真面目な記事書いてもいいのだけれどこのところ企業居点の大型アップデート作業に忙しいのでまた緩めの記事書いて気分転換にします。もっとも、固い記事であろうとも政治系の話題ならそれはそれで気分転換になるのですが。
さて本題に移りますが、スパイクチュンソフトから発売されているゲームに「ダンガンロンパ」というシリーズがあり、非常に高い人気を得ています。このゲームはどういう物か一言でいえばアドベンチャーゲームで、カプコンから発売された「逆転裁判」という裁判討論をテーマにした同じアドベンチャーゲームが間違いなくベースとなっています。
具体的なあらすじを述べると、1と2ともに十数人の高校生がそれぞれ閉ざされた学校と孤島に監禁された上で、ドラえもんの声優でおなじみの大山のぶ代氏が演じる「モノクマ」という動くぬいぐるみに、「ここから出ることは許さない。どうしても出たければ誰か一人を殺せば出してやる」と通告されるところからスタートします。ゲーム内では実際に殺人事件が起こるのですが、事件後に現場の検証や聞き取りを済ませた後で学級裁判が開かれ、残った生存者の中にいる犯人は誰なのかを生存者同士で話し合い、突き止めるというのがゲームの流れです。
なお犯人は殺人を済ませただけで解放されるわけではなく、その後の学級裁判で「シロ」認定される必要もあります。犯人が「シロ」認定されれば犯人は晴れて解放され、別の人間を「クロ」と認定してしまった残りの生存者は処刑というか殺される羽目となります。逆に真犯人が「クロ」と認定されれば、真犯人のみが「おしおき」と呼ばれる処刑がなされる羽目となります。
これだけ書くとさも陰惨な話に見えますが集められた高校生は皆、「超高校級の○○」という肩書を持つエリート達でどれも個性が強く、また演出が非常にPOPな感じで仕上げられているのでプレイ中には残酷性に関してそれほど強い嫌悪感を覚えないほどよく練られて作られています。一方で各キャラクターが殺されて死体となって出てきた際には上記に述べた通りに誰もが個性が強かっただけにそれなりの喪失感が感じられ、それとともに仲間たちの中に犯人がいて互いに疑心暗鬼とならざるを得ないシナリオは絶妙といっていいでしょう。
そしてゲームの本番でもある学級裁判も、ほかの参加者の発言の中から矛盾点を指摘したり、事前にかき集めた証拠を突き合わせたりなどしてそこそこ考えながら取り組める内容で、その裁判の過程で新証言が出てくることによって徐々に真相が明らかとなっていくため「自分が事件を解いている」というカタルシスが強く得られます。実際、どの事件でも裁判前に犯人に目星がつくことはこのゲームではほぼなく、裁判過程で「あれ、もしかしてこいつが犯人なのか?」と段々わかってくるようになっています。
私はこのゲームを今年にPSVitaで1と2がセットになったソフトをダウンロードして購入して遊んだのですが、やっている間はとにもかくにも先が気になってしょうがなく長時間、時間を忘れてプレイしました。特に1に関しては、「今までやらずにいて勿体ない」と後悔するくらいの出来で、このシリーズが高い人気を得ているということも非常に納得がいきました。
一方、2に関しても述べると、楽しいっちゃ楽しいですが1と比べると私の評価はガクッと落ちました。1が100点だとすると2は60点、下手すりゃそれ以下くらいといったところで、シナリオ面でやはり1の焼き直しによる二番煎じ感が強く、ネタバレを読まずともなんとなくシナリオの背景というか各キャラクターたちの過去とかが読み取れてしまって真相が明らかとなる終盤のドッキリ感が弱かったです。
またもう少しケチをつけると、2に関しては学級裁判のシーンがとにかくだるくてつまらなかったです。1に関しては難易度も抑えられていることもあってちゃんと論理的に考えればきちんと正解にたどり着くようになっていると感じた一方で、2では発言の矛盾点に関する指摘や選択する証拠の正解がなんとなくカチッと結びつかず、「俺はこういいたいのに何でこいつはそう言わないんだ」というようなもどかしさと共にイライラを何度となく覚えました。正解はわかっているのにキャラクターが思い通りに動いてくれないため、場所によっては総当たり方式で臨まざるを得ませんでした。
そして演出に関しても、1と2でははっきり言って天と地の差というくらい水準に差を感じました。既に述べた通りに「クロ」と認定された犯人は「おしおき」という名の処刑が課せられそのシーンはムービーで流れるのですが、このおしおきは各キャラクターの個性に合わせて用意されており非常に毒が強いというかブラックユーモアがふんだんに盛り込まれてあり、残酷といえば残酷なのですがそれでいて思わず見入ってしまうようなコミカルさを兼ね備えてあってプレイ後も何度も見返してしまうような出来でした。1に関しては。
2のおしおきムービーなのですが、ネットで見ていると私同様の感想を持つ人も多いようで、はっきり言って何も笑えない内容でしかありませんでした。何もユーモアが感じられないし無駄に長いし何が実際に起こったのか見ていてよくわからない内容で、本当にこれ同じ人が作ったのかと本気で疑うくらいレベルが低くて一つの映像としてみても文句なしに駄作といえるようなものがずらりと並んでいます。唯一、2の最後のおしおきムービーだけは「ほう」ってな感じで唸らされるものでしたが、ネット上の噂によるとこの最後のムービーだけが1のスタッフが作ったもので他のムービーはは別人が作ったとのことで、出来を比較する限りきっとその通りだろうと思うくらい差がありました。
こういうシリーズ物は初代の出来が良すぎて二作目以降は悪くない出来であっても批判されるということがよくありますが、このダンガンロンパシリーズに関して言えば、1が非常に高い出来でその壁を乗り越えるのは確かに難しいということは理解できても、2については一つのアドベンチャーゲームとしてみてもちょっとお粗末な出来だったのではないだろうかという風に私は見ています。登場するキャラクターも1と比べると明らかに魅力が落ちるし、主人公の性格も1は見ていて応援したくなりましたが2の方ははっきりしない性格のキャラのため最後まで好きになれませんでした。
ついでに書くと声優に関しては、1に出ている椎名へきる氏はかつてはアイドル声優として名を馳せたものの、ブランクの大きさが祟って棒読みが目立ち他の実力は声優らに囲まれたこともあって明らかに浮いています。2は私が贔屓にしている小清水亜美氏がやっぱりすごいなと感じたのと、花澤香奈氏が多忙のため一人だけで収録に望み、収録を終えた後はまた別の収録に向かったというエピソードが強烈でした。っていうかこの人よく過労死しなかったな。
最後に、真相のネタバレになりかねないのでぼやかして書きますが、ダンガンロンパの1も2も「実は○○だった」という真相はどちらも共通しています。この真相ですが、スケールこそ違うものの同じくスパイクチュンソフトから1と同時期に発売された「極限脱出ADV善人シボウデス」とも完全に一致しています。偶然といえば偶然かもしれませんし双方で独立したシナリオが展開されているのだから厳しくツッコむ必要はもちろんないと思いますが、なんというかこの頃はこういうディストピアオチが流行っていたのだろうかとそういう流行の点で気になる所があります。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年10月3日月曜日
2016年10月2日日曜日
政治家の海外出張が多い背景
昨夜、大学の先輩らを前に私が政治の話題だったら三食忘れてずっとやり続けると話したところ興味を持たれたのか政治関連で多くの質問を受けました。受けた質問は指摘箇所も鋭ければ具体的で、やっぱ海外にいる人間は日本国内の政治に対しても適度な距離を置いた視点を持つのだなと感じさせられました。
そこで受けた質問の中で一つ、「最近の政治家の愛人関係というのはどうなっている?」という者があり、それについて以下の様に私は答えました。
結論から言えば、かつてと比べると現在はすっかり大人しくなっています。昭和の頃なんて本妻以外の愛人を持っていない政治家を探す方が難しいし持っていること自体も別に咎められるような時代でもありませんでしたが、平成に入ってからは日本人の倫理観も段々と厳しくなっていったこともあって政治かとあってもおいそれと愛人を持つことが難しくなっていきました。
またそれと並行してこれは以前に読んだ政治批評に書かれていた内容ですが、愛人となる女性の側もかつてと比べて政治家に対する忠誠心が薄れており、事と次第というかギャラ次第であっさりと政治かを裏切って関係を暴露するようになってきたことも大きく影響してます。具体例を挙げると最近本を出版して割と景気良さそうが元YKKこと山崎拓氏で、彼なんか週間誌に愛人関係が暴露されたため事実無根だとする裁判を起こしたところ、週間誌出版社側から愛人宅に預けられていたパンツを証拠として愛人により裁判所に提出され、司法すらも愛人関係を認めるという壮大な茶番を演じることとなりました。
また首相に関して述べると、政治部記者によって毎日事細かなスケジュールをチェックされて「首相動静」として報じられるため、愛人といちゃつく時間すら持てないし持ったところですぐ明るみに出てしまいます。なお首相動静についてもう少し述べると、一分単位で何をしたか不明瞭な時間があると各社の政治部記者によって一体何をしていたのかとしつこく食い下がれるとのことです。
一例として、かつて佐野眞一氏が小渕恵三に総理独占インタビューを申し込んだところ、単独で受けると政治部記者かた嫉妬を受けて佐野氏が嫌がらせを受けるだろうと懸念されたそうです。そこで小渕は佐野氏に対し、「官邸の裏のトイレの窓から侵入してくれ」とメタルギアソリッドみたいな潜入を支持した上で官邸内でインタビューを受けたそうです。インタビュー後もまた佐野氏はトイレの窓から脱出し、小渕は小渕で政治部記者から空白の時間に誰と会っていたのかと問われて、「人間と会っていた」とごまかしたことが翌日の首相動静に書かれていたことを佐野氏本人が感慨深げに話したのを聞いています。
話は戻りますが以上の様に記者が張り付いていることもあって総理が愛人といちゃつくなんて今の時代では非常に難しいことです。もっとも、愛に殉じた宇野宗佑みたいな総理も至っちゃいましたが、国内で愛人関係を持つことは至難の業だと昨夜私は述べました。
するとそこで、「なら海外は?」という質問が飛んできました。そしてそれに対する私の答えは、「国内より、明らかに緩くなる」というものでした。
海外出張に出かければ政治部記者ももちろんついてくるものの、日本と違ってセキュリティの問題から総理に近づくことは難しく、宿泊先のホテルにおいてもSPががっちり警備に就くため人の出入りすらホテル前でチェックするよりほかなくなります。それこそ「政府関係者」とか「訪問団関係者」などと名乗られてSPに通されれば、ホテル内で自由に愛人といちゃつくこともできるでしょう。
現役の阿部総理については、割とこの人は奥さん一筋な感じがする人なのであまり愛人はいないと思うため週間誌とかに「真夜中のアベノミクス」などという見出しが書かれることはないとは思いますが、それ以外の大臣や国会議員クラスとなると海外出張というのは愛人といちゃつく絶好の機会なのではないかと話をしていて私も思いました。
そこで議論が盛り上がってきて次に出てきたのが、「そういえば、政治家って海外出張好きだよね?」という意見でした。舛添前都知事を筆頭に地方議員なども大した理由もなく政治活動費を使ってしょっちゅう海外出張や視察に出向くことが問題になるケースがこのところ多いですが、これってもしかして愛人遊びが目的なのではとなんか思えてきました。やや下品な言い方ですが「女体大満足」とも揶揄された乙武洋匡氏も出張にかこつけてスタッフとする愛人と遊びまわっていたとされ、彼に限らず出張に出向こうとする人間は多かれ少なかれこの類なのかもしれません。
こうした考えから導き出される答えは一つで、海外出張を頻繁に行う人間に対しては女性関係を洗うのが案外的確かつ効果があるなかなという知見です。まぁそれ言ったら海外駐在員の実態の方がニュース価値あるのかもしれませんけど。
そこで受けた質問の中で一つ、「最近の政治家の愛人関係というのはどうなっている?」という者があり、それについて以下の様に私は答えました。
結論から言えば、かつてと比べると現在はすっかり大人しくなっています。昭和の頃なんて本妻以外の愛人を持っていない政治家を探す方が難しいし持っていること自体も別に咎められるような時代でもありませんでしたが、平成に入ってからは日本人の倫理観も段々と厳しくなっていったこともあって政治かとあってもおいそれと愛人を持つことが難しくなっていきました。
またそれと並行してこれは以前に読んだ政治批評に書かれていた内容ですが、愛人となる女性の側もかつてと比べて政治家に対する忠誠心が薄れており、事と次第というかギャラ次第であっさりと政治かを裏切って関係を暴露するようになってきたことも大きく影響してます。具体例を挙げると最近本を出版して割と景気良さそうが元YKKこと山崎拓氏で、彼なんか週間誌に愛人関係が暴露されたため事実無根だとする裁判を起こしたところ、週間誌出版社側から愛人宅に預けられていたパンツを証拠として愛人により裁判所に提出され、司法すらも愛人関係を認めるという壮大な茶番を演じることとなりました。
また首相に関して述べると、政治部記者によって毎日事細かなスケジュールをチェックされて「首相動静」として報じられるため、愛人といちゃつく時間すら持てないし持ったところですぐ明るみに出てしまいます。なお首相動静についてもう少し述べると、一分単位で何をしたか不明瞭な時間があると各社の政治部記者によって一体何をしていたのかとしつこく食い下がれるとのことです。
一例として、かつて佐野眞一氏が小渕恵三に総理独占インタビューを申し込んだところ、単独で受けると政治部記者かた嫉妬を受けて佐野氏が嫌がらせを受けるだろうと懸念されたそうです。そこで小渕は佐野氏に対し、「官邸の裏のトイレの窓から侵入してくれ」とメタルギアソリッドみたいな潜入を支持した上で官邸内でインタビューを受けたそうです。インタビュー後もまた佐野氏はトイレの窓から脱出し、小渕は小渕で政治部記者から空白の時間に誰と会っていたのかと問われて、「人間と会っていた」とごまかしたことが翌日の首相動静に書かれていたことを佐野氏本人が感慨深げに話したのを聞いています。
話は戻りますが以上の様に記者が張り付いていることもあって総理が愛人といちゃつくなんて今の時代では非常に難しいことです。もっとも、愛に殉じた宇野宗佑みたいな総理も至っちゃいましたが、国内で愛人関係を持つことは至難の業だと昨夜私は述べました。
するとそこで、「なら海外は?」という質問が飛んできました。そしてそれに対する私の答えは、「国内より、明らかに緩くなる」というものでした。
海外出張に出かければ政治部記者ももちろんついてくるものの、日本と違ってセキュリティの問題から総理に近づくことは難しく、宿泊先のホテルにおいてもSPががっちり警備に就くため人の出入りすらホテル前でチェックするよりほかなくなります。それこそ「政府関係者」とか「訪問団関係者」などと名乗られてSPに通されれば、ホテル内で自由に愛人といちゃつくこともできるでしょう。
現役の阿部総理については、割とこの人は奥さん一筋な感じがする人なのであまり愛人はいないと思うため週間誌とかに「真夜中のアベノミクス」などという見出しが書かれることはないとは思いますが、それ以外の大臣や国会議員クラスとなると海外出張というのは愛人といちゃつく絶好の機会なのではないかと話をしていて私も思いました。
そこで議論が盛り上がってきて次に出てきたのが、「そういえば、政治家って海外出張好きだよね?」という意見でした。舛添前都知事を筆頭に地方議員なども大した理由もなく政治活動費を使ってしょっちゅう海外出張や視察に出向くことが問題になるケースがこのところ多いですが、これってもしかして愛人遊びが目的なのではとなんか思えてきました。やや下品な言い方ですが「女体大満足」とも揶揄された乙武洋匡氏も出張にかこつけてスタッフとする愛人と遊びまわっていたとされ、彼に限らず出張に出向こうとする人間は多かれ少なかれこの類なのかもしれません。
こうした考えから導き出される答えは一つで、海外出張を頻繁に行う人間に対しては女性関係を洗うのが案外的確かつ効果があるなかなという知見です。まぁそれ言ったら海外駐在員の実態の方がニュース価値あるのかもしれませんけど。
2016年9月30日金曜日
中国におけるプレイステーション系ゲームのダウンロード
なんとなく上の写真みたくテンションが低いので昨日確かめた話についてささっと書くことにします。
ゲームをあまりやらない方にはピンと来ないかもしれませんが、現在のゲーム市場はゲームソフトを店頭で買うだけでなく、ネット上で購入してデータだけダウンロードする形でも購入できます。私などはまさにこうしたダウンロード購入がメインなのですが、ソニーのプレイステーション系列のゲームソフトを買う場合はPSN(プレイステーションネットワーク)というサイトに所有しているゲームハード(PS4、PS3、PSVita、PSP)からアクセスして、そこで登録したIDから購入するゲームを選んで購入し、そのまま所有するハードにデータをダウンロードするという形になります。
なお購入したゲームはデータを削除しても時間がかかりますが何度でも再ダウンロードできるため、ゲームソフトを紛失したり、借りパクされて二度と遊べなくなるという事態は原則起こりません。まぁ一部のソフトで配信が停止してしまうってのは過去に何度かありましたが。
上記のダウンロード購入は日本であれば問題なくできましたが、私が現在いる中国だと四年前に確かめた際はPSNにアクセスすることすらできず不可能でした。しかし昨年に中国でもゲーム市場が開放されてソニーもPS4を売り出したことから今ならどうかなと思って試してみたところ、四年前は確かにダメだったのに、携帯機であるPSVitaで無線接続を試してみたら問題なくアクセスできました。そのかわり、ダウンロード速度は極端に遅いけど。
続いて試したのは既に購入済みのゲームをダウンロードできるかでしたが、これに関してはかなり時間食ったものの、ダウンロード自体は問題なく行えました。そして次のステップとしてゲーム自体の新規購入&ダウンロードはどうかと昨日試してみたところ、こちらも問題なく行うことが出来ました。
しかしダウンロード速度は環境にもよるかもしれませんがやっぱり遅く、昨日購入したのは600円ちょっとで買えるので「ディノクライシス」という恐竜さんとわくわくどきどきな触れ合いが楽しめるゲームで容量は230メガくらいでしたが、何度もアクセスが中断されるわけで3時間たってもダウンロードしきれず、そのまま電源つけたまま放っておいたら翌朝にはダウンロードしきれていました。AmazonのKindleと違い、ダウンロードが中断されたとしても途中までダウンロードしたデータは残ったままダウンロードを再開できるので、時間さえかければどうにか利用できると言ったところです。
とはいえ、昨今のゲームは容量が大きく数ギガ単位も珍しくないため、仮にそういうゲームをダウンロードするとなると果たしてどんなものやらといったところです。確実なのはやはり日本でダウンロードすることですが、ゲームを買うためにわざわざ日本に戻るってのもあれ何で私みたいにまとめて買いだめしておくのがベターかもしれません。
なお真面目な話をすると、海外で生活するに当たって娯楽は非常に重要です。先日も私が前の会社を辞めたせいで代わりに中国来る羽目となった元同僚となかよく夕食をしましたが、単身赴任で海外に来ると現地の言葉も使えないために休日は家で引きこもりとなるしかなく、チューナー使って日本のテレビ番組を見たり日本人会のメンバーと会ったり、インターネットしたりといった娯楽がどれだけ重要か痛感したと話しました。何気にその元同僚がこっち来ることが決まった際に私は重ねて娯楽を持つようアドバイスをして、そうしたアドバイスが実際役に立ったと言ってもらえました。
海外駐在で精神を病むというのはそれほど珍しくはなく、実際私も目の前でそうなった人を見る羽目となりました。私ほど極端でなくても、パソコンで遊べるゲームなどは海外に持って行った方がいいというのが持論です。
2016年9月29日木曜日
創業家列伝~中島董一郎(キユーピー)
二年以上も放置してましたが最近この連載記事に興味持つ人が出てきたのと、プライベートで余裕が出てきたこともあるのでまた有名企業の意外と知られていない創業家を取り上げます。今日はなんとなくサラダ日和だと思うのでキユーピーの中島董一郎です。
・中島董一郎(Wikipedia)
<医師の家だが幼少時は貧乏>
後にキユーピーを創業する中島董一郎は愛知県西尾市に、医師をしていた父親の元で1883年に生を受けます。実家は祖父の代から続く医師の家で幼少期は裕福な生活だったものの人のいい父親が他人の借金の保証人となったことから破産し、夜逃げして名古屋市に落ちぶれてきます。中島董一郎は長男であったため家に居続けられましたが、上記のような経緯から弟や妹らは他家に養子へ出されるほど生活も困窮し、母親も中島董一郎が9歳の頃に亡くなっています。
名古屋市から東京へ移住し、長じた中島董一郎は医師である父の後を継ぐため一高を受験しましたがこれに落第し、代わりに現在の東京海洋大学にあたる水産講習所に入学します。卒業後は適当な就職口がなかったため京成電鉄で測量の仕事を行っていましたがこの際に英国人商人のW・H・ギルと知遇を得て、後の事業の飛躍のきっかけとなる出会いを果たします。
京成電鉄を一年の勤務で辞めると今度は若菜熊次郎商店という、名前からしても如何にも個人商店な感じする小さな缶詰問屋へ入りました。しかも入って三日目にして店主の命令によって北海道と樺太に市場調査へ行かされたりしています。
<海外実習生に>
中島董一郎は29歳となった1912年、農商務省が海外実習生を募集していることを学校の先輩(何気に後で東洋製罐の社長になる人)から教えてもらいこれに応募して選ばれると、当時は限られた人間しか行けなかった海外へと派遣されます。最初に派遣された英国・ロンドンでは先程のW・H・ギルの紹介でニコルス商会に入り缶詰関連の実習を受けるも、一次大戦が激しくなると避難をかねて今度は米国へと渡ります。
辿り着いたシアトルでは鮭缶工場で働きましたが、この時期に現地の日本人会で出された鮭缶に玉ねぎとマヨネーズを加えた料理を初めて食べ、「これや!」みたいな感覚を覚えたのか帰国したら必ずマヨネーズで商売すると決めたそうです。
<会社の設立、事業開始>
1916年に日本へ帰国した中島董一郎は、まだマヨネーズは日本人の口には合わないとの市場調査を受け、日本橋で「中島商店」を起こすと従来の缶詰事業からスタートさせました。何度も出てくるW・H・ギルの支援もあって短期間でぐいぐい業績を伸ばし、三菱商事からも缶詰事業を全部任されるほどまで急成長させ、1923年の関東大震災に被災するもすぐまた立ちなおす辣腕ぶりを見せます。
その震災後、日本人の生活にも西洋化の波が押し寄せたことを受けいよいよもってマヨネーズ事業に取り掛かります。名称は学校の先輩のアドバイスを受けて「キユーピー」とし、作るマヨネーズは卵黄の量を米国製の二倍にするというこだわった代物にして売り出しました。当時に売り出した価格は一瓶(128グラム)当たり50銭で、ハガキ一枚が1銭5厘だったことを考えると品質重視の高級路線で打って出たと考えられます。最初はその値段の高さとマヨネーズ自体の理解の不足からポマードに間違えられたなどというエピソードもありますが、毎日新聞に、「キユーピーマヨネーズを毎日の食膳に」という広告を打ち続けたことも甲斐あって売上げは年々伸びていきました。
マヨネーズを売り出す傍ら本業の缶詰事業も継続し、キユーピーの兄弟会社に当たる「アヲハタ」を設立してミカン缶詰、オレンジマーマレードを市場に供給し始めます。なお最初に作った中島商店はその後、「中島董商店」という名前になり現在も食品販売を手掛けており、キユーピー、アヲハタと合わせた三社で一つの連合企業となっています。何気に今知ったしこの事実。
<戦後の混乱期も品質を崩さず>
マヨネーズが普及するとともに追従する会社も続々と現れ競合品も出てきましたが中島董一郎は、「半端な物真似ヤローには負けねえ」と一顧だに介さず、事実市場でのキユーピーの優位は揺らぐことがありませんでした。この点は花王の長瀬富郎と全く同じだと言えるでしょう。
ただ第二次大戦の影響はキユーピーにもおよび、原材料の仕入れにも事欠くようになっただけでなく工場も空襲を受けて消失してしまいます。仕切り直すこととなった戦後も品質重視の姿勢は崩さず、供給量が減っても原材料はケチらない方針を維持しつつ、適切なコストカットによって他社が付け入る隙を一切見せることがなかったそうです。
なお戦後直後、あるレストランに訪れた客がシェフに今日のマヨネーズはあまりおいしくなかったと告げたところ、「申し訳ありません。経費上の問題からキユーピーのマヨネーズが買えず、米国製のマヨネーズを今日は使いました」と返事したというエピソードが伝えられており、為替格差が大きかった戦後直後でありながらキューピー製は高く、なおかつその味は米国製を上回ってたことが伺えるエピソードです。
<幾度かの危機を乗り越え>
戦後の経済成長とともに事業が安定してきた矢先、日本食品業界の雄たる味の素が1967年、マヨネーズ事業に参入すると発表します。これには中島董一郎も当時は大いに慌てていたと伝えられる一方、「俺たちの味を維持すれば負けることはない」と某国のサッカー代表みたいなセリフを言ってガチンコ対決に臨みました。
幸いにして味の素の参入は屋台骨を揺らがすほどには至らなかったものの、当時幅広く使われていた「チクロ」という人工甘味料が発癌性を持つ事がわかって使用禁止となり、これがマヨネーズに使われているという風評が立ってマヨネーズ業界にも逆風が吹きましたが、キューピー製マヨネーズには一切これが使われていないということがわかり、消費者から高い信頼を得てキユーピーに限っては追い風となるという事件に巡り合います。
病気を重ねたことから1971年に中島董一郎は経営の第一線を退きましたがその直後、仕入先の食用油メーカーが生産した食用油から毒性を持つ塩化ビフェニールが検出されるという事件に見舞われます。この会社と取引関係にあったことからキユーピーのマヨネーズも疑いの目を向けられる中で中島董一郎は、「こうなったら倒産覚悟ですべて回収するしかない」と後継者に指示し、実際に市場から一切の自社製マヨネーズを回収するという行為に及びます。
ただ回収されたマヨネーズは生産開始前の食用油に対する品質検査はすべて問題がなく、また回収したマヨネーズからもどれ一つとして件の毒性物質は出なかった上に厚生労働省による検査も「シロ」と断定されました。しかしキユーピーがこうした検査結果が出る前にも拘らず果断に商品回収に踏み切ったことが消費者からは支持されたことにより風評被害は一掃され、販売が再開された後はそれ以前と比べても暖かく消費者に迎えられたと言われています。
この風評事件がひと段落ついてしばらく、中島董一郎は1973年に満90歳で逝去します。私の寸評を述べると自身の海外体験から舶来品を事業化するというのは他の創業家にもよく見られる例ですが、このキユーピーという会社に限って言えばマヨネーズ一本を常に変わらぬ味で提供し続けるという恐ろしいまでの愚直さには敬意を覚えます。はっきり言えば競合品が出やすい商品にも拘らず戦前から現在にかけてマヨネーズの代名詞として君臨し続けるその事業ぶりには、生前から徹底して高い品質にこだわり続けた創業家の精神をきちんと宿した会社であるという風に私は考えています。
おまけ
ここだけの話、私自身はマヨネーズの味が実は苦手だったりします。高校生の頃までは普通に食べてましたが大学に入ったあたりからキャベツの千切りには「ピエトロドレッシング」一本となり、マヨネーズをつけるくらいなら何もつけずに生で野菜食べようとするくらい敬遠するようになってしまいました。なおまだマヨネーズを使っていた高校時代までも、マヨネーズ+しょうゆという組み合わせてサラダは食べており、友人の目の前でこれやったらドン引きされました。
おまけ2
学生時代、下宿で後輩に夕食を振る舞った際にピエトロドレッシングを出したら、
「先輩、これ高いドレッシングじゃないっすか!?」
「おう、これやないとわし野菜あかんねん。気にせんでええからお前もどんどん使ってええで」
「ほんまっすか、ほな使わせてもらいます!」
といって、かなりドバドバ使われました。「うまいうまい」言いながら食べる後輩の横でこの時は軽くちょっと睨んでいました。
参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行
・中島董一郎(Wikipedia)
<医師の家だが幼少時は貧乏>
後にキユーピーを創業する中島董一郎は愛知県西尾市に、医師をしていた父親の元で1883年に生を受けます。実家は祖父の代から続く医師の家で幼少期は裕福な生活だったものの人のいい父親が他人の借金の保証人となったことから破産し、夜逃げして名古屋市に落ちぶれてきます。中島董一郎は長男であったため家に居続けられましたが、上記のような経緯から弟や妹らは他家に養子へ出されるほど生活も困窮し、母親も中島董一郎が9歳の頃に亡くなっています。
名古屋市から東京へ移住し、長じた中島董一郎は医師である父の後を継ぐため一高を受験しましたがこれに落第し、代わりに現在の東京海洋大学にあたる水産講習所に入学します。卒業後は適当な就職口がなかったため京成電鉄で測量の仕事を行っていましたがこの際に英国人商人のW・H・ギルと知遇を得て、後の事業の飛躍のきっかけとなる出会いを果たします。
京成電鉄を一年の勤務で辞めると今度は若菜熊次郎商店という、名前からしても如何にも個人商店な感じする小さな缶詰問屋へ入りました。しかも入って三日目にして店主の命令によって北海道と樺太に市場調査へ行かされたりしています。
<海外実習生に>
中島董一郎は29歳となった1912年、農商務省が海外実習生を募集していることを学校の先輩(何気に後で東洋製罐の社長になる人)から教えてもらいこれに応募して選ばれると、当時は限られた人間しか行けなかった海外へと派遣されます。最初に派遣された英国・ロンドンでは先程のW・H・ギルの紹介でニコルス商会に入り缶詰関連の実習を受けるも、一次大戦が激しくなると避難をかねて今度は米国へと渡ります。
辿り着いたシアトルでは鮭缶工場で働きましたが、この時期に現地の日本人会で出された鮭缶に玉ねぎとマヨネーズを加えた料理を初めて食べ、「これや!」みたいな感覚を覚えたのか帰国したら必ずマヨネーズで商売すると決めたそうです。
<会社の設立、事業開始>
1916年に日本へ帰国した中島董一郎は、まだマヨネーズは日本人の口には合わないとの市場調査を受け、日本橋で「中島商店」を起こすと従来の缶詰事業からスタートさせました。何度も出てくるW・H・ギルの支援もあって短期間でぐいぐい業績を伸ばし、三菱商事からも缶詰事業を全部任されるほどまで急成長させ、1923年の関東大震災に被災するもすぐまた立ちなおす辣腕ぶりを見せます。
その震災後、日本人の生活にも西洋化の波が押し寄せたことを受けいよいよもってマヨネーズ事業に取り掛かります。名称は学校の先輩のアドバイスを受けて「キユーピー」とし、作るマヨネーズは卵黄の量を米国製の二倍にするというこだわった代物にして売り出しました。当時に売り出した価格は一瓶(128グラム)当たり50銭で、ハガキ一枚が1銭5厘だったことを考えると品質重視の高級路線で打って出たと考えられます。最初はその値段の高さとマヨネーズ自体の理解の不足からポマードに間違えられたなどというエピソードもありますが、毎日新聞に、「キユーピーマヨネーズを毎日の食膳に」という広告を打ち続けたことも甲斐あって売上げは年々伸びていきました。
マヨネーズを売り出す傍ら本業の缶詰事業も継続し、キユーピーの兄弟会社に当たる「アヲハタ」を設立してミカン缶詰、オレンジマーマレードを市場に供給し始めます。なお最初に作った中島商店はその後、「中島董商店」という名前になり現在も食品販売を手掛けており、キユーピー、アヲハタと合わせた三社で一つの連合企業となっています。何気に今知ったしこの事実。
<戦後の混乱期も品質を崩さず>
マヨネーズが普及するとともに追従する会社も続々と現れ競合品も出てきましたが中島董一郎は、「半端な物真似ヤローには負けねえ」と一顧だに介さず、事実市場でのキユーピーの優位は揺らぐことがありませんでした。この点は花王の長瀬富郎と全く同じだと言えるでしょう。
ただ第二次大戦の影響はキユーピーにもおよび、原材料の仕入れにも事欠くようになっただけでなく工場も空襲を受けて消失してしまいます。仕切り直すこととなった戦後も品質重視の姿勢は崩さず、供給量が減っても原材料はケチらない方針を維持しつつ、適切なコストカットによって他社が付け入る隙を一切見せることがなかったそうです。
なお戦後直後、あるレストランに訪れた客がシェフに今日のマヨネーズはあまりおいしくなかったと告げたところ、「申し訳ありません。経費上の問題からキユーピーのマヨネーズが買えず、米国製のマヨネーズを今日は使いました」と返事したというエピソードが伝えられており、為替格差が大きかった戦後直後でありながらキューピー製は高く、なおかつその味は米国製を上回ってたことが伺えるエピソードです。
<幾度かの危機を乗り越え>
戦後の経済成長とともに事業が安定してきた矢先、日本食品業界の雄たる味の素が1967年、マヨネーズ事業に参入すると発表します。これには中島董一郎も当時は大いに慌てていたと伝えられる一方、「俺たちの味を維持すれば負けることはない」と某国のサッカー代表みたいなセリフを言ってガチンコ対決に臨みました。
幸いにして味の素の参入は屋台骨を揺らがすほどには至らなかったものの、当時幅広く使われていた「チクロ」という人工甘味料が発癌性を持つ事がわかって使用禁止となり、これがマヨネーズに使われているという風評が立ってマヨネーズ業界にも逆風が吹きましたが、キューピー製マヨネーズには一切これが使われていないということがわかり、消費者から高い信頼を得てキユーピーに限っては追い風となるという事件に巡り合います。
病気を重ねたことから1971年に中島董一郎は経営の第一線を退きましたがその直後、仕入先の食用油メーカーが生産した食用油から毒性を持つ塩化ビフェニールが検出されるという事件に見舞われます。この会社と取引関係にあったことからキユーピーのマヨネーズも疑いの目を向けられる中で中島董一郎は、「こうなったら倒産覚悟ですべて回収するしかない」と後継者に指示し、実際に市場から一切の自社製マヨネーズを回収するという行為に及びます。
ただ回収されたマヨネーズは生産開始前の食用油に対する品質検査はすべて問題がなく、また回収したマヨネーズからもどれ一つとして件の毒性物質は出なかった上に厚生労働省による検査も「シロ」と断定されました。しかしキユーピーがこうした検査結果が出る前にも拘らず果断に商品回収に踏み切ったことが消費者からは支持されたことにより風評被害は一掃され、販売が再開された後はそれ以前と比べても暖かく消費者に迎えられたと言われています。
この風評事件がひと段落ついてしばらく、中島董一郎は1973年に満90歳で逝去します。私の寸評を述べると自身の海外体験から舶来品を事業化するというのは他の創業家にもよく見られる例ですが、このキユーピーという会社に限って言えばマヨネーズ一本を常に変わらぬ味で提供し続けるという恐ろしいまでの愚直さには敬意を覚えます。はっきり言えば競合品が出やすい商品にも拘らず戦前から現在にかけてマヨネーズの代名詞として君臨し続けるその事業ぶりには、生前から徹底して高い品質にこだわり続けた創業家の精神をきちんと宿した会社であるという風に私は考えています。
おまけ
ここだけの話、私自身はマヨネーズの味が実は苦手だったりします。高校生の頃までは普通に食べてましたが大学に入ったあたりからキャベツの千切りには「ピエトロドレッシング」一本となり、マヨネーズをつけるくらいなら何もつけずに生で野菜食べようとするくらい敬遠するようになってしまいました。なおまだマヨネーズを使っていた高校時代までも、マヨネーズ+しょうゆという組み合わせてサラダは食べており、友人の目の前でこれやったらドン引きされました。
おまけ2
学生時代、下宿で後輩に夕食を振る舞った際にピエトロドレッシングを出したら、
「先輩、これ高いドレッシングじゃないっすか!?」
「おう、これやないとわし野菜あかんねん。気にせんでええからお前もどんどん使ってええで」
「ほんまっすか、ほな使わせてもらいます!」
といって、かなりドバドバ使われました。「うまいうまい」言いながら食べる後輩の横でこの時は軽くちょっと睨んでいました。
参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行
2016年9月28日水曜日
安倍首相の経済政策の欠陥
昨夜は元同僚と上海市内のBARを三軒はしごしてたので二日連続でブログ休みました。三軒はしごしたと言っても私は最初の店でビール一瓶しか飲まず後はソフトドリンクで過ごしましたが、帰り際に後輩がブログに書いた話紹介したら「それマジ?」ってえらく食いついてきました。
それで本題ですが日ハムの大谷選手が一安打完封で優勝決めたことは置いといて真面目に話すと、先日開会した臨時国会における安倍首相の所信表明演説に関する報道を見ていて言い方は悪いですが日本も韓国みたいになってきたなと率直に思いました。演説中に自民党議員が起立して拍手したことについてやたら「異例だ」、「有り得ない」と散々掻き立てておきながら以前の民主党政権時代にも同じことあったとわかるや途端にトーンが下がるなど、そもそも報じる価値もないどうでもいい出来事が何故これほどまで騒がれるのか理解に苦しみます。一方で演説の中身については誰も触れずに、根拠もなく「アベノミクスは破綻した」と書き散らす有様で見ていて本当に韓国の報道っぽいなぁと思えてなりません。
ついでに書くと、昨日元同僚に大韓航空とこの前破綻した韓進海運は同じ財閥グループだと教えてもらいました。こういう大事な事実は普通のニュースに書いててもらいたかった。
話は戻すと、アベノミクスが破綻しつつあるというのは私も同意見です。理由は非常に簡単で、アベノミクスには金融政策しかなく実態産業への政策は何もなく、オリンピック開催という好材料を持ちながらジリ貧のような景気に陥っている時点で無策としか言いようのない状態です。加えて頼みの金融政策もかなり打つ手が減ってきており、完全に打ち止めとまでは言いませんがインフレ目標を達成できなかった時点で黒田総裁は辞任すべきだったのかもしれません。
実際に金を出すかは置いといて、具体的にどんな産業を奨励するのかという方向性を打ち出すことは経済政策において非常に重要です。しかし安倍首相はこの方面にはかなり無頓着というよりほかなくそのような発言は全く聞かれず、中国からの観光客などそこそこ追い風も吹いていながら悉くチャンスをふいにしてきているように見えます。もっともそれを言ったらほかの野党についても同じなので安倍首相にはこのまま在任してもらいたいというのは本音ですが、観光業でもロボット産業でも宇宙開発でもいいから頼むから何か音頭を取ってくれと言いたいのも本音としてあります。
ちなみにこれは別記事に仕立ててもいいのですが、「日本は高い技術がある」という考えはもう早く捨てるべきだと私は考えています。自分も一時期メーカーに属して痛感しましたが、技術者というのは技術的優位のある分野については饒舌に語りますが、逆に劣っている方面については黙して全く語らない傾向があり、聞いてる側としては優位な話しか聞かないため勘違いを起こしやすい傾向があります。実際このところ調べているとスパコンを始め中国に技術力でとっくに追い抜かれている分野が多数あるもののそれらは日本ではあまり報じられず、日本が勝っている所だけしか報じられないため結構多くの日本人が勘違いしてしまっているのではと思う節があります。
個人的に言いたいこととして品質と性能はどちらも技術の指標たり得ますが、異なるものだということをはっきりと意識すべきです。品質がいいから技術で勝っているというわけではありません。こうした点を理解して記事書く記者はいま日本にどれくらいいるんだろうな。
それで本題ですが日ハムの大谷選手が一安打完封で優勝決めたことは置いといて真面目に話すと、先日開会した臨時国会における安倍首相の所信表明演説に関する報道を見ていて言い方は悪いですが日本も韓国みたいになってきたなと率直に思いました。演説中に自民党議員が起立して拍手したことについてやたら「異例だ」、「有り得ない」と散々掻き立てておきながら以前の民主党政権時代にも同じことあったとわかるや途端にトーンが下がるなど、そもそも報じる価値もないどうでもいい出来事が何故これほどまで騒がれるのか理解に苦しみます。一方で演説の中身については誰も触れずに、根拠もなく「アベノミクスは破綻した」と書き散らす有様で見ていて本当に韓国の報道っぽいなぁと思えてなりません。
ついでに書くと、昨日元同僚に大韓航空とこの前破綻した韓進海運は同じ財閥グループだと教えてもらいました。こういう大事な事実は普通のニュースに書いててもらいたかった。
話は戻すと、アベノミクスが破綻しつつあるというのは私も同意見です。理由は非常に簡単で、アベノミクスには金融政策しかなく実態産業への政策は何もなく、オリンピック開催という好材料を持ちながらジリ貧のような景気に陥っている時点で無策としか言いようのない状態です。加えて頼みの金融政策もかなり打つ手が減ってきており、完全に打ち止めとまでは言いませんがインフレ目標を達成できなかった時点で黒田総裁は辞任すべきだったのかもしれません。
実際に金を出すかは置いといて、具体的にどんな産業を奨励するのかという方向性を打ち出すことは経済政策において非常に重要です。しかし安倍首相はこの方面にはかなり無頓着というよりほかなくそのような発言は全く聞かれず、中国からの観光客などそこそこ追い風も吹いていながら悉くチャンスをふいにしてきているように見えます。もっともそれを言ったらほかの野党についても同じなので安倍首相にはこのまま在任してもらいたいというのは本音ですが、観光業でもロボット産業でも宇宙開発でもいいから頼むから何か音頭を取ってくれと言いたいのも本音としてあります。
ちなみにこれは別記事に仕立ててもいいのですが、「日本は高い技術がある」という考えはもう早く捨てるべきだと私は考えています。自分も一時期メーカーに属して痛感しましたが、技術者というのは技術的優位のある分野については饒舌に語りますが、逆に劣っている方面については黙して全く語らない傾向があり、聞いてる側としては優位な話しか聞かないため勘違いを起こしやすい傾向があります。実際このところ調べているとスパコンを始め中国に技術力でとっくに追い抜かれている分野が多数あるもののそれらは日本ではあまり報じられず、日本が勝っている所だけしか報じられないため結構多くの日本人が勘違いしてしまっているのではと思う節があります。
個人的に言いたいこととして品質と性能はどちらも技術の指標たり得ますが、異なるものだということをはっきりと意識すべきです。品質がいいから技術で勝っているというわけではありません。こうした点を理解して記事書く記者はいま日本にどれくらいいるんだろうな。
2016年9月25日日曜日
今日の休日の過ごし方
昨夜夜中一時まで「ユグドラ・ユニオン」というゲームして遊んでいたため8時半になってからのそのそと起き出し、朝食食べた後から海外拠点データの整理をしていました。昼前になって外出しようかと考えた際に鏡を見たところ、左頬にできた出来物の痕が鬱血しており、皮膚の下がやや黒ずんでいるのに気が付きました。見た目にもかっこ悪いし早めに血を抜いとかないとほくろになりそうで嫌だったのでソーイングセットの針を取ろうと思って道具袋を漁った所、何故か先に目についてしまったのが画鋲だったため、そのまま鏡見ながら左頬に画鋲刺して血を抜きました。刺した感じとすれば後ろから押しやすいので案外刺しやすく血もいい感じに抜けましたが、その後で自転車こぎながら左頬に画鋲指す自分の姿を思い出してはじわじわと来ました。
昼食には自転車で少し距離のある所へ移動して、回転ずしチェーンの「はま寿司」へ行ってきました。あまり知られていませんがここは一皿10元(約150円)とリーズナブルなことから上海ではどこも非常に人気で、この日も11時40分の時点ですでに長蛇の列が出来ていました。ただこの日は私一人で訪れたため一人席ならすぐに座れるのではないかという打算を持っていた所、やはりというか受け取った整理番号は216番でしたが185番の後にすぐに呼ばれてほとんど待たずに席へつけました。
なお以前に上海人の友人と二回来ていますが、二回とも1時間弱は待たないと入れないくらいの大繁盛ぶりです。中国で日本の海鮮の普及がどうたらこうたらよく調査レポート出ていますが、突き詰めれば値段が安ければかなり殺到するんじゃないかと思うくらいの盛況ぶりです。
今日は余り食欲がなかったため10皿(うちイカ2皿)と、抹茶白玉を食べて計11皿110元の出費で済みました。この「はま寿司」の何がいいかというとカウンター席が豊富にあるので一人でも訪れやすいということと、抹茶白玉を始めバナナパフェなどといったデザートがどれも10元で尚且つ豊富であることです。前来た時は13皿くらい食べた後で悩んだ挙句にバナナパフェ食べましたが、上海人からは、「よくそんな食えるね」と言われました。
この日は食べ終わった後で、「イカをあともう2皿食べておけばよかった」と、少し後悔を持ちながら再び自転車に乗って帰宅し、家ではまたデータ整理にいそしみました。
その作業中、何故かネットで見つけたのが上の画像です。なんでも「無限の住人」の作者の沙村弘明氏の短編のワンシーンだそうですが、読んで見て「ほんとにそうだ!」と妙に納得しました。
夕方になって所用で本屋に行ってその帰りにATMで金下ろして朝食用の食パン(毎日一枚生で食べる)買って、キムチ買って、昨日炊いたご飯の余りをお粥にしましたが作ってる最中に跳ねた米粒が腕に当たり火傷を負う羽目となりました。香港だったらそこらへんにたくさんお粥屋があるのに何で中国本土はこんなにないんだなどと文句言いつつ、食欲がないのでお粥とキムチで晩飯を過ごし、多分後から腹減ってくるだろうななどと想像しながら今ブログ記事書いてます。
昼食には自転車で少し距離のある所へ移動して、回転ずしチェーンの「はま寿司」へ行ってきました。あまり知られていませんがここは一皿10元(約150円)とリーズナブルなことから上海ではどこも非常に人気で、この日も11時40分の時点ですでに長蛇の列が出来ていました。ただこの日は私一人で訪れたため一人席ならすぐに座れるのではないかという打算を持っていた所、やはりというか受け取った整理番号は216番でしたが185番の後にすぐに呼ばれてほとんど待たずに席へつけました。
なお以前に上海人の友人と二回来ていますが、二回とも1時間弱は待たないと入れないくらいの大繁盛ぶりです。中国で日本の海鮮の普及がどうたらこうたらよく調査レポート出ていますが、突き詰めれば値段が安ければかなり殺到するんじゃないかと思うくらいの盛況ぶりです。
今日は余り食欲がなかったため10皿(うちイカ2皿)と、抹茶白玉を食べて計11皿110元の出費で済みました。この「はま寿司」の何がいいかというとカウンター席が豊富にあるので一人でも訪れやすいということと、抹茶白玉を始めバナナパフェなどといったデザートがどれも10元で尚且つ豊富であることです。前来た時は13皿くらい食べた後で悩んだ挙句にバナナパフェ食べましたが、上海人からは、「よくそんな食えるね」と言われました。
この日は食べ終わった後で、「イカをあともう2皿食べておけばよかった」と、少し後悔を持ちながら再び自転車に乗って帰宅し、家ではまたデータ整理にいそしみました。
その作業中、何故かネットで見つけたのが上の画像です。なんでも「無限の住人」の作者の沙村弘明氏の短編のワンシーンだそうですが、読んで見て「ほんとにそうだ!」と妙に納得しました。
夕方になって所用で本屋に行ってその帰りにATMで金下ろして朝食用の食パン(毎日一枚生で食べる)買って、キムチ買って、昨日炊いたご飯の余りをお粥にしましたが作ってる最中に跳ねた米粒が腕に当たり火傷を負う羽目となりました。香港だったらそこらへんにたくさんお粥屋があるのに何で中国本土はこんなにないんだなどと文句言いつつ、食欲がないのでお粥とキムチで晩飯を過ごし、多分後から腹減ってくるだろうななどと想像しながら今ブログ記事書いてます。
2016年9月24日土曜日
自分にしか書けない記事
昨夜友人の上海人から提案がありあまり日本人が寄りつかない一帯で四川料理を食べていましたが、「頭の痛くなる話というのはあるが、ケツが痛くなる話というのはないかな」などと言いながらどっちもノーマルながら妙なゲイトークを繰り返していました。あと何故か二人ともビール頼まないで紹興酒を飲んでましたが、その際に以下のような会話も行われました。
「なんかビールより紹興酒のがいいよね( ゚∀゚)」
「紹興酒の方がおいしいと思う辺り、俺らもおっさんになったのかな( ・ω・)」
話は本題に入りますが、Drマシリトこと週刊少年ジャンプの名編集者だったとして名高い鳥嶋和彦氏がこのところ各方面のインタビューに答える事が増え、それまで明らかになっていなかった舞台裏などについても言及されるので非常に面白く拝見しています。
なお名古屋に左遷されたうちの親父は昔コンペで全員が賛成する中でこの鳥嶋氏だけが反対したことによって落とされたことがあり、普段は温厚な癖にこの時の件と団塊世代を批判する時はスーパーサイヤ人みたく本気で怒り出す辺り、相当根に持つ体験だったのではないかと思います。
話は戻しますが鳥嶋氏のインタビューの中で、彼の代名詞ともなっている「ボツ」という発言についても触れられていました。意にそぐわぬ作品に対しては容赦なくボツこと書き直しをさせることで鳥嶋氏は有名で、彼をモデルにした漫画のキャラクターも大体がこのような傲岸不遜でえらそうなキャラクターとして描かれるほどです。
このボツについて鳥嶋氏が語った理由を私の理解で述べると、漫画家は売れる作品を作るために売れると思う内容を描いて持ってくるがそういった作品は総じて売れる作品ではなく、ボツにして原稿を突っ返す度に次に何を描けばいいか漫画家は悩み、最終的に自分にしか書けない作品を持ってこさせるためだ、と説明していました。
この中に出てくる「自分にしか書けない作品」とは文字通り、自身の特殊な体験や願望、知識を駆使した作品の事で、こうした要素は他の漫画家との差別化にもつながる上、読者にとっても興味の対象となり本質的に売れる作品となるそうです。方法はともかくとして言わんとすることは非常に理解できるもので、作品というのは突き詰めればどれだけ独自性というかオリジナリティを持つかに成否がかかってくるところがあり、何度も突っ返してもう他に出すものがなくなって最後になってそうした独自性が出てくるというのも理に適っています。
ここで話題はまた切り替わりますが、上記の話を踏まえた上でこのブログで私にしか書けない記事とは何ぞやとふと考えました。どうでもいい親父の話もしてしまい前置きがかなり長くなったので、いくつかの記事ジャンルについて自分の感想を以下に記します。
・中国ネタの記事
言うまでもなく、この分野であれば自分にしか書けない記事はかなりたくさんあります。しかしこのブログ自体が中国からは普通にアクセスできないため、中国ネタを書いたところであまりアクセスが上昇しないという現状があり、書く方の身としても実はあまりモチベーションが上がり辛かったりします。日本向けに意識すればまだ考慮の余地がありますが、上記のような理由から実はこのところこのジャンルの記事はリアルに減ってたりします。
・政治ネタの記事
大きく出ると、下手な政治評論よりずっと上手くわかりやすく政治解説を行う自信はあるし、過去の事例と比較した記事となれば一流の記事を仕立てることも難しくありません。逆に自分の目から見て近年の日本の政治記事は視野といい論点といい非常にお粗末な記事が多く、何か新しい事実が報じられるたびに既存のニュースの掘り下げを怠り、レベルの低い記事を量産しているように思えます。特に国際政治報道となればもはや壊滅的で、毎日のように明らかに事実と異なる記事を平気で報じる新聞社もあるのでこの分野は自分にしか書けない物がたくさんあると自負します。
・サブカル系の記事
そこそこ面白い物を描ける自信もある一方で、この分野はネット上に執筆者が多数いるため自分にしか書けないとなるとそういうものはほぼないでしょう。でも考えてみると、漫画やアニメの内容を討論するフォーラムはネット上にたくさんあるけど、政治だとそういうのってあんのかな。
・歴史ネタの記事
恐らく自分が持つ最強カードの一つ。歴史学を専攻していたわけではないですが知識量においては完全に一般人を凌駕している上に、自分にしかない強みとして世界史と日本史を同時に学んで取り扱っていることがあります。日本史、西洋史、中国史それぞれに強い人はいくらでもいますがこの三つを同時に取り扱う人間となるとガクッと減り、たとえば満州事変を日本側、中国側の双方の視点から同時に迫れるとなるとそうそういないでしょう。惜しむらくは最近勉強する暇がないのと、周囲に相談できる人間が確実に減ってきているという背景があります。
・経済ネタの記事
半々。専業で記者を今していないので得られる情報は少ない一方、メディアでは取り扱えない疑惑レベルの内容をブログでならばまだ触れられることもあるため一長一短です。ただ政治系の記者と比べて経済系の記者はまだまともだし勉強しているなと日本の記事見てて思います。
・IT系の記事
決して専門家でもなく知識もほとんどないのですが、IT系の人って基本的に文章が壊滅的に下手なことが多く、IT系メディアの記事もそういった知識持った人向けに書いているため普通の人からしたら読み辛い物が多いです。その辺を考慮したら、自分がある程度把握している分野については意外とわかりやすく書ける自信があります。一言で言ってしまえば、細かい要素は省略していいのにIT系の人は何故か全部書こうとするからダメなんだと思う。
・労働系の記事
何気にトップランナーだと内心思ってる。派遣マージン率の記事を書いていることが大きいですがそれ以上にこの方面の内容を新聞記事に書く人は基本的に正社員で、非正規労働者の立場でない上に彼らの立場で書こうとしない人が多いです。手っ取り早く派遣労働者に記事書かせた方がずっとおもしろくなるのに。
なら私はどうかといえば派遣以下の現地採用を経験していることもあってこの方面に関しては適度な距離で物を書けている気がします。そもそも月給四、五万円であくせく働く中国人とかも普通に見てるし、日本の派遣労働者を特別可哀相に見ないことが何より大きいのかもしれません。
・自分の体験記事
自分で読んでて本気で面白く感じる時もあり、密かに結構自信があります。人生一つとっても自分ほど波乱万丈な人間はそれほど多くないし、なにより突然妙な行動起こして逆境に入った後からの立て直し方が激しいので十分絵になる気がします。
「紹興酒の方がおいしいと思う辺り、俺らもおっさんになったのかな( ・ω・)」
話は本題に入りますが、Drマシリトこと週刊少年ジャンプの名編集者だったとして名高い鳥嶋和彦氏がこのところ各方面のインタビューに答える事が増え、それまで明らかになっていなかった舞台裏などについても言及されるので非常に面白く拝見しています。
なお名古屋に左遷されたうちの親父は昔コンペで全員が賛成する中でこの鳥嶋氏だけが反対したことによって落とされたことがあり、普段は温厚な癖にこの時の件と団塊世代を批判する時はスーパーサイヤ人みたく本気で怒り出す辺り、相当根に持つ体験だったのではないかと思います。
話は戻しますが鳥嶋氏のインタビューの中で、彼の代名詞ともなっている「ボツ」という発言についても触れられていました。意にそぐわぬ作品に対しては容赦なくボツこと書き直しをさせることで鳥嶋氏は有名で、彼をモデルにした漫画のキャラクターも大体がこのような傲岸不遜でえらそうなキャラクターとして描かれるほどです。
このボツについて鳥嶋氏が語った理由を私の理解で述べると、漫画家は売れる作品を作るために売れると思う内容を描いて持ってくるがそういった作品は総じて売れる作品ではなく、ボツにして原稿を突っ返す度に次に何を描けばいいか漫画家は悩み、最終的に自分にしか書けない作品を持ってこさせるためだ、と説明していました。
この中に出てくる「自分にしか書けない作品」とは文字通り、自身の特殊な体験や願望、知識を駆使した作品の事で、こうした要素は他の漫画家との差別化にもつながる上、読者にとっても興味の対象となり本質的に売れる作品となるそうです。方法はともかくとして言わんとすることは非常に理解できるもので、作品というのは突き詰めればどれだけ独自性というかオリジナリティを持つかに成否がかかってくるところがあり、何度も突っ返してもう他に出すものがなくなって最後になってそうした独自性が出てくるというのも理に適っています。
ここで話題はまた切り替わりますが、上記の話を踏まえた上でこのブログで私にしか書けない記事とは何ぞやとふと考えました。どうでもいい親父の話もしてしまい前置きがかなり長くなったので、いくつかの記事ジャンルについて自分の感想を以下に記します。
・中国ネタの記事
言うまでもなく、この分野であれば自分にしか書けない記事はかなりたくさんあります。しかしこのブログ自体が中国からは普通にアクセスできないため、中国ネタを書いたところであまりアクセスが上昇しないという現状があり、書く方の身としても実はあまりモチベーションが上がり辛かったりします。日本向けに意識すればまだ考慮の余地がありますが、上記のような理由から実はこのところこのジャンルの記事はリアルに減ってたりします。
・政治ネタの記事
大きく出ると、下手な政治評論よりずっと上手くわかりやすく政治解説を行う自信はあるし、過去の事例と比較した記事となれば一流の記事を仕立てることも難しくありません。逆に自分の目から見て近年の日本の政治記事は視野といい論点といい非常にお粗末な記事が多く、何か新しい事実が報じられるたびに既存のニュースの掘り下げを怠り、レベルの低い記事を量産しているように思えます。特に国際政治報道となればもはや壊滅的で、毎日のように明らかに事実と異なる記事を平気で報じる新聞社もあるのでこの分野は自分にしか書けない物がたくさんあると自負します。
・サブカル系の記事
そこそこ面白い物を描ける自信もある一方で、この分野はネット上に執筆者が多数いるため自分にしか書けないとなるとそういうものはほぼないでしょう。でも考えてみると、漫画やアニメの内容を討論するフォーラムはネット上にたくさんあるけど、政治だとそういうのってあんのかな。
・歴史ネタの記事
恐らく自分が持つ最強カードの一つ。歴史学を専攻していたわけではないですが知識量においては完全に一般人を凌駕している上に、自分にしかない強みとして世界史と日本史を同時に学んで取り扱っていることがあります。日本史、西洋史、中国史それぞれに強い人はいくらでもいますがこの三つを同時に取り扱う人間となるとガクッと減り、たとえば満州事変を日本側、中国側の双方の視点から同時に迫れるとなるとそうそういないでしょう。惜しむらくは最近勉強する暇がないのと、周囲に相談できる人間が確実に減ってきているという背景があります。
・経済ネタの記事
半々。専業で記者を今していないので得られる情報は少ない一方、メディアでは取り扱えない疑惑レベルの内容をブログでならばまだ触れられることもあるため一長一短です。ただ政治系の記者と比べて経済系の記者はまだまともだし勉強しているなと日本の記事見てて思います。
・IT系の記事
決して専門家でもなく知識もほとんどないのですが、IT系の人って基本的に文章が壊滅的に下手なことが多く、IT系メディアの記事もそういった知識持った人向けに書いているため普通の人からしたら読み辛い物が多いです。その辺を考慮したら、自分がある程度把握している分野については意外とわかりやすく書ける自信があります。一言で言ってしまえば、細かい要素は省略していいのにIT系の人は何故か全部書こうとするからダメなんだと思う。
・労働系の記事
何気にトップランナーだと内心思ってる。派遣マージン率の記事を書いていることが大きいですがそれ以上にこの方面の内容を新聞記事に書く人は基本的に正社員で、非正規労働者の立場でない上に彼らの立場で書こうとしない人が多いです。手っ取り早く派遣労働者に記事書かせた方がずっとおもしろくなるのに。
なら私はどうかといえば派遣以下の現地採用を経験していることもあってこの方面に関しては適度な距離で物を書けている気がします。そもそも月給四、五万円であくせく働く中国人とかも普通に見てるし、日本の派遣労働者を特別可哀相に見ないことが何より大きいのかもしれません。
・自分の体験記事
自分で読んでて本気で面白く感じる時もあり、密かに結構自信があります。人生一つとっても自分ほど波乱万丈な人間はそれほど多くないし、なにより突然妙な行動起こして逆境に入った後からの立て直し方が激しいので十分絵になる気がします。
登録:
投稿 (Atom)