前回に引き続き広島ガス子会社に起こった循環取引という会計不正にまつわる事件を紹介します。
さて前回では広島ガス株式会社の子会社である広島ガス開発株式会社(HGK)の営業社員Xが知らないうちに木工資材の循環取引に巻き込まれ、途中からはもうやめられなくなって何故だか自分が取りまとめ役にまでなってしまったというところまで解説しました。そもそもこのXが社内の上司らに報告しなかったとはいえ、どうして会社側はこの循環取引に途中で気付かないまま十年近く同取引を続けてしまったのでしょうか。
この理由について先に説明すると、まず循環取引はほかの会計不正と比べてばれにくいある大きな特徴があり、それは何かというと現金と伝票がきちんと取り交わされるという点です。商品という実態のない取引とはいえ続けている間は取引先から正式な伝票が発行された上で入出金もきちんと行われるため、内部監査などでも担当者が問題ない取引だと言ってしまったら検出することは非常に難しいでしょう。
加えてHGKの場合だと同取引は問題のXが取り仕切っていたため第三者の目が入り辛く、また途中からXが営業課長にもなったため上司による監視の目も減ってしまいました。Xに誘われ循環取引だと知らずに参加してしまった同じ広島ガス子会社の広島ガスリビング株式会社(HGL)では実態のある取引なのかより厳しくチェックしており、最終消費先となる工事名から工事現場などに足を運んで実際に工事が行われているかを確認していたようですが、循環取引の取りまとめ役があらかじめ行われる予定の工事をネットなどで調べた上で取引明細に加えておくという隠蔽工作を行っていたため、上記のHGLによるチェックも潜り抜けていました。
話は戻りますが、それまでの取りまとめ役だった人物が交通違反で逮捕収監されることとなってしまったことで2008年よりXが代わりに取りまとめ役を務める羽目となりました。取りまとめ役となったXは違法な行為がばれないよう、循環取引に関わる各社に対し取引の価格や量を事細かに指示し、上記に描いた様な最終消費先となる工事案件を調べて明細に加えたりなどして偽装を続けましたが、終わりっていうのは案外あっさりくるものです。
同じ2008年の8月、この月に起きたマンション大手(時期的に見て同じ広島県の「アーバンコーポレイション」と思われる)の破綻を受けて、HGL社内で木工資材の今後の販売はリスクが高いと判断して同取引からの即時撤退を決定しました。
広島ガスの報告書によるとこの循環取引が発覚した経緯は翌2009年3月の国税調査からの指摘としていますが、実際には撤退に先だって行った取引先とのやり取りや過去の取引の見直しなどから明るみに出たのだと思います。2009年3月発覚で同年4月に調査報告書を出すのはかなり難しいと思うし。
とにもかくにも、木工資材取引からの撤退が契機となってすべてが明るみとなりました。過去約10年間の同取引の累計売上高は約444億円、累計利益は約12億円にも達しており、売上げ高だけで見れば昨今の大きな会計不正事件にも勝るとも劣らない金額です。
事件発覚を受け親会社の広島ガスでは弁護士をメンバーに入れた調査委員会を組織して調査し、今私が見ている報告書をきちんと作成した上で公表しておりこうした姿勢は非常に好感が持てます。なおこの報告書は非常にわかりやすくまとめられているため興味がある方は是非一回は読んでもらいたいです。
そしてその後の結末ですが、HGKでは全役員が解任された上で民事再生法の適用を申請して破綻した後、グループ会社の広島ガステクノサービスに事業譲渡して清算されました。当時の報道によると循環取引に関わった会社は計25社あったとされ、事件発覚後に少なくとも5社が経営破綻したそうです。
関係者については事件の主犯となったXはもちろん解雇され、後に詐欺容疑で逮捕されています。そのXと共にパナソニック電工の子会社であるパナソニック電工リビング中国の社員を含む4人が一緒に逮捕されており、計5人が捕まる結果となりました。そして事件当時のHGK社長であった人物は翌年、自動車の車内で練炭自殺した姿で発見されました。
自分がこの事件を知ったのはたまたま偶然でしかないのですが、一見してすごいドラマがある話だと感じました。事件の大きさといい循環取引という非常に見え辛い会計不正の手口もさることながら、主犯となってしまったXが本人も知らないうちに循環取引に巻き込まれ、いつの間にか取りまとめ役になってしまっていたという点でいくらかの同情心と共に、その運命の翻弄具合には言葉では言い表せない感情を覚えます。
それこそXについては彼を循環取引に誘った他社の人物が、HGLが同取引からの撤退を決めるわずか2ヶ月前の2008年6月に交通違反で逮捕されなければ取りまとめ役になることもなかったわけで、どっちにしろ捕まったとは思いますがその後の印象とかが色々違っていたのではと思うとまたここにも運命のいたずらのようなドラマを感じます。
ややキザったらしい言い方になりますが、一旦運命に絡め取られてしまうと如何に人間は抗いようがないかをまざまざと見せつけられているような気がする事件で、小説とかドラマの題材にしたっても十分じゃないかと思います。その上で広島ガスについては前述の通り、この事件に関して非常に詳細な報告書を作成しており、三菱自動車とは対照的に個人的には非常に真摯な態度であるように思え評価に値する対応を取っていると考えます。果たして東芝とかはこれより面白い報告書を作成してくれるのか、期待するだけそれは無駄か……。
参考サイト
・当社子会社の不適切な取引に関する調査結果等のご報告(広島ガス)
・民事再生法適用を申請した広島ガス開発(HGK)の架空循環取引に責任問う声(自己破産と民事再生情報)
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年10月9日日曜日
2016年10月8日土曜日
広島ガス子会社の循環取引事件 前編
「木工資材の中間取引に入らないか?」
すべての発端はこの一言からでした。
広島ガス株式会社の子会社でガス工事などを手掛けていた広島ガス開発株式会社(HGK)の営業社員であるXは1999年に、取引先である木工事業者の担当者Hよりこのように誘われたそうです。当時、HGKでは従来のガス工事だけでなく内装工事なども手掛け始めたものの売上げは思ったより上がらず、Xが芳しくない状況をHに洩らした際の返答が上の発言でした。
Hによると、木工工事はマンションなどに木製の内装を施工することが決まり木材資材を発注した後、実際に施工されるまでにはほかの工事を待たなくてはならないため仕入から販売までの期間が比較的長くなる傾向があり、その間に木材を仕入れた業者は売上げが長期間立たずキャッシュ・フローにも影響が出てしまうとのことでいした。こうした資金ショートのリスク分散のため仕入業者とゼネコンの間へ商社の様にHGKを入れさせ、マージンとして販売利益の一部を得ないかとHはXを誘いました。この商流を図で表すと以下の通りとなります。
木材メーカー
↓↓↓
仕入業者(Hの会社)
↓↓↓
中間業者(HGK)
↓↓↓
施工者(ゼネコン)
実際にはHGKやHの会社だけでなく他にも複数の会社が絡むのですがそれは置いといて、こうした取引は一般的に「商流取引」と言われ、資金リスクを分散させるために木材に限らず多方面の商品で実際に行われている取引です。卸会社や商社を経由するのも一種の商流取引で、実質的にはメーカーが最終消費者へ直販するような形態を除けばすべて当てはまると言ってもいいのですが、この商流取引と「循環取引」の違いを述べるとすれば、それは商品が実際にあるかないかだけの差です。
このHGKの取引の場合だと仕入業者から木材を購入し、ある程度の期間を保有した後に次の中間業者へ中間マージンを上乗せして販売する形となりますが、書類上のやり取りだけでお金だけを動かすため仕入れた木材は仕入業者の所からHGKの倉庫へ移動するということはないという取り決めだったのでしょう。あればの話ですが。
話は戻りますがこのHからの提案に賛同したXは早速上司に掛け合い、Xの上司もHGKの販売先となる会社が比較的有名な所であったことから問題ないと判断し、この取引にGOサインを出します。こうして同年には上記取引が2件、取引額にして約2億円が取り交わされ、翌年には12件、約8億円へと順調に拡大していきました。
この取引はすべてHからの指示を受けてXは行っており、仕入価格から販売価格まで事細かに指示を受けて行っていました。取引はその後も年々拡大していったことからXは2003年、同じ広島ガス系列の子会社でガス用機械器具の販売を手掛ける広島ガスリビング株式会社(HGL)も商流に入らないかと提案し、これに賛同したHGLも取引に中間業者として加わるようになります。なお調査報告書によるとこの時のHGLの中間マージン率は2%で、資材の保有期間は一ヶ月程度だったとのことです。
しかしまさにこのHGLも商流に加わった頃から、HがXに指示する販売先がコロコロと変わったり、入金が送れたりなど不審な点が見られるようになります。調査を兼ねてXがHと入金が遅れている販売先へ訪問した所、報告書の記述をそのまま引用すると、「取引に不明な点があることを告げるのを聞いたりしたため」、XはHに対し不信感を抱くと共にもしやこれは循環取引ではないかという疑念を覚えるに至りました。
先ほどに商流取引と循環取引の違いは実際にやり取りする商品が存在するか否かと説明しましたが、もう少し循環取引について詳しく説明しておきます。
A→B→C→A→B→C→A→……
以上の様に、複数の会社間で商品を伴わない実体のない取引を延々と繰り返し続けることが循環取引です。実体はないとはいえお金はマージンが載っかって動き続けるため、取引額は一つ動くたびにどんどんと大きくなり、たとえば一取引当たり10%のマージンが乗るとすると、最初にAかからBへ動く金額は1万円だとすると次にBからCへ行くときは1万1千円、さらにCからAへ行くときは1万1千1百円と、以下エンドレスに段々増えていくこととなるわけです。
言うまでもありませんがこうした実態のない取引は法律でも禁止されているものの、仮にばれなかったとすれば各会社は見かけ上、確実に売上げと利益が伸び続ける取引を半永久的に継続できるため、まぁ一言でいえば楽してかなり儲けられることとなります。あくまで見かけ上は。
しかしおいしい事にはリスクがあるもので、この循環取引について言えば途中で何らかの形で取引が止まってしまうと色んな意味ですべてが終わってしまうこととなります。ばれた状況にもよりますが、下手すりゃ循環取引で得た過去の累積売上げと累積利益が一瞬で吹っ飛ぶ可能性も含んでおり、関与したほかの会社も相応の打撃が待っています。ってかほんとこの場合の会計処理ってどうすんだろね。
再び話はHGKのXに戻ります。薄々、実体のない循環取引であることにXも気が付いてはいたものの、既に2003年当時の年間売上げは48億円にも達していることからやめるにやめることが出来ず、社内の誰にも相談や報告をすることなく指示・まとめ役であるHの書類作成すら手伝うようにもなり、本格的に循環取引へ手を染めていきます。
そのような架空取引を続けたまま数年が経った2008年、思わぬアクシデントが起こります。なんとそれまで取引の指示役だったHが道路交通法違反で逮捕、収監されることとなりました。もちろんHがいなくなり取りまとめ役がいなければこの循環取引は一挙にご破算となるわけで、窮極まったHはXと、同じ循環取引に関わっている別会社の担当者に対し循環取引の各社に対する取りまとめと指示を引き継ぐよう依頼し、両者もこれを引き受けます。
こうして、何も知らずに循環取引に巻き込まれたXが循環取引の主犯となってしまったわけです。その後のXの結末はまた次回に。心ある読者は広島ガスの調査報告書を読むのを1日だけ待っててね♪
すべての発端はこの一言からでした。
広島ガス株式会社の子会社でガス工事などを手掛けていた広島ガス開発株式会社(HGK)の営業社員であるXは1999年に、取引先である木工事業者の担当者Hよりこのように誘われたそうです。当時、HGKでは従来のガス工事だけでなく内装工事なども手掛け始めたものの売上げは思ったより上がらず、Xが芳しくない状況をHに洩らした際の返答が上の発言でした。
Hによると、木工工事はマンションなどに木製の内装を施工することが決まり木材資材を発注した後、実際に施工されるまでにはほかの工事を待たなくてはならないため仕入から販売までの期間が比較的長くなる傾向があり、その間に木材を仕入れた業者は売上げが長期間立たずキャッシュ・フローにも影響が出てしまうとのことでいした。こうした資金ショートのリスク分散のため仕入業者とゼネコンの間へ商社の様にHGKを入れさせ、マージンとして販売利益の一部を得ないかとHはXを誘いました。この商流を図で表すと以下の通りとなります。
木材メーカー
↓↓↓
仕入業者(Hの会社)
↓↓↓
中間業者(HGK)
↓↓↓
施工者(ゼネコン)
実際にはHGKやHの会社だけでなく他にも複数の会社が絡むのですがそれは置いといて、こうした取引は一般的に「商流取引」と言われ、資金リスクを分散させるために木材に限らず多方面の商品で実際に行われている取引です。卸会社や商社を経由するのも一種の商流取引で、実質的にはメーカーが最終消費者へ直販するような形態を除けばすべて当てはまると言ってもいいのですが、この商流取引と「循環取引」の違いを述べるとすれば、それは商品が実際にあるかないかだけの差です。
このHGKの取引の場合だと仕入業者から木材を購入し、ある程度の期間を保有した後に次の中間業者へ中間マージンを上乗せして販売する形となりますが、書類上のやり取りだけでお金だけを動かすため仕入れた木材は仕入業者の所からHGKの倉庫へ移動するということはないという取り決めだったのでしょう。あればの話ですが。
話は戻りますがこのHからの提案に賛同したXは早速上司に掛け合い、Xの上司もHGKの販売先となる会社が比較的有名な所であったことから問題ないと判断し、この取引にGOサインを出します。こうして同年には上記取引が2件、取引額にして約2億円が取り交わされ、翌年には12件、約8億円へと順調に拡大していきました。
この取引はすべてHからの指示を受けてXは行っており、仕入価格から販売価格まで事細かに指示を受けて行っていました。取引はその後も年々拡大していったことからXは2003年、同じ広島ガス系列の子会社でガス用機械器具の販売を手掛ける広島ガスリビング株式会社(HGL)も商流に入らないかと提案し、これに賛同したHGLも取引に中間業者として加わるようになります。なお調査報告書によるとこの時のHGLの中間マージン率は2%で、資材の保有期間は一ヶ月程度だったとのことです。
しかしまさにこのHGLも商流に加わった頃から、HがXに指示する販売先がコロコロと変わったり、入金が送れたりなど不審な点が見られるようになります。調査を兼ねてXがHと入金が遅れている販売先へ訪問した所、報告書の記述をそのまま引用すると、「取引に不明な点があることを告げるのを聞いたりしたため」、XはHに対し不信感を抱くと共にもしやこれは循環取引ではないかという疑念を覚えるに至りました。
先ほどに商流取引と循環取引の違いは実際にやり取りする商品が存在するか否かと説明しましたが、もう少し循環取引について詳しく説明しておきます。
A→B→C→A→B→C→A→……
以上の様に、複数の会社間で商品を伴わない実体のない取引を延々と繰り返し続けることが循環取引です。実体はないとはいえお金はマージンが載っかって動き続けるため、取引額は一つ動くたびにどんどんと大きくなり、たとえば一取引当たり10%のマージンが乗るとすると、最初にAかからBへ動く金額は1万円だとすると次にBからCへ行くときは1万1千円、さらにCからAへ行くときは1万1千1百円と、以下エンドレスに段々増えていくこととなるわけです。
言うまでもありませんがこうした実態のない取引は法律でも禁止されているものの、仮にばれなかったとすれば各会社は見かけ上、確実に売上げと利益が伸び続ける取引を半永久的に継続できるため、まぁ一言でいえば楽してかなり儲けられることとなります。あくまで見かけ上は。
しかしおいしい事にはリスクがあるもので、この循環取引について言えば途中で何らかの形で取引が止まってしまうと色んな意味ですべてが終わってしまうこととなります。ばれた状況にもよりますが、下手すりゃ循環取引で得た過去の累積売上げと累積利益が一瞬で吹っ飛ぶ可能性も含んでおり、関与したほかの会社も相応の打撃が待っています。ってかほんとこの場合の会計処理ってどうすんだろね。
再び話はHGKのXに戻ります。薄々、実体のない循環取引であることにXも気が付いてはいたものの、既に2003年当時の年間売上げは48億円にも達していることからやめるにやめることが出来ず、社内の誰にも相談や報告をすることなく指示・まとめ役であるHの書類作成すら手伝うようにもなり、本格的に循環取引へ手を染めていきます。
そのような架空取引を続けたまま数年が経った2008年、思わぬアクシデントが起こります。なんとそれまで取引の指示役だったHが道路交通法違反で逮捕、収監されることとなりました。もちろんHがいなくなり取りまとめ役がいなければこの循環取引は一挙にご破算となるわけで、窮極まったHはXと、同じ循環取引に関わっている別会社の担当者に対し循環取引の各社に対する取りまとめと指示を引き継ぐよう依頼し、両者もこれを引き受けます。
こうして、何も知らずに循環取引に巻き込まれたXが循環取引の主犯となってしまったわけです。その後のXの結末はまた次回に。心ある読者は広島ガスの調査報告書を読むのを1日だけ待っててね♪
2016年10月6日木曜日
より厳格化される社会
2007年の事だったと思いますが社会学者の鈴木謙介氏の講演を聞きに行ったことがあり、この講演で鈴木氏は、「これからの世の中はすべて二極化する」と話していました。その具体例として鈴木氏は音楽ボーカロイドの「初音ミク」を引用して、「作曲した曲と歌詞のテンポを合わせるため試しに歌わせる作業はこれまでプロになりきれないセミプロの歌手が担っていたが、今後はこの初音ミクで代替されるため、これで生活してきた人は仕事を失くすだろう」と述べ、このようにこれまでは玄人と素人の中間にも仕事があったが今後はその中間の仕事がなくなるため単純に「食えない素人」が増加すると指摘していました。
あれから大分年月も経ちますが、この指摘はやはり正しかったように思えます。ほかの国はどうだか知りませんが少なくとも日本社会においてはそれまで曖昧だった境界がどんどんと明確化し、またそのラインとなる基準もより厳しさを増しています。
いくつか例を挙げると、たとえばゲームだとほんの少しでも些細なバグがあればネット上で槍玉に挙げられて即欠陥品として批判され、生活用品でも使用には問題なくても色あいや形が少しでも崩れていたらこれまた即クレームが起こってメーカーは四苦八苦する羽目となります。かつてであればゲームのバグもよほど進行不能とならない限りはユーザーも多めに見て(進行不能でも許されてたこともある)、生活用品も色合いの一つでおかしいと指摘すれば逆に気にし過ぎだと言われていたように思えます。
こうした「境界の明確化」というか「厳格化」は最初に話した職業の面でも同様で、そこそこの実務スキルを持つ人間でもかつてはそこそこの給与で勤務することが可能であっても、現在においては給与を一段下げたとして勤務すること自体が出来なくなっているのではと思う節があります。何故なら、その人が持つのは中途半端なスキルであって、曖昧な社会では「0.5」とみなされたものの厳格な社会だとゼロサムであるため「0」か「1」しかなく、「1」未満はすべて「0」だからです。
逆に正規スキルホルダーは以前以上の給与を得られることとなります。もっともその一方で、それまで「そこそこのスキルホルダー」が担ってきた業務も担わなくてはならないので前より忙しくなっているのではと思う節もありますが。
長く語ってもしょうがないので結論を述べますが、こうした風潮なり傾向は私が歓迎するところではありません。単純にこの傾向は労働、富の偏極化をもたらし、社会が全体として弱くなる要素を多分に含んでいるように思えるからで、社会全体としてもっと寛容な姿勢を持つような志向が求められている気がします。より端的に述べれば、もっとカオスな社会を私は望んでいます。
またもう一つ例を取り出しますが表現の世界でもやたらと表現を狭めようとする傾向が目立ち、90年代に流行したかつての言葉狩りは勢いが減ったものの今度は「著作権」がやたらと出張るようになり、実在する会社や商品名を作品に登場させることについていちいち許諾が求められるようになるなど世知辛い社会になってきたという気がします。虚偽の事実やあからさまに貶めようとする表現は確かに排除すべきですが、街の風景としてマクドナルドやガストといった飲食店舗をそのままの名前で出したらダメって一体何でやねんと実はすごい不満に覚えたりします。何故なら今そこにある現実を否定するかのような所業に感じるためで、こうした物が続いて行けば現実を表現すること自体が否定されるのではと危機感も覚えます。
最後にもう一つ書き残すと、何故社会が厳格化したのかというとそれは間違いなく社会が情報化したからで、コンピューターの世界が現実社会にも浸透してきたとみていいでしょう。映画の「マトリックス」じゃないですが、あまりにも厳格化した社会だとどうしても齟齬が起きるのだからいくらかファジーな部分、工学でいうなら「遊び」の部分を設けるべきだと私は思うのですが。
あれから大分年月も経ちますが、この指摘はやはり正しかったように思えます。ほかの国はどうだか知りませんが少なくとも日本社会においてはそれまで曖昧だった境界がどんどんと明確化し、またそのラインとなる基準もより厳しさを増しています。
いくつか例を挙げると、たとえばゲームだとほんの少しでも些細なバグがあればネット上で槍玉に挙げられて即欠陥品として批判され、生活用品でも使用には問題なくても色あいや形が少しでも崩れていたらこれまた即クレームが起こってメーカーは四苦八苦する羽目となります。かつてであればゲームのバグもよほど進行不能とならない限りはユーザーも多めに見て(進行不能でも許されてたこともある)、生活用品も色合いの一つでおかしいと指摘すれば逆に気にし過ぎだと言われていたように思えます。
こうした「境界の明確化」というか「厳格化」は最初に話した職業の面でも同様で、そこそこの実務スキルを持つ人間でもかつてはそこそこの給与で勤務することが可能であっても、現在においては給与を一段下げたとして勤務すること自体が出来なくなっているのではと思う節があります。何故なら、その人が持つのは中途半端なスキルであって、曖昧な社会では「0.5」とみなされたものの厳格な社会だとゼロサムであるため「0」か「1」しかなく、「1」未満はすべて「0」だからです。
逆に正規スキルホルダーは以前以上の給与を得られることとなります。もっともその一方で、それまで「そこそこのスキルホルダー」が担ってきた業務も担わなくてはならないので前より忙しくなっているのではと思う節もありますが。
長く語ってもしょうがないので結論を述べますが、こうした風潮なり傾向は私が歓迎するところではありません。単純にこの傾向は労働、富の偏極化をもたらし、社会が全体として弱くなる要素を多分に含んでいるように思えるからで、社会全体としてもっと寛容な姿勢を持つような志向が求められている気がします。より端的に述べれば、もっとカオスな社会を私は望んでいます。
またもう一つ例を取り出しますが表現の世界でもやたらと表現を狭めようとする傾向が目立ち、90年代に流行したかつての言葉狩りは勢いが減ったものの今度は「著作権」がやたらと出張るようになり、実在する会社や商品名を作品に登場させることについていちいち許諾が求められるようになるなど世知辛い社会になってきたという気がします。虚偽の事実やあからさまに貶めようとする表現は確かに排除すべきですが、街の風景としてマクドナルドやガストといった飲食店舗をそのままの名前で出したらダメって一体何でやねんと実はすごい不満に覚えたりします。何故なら今そこにある現実を否定するかのような所業に感じるためで、こうした物が続いて行けば現実を表現すること自体が否定されるのではと危機感も覚えます。
最後にもう一つ書き残すと、何故社会が厳格化したのかというとそれは間違いなく社会が情報化したからで、コンピューターの世界が現実社会にも浸透してきたとみていいでしょう。映画の「マトリックス」じゃないですが、あまりにも厳格化した社会だとどうしても齟齬が起きるのだからいくらかファジーな部分、工学でいうなら「遊び」の部分を設けるべきだと私は思うのですが。
豊洲問題の真の問題と後の展望
昨夜知人たちとまた「いただきストリート」というゲームをしてきて、このゲームでは自分が物件を持っているエリアの株を買ってから増資するというのがセオリー(株価が上がって含み益が出る)なのですが、急ぐ状況から株を持たずに増資することをいつしか「株なし芳一」と呼ぶようになりました。芳一が意味不明過ぎてなんか気に入っています。
話は本題に入りますが先日出た以下のニュースを見て、「まだ早い」と私は思いましたが、同じように思った人間はどれほどいるのだろうかと密かに気になっています。
・フジテレビが1枚の写真で豊洲市場の柱の傾きを疑う→東京都は否定。専門家の見方は(BuzzFeed Japan)
先日知人にもこのテーマで解説を行ってきましたが、一部で言われているように地下空洞における地下水は実はそれほど大きな問題ではありません。環境基準値を上回っているか否かがよく取り沙汰されていますが、飲み水や洗浄用水に使うわけではないため仮に基準値を上回っていたとしても使わなければ豊洲市場自体には何か影響するわけではありません。
ただ都の職員は将来の地下改修工事の際における重機搬入口として作ったと話していますがあれだけ地下水が溜まっていれば重機を搬入するのに影響が出そうで、排出装置は用意してあるとは言っていますがなんとなくこの説明は嘘のような気がします。
では豊洲問題はそんなに大騒ぎしなくてもいいのか、小池都知事が無駄に騒ぎ立てているだけなのか。あくまで個人的見解ですが、今の地下空洞問題は前哨戦に過ぎず、小池都知事は本戦に向けた地ならしとしてこの問題をせっついているのではないかと思われます。では本戦とは何かですが、強度偽装問題が必ずこの後に浮上してくると私は見ており、これこそが豊洲問題の本丸だと考えています。
既に一部有識者などから豊洲の建物強度、耐震強度について疑問視する声が出ています。前者については市場内ではターレというフォークリフトが使われるにもかかわらず床の強度は1平方メートル当たり800kgしかなく、実際稼働時には2トンを越すと想定されるだけに絶対的に足りません。
そして次に耐震強度についてですが、専門家ではないためあまりよくわかっていないのですが、建物を支持する基盤構造が余りオーソドックスなものではなく耐震強度について疑問点があると指摘する声がいくつか出ています。専門的な話は抜きにしてマルクス主義的に(=特に意味はなく)私が強度偽装があるのではと思う理由を以下に羅列します。
・手抜き工事の手法として一番うまみがある
・盛土問題が明らかとなって以降、誰も強度について言及しなくなった
・仮に偽装されていれば最も影響額が大きい
・その影響額を誰が負担するのか
この四つの観点から、強度も結構怪しいのではないかと見ているわけです。
仮に本当に強度が偽装されていれば豊洲市場の建物は完全に使用できなくなるため移転も不可能となります。それだけに事実がわかっていたとしてもおいそれとその事実を現段階で明らかとすることは、関係各所への影響から小池都知事の側としても難しいでしょう。
そして四つ目の「誰が負担するのか」ですが、今の地下水問題はこの点を議論するための前哨戦となっているのではないかと私は見ています。現在いるプレイヤーは「東京都」、「ゼネコン」、「設計事務所(実質ゼネコン)」の三者で、この三者のうち誰が今回の不始末を負担するのかが後々決まってくるでしょう。実質的には東京都かゼネコンかで、今回の地下水問題のやり取りを見てもどちらも自分がババを引かないよう責任回避へ必死に動いているように見え、小池都知事の側も敢えて強度問題について今は触れず、地下水問題で白黒はっきりさせた上でその勢いをかって次のステップに踏み込もうとしているのではというふうに私は見ています。
その上で現状、重要なポイントとなるのは、「誰が空洞案を持ってきたのか」です。先程に私は関係者が「自分がババを引かないように」動いていると指摘しましたが、都側が先日出した報告書では「曖昧なうちに決定された」とふわふわした表現を出してきましたが、多分これは確信犯でしょう。実際の結論は二つしかなく、案を出したのは都かゼネコンかしかないでしょう。
まぁ言うまでもなくゼネコン側が案を出して、それを飲んだ都の責任者が誰かということになるわけですが、少し気が早いかもしれませんけどこの問題で何人か死ぬだろうなという気がします。
話は本題に入りますが先日出た以下のニュースを見て、「まだ早い」と私は思いましたが、同じように思った人間はどれほどいるのだろうかと密かに気になっています。
・フジテレビが1枚の写真で豊洲市場の柱の傾きを疑う→東京都は否定。専門家の見方は(BuzzFeed Japan)
先日知人にもこのテーマで解説を行ってきましたが、一部で言われているように地下空洞における地下水は実はそれほど大きな問題ではありません。環境基準値を上回っているか否かがよく取り沙汰されていますが、飲み水や洗浄用水に使うわけではないため仮に基準値を上回っていたとしても使わなければ豊洲市場自体には何か影響するわけではありません。
ただ都の職員は将来の地下改修工事の際における重機搬入口として作ったと話していますがあれだけ地下水が溜まっていれば重機を搬入するのに影響が出そうで、排出装置は用意してあるとは言っていますがなんとなくこの説明は嘘のような気がします。
では豊洲問題はそんなに大騒ぎしなくてもいいのか、小池都知事が無駄に騒ぎ立てているだけなのか。あくまで個人的見解ですが、今の地下空洞問題は前哨戦に過ぎず、小池都知事は本戦に向けた地ならしとしてこの問題をせっついているのではないかと思われます。では本戦とは何かですが、強度偽装問題が必ずこの後に浮上してくると私は見ており、これこそが豊洲問題の本丸だと考えています。
既に一部有識者などから豊洲の建物強度、耐震強度について疑問視する声が出ています。前者については市場内ではターレというフォークリフトが使われるにもかかわらず床の強度は1平方メートル当たり800kgしかなく、実際稼働時には2トンを越すと想定されるだけに絶対的に足りません。
そして次に耐震強度についてですが、専門家ではないためあまりよくわかっていないのですが、建物を支持する基盤構造が余りオーソドックスなものではなく耐震強度について疑問点があると指摘する声がいくつか出ています。専門的な話は抜きにしてマルクス主義的に(=特に意味はなく)私が強度偽装があるのではと思う理由を以下に羅列します。
・手抜き工事の手法として一番うまみがある
・盛土問題が明らかとなって以降、誰も強度について言及しなくなった
・仮に偽装されていれば最も影響額が大きい
・その影響額を誰が負担するのか
この四つの観点から、強度も結構怪しいのではないかと見ているわけです。
仮に本当に強度が偽装されていれば豊洲市場の建物は完全に使用できなくなるため移転も不可能となります。それだけに事実がわかっていたとしてもおいそれとその事実を現段階で明らかとすることは、関係各所への影響から小池都知事の側としても難しいでしょう。
そして四つ目の「誰が負担するのか」ですが、今の地下水問題はこの点を議論するための前哨戦となっているのではないかと私は見ています。現在いるプレイヤーは「東京都」、「ゼネコン」、「設計事務所(実質ゼネコン)」の三者で、この三者のうち誰が今回の不始末を負担するのかが後々決まってくるでしょう。実質的には東京都かゼネコンかで、今回の地下水問題のやり取りを見てもどちらも自分がババを引かないよう責任回避へ必死に動いているように見え、小池都知事の側も敢えて強度問題について今は触れず、地下水問題で白黒はっきりさせた上でその勢いをかって次のステップに踏み込もうとしているのではというふうに私は見ています。
その上で現状、重要なポイントとなるのは、「誰が空洞案を持ってきたのか」です。先程に私は関係者が「自分がババを引かないように」動いていると指摘しましたが、都側が先日出した報告書では「曖昧なうちに決定された」とふわふわした表現を出してきましたが、多分これは確信犯でしょう。実際の結論は二つしかなく、案を出したのは都かゼネコンかしかないでしょう。
まぁ言うまでもなくゼネコン側が案を出して、それを飲んだ都の責任者が誰かということになるわけですが、少し気が早いかもしれませんけどこの問題で何人か死ぬだろうなという気がします。
2016年10月3日月曜日
ゲームレビュー:ダンガンロンパ1&2
真面目な記事書いてもいいのだけれどこのところ企業居点の大型アップデート作業に忙しいのでまた緩めの記事書いて気分転換にします。もっとも、固い記事であろうとも政治系の話題ならそれはそれで気分転換になるのですが。
さて本題に移りますが、スパイクチュンソフトから発売されているゲームに「ダンガンロンパ」というシリーズがあり、非常に高い人気を得ています。このゲームはどういう物か一言でいえばアドベンチャーゲームで、カプコンから発売された「逆転裁判」という裁判討論をテーマにした同じアドベンチャーゲームが間違いなくベースとなっています。
具体的なあらすじを述べると、1と2ともに十数人の高校生がそれぞれ閉ざされた学校と孤島に監禁された上で、ドラえもんの声優でおなじみの大山のぶ代氏が演じる「モノクマ」という動くぬいぐるみに、「ここから出ることは許さない。どうしても出たければ誰か一人を殺せば出してやる」と通告されるところからスタートします。ゲーム内では実際に殺人事件が起こるのですが、事件後に現場の検証や聞き取りを済ませた後で学級裁判が開かれ、残った生存者の中にいる犯人は誰なのかを生存者同士で話し合い、突き止めるというのがゲームの流れです。
なお犯人は殺人を済ませただけで解放されるわけではなく、その後の学級裁判で「シロ」認定される必要もあります。犯人が「シロ」認定されれば犯人は晴れて解放され、別の人間を「クロ」と認定してしまった残りの生存者は処刑というか殺される羽目となります。逆に真犯人が「クロ」と認定されれば、真犯人のみが「おしおき」と呼ばれる処刑がなされる羽目となります。
これだけ書くとさも陰惨な話に見えますが集められた高校生は皆、「超高校級の○○」という肩書を持つエリート達でどれも個性が強く、また演出が非常にPOPな感じで仕上げられているのでプレイ中には残酷性に関してそれほど強い嫌悪感を覚えないほどよく練られて作られています。一方で各キャラクターが殺されて死体となって出てきた際には上記に述べた通りに誰もが個性が強かっただけにそれなりの喪失感が感じられ、それとともに仲間たちの中に犯人がいて互いに疑心暗鬼とならざるを得ないシナリオは絶妙といっていいでしょう。
そしてゲームの本番でもある学級裁判も、ほかの参加者の発言の中から矛盾点を指摘したり、事前にかき集めた証拠を突き合わせたりなどしてそこそこ考えながら取り組める内容で、その裁判の過程で新証言が出てくることによって徐々に真相が明らかとなっていくため「自分が事件を解いている」というカタルシスが強く得られます。実際、どの事件でも裁判前に犯人に目星がつくことはこのゲームではほぼなく、裁判過程で「あれ、もしかしてこいつが犯人なのか?」と段々わかってくるようになっています。
私はこのゲームを今年にPSVitaで1と2がセットになったソフトをダウンロードして購入して遊んだのですが、やっている間はとにもかくにも先が気になってしょうがなく長時間、時間を忘れてプレイしました。特に1に関しては、「今までやらずにいて勿体ない」と後悔するくらいの出来で、このシリーズが高い人気を得ているということも非常に納得がいきました。
一方、2に関しても述べると、楽しいっちゃ楽しいですが1と比べると私の評価はガクッと落ちました。1が100点だとすると2は60点、下手すりゃそれ以下くらいといったところで、シナリオ面でやはり1の焼き直しによる二番煎じ感が強く、ネタバレを読まずともなんとなくシナリオの背景というか各キャラクターたちの過去とかが読み取れてしまって真相が明らかとなる終盤のドッキリ感が弱かったです。
またもう少しケチをつけると、2に関しては学級裁判のシーンがとにかくだるくてつまらなかったです。1に関しては難易度も抑えられていることもあってちゃんと論理的に考えればきちんと正解にたどり着くようになっていると感じた一方で、2では発言の矛盾点に関する指摘や選択する証拠の正解がなんとなくカチッと結びつかず、「俺はこういいたいのに何でこいつはそう言わないんだ」というようなもどかしさと共にイライラを何度となく覚えました。正解はわかっているのにキャラクターが思い通りに動いてくれないため、場所によっては総当たり方式で臨まざるを得ませんでした。
そして演出に関しても、1と2でははっきり言って天と地の差というくらい水準に差を感じました。既に述べた通りに「クロ」と認定された犯人は「おしおき」という名の処刑が課せられそのシーンはムービーで流れるのですが、このおしおきは各キャラクターの個性に合わせて用意されており非常に毒が強いというかブラックユーモアがふんだんに盛り込まれてあり、残酷といえば残酷なのですがそれでいて思わず見入ってしまうようなコミカルさを兼ね備えてあってプレイ後も何度も見返してしまうような出来でした。1に関しては。
2のおしおきムービーなのですが、ネットで見ていると私同様の感想を持つ人も多いようで、はっきり言って何も笑えない内容でしかありませんでした。何もユーモアが感じられないし無駄に長いし何が実際に起こったのか見ていてよくわからない内容で、本当にこれ同じ人が作ったのかと本気で疑うくらいレベルが低くて一つの映像としてみても文句なしに駄作といえるようなものがずらりと並んでいます。唯一、2の最後のおしおきムービーだけは「ほう」ってな感じで唸らされるものでしたが、ネット上の噂によるとこの最後のムービーだけが1のスタッフが作ったもので他のムービーはは別人が作ったとのことで、出来を比較する限りきっとその通りだろうと思うくらい差がありました。
こういうシリーズ物は初代の出来が良すぎて二作目以降は悪くない出来であっても批判されるということがよくありますが、このダンガンロンパシリーズに関して言えば、1が非常に高い出来でその壁を乗り越えるのは確かに難しいということは理解できても、2については一つのアドベンチャーゲームとしてみてもちょっとお粗末な出来だったのではないだろうかという風に私は見ています。登場するキャラクターも1と比べると明らかに魅力が落ちるし、主人公の性格も1は見ていて応援したくなりましたが2の方ははっきりしない性格のキャラのため最後まで好きになれませんでした。
ついでに書くと声優に関しては、1に出ている椎名へきる氏はかつてはアイドル声優として名を馳せたものの、ブランクの大きさが祟って棒読みが目立ち他の実力は声優らに囲まれたこともあって明らかに浮いています。2は私が贔屓にしている小清水亜美氏がやっぱりすごいなと感じたのと、花澤香奈氏が多忙のため一人だけで収録に望み、収録を終えた後はまた別の収録に向かったというエピソードが強烈でした。っていうかこの人よく過労死しなかったな。
最後に、真相のネタバレになりかねないのでぼやかして書きますが、ダンガンロンパの1も2も「実は○○だった」という真相はどちらも共通しています。この真相ですが、スケールこそ違うものの同じくスパイクチュンソフトから1と同時期に発売された「極限脱出ADV善人シボウデス」とも完全に一致しています。偶然といえば偶然かもしれませんし双方で独立したシナリオが展開されているのだから厳しくツッコむ必要はもちろんないと思いますが、なんというかこの頃はこういうディストピアオチが流行っていたのだろうかとそういう流行の点で気になる所があります。
さて本題に移りますが、スパイクチュンソフトから発売されているゲームに「ダンガンロンパ」というシリーズがあり、非常に高い人気を得ています。このゲームはどういう物か一言でいえばアドベンチャーゲームで、カプコンから発売された「逆転裁判」という裁判討論をテーマにした同じアドベンチャーゲームが間違いなくベースとなっています。
具体的なあらすじを述べると、1と2ともに十数人の高校生がそれぞれ閉ざされた学校と孤島に監禁された上で、ドラえもんの声優でおなじみの大山のぶ代氏が演じる「モノクマ」という動くぬいぐるみに、「ここから出ることは許さない。どうしても出たければ誰か一人を殺せば出してやる」と通告されるところからスタートします。ゲーム内では実際に殺人事件が起こるのですが、事件後に現場の検証や聞き取りを済ませた後で学級裁判が開かれ、残った生存者の中にいる犯人は誰なのかを生存者同士で話し合い、突き止めるというのがゲームの流れです。
なお犯人は殺人を済ませただけで解放されるわけではなく、その後の学級裁判で「シロ」認定される必要もあります。犯人が「シロ」認定されれば犯人は晴れて解放され、別の人間を「クロ」と認定してしまった残りの生存者は処刑というか殺される羽目となります。逆に真犯人が「クロ」と認定されれば、真犯人のみが「おしおき」と呼ばれる処刑がなされる羽目となります。
これだけ書くとさも陰惨な話に見えますが集められた高校生は皆、「超高校級の○○」という肩書を持つエリート達でどれも個性が強く、また演出が非常にPOPな感じで仕上げられているのでプレイ中には残酷性に関してそれほど強い嫌悪感を覚えないほどよく練られて作られています。一方で各キャラクターが殺されて死体となって出てきた際には上記に述べた通りに誰もが個性が強かっただけにそれなりの喪失感が感じられ、それとともに仲間たちの中に犯人がいて互いに疑心暗鬼とならざるを得ないシナリオは絶妙といっていいでしょう。
そしてゲームの本番でもある学級裁判も、ほかの参加者の発言の中から矛盾点を指摘したり、事前にかき集めた証拠を突き合わせたりなどしてそこそこ考えながら取り組める内容で、その裁判の過程で新証言が出てくることによって徐々に真相が明らかとなっていくため「自分が事件を解いている」というカタルシスが強く得られます。実際、どの事件でも裁判前に犯人に目星がつくことはこのゲームではほぼなく、裁判過程で「あれ、もしかしてこいつが犯人なのか?」と段々わかってくるようになっています。
私はこのゲームを今年にPSVitaで1と2がセットになったソフトをダウンロードして購入して遊んだのですが、やっている間はとにもかくにも先が気になってしょうがなく長時間、時間を忘れてプレイしました。特に1に関しては、「今までやらずにいて勿体ない」と後悔するくらいの出来で、このシリーズが高い人気を得ているということも非常に納得がいきました。
一方、2に関しても述べると、楽しいっちゃ楽しいですが1と比べると私の評価はガクッと落ちました。1が100点だとすると2は60点、下手すりゃそれ以下くらいといったところで、シナリオ面でやはり1の焼き直しによる二番煎じ感が強く、ネタバレを読まずともなんとなくシナリオの背景というか各キャラクターたちの過去とかが読み取れてしまって真相が明らかとなる終盤のドッキリ感が弱かったです。
またもう少しケチをつけると、2に関しては学級裁判のシーンがとにかくだるくてつまらなかったです。1に関しては難易度も抑えられていることもあってちゃんと論理的に考えればきちんと正解にたどり着くようになっていると感じた一方で、2では発言の矛盾点に関する指摘や選択する証拠の正解がなんとなくカチッと結びつかず、「俺はこういいたいのに何でこいつはそう言わないんだ」というようなもどかしさと共にイライラを何度となく覚えました。正解はわかっているのにキャラクターが思い通りに動いてくれないため、場所によっては総当たり方式で臨まざるを得ませんでした。
そして演出に関しても、1と2でははっきり言って天と地の差というくらい水準に差を感じました。既に述べた通りに「クロ」と認定された犯人は「おしおき」という名の処刑が課せられそのシーンはムービーで流れるのですが、このおしおきは各キャラクターの個性に合わせて用意されており非常に毒が強いというかブラックユーモアがふんだんに盛り込まれてあり、残酷といえば残酷なのですがそれでいて思わず見入ってしまうようなコミカルさを兼ね備えてあってプレイ後も何度も見返してしまうような出来でした。1に関しては。
2のおしおきムービーなのですが、ネットで見ていると私同様の感想を持つ人も多いようで、はっきり言って何も笑えない内容でしかありませんでした。何もユーモアが感じられないし無駄に長いし何が実際に起こったのか見ていてよくわからない内容で、本当にこれ同じ人が作ったのかと本気で疑うくらいレベルが低くて一つの映像としてみても文句なしに駄作といえるようなものがずらりと並んでいます。唯一、2の最後のおしおきムービーだけは「ほう」ってな感じで唸らされるものでしたが、ネット上の噂によるとこの最後のムービーだけが1のスタッフが作ったもので他のムービーはは別人が作ったとのことで、出来を比較する限りきっとその通りだろうと思うくらい差がありました。
こういうシリーズ物は初代の出来が良すぎて二作目以降は悪くない出来であっても批判されるということがよくありますが、このダンガンロンパシリーズに関して言えば、1が非常に高い出来でその壁を乗り越えるのは確かに難しいということは理解できても、2については一つのアドベンチャーゲームとしてみてもちょっとお粗末な出来だったのではないだろうかという風に私は見ています。登場するキャラクターも1と比べると明らかに魅力が落ちるし、主人公の性格も1は見ていて応援したくなりましたが2の方ははっきりしない性格のキャラのため最後まで好きになれませんでした。
ついでに書くと声優に関しては、1に出ている椎名へきる氏はかつてはアイドル声優として名を馳せたものの、ブランクの大きさが祟って棒読みが目立ち他の実力は声優らに囲まれたこともあって明らかに浮いています。2は私が贔屓にしている小清水亜美氏がやっぱりすごいなと感じたのと、花澤香奈氏が多忙のため一人だけで収録に望み、収録を終えた後はまた別の収録に向かったというエピソードが強烈でした。っていうかこの人よく過労死しなかったな。
最後に、真相のネタバレになりかねないのでぼやかして書きますが、ダンガンロンパの1も2も「実は○○だった」という真相はどちらも共通しています。この真相ですが、スケールこそ違うものの同じくスパイクチュンソフトから1と同時期に発売された「極限脱出ADV善人シボウデス」とも完全に一致しています。偶然といえば偶然かもしれませんし双方で独立したシナリオが展開されているのだから厳しくツッコむ必要はもちろんないと思いますが、なんというかこの頃はこういうディストピアオチが流行っていたのだろうかとそういう流行の点で気になる所があります。
2016年10月2日日曜日
政治家の海外出張が多い背景
昨夜、大学の先輩らを前に私が政治の話題だったら三食忘れてずっとやり続けると話したところ興味を持たれたのか政治関連で多くの質問を受けました。受けた質問は指摘箇所も鋭ければ具体的で、やっぱ海外にいる人間は日本国内の政治に対しても適度な距離を置いた視点を持つのだなと感じさせられました。
そこで受けた質問の中で一つ、「最近の政治家の愛人関係というのはどうなっている?」という者があり、それについて以下の様に私は答えました。
結論から言えば、かつてと比べると現在はすっかり大人しくなっています。昭和の頃なんて本妻以外の愛人を持っていない政治家を探す方が難しいし持っていること自体も別に咎められるような時代でもありませんでしたが、平成に入ってからは日本人の倫理観も段々と厳しくなっていったこともあって政治かとあってもおいそれと愛人を持つことが難しくなっていきました。
またそれと並行してこれは以前に読んだ政治批評に書かれていた内容ですが、愛人となる女性の側もかつてと比べて政治家に対する忠誠心が薄れており、事と次第というかギャラ次第であっさりと政治かを裏切って関係を暴露するようになってきたことも大きく影響してます。具体例を挙げると最近本を出版して割と景気良さそうが元YKKこと山崎拓氏で、彼なんか週間誌に愛人関係が暴露されたため事実無根だとする裁判を起こしたところ、週間誌出版社側から愛人宅に預けられていたパンツを証拠として愛人により裁判所に提出され、司法すらも愛人関係を認めるという壮大な茶番を演じることとなりました。
また首相に関して述べると、政治部記者によって毎日事細かなスケジュールをチェックされて「首相動静」として報じられるため、愛人といちゃつく時間すら持てないし持ったところですぐ明るみに出てしまいます。なお首相動静についてもう少し述べると、一分単位で何をしたか不明瞭な時間があると各社の政治部記者によって一体何をしていたのかとしつこく食い下がれるとのことです。
一例として、かつて佐野眞一氏が小渕恵三に総理独占インタビューを申し込んだところ、単独で受けると政治部記者かた嫉妬を受けて佐野氏が嫌がらせを受けるだろうと懸念されたそうです。そこで小渕は佐野氏に対し、「官邸の裏のトイレの窓から侵入してくれ」とメタルギアソリッドみたいな潜入を支持した上で官邸内でインタビューを受けたそうです。インタビュー後もまた佐野氏はトイレの窓から脱出し、小渕は小渕で政治部記者から空白の時間に誰と会っていたのかと問われて、「人間と会っていた」とごまかしたことが翌日の首相動静に書かれていたことを佐野氏本人が感慨深げに話したのを聞いています。
話は戻りますが以上の様に記者が張り付いていることもあって総理が愛人といちゃつくなんて今の時代では非常に難しいことです。もっとも、愛に殉じた宇野宗佑みたいな総理も至っちゃいましたが、国内で愛人関係を持つことは至難の業だと昨夜私は述べました。
するとそこで、「なら海外は?」という質問が飛んできました。そしてそれに対する私の答えは、「国内より、明らかに緩くなる」というものでした。
海外出張に出かければ政治部記者ももちろんついてくるものの、日本と違ってセキュリティの問題から総理に近づくことは難しく、宿泊先のホテルにおいてもSPががっちり警備に就くため人の出入りすらホテル前でチェックするよりほかなくなります。それこそ「政府関係者」とか「訪問団関係者」などと名乗られてSPに通されれば、ホテル内で自由に愛人といちゃつくこともできるでしょう。
現役の阿部総理については、割とこの人は奥さん一筋な感じがする人なのであまり愛人はいないと思うため週間誌とかに「真夜中のアベノミクス」などという見出しが書かれることはないとは思いますが、それ以外の大臣や国会議員クラスとなると海外出張というのは愛人といちゃつく絶好の機会なのではないかと話をしていて私も思いました。
そこで議論が盛り上がってきて次に出てきたのが、「そういえば、政治家って海外出張好きだよね?」という意見でした。舛添前都知事を筆頭に地方議員なども大した理由もなく政治活動費を使ってしょっちゅう海外出張や視察に出向くことが問題になるケースがこのところ多いですが、これってもしかして愛人遊びが目的なのではとなんか思えてきました。やや下品な言い方ですが「女体大満足」とも揶揄された乙武洋匡氏も出張にかこつけてスタッフとする愛人と遊びまわっていたとされ、彼に限らず出張に出向こうとする人間は多かれ少なかれこの類なのかもしれません。
こうした考えから導き出される答えは一つで、海外出張を頻繁に行う人間に対しては女性関係を洗うのが案外的確かつ効果があるなかなという知見です。まぁそれ言ったら海外駐在員の実態の方がニュース価値あるのかもしれませんけど。
そこで受けた質問の中で一つ、「最近の政治家の愛人関係というのはどうなっている?」という者があり、それについて以下の様に私は答えました。
結論から言えば、かつてと比べると現在はすっかり大人しくなっています。昭和の頃なんて本妻以外の愛人を持っていない政治家を探す方が難しいし持っていること自体も別に咎められるような時代でもありませんでしたが、平成に入ってからは日本人の倫理観も段々と厳しくなっていったこともあって政治かとあってもおいそれと愛人を持つことが難しくなっていきました。
またそれと並行してこれは以前に読んだ政治批評に書かれていた内容ですが、愛人となる女性の側もかつてと比べて政治家に対する忠誠心が薄れており、事と次第というかギャラ次第であっさりと政治かを裏切って関係を暴露するようになってきたことも大きく影響してます。具体例を挙げると最近本を出版して割と景気良さそうが元YKKこと山崎拓氏で、彼なんか週間誌に愛人関係が暴露されたため事実無根だとする裁判を起こしたところ、週間誌出版社側から愛人宅に預けられていたパンツを証拠として愛人により裁判所に提出され、司法すらも愛人関係を認めるという壮大な茶番を演じることとなりました。
また首相に関して述べると、政治部記者によって毎日事細かなスケジュールをチェックされて「首相動静」として報じられるため、愛人といちゃつく時間すら持てないし持ったところですぐ明るみに出てしまいます。なお首相動静についてもう少し述べると、一分単位で何をしたか不明瞭な時間があると各社の政治部記者によって一体何をしていたのかとしつこく食い下がれるとのことです。
一例として、かつて佐野眞一氏が小渕恵三に総理独占インタビューを申し込んだところ、単独で受けると政治部記者かた嫉妬を受けて佐野氏が嫌がらせを受けるだろうと懸念されたそうです。そこで小渕は佐野氏に対し、「官邸の裏のトイレの窓から侵入してくれ」とメタルギアソリッドみたいな潜入を支持した上で官邸内でインタビューを受けたそうです。インタビュー後もまた佐野氏はトイレの窓から脱出し、小渕は小渕で政治部記者から空白の時間に誰と会っていたのかと問われて、「人間と会っていた」とごまかしたことが翌日の首相動静に書かれていたことを佐野氏本人が感慨深げに話したのを聞いています。
話は戻りますが以上の様に記者が張り付いていることもあって総理が愛人といちゃつくなんて今の時代では非常に難しいことです。もっとも、愛に殉じた宇野宗佑みたいな総理も至っちゃいましたが、国内で愛人関係を持つことは至難の業だと昨夜私は述べました。
するとそこで、「なら海外は?」という質問が飛んできました。そしてそれに対する私の答えは、「国内より、明らかに緩くなる」というものでした。
海外出張に出かければ政治部記者ももちろんついてくるものの、日本と違ってセキュリティの問題から総理に近づくことは難しく、宿泊先のホテルにおいてもSPががっちり警備に就くため人の出入りすらホテル前でチェックするよりほかなくなります。それこそ「政府関係者」とか「訪問団関係者」などと名乗られてSPに通されれば、ホテル内で自由に愛人といちゃつくこともできるでしょう。
現役の阿部総理については、割とこの人は奥さん一筋な感じがする人なのであまり愛人はいないと思うため週間誌とかに「真夜中のアベノミクス」などという見出しが書かれることはないとは思いますが、それ以外の大臣や国会議員クラスとなると海外出張というのは愛人といちゃつく絶好の機会なのではないかと話をしていて私も思いました。
そこで議論が盛り上がってきて次に出てきたのが、「そういえば、政治家って海外出張好きだよね?」という意見でした。舛添前都知事を筆頭に地方議員なども大した理由もなく政治活動費を使ってしょっちゅう海外出張や視察に出向くことが問題になるケースがこのところ多いですが、これってもしかして愛人遊びが目的なのではとなんか思えてきました。やや下品な言い方ですが「女体大満足」とも揶揄された乙武洋匡氏も出張にかこつけてスタッフとする愛人と遊びまわっていたとされ、彼に限らず出張に出向こうとする人間は多かれ少なかれこの類なのかもしれません。
こうした考えから導き出される答えは一つで、海外出張を頻繁に行う人間に対しては女性関係を洗うのが案外的確かつ効果があるなかなという知見です。まぁそれ言ったら海外駐在員の実態の方がニュース価値あるのかもしれませんけど。
2016年9月30日金曜日
中国におけるプレイステーション系ゲームのダウンロード
なんとなく上の写真みたくテンションが低いので昨日確かめた話についてささっと書くことにします。
ゲームをあまりやらない方にはピンと来ないかもしれませんが、現在のゲーム市場はゲームソフトを店頭で買うだけでなく、ネット上で購入してデータだけダウンロードする形でも購入できます。私などはまさにこうしたダウンロード購入がメインなのですが、ソニーのプレイステーション系列のゲームソフトを買う場合はPSN(プレイステーションネットワーク)というサイトに所有しているゲームハード(PS4、PS3、PSVita、PSP)からアクセスして、そこで登録したIDから購入するゲームを選んで購入し、そのまま所有するハードにデータをダウンロードするという形になります。
なお購入したゲームはデータを削除しても時間がかかりますが何度でも再ダウンロードできるため、ゲームソフトを紛失したり、借りパクされて二度と遊べなくなるという事態は原則起こりません。まぁ一部のソフトで配信が停止してしまうってのは過去に何度かありましたが。
上記のダウンロード購入は日本であれば問題なくできましたが、私が現在いる中国だと四年前に確かめた際はPSNにアクセスすることすらできず不可能でした。しかし昨年に中国でもゲーム市場が開放されてソニーもPS4を売り出したことから今ならどうかなと思って試してみたところ、四年前は確かにダメだったのに、携帯機であるPSVitaで無線接続を試してみたら問題なくアクセスできました。そのかわり、ダウンロード速度は極端に遅いけど。
続いて試したのは既に購入済みのゲームをダウンロードできるかでしたが、これに関してはかなり時間食ったものの、ダウンロード自体は問題なく行えました。そして次のステップとしてゲーム自体の新規購入&ダウンロードはどうかと昨日試してみたところ、こちらも問題なく行うことが出来ました。
しかしダウンロード速度は環境にもよるかもしれませんがやっぱり遅く、昨日購入したのは600円ちょっとで買えるので「ディノクライシス」という恐竜さんとわくわくどきどきな触れ合いが楽しめるゲームで容量は230メガくらいでしたが、何度もアクセスが中断されるわけで3時間たってもダウンロードしきれず、そのまま電源つけたまま放っておいたら翌朝にはダウンロードしきれていました。AmazonのKindleと違い、ダウンロードが中断されたとしても途中までダウンロードしたデータは残ったままダウンロードを再開できるので、時間さえかければどうにか利用できると言ったところです。
とはいえ、昨今のゲームは容量が大きく数ギガ単位も珍しくないため、仮にそういうゲームをダウンロードするとなると果たしてどんなものやらといったところです。確実なのはやはり日本でダウンロードすることですが、ゲームを買うためにわざわざ日本に戻るってのもあれ何で私みたいにまとめて買いだめしておくのがベターかもしれません。
なお真面目な話をすると、海外で生活するに当たって娯楽は非常に重要です。先日も私が前の会社を辞めたせいで代わりに中国来る羽目となった元同僚となかよく夕食をしましたが、単身赴任で海外に来ると現地の言葉も使えないために休日は家で引きこもりとなるしかなく、チューナー使って日本のテレビ番組を見たり日本人会のメンバーと会ったり、インターネットしたりといった娯楽がどれだけ重要か痛感したと話しました。何気にその元同僚がこっち来ることが決まった際に私は重ねて娯楽を持つようアドバイスをして、そうしたアドバイスが実際役に立ったと言ってもらえました。
海外駐在で精神を病むというのはそれほど珍しくはなく、実際私も目の前でそうなった人を見る羽目となりました。私ほど極端でなくても、パソコンで遊べるゲームなどは海外に持って行った方がいいというのが持論です。
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