを送ってきたので、折角だからアップしておきます。なんでも友人の母ちゃんがちょうどこの現場にいたそうで、難は逃れたものの中々タイムリーな話で聞いてて驚きました。
で、一緒に送られてきたのが下の写真ですが、二番目は一見する怪我人の写真のように見えますが首が切れて血を流している辺り、これが犯人なのかもしれません。にしてもほんとどこからこういう写真とってきたのやら。
なお、今日は私は三連休の振替出勤日で会社行って一人で黙々と仕事していました。みんな有給使って休んでるので社内に人は少なく、なんで先週金下ろしたのに財布薄くなっているんだろうと最近の出費について気にしながらキーボード叩いてました。
・一男子在浦东机场航空柜台手持烟花爆炸 颈部受伤(東方網)
日本でも既に報じられているでしょうが中国時間で本日午後二時半頃、上海の浦東空港で爆発事件が起こりました。新華社などの報道によると爆発があったのひゃ浦東空港のターミナル2にあるチェックインカウンターで、犯人とみられる男がビール瓶で作った爆発物を投げつけて爆発し、破片に当たった三人(うち一人はフィリピン国籍)が怪我を負って病院に搬送され、投げた男もその場で首を切って病院に送られたそうです。
なんか友人がネットからかき集めたのか知らないけどどかどか画像やファイルを送ってきたので、折角だからアップしておきます。なんでも友人の母ちゃんがちょうどこの現場にいたそうで、難は逃れたものの中々タイムリーな話で聞いてて驚きました。
で、一緒に送られてきたのが下の写真ですが、二番目は一見する怪我人の写真のように見えますが首が切れて血を流している辺り、これが犯人なのかもしれません。にしてもほんとどこからこういう写真とってきたのやら。
なお、今日は私は三連休の振替出勤日で会社行って一人で黙々と仕事していました。みんな有給使って休んでるので社内に人は少なく、なんで先週金下ろしたのに財布薄くなっているんだろうと最近の出費について気にしながらキーボード叩いてました。
2016年6月10日金曜日
上海ディズニーに対する産経の嫌らしい記事
・上海ディズニー波乱含み…相次ぐ故障、列へ割り込み、“ダフ屋”横行 正式開園まで1週間(産経新聞)
前略、あまりにも公平性を欠いた記事であるためこの場で強く批判させてもらいます。
また例によって産経新聞が開園直前の上海ディズニーリゾートについてあれこれ悪口を書き連ねているのですが、一部文言に関して完全に公平性を欠いており、記者の風上にも置けない書き方がなされています。具体的には、
「だが、5月に入場した関係者によると、人気アトラクションには長い列ができて2時間待ち、3時間待ちが常態化。」
この記述ですが、「じゃあ東京ディズニーは?」と聞き返したいです。
ほかにも聞きづてで批判的なことをこれでもかと書き並べており、以前にも同一人物が書いた記事を記者の友人が激怒していましたが、悪口しか口に出せないのかと聞きたくなるひどい書きようです。第一、全体的に「これだから中国人のマナーは」とでも言いたそうな書き方ですが、日本のUSJで大学生がバカなことをやったというのを覚えていないのでしょうか。どの国にも一部のおかしな人間はいますがそれをさも全体であるかのような、憎悪をかきたてるような記事の書き方をするのはあまりにも公平性を欠きます。
もっともそれ以上に、現場で取材していない分際で偉そうな口を叩いているというのが一番腹立ちます。悔しかったら私みたいに現場行ってその目で見聞きしたり、カメラに取った光景を出せってんだ。
前略、あまりにも公平性を欠いた記事であるためこの場で強く批判させてもらいます。
また例によって産経新聞が開園直前の上海ディズニーリゾートについてあれこれ悪口を書き連ねているのですが、一部文言に関して完全に公平性を欠いており、記者の風上にも置けない書き方がなされています。具体的には、
「だが、5月に入場した関係者によると、人気アトラクションには長い列ができて2時間待ち、3時間待ちが常態化。」
この記述ですが、「じゃあ東京ディズニーは?」と聞き返したいです。
ほかにも聞きづてで批判的なことをこれでもかと書き並べており、以前にも同一人物が書いた記事を記者の友人が激怒していましたが、悪口しか口に出せないのかと聞きたくなるひどい書きようです。第一、全体的に「これだから中国人のマナーは」とでも言いたそうな書き方ですが、日本のUSJで大学生がバカなことをやったというのを覚えていないのでしょうか。どの国にも一部のおかしな人間はいますがそれをさも全体であるかのような、憎悪をかきたてるような記事の書き方をするのはあまりにも公平性を欠きます。
もっともそれ以上に、現場で取材していない分際で偉そうな口を叩いているというのが一番腹立ちます。悔しかったら私みたいに現場行ってその目で見聞きしたり、カメラに取った光景を出せってんだ。
上海動物園にて
昨日は合計で十三時間も寝たので今日は家の近くにある上海動物園へ行ってきました。三連休の中日ということもあり大賑わいで、入場ゲート前では長蛇の列が出来ていたものの田舎者が割り込みしてきやがったので「ぶっ殺すぞワレ」といおうかと思いましたが大人になって我慢しました。
上の写真は見ての通りペンギンですが、今日はやや蒸し暑いこともあってか水の中を泳いでばかりで普段なかなか見られない姿が見られて面白かったです。特に水中での動きは本当に鳥が飛んでいるようにしか見えず、ああだからペンギンは鳥類なのかと妙に納得感を覚えました。
また今年は申年ということもあってサルの展示コーナーが充実していて特別説明パネルなども設けられていました。面白かったこととしてはニホンザル(中国語では「紅面猿」)が隣の檻にいる別の猿と格子越しに口喧嘩しているのを見た中国人客が、「日本の猿と中国の猿が喧嘩してるよ」と笑ってみていましたが、まぁ確かに笑えるワンシーンです。
ちなみに名古屋に左遷されたうちの親父は以前に上海動物園へ行った後、「日本の猿が檻に入れられているのを見て助けてあげたくなった……」などと妙な同胞意識を持ち帰ってきたことがあります。
他にはパンダ見たり虎見たり、モウコノウマという中国の動物園にしかいない動物見たりとかして過ごしましたが、軽食コーナーを歩いていると何故か猫がおり、口でチチチと鳴らして呼んで右手を差し出したところ、「ミニャーン」と鳴いて近寄ってきましたが、私が何も持っていないのを見るや右前脚で「バシッ」と手を払い、プイッとしてそのまま去っていきました。
(見え辛いですが後ろにも二匹がじゃれ合ってます)
その後、野牛が放されている柵で囲まれたコーナーを見ていたら何故かその一角に子猫三匹がおり、しばらくしたら先程邂逅した成猫もやってきて、どうやら親子のようでした。動物園の中とは言え、野良猫はみんなたくましく生きているんだなと感じ入りつつ、気候が変わってきたせいか頭痛を覚えながらふらふらして帰りました。
……気候というより、昨日寝過ぎたせいかもしれないけど。
2016年6月9日木曜日
猛将列伝~ゲオルギー・ジューコフ
ゲオルギー・ジューコフという名前を聞いてどんな人物か即座に反応できる人はほぼ皆無かと思われます。実際にこのところ頻出のやけにツッコミの厳しい私の後輩にこの前尋ねてみたところ、
「ゲオルギー・ジューコフって知ってる? (´・ω・)」
「知りませんけど、なんか強そうな名前っすねヽ(・∀・ )ノ」
という素直な回答が返って来ました。実際に強かった人だから名前だけの印象も馬鹿にならないものです。
では一体ジューコフはどんな人かと言うと、二次大戦におけるソ連軍元帥で、実質的にナチスドイツを粉砕した軍事指揮官です。
・ゲオルギー・ジューコフ(Wikipedia)
「ゲオルギー・ジューコフって知ってる? (´・ω・)」
「知りませんけど、なんか強そうな名前っすねヽ(・∀・ )ノ」
という素直な回答が返って来ました。実際に強かった人だから名前だけの印象も馬鹿にならないものです。
では一体ジューコフはどんな人かと言うと、二次大戦におけるソ連軍元帥で、実質的にナチスドイツを粉砕した軍事指揮官です。
・ゲオルギー・ジューコフ(Wikipedia)
ジューコフは1896年に帝政ロシアのモスクワ近郊に生まれますが、生家は貧しく十分な教育も受けられないままモスクワで労働者となります。しかし19歳の頃、第一次大戦で徴兵されたところ一兵士として勇敢な活躍が認められ下士官となり、続くロシア革命で共産党率いる赤軍に加入するや軍功を重ね、昇進を重ねて軍団長の地位にまで上ります。この出世の背景には貧困階層出身という彼の経歴も影響したと言われていますが、階級を否定する共産党内で階層がきっかけに昇進するというのもつくづくな気がします。
その後、時代はレーニンからスターリンの時代へと移り、1930年代後半にはソ連内で軍属の大粛清が起こったもののジューコフはこの禍に巻き込まれず、極東地域の司令官に就任します。そこでは、彼の転機となるハルハ河が待っていました。
個人的にこの「ハルハ河」という音が好きなのでよく多用するのですが、歴史に詳しい人であればこの言葉の意味するところをすぐに思い浮かべられることでしょう。このハルハ河というのは長いれ式上で中国とモンゴルの国境線に使われた河のことで、この境界線を巡り1939年に勃発したのが俗にいうノモンハン事件、日本とソ連が干戈を交えた戦争です。
<ノモンハン事件>
満州国を設立した日本とソ連の間ではかねてよりこのハルハ河周辺の国境線をめぐり小規模な紛争が起こっておりましたが、両者ともに強い一撃で以って国境線を有利に画定させたいという意図の下、正式な宣戦布告なしに小競り合いから大規模な戦争へと発展したのがこのノモンハン事件です。この戦闘で日本の関東軍はかつての満州事変の勢いよろしく、拡大を望まない軍中央部の意向を無視してぐいぐいと進軍していき序盤はソ連軍を圧倒してハルハ河の対岸にまで追い込みますが、そこからのジューコフ指揮による反撃は文字通り戦況をひっくり返すようなものでした。
かねてからジューコフは軍隊の機械化、簡単に言えばこれまで歩兵が中心となってトラックや戦車を随行させるという形態から、戦車やトラックに歩兵を随行させるというような、兵士から兵器を中心とした軍隊改革を主張していました。ただノモンハン事件勃発当初においてこうした機械化部隊はまだ実現してはいなかったものの、序盤の日本軍の攻勢を受けたジューコフはひたすら防戦に徹する一方、反撃に必要な兵士や資材を次々と戦場に送り込んで準備するとともに兵站線の拡充に努め反撃の機会を待ちます。
勘のいい人ならわかるかもしれませんが、こうしたジューコフの戦略は後に二次大戦初期にナチスドイツが実行した「電撃戦」における軍隊思想そのものです。機械化により軍の攻撃力、進軍速度をかつてないほど高めた上で、進軍を支えるための補給の拡充に努めるというプランをドイツに先んじて部分的にジューコフは行っていました。後のポーランド進撃でこの機械化部隊の有用性は証明されることとなりますが、目の前で見ていたこれを見ていた日本軍はどうやら何も学ばなかったようです。
話しはノモンハンに戻りますが、反撃に必要な軍備と兵員を揃えたと判断したジューコフは一気に反転攻勢へ出て、まずは左右から一気に進軍すると残った中央を覆い込むかのように包囲して日本軍を撃滅することに成功します。これにより日本側は一個師団が確か壊滅した上に大幅な後退を強いられ、国境線交渉においてほぼソ連側の言い分を飲まざるを得なくなりました。
このハルハ河の一戦を以ってもジューコフは名将と呼ぶに十分ですが、彼がその名を真に歴史へ刻み込んだの二次大戦における独ソ戦の、スターリングラード包囲戦でしょう。
<スターリングラード包囲戦>
独ソ戦序盤、ナチスドイツが好調に進軍してくる中でレニングラードの防衛司令官だったジューコフはこの地でドイツ軍の進撃をついに止め、続くモスクワ防衛戦にも部隊を派遣してこの首都の防衛にも成功して戦争を膠着状態へ持ち込みます。
続いてジューコフが任されたのはスターリングラードを巡る戦いでした。こちらも歴史に詳しい方ならわかるでしょうが二次大戦における最大の戦闘で、「小屋一個を奪い合った」とまで称されるほどの熾烈な戦場で、欧州における二次大戦の分水嶺となったと言っても過言ではない戦いです。
スターリングラードでは同じ都市の中でドイツ軍、ソ連軍が互いに入り込み双方で都市の完全占領を目指して戦い合う中、その周辺にも双方の大部隊が山脈の様に累々と対峙し合う状態でした。こうした状況でジューコフが採用した戦術というのはかつてノモンハンと同じく、といっても規模は半端なくこちらが大きいのですが、都市丸ごとの包囲を狙う「ウラヌス作戦」でした。
この作戦の外相はスターリングラードを挟んで西側に陣取ったまま戦線が伸びきっていたドイツ軍に対し、比較的戦力の手薄なドイツの同盟軍であるルーマニア軍のいる南側から打ち崩し、そのまま北上することでスターリングラードを丸ごと包囲するという作戦で、この作戦においてもジューコフは何度も延期に延期を重ね準備を整えると、一気呵成に進軍してのけて反撃するドイツ軍を跳ね返しながら東西40km、南北50kmのエリアに20万人以上のドイツ軍、ルーマニア軍を閉じ込めることに成功します。ドイツ軍も最初は閉じ込められた部隊に空輸で補給を行いましたがとてもじゃありませんが間に合わず、最終的に閉じ込められた部隊はなすすべもなく降伏します。もっとも、降伏して捕虜となり、生きて帰って来れたのは一割もいなかったそうですが。
その後、ジューコフは元帥に昇進して独ソ戦を指揮し続け、最終的にベルリンでドイツ側から降伏文書を受け取り占領軍最高司令官にも就任しています。戦後はその活躍ぶりからぶっちぎりの人気でスターリンからも警戒されますが、暗殺されることなく軍歴を継続し、スターリンの死後は彼の懐刀で秘密警察長官のベリヤを逮捕、処刑するなどソ連の安定化に努め、1974年に天寿を全うしています。
ジューコフの戦争指揮は早くから機械化部隊の構想を持つという先進性もさることながら、「必要な兵力、必要な装備を整え必要な時期に叩く」という原則を徹底している点にあります。相手側の兵力などをきちんと分析した上で自分に必要な軍備はどの程度か、こうした点をきちんと把握して確実に勝てるという体勢になってから始めて本格的に戦うという、どちらかといえば慎重な戦法を取る人物だと見ています。
ただ彼の場合、自軍と敵軍の比較に当たって全く情け容赦がないというか、自軍の犠牲を全く恐れずに決断を下すという点がほかの指揮官と大きく違います。彼自身の回想録でも日本軍やドイツ軍と比べてソ連軍兵士の質は一段と劣るということは把握しており、敵兵一人を殺すのにソ連兵は二、三人、下手すれば五人くらい必要だという計算でもって出撃させ、案の定、勝つには勝つものの戦死傷者数では実はどの戦いでもソ連軍の方が多かったりします。
ノモンハン事件についても近年明らかになった資料によると戦死傷者で言えばソ連軍の方が日本軍より多く、また独ソ戦においてはソ連軍の死者はドイツ軍の約五倍という、一見するとどっちが勝利したのかわからないくらい戦死しています。
ただ、それでもどちらの戦いでも勝ったのはソ連です。戦死傷者数の多寡は勝利には関係なく、戦略的な勝利目標をどちらが達成したのかといえばこちらも間違いなくソ連です。そういう意味でジューコフはソ連が圧倒的に物量で優れているということを把握した上で、その物量を惜しみなく使って戦略目標の達成を愚直に追いかけたと言えるでしょう。
これと真逆なのは言ってて恥ずかしいですが日本軍で、相手兵力の分析もしっかりしていないばかりか戦略的にほぼ無意味と思える島の占領をした挙句、守る必要もないのに必死で防戦を続けて兵力をガリガリ削った上、後になって追加の防衛兵力を小出しで投入し、後半に至っては輸送する途中で船ごと撃破されたりと、何がしたくて戦争しているんだと素人ですら疑問に思う戦い方をしています。
もっとも、戦争には強いですがジューコフ将軍の下で戦いたいかとなるとこれまた頭の悩ませどころです。聞いたところによると1920~1922年生まれのソ連男性の戦後直後における生存率は3%を切っていた(ほぼ全員が勲章持ち)そうですし、実際敵より味方の方を多く殺している将軍だしなぁ。
違法ではないのに舛添は何故問題なのか
・舛添叩いてる奴ら何なの?www(アルファルファモザイク)
時間がないのでちゃっちゃと書きますが上のまとめ記事で一番最初に書かれている、「法律に触れてるわけじゃないから叩く要素皆無でしょ」というやや中二病が入っているような意見について他の人があれこれ反論を呈しているのですが、私から見ていて少々生温いというか鋭さに欠ける意見しかないように見えるため、舛添都知事問題についてこれまで何も語ってこなかったこともあるし一つ私なりの反論意見をここで紹介します。
まず、「違法ではないから問題ではない」という根本的な問いについて一言で回答するなら、「一般市民なら」と私なら言うでしょう。この回答は根源的な倫理問題(何を逸脱と定義するかや、認知されなければ犯罪とはならない等)に触れないこと前提ですがこれはここで議論すること自体馬鹿馬鹿しいことでもし仮に言い出す人がいたら前提と討論内容も区別して理解できない輩なのでそこで見切っても十分でしょう。
話は戻しますが先ほども述べた通り一般市民であれば法律に触れなければよほどのことがない限り問題ではありませんが、今回の騒動の大きな論点は「都知事」である舛添都知事がいろいろやらかしているという点です。先程の掲示板ではこの点を誰も指摘出来ていないのが私にとって非常に不満でした。
政治学的な論点で話を進めると、地方自治体の長である都知事という役職は行政職としては非常に権限が強く、また日本の自治体情勢上、実質的に立法職も兼ね備えている役職です。これが何を意味するかというと、都知事を含め政治家というのはある程度自分で法律を変えることができる地位であるということです。極端なことを言えば自分にとって不都合な条例や規定を排除することも出来てしまい、今回の例だと出張規定などを変えれば外遊渡航費などの上限を取っ払うことも不可能ではないでしょう。また逆に自分にとって都合のいい法律を作ることもでき、実際に小沢一郎は国家から金を懐へ入れられるように政党助成金制度を作って悪用し、舛添都知事も今回同じように悪用したわけです。
そのように法律を変えられる政治家に対し、「法律に触れていないから問題ない」と言うことに何の価値があるのか、変則的に言い返すならば法律の制定、運用過程を理解しているのかと聞き返すのもありでしょう。
上記の意見を踏まえた上で今度は法学的な論点に変えて話を進めると、政治家と言うのは法律を変えることができる地位であることから、一般市民に比べより強い倫理性が求められるものだと私は考えます。というのも倫理観の低い人間であれば自分に都合の良い法律を作ったり排除したりする可能性が高く、仮にそうなれば社会全体として不利益しか生まれません。また「法律に触れていないから」と言って好き勝手やる政治家を見て、果たして一般市民は法律を守ろうと思うでしょうか。
「信なくば立たず」という言葉があるように、法律というのは誰もが守るから効力を発揮しますが上の人間が守ろうとせず市民から信頼が得られなければ、結局誰もが法律を守らなくなっていきます。だからこそ政治家と言うのは厳格に法を守る立場なり姿を見せる必要があり、法律に書かれてなくてもより倫理的な行動を取らなければ上にも書いたようにコミュニティが上手くいかなくなっていく可能性があるだけに、政治家と言うのは法律に書かれていなくても倫理性が求められるわけです。
もっとも、綺麗ごとだけで世の中渡りあって行けるわけではないことは私も重々承知で、多少なりとも法律に違反するようなお金の使い方も政治の世界には求められます。一例を挙げると高杉晋作なんか藩のお金を勝手にちょろまかして軍艦とか買ってたりしましたが、彼がそうやって長州藩の軍備を整えていなければ明治維新は起こらなかったかもしれません。また外交の世界でも、賄賂と言うのはどこでも違法ですがどこでも飛び交う物でもあります。
こうした法律に反するお金の使い方の是否かは実に簡単に区別することができ、即ちそれが国益のために使われたのか否かです。国益を思って使われたとしても許されない使い道ももちろんありますが、法律に反したお金の使い道で見ていて納得できるか否か、許すか許さないかのラインはこの国益に叶うか否かに尽きるでしょう。
今回の舛添都知事の例の場合、仮に大金を貪ったとしてもそれが純粋に国益に叶うものであれば恐らくは大きく問題視されなかったでしょう。しかし報道でもせこいと書かれているほど舛添都知事の場合はスイートルーム借りたり、ファーストクラス乗ったり、家族旅行を会議と言いはったりと全て私利私欲に基づいた支出しかなく、されに彼の場合はこうした誰がどう見てもおかしいと思う支出を「国(都)益のための支出」だと主張するからなおさらムカつくんでしょう。っていうか最初の段階で変に強弁張らず、「もうしません。反省してます」と言っておけばここまで大事にならなかったような。
以上の意見をまとめると、法律に触れていなくても問題であると判断する私の主張は以下の三点に集約されます。
・舛添都知事は法律を変えることのできる政治家である
・政治家は法律の条文以上に倫理が求められる
・問題とされる支出は国益につながらない。むしろ下手すりゃ資本流出
まぁそもそもの話、法律に触れてないとか言いますが政治資金規正法では政治活動目的以外の支出がある時点で違法なんですがね。更に領収書の書き換えもやっていることから会計報告上でも明確に違反なんで、「法律に触れていない」という前提自体が間違っているっていうのが私の立場です。
時間がないのでちゃっちゃと書きますが上のまとめ記事で一番最初に書かれている、「法律に触れてるわけじゃないから叩く要素皆無でしょ」というやや中二病が入っているような意見について他の人があれこれ反論を呈しているのですが、私から見ていて少々生温いというか鋭さに欠ける意見しかないように見えるため、舛添都知事問題についてこれまで何も語ってこなかったこともあるし一つ私なりの反論意見をここで紹介します。
まず、「違法ではないから問題ではない」という根本的な問いについて一言で回答するなら、「一般市民なら」と私なら言うでしょう。この回答は根源的な倫理問題(何を逸脱と定義するかや、認知されなければ犯罪とはならない等)に触れないこと前提ですがこれはここで議論すること自体馬鹿馬鹿しいことでもし仮に言い出す人がいたら前提と討論内容も区別して理解できない輩なのでそこで見切っても十分でしょう。
話は戻しますが先ほども述べた通り一般市民であれば法律に触れなければよほどのことがない限り問題ではありませんが、今回の騒動の大きな論点は「都知事」である舛添都知事がいろいろやらかしているという点です。先程の掲示板ではこの点を誰も指摘出来ていないのが私にとって非常に不満でした。
政治学的な論点で話を進めると、地方自治体の長である都知事という役職は行政職としては非常に権限が強く、また日本の自治体情勢上、実質的に立法職も兼ね備えている役職です。これが何を意味するかというと、都知事を含め政治家というのはある程度自分で法律を変えることができる地位であるということです。極端なことを言えば自分にとって不都合な条例や規定を排除することも出来てしまい、今回の例だと出張規定などを変えれば外遊渡航費などの上限を取っ払うことも不可能ではないでしょう。また逆に自分にとって都合のいい法律を作ることもでき、実際に小沢一郎は国家から金を懐へ入れられるように政党助成金制度を作って悪用し、舛添都知事も今回同じように悪用したわけです。
そのように法律を変えられる政治家に対し、「法律に触れていないから問題ない」と言うことに何の価値があるのか、変則的に言い返すならば法律の制定、運用過程を理解しているのかと聞き返すのもありでしょう。
上記の意見を踏まえた上で今度は法学的な論点に変えて話を進めると、政治家と言うのは法律を変えることができる地位であることから、一般市民に比べより強い倫理性が求められるものだと私は考えます。というのも倫理観の低い人間であれば自分に都合の良い法律を作ったり排除したりする可能性が高く、仮にそうなれば社会全体として不利益しか生まれません。また「法律に触れていないから」と言って好き勝手やる政治家を見て、果たして一般市民は法律を守ろうと思うでしょうか。
「信なくば立たず」という言葉があるように、法律というのは誰もが守るから効力を発揮しますが上の人間が守ろうとせず市民から信頼が得られなければ、結局誰もが法律を守らなくなっていきます。だからこそ政治家と言うのは厳格に法を守る立場なり姿を見せる必要があり、法律に書かれてなくてもより倫理的な行動を取らなければ上にも書いたようにコミュニティが上手くいかなくなっていく可能性があるだけに、政治家と言うのは法律に書かれていなくても倫理性が求められるわけです。
もっとも、綺麗ごとだけで世の中渡りあって行けるわけではないことは私も重々承知で、多少なりとも法律に違反するようなお金の使い方も政治の世界には求められます。一例を挙げると高杉晋作なんか藩のお金を勝手にちょろまかして軍艦とか買ってたりしましたが、彼がそうやって長州藩の軍備を整えていなければ明治維新は起こらなかったかもしれません。また外交の世界でも、賄賂と言うのはどこでも違法ですがどこでも飛び交う物でもあります。
こうした法律に反するお金の使い方の是否かは実に簡単に区別することができ、即ちそれが国益のために使われたのか否かです。国益を思って使われたとしても許されない使い道ももちろんありますが、法律に反したお金の使い道で見ていて納得できるか否か、許すか許さないかのラインはこの国益に叶うか否かに尽きるでしょう。
今回の舛添都知事の例の場合、仮に大金を貪ったとしてもそれが純粋に国益に叶うものであれば恐らくは大きく問題視されなかったでしょう。しかし報道でもせこいと書かれているほど舛添都知事の場合はスイートルーム借りたり、ファーストクラス乗ったり、家族旅行を会議と言いはったりと全て私利私欲に基づいた支出しかなく、されに彼の場合はこうした誰がどう見てもおかしいと思う支出を「国(都)益のための支出」だと主張するからなおさらムカつくんでしょう。っていうか最初の段階で変に強弁張らず、「もうしません。反省してます」と言っておけばここまで大事にならなかったような。
以上の意見をまとめると、法律に触れていなくても問題であると判断する私の主張は以下の三点に集約されます。
・舛添都知事は法律を変えることのできる政治家である
・政治家は法律の条文以上に倫理が求められる
・問題とされる支出は国益につながらない。むしろ下手すりゃ資本流出
まぁそもそもの話、法律に触れてないとか言いますが政治資金規正法では政治活動目的以外の支出がある時点で違法なんですがね。更に領収書の書き換えもやっていることから会計報告上でも明確に違反なんで、「法律に触れていない」という前提自体が間違っているっていうのが私の立場です。
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